ムエタイと相撲の関係を疑ってみると。
格闘技の一種とされるムエタイ(มวยไทย)は、タイの国技です。
英語で、Muay ThaiとかThai boxingと呼ばれるでしょ。
ムエタイは、両手、両肘、両脚、両膝の八箇所を用いて相手と戦うのです。
日本ではタイ式キックボクシングとも言われるケースがあるが、正しくはタイ式ボクシングなのです。
キックボクシングは空手、ムエタイ、ボクシング等を元に日本で作られ、厳密には違う競技だからです。
ヨーロッパでは、タイ式ボクシングの意味でタイボクシング(Thai boxing、)と呼ばれることが多いです。
日本ではムエタイの語で定着しているが、発音的にはムアイタイが正しいそうです。
ムアイタイとは、ムアイはクメール語で1をさし、1対1の格闘のことであるため「タイ式の戦い」となるのです。
ついでにいうと、レスリングはタイ語でプラーンなので、タイ語ではムアイプーランというそうです。
ムエタイ選手は、試合開始前に踊るでしょ。
ワイクルーと呼ばれる踊りですね。
そういえば、琉球空手の起源に「田舎の舞方」から発展したと、言う説もあるのよね。
沖縄方言で舞方(メーカタ)は踊りの意味で、田舎の武術的要素をもった琉球舞踊から沖縄空手が生まれたと見られていますね。
踊りの振りから沖縄固有の武術「手(ティー)」が生まれ、空手へと発展したと見る説よね。
ワイクルーと呼ばれる踊りには、いくつかの目的があるのです。
自分のトレーナーに感謝を捧げる。
神に勝利を願う。
試合前の闘争心を高める。
ムエタイは立ち技世界最強と名高いけど、ボクシングのような打ち合いはあまり期待できないです。
ムエタイの試合は、5ラウンドあるのです
1、2ラウンドは、様子見に終始します。
賭ける客がその様子を見て選手の調子を判断し、どちらに賭けるか決めるという意味合いもあります。
ムエタイは、国技とされる一方で、賭けの対象でもあるからです。
そういえば、日本の相撲も国技とされる一方で賭けの対象にする人がいると聞きます。
それで、八百長相撲のうわさは絶えないかしらね。
ムエタイは国技である上、試合は賭けの対象でもあるため八百長に対しては非常に厳しいそうですね。
実際にバンコクの二大殿堂では、スポーツとしてではなく賭けの対象として観戦している観衆が大半を占めるのだそうです。
八百長試合が発覚すれば、当事者はタイ国内法により罰せられるというのですよ。
実際に八百長を疑われる試合では、観客からのブーイングにより試合が成立しないこともあるのですって。
そしてそれ以降のラウンドは、延々と首相撲の攻防が繰り返される試合がほとんどですと。
派手な殴り合いを期待をして観戦すると、首相撲が頻繁に行われるけど。
そのために、馴れ合いみたいに見えることもあるかも。
首相撲の攻防には、とても技術的な駆け引きが行われているそうです。
レベルが高くなればなるほど、まず、まともに攻撃を食らうことはないのですって。
それで、馴れ合っていると勘違いされやすいわけですか。
タイ人は基本的に小柄なので、ボクシングの重量級などで見られるような試合でのKOはほとんどないですね。
KOが頻発すると、かえって八百長が疑われてしまうそうです。
じゃあ、判定試合がほとんどになるでしょ。
それでも会場に熱気があるのは、興行が賭けによって成り立ち、またクリンチに見間違える首相撲が、実は高い技術のぶつかり合いだからですって。
日本で首相撲って言えば、首に紐をかけて引っ張る遊びだからずいぶん違うのね。
文化の違いかも。
相撲といえば、琉球空手には沖縄相撲であるシマからの発展説もあるのよね。
沖縄相撲であるシマが、舞方(メーカタ)の振り付けと沖縄空手の双方の起源かも知れないのでしょ。
面白いことにムエタイの村の試合では、ときに日本の相撲の花相撲に演出が加えられたような試合が行われることもあるそうです。
花相撲の由来は、奈良時代に遡ります。
相撲節会(すまひのせちえ)という宮中儀式が、奈良時代から平安時代にかけて行われされました。
東方力士が勝つと朝日を受けて咲く葵(あおい)の花、西方力士が勝つと夕日を受けて咲く夕顔(ひょうたん)の花を自分の髪に差して退場しました。
力士は、その花を食料品や衣類に交換して褒美として受け取ったのです。
江戸時代に入ると、相撲興行が組織化されます。
客は贔屓力士や郷土力士が勝つと、土俵に自分の羽織や煙草盆を投げ入れられました。
力士は、これらを支度部屋に持ち帰り、客は帰りに支度部屋の力士を訪ねて引き換えに祝儀を与えられました。
この祝儀も、纏頭(はな)と呼ばれました。
祝儀すなわち花だけで興行していたため、花相撲とも言われたのです。
こういう祝儀を送る風習が、ムエタイにあるのも面白いね。
相撲とムエタイも、どこかでつながっていそうね。
日本人の祖先には、タイやインドシナあたりから来ている人々がいるからありえますね。
格闘技としてのムエタイは、他国の侵攻に対抗するための古式ムエタイに起源を持つのです。
古式ムエタイは、タイ語でมวยโบราณ(ムエボーラン)と言うのです。
タイのムエタイが競技化する前の、素手素足を主とする戦闘技法です。
実際には、手に紐を巻いたりしたようですね。
それが今では、グローブになっている。
そうですね。
古式ムエタイの名称は、伝統的にはパフユッつまりシャム拳法と呼ばれます。
古式ムエタイがいつ興ったものかは、はっきりしていないそうです。
各民族の戦闘術と関わりながら、徐々に発展していったと見られてるのです。
素手素足の格闘の技術が、古式ムエタイの原型になっているのは確かなようです。
その素手素足の格闘って、相撲だったりして。
相撲も突きや払いなど、両手両足を使う共通点があるのですよね。
起源を共有している可能性、あるかもね。
調べたら面白いかも。
でも、琉球空手との関係のほうが強いかも。
踊りで、つながっているからね。
古式ムエタイは伝説では、『ラーマーヤナ』のラーマ王子を始祖としてるのです。
シャムがミャンマーの属領とされていた1584年頃に、ナレースワン大王がミャンマーのタウングー王朝との戦争に勝って独立を回復しました。
『チュー・バサート(戦勝論)』は、この独立の時に既に古式ムエタイが大きな役割を果たしたと記すといいます。
これが事実なら、少なくとも400年以上の歴史があることになるのね。
一方、琉球空手の中国起源説としては、久米三十六姓導入説があるのです。
1392年、那覇の久米村(クニンダ)に、当時の明の福建省から「ビン人三十六姓」と呼ばれる職能集団が移住があったといいます。
「ビン人三十六姓」と呼ばれる職能集団は、琉球に先進的な学芸、技能等を齎したと言うのでしょ。
彼らが、空手の起源となる中国拳法も齎したと見られています。
1368年から1644年まで続いた明代には中国南部の福建省にあった南少林寺(福建少林寺)を起源とする、南派少林拳と呼ばれる武術の存在が確認されつつあるのです。
時期としては、非常に近いね。
久米村(クニンダ)って、音は違っても久米(クメ)ってあるでしょ。
久米には、クメール起源説があるのよね。
人のミトコンドリアDNAのタイプであるハプログループには、80パターンがあるのです。
日本の主なミトコンドリアのDNAは、そのうちの16タイプなのです。
日本人のルーツ探しに大きくかかわるのは、この16のハプログループなのです。
主なということは、少数派も含めれば、もっとあるってことかも知れない。
16のDNAパターンは、以下の通りです。
A、B4、B5、C、D4、D5、F、G、M7a、M7b、M7c、M8a、M10、N9a、N9b、Z
Dグループは、Fグループとともに東南アジアとのつながりも大きいのです。
つまり、タイの辺りも日本人の先祖と関わりがありそうね。
久米村(クニンダ)が、琉球空手と南派少林拳とムエタイをつなぐ鍵を握っているのかも。
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