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デザインとしての日の丸をネタにしてみた。

余白とか、余韻っていうでしょ。

 余白って、描き残った部分ではないのね。

残ったのではないですよ。

 残したわけね。

そこは、どうやっても描けないから、描かないのです。

 無が、強烈な自己主張をしている。

私の邪魔をするなと、無が自己主張しているのです。

 そういえば、日の丸は大部分が余白ね。

 でも、描こうとすると、余白の部分には何も描けない。

 落書きなら、描けるかもしれないですけど。

 てゆうか、芸術にできるくらいなら、こんなとこで油売ってません。

こんなとこで、わるかったですね。

 どこが?
 
白は白であって、白ではない。

無は無であって、無ではない。

 無は陰である。

 そういうことですか。

ええ。

日の丸はまさに、陽の赤い円と、陰の白い余白とから、出来ていると言って良いかも。

 陰陽では、赤は地、白は西、でしょ。

 そして、白と西の陰は魂の世界でもありますね。

 さらに、円は天を表し陰に配される。

 日の丸って、陽の地が陰に覆われた姿ではないかしら。

 そして、陰は魂、魂の世界の中心に神は居られる。

 天を表す円は、地を表す赤で占められる。

 天にあるように、地にもあるように。

 似た言葉、聖書にありませんか。

そうですね。

 その日の丸を、国を現す旗印に使い続けた日本って、神道の国でしょ。

神ながらの道が、神道の意味ですね。

 聖書やコーランも、神の道を歩めと求めていませんか。

いますね。

 日の丸と、聖書とコーラン、繋がりませんか。

日本とチベットには、古代中東の遺伝子が残っているから、そう見えると言う解釈だってありかも。

 それだけで、説明つきますか。

難しいかも。

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