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2009年12月

科学者の常識とは?

1989年12月19日の朝日新聞に、こんな記事があったのを覚えていらっしゃるでしょうか。

 右回りのコマは軽くなる

「コマを右回転させると、コマの重さが回転数に比例して軽くなる」「左回転だとその現象は見られない」とする実験データを論文にまとめ、米国物理学誌の「フィジカル・レビュー・レターズ」に発表する。

多くの人は、その後の追試が否定的だったという報道を聞いて、実験結果は間違えだったと思ってしまったようです。

 だって、報告したのも追試したのも、専門家でしょう。

ここに、落とし穴があるのですよ。

 どこ?

どういう条件下で、「右回りのコマは軽くなる」という結果が出たと思うでしょうか。

 さあ。

十分高い真空と、限りなく零に近づけた摩擦のもと、実験しないと再現性はないと、当人は言っていたのです。

 追試は、その条件を満たしていたのではないの。

空気で回したなんてのも、あったのですよ。

 真空じゃないでしょ!

仮に、コマの回りを真空にしても軸の摩擦が零に近いとは、到底いいがたいでしょ。

 空気も摩擦も、限りなく零に近づけないと再現性がないといってるのに、なに考えてるのかしら。

ほかも似たり寄ったりの、到底、報告をまともに読んでいると言い難いものが追試としてまかり通ったのです。

 報告された結果が正しければ、重さを変えさえすれば同じ答えが出るはずだと、いうの。

その通りです。

再現の絶対条件と報告した当人たちは言っているのに、肝心のところが完全に無視された追試が当然視されたのですよ。

限りなく零に近い真空と摩擦、これなしに再現はありえないと、言い切っているのですから。

 技術の世界で、再現条件の無視をやったら相手にされませんよ。

 何が再現の絶対条件か突き止めることこそ、技術では必要ですもの。

当人たちは、空気も摩擦も、限りなく零に近づける工夫をさらに重ねて同じ結果を出していったけど、科学界は黙殺してきたのです。

 そんな、馬鹿な!

それが、学者の実態ですよ。

 ところで、あなたはこのコマの実験結果を信じているの。

追試の名に値する追試で否定されない限り、ありえないと切り捨てないほうが良いと思っているのです。

 報告は疑わしいが、追試の方が問題外では、否定を断言しようがない。

おっしゃるとおりです。

それに、追試には重量と質量の混同さえみえるように、感じられるのです。

重量とは、ある重力下での質量のことですよ。

無重力下の無重量は、無質量ではないでしょ。

 日常では、どっちも重さと言ってしまいますね。

報告は、重量の測定結果が回転方向で違ったと記述しているのであって、コマ自体の質量が変化したとは一言も主張していないのですよ。

 ところが、追試は地上でのコマの質量は不変だから、重量も不変であるとの前提に立っている。

厳密には地上でも、重量は極地と赤道では遠心力によって差が出るはずでしょ。

 そうね。 

 でも、今回の実験は同じ場所の同じ装置の中でしょ。

それが変化するという報告である以上、納得できる追試であってほしかったですよ。

 実験した人の、本とか読んだわけ。

ええ、追試とされる実験についての情報も見たのです。

元の実験が信ずるに足るかどうかはともかく、追試の実態のひどさに唖然としたのです。

 最初に否定ありきで、あとから取ってつけたような実験だと。

頭から、絶対的と報告された条件を無視してるものです。
 
科学者の意見であっても、常識に照らしておかしい場合はおかしいと、指摘できる情報がちゃんと報じられて欲しいですね。

 常識を疑って、新発見をしてこそ科学の醍醐味。

 その常識を覆す報告を、常識で疑って良いのかしら。

報告者のいう絶対的条件が無視された追試がまかり通るのは、非常識ではないかということです。

元の報告が、正しいかどうかを確かめるのが追試のはずでしょ。

 確かにそうですね。
 ただ、元の実験の条件がどうだったのか、それを明確にしてもらって再現して欲しかったな。

 その辺の公開は、どうだったんでしょうね。

追試結果ばかりが報道され、どういう条件下で起きる現象かは元の実験の報道のときくらいしか触れなかった気がします。

追記。

右回転のコマと左回転のコマとでは質量の測定値に差が出るという発見を行った元東北大学の早坂秀雄博士の報告を、重力の方が変化したとみる人たちは、何人かいました。

反重力研究の最先端
http://quasimoto.exblog.jp/10965881/

「重力は対称性の破れを伴う」という可能性があるということである。

早坂博士はアインシュタインの一般相対性理論の枠組みは正しいが、重力場は対称性を破ると仮定すると、左右回転で重力の作用が異なると証明した。

さらに、自然界の左右非対称性からみてコマの質量の測定値が右回りと左回りで差が出る可能性があると考察した人もいました。

回転体と反重力
http://oyoyo7.blog100.fc2.com/blog-entry-1400.html

そもそも自然界にあるもの。
右か左か、どちらかに大きく偏っている。

ちなみに、通常のアミノ酸なら左、糖なら右、DNAなら右。
巻貝は、9割が右巻きだそう。

右手と左手のように、仲良くペアで存在するものは、むしろ珍しい。

どちらも、早坂博士の報告を反重力と結び付けて考えてるのは、興味深いです。

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改めて驚く、イタリアと日本の味な類似。

日本とイタリア、食文化の類似って多いですね。

 秋田の魚醤であるしょっつると、 古代ローマの魚醤のガルムやイタリアで今も愛用されているコラトゥーラ・ディ・アリーチという魚醤を比較したよね。

日本各地に魚醤はあるけど、石川県の能登半島に面白い情報があったのです。

能登半島の魚醤は、「いしり」、「いしる」、「よしり」、「よしる」などと呼ばれるのです。

 「いしり」、「いしる」、「よしり」、「よしる」と「しょっつる」、なんとなく転化したように見えますね。

そうでしょ。

能登の食材を、イタリアンに使ってもらおうというサイトを見つけたのです。

能登の魚醤であるいしりは、「パスタに、リゾットに、ドレッシングに、コレ一本で、イタリアン何でもこい!」だそうです。

 これは、しょっつるとガルム、コラトゥーラ・ディ・アリーチの比較でわかりますよ。

能登の珍味「もみいか」の糀漬けも、ペペロンチーノにつかうとオリーブオイルとの相性もばっちりだそうです。

 なれ鮨とゴルゴンゾーラチーズの類似と、似てるのでしょ。

北陸の暮らしの知恵、魚の糠(ぬか)漬け、例えば能登・輪島で作られる、伝統的なこんか鰯もオリーブオイルとの相性ばっちりだそうです。
アンチョビ代わりにも使えると、うたっているのです。

 こんか鰯は、昔から能登に伝わる保存食の代表格だそうね。
 糠を落とさず、軽くあぶって食べるのが一般的なのですって。
 塩分が少し多いので、ちょっとづつ食べたり、イワシを焼かずに薄く切って酢をかけて食べるのもおいしいらしいね。

 これも、チーズに似た風味なのかなあ。

おぼろ昆布も、サラダに、カルパッチョに、使えると売り込んでいるのです。

 カルパッチョ(Carpaccio)は、生の牛ヒレ肉の薄切りにマヨネーズとマスタードを混ぜたソースを網の目状にかけたものね。
 パルメザンチーズの薄切りとともに、オリーブオイルをかけた料理法も、あるでしょ。

パルメザンチーズ(Parmesan cheese)は、英語読みで、現地名はパルミジャーノ・レッジャーノ(Parmigiano Reggiano)ですね。
イタリアを代表するチーズのひとつで、イタリアチーズの王様とも呼ばれます。

名前は知名に由来し、パルマ、レッジョ・エミリア、モデナなどのエミリア・ロマーニャ地方で作られているのです。

原料は、前日に搾った牛乳を一晩置いて分離した乳脂肪分を抜いたものと当日の朝搾った牛乳を混合したものを用いるのです。
そのため製造できるのは、1日に1回だけ。

水分を完全に抜き切り、最低1年、通常は2年以上熟成させるので、とっても硬いのハードチーズとなり、アミノ酸が結晶して白い斑点ができます。

 作り方はなんだか、ちょっと魚節に似てる。

 パルメザンチーズは、塊のままバルサミコ酢に浸して食べられるけど、主にすりおろしてパスタなどにかけられるのでしょ。

 この、すりおろす食べ方と、おぼろ昆布の風味が似てるのかなあ。

 塊のままバルサミコ酢に浸すあたりは、なにに似てるのかしら...。

製造過程で出来る乳脂肪分は、クリームチーズのマスカルポーネなどの原料に使われます。
乳清は、プロシュット・ディ・パルマ用の豚の飼料になるそうです。

 クリームチーズのマスカルポーネ、クリームチーズをつけて食べるあたり、もろきゅうに通じそうね。

よく似た製法のチーズに、ポー川流域で作られているグラナ・パダーノがあります。
どちらもグラーナと呼ばれる種類のチーズだが、作られるのはパルミジャーノ・レッジャーノはより狭い地域ですって。

 東日本とイタリアの食文化って、奥の方で繋がっているのね。

私の見たサイトは、能登は、食だけでなく、景色もイタリアに近いと売り込みたいようですねえ。

日本海に突き出る能登半島。
地中海に突き出るイタリア半島。

能登半島の対岸には朝鮮半島や中国大陸が。
イタリア半島の対岸には、アフリカ大陸が、そしてギリシア、トルコが。

どちらも、そんな立地条件のため、かつては大陸との交流が盛んだった。
海上交通の発達にともない、様々な文化を吸収しながらも、その土地の独自の文化が発達した。

また、廻りを海に囲まれ、豊かな山々が存在し、そしてちょうど良い平地もある。

などと言ってます。

 確かにこう並べると、日本とイタリアって不思議と似てますねえ。

 日本のデパートのイタリア展が、毎回大好評なのも頷けます。

あるサイトでは、ドイツに対する感想はイタリア人と驚くほど似ているといってましたよ。

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天狗 その2

ひさびさに、天狗を話題にしてみたいです。

 神として信仰の対象となる程の大天狗には、名が付いているのよね。

愛宕山の太郎坊、鞍馬天狗で知られる鞍馬山の僧正坊、比良山の次郎坊の他、比叡山法性坊、英彦山豊前坊、筑波山法印坊、大山伯耆坊、葛城山高間坊、高雄山内供坊、富士山太郎坊、白峰山讃岐坊、等が知られるのです。

 天狗といえば、山よね。

山伏の山岳信仰と、天狗の相関関係を示すとされるのですね。

 山伏を中心とする天狗の信仰は、民間の仏教と、古代から続く山の神秘観山岳信仰に結びついたものと見られているのね。
 極めて豊富な天狗についての伝説は、山岳信仰の深さを物語るものといわれるの。

天狗の一般的な姿は、修験者の様相でその顔は赤く、鼻が高いです。
 
 天狗は翼があり、空中を飛翔するとされるの。

たとえば滋賀県高島市では天狗を「グヒンサン」と言い、大空を飛び、祭見物をしたといわれるのです。

 天使も、翼を持ち空中を飛翔するとされるのね。

実際の天使は、翼を持っていないそうですよ。

聖書には、天使が普通の人と勘違いされる話があるのです。

 本当は天狗も、翼がないのかしら。

さあ。

 さあって...。

天狗は、その種類や姿もさまざまです。

 成立した背景には、複数の流れがあるためでしょうか。

そうですね。
鼻の高いのを「大天狗」、鼻先が尖ったのは「小天狗」あるいは「烏天狗」というのです。

鳥のように自由に空を飛び回る天狗が住んでいたり、腰掛けたりすると言われている天狗松あるいは杉の伝承は日本各地にあるのです。

 天狗は、しばしば輝く鳥として描かれるのよね。

松明丸(たいまつまる)とも、自尊心と驕慢を縁として集う「魔縁(まえん)」とも呼ばれたのです。

松明丸は、鷹の姿をした妖怪で周囲に炎を携えて深山幽谷を飛び回るそうです。

魔縁とは、第六天魔王波旬の別名として用いられる仏教用語で、障魔となる縁のことだそうです。
いわゆる慢心の山伏である天狗が、魔界である天狗道に堕ちた者たちを総称していう場合もあるとか。

 障魔となる縁とは、三障四魔(さんしょうしま)のことでしょうか。

三障は、サンスクリットでāvarana-trayaのことで、聖道を妨げ善根を生ずることを障害する3つだそうです。

煩悩障とは、仏道の妨げの心、貪・瞋・痴(とんじんち)の三毒の煩悩によって仏道修行を妨げる働き。
業障とは、魂に刻まれた業、言語・動作、または心の中において悪業を造り、為に正道を妨げる働き。
報障とは、因果応報、悪業によって受けたる地獄・餓鬼・畜生などの果報の為に妨げられる働き。

四魔は、サンスクリットでcatovāro-mārāhのことで、生命を奪い、またその因縁となる4つ、またそれを悪魔にたとえたものだそうです。

陰魔とは、正しくは五陰魔(ごいんま)で五蘊魔(ごうんま)ともいう。心身からくる妨げで、色・受・想・行・識の五陰が、和合して成ずる身体は種々の苦しみを生じる働きをいう。
煩悩魔とは、煩悩障におなじ、心身を悩乱して、菩提・悟りを得る障りとなるから煩悩魔という。
死魔とは、修行者を殺害する魔、死は人命を奪うから死魔という。
天子魔とは、第六天魔王(天魔、マーラ・パーピーヤス、魔羅・波洵、他化自在天ともいう)の働き。

 魔縁は、鳥と関係ないのでは。

そうでしたっけ。

 また、とぼける。

怨霊となった崇徳上皇は、天狗の王として金色の鷲として描かれるのです。
天狗が、しばしば輝く鳥として描かれためだそうです。

尼がなった「女天狗」や、狼の姿をした狗賓(ぐひん)という天狗もいたのです。

狗賓は山の神の使者ともいえ、人間に山への畏怖感を与えることが第一の仕事とも考えられているのです。

 「魔縁」のほかにも、天狗として世にあだなし、業尽きて後、再び人身を得ようとする「波旬(はじゅん)」と解釈される場合もあるでしょ。

「波旬」とは、第六天魔王波旬のことで「天魔」とも略されるのですね。
天子魔(てんしま)とも、他化自在天(たけじざいてん)とも、単に魔王とも呼ばれる第六天魔王ともいうのです。

ここで言う第六とは、超越的くらいに思っておけば良いかも。

 第一から第五は、ない。

第一から第五は、聞いたことがないですね。

あるいは、第六天魔王波旬は、仏道修行を妨げている魔とされ、天魔の配下の神霊のことだともされるのです。

 天狗の伝承も、各地に伝わっているのよね。

紀州に伝わる「空神」は、山伏に似た白衣を着、自由自在に空を飛ぶのです。

岩手県南部では「スネカ」、北部では「ナゴミ」「ナゴミタクリ」と言う存在が伝わります。
小正月に、怠け者のすねにできるという火まだらをはぎとりに現われる天狗とされるのです。

姿を見た者はいないが、五月十五日の月夜の晩に太平洋から飛んでくる「アンモ」もこの類です。
囲炉裏にばかりあたっている怠け童子の脛には、茶色の火班がついているので、その皮を剥ぎにくるというのです。
弱い子供を助けてくれ、病気で寝ている子はアンモを拝むと治るというのです。

 「スネカ」、「ナゴミ」、「ナゴミタクリ」、「アンモ」って、どこかナマハゲと似ていませんか。

関連は、ありそうですね。

静岡県大井川では、一名を「境鳥」と言う存在が伝わるのです。
顔は人に似て正面に目があり、翼を広げるとその幅約6尺、人間と同じような容姿、大きさで、嘴を持つ「木の葉天狗」とされるのです。
『諸国里人談』に、夜更けに川面を飛び交い魚を取っていたと、記されているそうですよ。

 木の葉天狗は、木っ葉天狗とも呼ぶ。
 木っ端天狗は、木っ葉天狗と同じかしら。

 一方で、木っ端天狗は河童天狗と混同されるのでないの。

 河童には、木の人形伝承がある。

 木っ端天狗を、木っ葉天狗や木の葉天狗というのは、木の人形が正体という考えがあるのかしら。

 天狗といえば団扇だけど、八ツ手の葉を使っている印象があるのですよ。

 そこでウコギ科の常緑低木である八ツ手の別名は、天狗の葉扇という。

 天狗自体が、木の人形を正体とするという思想が背景にあるのだったりして。

 木の人形は生命の樹に通じ、生命の樹はカッバーラに通じ、カッバーラは河童に通じるなんて思っていたのかなあ。

 だって、陰陽の別名はカンバラでしょ。

そういえば、鞍馬の天狗と呼ばれる鬼一法師は義経に虎の巻を授けるのです。

 虎の巻が、トーラーの巻で、カッバーラの書で、天狗が生命の樹を奥義とするカッバーラに通じていたのかな。

出来過ぎでしょ。

飛鳥昭雄と三神たけるだったら、言いそうですけど。

 でも、悪魔は本来、神の一族でしょ。

 悪魔は、あらゆる悪を裁くために、深い知惠と知織に通じる必要がある。

 究極の知惠と知織はカッバーラであり、カッバーラの奥義は生命の樹である。
 生命の樹に精通した隠者が、河童や天狗伝承に紛れて正体を隠していたのかなあ。

歴史の謎ですねえ。

 河童は川にいるときの、山童は山にいるときの、名前という説も聞いたことあるのですよ。

「烏天狗」は、鳥のくちばしと翼を持った鳥類系天狗の形状を色濃く残すので知られているのです。
有名な是害坊天狗などもこの種で、多くの絵巻にその姿が残されているのです。

 天狗は、山だけではなく川にもいる、ますます河童に似てきますね。

 河童の一種と見られるキジムナーは、空を飛ぶ伝承があるのですって。

 河童にも、飛ぶ伝承があるらしいですね。

九州の方にあったと思うけど、キジムナーとの混同のせいかもしれないですけどね。

 キジムナーは、乗せて飛んでもらえることもあるけど、屁をすると山だろうが海だろうが、落とされるの。

屁は「ה(ヘー)」に通じ、「ה(ヘー)」は「יהוה(ヨッドヘーヴェブヘー)」の略でヤハウエを表すように見えるのでしょうかね。

八ツ手の八は「י(ヨッド)」の読みである「ヤー(י)」に通じ、これも「יהוה(ヨッドヘーヴェブヘー)」の略でヤハウエを表するのですよね。

 キジムナーも、沖縄を代表する木であるガジュマルの精霊でしょ。

 まさに、木の生命であり、生命の樹。

生命の樹としてのキジムナーと、屁がヤハウエを表す「יהוה(ヨッドヘーヴェブヘー)」の略である「ה(ヘー)」、出来過ぎでしょ。

 琉球の人々はアイヌの人々と、共通の祖先でしょ。

 アイヌの生活文物と、古代イスラエルの生活文物は似てる。

沖縄出身の女性歌手が、アイヌ女性たちに混じって歌っていた番組があったです。

当人たちも、まったく違和感がなかったそうですね。

 その沖縄を代表するガジュマルの精霊であるキジムナーと、「ה(ヘー)」が繋がる!

たしか、奄美のケンムンも、ガジュマルの精霊とされ、屁の話題を嫌がるのですよ。

 相撲でも、天狗と、河童と、キジムナーと、ケンムンとが、繋がるでしょ。

山形県などでは、夏山のしげみの間にある十数坪の苔地や砂地を、「天狗の相撲場」として崇敬しているのですね。

 相撲って言うと、突っ張りの稽古なんかもあったりして。

「天狗の揺さぶり」の話も、あるのですよね。

山小屋の自在鉤を揺さぶったり、山小屋自体までガタガタ揺するそうです。
さらには普段住んでいる家まで、揺するそうです。
埼玉県比企郡では、天狗が家を揺さぶるのは珍しくないそうです。
弓立山近くの山入では夜、山小屋を揺さぶる者が居るので窓からそっと覗くと赤い顔の大男がいたので、驚いて山の神に祈り夜を明かしたという話が伝わっているのです。

 天狗と木の話題も、あるでしょ。

神奈川県の山村では、山天狗の仕業とされる出来事があるのです。
夜中の、木を切ったり、「天狗倒し」と呼ばれる、山中で大木を切り倒す不思議な音、山小屋が、風もないのにゆれたりするのです。
鉄砲を三つ撃てば、こうした怪音がやむという説もあるのです。

 三って、神仏の話に多い...。

 天狗倒しは狗賓倒しとも呼ばれるでしょ。

狗賓は山の神の使者ともいえ、人間に山への畏怖感を与えることが第一の仕事とも考えられているのですね。

あくまで警告のみであるため、狗賓が人間に直接的な危害を加える話は少なく、人間を地獄へ落とすような強い力も狗賓にはないとされるのです。 

天狗笑いや天狗礫、なども、狗賓の仕業という伝承もあるのです。

 このあたり、天狗の名前の由来にも繋がりそうね。

群馬県利根郡では、こんな伝承があるそうです。
どこからともなく笑い声が聞こえ、構わず行くと更に大きな声で笑うが、今度はこちらが笑い返すと、前にもまして大声で笑うという「天狗笑い」。
山道を歩いていると突然風が起こり、山鳴りがして大きな石が飛んでくる「天狗礫」、これは天狗の通り道だという。
他にも「天狗田」、「天狗の爪とぎ石」、「天狗の山」、「天狗谷」など、天狗棲む場所、すなわち「天狗の領地」、「狗賓の住処」の伝承があるのです。

金沢市の繁華街尾張町では、宝暦五年(1755 )に『天狗つぶて』が見られたというのです。

静岡県の小笠山では夏に山中から囃子の音が聞こえる怪異「天狗囃子」があり、小笠神社の天狗の仕業だというのです。

佐渡島(新潟県佐渡市)でも同様に「山神楽」(やまかぐら)といって、山中から神楽のような音が聞こえる怪異を天狗の仕業というのです。

岐阜県揖斐郡徳山村(現・揖斐川町)では「天狗太鼓」といって、山から太鼓のような音が聞こえると雨の降る前兆だというのです。

 天狗って、だんだん、キジムナーやケンムンの仲間に見ても、違和感なくなってきた。

愛媛県石鎚山では、6歳の男の子が山頂でいなくなり、いろいろ探したが見つからず、やむなく家に帰ると、すでに子供は戻っていたのです。
子に聞くと、山頂の祠の裏で小便をしていると、真っ黒い大男が出てきて子供をたしなめ、「送ってあげるから目をつぶっておいで」と言い、気がつくと自分の家の裏庭に立っていたというのです。

 悪戯好きも、ケンムンやキジムナーと一緒ですね。

キジムナーや、ケンムンには、火にまつわる伝承もあるのです。

 天狗にも、鷹の姿で周囲に炎を携えて深山幽谷を飛び回る妖怪の松明丸としての姿もある。

天狗火なども、狗賓の仕業といわれるのです。

天狗にも、高島町大溝に火をつけにいったが、隙間がなくて失敗したという話が伝わっているのです。

また夜中に明かりをつけ飛ばす「天狗の火」の話など、神奈川県津久井郡内郷村で夜中に川へ漁に行くと真っ暗な中を大きな火の玉が転がることがあるのです。
河原の石の上を洗い清め採れた魚を供えると、火の玉が転がるのが止まるというのです。
また投網を打ちに行くと、姿は見えないが少し前を同じく投網を打つものがいるのです。
また大勢の人の声や松明の灯が見えるが誰もいない、これは「川天狗」と称し、川天狗に対して山に住む天狗を「山天狗」ともいうのです。

 川天狗と山天狗なんか、まさに、河童と山童...。

民俗学者・早川幸太郎の『三州横山話』に、こういう話があるそうです。

愛知県北設楽郡東郷村出沢の三作という木挽きが仲間8人と山小屋に居たとき、深夜に酒2升を買い、石油の缶を叩いて拍子をとり乱痴気騒ぎをした。
すると、山上から石を投げ、岩を転がし、小屋を揺さぶり、火の玉を飛ばし、周りの木を倒す音がしたのです。
一同は酔いが醒めて抱き合い、生きた心地もしなかった。
夜が明けたら、木1本倒れていなかった。

天狗の悪戯であったというのです。

 「天狗倒し」「天狗礫」「天狗火」「天狗の揺さぶり」が一挙に現れたもので、興味深い話ね。

鹿児島県奄美大島でも、山に住む「テンゴヌカミ」が知られ、大工の棟梁であったが、嫁迎えのため六十畳の家を一日で作るので藁人形に息を吹きかけて生命を与えて使い、二千人を山に、二千人を海に帰したと言います。

 岩手県の遠野も、河童の話しにこういうのがあるのよ。
 大工は、建物を建てるときに人手が足りないとわら人形をこしらえ魂を吹き込んで手伝わせる。
 そして建物が完成すると、人形を川に捨ててしまう。

 その人形が、河童になったというの。

奄美のケンムンの方が、もっと似た話があるのですよ。

ある女性が、テンゴというこの地の大工の神に求婚された。
女性は結婚の条件として、60畳もの屋敷を1日で作ることを求めた。
テンゴは二千体の藁人形に命を与え、屋敷を作り上げた。
この藁人形たちが後に山や川に住み、ケンムンとなった

 こんなにも、天狗と河童とキジムナーとケンムンって、重なるのか。

 というか、「テンゴヌカミ」と「ケンムン」の話し、同じものでしょう。

そういえば、どっちも、奄美ですねえ。

 大工の棟梁の「テンゴヌカミ」と大工の神「テンゴ」、同じ。
 細部まで、そっくり。

樹木は神霊の依り代とされ、天狗が山の神とも信じられていたことから、天狗が樹木に棲むと信じられたと考えられるのです。

こうした木の周囲では、天狗の羽音が聞こえたり、風が唸ったりするというのです。
風が音をたてて唸るのは、天狗の声だと考えられたのです。

 天狗が樹木に棲み、キジムナーやケンムンはガジュマルの精とされる...。

愛知県宝飯郡にある大松の幹には天狗の巣と呼ばれる大きな洞穴があり、実際に天狗を見た人もいるそうです。

 天狗の起源の一つは、明らかにキジムナーやケンムンね。

埼玉県児玉郡では、天狗の松を伐ろうとした人が、枝から落ちてひどい怪我を負ったが、これは天狗に蹴落とされたとされているのです。

 河童は金気を嫌い、ケンムンもガジュマルを切ると祟る、見事に対応するのね。

天狗の木と呼ばれる樹木は枝の広がった大木や、二枝に岐れまた合わさって窓形になったもの、枝がコブの形をしたものなど、著しく異形の木が多いです。

 要するに古木でしょ。

 ケンムンやキジムナーも、古木の精霊とされますよ。

また、山神との関係も深く、霊峰とされる山々には、必ず天狗がいるとされるのです。
それゆえ山伏の姿をしていると考えられるのです。

実際に山神を、天狗(ダイバ)とする地方は多いです。
現在でも、山形県最上郡の伝承にみえる天狗は白髪の老人です。

 天狗は白髪の老人、キジムナーやケンムンも、見ようによっては、そう思えるね。

天狗は、天の犬とキジムナーやケンムンが合わさって、そこに修験が重なって生まれた伝承だったかも。

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縁覚

縁覚(えんがく)は、辟支仏(びゃくしぶつ)また独覚(どっかく)ともいいます。
仏教やジャイナ教において、師なくして独自に悟りを開いた人をさします。

 辟支仏は、pratyekabuddhaあるいはpaccekabuddhaの音訳ね。

はい。
縁覚は、サンスクリットでप्रत्येक बुद्धと表記されるです。

 独覚ともいうのは、師なくして独自に悟りを開いた人だからね。

 師というのは、人の師でしょ。

ええ、ここで言う師には神仏は含まれないと見るのが妥当でしょうね。

 神仏のみに頼って、悟りを開くというわけね。

 神仏によって悟るという意味では、声聞(しょうもん)に似てますね。

だから、声聞縁覚と一対で語られることも多いですよ。

声聞とは、神仏の声に気づくことといえるかも。

それに対して縁覚とは、十二因縁(じゅうにいんねん)を観じて理法を悟り、あるいはさまざまな外縁によって悟るという意味の仏教用語です。

 神仏の声ではなく、象徴によって導かれるということかしら。

象徴というより、神仏が示してくださる気づきのきっかけによって悟るということでしょうね。

 そういえば、飛鳥昭雄はカッバーラでは大きなことは小さなことに、小さなことは大きなことに、投影されると指摘してますね。
 大きな世界の真理を知るには、小さなことに隠された神の諭しに気づく必要があるということかしら。

 そう思うと、十二因縁もカッバーラと関係あるかもね。

 十二という数字も、十二支族を連想できるでしょ。

十二因縁(dvaadaZaaGga-pratiityasamutpaada)は、仏教用語の一つですよ。
苦しみの原因は無明より始まり、老死で終わるとされる、それぞれが順序として相互に関連する12の因果の理法をいいます。

なお、十二因縁は旧訳とされる鳩摩羅什訳の言い方で、新訳とされる玄奘訳では十二縁起と訳されます。
 
 十二支縁起、十二支因縁という言い方もあるでしょ。

『阿含経』では、釈迦が悟った直後、自らの苦を解決する道が正しかったかどうか、十二支によって確認したことによります。

 人間が「苦」を感ずる原因を順に分析したものが、ここでいう十二支ね。

古い経典では、釈迦の成道は、十二因縁の順観(anuloma)と逆観(paTiloma)によると説いているそうです。
迷いとはどのようなものであるかを正しく知ることが、とりもなおさず悟りであるといいます。

この十二因縁が、迷の事実を示しているとします。

十二支縁起の要素は、次のとおりです。

無明(むみょう)はavidyaaをさし、過去世の無始の煩悩。煩悩の根本が無明なので代表名とした。
行(ぎょう)はsaMskaaraをさし、志向作用のこと。
識(しき)はvijJaanaをさし、識別作用のこと。
名色(みょうしき)はnama-ruupaをさし、物質現象(肉体)と精神現象(心)のこと。
六処(ろくしょ)はSaD-aayatanaをさし、六つの感覚器官のこと。
触(そく)はssparSaをさし、六つの感覚器官に、それぞれの感受対象が触れること。
受(じゅ)はsvedanaaをさし、感受のこと。
愛(あい)はTRSnaaをさし、渇愛のこと。
取(しゅ)はupaadaanaをさし、自分の求めるもののために馳求する位。
有(う)はbhavaをさし、存在のこと。
生(しょう)はjaatiをさし、生まれること。
老死(ろうし)jはaraa-maraNaをさし、老いと死のこと。

独覚は、麒麟の角のように独りで悟りを得る麟角喩独覚だけではないです。
仲間をつくって修行する、部行独覚もあります。

 部行って、クラブ活動みたいだけど…。

クラブ活動と思って、良いでしょうね。

 でも仲間と修行しても、悟るのは自分でするのでしょ。

だから、縁覚を独覚ともいうのですよ。

 天台宗では、仏の世で十二因縁を観じて覚(さと)ったものを「縁覚」、無仏の世で飛花落葉(ひからくよう)などの外縁を観じて覚(さと)ったものを「独覚」と区分しているそうですけど。
 
飛花落葉とは花が散り、秋には葉が色づいて落ちることです。
絶えず移り変わる、世の中のはかないことのたとえですね。

無仏とは仏のいない世界をさすけど、釈迦が入滅してから弥勒菩薩(みろくぼさつ)が出現するまでの世界のことです。

 つまり、今の私たちの時代は独力で覚らないといけないのだと、天台宗では見ているのかしら。

そうかもしれないです。

無仏の間は、地蔵菩薩が衆生を救うと考えられているです。

大乗仏教では縁覚もまた声聞とともに自己中心的なものと考え、声聞と縁覚を二乗と呼んで下に見る立場に立ちます。

 でも、声聞と縁覚なしには、神仏の真意を本当に知ることは出来ないのでしょ。

 大乗仏教でも、大事なのではないの。

多くの衆生が救済されることの方を、大乗はより重く見ているのです。

 それで、心から神仏の慈悲にすがって身をゆだねることの方を大事だとする絶対他力の思想も出てくるの。

そうでしょうね。

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車麩は日本のフランスパン?

車麩は、筒に厚さ3mmほどに均一に巻きつけられた生地を焼いて作られます。

 長いねえ。

160cm、つまり1m60cmです。

 これが、焼くと膨らむわけね。

ふっくら焼き上げるのに、ちょうどいい巻きつけの厚さが3mmだそうですよ。
ドーナツみたいに、丸くて穴が開いてるので車麩の名前があります。

 焼きあがった姿は、ままフランスパン。

フランスパンは、地元ではBaguetteと呼ばれますよね。

 切る前の車麩に、似た物がBaguetteでしょ。

フランスのパンには、もっといろいろ種類がありますね。
今回は、その話題ではないから深追いしないです。

車麩は、温かいうちにバターで食べてもおいしいそうですよ。

 切ってもやっぱり、フランスパンみたい。

 穴が違うだけ。

 しっかりした食感、どうみたって、フランスパン。
 確かに、バターと合いそう。

 焼いてバター!確かにありですね。
 
 ためしてみようかな。

麩の原料は、小麦粉、膨らし粉、もち米粉、塩です。

 膨らし粉はパンや焼き菓子に使われる膨張剤の一種で、ベーキングパウダーともいうでしょ。

膨らし粉では、炭酸ガスを発生する重曹が基剤にもちいられます。
重曹の分解を助ける助剤に、酒石酸水素カリウム、第一リン酸カルシウム、酒石酸、焼ミョウバン、フマル酸、リン酸ナトリウム等のような酸性剤を加えます。
重曹と酸性剤が保存中に反応しないように、隔てておく遮断剤としてデンプンが配合されます。

 フランスパンは、小麦粉と塩と水とイーストのみで作られるフランスパリ発祥のパンの総称でしょ。
 イーストの代わりに、膨らし粉を入れたのが麩なのね。

 材料も、大体同じなのねえ。

 どおりで、麩とフランスパン、似てくるわけですね。

ところが、元々フランスパンは、イースト菌のようなパン酵母を用いなかったそうですね。
生地を一度に混ぜて直火焼きしたものであったため、焼き色は現在のようなキツネ色ではなくうす焦げたものだったのですって。

元来フランスでは土壌や気候の関係から、生産される小麦はグルテンの乏しいものが主だったといいます。
そのためフランスでは、粘り気の少ない生地を使ってのパン作りが求められたのです。
硬い外皮とサクサクした中身を持つ独特のパンが生まれたのは、そのためです。

 グルテンの乏しい小麦では、他国のパンのように、ふっくらとしたものを作ることが難しかったのかしら。

19世紀頃、フランスパンが現在のような形になったそうです。
 
 19世紀頃から、今日見られる多彩なフランスパンが作られるようになった。

酵母菌や製粉技術などが、向上したのですね。

 フランスパンが今の姿になったのは19世紀。

 それでいて、車麩と今のフランスパンが似てるって、おもしろいね。

 19世紀、日本では伊能忠敬が日本地図を作ってる頃でしょ。

奇妙なことに、北陸や沖縄が車麩で有名ですよ。

 そういえば関西は、あまり車麩ってきかないね。

東日本と西日本、先祖の近い人々がそれぞれに縄文文化を営んでいたようですね。

 その間に割り込むように、関西が入ってますね。
 車麩にも、それが反映されているみたいで興味深い。

 その車麩が、今のフランスパンに似てる。

アメリカで見つかったアイヌに似た人骨の傍からはフランスやスペインの様式の石器が出ているのは、面白いですよ。

 アイヌは、縄文人の血を濃く受け継いでいる人たちでしょ。
 それが、フランスやスペインと結びつく…。

 今は亡きシャンソン歌手の淡谷のり子、東北訛りにフランス語が似てるのでシャンソン歌手を選んだとか。
 縄文とスペインやフランスの関連を思うと、妙に納得するねえ。

兵庫県姫路市出身の名倉潤の顔が、フランス人の画家モーリス・ユトリロ(Maurice Utrillo)の母シュザンヌ・バラドン(Suzanne Valadon)の顔と似てるし。

 フランスパンは今のように焼きたかったのに、フランスでは思うように焼けなかった。
 でも、日本では思うように焼ける材料が手に入ったので麩が生まれたのかしら。

醗酵パンは、古代エジプトでは紀元前2000年頃にはすでにあったようですね。
古代ギリシアでは、紀元前6世紀頃から醗酵パンが焼かれていたといいます。

 エジプトから伝わったのでしょ。

おそらく、そうです。

フランスでも、ふっくらした醗酵パンを焼きたかったのは十分考えられますね。

 その後フランスでも技術の進歩で思うように焼けるようになったので、結果として車麩とフランスパンが似た。

 そんな想像も、したくなる。

面白いけど、裏づけが欲しいですねえ。

麩の作り方は、こうです。

小麦粉に、食塩水を加えてよく練って生地を作ます。

粘りが出たところで、生地を布製の袋に入れて水中で揉みます。

澱粉が流出した後に残ったグルテンを蒸して、生麩が作られます。
生麩は、もち麩とも呼ばれます。

 生麩って確かに、餅に近いね。

生麩を油で揚げると、揚げ麩になります。

生麩になる前のグルテンに、小麦粉、ベーキングパウダー、もち米粉などを加えて練り合わせ、焙り焼きしたものが焼き麩です。

この、焙り焼きの段階で筒状にしたのが、車麩です。

 澱粉、もったいない。

流出した澱粉は、集めて乾燥させ正麩(しょうふ)をつくります。
正麩は、漿麩とも表記されます。

正麩は、糊や菓子の原料にされますよ。
 
 パンは、小麦粉、ライ麦粉、オオムギ粉、エンバク粉のような麦の粉のほか、トウモロコシ粉、米粉を使うものもあるでしょ。

 材料を粉にして、塩を混ぜたものをしっかり捏ねて、酵母または出芽酵母で醗酵させるのが基本的だから本当によく似てる。

 砂糖、鶏卵、牛乳、バター、ラード、ショートニングなどを加えるようになったのは、もっと時代が下ってからでしょうね。

 ドイツのパンもフランスと似てるけど、酵母だけでなく乳酸菌が発生して酸味が出てしまうそうね。
 それで、蜂蜜やスパイスとしてハーブの一種のフェンネル、香辛料のキャラウェイなどを加えたりするので、独特な風味になる。

 ドイツパンとフランスパンの違いにくらべれば、車麩とフランスパンの違いはそんなにないように思います。

ライ麦パンなど、確かに香辛料の香りがしますよね。

 こうしてみると、麩ってパンの仲間に加えても良いかも。

パンだって、元は酵母無しだったと考えられているからです。

 比べてみて、改めて類似に驚いた。

 言われてみればそっくり!

 たっぷり汁を吸いこんだお麩、おいしいですよね。
 フランスパンも、お皿に残ったソースをそっくり吸い取って食べる。

 これもまたおいしい。

麩が酵母の代わりに膨らし粉を使っているだけとみれば、パンとみても良いかも知れないですね。

追記

フランスパンに似た形の麩が、宮城県北部の登米地方に昔から伝わる食材にありました。

油麩という、小麦粉のたんぱく質成分のグルテンを、油で揚げて作ったあげ麩です。

一口に油麩と言っても、使っている原料、油、そして作り方によって、味、形、色、食感が違うといいます。

一般的な油麩は、長さが25~26cm、直径が5cmぐらいの、フランスパンのような形をしています。

さらに、切り口は穴がない分、車麩よりさらにフランスパンに似ています。

車麩同様、輪切りにして使います。

ポピュラーな使い方は、味噌汁、そばやうどんの汁の具、煮物、なす炒り、油麩丼などだそうです。

煮過ぎてくったりしない方がおいしいというから、クルトンにどことなく似ています。

クルトンは、サイコロ状に切ったパンをもう一度焼き上げたり、バターや油で炒めたり揚げたりしたものです。

硬くなったパンを使うのが一般的です。

ゴマをまぶしたり塩、香辛料、ハーブなどで味を付けることもあります。

油麩も揚げてあるし、使っている材料で味が違うというところが面白いです。

東日本とフランスの類似、奥が深そうですね。

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相撲は日本を守る結界?

古代の都は、東西南北を意識して作られました。

 東西南北といえば、相撲もそうですね。

力士は東西に分かれて、北を正面、南を向こう正面と呼んでいる土俵で戦いますね。

 北と南を結ぶ線で、東西を対照的に配するところも、相撲と都、とりわけ平安京は似ていますよ。

 そういえば、力士を相撲取りとも言いますよ。

 競技者に「取り」を付けるのは、相撲だけ。

 「取り(tori)」は、「鳥(tori)」に音が通じますよね。

モンゴル相撲では勝者が、鳥の羽ばたきを真似するでしょ。

その鳥の真似にも、何か関連しそうですね。

 でしょ。

相撲で、三役の土俵入りも、横綱の土俵入りも、南から北を望む形で行いますね。

都で北と南を結ぶ道を、朱雀大路と呼んだことと関係がありそうというのですね。

 南から北を望むから、朱雀大路でしょ。

 南は、鳥である朱雀が配されるでしょ。

 土俵入りが南から北を望むから、力士は、「鳥(tori)」すなわち「取り(tori)」だったりして。

つまり、土俵は都の雛形としてみなされている可能性はないかと。

 ありえるでしょ。

そうですね。

四股を踏む所作は、禹歩(uho)という陰陽師が怨霊除けに用いた歩き方が元だそうです。

 都の雛形である土俵に、怨霊除けの呪術をしたのでしょうか。

 そういえば、塩も清めでしょ。

 土俵の清めは、都全体の清めだったりして。

力士は、東西に分かれて争いますよね。
 
 相撲(sumou)は、角力(sumou)とも記しますよね。

歌舞伎では、「角力」と書くことの方が多いという声もありますね。

 相撲(sumou)と、角力(sumou)のどちらも、むりやり当ててる気がしますよ。

 とくに、角力(sumou)の角(tuno)は鬼(oni)をさしませんか。

鬼(oni)は、陰(on)がなまったとされますよね。

陰(on)の力(chikara)の意味で、鬼(oni)の力(chikara)である角力(sumou)としたら呪術そのものですね。

相撲(sumou)は、相手を撲る(naguru)わけでしょ。

 直接には相手の力士に見えるけど、撲る相手は怨霊だったりしませんか。

 鬼(oni)の力(chikara)なら、怨霊だって撲れるかもしれない。

それも、面白い解釈ですね。

 「sumou」は「住もう」に、音が通じますね。

 都に「住もう」のは、天皇でしょ。

天皇が住まわれる都を、まるごと怨霊から守る呪術が相撲なのでしょうかね。

 ところで、日本という国名も何か、意味ありげですねえ。

「日いづる処」で、「日ノ本」だから「日本」と思われがちですよね。

 違うの?

それだけでは、ないとみますよ。

日(hi)は、太陽神でもありますよ。

「日ノ本」とは、「太陽神の御膝元」という意味も込められているのかもしれません。

 天皇は、地上における太陽神の代理でしょ。

 「太陽神の御膝元」は、「天皇の御膝元」でもありますね。

天皇は、日本の所有者という位置づけなのでしょうね。

 日本の所有者である天皇の住まう都が無事であれば、日本も無事であるという呪術が相撲なのかなあ。

そうかも。

 ところで、平安京って名前はヘブル語でエルサレムってことでしょ。

 天使との相撲にヤコブが勝って、イスラエルの名をさずかる。

 ヤコブのおじいさんはウルを出立したアブラハムだけど、ウルはスメルの都でしたよね。

 スメルは、シュメールとも発音される。

 アブラハムの子には、イシュマエルもいるでしょ。

 「sumeru」、「shumeeru」、「ishumaeru」、「isuraeru」、こう並べると全部「sumeru」の転化に見えてきます。

そう解釈すると、ヤコブの授かったイスラエルの名前とは、アブラハムの出立したスメルのことになりますよ。

 「sumou」と「sumeru」、音が似てます。

相撲の語源が「sumeru」なら、天皇をさす「sumeramikoto」も「sumeru」の「mikoto」になりますよ。

というより、相撲はイスラエルを守る呪術になっちゃいませんか。

 日本は、ヤコブの名前に守られた極東イスラエル…。

 相撲にそんな関連があったなんて!
 驚きです!

相撲の起源自体、メソポタミア説がありますよね。

 天皇は、ヤコブの後継者なのでしょうかねえ。

相撲は、謎の多い競技ですね。

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短所と長所は紙一重?

「短所と長所は紙一重」と、言うでしょ。

 短所はどんなときでも短所とは限らない。
 長所はどんなときでも長所とは限らない。

どうして、そうなると思うでしょうか。

 怒りっぽい人は、ちょっとしたことでも怒るから、煙たがられているでしょ。

 短気な人は、待ちきれないで、ちょうど良いタイミングになる前に切り上げて失敗することが多いでしょ。

 暢気な人は、せっかく来たタイミングをのんびりしてて生かしきれないことが多いでしょ。

 短所は、損なことが多い。

じゃあ、長所はどんなときでも長所でしょうか。

 慎重な人は、慎重にしているうちにタイミングを逃す。
 慎重と暢気は、紙一重ね。

 活動的な人は、調子に乗りすぎてタイミングでもないのに行動して失敗する。
 活動的と短気は紙一重ね。

 長所は、うまく生かせてこそ、長所だったのね。

じゃあ、短所はどんなときでも短所でしょうか。

 怒りっぽい人は、駄目なことは駄目とはっきり指摘してくれる人でもありますね。
 怒りっぽい人と指導者は、紙一重ね。

 短気は人は、短い期間に多くの経験をできるから上達しやすい人でもありますね。
 短気な人と経験豊富な人は、紙一重ね。

 短所は、せっかくの良い点を生かせないので、短所だったのかしらね。

じゃあ、「短所と長所は紙一重」とは、どういうことでしょうか。

 長所は、うまく生かせないと、短所に転化してしまう。
 短所は、うまく生かせるなら、長所に転化できる。

 つまり、長所や短所は、一面的な評価でしかなかったのかしら。

長所も短所も、能力や可能性をうまく生かせたかどうかで、そう思われてきただけなのかもしれないです。

 長所や短所とは、能力や可能性をうまく生かせたかの差でしかない。

 今までうまくいっていたから、長所と思っていただけ。

 今まで失敗の原因だったから、短所と思っていただけ。

使いこなせれば、すべての能力や可能性は長所になりえるわけでしょうかあ。

 いままで自分を苦しめてきたどうしょうもない欠点と思っていたことって、誰でも一つや二つありませんか。

 どうしょうもない欠点と思っていたことも、見方を変えれば力強い味方になってくれる能力や可能性になりえるのかなあ。

もしも、そうだとすれば黒暗天を受け入れたら吉祥天が福の神として仕事をしてくれることに通じるですね。

 どうしょうもない欠点とあきらめていたことは、実は黒暗天だった。
 欠点を見方を変えて味方に付けることは、実は吉祥天だった。

 まるで、悟りや解脱みたい。

 難しいねえ。

 自分の失敗の原因であるどうしょうもないと思われていた欠点が黒暗天だから、貧乏神に誤解され続けたのかしら。

そういう面もあるかも。

 私たちは皆、神に作られ、神に良しとされたと創世記にあるでしょ。

 神から授かった能力や可能性を上手に使いこなせた状態こそ、吉祥天だったのかしら。

そう見ても、面白いですね。

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ピザと納豆ご飯?

ゴルゴンゾーラチーズのピザで、ふと、思ったのですよ。

 何を?

醗酵した匂いのある食品を、上に乗せて食べるといえば納豆がありますよ。

 納豆を、ピザに乗せて食べないでしょ。

納豆と餅は、おいしいですよ。

ピザと食感が近いからと、餅でピザを作る人もいますよ。

 だからって、納豆とピザはないと思うけど…。

じゃあ、くさやの干物をフレークにして、ピザで食べるのはどう。

 微妙です…。

 でも、醗酵した食品を乗せて食べる食文化が東日本とイタリアが共有してるって意外です。

 あ、そういえば西日本の食品で、ピザとお好み焼きとかたこ焼きとか、比べましたね。

 東西日本で、イタリアと似てるのって、面白い。

 でも、そんなに匂わないピザもあるでしょ。

ピザチーズの特徴は、粘ることですよ。

 そうですねえ。

とろろとか、おくらとか、粘りますよ。

 ご飯にかけると、おいしいですよね。

 薬味に、刻んだ葱を散らすと食が進みますね。

 海苔も、いいかな。

とろろやおくら、あまり匂いがないから薬味を添えるわけですよ。

 匂いと一緒に味わう、粘りのある食材を乗せて食べる文化…。

 ピザ…ですねえ。

 なんで?

卵かけご飯も、おいしいでしょ。

 炊き立てご飯に、納豆や、とろろや、おくらや、卵。

 みんなおいしそう。

 挑発する気?

自分の食欲旺盛を、私のせいにしないでくださいよ。

食文化を比較してるだけですよ。

 イタリアって、日本に似た人いますよねえ。
 
 大阪とイタリア、気風が似てたりするし…。

 ローマと東京、うなぎのたれや焼き方の好みも似てる。

 それで、ピザと、お好み焼きと、たこ焼きと、納豆やとろろやおくらや卵をかけたご飯と、似てる?!

 どうなってるの!?

さあ。

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どんな仕事をするの?

エネルギーとは、仕事をする能力のことです。

ほとんどの物事は、エネルギーによって起きているといえますね。

 E=MC²

 アインシュタインの、有名なエネルギーと質量の等式ですよね。

 変形してみましょうか。

 M=E/C²

 質量は、エネルギーを光のエネルギーで割ると得られるという式になりますよ。

 確かに、ほとんどの物事は、エネルギーによって起きているといえますね

 時空の揺らぎから、大元のエネルギーは生まれたのかしら。

そういっても良いでしょうね。

 でも、ここで言う仕事って何。

働きかけた相手に、何らかの変化を起こすことです。

 相手は、物であろうと、事であろうと、そんなの関係ない。

 変化は、一時的であろうと、持続的であろうと、そんなの関係ない。

ありません。

 表面上変化が見えなくても、エネルギーを加えたと言える。

言えます。

加えられたエネルギーは、拡散や分散によって弱められて、吸収されたり放出されたり、します。

 表面的に見えない場合でも、内部では変化がある。

 内部での変化は、拡散や分散という形をとる。

そうですね。

変化が表面的に現れても、短時間過ぎたり小さ過ぎたりして気が付かないだけのときもありますよ。

 変化は、一時的と持続的とがあるでしょ。

復元力の問題ですね。

復元に必要な期間が、短期ですめば一時的、長期になれば持続的、そういうことです。

復元不能であれば、それはもはや変化の持続ではなく、変化の定着と言えます。

 復元力って、治癒力に似てる。

 全治一週間や十年であっても治る可能性があれば、治癒力に期待して良い。

 最終的に障害が残る可能性が高ければ、対策をたてないといけない。

治癒力は、広い意味で復元力に含めて良いでしょうね。

 復元力と治癒力の大きな差は、物質の変形には利用できる場合があることでしょうね。

塑性加工(そせいかこう)なんか、いい例でしょうね。

 plastic working、 または、deformation processingなどと訳されますね。

 材料に大きな力を加えて変形させることによって、目的とする形状に加工することですよ。

一般に他の加工方法より加工時間が短く、材料のロスが少ないです。
工業製品の生産などに、広く使われますね。

塑性加工の種類は多いですね。

鍛造加工(forging)
押出し加工(extrusion)
圧延加工(rolling)あるいは分塊圧延(blooming)
引抜き加工(drawing)あるいは線引き(wire drawing)
転造加工(form rolling)
プレス加工(press working)

プレス加工はさらに、細かく分かれます。

せん断加工(shearing)
曲げ加工(bending)
深絞り加工(deep drawing)

エネルギーによる変形の利用は、ほかにも、ビルの解体や、農地開拓など幅広いですね。

 ずいぶんと、広く捉えますねえ。

 でも、エネルギーとは仕事をする能力という点では、そうですね。

 さらにミクロの段階でも、さまざまな化学反応や、核反応などですね。

位置の変化も含めて、状態の変化によってエネルギーは現れますね。

 エネルギーは、可能性を引き出す能力といっても良いでしょ。

良いかも。

 展望を開くのも、仕事をする能力であるエネルギーなのかあ。

 人を口説くのも、エネルギーって要りますねえ。

要りますねえ、確かに。

 でも、使い方を間違えると失敗と転落の道に行っちゃうのもエネルギーだったりして。

 ストーカーとかにエネルギーつかうと、人生まずいでしょ。

いろいろな意味で、エネルギーは仕事しますねえ、ほんと…。

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ケチャップと醤油、イタリアと日本の味な繋がり。

以前NHKの「ためしてガッテン」で、ケチャップでだしをとると和食が美味しいといってましたね。

 ケチャップに、そんな使い方があるとは!

 トマトで味付けといったら、真っ先に思い浮かぶのはイタリアンでしょ。

日本と、イタリア、ここでも繋がるってことですかねえ。

番組では、ケチャップを濃縮めんつゆにたとえていましたよ。

 トマトケチャップは、1本につきおよそ14個分ものトマトが凝縮されているって、すごいですね。

 でも、分量が見当付かない。

 入れ過ぎたら、ケチャップ味になるもの。

だったら、少しずつ入れて味見してみたらどうです。

大きさは、梅干の中でも小さい、小梅くらいが目安でしょうね。
後は好みで調節、大きくても甲州小梅くらいが良いかも。

 甲州小梅は、小梅の中で種が一番小さく、果肉の厚い品種でしょ。

ええ。
それより大きいと、ケチャップ味の方が強くなりそうなので試してないです。

 私に試せと?

いえいえ。

 だしをとると美味しい料理なら、どんな和食メニューでも合うというのは驚きでしたね。

なんと、あらゆる和食にぴったりの極上だしといってましたからね。

ケチャップの何でも味を乗っ取ってしまう濃さに、万能調味料の可能性に気がつけなかったってことでしょうね。

味が濃いと言う割りに、使うときにはたっぷり使っていた調味料でもあるし。

 だしといえば、昆布とか煮干で手間隙かけてとる印象がありますよ。

 分量さえつかめば、ケチャップ一本で済むってうれし過ぎます。

 でも、昆布や煮干、美味しいから、あれはあれで食べよ…。
 
トマトのうまみ成分「グルタミン酸」がトマトケチャップには、ぎゅっと凝縮されているのですって。

 同じうまみのもとグルタミン酸があるなら、確かに代用できますね。

グルタミン酸(glutamic acidあるいはglutamate)は、アミノ酸のひとつで、2-アミノグルタル酸とも呼ばれる2-アミノペンタン二酸のことです。
 
 蛋白質構成アミノ酸のひとつで、非必須アミノ酸でしょ。 

小麦グルテンの加水分解物から初めて発見されたので、この名がついています。
英語に準じ、グルタメートと呼ぶこともありますね。

 酸性極性側鎖アミノ酸に分類され、Glu あるいは E の略号で、表されるのでしょ。

 調味料で、馴染み深いですね。

動物の体内では神経伝達物質としても、機能してますよね。
グルタミン酸受容体を介して神経伝達が行われる、興奮性の神経伝達物質です。

 科学者の池田菊苗が、「甘味、酸味、塩味、苦味」に収まりきらない第五の味として「旨味」を見つけた。

世界どこでも“UMAMI”で通用する、日本が生んだ言葉ですね。

 それが、昆布だしを参考にして見つけ出したグルタミン酸などの旨味物質ですよね。

味噌や魚醤の旨味の正体でも、ありますね。

 そういえば、昆布だけでなく鰹節などの魚節もグルタミン酸が多いって聞いたことがあります。
 鰹節などの魚節の旨味は、イノシン酸とばかり思ってたけど。

グルタミン酸は、ハムやチーズの旨味にも関係してますね。

旨味物質としては、グルタミン酸、イノシン酸、グアニル酸、キサンチル酸などがあります。
その他にも、有機酸であるコハク酸やその塩類などが知られますね。

 魚醤っていえば、チーズなどをつくるときに出るホエーと比較しましたよね。

チーズと鰹節も、比べたでしょ。

 醤油の旨味は、アミノ酸のほか、グルタミン酸やアスパラギン酸でしょ。

 あ、そういえば、ケチャップには塩や砂糖、お酢も加えられている。

醤油は、塩味 辛味、旨味、酸味、甘味が複雑に絡み合って、バランスの取れた複雑な味を醸し出しますねえ。

 ケチャップって、西洋の醤油みたい。

 最近、ヨーロッパで万能調味料として醤油が注目されているとか。

 醤油は、当然のようにイギリスで使われていましたねえ。
 
旨味に、グルタミン酸は深く関わっていますねえ。
 
 ケチャップと醤油、イタリアと日本って味な繋がりがあるね。

 イタリアのアンチョビは、日本の塩辛に似ているし・・・。

そうですねえ。

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相撲をすかすと、どこが見える?

財団法人日本相撲協会は、文部科学省所管の特例財団法人です。
大相撲の興行、相撲競技の指導や普及、相撲に関する伝統文化の保持のために1925年に設立されました。

寄附行為第3条(目的)では、このように定められています。
「この法人は、わが国固有の国技である相撲道を研究し、相撲の技術を練磨し、その指導普及を図るとともに、これに必要な施設を経営し、もって相撲道の維持発展と国民 の心身の向上に寄与することを目的とする。」

 寄附行為とは、財団法人日本相撲協会寄附行為ですね。

 財団法人日本相撲協会の、綱領や規約にあたる文章でしょ。

さらに、相撲は神事として伝えられてきた歴史も持っています。
さまざまな所作にも、宗教的な意味を持たされてきたのです。

塩を撒くのは、清めです。

 塩が清めであると一目でわかるのは、外国人ではユダヤ人くらいだそうですねえ。

 塩で清めるのは、ユダヤ教と神道の共通する習慣だそうですね。

四股を踏む所作も、怨霊対策の儀礼と言う意味づけがあります。
四股は、陰陽師が行ってきた怨霊除けの所作である禹歩(うほ)が、起源と言います。

手刀も元々、相手に掌を開いてみせることで、自分が武器を持っていないと表しつつ、自分が通ろうとしている道をも示すと言う意味を持っていたとされます。
腰を低めにすることや言葉を言い添えるのも、謙虚さの体現とみられています。
手刀を、結界を切ることで清めをする所作とみることも、祇園祭などから可能かもしれません。

 手刀を、懸賞金を差し出された力士は右手で切りますね。

左、右、真ん中の順番です。

 キリスト教の十字切りは、真ん中、左、右の順でしょ。
 正教会は、真ん中、右、左の順でちょっと違う。

 手刀はちょっと見た目は違うけど、十字切りに似てますねえ。

 順序だって、多少違ったって許容範囲では?

相撲の手刀には勝利の神様に御礼をするという意味があります。

御礼をする神々とは、次の三神です。

左は、神産巣日神(かみむすびのかみ)。
右は、高御産巣日神(たかむすびのかみ)。
真ん中は、天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)。

 キリスト教は、御父、御子、聖霊の三神でしょ。

 三神に勝利を祈ったり感謝したりするのは、共通ですねえ。

 しかも十字切りのような所作まである。

三役揃い踏みも、興味深いですね。

 大相撲における番付上の三役とは、大関・関脇・小結のことをいいますね。

横綱は、当初、横綱免許を持つ大関に対する名誉称号に過ぎなかったのです。

横綱は、当初は大関の中で横綱を付けられる者のことを呼んでいたのです。
このことから、横綱になることを「綱を張る」と表現します。

今では、横綱は免許を受けたものがなります。

番付では、大関が最高位です。
現在なら当然横綱に値するような成績を残しながら、横綱免許を受けなかった強豪大関も少なくありません。

 横綱空位もありえるのは、今でも横綱は名誉称号であって地位ではないからと見ることもできますね。

できるでしょうね。

三役揃い踏みは、これより三役、すなわち最後の3番の前に行われる儀式です。

これより三役とは、あくまで最後の3番の取組に出る力士を指すため、横綱も含まれます。

上位陣の人数や取組編成によっては、大関・関脇・小結でも三役揃い踏みに出られない場合があります。
その一方で、平幕力士でも三役揃い踏みに出ることもあります。

休場者が出て不戦勝が生じる場合には、取組の順番を変更して必ず各3人を揃えて三役揃い踏みができるようにします。

 三役揃い踏みでは、東方力士、西方力士、ともに正面とされる北を向いて四股を踏むのですよね。

東方は前に2人、後ろに1人。
西方は前に1人、後ろに2人。

ちょうど東西で、扇の形が逆になるように取り決められているのです。

 扇は奥義に通じますね。

陰陽では、北は天に配されます。

天に向かって、陽に配される東には陰に配される下向きの三角、陰に配される西には陽に配される上向きの三角、とも見えますよね。

四方に配される四神を表す四色の房とともに、陰陽を表すのでしょうね。

 三役もまた、三神を表すとも見えますね。

そうでしょうね。

 三役揃い踏みの形には、イスラエルのシンボルである六芒星だと言う声もあるようですね。

 清めの塩などと合わせ、日ユ同祖論の論拠にあげる人もいるでしょ。

 ヤコブが神の使いとの相撲に勝って、イスラエルの名を与えられた。

 その六芒星が、国技の行われる土俵に現れるのですよ。

しかも、屋根と俵による蛇の目と土俵は、ピラミッドアイを連想できると言うのでしょ。

 さらにいえば、地に配される南と天に配される北が形作る線と東西の力士の線が交わる、といえませんか。

 俵による蛇の目の丸の中に、十字が切られる形でしょ。

 手刀だって、十字切りにも見える。

 丸と十字を合わせれば、古代エジプトのアンク十字ですよ。

それをいったら、蛇の目と徳俵でケルト十字のほうがもっともらしいでしょ。

日本にはブリテン風の顔がいると、幕末に紹介されています。
ストーンサークルだって、ありますよ。

緑茶と紅茶、武士道と騎士道、妖怪と妖精、などの面白い文化の類似も見えます。

 そういえば、緑茶も紅茶もお茶菓子があるでしょ。
 あれ、おいしいですねえ。

そっちが気になりますか。

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