天狗 その2
ひさびさに、天狗を話題にしてみたいです。
神として信仰の対象となる程の大天狗には、名が付いているのよね。
愛宕山の太郎坊、鞍馬天狗で知られる鞍馬山の僧正坊、比良山の次郎坊の他、比叡山法性坊、英彦山豊前坊、筑波山法印坊、大山伯耆坊、葛城山高間坊、高雄山内供坊、富士山太郎坊、白峰山讃岐坊、等が知られるのです。
天狗といえば、山よね。
山伏の山岳信仰と、天狗の相関関係を示すとされるのですね。
山伏を中心とする天狗の信仰は、民間の仏教と、古代から続く山の神秘観山岳信仰に結びついたものと見られているのね。
極めて豊富な天狗についての伝説は、山岳信仰の深さを物語るものといわれるの。
天狗の一般的な姿は、修験者の様相でその顔は赤く、鼻が高いです。
天狗は翼があり、空中を飛翔するとされるの。
たとえば滋賀県高島市では天狗を「グヒンサン」と言い、大空を飛び、祭見物をしたといわれるのです。
天使も、翼を持ち空中を飛翔するとされるのね。
実際の天使は、翼を持っていないそうですよ。
聖書には、天使が普通の人と勘違いされる話があるのです。
本当は天狗も、翼がないのかしら。
さあ。
さあって...。
天狗は、その種類や姿もさまざまです。
成立した背景には、複数の流れがあるためでしょうか。
そうですね。
鼻の高いのを「大天狗」、鼻先が尖ったのは「小天狗」あるいは「烏天狗」というのです。
鳥のように自由に空を飛び回る天狗が住んでいたり、腰掛けたりすると言われている天狗松あるいは杉の伝承は日本各地にあるのです。
天狗は、しばしば輝く鳥として描かれるのよね。
松明丸(たいまつまる)とも、自尊心と驕慢を縁として集う「魔縁(まえん)」とも呼ばれたのです。
松明丸は、鷹の姿をした妖怪で周囲に炎を携えて深山幽谷を飛び回るそうです。
魔縁とは、第六天魔王波旬の別名として用いられる仏教用語で、障魔となる縁のことだそうです。
いわゆる慢心の山伏である天狗が、魔界である天狗道に堕ちた者たちを総称していう場合もあるとか。
障魔となる縁とは、三障四魔(さんしょうしま)のことでしょうか。
三障は、サンスクリットでāvarana-trayaのことで、聖道を妨げ善根を生ずることを障害する3つだそうです。
煩悩障とは、仏道の妨げの心、貪・瞋・痴(とんじんち)の三毒の煩悩によって仏道修行を妨げる働き。
業障とは、魂に刻まれた業、言語・動作、または心の中において悪業を造り、為に正道を妨げる働き。
報障とは、因果応報、悪業によって受けたる地獄・餓鬼・畜生などの果報の為に妨げられる働き。
四魔は、サンスクリットでcatovāro-mārāhのことで、生命を奪い、またその因縁となる4つ、またそれを悪魔にたとえたものだそうです。
陰魔とは、正しくは五陰魔(ごいんま)で五蘊魔(ごうんま)ともいう。心身からくる妨げで、色・受・想・行・識の五陰が、和合して成ずる身体は種々の苦しみを生じる働きをいう。
煩悩魔とは、煩悩障におなじ、心身を悩乱して、菩提・悟りを得る障りとなるから煩悩魔という。
死魔とは、修行者を殺害する魔、死は人命を奪うから死魔という。
天子魔とは、第六天魔王(天魔、マーラ・パーピーヤス、魔羅・波洵、他化自在天ともいう)の働き。
魔縁は、鳥と関係ないのでは。
そうでしたっけ。
また、とぼける。
怨霊となった崇徳上皇は、天狗の王として金色の鷲として描かれるのです。
天狗が、しばしば輝く鳥として描かれためだそうです。
尼がなった「女天狗」や、狼の姿をした狗賓(ぐひん)という天狗もいたのです。
狗賓は山の神の使者ともいえ、人間に山への畏怖感を与えることが第一の仕事とも考えられているのです。
「魔縁」のほかにも、天狗として世にあだなし、業尽きて後、再び人身を得ようとする「波旬(はじゅん)」と解釈される場合もあるでしょ。
「波旬」とは、第六天魔王波旬のことで「天魔」とも略されるのですね。
天子魔(てんしま)とも、他化自在天(たけじざいてん)とも、単に魔王とも呼ばれる第六天魔王ともいうのです。
ここで言う第六とは、超越的くらいに思っておけば良いかも。
第一から第五は、ない。
第一から第五は、聞いたことがないですね。
あるいは、第六天魔王波旬は、仏道修行を妨げている魔とされ、天魔の配下の神霊のことだともされるのです。
天狗の伝承も、各地に伝わっているのよね。
紀州に伝わる「空神」は、山伏に似た白衣を着、自由自在に空を飛ぶのです。
岩手県南部では「スネカ」、北部では「ナゴミ」「ナゴミタクリ」と言う存在が伝わります。
小正月に、怠け者のすねにできるという火まだらをはぎとりに現われる天狗とされるのです。
姿を見た者はいないが、五月十五日の月夜の晩に太平洋から飛んでくる「アンモ」もこの類です。
囲炉裏にばかりあたっている怠け童子の脛には、茶色の火班がついているので、その皮を剥ぎにくるというのです。
弱い子供を助けてくれ、病気で寝ている子はアンモを拝むと治るというのです。
「スネカ」、「ナゴミ」、「ナゴミタクリ」、「アンモ」って、どこかナマハゲと似ていませんか。
関連は、ありそうですね。
静岡県大井川では、一名を「境鳥」と言う存在が伝わるのです。
顔は人に似て正面に目があり、翼を広げるとその幅約6尺、人間と同じような容姿、大きさで、嘴を持つ「木の葉天狗」とされるのです。
『諸国里人談』に、夜更けに川面を飛び交い魚を取っていたと、記されているそうですよ。
木の葉天狗は、木っ葉天狗とも呼ぶ。
木っ端天狗は、木っ葉天狗と同じかしら。
一方で、木っ端天狗は河童天狗と混同されるのでないの。
河童には、木の人形伝承がある。
木っ端天狗を、木っ葉天狗や木の葉天狗というのは、木の人形が正体という考えがあるのかしら。
天狗といえば団扇だけど、八ツ手の葉を使っている印象があるのですよ。
そこでウコギ科の常緑低木である八ツ手の別名は、天狗の葉扇という。
天狗自体が、木の人形を正体とするという思想が背景にあるのだったりして。
木の人形は生命の樹に通じ、生命の樹はカッバーラに通じ、カッバーラは河童に通じるなんて思っていたのかなあ。
だって、陰陽の別名はカンバラでしょ。
そういえば、鞍馬の天狗と呼ばれる鬼一法師は義経に虎の巻を授けるのです。
虎の巻が、トーラーの巻で、カッバーラの書で、天狗が生命の樹を奥義とするカッバーラに通じていたのかな。
出来過ぎでしょ。
飛鳥昭雄と三神たけるだったら、言いそうですけど。
でも、悪魔は本来、神の一族でしょ。
悪魔は、あらゆる悪を裁くために、深い知惠と知織に通じる必要がある。
究極の知惠と知織はカッバーラであり、カッバーラの奥義は生命の樹である。
生命の樹に精通した隠者が、河童や天狗伝承に紛れて正体を隠していたのかなあ。
歴史の謎ですねえ。
河童は川にいるときの、山童は山にいるときの、名前という説も聞いたことあるのですよ。
「烏天狗」は、鳥のくちばしと翼を持った鳥類系天狗の形状を色濃く残すので知られているのです。
有名な是害坊天狗などもこの種で、多くの絵巻にその姿が残されているのです。
天狗は、山だけではなく川にもいる、ますます河童に似てきますね。
河童の一種と見られるキジムナーは、空を飛ぶ伝承があるのですって。
河童にも、飛ぶ伝承があるらしいですね。
九州の方にあったと思うけど、キジムナーとの混同のせいかもしれないですけどね。
キジムナーは、乗せて飛んでもらえることもあるけど、屁をすると山だろうが海だろうが、落とされるの。
屁は「ה(ヘー)」に通じ、「ה(ヘー)」は「יהוה(ヨッドヘーヴェブヘー)」の略でヤハウエを表すように見えるのでしょうかね。
八ツ手の八は「י(ヨッド)」の読みである「ヤー(י)」に通じ、これも「יהוה(ヨッドヘーヴェブヘー)」の略でヤハウエを表するのですよね。
キジムナーも、沖縄を代表する木であるガジュマルの精霊でしょ。
まさに、木の生命であり、生命の樹。
生命の樹としてのキジムナーと、屁がヤハウエを表す「יהוה(ヨッドヘーヴェブヘー)」の略である「ה(ヘー)」、出来過ぎでしょ。
琉球の人々はアイヌの人々と、共通の祖先でしょ。
アイヌの生活文物と、古代イスラエルの生活文物は似てる。
沖縄出身の女性歌手が、アイヌ女性たちに混じって歌っていた番組があったです。
当人たちも、まったく違和感がなかったそうですね。
その沖縄を代表するガジュマルの精霊であるキジムナーと、「ה(ヘー)」が繋がる!
たしか、奄美のケンムンも、ガジュマルの精霊とされ、屁の話題を嫌がるのですよ。
相撲でも、天狗と、河童と、キジムナーと、ケンムンとが、繋がるでしょ。
山形県などでは、夏山のしげみの間にある十数坪の苔地や砂地を、「天狗の相撲場」として崇敬しているのですね。
相撲って言うと、突っ張りの稽古なんかもあったりして。
「天狗の揺さぶり」の話も、あるのですよね。
山小屋の自在鉤を揺さぶったり、山小屋自体までガタガタ揺するそうです。
さらには普段住んでいる家まで、揺するそうです。
埼玉県比企郡では、天狗が家を揺さぶるのは珍しくないそうです。
弓立山近くの山入では夜、山小屋を揺さぶる者が居るので窓からそっと覗くと赤い顔の大男がいたので、驚いて山の神に祈り夜を明かしたという話が伝わっているのです。
天狗と木の話題も、あるでしょ。
神奈川県の山村では、山天狗の仕業とされる出来事があるのです。
夜中の、木を切ったり、「天狗倒し」と呼ばれる、山中で大木を切り倒す不思議な音、山小屋が、風もないのにゆれたりするのです。
鉄砲を三つ撃てば、こうした怪音がやむという説もあるのです。
三って、神仏の話に多い...。
天狗倒しは狗賓倒しとも呼ばれるでしょ。
狗賓は山の神の使者ともいえ、人間に山への畏怖感を与えることが第一の仕事とも考えられているのですね。
あくまで警告のみであるため、狗賓が人間に直接的な危害を加える話は少なく、人間を地獄へ落とすような強い力も狗賓にはないとされるのです。
天狗笑いや天狗礫、なども、狗賓の仕業という伝承もあるのです。
このあたり、天狗の名前の由来にも繋がりそうね。
群馬県利根郡では、こんな伝承があるそうです。
どこからともなく笑い声が聞こえ、構わず行くと更に大きな声で笑うが、今度はこちらが笑い返すと、前にもまして大声で笑うという「天狗笑い」。
山道を歩いていると突然風が起こり、山鳴りがして大きな石が飛んでくる「天狗礫」、これは天狗の通り道だという。
他にも「天狗田」、「天狗の爪とぎ石」、「天狗の山」、「天狗谷」など、天狗棲む場所、すなわち「天狗の領地」、「狗賓の住処」の伝承があるのです。
金沢市の繁華街尾張町では、宝暦五年(1755 )に『天狗つぶて』が見られたというのです。
静岡県の小笠山では夏に山中から囃子の音が聞こえる怪異「天狗囃子」があり、小笠神社の天狗の仕業だというのです。
佐渡島(新潟県佐渡市)でも同様に「山神楽」(やまかぐら)といって、山中から神楽のような音が聞こえる怪異を天狗の仕業というのです。
岐阜県揖斐郡徳山村(現・揖斐川町)では「天狗太鼓」といって、山から太鼓のような音が聞こえると雨の降る前兆だというのです。
天狗って、だんだん、キジムナーやケンムンの仲間に見ても、違和感なくなってきた。
愛媛県石鎚山では、6歳の男の子が山頂でいなくなり、いろいろ探したが見つからず、やむなく家に帰ると、すでに子供は戻っていたのです。
子に聞くと、山頂の祠の裏で小便をしていると、真っ黒い大男が出てきて子供をたしなめ、「送ってあげるから目をつぶっておいで」と言い、気がつくと自分の家の裏庭に立っていたというのです。
悪戯好きも、ケンムンやキジムナーと一緒ですね。
キジムナーや、ケンムンには、火にまつわる伝承もあるのです。
天狗にも、鷹の姿で周囲に炎を携えて深山幽谷を飛び回る妖怪の松明丸としての姿もある。
天狗火なども、狗賓の仕業といわれるのです。
天狗にも、高島町大溝に火をつけにいったが、隙間がなくて失敗したという話が伝わっているのです。
また夜中に明かりをつけ飛ばす「天狗の火」の話など、神奈川県津久井郡内郷村で夜中に川へ漁に行くと真っ暗な中を大きな火の玉が転がることがあるのです。
河原の石の上を洗い清め採れた魚を供えると、火の玉が転がるのが止まるというのです。
また投網を打ちに行くと、姿は見えないが少し前を同じく投網を打つものがいるのです。
また大勢の人の声や松明の灯が見えるが誰もいない、これは「川天狗」と称し、川天狗に対して山に住む天狗を「山天狗」ともいうのです。
川天狗と山天狗なんか、まさに、河童と山童...。
民俗学者・早川幸太郎の『三州横山話』に、こういう話があるそうです。
愛知県北設楽郡東郷村出沢の三作という木挽きが仲間8人と山小屋に居たとき、深夜に酒2升を買い、石油の缶を叩いて拍子をとり乱痴気騒ぎをした。
すると、山上から石を投げ、岩を転がし、小屋を揺さぶり、火の玉を飛ばし、周りの木を倒す音がしたのです。
一同は酔いが醒めて抱き合い、生きた心地もしなかった。
夜が明けたら、木1本倒れていなかった。
天狗の悪戯であったというのです。
「天狗倒し」「天狗礫」「天狗火」「天狗の揺さぶり」が一挙に現れたもので、興味深い話ね。
鹿児島県奄美大島でも、山に住む「テンゴヌカミ」が知られ、大工の棟梁であったが、嫁迎えのため六十畳の家を一日で作るので藁人形に息を吹きかけて生命を与えて使い、二千人を山に、二千人を海に帰したと言います。
岩手県の遠野も、河童の話しにこういうのがあるのよ。
大工は、建物を建てるときに人手が足りないとわら人形をこしらえ魂を吹き込んで手伝わせる。
そして建物が完成すると、人形を川に捨ててしまう。
その人形が、河童になったというの。
奄美のケンムンの方が、もっと似た話があるのですよ。
ある女性が、テンゴというこの地の大工の神に求婚された。
女性は結婚の条件として、60畳もの屋敷を1日で作ることを求めた。
テンゴは二千体の藁人形に命を与え、屋敷を作り上げた。
この藁人形たちが後に山や川に住み、ケンムンとなった
こんなにも、天狗と河童とキジムナーとケンムンって、重なるのか。
というか、「テンゴヌカミ」と「ケンムン」の話し、同じものでしょう。
そういえば、どっちも、奄美ですねえ。
大工の棟梁の「テンゴヌカミ」と大工の神「テンゴ」、同じ。
細部まで、そっくり。
樹木は神霊の依り代とされ、天狗が山の神とも信じられていたことから、天狗が樹木に棲むと信じられたと考えられるのです。
こうした木の周囲では、天狗の羽音が聞こえたり、風が唸ったりするというのです。
風が音をたてて唸るのは、天狗の声だと考えられたのです。
天狗が樹木に棲み、キジムナーやケンムンはガジュマルの精とされる...。
愛知県宝飯郡にある大松の幹には天狗の巣と呼ばれる大きな洞穴があり、実際に天狗を見た人もいるそうです。
天狗の起源の一つは、明らかにキジムナーやケンムンね。
埼玉県児玉郡では、天狗の松を伐ろうとした人が、枝から落ちてひどい怪我を負ったが、これは天狗に蹴落とされたとされているのです。
河童は金気を嫌い、ケンムンもガジュマルを切ると祟る、見事に対応するのね。
天狗の木と呼ばれる樹木は枝の広がった大木や、二枝に岐れまた合わさって窓形になったもの、枝がコブの形をしたものなど、著しく異形の木が多いです。
要するに古木でしょ。
ケンムンやキジムナーも、古木の精霊とされますよ。
また、山神との関係も深く、霊峰とされる山々には、必ず天狗がいるとされるのです。
それゆえ山伏の姿をしていると考えられるのです。
実際に山神を、天狗(ダイバ)とする地方は多いです。
現在でも、山形県最上郡の伝承にみえる天狗は白髪の老人です。
天狗は白髪の老人、キジムナーやケンムンも、見ようによっては、そう思えるね。
天狗は、天の犬とキジムナーやケンムンが合わさって、そこに修験が重なって生まれた伝承だったかも。
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