胡瓜封じ
夏の暑い盛りに行われる「胡瓜封じ」は、病気・病弱の人や、病気予防に病の邪気を、真言密教の法にて加持祈祷し胡瓜に封じ込めるという「夏越しの祈祷会」です。
日本で始めたのは、弘法大師でしたね。
弘法大師は一切衆生の病苦、悪業の根を断ち切って、病苦を和らげ、業病、難病からのがれ、丈夫で長生きし、安楽に往生できるようにとその願を込め不動尊を祀りはじめたのです。
そして、胡瓜封じの秘法を残したのです。
これは、薬では治せない病気を治してしまうとされているのです。
恋の病は、無理でしょ。
当然ですね。
胡瓜は、一本が一人分です。
家族が多いと、何本も要るのでしょ。
祈祷してほしい人数分だけ、要るのです。
胡瓜封じを行うには、まずお寺で胡瓜をいただいて、お加持が済んだら胡瓜をいただくのです。
食べるわけではない。
食べないですよ。
「胡瓜封じ」は、胡瓜を我々の身代わりに見立て、我々の邪気や病根を護符と共に胡瓜に封じ込み、胡瓜に持ち去って頂こうとする呪術です。
胡瓜に護符を埋め、加持をしてもらった胡瓜を家に持ち帰り、自分の悪いところを3日間その胡瓜でご真言を唱えながら撫でるのです。
そして、4日目の朝に疫を移しとった胡瓜を、川に流すか、人の踏まない清浄な土に埋めるかして悪いものを祓うのです。
川に流すか土に埋めるかして封じた胡瓜は、速やかに消滅し、病気や邪気が消滅することを願う呪物なのです。
流し雛と似てる。
流し雛は、埋めないけど。
人形(ひとがた)は、意識しているでしょうね。
胡瓜が人間の立った姿に似ていることと、胡瓜を輪切りにした切り口が転法輪に似ていることから、胡瓜に封じると言われるのです。
「転法輪」とは、仏具の一種で、仏陀とされる釈迦が法を転じる教えを説法している姿をシンボライズしたものです。
胡瓜の中に転法輪が有ると言うことは、胡瓜が仏陀そのものであり、我々の身代わりとしてはこれ以上のものはないとされているのです。
また、仏陀に救いを求める意味も大きいと言われるのです。
胡瓜には、お盆にも出番があるでしょ。
茄子の牛とともに胡瓜の馬が、そなえられるのですよね。
彼岸より胡瓜の馬で早く来て、此岸より茄子の牛でゆっくり帰ってほしい、そういう思いの表現とされているのです。
でも、胡瓜封じでは胡瓜を人に見立てたでしょ。
一説には、「精霊が胡瓜の馬に乗り、牛には荷物を乗せて楽に帰れるように」という意味が込められているとも言われているのです。
確かに、定説がないですね。
厄払いの人形(ひとがた)には、案山子のような天児(あまがつ)と這い這いする赤子を模った布の人形(ひとがた)の這子(ほうこ)があるでしょ。
茄子の牛と胡瓜の馬というけど、実は這子と天児とではないでしょうか。
盆は、霊の彼岸と生の此岸の境が開くでしょ。
そういえば、精霊馬といって胡瓜や茄子で動物を模るけど、精霊牛とは言わないですね。
つまり、茄子も胡瓜も、本当に意味しているのは、馬ではないのかしら。
茄子の色は紫だけど黒にもみたてられ、胡瓜の色は緑だけど黒のほか青にもみたてられるのです。
牛は丑に通じて、ほぼ北に近い解釈をされるのです。
馬は午に通じて、南に配されるのです。
もし、茄子も胡瓜も馬、つまり南に配される午とすれば、まさに子午線を表すですね。
西に配される白は、陰の色でしょ。
茄子も胡瓜も、切れば中は白が見える。
陰に配される白も、あるでしょ。
となると、胡瓜封じは陽の青と陰の白で、滅びと復活の呪術である禊になるのです。
禊は、清めの儀式でしょ。
ええ。
さらに、茄子と胡瓜の精霊馬は東西南北の十字が表現されるのです。
茄子の紫と胡瓜の緑が北の黒、また、胡瓜の緑は東の青でもあり、茄子と胡瓜の切り口の白が西、精霊馬の馬は午に通じ南、ですね。
陰陽で陰の厄払いの呪術とされる、十字切りが隠された儀式が精霊馬なのかも。
悪しき霊を退けながら、祖霊を安心して向かえる呪術が精霊馬の目的なのかしら。
厄を精霊馬に乗せて、祖霊や神仏に持ち去ってもらいたいという思惑もあるのでは。
ありえるですね。
人の苦しみを背負って犠牲になり、十字を切られる、まるでイエスでしょ。
イエスも、胡瓜にたとえられたら苦笑してるかも。
そういえば、昔の胡瓜は苦味が強かったと聞きますよ。
果柄に近い肩の部分、胡瓜のヘタにククルビタシンと言う配糖体である炭水化物が含まれるのです。
このククルビタシンが酵素・エステラーゼによってアグリコンと言う物質になり、苦みをだすと言われます。
ククルビタシンはいくつかの 種類があるが、その中の一種は抗腫瘍作用があり、毒性も少ないことが知られてます。
今の胡瓜にはこのククルビタシンが含まれていないので、昔の様に苦い胡瓜が姿を消したのです。
なお、窒素肥料を多くやり過ぎたり、成熟期に高温で乾燥した気候が続くと、時には、昔懐かしの苦い胡瓜にお目にかかれます。
この苦さで思い起こすのが、ニガヨモギですね。
ヨハネによる黙示録には、こうあるのです。
第三の御使いが、ラッパを吹き鳴らした。
すると、たいまつのように燃えている大きな星が、空から落ちてきた。
そしてそれは、川の三分の一とその水源との上に落ちた。
この星の名は、ニガヨモギと言い、水の三分の一がニガヨモギのように苦くなった。
水が苦くなったので、そのために多くの人が死んだ…。
もっとも聖書に出てくるニガヨモギは、どうやら学名Artemisia judaica だとする説が有力です。
Artemisia absinthiumと近縁の植物だが、別種です。
こんな胡瓜に、厄除け呪術があるのは面白いですね。
胡瓜属するウリ科の食物は、薬膳では利尿作用があるでしょ。
それに、熱を取り除く作用がある。
つまり、暑気あたりに効くの。
そう言った薬効と胡瓜封じの祈祷は、少なからず関係しているのじゃないかしら。
人の形に似ている野菜は、他にもあるもの。
なぜ、大根や人参でなく、胡瓜かってのは、確かに不思議です。
胡瓜は河童にも絡む、奇妙な作物ですねえ。
木瓜(もっこう)紋は、その名のとおり木瓜(ぼけ)の花の図案化とされるほか、胡瓜の切り口の図案化といわれます
実際は木瓜紋の名は日唐貿易の際、唐から輸入された御簾(みす)や御帳(みちょう)の周囲にめぐらした絹布の帽額(もこう)に付けられていた文様だったことによるそうです。
帽額は、帷(かたびら)のように表面に襞をとりながら掛ける、御簾の上部、上長押(うえなげし)などで横に長く引きまわされている一幅の布で、額(ひたい)の部分に当たる横幕のことです。
胡瓜の切り口は、さまざまな宗教などにかかわる文様と似てますね。
どっちが先かはともかく、こんなところも、胡瓜と厄除けがつながる理由になっているのかも。
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コメント
きゅうりとだいこんとにんじんなぜちがうかだいこんやにんじんは地中野菜にて身体を温めるもので本来冬野菜ですそれに比べてきゅうりなどのウリ科は地上野菜で身体を冷やす働きをする夏野菜ですしかしこの厚い時期にあまり夏野菜ばかり食するとかえって内臓が冷え身体を悪くしますそれで祓えをするのです。
投稿: akira | 2010年7月19日 (月) 10時27分
面白い解釈、ありがとうございます。
投稿: cova | 2010年7月19日 (月) 15時07分