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カムイを考えてみる。

アイヌ語で神格を有する高位の霊的存在のことを、カムイ(kamuy)といいます。

 神威や神居と、当て字されることもあるでしょ。

ええ。

 カムイが、日本語のカミと共通起源の語彙であるとする説があるでしょ。

アイヌ民族の伝統的信仰は、日本神道に近いとする説もあるのです。

DNAの染色体の分布では、Y染色体による系統分析によれば「日本人」には、アイヌほど濃厚ではないが、日本全土にわたって平均的に縄文人の遺伝子である「DE-D2」が見られます。

後で日本列島に入ってきた弥生人の宗教観は、遺伝子学上では縄文人の直系子孫と考えられている先住民であるアイヌの宗教観と、遺伝子と共に長い年月をかけて融合した、というのが通説ですね。

でも、現代日本語の「かみ」とは多少意味が異なり、カムイは「霊」や「自然」と表現してもおかしくないという声もあるのです。

 日本神道の「八百万の神」も、アイヌの信仰文化と同様の「アニミズム」の特徴があるという説も根強くあるはずよ。

確かに、自然崇拝といえる神もあるのです。

鹿の霊であるユッコルカムイ、黒狐の霊であるシトゥンペカムイ、魚の霊であるチェプコルカムイ、アホウドリの霊であるレプンシラッキ、キツネの霊であるキムンシラッキ、御幣棚の霊であるヌサコルカムイ、病気を避ける霊のアユシニカムイ、話し相手の霊とされるネウサラカムイ、雨乞いの霊であるホイヌサバカムイなどもあったのです。

太陽の霊であるトカプチュプカムイ、雷の霊であるカンナカムイなどは生活に密着した存在ではないため、アイヌでは高位の存在とはされたものの深くは信仰されなかったようですね。

 太陽の霊や、雷の霊は他文化圏においては重視されるのに…。

聖書でも太陽とイエス、雷とヤハウエというふうにでてくるけど、太陽や雷自体は重視されていないですよ。

 アイヌと琉球は、血統的に近いとされるでしょ。

確かに、されてます。

 琉球の言葉には、日本の古語が多く残ると言う説もあるでしょ。

あります。

 だったら、アイヌの言葉も日本の古語で解釈できる部分もあるのでは。

ありそうですね。

 日本の神道は、古代エジプトの宗教とよく似てるでしょ。

 しかも、アイヌの生活文物と古代イスラエルの生活文物の類似を指摘する声もあります。

アイヌの考えるカムイは、彼らの住居の中にもあったのです。
家に入って入口のすぐ右側の柱には夫婦の霊であるエチリリクマッ、囲炉裏の中にはアペ・フチ・カムイ、家の東の角には家の守護霊であるチセコロカムイがいたのです。

 入り口に、夫婦の霊であるエチリリクマッですか。

 入口のすぐ右側の柱とはいえ、夫婦の霊というのは面白いのよ。

 右が陽、左が陰、そうみれば右の柱にだけ祀られていてもおかしくない。

ひょっとして、オベリスクを言いたいのですか。

 オベリスクは、神殿の前に一対で立つでしょ。

 カムイは、「カーの居」と解釈できませんか。

カムイとは、「カーの臨在」ではないかと。

 ええ。

古代エジプトの思想で、カーとは人が生まれる時、ともに生まれ、死後もともにあり続ける存在ですね。

生きているものすべて体の中にあって、生きていく力を与える、生命力の源とも言える存在です。

 まるで、アダムとイブに神から与えられた息のようね。

本人が死ぬと失われるわけではなく、親から子へ受け継がれることがあるとされたそうですね。

 聖書の思想では、人はみな、アダムとイブに与えられた神の息を引き継いでいるとされる。

 古代エジプトと聖書、似た思想があるように見えますね。
 
そういえば、カーは神格化された側面もあるそうです。

カーが元気をなくすと生きる力も減少するので、カーを元気にする儀式などもあったといいますよ。

古代エジプトでは、体を「アク」、「バー」、「カー」の三つからなると考えていたのです。

アクは肉体、バーは魂、カーは活力とでも、言いえる存在です。

 バーとカーは、ともに魂と考えられていたと聞きますが。

バーは、確かに、精神や心という以上に、魂といえるかも。
カーは、心というより生命力の源という意味では、活力に近いです。

 活力という言葉自体、「カーの力」ということだったりして。

 活気も、「カーに気力がみなぎっているさま」とか。

そう見ても、面白いですね。

肉体であるアクに、カーが活力を与えている限り、魂であるバーは戻れるのです。
 
 「場」という言葉も、「バー」の行きかうところだったら面白いね。

「場」の語源が「バー」だったら、元々は強いという意味だった「悪(アク)」も活力の源である「カー」に満たされた状態の「肉体(アク)」のことになるのでは。
 
 「悪」は、「亜」と「心」、「心のおもむくまま」ともとれるけど、「カーに従うさま」ともみえるのでは。

「カーに従う」と悪くなるのでは、まるで怨霊ですね。

そういえばもともと、「悪党」は支配者への反逆者が名乗っていたのですねえ。

 つまり、悪党とは本来、怨霊に従う正義の怒りを体現者…。

権力から見れば、「反社会的」「違法」「反秩序」が「悪党」の行為ますけどね。

 そうそう、カムイの話でした。

アイヌ民族の伝統的な世界観では、あらゆるものにカムイが宿っています。

 動植物や自然現象ばかりでなく、人工物も含むの。

ええ。

「ある固有の能力を有しているもの」、特に人間のできない事を行い様々な恩恵や災厄をもたらすものが、カムイなのですよ。

 人間のできない事を行い様々な恩恵や災厄をもたらす…ヤハウエにそっくりよ。

 アイヌと古代イスラエルの類似は、生活用品だけじゃない…。

カムイは、そういった能力の保持者或いは付与者としてそのものに内在する霊的知性体であると考えられています。

 アダムとイブの与えられた、ヤハウエの息とよく似てますね。

カムイは、その本来の姿は人間と同じであり、本来神々の世界であるカムイ・モシリ(kamuy mosir)に所属しています。

 われわれに似せて人を作ろうと、聖書にある、そのまま…。

ある一定の使命を帯びて人間の世界(aynu mosir)にやってくる際、その使命に応じた衣服を身にまとうといいます。

例えば赤い小袖を着たおばあさんが登場するアペ・フチ・カムイ(ape huci kamuy)は、『火の老婆のカムイ』という意味だそうです。

 悪人を地獄に連行する火車婆が、連想できますねえ。

『山にいるカムイ』であるキムン・カムイ(kim un kamuy)が人間の世界にやってくる時には、ヒグマの肉体を衣服としてまとってくるのです。
我々が目にするヒグマはすべて、人間の世界におけるカムイの仮の姿ということになります。

 聖書の羊が、アイヌのヒグマ…。

「なになにの カムイ」などのように、用いられます。
シマフクロウは 『集落を護るカムイ』 でキムン・カムイ、コタン・コロ・カムイ(kotan kor kamuy)、シャチは『沖にいるカムイ』で レプン・カムイ(rep un kamuy)のようになります。

 南米では、インディオによる祭祀用の土器や土偶に、ふくろうをかたどったものがいろいろと作られているよね。
  ペルーのインディオに伝えられた、農耕の守り神パチャママ女神の祭りの際に神への使いとして埋葬する土偶に、ふくろうをかたどったものがあります。

 一方日本でも、木菟(みみずく)型土偶が今から3,500年前くらいの縄文後期後半に関東一円で流行したとみられているね。

カムイの有する「固有の能力」は、人間に都合の良い物ばかりとは限らないです。
例えば熱病をもたらす疫病神なども、人智の及ばぬ力を振るう存在としてカムイと呼ばれます。

熱病をもたらす疫病神のように、人間に災厄をもたらす『悪しきカムイ』はウェン・カムイ(wen kamuy)と呼ばれます。
人間に恩恵をもたらす『善きカムイ』は、ピリカ・カムイ(pirka kamuy)と呼ばれます。

ウェン・カムイも、ピリカ・カムイも、畏怖されるので、カムイという言葉は多くの場合「神」と訳されるけど、このようにむしろ「魔神」と訳すべき場合もあります。

 ヤハウエにも、人間に災厄をもたらす『悪しきカムイ』と人間に恩恵をもたらす『善きカムイ』の魔神ともいえる要素がみられますね。

 カムイにも、良いカムイと良くないカムイがいるわけでしょ。

樹木のカムイをシランパカムイと呼んでいたアイヌの人々は、シランパカムイには性格の良いものと悪いものがいると考えていたのです。

 アイヌは樹木は住宅や船の材料として有用と考えていたけど、何でも良いというわけではなかったのねえ。

性格の良いカムイというのは家の柱などにしてもなかなか腐らないドスナラやエンジュなどのカムイ、悪いものは柱にするとすぐ腐るし火にくべてもまるで用を成さないドロヤナギのような樹木のカムイであるとしていたのです。

 この、樹木のカムイって、キジムナーやケンムンと関係ありますかね。

転化で生まれた名称の可能性は、考えても良いかも。

 アイヌと琉球、祖先の近さから言ってありえるでしょうね。

シランパカムイという言葉は、樹木の集合体としての山そのものを意味したのです。
山そのものも、神とされていたのです。
山はクマなどの動物を蓄えていて、アイヌの人々がそれを必要とするときはいつでもそこからもらっていくことのできる、自然の倉庫として考えられていたのです。

遠くの方にひときわ目立つ大きな山は、道しるべとしてしばしばアイヌの人々も命を助けられていています。
特にそういう山は二風谷地域の幌尻岳に代表されるように、よく祀られたのです。

 カムイコタンとは、「カムイの村」という意味と聞きましたが。

カムイコタンの多くは地形上の難所などであり、「神の村」というより「恐ろしい魔神のいる場所」とした方が実際のイメージに近いですね。

 天空都市で有名なマチュピチュも、「カムイの村」であるカムイコタンだったりして…。

地形上の難所だから、まさに、カムイコタンにふさわしいですね。

カムイは神道や他の多くの宗教の「神」とは違い、人間と対等に並び立つ存在とされます。

 ヤコブと相撲をとった天使も、アイヌにとってはカムイでしょうかね。

そうかも。

アイヌは、世界は人間とカムイがお互いを支えあうことで成り立っていると考えます。

 カムイをカムイ・モシリへ返還したり、カムイを新しく作るのは、人間が主導権を握っていると考えるのかしら。

ヒグマがアイヌの狩りにより捕らえられたとき、それをアイヌは「キムン・カムイが毛皮と肉を持って自分たちのもとにやってきてくれた」と解釈します。

 日々の糧を神に感謝する、聖書に見られますね。

アイヌは、キムン・カムイから毛皮や肉など、利用できるものを利用させてもらい、またカムイに感謝してカムイ送りの儀式であるカムイノミを行って還ってもらうのです。

 聖なる動物を神に捧げるのも、聖書にある。

このようにカムイは人間の役に立てばイナウなどの供物がもらえるが、役に立たなければカムイ・モシリに帰されるという存在です。

アイヌにとって特に大切とされたカムイには、水のカムイであるワッカ・ワシ・カムイがあります。

水はアイヌの人々の生活になくてはならないものであったからです。

アイヌの人々は川を、頭を海に接し、山奥に尻を向けている生き物のように考えます。

アイヌは、川は海から魚を運んできてくれると考えているます。
このため生活を魚の採取に頼っているアイヌの人々は川を食料を与えてくれるものとして、川の霊をペトルンカムイといって祀ったのです。

 関係ないけど、イエスは、弟子の一人にあなたを人を漁どる(すなどる)人にするって言ってませんでしたか。

いってます。

でも、ずいぶん聖書との比較にこだわってますね。

 気になるから。

そうですねえ。

 アイヌ、神道、キリスト教などで神と人の関係に類似性が多い、、ってことは?

 時を現代まで推移してみると、現代のそれはどうでしょうか?

 宗教色を取り除いた言葉で「Something Great」とかいうコトバもありますが、

 どうやら、人と守護神の関係のことを表現しているような気がします。

村上和雄は、「Something Great」についてこういってます。

多くの人は「Something Great」=「神」と解釈しています。

それは、村上和雄がこういっているからなのです。

村上和雄

1936年奈良県生まれ。'63年京都大学大学院博士課程修了
アメリカ・バンダービルト大学医学部助教授を経て、
'78年筑波大学応用生物化学系教授。

'83年ヒト・レニンの遺伝子解読に成功、
以降バイオ分野の研究で数々の業績を上げる。

'90年マックス・ブランク研究賞、'96年日本学士院賞を受賞。 
現在、筑波大学名誉教授。
著書:『生命の暗号』(サンマーク出版)他、多数。

人間は人間の暗号を書けない。
人間わざを超えるのは何か、神わざであります。
私は神様や仏様がおられても不思議はないと初めて思いました。
科学者が法則を大発見、ノーベル賞!しかし、発見する前に、法則が既にあったんです。
法則はでたらめじゃないから、法則ですね。
これは非常に理にかなっているわけです。
そして、調和がとれています。

形は美しいんです。これをつくったのはだれ?

わからないんです。人間ではないんです。

私は、それをsomething great という言葉を10年ぐらい前から使っています。
Something ですから、今の科学では到底わからないんだけれども、とにかく偉大な働きがある。

something greatとは何かということは、人類の永遠のテーマだと私は思っています。
私は、単純ですから、非常に簡単に考えています。
私どもには親があって、どこかに行き着くはずなんです。
その命のもとの親たるものを somethinggreat と言おうと今私は考えています。

こういう発言ですよ。

 そうだったの。

ええ。

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コメント

人間の存在意義は、太古の天文学と同様に、精緻に考察されていたと考えるのが妥当でしょうね。

投稿: いんきん玉スダレ | 2010年5月 5日 (水) 19時43分

天にあるように地にも、ですか。

投稿: cova | 2010年5月 7日 (金) 15時41分

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