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2010年1月

胡瓜封じ

夏の暑い盛りに行われる「胡瓜封じ」は、病気・病弱の人や、病気予防に病の邪気を、真言密教の法にて加持祈祷し胡瓜に封じ込めるという「夏越しの祈祷会」です。 

 日本で始めたのは、弘法大師でしたね。

弘法大師は一切衆生の病苦、悪業の根を断ち切って、病苦を和らげ、業病、難病からのがれ、丈夫で長生きし、安楽に往生できるようにとその願を込め不動尊を祀りはじめたのです。

そして、胡瓜封じの秘法を残したのです。
これは、薬では治せない病気を治してしまうとされているのです。

 恋の病は、無理でしょ。

当然ですね。

胡瓜は、一本が一人分です。

 家族が多いと、何本も要るのでしょ。

祈祷してほしい人数分だけ、要るのです。

胡瓜封じを行うには、まずお寺で胡瓜をいただいて、お加持が済んだら胡瓜をいただくのです。

 食べるわけではない。

食べないですよ。

「胡瓜封じ」は、胡瓜を我々の身代わりに見立て、我々の邪気や病根を護符と共に胡瓜に封じ込み、胡瓜に持ち去って頂こうとする呪術です。

胡瓜に護符を埋め、加持をしてもらった胡瓜を家に持ち帰り、自分の悪いところを3日間その胡瓜でご真言を唱えながら撫でるのです。
そして、4日目の朝に疫を移しとった胡瓜を、川に流すか、人の踏まない清浄な土に埋めるかして悪いものを祓うのです。

川に流すか土に埋めるかして封じた胡瓜は、速やかに消滅し、病気や邪気が消滅することを願う呪物なのです。

 流し雛と似てる。

 流し雛は、埋めないけど。

人形(ひとがた)は、意識しているでしょうね。

胡瓜が人間の立った姿に似ていることと、胡瓜を輪切りにした切り口が転法輪に似ていることから、胡瓜に封じると言われるのです。

「転法輪」とは、仏具の一種で、仏陀とされる釈迦が法を転じる教えを説法している姿をシンボライズしたものです。
胡瓜の中に転法輪が有ると言うことは、胡瓜が仏陀そのものであり、我々の身代わりとしてはこれ以上のものはないとされているのです。

また、仏陀に救いを求める意味も大きいと言われるのです。

 胡瓜には、お盆にも出番があるでしょ。

茄子の牛とともに胡瓜の馬が、そなえられるのですよね。

彼岸より胡瓜の馬で早く来て、此岸より茄子の牛でゆっくり帰ってほしい、そういう思いの表現とされているのです。

 でも、胡瓜封じでは胡瓜を人に見立てたでしょ。

一説には、「精霊が胡瓜の馬に乗り、牛には荷物を乗せて楽に帰れるように」という意味が込められているとも言われているのです。
確かに、定説がないですね。

 厄払いの人形(ひとがた)には、案山子のような天児(あまがつ)と這い這いする赤子を模った布の人形(ひとがた)の這子(ほうこ)があるでしょ。

 茄子の牛と胡瓜の馬というけど、実は這子と天児とではないでしょうか。

 盆は、霊の彼岸と生の此岸の境が開くでしょ。

そういえば、精霊馬といって胡瓜や茄子で動物を模るけど、精霊牛とは言わないですね。

 つまり、茄子も胡瓜も、本当に意味しているのは、馬ではないのかしら。

茄子の色は紫だけど黒にもみたてられ、胡瓜の色は緑だけど黒のほか青にもみたてられるのです。

牛は丑に通じて、ほぼ北に近い解釈をされるのです。

馬は午に通じて、南に配されるのです。

もし、茄子も胡瓜も馬、つまり南に配される午とすれば、まさに子午線を表すですね。

 西に配される白は、陰の色でしょ。

 茄子も胡瓜も、切れば中は白が見える。
 陰に配される白も、あるでしょ。

となると、胡瓜封じは陽の青と陰の白で、滅びと復活の呪術である禊になるのです。

 禊は、清めの儀式でしょ。

ええ。

さらに、茄子と胡瓜の精霊馬は東西南北の十字が表現されるのです。

 茄子の紫と胡瓜の緑が北の黒、また、胡瓜の緑は東の青でもあり、茄子と胡瓜の切り口の白が西、精霊馬の馬は午に通じ南、ですね。

陰陽で陰の厄払いの呪術とされる、十字切りが隠された儀式が精霊馬なのかも。
 
 悪しき霊を退けながら、祖霊を安心して向かえる呪術が精霊馬の目的なのかしら。

 厄を精霊馬に乗せて、祖霊や神仏に持ち去ってもらいたいという思惑もあるのでは。

ありえるですね。

 人の苦しみを背負って犠牲になり、十字を切られる、まるでイエスでしょ。

イエスも、胡瓜にたとえられたら苦笑してるかも。

 そういえば、昔の胡瓜は苦味が強かったと聞きますよ。

果柄に近い肩の部分、胡瓜のヘタにククルビタシンと言う配糖体である炭水化物が含まれるのです。
このククルビタシンが酵素・エステラーゼによってアグリコンと言う物質になり、苦みをだすと言われます。

ククルビタシンはいくつかの 種類があるが、その中の一種は抗腫瘍作用があり、毒性も少ないことが知られてます。

今の胡瓜にはこのククルビタシンが含まれていないので、昔の様に苦い胡瓜が姿を消したのです。

なお、窒素肥料を多くやり過ぎたり、成熟期に高温で乾燥した気候が続くと、時には、昔懐かしの苦い胡瓜にお目にかかれます。

 この苦さで思い起こすのが、ニガヨモギですね。

ヨハネによる黙示録には、こうあるのです。

第三の御使いが、ラッパを吹き鳴らした。
すると、たいまつのように燃えている大きな星が、空から落ちてきた。
そしてそれは、川の三分の一とその水源との上に落ちた。
この星の名は、ニガヨモギと言い、水の三分の一がニガヨモギのように苦くなった。
水が苦くなったので、そのために多くの人が死んだ…。

もっとも聖書に出てくるニガヨモギは、どうやら学名Artemisia judaica だとする説が有力です。

Artemisia absinthiumと近縁の植物だが、別種です。

こんな胡瓜に、厄除け呪術があるのは面白いですね。

 胡瓜属するウリ科の食物は、薬膳では利尿作用があるでしょ。
 
 それに、熱を取り除く作用がある。

 つまり、暑気あたりに効くの。

 そう言った薬効と胡瓜封じの祈祷は、少なからず関係しているのじゃないかしら。
 
 人の形に似ている野菜は、他にもあるもの。

なぜ、大根や人参でなく、胡瓜かってのは、確かに不思議です。

 胡瓜は河童にも絡む、奇妙な作物ですねえ。

木瓜(もっこう)紋は、その名のとおり木瓜(ぼけ)の花の図案化とされるほか、胡瓜の切り口の図案化といわれます

実際は木瓜紋の名は日唐貿易の際、唐から輸入された御簾(みす)や御帳(みちょう)の周囲にめぐらした絹布の帽額(もこう)に付けられていた文様だったことによるそうです。

帽額は、帷(かたびら)のように表面に襞をとりながら掛ける、御簾の上部、上長押(うえなげし)などで横に長く引きまわされている一幅の布で、額(ひたい)の部分に当たる横幕のことです。

 胡瓜の切り口は、さまざまな宗教などにかかわる文様と似てますね。

どっちが先かはともかく、こんなところも、胡瓜と厄除けがつながる理由になっているのかも。

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ムエタイと相撲の関係を疑ってみると。

格闘技の一種とされるムエタイ(มวยไทย)は、タイの国技です。

 英語で、Muay ThaiとかThai boxingと呼ばれるでしょ。

ムエタイは、両手、両肘、両脚、両膝の八箇所を用いて相手と戦うのです。

日本ではタイ式キックボクシングとも言われるケースがあるが、正しくはタイ式ボクシングなのです。

キックボクシングは空手、ムエタイ、ボクシング等を元に日本で作られ、厳密には違う競技だからです。

ヨーロッパでは、タイ式ボクシングの意味でタイボクシング(Thai boxing、)と呼ばれることが多いです。

日本ではムエタイの語で定着しているが、発音的にはムアイタイが正しいそうです。
 
ムアイタイとは、ムアイはクメール語で1をさし、1対1の格闘のことであるため「タイ式の戦い」となるのです。

ついでにいうと、レスリングはタイ語でプラーンなので、タイ語ではムアイプーランというそうです。

 ムエタイ選手は、試合開始前に踊るでしょ。

ワイクルーと呼ばれる踊りですね。

 そういえば、琉球空手の起源に「田舎の舞方」から発展したと、言う説もあるのよね。

沖縄方言で舞方(メーカタ)は踊りの意味で、田舎の武術的要素をもった琉球舞踊から沖縄空手が生まれたと見られていますね。

 踊りの振りから沖縄固有の武術「手(ティー)」が生まれ、空手へと発展したと見る説よね。

ワイクルーと呼ばれる踊りには、いくつかの目的があるのです。

自分のトレーナーに感謝を捧げる。
神に勝利を願う。
試合前の闘争心を高める。

ムエタイは立ち技世界最強と名高いけど、ボクシングのような打ち合いはあまり期待できないです。

ムエタイの試合は、5ラウンドあるのです

1、2ラウンドは、様子見に終始します。

賭ける客がその様子を見て選手の調子を判断し、どちらに賭けるか決めるという意味合いもあります。

ムエタイは、国技とされる一方で、賭けの対象でもあるからです。

 そういえば、日本の相撲も国技とされる一方で賭けの対象にする人がいると聞きます。

 それで、八百長相撲のうわさは絶えないかしらね。

ムエタイは国技である上、試合は賭けの対象でもあるため八百長に対しては非常に厳しいそうですね。

実際にバンコクの二大殿堂では、スポーツとしてではなく賭けの対象として観戦している観衆が大半を占めるのだそうです。

八百長試合が発覚すれば、当事者はタイ国内法により罰せられるというのですよ。
実際に八百長を疑われる試合では、観客からのブーイングにより試合が成立しないこともあるのですって。
そしてそれ以降のラウンドは、延々と首相撲の攻防が繰り返される試合がほとんどですと。

 派手な殴り合いを期待をして観戦すると、首相撲が頻繁に行われるけど。

 そのために、馴れ合いみたいに見えることもあるかも。

首相撲の攻防には、とても技術的な駆け引きが行われているそうです。
レベルが高くなればなるほど、まず、まともに攻撃を食らうことはないのですって。

 それで、馴れ合っていると勘違いされやすいわけですか。
 
タイ人は基本的に小柄なので、ボクシングの重量級などで見られるような試合でのKOはほとんどないですね。
KOが頻発すると、かえって八百長が疑われてしまうそうです。
 
 じゃあ、判定試合がほとんどになるでしょ。

それでも会場に熱気があるのは、興行が賭けによって成り立ち、またクリンチに見間違える首相撲が、実は高い技術のぶつかり合いだからですって。

 日本で首相撲って言えば、首に紐をかけて引っ張る遊びだからずいぶん違うのね。

文化の違いかも。

 相撲といえば、琉球空手には沖縄相撲であるシマからの発展説もあるのよね。

 沖縄相撲であるシマが、舞方(メーカタ)の振り付けと沖縄空手の双方の起源かも知れないのでしょ。

面白いことにムエタイの村の試合では、ときに日本の相撲の花相撲に演出が加えられたような試合が行われることもあるそうです。

花相撲の由来は、奈良時代に遡ります。
相撲節会(すまひのせちえ)という宮中儀式が、奈良時代から平安時代にかけて行われされました。
東方力士が勝つと朝日を受けて咲く葵(あおい)の花、西方力士が勝つと夕日を受けて咲く夕顔(ひょうたん)の花を自分の髪に差して退場しました。
力士は、その花を食料品や衣類に交換して褒美として受け取ったのです。

江戸時代に入ると、相撲興行が組織化されます。
客は贔屓力士や郷土力士が勝つと、土俵に自分の羽織や煙草盆を投げ入れられました。
力士は、これらを支度部屋に持ち帰り、客は帰りに支度部屋の力士を訪ねて引き換えに祝儀を与えられました。
この祝儀も、纏頭(はな)と呼ばれました。
祝儀すなわち花だけで興行していたため、花相撲とも言われたのです。

 こういう祝儀を送る風習が、ムエタイにあるのも面白いね。

 相撲とムエタイも、どこかでつながっていそうね。

日本人の祖先には、タイやインドシナあたりから来ている人々がいるからありえますね。

格闘技としてのムエタイは、他国の侵攻に対抗するための古式ムエタイに起源を持つのです。

古式ムエタイは、タイ語でมวยโบราณ(ムエボーラン)と言うのです。
タイのムエタイが競技化する前の、素手素足を主とする戦闘技法です。

実際には、手に紐を巻いたりしたようですね。

 それが今では、グローブになっている。

そうですね。

古式ムエタイの名称は、伝統的にはパフユッつまりシャム拳法と呼ばれます。

古式ムエタイがいつ興ったものかは、はっきりしていないそうです。

各民族の戦闘術と関わりながら、徐々に発展していったと見られてるのです。
素手素足の格闘の技術が、古式ムエタイの原型になっているのは確かなようです。

 その素手素足の格闘って、相撲だったりして。

相撲も突きや払いなど、両手両足を使う共通点があるのですよね。

 起源を共有している可能性、あるかもね。

調べたら面白いかも。

でも、琉球空手との関係のほうが強いかも。

 踊りで、つながっているからね。

古式ムエタイは伝説では、『ラーマーヤナ』のラーマ王子を始祖としてるのです。

シャムがミャンマーの属領とされていた1584年頃に、ナレースワン大王がミャンマーのタウングー王朝との戦争に勝って独立を回復しました。

『チュー・バサート(戦勝論)』は、この独立の時に既に古式ムエタイが大きな役割を果たしたと記すといいます。
 
 これが事実なら、少なくとも400年以上の歴史があることになるのね。

一方、琉球空手の中国起源説としては、久米三十六姓導入説があるのです。
1392年、那覇の久米村(クニンダ)に、当時の明の福建省から「ビン人三十六姓」と呼ばれる職能集団が移住があったといいます。

 「ビン人三十六姓」と呼ばれる職能集団は、琉球に先進的な学芸、技能等を齎したと言うのでしょ。

彼らが、空手の起源となる中国拳法も齎したと見られています。

1368年から1644年まで続いた明代には中国南部の福建省にあった南少林寺(福建少林寺)を起源とする、南派少林拳と呼ばれる武術の存在が確認されつつあるのです。

 時期としては、非常に近いね。

 久米村(クニンダ)って、音は違っても久米(クメ)ってあるでしょ。

 久米には、クメール起源説があるのよね。

人のミトコンドリアDNAのタイプであるハプログループには、80パターンがあるのです。
日本の主なミトコンドリアのDNAは、そのうちの16タイプなのです。
日本人のルーツ探しに大きくかかわるのは、この16のハプログループなのです。

 主なということは、少数派も含めれば、もっとあるってことかも知れない。

16のDNAパターンは、以下の通りです。

A、B4、B5、C、D4、D5、F、G、M7a、M7b、M7c、M8a、M10、N9a、N9b、Z

Dグループは、Fグループとともに東南アジアとのつながりも大きいのです。

 つまり、タイの辺りも日本人の先祖と関わりがありそうね。

久米村(クニンダ)が、琉球空手と南派少林拳とムエタイをつなぐ鍵を握っているのかも。

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神輿と怨霊?

輿(こし)は、二本の轅(ながえ)に屋形を乗せて人を運ぶ乗り物ですよね。

 輿は、棺をのせる、上輿(あげごし)の略でもあるけどね。

死者は魂や霊の世界、つまり、この世の存在ではないという意味も、上輿にはあるようですね。

もちろん、死者は歩いてくれないから運ぶしかないという現実もあります。

 輿は、肩に担いだり、腰の辺りに手で支えたりしたでしょ。

平安時代には、天皇・皇后・斎宮などに限られたのです。

 鳳輦(ほうれん)・葱花輦(そうかれん)や腰輿(たごし)などが主なものだったでしょ。

平安後期以後、使用者の範囲も広がり、種類も増えたのです。

輿を敬っていう語の御輿〈みこし)は、神幸の際に神霊が乗る場合は神輿と記します。

 「輿」を「腰」にかけて、腰をあげるとか、立ち上がるという意味で「みこしを上げる」なんて言いますね。

どっかりと座りこんで動かないとか、腰をすえることは「みこしを据える」なんていいますけど。

 人をおだてて祭り上げるとか、また、それに一役買うなんてことは「みこしを担ぐ」。

だまされて「担がれた」なんてのは、おだてて祭り上げる言葉が嘘だったのに、まんまと乗せられてしまったということでしょうか。

 神輿〈みこし)は、神輿(しんよ)とも呼ばれますね。

神輿〈みこし)は、屋根の中央に鳳凰(ほうおう)や葱花(そうか)を置き、台に何本かの担ぎ棒を通し大勢で担ぎます。

 担ぎ棒の基本は、二本ですよね。

今でも、二本の地域はありますよね。

平安中期に怨霊信仰が盛んになるにつれ、広く用いられるようになったようですね。

 怨霊がなんで、信仰されるかですよね。

 怨霊は、恨みをいだいて、祟り(たたり)をなす霊でしょ。
 
 祟りは、神仏や霊がその意に反する人間の行為に対して、もたらすとがめや災禍でしょ。

ある行為の報いとして、受ける災難でもありますね。  

 本来なら、受けるはずのない、受けてはいけない、理不尽な仕打ちによって不遇な仕打ちを受けた者達。

 裏切ってはいけない、裏切られてはいけない、それなのに裏切られた者達。

 そうでなければ、怒りを抑えてもらわないといけないと言う、合意はできませんよね。

つまり、怨霊の恨みは正義の怒りですよ。

 怨霊になれるのは、逆恨みを抱いた霊ではだめなのね。

 だから怨霊には、神仏や霊がその意に反する人間の行為に対して、もたらすとがめや災禍と同等の祟りができる。

正義が踏みにじられたとき、とがめを目的に災禍をもたらす点では、怨霊も神仏も一緒なんです。

 それで、怨霊は神になれる。

問題は、とがめのためなら災禍をもたらす神をなぜ、神輿で巡行してもらうでしょうか。

歴史上有名な、移動を続けたとがめのためなら災禍をもたらす神といえば、ヤハウエですよ。

 聖書には、ヤハウエのアークの前に無力をさらけ出す異教徒の偶像の、哀れな姿も描かれますね。

 ヤハウエとアークの怒りに、異教徒はなすすべもない。

そうですね。

 実力行使ができる怨霊って、ヤハウエ並みにすごくありませんか。

 実力行使ができる点では、ヤハウエも日本の神も怨霊も同列ね。

そうですね。

 神輿を見たイスラエル人は、何でアークが日本にあるか不思議に思うわけでしょ。

 全体が金張りで、衣装が乱れるくらいにぎやかに担がれ、担ぎ棒は本来二本、ケルビムを連想する鳳凰が乗る。

 大きさも、アークとほぼ同じものが多い。

 しかも、神輿が広く用いられるようになる時期は、平安京中期でしょ。

平安京を、ヘブル語に訳すとエルサレムですからね。

 エルサレムを巡行するアークが、平安京を巡行する神輿だったりして。

でも、この国は日本ですからね。

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日本人を遺伝子から見直すと。

日本人は、世界でも稀な古代血統とされる、Y遺伝子D系統を多く持つ人種に分類されると言うのです。

 島国って、大陸より古い時代のものが残りやすいって言うけど。

 日本人も、その例に漏れないわけですか。

日本人は、Y染色体DNAのD系統を高頻度で持つ事で有名だそうです。

Y染色体は、父親から息子に受け継がれる遺伝子です。

 それくらい、知ってますよ。

Y染色体DNAのD系統は、日本人とチベット人や中近東の人の他には、世界のどこにもほとんど存在しないのですって。

 え!

江戸時代に日本に訪れ天皇に謁見した欧米人は、「日本の皇族は中東系である」という発言を残したほどです。

 そういえば、イラクの故フセイン元大統領の会見で腕輪にあった紋章に、日本の皇室のものと似ているという声がヨーロッパの記者から上がった。

 フセインは、中東に古代から伝わる王家の紋章だと、一蹴したけど。

日本人は韓国人よりも、二重瞼が多く立体的な容姿が多いです。

現在の日本の皇族は、一重瞼が多いです。
それは、昭和天皇の皇后の血筋の影響です。

それ以前は、比較的彫の深い濃い顔が多いです。

現在でも昭和天皇皇后の血を継いでいない傍系の皇族方は、二重瞼の彫の深いお顔立ちの方々が多いですよね。

 じゃあ、古代エジプト神話と日本神話の類似は、偶然じゃないってことね!

太陽神を中心に、動物神を含む八百万の神が崇拝され、三神構造を持つことが最大の類似ですよね。

 古代エジプトの死者の書には、太陽神ラーは聖なる猫(neko)の姿で、 ナイフを持って進路を妨げる蛇のアボビスと戦う姿が描かれる。

 「牡猫」は太陽神の象徴で、 バステト女神は熟した作物への太陽の力を表したのでしょ。

 太陽神を最高神とする日本の神職は、禰子(neko)から選ばれる。
 
 これ知ったとき、思わず笑っちゃったけど。

日本のすぐ近くの朝鮮半島や中国人は、アジア特有のO系統ですって。
 
東アジアの地域全体には、アジア系O系統が広く分布しているのです。

 島国の日本や山岳のチベットにのみ、D系統が残ったと考えられる。

Y遺伝子のD2系統は、韓国は、ほぼ0%だそうです。

一方、チベット33%、アイヌ人88%、沖縄人56%、本土日本42%から56%ですって。

 本土日本人のD系統は、半数以上ね。

アイヌにはアジア主流のO系統は無く、完全なD系統です。
本土日本人と沖縄人には、O系統が混ざっているのですけど。

 事実上アイヌと本土日本人は、大差がない。
 
日本人は基本的に共通して、アイヌ人や本土日本人そして沖縄人までD系統といえるそうですね。

 アイヌにアジア主流のO系統を足したのが、本土日本人となる。

 古代に中近東から来た人々は、その大半がチベットと日本に定住した。
 
このD系統はYAP型とも言われ、Y遺伝子の中でも非常に古い系統だそうですよ。

 日本人のYAP型は、YAP(-)遺伝子だそうですね。

YAP型は、Y染色体に存在する、300塩基配列で構成される遺伝子の事です。

民族の特徴が現れる事で注目されている、因子です。

 YAP(-)遺伝子は、日本人特有であると強調する人もいるのでしょ。

古代イスラエル人と、日本人くらいしかいないと、指摘する人もいます。

 これじゃあ日ユ同祖論が、出てくるわけだわ…。

スメル渡来説も、ありますよ。

 そうそう。

D系統はアジア人種よりも、地中海沿岸や中東に広く分布するE系統の仲間なのですって。

 キップリングが長崎で見た、バスク人似の若者もご先祖はバスク人だったりするのかしら。

バスク人と日本人、顔ばかりか、気質も似ているって言うのですからね。
可能性を否定できないかも。

 遺伝子を、比べてみたい…。

 それと、イタリアに、日本人と顔や体つき、食文化の似た人たちが、日本と似た風土の国土に住んでるのも偶然じゃないでしょうね。

 科学的に、裏付けがとれる日も近いかしら。

誰か、調べてくれたら良いですけどね。

追記

日本人の大半はYAPマイナス遺伝子だが、アイヌと琉球民族はYAPプラス遺伝子を持つ事がわかっています。

YAP遺伝子は、D2系統とO2b系統が存在するD系統に属しています。

D系統は アジア人種よりも地中海沿岸や中東に広く分布するE系統の仲間であり、Y染色体の中でも非常に古い系統です。

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卑弥呼の鬼道を考える。

「卑弥呼は鬼道を事とし、能く衆を惑わす」と魏志東夷伝倭人条、いわゆる魏志倭人伝にあります。

 「鬼道」の「鬼(き)」は、「陰(おん)」の転化とされる「鬼(おに)」では。

そうかも知れないのですね。

卑弥呼の名は倭の女王として、魏志倭人伝等の中国の史書に記されているのです。

 卑弥呼の時代は、一般には175年頃から248年頃と見られていますよね。

おもしろいことに、徐福は紀元前3世紀頃、中国の秦の時代に方士をしていました。
その徐福に、日本渡来説があるのです。

 もしも、徐福が日本に渡来しているなら、卑弥呼の鬼道が陰陽と基本的に同じであってもおかしくないですね。

 方士は、後に陰陽師と呼ばれる人々の先駆とされる人々でしょ。

ええ、思想的には相通ずる考えの人々ですから。

それに、「能く衆を惑わす」と言っているけど、「巧みに衆を欺く」と批判してないのですよ。

 つまり、上手に人々の心を掴んで操っていると、評価してる。

鬼道は、批判の対象ではないようですね。

卑弥呼は陰(おん)の力を用いて、上手に人々の心を掴んで操っていると、言っていると見て良いかも。

 そして、卑弥呼は方士の術を知っていたかも、知れない。

徐福上陸伝承は、日本各地にあるのです。

けれど一番可能性があるのは、九州に上陸し西日本に拠点を構えたことではないでしょうか。

 まさに、邪馬台国は西日本一帯を支配したとみられているでしょ。

 徐福一行の子孫が、卑弥呼を背後から支えていたのかなあ。

仮に、鬼道の本質が陰陽なら、同じく陰陽師と本質を同じくする方士から卑弥呼が習っていてもおかしくないですね。

これは、どこまでも想像ですけど。

 そのうち、飛鳥昭雄が情報掴んで本に出すかもよ。

どんな内容、盛り込みますかね。

追記

徐福繋がりではこんな記事も書いてます。

神武と弥生と徐福はむすびつくか。

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ブラックホールに黒星がつくか。

日経サイエンス2010年2月号に、面白い記事が登場しました。

執筆したのは、スペイン・アンダルシア宇宙物理学研究所のC. バルセロ、イタリア・トリエステ国際高等研究所のS. リベラーティ、イタリア・ウディネ大学のS. ソネゴ、ニュージーランド・ビクトリア大学M. ヴィッサーたちです。

タイトルは、「相対論と量子論をつなぐ ブラックスター」です。

http://www.nikkei-science.com/page/magazine/1002/201002_024.html

 宇宙を思うと、いつもワクワクしますねえ。

日経サイエンスのサイトから、要約を紹介しましょう。

アインシュタインの一般相対性理論が予言する時空の構造「ブラックホール」は、今や誰もが知る存在となった。

ブラックホールに落ちたら最後、そこから脱出することはできず、こっぱみじんにされてしまう。

しかし、一般相対性理論はブラックホールを記述するには不完全であることがわかっている。

この理論に従うとブラックホールの中心に時空の曲がり具合が無限大の「特異点」が存在することになるが、特異点では理論が破綻してしまうからだ。

破綻の原因はミクロレベルで重要になる量子効果を考慮していないためと考えられている。

しかし、量子重力理論が完成していない現状では、量子効果を部分的に取り入れた半古典重力理論に頼るしかない。

1970年代、ブラックホールに対する量子効果を検討したホーキングは、ブラックホールが粒子を放射してゆっくり蒸発することを示した(ホーキング放射)。

今日では多くの物理学者が、ブラックホールは一般相対性理論で記述される通りに形成され、その後ホーキング放射によってゆっくり蒸発すると考えている。

だが、半古典重力理論が量子重力理論のよい近似といえるかどうかは不明だ。

ブラックホールの形成・蒸発シナリオを疑問視する研究者もいる。

著者らは、「真空偏極」と呼ばれる量子効果が十分に大きければ、ブラックホールの形成が止まり、代わりに「ブラックスター」が形成される可能性があることを示した。

ブラックスターは物質でできた殻が同心円状に重なったタマネギのような構造をした天体で、内側ほど温度が高い。

とはいえ、ブラックスターは非常に小さな高密度の天体なので、観測される多くの性質はブラックホールに似ている。

ブラックホールだと思われている天体のいくつかは、実はブラックスターである可能性もあるのだ。

量子効果を考慮してもやはりブラックホールは形成され、そして蒸発するのか。

あるいは、ブラックスターなどブラックホール以外の天体も存在しうるのか。

こうした問題への取り組みを通じて、まだ見ぬ量子重力に近づけるかもしれない。

現実はどうかといえば、さまざまな高精度の観測から、宇宙には一切光などを放射しない小さな天体が存在することがわかっています。

 こういった暗い天体の質量は、太陽の数倍から100万倍までさまざまでしょ。

直径は質量に応じて、数kmから100万kmまでですね。

一般相対性理論の予言したブラックホールに質量や直径がよく一致しているので、存在を疑う声はあまりでません。

しかし一方で、特異点という理論が破綻する存在も出てしまうので、相対性理論の不十分さの証拠とも指摘されてきました。

 不十分さの最大の理由が、ミクロの世界での量子の振る舞いを十分考慮していないからと言う声も多いでしょ。

でも、私に言わせてもらえば、古典力学も重力について不十分と思いますよ。

 古典力学は、現象学であったからでしょ。

その通りです。

力と力の関係を整理して、体系つけたのがガリレオやニュートンの業績でした。
しかし、力、すなわちエネルギーの関係はみてもエネルギー発生のメカニズムまで考えてないのですよ。

アインシュタインは、せっかく重力発生の謎に切り込みながら時代の制約にとらわれて、古典力学の基礎理論を徹底できないままに終わってしまったのです。

 その歴史的な制約に切り込まざるを得ないのが、量子論ですね。

その通りです。

ホーキングは、ブラックホールはゆっくり蒸発せざるを得ないという答えを出してしまいました。

 ところが、ブラックホール候補である天体は安定して存在して見える。

つまり、限界を超えて崩壊するでもなく、蒸発するでもない。
収縮と膨張が、均衡しないとならないでしょ。

 そこで、ブラックスターですか。

これで、問題解決に近づくでしょうか。

 表面で、重力は均衡している…。

 そうでないと、ブラックスターになれない。

重力波と電磁波の式は、構造がそっくりですよ。

発生のメカニズムが似ていると見ないと、ならないでしょ。

 そうでしょうねえ。

だったら、外見上も似ていても、おかしくないのでは。

 そうでしょうねえ。

光が出てこれないのは、天体から出るすべての重力が表面でUターンしているからだったりしたらどうでしょ。

 でも、これって、太陽の表面とどこか似てませんか。

ループ上になった重力に沿って電磁波もループになっているのが、太陽表面の無数にある光のループではないかと。

 電磁波も、重力に進路が沿って曲がるはずでしょ。

そうですねえ。

 光も出てこれないといいながら、表面に落ち込む光が直前に放射する光、すなわち電磁波なら観測できるとされるでしょ。

 実際は、天体自体が出していたりして。

ただ、こうみると実際に観測されている質量とされる数値が怪しくなりますね。

 重力に見合う、質量がないといけない。

その通りでしょうね。

 重力で測られた質量が重量なら、そうですねえ。

そうなると、軽い天体とされた恒星は、実は軽くないとなりませんか。

 もっといえば、ガス天体とされてきた星はもっと重くないといけない。

 ガス天体ではなく、氷天体とか、ガラス天体とか…。

ガラス状態とは、ガラス転移点より低温の非晶質状態をいいますよ。

ガラスは、剛性と粘度があり流動性がない、結晶並みに硬い低温の非晶質状態ですよ。

 そうでしたねえ。

 高圧化で液状から非晶質化、するようなことないですかねえ。

ガラス天体はともかく、氷天体ならありますけど。

 氷天体といっても氷なのは、宇宙空間で冷える表面に近い範囲だけですよね。

その下には、重力によって押し潰され加熱された熱水の層があるとされますよね。

 求めよされば与えられん。
 叩けよされば開かれん。

 さて、どんな展開になっていくでしょうねえ。

恒星の概念が揺らぐのは、間違えないと思いますよ。

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アメノウズメの踊りを考える。

アマノウズメとも呼ばれるアメノウズメは、日本神話に登場する女神の一人です。
『古事記』では天宇受賣命、『日本書紀』では天鈿女命と表記するのです。

 日本最古の踊り子と指摘されることの多い、「岩戸隠れ」のくだりなどに登場する芸能の女神よね。

天岩戸(あまのいわと)は、天戸(あまと)、天岩屋(あまのいわや)、天岩屋戸(あまのいわやと)とも言い、「岩」は「石」と書く場合もあるのです。

日本神話に登場する天岩戸とは、岩で出来た洞窟です。

 天岩戸については、横穴式墳墓であるという説もあるのよね。

日本書紀には、アマテラス死亡説もあるからですね。

天岩戸隠れは、こんな話です。

スサノオの乱暴が原因で、アマテラスは岩戸に隠れて世界が暗闇になる。

神々は大いに困り、天の安河に集まって会議をする。

オモイカネの発案により、岩戸の前で様々な儀式を行う。

アメノウズメがうつぶせにした桶の上に乗り、踊りだす。
その踊りは、背をそり胸乳(むなち、あるいは、むなぢ)をあらわにし、裳の紐を股に押したれて、低く腰を落して足を踏みとどろかし、力強くエロティックだ。

神々は、大笑いする。

アマテラスは、いぶかしがり覗き見をしようと岩戸を少し開ける。

ウズメは「あなたより尊い神が生まれた」と、鏡をさしだす。

アマテラスはアメノタヂカラオにひっぱり出され、再び世界に光が戻る。

私が気にするのは、アメノウズメの踊りです。

今知られている踊りで、一番近いのは何と思うでしょうか。

 踵を股の内側に、つま先を外側にひねって地を踵で強く踏む申楽(さるがく)のステップという解釈もあるけどね。

猿楽(さるがく)とか、散楽(さんがく)とも言いますよね。

猿楽という言葉は、散楽の転訛したものと言うのです。

散楽の具体的な内容は、史料が少ない為にはっきりしていないようですね。

正倉院御物の「弾弓散楽図」などから推測される限りでは、軽業や手品、物真似、曲芸、歌舞音曲など様々な芸能が含まれていたものとされるのです。

ただ、どう考えても奈良時代に中国から伝来した以前には遡れないようにみえますね。

 衣装が前合わせで、腰の紐とか帯を前に垂らす…。

 肌の露出も、相当大胆よねえ。

 衣装からいえば、ベリーダンス(Belly dance、あるいはbellydance)が近いね。

日本の神話には、ギリシャとの類似を指摘する声が多いですよ。

アマテラスの岩戸隠れは、日本神話とギリシャ神話の類似例として挙げられるものの一つです。

 ベリーダンスは、中東やその他のアラブ文化圏で発展したダンス・スタイルよね。

アラブ文化圏では「東方の踊り」を意味するラクス・シャルキー(Raqs Sharqi رقص شرقي)、とか、「民族舞踏」を意味するラクス・バラディー(Raqs Baladi رقص بلدي )として知られるのです。
トルコ語では、「東方舞踏」を意味するオルヤンタル・ダンス(Oryantal dansı)として知られているのです。
ちなみに、アラブ圏の「ラクス・シャルキー」の起源はエジプトであるとされるのです。

 地域の近さから言って、ありえるでしょ。

ただ気になるのは、足の使い方ですねえ。

ベリーダンスで使用されるほとんどの基本的なステップやテクニックは、体の部分ごとに分かれた円運動ですよ。
腰や肩を、床と平行に別々に動かするのです。

 低く腰を落して足を踏みとどろかしたと伝わるところはちょっと、気になるけどね。

ええ。
今知られるベリーダンスには足を激しく踏む振り付けは、見られないですね。

 でも、体はしならせなかったかなあ。

 背をそらせ、低く腰を落して足を踏みとどろかし、でしょ。

肩や腰なら、くねらせた可能性はあるかも。

もし似ているなら、時代が下るとともに、振り付けも衣装も優雅に洗練されたのでしょうか。

 屋内で踊るようになって、振り付けも激しい動きから静かな動きに変化したとか。

ベリーダンスの振り付けは、女性の肉体の「丸さ」「ふくよかさ」を前面に押し出したスタイルを採ります。

 痩身であることを良しとするダイエット嗜好とは、対照的。

実は、ベリーダンスというのは、西洋が言い出した名前です。

余談ですけど。
ベリーダンスは、女性だけではなく、男性も踊っていたそうですね。

オスマントルコの細密画には、キョチェク(Köçek)と呼ばれる若い男や少年のダンサーたちが公演していた様子が描かれているそうです。
 
 ヨーロッパでは、ほかにも「オリエンタル・ダンス」「ダンス・オリエンタル」「エキゾチック・オリエンタルダンス」「オリエンタル・ベリーダンス」などの呼び名で知られてるの。

ベリーダンスは、エジプトではイスラム時代以前から口承に基づき伝授され知られてきたと見られているのです。

 古代エジプトって言えば、日本の神話と、似てますよね。

太陽神を中心に動物神を含む八百万(やおよろず)の神、三神構造、などですね。

 そうね。

そう思えば、日本の神話にベリーダンスをなんとなく連想できる踊りがあってもおかしくないですねえ。

 でしょ。

 アメノウズメが、ベリーダンス踊っていたって、いいじゃないのかしら。

ベリーダンスの起源については、諸説あるのですね。

証拠が最も多く挙げられているのは、地中海世界、中東、アフリカと関係をうかがわせるものだそうです。

 食文化でも、地中海世界と日本、似てるもの多いですよねえ。

ベリーダンサーが鏡の前で行う柔軟体操の姿勢に似ている半裸のダンサー達が、紀元前5世紀ほど昔のものといわれるエジプトの墓の壁画には描かれているそうです。

 古代エジプトの壁画や彫刻って、女性が肌にまつわりつくような薄衣をまとう描写が多いでしょ。

 体に自信ないと、とてもじゃないけど恥ずかしくって着られない位…。

 着てるのに、全裸に近いくらい体の線があらわだもの。

 みんな、体の線がきれい…。

ベリーダンスの描写は、12世紀から13世紀にかけてのペルシアの細密画の中にも見られるのです。

 ペルシャからも大勢、古代日本に来ているでしょ。

なぜか、来てるのです。

アジアの西の端から、わざわざ、東の端まで。

 でも、日本の神話にベリーダンスを思わせる踊りが載っているって不思議ね。

こういうところも、中東周辺に日本に親近感を持つ人々が多い理由でしょうか。

追記

大筋では同意するとしたうえで、足を激しく踏む振り付けは見られないとの発言に、こういう指摘を頂きました。

シュシュという動きは、意識して踏みつけませんが、シミーの爪先立ちなので結果的に大地を激しく踏みしめている感じになります。

追記 2

現代のシュシュは腰は低く落とさないですけど、という指摘をいただきました。

意識して踏みしめない、つまり、腰は低く落とさないということですね。

また、腰を低く落とし、足を踏みとどろかせるさまは日舞に見られるとも、ご意見いただきました。

国風化の過程で、エロチックさは抑えられたが、細かい所作は残っているということかも知れません。

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おかめとひょっとこ。

おかめ(お亀、阿亀)は、おたふく(お多福)ともいうのです。
鼻が低く頬が丸く張り出した女性の顔、あるいはその仮面をさすことが多いですね。

 阿亀って言えば、工事の用語では「鋤簾(じょれん)」のことですって。

鋤簾は、建築土木の現場で、土や砂利、コンクリートなどを掻き寄せたり、敷き均すための用具ですよね。
 
長い柄の先に、竹で箕(み)のように編んだもの、または浅い歯をきざんだ鉄板をつけたものだそうです。

漢字には亀が当てられているが、おかめの名は頬の張り出している形が瓶(かめ)に似ているところからきたとみられています。

 おかめの面は、里神楽などで道化役の女性として使われるでしょ。
 男性の面である、ひょっとこと対に用いられることも多い。

ひょっとこは、口をすぼめて曲げたような表情の男ですよね。
おかめ同様、面もあります。

ひょっとこは、左右の目の大きさが違ったり、頬被りをしている場合もあります。

 あるいは面を付けた人は、頬被りをすることが多いでしょ。

ひょっとこの名前にも、いくつか説があります。

竈(かまど)の火を竹筒で吹く「火男」がなまった。
口が徳利のようであることから、「非徳利」がなまった。

岩手県奥州市の江刺地方に残る民話に、「ひょっとこのはじまり」というのがあります。

この話では、ヘソから金を生む奇妙な顔の子供であり、死んでから自分に似せた面を竈の前に架けておけば家が富み栄えると夢枕に立ったと、あります。
その子の名前がヒョウトクスであったところから、ひょっとこになったという説を立てています。

類似の話は各種あるが、概ね東北地方では火の神様として扱われるようですね。

日本の代表的民謡「出雲安来節」にもひょっとこ顔の男踊りとして、「ドジョウ掬い踊り」がありますね。

 ドジョウ掬いでは、五円玉を鼻につけるでしょ。

出雲の国はかつて製鉄が盛んであり、その砂鉄採取が所作の源流とされます。
ちなみにヤマタノオロチも、草薙の剣で知られる天叢雲剣(あまのむらくものつるぎ)が出ることや、酒桶に首をつけることから製鉄に関する神話という説もあります。

ドジョウ掬い踊りには、炎と関係の深い金属精錬神への奉納踊りの側面もあったと考えられています。

お金をつけて踊る辺り、岩手県の民話と起源の同一性が感じられます。
出雲弁と東北弁の類似からしても、伝わっている可能性は疑って良いかもしれないですね。

ひょっとこは、田楽などでの道化役として登場することもあります。

 ひょっとこに、「火男」説や火の神信仰があるでしょ。

 おかめの語源にも、瓶(かめ)から来ているという説がある。

字としては「お亀」「阿亀」のように亀を当てるけど、「瓶」も「亀」も水に関係ありますね。

 「お亀」「火男」と並べると、なにか意味が込められていそうですね。

水と女、火と男、これはまさに陰陽ですよ。

さらに陰陽では、水と女は北と天、火と男は南と地、と配されます。

 天と女、地と男、まさに古代エジプトではないの。

エジプトにおいて天はヌトという女神であり、地はゲブという男神でした。
両者は夫婦であり、最初は隙間なくくっついていたが、父たるシュウ(湿気)とテフヌト(空気) によって引き離されて現在の姿になったというのですよ。

 ゲブはヌトに少しでも近づこうと、山々を作り出したとされるのでしょ。

おかめの別名とされたお多福は、福が多いということから縁起がよいとされ浅草などの酉の市の熊手の飾りなどに使われるようになります。

 おかめの瓶(かめ)の水は、恵みの雨をさすのかしら。

 水は、豊作と福をもたらす存在だったのね。

女神自体、しばしば、豊穣崇拝の対象でした。

本来古代においては太った福々しい体躯の女性は災厄の魔よけになると信じられ、ある種の「美人」を意味したとされます。

 いまでも、太ることが美人の条件とされる地域ってあるでしょ。

ありますね。

でも、女性はある程度ふっくらしている方が、冷えないし、妊娠のときも安産しやすいので体には良いですよ。

 男だって、ある程度恰幅がいい方が健康的でしょ。

そうですねえ。 

 でも、縁起物での「売れ残り」の意味にも、なったらしいねえ。

時代とともにかわる美意識の変化とともに、不美人をさす蔑称としても使われるようになったですねえ。

ただ、面にされたおかめもひょっとこも、誇張されたものです。

 そういえば。

いくらかふっくらした多少下膨れ気味の顔なら、今でも美人といわれる人によくみられるでしょ。

 程度問題だけど、そうですねえ。

 ミロのビーナスや、世界三大美人の顔は確かに、いくらかふっくらした多少下膨れね。

滑稽な面の起源は、日本神話の女性アメノウズメといわれています。
 
 でも、滑稽な面の起源って、アメノウズメの顔も知らないくせによく言うよね。

そうそう、知らないで言うのは失礼ですねえ。

おかめの名は、室町時代の巫女の名前からという説もあります。

 でも、こじつけでしょ。

 顔だけで、そんなに有名になるでしょうか。

おかめの起源が女神であったとすれば、巫女説が出てくる可能性はあるかもしれないですね。

お多福には福が多いという説の他にも、頬が丸くふくらんだ様から魚の河豚が元という説もあるのですって。

 河豚説も、こじつけでしょ。

これこそ、そうでしょうねえ。

京都の大報恩寺千本釈迦堂には、本堂を建てた大工の棟梁を助けたうえ命を絶った妻のおかめの伝説があるそうです。
そのため、京都で棟上げ式を行うときおかめの面を御幣に付ける習慣があるというのです。

 大工って、どこからそんな話になるの。

古代エジプトで天はヌトという女神であり、地はゲブという男神でしたよ。

おかめから水と天を、ひょっとこから火と地を、連想すれば確かに繋がるのです。

 太陽神ラーが、コーランのアッラーで、聖書のイエスに繋がるでしょ。

 あ、イエスは大工の子でしたねえ。

 若かったころ、イエス自身も大工だったとされる…。

 おかめから、古代エジプトへ、さらに、イエスに繋がるなんて…。

 意外過ぎ!

 おかめとひょっとこが、そんなに深いとは思いませんでした。

 でも、歴史をたどると面白いですねえ。

おかめとひょっとこ、奥が深いですねえ。

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テロリズムの定義ってなに?

ボウガンは、生き物の体ならどこに当たっても刺さるのです。

 エアガンみたいに「目に当たったら失明の危険が」とか「当たり所が悪いと出血」とかそんなレベルじゃない。

発射距離にもよるが、胸に刺されば心臓にも達する可能性が高いです。

現在、民間人が入手できる最強のクロスボウは米国テンポイント社製の狩猟用クロスボウだそうです。

 威力だけで、コンクリートブロックを破壊できるのですって。

狩猟用クロスボウの威力は、230ポンドを超えるというのですよ。

 しかもコッキング、つまり弓の引きは電動アシスト式、専用矢の先端は狩猟用に鋭くできている。

下手な銃器よりも、強力な武器だそうです。

多少威力の落ちるライフルタイプでも、対人殺傷力があるのは変わらないというのです。

威力は120ポンドから180ポンド、有効射程距離は50mだそうです。

対人殺傷力の低いピストルタイプでも、威力が80ポンドで有効射程距離が20mあるそうです。

 でも、あたれば当然危ない。

そもそも矢や弾は、人のいる方向に放ってはいけないものです。

2010年1月6日、南極海で、712トンの調査捕鯨船団の監視船第2昭南丸と、26トンの反捕鯨団体シー・シェパードの小型高速船アディ・ギル号が衝突したのです。

 AG号は大破したが、乗組員はシーシェパードの他の船に救助されて無事だったのでしょ。

 そうそう、AG号はアディ・ギル号の略称ね。

 ちなみに、シーシェパードの略称はSS。

 SSっていうと、親衛隊の独語Schutzstaffelの略号を連想しちゃいそう。
 ドイツの政党、国家社会主義ドイツ労働者党の組織だった。

 船体は仲間の船に曳航されていたが、紐が切れて漂流したでしょ。

昭南丸の乗組員にも、けがはなかったですね。

そのアディ・ギル号から流出したと思われるのが、4本のボウガンだったのですよ。

 アデイ・ギル号は、止まっていたところに第2昭南丸が突っ込んできたといってますね。

でも、第2昭南丸の映像も、シーシェパード側の映像も、アデイ・ギル号の方から接近していった動きを記録していたのです。

映像記録によれば第2昭南丸は、警告音を鳴らし続けていました。

 アデイ・ギル号から何か投げ込まれるのは、いつもの例からいってあきらかでしょ。

しかも、しつように衝突ぎりぎりの距離まで接近しようとしてたのです。

 そして、衝突現場の付近にボウガン。

 ふつう、海にないはずでしょ。

 それも、4本も。

 アデイ・ギル号が、ボウガンを使用する気でいたことは十分想像できますね。

もし、アデイ・ギル号がボウガンを放っていたら負傷者はもちろん、最悪の場合死者がでていたでしょうね。

 ボウガンについて、シーシェパードはとぼける気でしょうけど。

それでは、だれがボウガンを持っていたかですよ。

 日本としては、テロには断固屈せずという声が高まりこそすれ、捕鯨を控えようという声は言い出しづらくなったのでは。

もし、捕鯨自粛をすれば、世界中のテロリストを付け上がらせる結果になるでしょうね。

 従来の方法でさえ、心身に恐怖を与え自らの主張に従わせようとする。

 これが、テロリストの手法でないなら、この世界にテロリストはいないことになるでしょう。

多くの支持者がいることを示す、平和的なデモンストレーション行動とは明らかに異質ですよね。

しかし、たとえ平和的であってもテロリストまがいの集団と一線を画すのでなければ、テロリストの隠れ蓑とみなされ、最終的には孤立に追い込まれるでしょうね。

 アディ・ギル号は、ニュージーランドに船籍があったでしょ。

 ボウガンで犠牲者がでていたら、ニュージーランドはどう釈明したでしょうかね。

さあ。

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猿投山の名前を疑ってみる。

(1) 猿を海に投げたから。

(2) 山容が鐸(さなき)ににているから。

(3) 鐸(さなき)を木の枝につけて祭祀を行ったから。

(4) 大碓命薨去を悲しみ真歎山が猿投山(sanageyama)となったから。

(5) 狭い薙ぎ落としたように崩れた場所だから。

鐸(さなき)は、鐸(たく)とも呼ばれるのです。

 銅鐸が、よく知られるのよね。

鐸(さなき)あるいは鐸(たく)は、中国古代の鈴の一種です。
「ぬて」「ぬりて」「鐸鈴」とも、呼ばれるのです。

 風鈴の意味も、あるでしょ。

ええ。

鈴としての鐸(さなき)は、銅または青銅製の扁平な釣り鐘形で、中に舌があり、上方の細長い柄を持って振り鳴らすものです。
舌が木製のものを木鐸(ぼくたく)、金属製のものを金鐸というのです。

 今度は、なに言いたいの?

始めにあげた説は皆、猿投山の語源として伝えられるものです。

 それで?

標高628.9mの猿投山は、愛知県豊田市と瀬戸市にまたがる山です。
一等三角点が、瀬戸市側にあるのです。

山の名前には、さまざまな説がありながら未だに定説はないのです。

 三河高原の西端に位置し、愛知高原国定公園に含まれているのでしょ。

 山頂には、東海自然歩道が通っている。

古くから、山嶽信仰や巨石信仰の場として崇められてきた山でもあるのです。

 巨石には、いろいろな名前があるのよね。

菊石は、黒雲母花崗岩の結晶が球状で菊の花の花弁のように見えることから、この名があるのです。
「猿投山の球状花崗岩」の名称で、国の天然記念物に指定されているのです。

御船石(おふないし)は、花崗岩で出来ており、「祭神である大碓命が乗ってきた船が、石になった」という言い伝えがあるのです。

カエル石は、横から見るとカエルのように見えることから、命名されたのです。
この石には、「古代の磐座(いわくら)であった」という言い伝えもあるのです。
磐座は、神社の本殿にあたるものです。

屏風岩は、四角に切り落とされた岩が屏風のように重なっている事から、そう呼ばれるのです。

お倉岩は、三角柱の形をしている岩です。

 カエル石にある磐座説は、この山の信仰ともかかわっていそうですね。

 鐸(さなき)を木の枝につけて祭祀を行ったからという説は、信仰の山だったからなのでしょ。

 カエルと言えば、亀とともに水に通じるでしょ。

 鐸(さなき)の音は、雷やカエルの声の代わりに鳴らされたのかしら。

信仰の対象とされる山は、各地にあるのです。
でも、鐸(さなき)を木の枝につけて祭祀を行ったという説の伝わるところは珍しいのでは。

 そうですねえ。

 金属を巧みに扱った人々が、古代からこの地域にいたのかしら。

可能性は、考えても良いでしょ。

「この山で毒蛇にかまれ亡くなった」とされる大碓命の陵墓があり、山麓には大碓命が祭られている猿投神社があるのです。

式内社だけど、旧県社とされた神社です。

御祭神は大碓命で、配祀されるのは景行天皇と垂仁天皇です。

創建は白鳳朱雀年中など諸伝があるが、確かなことはわからないです。
猿投山南麓に本社とされる下宮が所在し、猿投山東峯に東宮、西峯に西宮が所在するのです。
東宮と西宮は合わせて奥宮とされ、下宮とともに猿投三社大明神と称するのです。

 猿投神社は、狭投神社とも書かれるでしょ。

ええ、「sanage」は、狭い薙ぎ落としたように崩れた場所だから「狭投」という説があるのですから。
 
 それが「猿投」と、いつしか変わったということかしら。

猿を海に投げたからという猿投の語源説は、この猿投神社に伝わるものです。

 投げられる猿も、災難ですねえ。

山麓の猿投神社の社蔵文書には、こう伝わるのです。

「景行天皇が伊勢国へ赴いた際に、かわいがっていた猿が不吉なことを行ったので、海へ投げ捨てた。その猿が今の猿投山に籠もって住んだとされることから、"猿投"と呼ばれるようになった」
 
 どんな、不吉なことしたのかしら。

さあ、でも天皇の猿投げ捨て伝承は名前にこじつけた感じが強いですねえ。

 大碓命薨去を悲しみ真歎山が猿投山って、一番わけがわからないですよ。

ですよねえ。

猿を投げると書いて「sanage」、いろいろ説が出るのは当て字だからかも。

 つまり、新説を立てたって良い。

「sanage」、「sanagi」似てるでしょ。

猿投山は、愛知県豊田市と瀬戸市にまたがるのです。

 豊田といえば、豊田織機から始まったトヨタ自動車で有名。

ええ、養蚕の盛んだった土地です。

隣の瀬戸は、陶器で有名です。

 あの辺りは、秦氏にかかわる場所でしょ。

つまり、「sanage」は蚕の「蛹(sanagi)」の転化だった可能性はないでしょうか。

 秦(hata)氏のhataは、機(hata)に通じますね。

さらに秦氏は、商工業に深くかかわった一族です。

秦氏は焼き物とも、関係があるとされる人々です。

 秦氏には、原始キリスト教徒説や、ユダヤ人キリスト教徒説があるでしょ。

古代イスラエル人は、エジプトにいたのです。

エジプトでは、猿は太陽の崇拝者。

ファラオは、地上の太陽神ラーと同一視された最高位の祭司。

日本の天皇も、太陽神の子孫とされた最高位の祭司。

初代神武を手引きしたのは、猿田彦。

猿投の猿は、この太陽神崇拝者の猿が、なんらかの繋がりがあるのかも。

 祭神の大碓命は、日本武尊で知られる小碓命の双子の兄にあたる。

 天皇ではない人物が祭神で、配祀されるのは景行天皇と垂仁天皇でしょ。

皇子が主神、天皇が配祀というのも不思議でしょ。

 まさか、御子イエスと複数で表される御父エロヒムと対応してるなんてことは?

 背後にいる秦氏には、原始キリスト教徒説や、ユダヤ人キリスト教徒説がある。

 キリスト教は、御父エロヒムではなく御子イエスが主神で構図は似てますよ。

疑うのは面白いけど、証拠を掴まないことにはねえ…。

女性神とされる天照大神だけれど、本来は男性神の天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊とされるのですよ。

祖先神がイザナギだけれど、その相方はイザナミ。

天照国照彦とイザナギとイザナミの構図とみても、間違えではないのでは。

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カリカリに焼く食文化、気づいてましたか。

鶏のクリスティアンって、知ってますか。

 鶏のクリスチャン、鶏がお祈りするのですか。

 オウムや九官鳥が、祈りの言葉を真似するなら、想像できるけど。

料理の話ですよ。

フランス人は、鶏肉をグリルしたり煮たりした料理が好物だそうです。

鶏のクリスティアンは、グリルした鶏のカリカリした食感を味わうわけですね。

フランス人は、鶏のクリスティアンを取り合いするほど好きだそうです。

 カリカリの鶏肉といえば、北京ダックが有名でしょ。

 北京ダックは、代表的な北京料理のひとつですよね。

中国語で北京烤鴨(ペイジンカオヤー Beijing Kaoya)と書く、下処理したアヒルを丸ごと焼く料理です。
香港では北京填鴨(パッケンティンアッ Bakging Tin'ap)、台湾では北平烤鴨(ペイピンカオヤー Beiping Kaoya)とも呼ばれるそうです。

 北京ダックは、皮の料理が有名でしょ。

丸焼きした鶏を、すべて味わう料理ですけどね。
北京ダックで知られるのは、パリパリに焼いたアヒルの皮を削ぎ切りにして作った料理が多いのです。

皮だけを薄く削ぐ店と、ある程度肉も付けて切る店があるようです。
小麦粉を焼いて作った「薄餅(バオビン)」または「荷葉餅(ホーイエビン)」と呼ばれる皮に、ネギ、キュウリや甜麺醤と共に包んで食べる料理ですよね。

 残りの肉も、当然調理するでしょ。

ええ。
無駄なくアヒルの全ての部位を楽しむ事が、出来る料理です。

 北京ダックの名前で、出ないだけですね。

コース料理の場合は、残った肉の部位は肉料理に加工して食べるわけですね。

骨のがらは、白濁した「鴨湯」(ヤータン)と呼ばれるスープを作るのに用いるそうです。
通常は皮、肉、骨の三点セットだが、水かき(鴨掌、ヤージャン)はゆでて辛子和えにし、肝臓は素揚げにして食べる事もあるようです。
脳や舌も、出す店があるといいますよ。

 カリカリに焼いた鶏肉を味わう料理が、フランスと中国にあるって面白いですね。

北京烤鴨と呼ばれるように、北京生まれの料理と思われがちですね。

 違うの。

南京の別称である「金陵」を冠し、「金陵烤鴨」とも呼ばれたことがあります。

 南京で、元祖金陵ダックを食べました。

 北京ダックとの大きな違いは、味には感じられないでしたね。

 でも、焼き方に大きな違いがあるのね。
 
 北京ダックは、吊るして密閉炉の中で焼くの。

 一方金陵ダックは叉焼といって、さすまたにさして、火の上にかざして焼くの。
 炉は、開口炉ですね。
 
 これも皮のパリパリを味わう広東料理の子ブタの丸焼も 、開口炉でさすまたにさして焼くの。

 ありゃ、横道にそれましたか。

いえいえ。

情報、ありがとう。

南京の歴史は、春秋時代に呉がこの地に城を築いたことに始まります。
金陵の名は、戦国時代に呉を征服した楚が付けたそうです。

北京には、明の永楽帝が15世紀にアヒル料理の盛んな南京から遷都した際に原型となる「叉焼鴨」が伝えられたといいますよ。
その後、北京で宮廷料理にまで発達したといわれます。

呉は、紀元前585年頃から紀元前473年に、現在の蘇州周辺を支配した中国の春秋時代に存在した君国の一つです。
君主の姓は姫で、元の国号は句呉です。

 地名としての呉は、中国江蘇省のうち長江以南の地域を指すでしょ。

長江以南といえば、現代日本の稲作文化の元となった弥生時代との関連が言われますね。

 日本で表面をカリカリに焼く、美味しい食品っていえば焼きおにぎりですよね。

 醤油や味噌を付けて焼くと、香ばしいの。

 フランスや中国の、鶏の丸焼きと焼きおにぎりが似てるって、何か不思議。

長江文化を考えると、西方が見えますよね。

 西方から、鶏の丸焼きのカリカリした食感を味わう文化が長江南部に伝わったのかしら。

 鳥の丸焼きを味わう文化は、北に行って北京ダックになって、日本に向かって焼きおにぎりを生んだのかな。

鶏の丸焼きではないけど、焼いた表面をこそげる肉料理にトルコのドネルケバブがありますよね。

 材料は、鶏のほかに羊を使うでしょ。

中東や小アジアのあたりにあった料理に、焼いた皮を味わう北京ダックの起源を求めても良いのかも知れないですね。

 トルコは日本に、日本人の思っている以上に親近感を持ってるでしょ。

 彼らから見て、何か文化に類似が見えるのかなあ。

 まさか、カリカリ感を味わうドネルケバブと焼きおにぎりに、共通点を見てるとか。

ヨーロッパと中国と日本、中東をはさんで意外なつながりがあるのでしょうかね。

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