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2010年4月

ギリシャと日本と古代イスラエル?

太陽神に、ギリシャ神話の「Ἥλιος(ヘーリオス)」がいるのですね。
ギリシャ語の「オス」は「(なんとか)人」「(なんとか)教徒」という意味です。

 ヘーリオスとは、「ヘーの民」と解釈してもいいのかもしれないでしょ。

「ギリシャに「へーの神」つまり、「ヤハウエの神」をあがめる人々がいた」 と、いっていいのかです。

 「へー」を「ラー」の転化とみても、いい。

ギリシャとエジプトの交流の深さからいえば、ラー信仰がわたっていても不思議ではないですよね。

 「ギリシャ」の「ギリ」は、「ラー」の転化とみてもいいの。

「ギリシャ」は、日本との比較がよくされる国です。

神話が似ている。
和裁のハサミはギリシャタイプ。
指先の一直線にそろう足はギリシャタイプ。 (ここを訂正します。追記参照)

先のとがったローマタイプの靴を、自分の足の形も考えずに履いたことが原因と聞いたことがあるのです。

 そういえば、外反母趾は日本女性の多くが悩まされましたねえ。

世界で言う三大美人は、クレオパトラ7世、ヘレネ、楊貴妃です。

 ヘレネは、ギリシア神話に登場する女性よね。

ちなみに、ミロのビーナスもまた、古代ギリシャが生んだ世界が認める美の傑作です。

そして、典型的秋田美人がミロのビーナスとその輪郭・目鼻立が瓜二つというのです。

 日本で言う世界三大美人ではヘレネの位置に小野小町が、きますけどね。
 
 秋田美人の典型がミロのビーナスであれば、小野小町とヘレナはどちらもギリシャ美人になるの。
 小野小町は、クレオパトラ7世、ヘレネ、楊貴妃で、ヘレネと並ぶ美女となっても良い位の世界的美女だった可能性があるのね。

クレオパトラとヘレナは、ギリシャ美人と言って良いでしょうね。

 クレオパトラも、ギリシャ系でしたね。

ここで気になるのは、平安美人の条件であった「瓜実顔」と「ひき目」と「かぎ鼻」です。
 
 目や鼻の形を絵巻などで見ると、すっとひかれた目、漢文の返り点のような鼻、よね。

秋田美人の顔の特徴を、誇張したらどうかです。

 あ、「ひき目」と「かぎ鼻」で描けませんか。
 しかも「瓜実顔」よ。

当然でしょうね。

平安美人の条件であった「瓜実顔」と「ひき目」と「かぎ鼻」、これの典型が秋田美人ですよ。

 逆に言うと、ヘレナもクレオパトラも秋田美人だった、なんてね。

楊貴妃も、ギリシャ美人だった可能性あるのですよ。

 ヘレナもクレオパトラも楊貴妃も秋田美人だった、なんてね。

ギリシャ美人と秋田美人を、同質と見ればそうですけど…。

 だって、典型的秋田美人がミロのビーナス。

古典ギリシア語ではカオスはΧάοςと表され、英語Chaosからの読み方で、ケイオスとも言うギリシア神話に登場する原初神です。
同じ古代ギリシャ語の、「亀裂、スリットまたはギャップ」を意味するχάσμαからきているそうです。

カオスの原義は、大きく開いた口、空っぽな空間の事だったらしいです。

 老荘思想の言う根源の存在「玄(げん)」や「玄(げん)の玄(げん)」を連想させられますね。

「玄」や「玄の玄」もまた、限りない闇にして原初の空っぽな空間でした。
カオスは、ギリシャ語で「混沌」や「無秩序」を表す言葉でもあるというのです。

カオスはしばしば、秩序の正反対で、通常の予測が不可能ということとされるのです。
それで、日常でも、混沌としている様子や雑然とした場所などについて、「カオス」と形容することがあるのです。

 カオスは、文脈や展開的に支離滅裂になった場合にもしばしば使用されるのね。

神としてのカオスは、この世が始まったとき最初に無の空間に誕生したとされる混沌を神格化した存在です。

古事記の「浮べる脂の如くして、くらげなすただよへる時…」や、創世記にある「地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり…」に通じるといえるのです。

 古事記・日本書紀や聖書に通じるものは老荘思想は道教や道家の基礎とされ、道家思想にも見えると指摘する易経研究家もいるね。

古代イスラエルのいたエジプトとギリシャの関係を思えば、道家と聖書のつながりや、老荘思想とカオスの類似と、似たようになることはありえるといえるのです。
謎が多いのは日本とギリシャだけれど、神話や裁縫の裁ちばさみ、ギリシャ的な足指や、老荘思想の日本への伝播などを思えば、妙にうなずけるのです。

カオスは、一人で、大地であるガイア、奈落であるタルタロス、愛とも別説有とも言われるエロース、暗黒のエレボス、夜をつかさどるニュクスといった神々を生んだ神です。
カオスのこういうところは、原義の大きく開いた口や空っぽな空間が実は子宮の象徴であって、さまざまな神を生んだイザナミや、地母神に通じているのではという感じもあるのです。

なお、大地のガイアと奈落のタルタロスには、混沌のカオスと同時に生まれたという説もあるのです。
こんなところは、アマテラスとスサノオとツクヨミが一緒に生まれたとする古事記を連想できるです。

日本書紀におけるヤマタノオロチ退治の話にも、高天原を追放されたスサノオは新羅に降りたが、「ここにはいたくない」と言って出雲へ向かうのがあるのです。

この時、スサノオの子のイソタケル(五十猛神)は高天原から持って来た木々の種を新羅には植えず大八洲国と呼ばれていた日本に撒いたので、大八洲国は青々とした地になったとしているのです。

 これは、ギリシャのデメテル神話に類似しているのねえ。

はい。
日本の神話には、ギリシャとの類似を指摘する声が多いですよ。

アマテラスの岩戸隠れは、日本神話とギリシャ神話の類似例として挙げられるものの一つです。

 ギリシャ神話が日本書紀や古事記に伝播しているとしたら、一体どのような手段で広がるの。
 想像すると、ワクワクするね。

デメテル、またはデーメーテールは、ギリシア神話に登場する女神ですね。
豊穣神であり、穀物の栽培を人間に教えた神とされるのです。
オリュンポス十二神の一柱で、「掟をもたらす者」という意味の「デーメーテール・テスモポリス」という添名があるのです。

ギリシャ神話も、日本神話も、けっこう性的にあっけらかんなところが多いです。
 
 老荘思想も性的にあっけらかんであって、陰陽を女と男になぞらえる道家思想に通じますよね。

そして、飛鳥昭雄と三神たけるは陰陽はカッバーラといいます。

 ギリシャ神話、日本神話、老荘思想、聖書は陰陽でつながってるの。

飛鳥=三神コンビは、ギリシャと日本をヘブル人である古代イスラエルが結んでいると言い出しますかね。

追記

最近の研究では、外反母趾になりやすい足の傾向は、エジプトタイプだとされるようになってきました。

足指は、三つのタイプに分類されるといいます。

エジプト型と、ギリシャタイプと、スクエアタイプの三つです。

エジプト型は、親指が一番長く、小指にむけて短くなる形です。

日本人の6割から7割が、このエジプト型タイプと言われています。

親指が長い他に、足幅が広めな形です。

親指が側面から圧迫されやすいため、外反母趾になりやすいタイプの足の形です。

ギリシャ型は、親指より第2指が長い足の形です。

日本では、エジプト型に次いで多いです。

足先の細い靴を履いても、爪先に負担をかけることが少なく、外反母趾になりにくいタイプの足の形です。

ただし、指が曲がりやすく、ハンマートゥになりやすい足でもあります。

ハンマートゥとは足の指が曲がったまま、戻らなくなっている状態です。

スクエア型は、5本の指の長さに差がない足の形です。

日本人では珍しい足です。

幅の狭い靴を履くことで、指にタコやウオノメができやすいタイプの足の形です。

ただ、ギリシャ神話の神々は、エジプトとのかかわりが指摘されており、この二つの文明を荷った民の間の関係はどうであったか興味深いものがあります。

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揚子江と楊貴妃はかんけいあるか?

長江(ちょうこう)の中国語拼音字母はCháng Jiāng、別名チャン川(Chang River)です。

 全長は6,300kmで、中華人民共和国およびアジアで最長、世界でも第3位の長さよね。

その流域には成都、武漢、重慶などの重要工業都市、上海、南京などの商業都市を含む中国の19の省や市、自治区があるのです。

全流域の人口は、4億5000万にも達しているのです。

 古くから水上交易の盛んだった華中でも、中心的な交通路として利用されてきたのでしょ。

長江は青海省のチベット高原を水源地域とし、中国大陸の華中地域を流れ東シナ海へと注ぐ川です。

 長江と言えば、楊貴妃が生まれた蜀が流域にあったでしょ。

秦で前306年から前251のあいだ在位した昭襄王は、李冰(りひょう)を蜀守として岷江上流の都江堰(とこうえん)の治水灌漑事業に努めたのです。
前漢の高祖劉邦も、漢王としてこの地を根拠地に天下を治めたのです。

しかし一方では、劉備は諸葛亮の提言を聞き入れてここに221年から263年にかけて天下を3分する蜀漢を築いたのです。

華北が混乱する五胡十六国時代には、氐(テイ)族の成漢がたったのです。

 304年から347年の事ね。

唐末の混乱に続く五代十国の時代にも、907年から925年にかけて前蜀、934年から965年にかけて後蜀が、中原との交通を遮断して比較的安定した地方政権を樹立したのです。

長江中流の荊楚は、春秋・戦国時代には前689年から前278年の間営まれた楚の都郢(えい)を中心として、独自の文化が栄えた土地です。

上流の巴蜀は現在の四川省、中流の荊楚は現在の湖北・湖南省、下流の江南は現在の安徽・江蘇省に当たるのです。
巴蜀、荊楚、江南の3地域を横に結びつけ、各地域相互間の交流の役割を果たしてきたのが長江です。

 楊(よう)というから、下流の揚子江と関係あるかと思ってた。

 蜀があったのは、長江の上流だったのね。

揚子江の名は、揚州に由来するのです。

揚州市(ようしゅうし)は、中華人民共和国江蘇省に位置する地級市です。

 地級市(ちきゅうし)は、中華人民共和国の地方行政単位でしょ。
 地区、自治州、盟とともに二級行政単位を構成しているのよね。

 地方によっては「区級市」と呼ぶこともある、省クラスの行政単位と県クラスの行政単位の中間にある地区クラスの行政単位よね。

揚州は、本来「楊州」と書かれた漢代に置かれた13州の一つだったのです。
唐代に、表記を「揚州」と改められたのです。

漢字の偏としての「木」と「扌」は行書ではほとんど区別がつかず、よく混同されたのです。
「楊」と「揚」の両方が、用いられた時代も長いそうですよ。

 え、じゃあ、揚子江と楊貴妃は関係あるかもってこと。

さあ、どうでしょうね。
 
「揚」の字が現れるものとして古いものには『禹貢』という書や、中国最古の類語辞書ともいわれる漢代の『爾雅』などがあるのです。

「揚」の字に統一されたのは、唐代のことです。
唐代の途中で、「兗州」や「邗州」の名に改められた時期があるが、ほどなくして「揚州」に戻っているのです。

 じゃあ、楊貴妃と関係があるのでしょうか。

楊貴妃を生んだ一族となら、関係ありそうですね。

揚州は、江水とも呼ばれる揚子江を中心に、北は淮水から南は南嶺山脈までの地域のことです。
現在の江蘇省全体よりも広く、江南、つまり揚子江の南部の広大な地域をも含んでいたです。
魏晋南北朝においては、全国一の重要な地位を占める地域だったです。

楊州は北に徐州、豫州と接し、西は荊州、南は交州に接していたのです。

 楊州は三国時代、呉の孫策・孫権によって支配された土地でもあるのね。

楊州は南部が山岳地帯であるために、人も物資も北部に集中したのです。
このため、三国時代の呉では戦争が相次いで人口不足に陥り、兵力が減少して国が滅亡する一因を成したのです。

しかし楊州は中国南部の要衝地帯であり、晋滅亡後に建国された東晋は、楊州を本拠地としているのです。

 長江は日本では、最下流部の異称である「揚子江」の名で良く知られますね。

上海市の東シナ海河口から江西省湖口県までが、揚子江で知られる下流にあたるのです。

江西省湖口県から宜昌までが中流で、荊江の名があるのです。

湖北省宜昌市からチベット高原、四川盆地、三峡を経て青海省のタンラ山脈に至るまでが長江上流です。
最上流の通天河、四川西部の金沙江、四川東部の川江からなるのです。

上流の巳蜀は、長江とそこに注ぎ込む岷江(びんこう)、沱江・嘉陵江の沖積扇状地が構成する四川盆地です。
四方を山で囲まれた肥沃な地として、古来四塞・天府の国と称されているのです。

北方の褒斜道(ほうやどう)・故道・子午道などの山道によって、渭水盆地の関中と結ばれたのです。

東は三峽の名で知られる、瞿塘峽・巫峽・西陵峽の長江の難所によって荊楚に連なるのです。

 三峡といえば、ダムで広い範囲が水没しますね。

いったんそうした入蜀路が閉されてしまえば、巴蜀は別天地となるのです。

 それはともかく、長江文明って今の四川省付近に始まり浙江省あたりまで範囲を広げていったと見られているでしょ。

長江文明は、中国長江流域で起こった古代文明の総称ですよね。

 黄河文明と共に、中国文明の代表とされますね。

文明の時期として、紀元前14000年ごろから紀元前1000年頃までが範囲に入るのです。

 稲作などは、長江文明から海を渡って日本や朝鮮に伝わったという説もあるでしょ。

あるのですね。

三星堆遺跡が見つかった四川省付近が、楊貴妃の生まれた蜀のあった土地です。

河姆渡遺跡が見つかった浙江省のあたりは、揚子江に近い土地です。

ともに、長江文明としてなんらかの関連があるとして調べられているのです。

 つまり、揚子江は楊貴妃を生んだ一族にちなんでついた地名である可能性は否定できないでしょ。

そうですねえ。

 揚州は日本にとてもゆかりの深い都市ですよね。
 鑑真和上の生まれたところでしょ。

 大明寺というお寺は奈良の唐招提寺そっくりなのね。

 日本から友好の証しとして、日本最古の肖像彫刻国宝鑑真像を模した鑑真像を贈ったのね。

 同じ形のお寺に、同じ形の塑像が東シナ海を隔てて祀られているのですね。

 また、水路を利用して商売が盛んとなり、気候風土と相まってとても栄えた都市だったんですよね。

 あの有名な満漢全席も揚州で生まれたものだしね。
 
 文人では揚州八怪を輩出しているし、揚州は文化の中心だったんですよ。

 今回の話と、関係なかったかしら。

いえいえ、どうも江南って古くから日本と関わりが強い地域なようですね。

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デザインとしての日の丸をネタにしてみた。

余白とか、余韻っていうでしょ。

 余白って、描き残った部分ではないのね。

残ったのではないですよ。

 残したわけね。

そこは、どうやっても描けないから、描かないのです。

 無が、強烈な自己主張をしている。

私の邪魔をするなと、無が自己主張しているのです。

 そういえば、日の丸は大部分が余白ね。

 でも、描こうとすると、余白の部分には何も描けない。

 落書きなら、描けるかもしれないですけど。

 てゆうか、芸術にできるくらいなら、こんなとこで油売ってません。

こんなとこで、わるかったですね。

 どこが?
 
白は白であって、白ではない。

無は無であって、無ではない。

 無は陰である。

 そういうことですか。

ええ。

日の丸はまさに、陽の赤い円と、陰の白い余白とから、出来ていると言って良いかも。

 陰陽では、赤は地、白は西、でしょ。

 そして、白と西の陰は魂の世界でもありますね。

 さらに、円は天を表し陰に配される。

 日の丸って、陽の地が陰に覆われた姿ではないかしら。

 そして、陰は魂、魂の世界の中心に神は居られる。

 天を表す円は、地を表す赤で占められる。

 天にあるように、地にもあるように。

 似た言葉、聖書にありませんか。

そうですね。

 その日の丸を、国を現す旗印に使い続けた日本って、神道の国でしょ。

神ながらの道が、神道の意味ですね。

 聖書やコーランも、神の道を歩めと求めていませんか。

いますね。

 日の丸と、聖書とコーラン、繋がりませんか。

日本とチベットには、古代中東の遺伝子が残っているから、そう見えると言う解釈だってありかも。

 それだけで、説明つきますか。

難しいかも。

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電界通信。

体の周りに電界が誰にでもあって、ほぼ同じ大きさで、さまざまな周波数が混在しています。

周囲の電界に影響されます。

 電界じゃない、電場と言う人がいますね。

理学系が電場、工学系が電界、という傾向があるので、この種の突っ込みはどうしても出ます。
ちなみに理学系が磁場、工学系が磁界、理学系が超伝導、工学系が超電導、という傾向があります。
 
 電界とは違うかなあ。

なんですか。

 冬場気になったのは、、静電気ですね。

 15匹飼猫飼ってます。
 さわるだけでピリッと、、電位差が大きい猫と さわってもなんともない電位の同じ猫がいます。

 う~む。。この個体差はどうして発生するのなあ~?

そうですねえ。
 
 私はすごく帯電しやすくて、冬は静電気が恐怖です。

 仕事がら、帯電するとまずい場合もあったのでねえ。
 帯電防止の作業服に帯電防止の安全靴はいて、 それでも一人だけ静電気帯びてました…。
 なんでだろ~。

人でも猫でも、個体差があるって面白いですね。

 確かに体は、、いろんな電気磁気信号が行きかっていますね。

 脳波も電気信号ですし。

まあ、体の電界にはいろんな原因はあるでしょうね。

 電源の入ったテレビに触れたら、テレビの電界に影響されるの?

その分、元の電界より強くなります。

でも、電源を切ったり離れれば、テレビの影響分はなくなって、元の電界の大きさに戻るのです。

人に微弱な電気を流すと、人体の電界は多少強くなり検出しやすくなります。

 そのわずかな電界の変化にデータを与え、情報通信が実現できますね。

対象に接触するという動作によって、認証や情報交換などを行うことが可能となります。

たとえば、カードを用い、個人別に電界を通じて情報を周波数で伝えられます。
カードから体の電界で装置に個人の識別情報を送り、装置からカードにその人宛のメッセージを送信可能です。

ドアノブを持つことで認証を行い、開錠するなど鍵にもなります。

 握手することで、アドレス交換も可能ですね。

電界を通じて、音楽などの情報を共有することもできます。

 相当大勢でも、ですか。

かなり大人数でも、情報の質を落とすことなく、伝達できます。

このように、人体や物の表面に発生する「電界」を利用してデータ通信を行う技術を、電界通信といいます。

 人体通信と表現されることも、あるでしょ。

ええ。

日常的で自然な動作に、通信の機会を溶け込ませることができます。

 接近だけではなく、接触しないと伝わらないわけですか。

情報を取ろうとする相手の体と、何らかの形で接触しないと情報は取れません。

体の電界を使用すれば、椅子に座っただけで心電図も取れる仕組みも、デジタル技術をもちいてできます。

 健康管理も簡単になりますね。

救急治療でも、ベッドに乗るだけで心電図が取れます。

 トイレでも、乗るだけで心電図が取れる。

そう。

心筋梗塞の検知が簡単になります。

体の電界の測定結果も、腕時計型心電図記録装置ができれば、看護士が手などに触れるだけで情報伝達も可です。

 でも、看護士がすごい好みのタイプだと、心電図が乱れたりしない?

ちょっと心配ですか?

 情報を取ろうとする相手と、何らかの形で文字通りの接触しないと情報は取れないので情報管理の手法も様変わりするでしょ。

さりげない握手やダミーをもちいた情報収集に対する対策などに、課題があるともいえるかも。

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カールドゥライスとなれ鮨?

カールドゥライス(Curd rice)と言うのを、聞いたことありますか。

 カレーライス(Curry rice)と、違うの。

ヨーグルトライス(Yogurt rice)とも、呼ばれる別のものです。
カールドゥは、液状の酸味がある無糖ヨーグルトなのです。

 インドには、カレーライスと呼ばれる料理はないの。

カレーライスは、インドを植民地化したイギリスで生まれた料理なのです。
 
カールドゥライスは、カルナタカ 、 ケララ 、 アーンドラプラデーシュ 、 タミールナードゥなどインド南部の州でとても一般的な料理です。

カールドゥとは、乳汁が酵素や酸の作用で凝固したものです。
チーズやヨーグルト製造時に、生じます。

 カード(Curd)と、発音する人もいましょ。

いますね。

カールドゥは胃の内でも、牛乳を飲んだ後で出来ます。
カゼイン(casein)というリン蛋白の一種が、牛乳やチーズなどに含まれていますね。
この、カゼインなどが胃酸によって凝固するのです。

カールドゥチーズ(Curd cheese)のように、チーズの材料にもなりますね。

 カッテージチーズ(Cottage cheese)とも呼ばれる、未熟成の柔らかく白いチーズでしょ。

ええ。

カールドゥライスは、ご飯とカールドゥを混ぜ合わせるとても調理が簡単な料理です。

米をお粥にして、室温まで冷ますです。
よく揚げて細かく刻んだ緑唐辛子、生姜、curry leaves、時には、urad dal、マスタードシード、 クミンの種子、せり科のアサフェティダを入れます。
最後に、 牛乳 、 ヨーグルトつまりカールドゥ 、塩を加えて混ぜれば出来上がり。

 すっぱそう…。

すっぱいでしようねえ。

体調を整えるときなどに、食べることが多いそうです。

 これって、なれ鮨に似てませんか。

見た目、似ていそうですねえ。

面白いのは、ビーンカールドゥ(bean curd)が豆腐の訳にあることです。

 そのままにがりで固めれば絹ごし、木綿でこせば木綿ごし、と呼ぶでしょ。

そして日本でも、豆腐ご飯という食べ方がありますね。
温かいご飯に、豆腐をのせ、醤油をかけて混ぜれば出来上がり。

好みで大葉やおかか、わさびを加えたり、塩昆布とごま油、わさびを使ってもおいしいと紹介されてます。

 日本とインド、意外な似た食べ方ってあるね。

 ほかにも、あるかしら。

そういえば、インドと日本には、マンクスの伝承、日本語タミル語起源説、インド人からインド人に間違われ困惑した日本人、などけっこう探せばありますね。

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マイケルソン=モーリーの実験を、見直してみると?

1887年に、アメリカの物理学者アルバート・エイブラハム・マイケルソン(Albert Abraham Michelson)とエドワード・ウィリアムズ・モーリー(Edward Williams Morley)は、歴史的実験をしたのです

この実験は現在のケース・ウェスタン・リザーブ大学(Case Western Reserve University)で行われ、物理学史において重要な役割を果たしたのです。

 アメリカ合衆国オハイオ州クリーブランドにある、1967年創立の私立工科系総合大学ね。

 マイケルソン・モーリーの実験(Michelson-Morley experiment)として、知られているでしょ。

この実験は、エーテル理論を初めて否定したものとして知られているのです。

エーテル(arther、あるいは、luminiferous aether)は、イーサー(Ether、Aether)とも、呼ばれるのです。
主に19世紀までの物理学で、光が伝播するための媒質を表す術語だったのです。

Aetherの語源はギリシア語のαιθήρであり、ラテン語を経由して英語になったのです。
原義は「燃やす」または「輝く」で、この語は古代ギリシアでは、天空を満たす物質を表したのです。

19世紀後期の物理学の理論では、光の波動が伝播するための媒質として「エーテル」が存在すると考えられていたのです。

水面を波が伝わるには水が、音が伝わるためには空気などが、それぞれ媒質として必要であること、および光は真空であっても伝播するのです。
そこで、真空中でも光を伝える媒質の存在が予想されたのです。

 現代では、特殊相対性理論などの理論がエーテルの概念を用いずに確立されているのでしょ。

エーテルは、廃れた物理学理論の一部であると考えられているのですね。

ニュートン力学では、運動する物体の見かけ上の速度は、観測者の運動の速度に依存するのです。

例えば、同じ速さで同じ方向に進む二台の自動車は、互いに止まってるように見えるのです。

 光の運動にも適用できると、考えられたのでしょ。

そこで、この実験の目的は、見かけ上の光の速さは光の向きに依存する、ということを確かめることだったのです。

 結果として、光の速さは進行方向に依存しないことが確認されたのでしょ。

ええ、この実験は「第二次科学革命の理論面の端緒」ともされているのです。
マイケルソンは、この業績により1907年にノーベル賞を受賞したのです。

 彼らの実験は、アインシュタインの相対性理論にも、影響を与えたと見られているのよね。

地球は太陽の周りを公転しており、その速さは、およそ秒速30 kmです。
 
 正しくは、平均秒速29.7859 kmでしょ。

太陽自体も、銀河系の中で地球の公転より速く運動しているのです。
銀河系自体も、高速で運動しているのです。

ここでは、太陽と地球の相対的な運動のみに着目するのです。

地球はエーテルの中を動いているのだから、地球上の我々から見れば「エーテルの風」が吹いているはずです。

 これは、水中を歩くと水の抵抗を感じるのと同様でしょ。

エーテルの風の向きや強さは、地球上のどの場所であっても、季節や時刻と共に変化するはずです。

 地球の運動とエーテルの流れがたまたま一致して、無風状態になることもあり得ますよね。

しかし季節が変わり地球の位置が変われば、再びエーテルの風が吹きます。
エーテルが常に地球と同じ方向に動いているとは、考えにくいからです。

 光は、エーテルに乗って伝播するならば、順風の時に速く、逆風の時に遅く伝わるはずね。

従って、異なる方向や時刻について光の速さを調べることで、地球のエーテルに対する相対運動を知ることができると考えられたのです。

 光は極めて速いため、エーテルの存在や性質を調べる実験には高い精度が要求されたのでしょ。

19世紀には、多くの物理学者たちがこの種の実験を試みたのです。

 実験装置の精度が不充分であったために、光の速さの微小な変化を捉えることはできなかったのですね。

たとえば、フィゾー=フーコーの装置は 5 % の精度で光の速さを測ることができたが、エーテルの風を測定するには不充分だったのです。

予想された光の速さの変化は、最大でも、光速に対する地球の公転速度の比、すなわち一万分の一程度だったからです。

マイケルソンはエーテルの流れを検出するのに十分な精度を得られる実験方法を考案したのです。
これは今日、干渉計と呼ばれる装置です。

 レーザーを用いて、原理的にマイケルソンの干渉計と同じものが今日でも使われているのよね。

まず、光源から出た白色光線はハーフミラーを通り、二つの互いに垂直な光線に分割されるのです。

それぞれの光線は、しばらく進んだ後に鏡で反射され、中央に戻ってくるのです。
そして検出器の上に重ね合わせると、それぞれの光線が光源を出てから検出器に到達するまでに費した時間に応じて、干渉が起こるのです。
光線が費した時間が僅かでも変化すると、干渉縞の位置が動くはずです。

もしエーテルの風が地球の公転にのみ由来するのであれば、風向きは12時間ごとに反転するのです。

また、一年を通しても、半年ごとに風向きが変化しなければならないのです。

 この風向きの変化は、干渉縞の移動として検出されるはずよね。

エーテルの風に対し垂直に進む光線に比べ、平行に進む光線は、往復に僅かばかり長い時間を要するのです。

 川を横切って往復するには、流されて三角形の航跡になるけど、それほど時間はかからないでしょ。

 川を上り下りで往復するには、下りは流れに押されて早くなるけど、上りは流れに逆らうのでその分時間がかかるでしょ。

あまり川が速いと、流されるばかりで進めないですけど。

 そうねえ。

すなわち、エーテルの風向きによって干渉縞が移動するのです。

実験は、エーテルの流れが太陽から見て止まっていると仮定し、地球の運動により引き起こされる干渉縞の移動の測定を目的として行われたのです。

 ところが、干渉は検出できなかった。

ええ、できなかったのです。

 アインシュタインは、この実験から光速度不変を導いたとされるのよね。

一般にローレンツ収縮で知られる、ローレンツ=フィッツジェラルドの収縮仮説も、これらのエーテルの風を検出しようとする実験から出てきたのです。

 つまり、エーテルの風を検出する試みは、まだまだ続いた。

ええ。

 ローレンツ=フィッツジェラルドの収縮仮説は、長さの収縮にかんする仮説よね。

この仮説によれば、全ての物体は、運動のエーテルに対する相対的な向きに沿って縮むのです。
そのため、エーテルの風により光の速さが変わっても、ちょうどそれを打ち消すように長さが変化するのです。
それで、干渉縞のずれは生じないとされたのです。

 でも、力学から言えば自転速度に光速が左右されるはずでしょ。

ですよね。

それが、ほとんど左右されないのはエネルギーと質量の同等式で、光速を超えられないと見たらどうです。

 つまり、光速を超えた分は、光が重くなった。

マイケルソンは、1881年にいくつかの実験を行ったのです。

予想された干渉縞の移動が、縞の間隔を1として0.04であったのに対し、検出されたのは最大で0.02だったのです。
しかし、彼の実験装置は試作品であり、実験誤差が大きかったために、エーテルの風について結論を出すことはできなかったのです。

エーテルの風を測定するためには、さらに高精度な実験を行う必要があったのです。
とはいえ、この試作品は、実験手法の有効性を示すには十分だったのです。

そしてマイケルソンはモーリーと共に改良型の装置を作成し、干渉縞の移動を検出するのに十分な精度を得ることに成功したのです。
彼らの実験では、光は何度も反射されてから検出器に到達するため、光が移動する長さは11 mに及んだというのです。

このため、予想される干渉縞の移動は0.4だったのです。

検出を容易にするため、この装置は石造りの建物の地下室に配置され、熱や振動の影響は最小に抑えられたのです。

振動を抑えるための工夫として、装置は大理石の巨大なブロックの上に置かれ、そのブロックは水銀のプールに浮かべられたのです。

彼らの計算によれば、振動による影響は、期待される干渉縞の移動の100分の1以下だったのです。

 水銀のプールには、別の利点もあったのでしょ。

装置の向きを、容易に変えることができたのです。

 向きを変えながら実験を繰り返すことにより、エーテルの「風向き」を検出することができるはずだったのでしょ。

エーテルの性質を明らかにすることが目的であった実験は、これらの緻密な考察と工夫にも関わらず、失敗したのです。

1887年の'the American Journal of Science'に掲載されたマイケルソンとモーリーの論文では、検出された干渉縞のずれは期待されたものの40分の1程度だったというのです。

ずれは速度の二乗に比例することから、測定された風速は地球の公転速度の約6分の1であり、「大きくとも4分の1」であると結論されたのです。

このような「風速」が測定されたとはいえ、この値はエーテルの存在の証拠としては小さすぎたのです。

後には実験誤差の範囲であり、実際の「風速」は0であると考えられるようになったのです。

 それで、エーテルを否定する実験として、有名になった。

でも、差が検出された事実には、もっと注目が集まってもいいはずです。

 そして、マイケルソンとモーリーの1887年の論文の後も、実験は続いた。

さらに工夫を凝らした実験が、続けられたのです。

ケネディとイリングワースは、鏡に半波長の「段差」を設けることで装置内で発生する干渉を軽減したのです。

イリングワースは300分の1、ケネディは1500分の1の干渉縞のずれを、それぞれ検出したのです。

ミラーはビラリ現象を防ぐために磁性体を用いない装置を作成し、マイケルソンは不変鋼を用いて熱の影響をさらに小さくしたのです。

その他にも、外乱を防ぐ様々な工夫がなされたのです。

モーリーは自らの実験結果に納得せず、デイトン・ミラーと共に、さらなる実験を行ったのです。

ミラーは、光線が32 mもの距離を移動するので巨大な装置をウィルソン山天文台 で建設したのです。

エーテルの風が建物の厚い壁に乱される可能性を懸念し、彼は、布で作られた小屋を建てたのです。

彼は装置の角度や恒星時によって生じる様々な、小さなばらつきを一年ごとに測定したのです。

彼の測定では、エーテルの風速は最大でも10 km/sであると結論されたのです。

ミラーは、この風速が地球の公転よりも遅いのは、エーテルが地球の公転に「引きずられる」からであると考えました。

後年、ケネディもウィルソン山において実験を行いました。

その結果、干渉縞のずれはミラーによって測定されたものに比べて10分の1しか確認されませんだったのです。
また、季節ごとの変動も見られなかったのです。

これに基づくマイケルソンやローレンツらによる議論が1928年に報告されたのです。
 
 報告では、ミラーの実験結果を確認するための追試が必要であると結論されたのかしら。

ローレンツは、原因が何であれ、実験結果が彼とアインシュタインの特殊相対性理論と矛盾すると考えていたのです。

 この議論に、アインシュタインは参加していないでしょ。

アインシュタインは、干渉縞のずれは実験誤差であると考えました。

現在にいたるまで、エーテルの風速は最大でも10 km/sであるとするミラーの実験結果の再現には成功していないというのです。

今日では、レーザーやメーザーを用いることにより、光線の移動距離をキロメートルの規模にした実験が行われているのです。

 レーザー(laser)は、レーザー発振器を用いて人工的に作られる光でしょ。

 メーザー(MASER)とは、誘導放出によって発生する光でしょ

 どちらも、コヒーレンス、つまり干渉が検出しやすい波長のそろっている光よね。

レーザーやメーザーを用いて実験を初めて行ったのは、メーザーの開発者の一人であるチャールズ・タウンズらなのです。

彼らの1958年の実験では、考えられるあらゆる実験誤差を含めても、エーテルの風速が30 m/s以下であることが結論されたのです。

1974年には、これが0.025m/sにまで狭められたのです。

1979年のブリエとホールの実験では、風速は全ての方向について30 m/s以下であり、かつ、二次元に限れば0.000001 m/s以下であると結論されたのです。

 二次元って、線のことでしょ。

 誤差としか言いようのない、差しか出ていませんね。

しかし、もしこの差の分だけ光の重さが変化したと見たらどうでしょ。

 周波数が、変化したのかしら。

いままでにも周波数や波長に注目して、実験自体はされていたようです。

 光の重さは…。

注目されてこなかったようですね。

 でも、周波数や波長が変化することに注目するなら、アインシュタインの質量とエネルギーの同等式からいって、重さに間接的に触れているといえるでしょ。

でしょうね。

これらの実験結果は、エーテル中を波動が伝播するという当時の理論からは受け入れ難いものだったです。

この結果に対して説明を加えようと、さまざまに試みられたのです。

例えば、エーテル引きずり仮説です。
実験環境の問題、または地球の重力の影響で、球の運動と同じ向きのエーテルの流れが発生してしまっている、などです。

ミラーは、実験室の壁や装置自体によりエーテルの風がさえぎられているのではないかと考えました。

もし、そうであるならば、「第一仮定」と呼ばれる単純なエーテルの理論は誤りであることになります。

ハマールが行った検証実験( Hammar experiment)は、光線の通り道の一方を、巨大な鉛ブロックの間に通したものだったのです。
彼の理論によれば、もしエーテルが重力の影響を受けるならば、この鉛ブロックの存在は干渉縞に影響を与えるはずだったです。

 結果として干渉縞には一切の影響が見られなかった。

ヴァルター・リッツの放出理論は、エーテルの存在を仮定せずに実験結果を巧く説明するものだったのです。

 ヴァルター・リッツの放出理論は、「第二仮定」と呼ばれることになりますね。

しかし、「第二仮定」とされたヴァルター・リッツの放出理論は、天文学上の観測事実との間に矛盾を抱えていたのです。

特に、第二仮定に基づくならば、連星が発する光は、連星の運動の影響により干渉縞のずれを引き起こすはずです。

 連星とは、複数の恒星が両者の重心の周りを軌道運動している天体でしょ。

実際には干渉縞のずれは、連星が発する光に観測されていないです。

サニャックの実験は、一定の速度で回転するテーブルの上に装置を置くことでなされるのです。
鏡や検出器がテーブルと一緒に回転することで、右回りの光と左回りの光が異なる長さを進むことになり、リッツの放出理論を直接的に検証するのです。

この装置はマイケルソンの実験のものとは少し異なり、光の軌道がテーブルに沿って閉じた円を描いているのです。

光源と検出器のいずれもテーブルと一緒に動くのだから、光源と検出器の相対速度が0となります。

 リッツの理論によれば、干渉縞のずれは検出されないはずだったのでしょ。

しかし、この場合、干渉縞のずれが観測されたのです。

この実験により放出理論は否定され、このような干渉縞のずれはレーザージャイロスコープで用いられているのです。

ジャイロスコープ(gyroscope)とは、物体の角度や角速度を検出する計測器で、ジャイロと略されることもあります。

基準面に接触せずして相対角度を検出する為に、従来はコマつまりジャイロ(gyro)を用いたのでジャイロスコープと呼ばれたのです。

ジャイロの代わりにレーザーの干渉を用いるのが、レーザージャイロスコープ(laser gyroscope)です。

 つまり、右回りの光と左回りの光が異なる長さを進むことになり、干渉縞のずれが観測されたのでしょ。

ええ、光速度は不変なのに波長は変化したのです。

 それは、長い距離を進んで遅れるはずの光が加速されたことになりませんか。

波長の変化によって、光の重さが変化し、加速しやすくなったと見てもよさそうですね。

 加速度と重力の同等性は、アインシュタインが指摘してるでしょ。

つまり、左回りに対して右回りの光に働く重力が見かけ上変化したことを、検出した実験といえるのです。

 右回りの光が、左回りの光より軽くなったという実験だったとか。

どちらの波長がどう変わったか、気になりますね。

1932年に、マイケルソン=モーリーの実験を改良したケネディ=ソーンダイクの実験( Kennedy-Thorndike experiment)が行われたのです。

この実験では、二つの光線が進む距離は等しくなく、一方だけを極端に短くしたのです。

 どちらが短かったのでしょ。

さあ、情報がほしいですね。

この実験では、長さの収縮に伴って予想される時間の遅れが正しくなければ、地球の運動は干渉縞に影響を与えるはずだったです。

 しかし、そのような影響は観測されなかった。

このことは、特殊相対性理論の根幹を成す、長さの収縮と時間の遅れの二つの仮説が正しいことの証拠であると考えられるのです。

エルンスト・マッハは、実験結果はエーテル理論に対する反証となってると主張したのです。

また、アインシュタインはローレンツ=フィッツジェラルド収縮を相対性仮説から導出したのです。

すなわち、特殊相対性理論は、エーテルの風を検出できなかった実験結果を矛盾なく説明するのです。

今日では特殊相対性理論がマイケルソン=モーリーの実験に対する「解」であると考えられているのです。

 当時は、そのような共通理解はなかった。

アインシュタイン自身でさえ1920年頃に、「空間は物理的な実在性を備えている」ことから「空間が持つ特質そのものをエーテルと呼ぶことができる」と述べたというのです。

 この場合、エーテルを普通の意味でいう媒質として考えることはできないでしょ。

運動の概念を、エーテルにあてはめることはできないですよね。

 ところで、電磁波と重力波は、類似した式で書けると指摘されるのよね。

 右回りの光が、左回りの光より軽くなったという実験だったとみると、おもしろいことになりますね。

右回りの物体に働く重力が、左回りの物体に働く重力より小さくなったという実験だったと、言い換えても良くなりそうですね。

詳しい資料が手元にないので、断定は控えますけど。

 静電気学におけるマイケルソン=モーリーの実験と考えていい、トロウトン=ノーブルの実験(Trouton–Noble experiment)もありますね。

エーテルを介して地球の動きを検出するため、1901年から1903年にかけて実施されたのです。

ケネディ=ソーンダイクの実験に相当する、1908年に行われたトロウトン=ランキンの実験(Trouton–Rankine experiment)もあるのです。

ローレンツ-フィッツジェラルド収縮を測定するために、1908年に行われたのです。

 アインシュタインの一般相対性理論の予言のうち、重力波の存在は、相対性理論の検証によって間接的に観測されただけでしょ。

直接的に重力波を検出する実験計画において超高感度の、キロメートル規模の大きさのマイケルソン干渉計をファブリー=ペロー干渉計と組み合わされたものが、使用されているのです。

例えば、LIGO(Laser Interferometer Gravitational Wave Observatory)や、VIRGOです

 VIRGO(処女宮)は、黄道十二宮の6番目でしょ。

どうも、ひっかけて命名したようだけど、何の略称か、ちょっとわからんです。

 この処女宮が誰なのか、さまざまな説があるでしょ。

ギリシア神話では、アストライアー、イシュタル、イセト、デーメーテール、ペルセポネー、キュベレー、アテーナーといった著名な女神たちは、みな処女宮にまつわる神話を持つです。

 天文関係だから、かけていることは確かでしょうね。

宇宙重力波望遠鏡は、NASAとESAの共同計画で500 kmのマイクロソン干渉計3基を宇宙空間に設置するのです。
これにより、極めて低い周波数の重力場をも拾うことができると考えられているのです。

 でも、これらで検出できるのかしら。

さあ。

追記

早とちりする人がいるけど、私が実在を疑わないエーテルは、有機化合物の分類のひとつで、構造式を R−O−R'の形で表される化合物だけです。

R−O−R'で、R, R' はアルキル基、アリール基などの有機基、O は酸素原子です。

ここでやりたかったのは、失敗に終わったとされる一連のエーテル検出を目的とした物理実験を再検証し、見落としたことがないか探ることです。

案の定、誤差として片づけられている干渉縞のずれの謎が出てきました。

この干渉縞のずれがエーテルのせいでないなら、別の原因が考えられていいはずと見て今回の考察となりました。

追記 2

光の質量については別の記事でも考察しています。

光には本当に質量がないか。 

 

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ジハードとテロとの戦いとイエスと…。

マタイによる福音書の5章43節から48節には、こうあるようですね。

そのとき、イエスは弟子たちに言われた。

「あなたがたも聞いているとおり、『隣人を愛し、敵を憎め』と命じられている。しかし、わたしは言っておく。敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。あなたがたの天の父の子となるためである。父は悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださるからである。自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。徴税人でも、同じことをしているではないか。自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。だから、あなたがたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。」

ジハードを叫びながら武器を取り、自己満足的な勝利さえ得られない者達がいるでしょ。

テロとの戦いを叫びながら、新たな敵を生む攻撃しか出来ない者達がいるでしょ。

 いますね。

 自分を愛してくれる人を愛したところで、あなたがたにどんな報いがあろうか。
 徴税人でも、同じことをしているではないか。 
 自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。
 異邦人でさえ、同じことをしているではないか。

 生意気な学生時代、この1節を読んで、何と説得力のある言葉だろうと思いました。
 好きな1節です。

聖書には、ドキ!っとする言葉多いですよね。

彼らはともに、自らの信ずる神の名を叫び、武器を取っているでしょ。

 ええ。

なぜに、どちらも傷つくだけなのでしょ。

 キリスト教徒は、イエスを神の言葉を伝えた人として受け入れていますよね。

 イスラム教徒も、イエスを神の言葉を伝えた人として受け入れていますよね。

そうなると、ともにイエスの名の元に戦っているのでしょうか。

 兄弟喧嘩…。

イエスは御父の御言葉を、人々に従わせるために伝えたのではないでしょうか。

 イエスの言葉に反しながら、イエスに従うと言い張る者達…。

マタイの福音書7章21節には、こうあるようですね。

わたしに向かって、『主よ、主よ。』と言う者がみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父の御心を行う者がはいるのです。

この言葉、私も耳が痛いですよ。

通俗的な気持ちや、当面する困難に、流されたり、つまづいたりすることのほうが多いですから。

 ジハードやテロとの戦いを叫びつつ、血を流す行為を繰り返す人は聖書とイエスを学んでいますかねえ。

少なくとも、自分では読んでいないのでは…。

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酒津のトンドウ

酒津(さけのつ)のトンドウって、知ってますか。

 それ、何?

1月14・15日前後の土日に、鳥取市気高町酒津の海岸では酒津のトンドウと呼ばれる左義長行事が行われるのです。

 左義長行事って、なに。

左義長行事とは三毬杖とも記される、小正月に全国で多種多様な形態で行われる火祭りです。

酒津のトンドウは左義長行事のひとつで、近郷に例を見ない特徴があります。

酒津のトンドウは、高さ4~5メートルにもおよぶ円錐形の小屋風の焼代なのです。

 普通は、その年飾った門松や注連飾り、書き初めで書いた物を持ち寄って焼くけど。
 それを、円錐形にするのですか。

紙四手をつけた柱を中心に立て、松を沿わせ、竹を立てかけ、薦を巻き、沢山の藁をたらした注連縄を時計回りに巻き付けて円錐に整えます。

 それは、確かに珍しいかも。

注連縄は、子供たちが作るのです。
注連縄を下まで上手に巻きつけるのは、大人の役目です。

以前は五つ立てました。
今は、一つ立てるのみとなってます。

幾重にも注連飾りが巻かれるトンドウの姿は、元来そこが神を迎えるための忌屋であったことを示します。

トンドウを立ててくれと、言って町を回るのは男の子たちの役目です。

トンドウの周りを裸になった男の子が、寒風の中、海水につけた海藻をぐるぐる回しながら身を清め、「ワッショイ、ワッショイ」と勇ましい掛け声をあげながら3周します。

その後、男の子達は周辺の集落を「祓いたまえ、清めたまえ」と唱えながら1軒づつ清めて廻るのです。

そして翌日の早朝、お飾りを燃やして祭神を送るのです。

この、トンドウを燃やしてくれと告げて回るのも、男の子たちの役目です。

問合わせ先 は、気高町総合支所教育委員会分室。
問い合わせの電話番号は、0857-82-1411です。

気になるところは、いくつかあります。

 どこ。

まず、円錐に形を整えること。

山と見れば、三角の山はしばしば神奈備(かむなび・かんなび・かみなび)とされるのです。

神奈備は、神霊つまり神や御霊が神留る(かんずまる)場所としての御霊代(みたましろ)・依り代(よりしろ)を無数に擁した領域の事や、 自然環境を神体とした神代(かみしろ)のひとつの在り方とされてきたのです。

さらに、三角は神の使いとされる蛇の象徴でもあります。
時計回りに巻かれる注連飾りは、蛇を示すのかもしれないです。

紙四手は、雷の造形ともみえるのです。
雷(kaminari)は神成(kaminari)に通じ、紙四手を飾った柱自体が神の臨在を表すのかも。

松は、その長くくねる姿から蛇を連想できるのです。
そうでなくても、五行では木はその長く伸びる姿から気に通じるとされるのです。
蛇のように長い存在全体が、その長く伸びる姿から気に通じるとされるのです。

さらに竹は、天と地を繋ぐ通路である階(kizahashi)を指すと見えます。

つまりトンドウは、神の使いである蛇が天から下りてきた姿かも。

 そういえば、3周の3は神域に付き物の数字ねえ。

右回りも、陰陽の回転方向です。

 陽の方向、つまり顕現を表す方向…。

 神の使い、あるいは、神の寄り代を表現しているのでしょうね。

 でも、炎、すなわち光に包まれる天の使者といえば、イエスを連想できますね。

 3周は絶対三神、男の子たちは伝道するイエスの弟子を連想できるの。

イエスは確かに、モーゼの掲げた杖の青銅の蛇に喩えられるのです。

でも、地域としては道通様という蛇神崇拝をしている岡山県に近いです。

doutuuとtondou、音も似通ってるのです。

それに、日本各地には蛇を神の使いとする風習があるのです。

 だとしたら、日本各地に神の使いとして臨在されたイエスへの崇拝があるといってるのと同じでは。

確かに、イエスが連想できる風習は日本各地に見てきたのですけど…。
どこまでも、連想ですからねえ。

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