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2010年7月

セザンヌの塗り残し。

セザンヌは塗り残しの絵が多いですね。

 そういえば、油彩の割りに…。

あなたは、そこに色を塗れますか。

 何を塗れば良いか、わかるわけないでしょ。

そこには、光がすでに、ここはわたしの場所といっているように感じます。

あなたは、光をどけられますか。

 影を作れば、その影を作ったものが光を受け止めるだけねえ。

そこに、色を塗れるのは、神だけでしょうね。

 光は、神なのでしょうね。

セザンヌは、水彩画も手掛けているのです。

水彩では、光は神(kami)の色である白によって表されるのですね。

 神(kami)は、音が紙(kami)に通じるのが面白いねえ。

 そして、紙は白い。

 すべてを飲み込んだ光も、白い。

その白い光の中に、セザンヌは補色によって、形を浮かび上がらせるのですね。

 補色と言うのは、反対の色。

 それって、陰陽に通じる。

 アーティストの直感で、世界を作る陰陽を知ったのかしら。

セザンヌは、光を死ぬまで追い求めた、もう一つの印象派だったのかも。

 印象派の追い求めたのは、光の表現でしたね。

 でも、ほとんどの印象派が追い求めたのは、その一瞬の光。

ただ、彼は永遠の光を追い求めた、光と形の祭司のような画家であったのかも。

それと、セザンヌは、すべては丸三角四角からなると、見てます。

 丸三角四角で世界を見ると言えば、禅もそう。

セザンヌは、画家と言うより求道師にちかい人生を送ったのかも。

 セザンヌは画面を丸三角四角で構築して、完璧な構図を作り出した画家ですね。

 彼の構図には隙がなく、画の印象から、厳格さやストイックさを受けます。

 そんなところも求道師に近いかも。

そう思いますか。

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神道と聖書を比べてみると。

神道には、教義がないと言われるのです。

 そういえば。

神道にあるのは、神と祈りの儀式だけです。

 じゃあ、教義がないかというと…。

神道は、「神ながらの道」と言う意味です。

「随神」と書いて、「神(かん)ながら」と読むのです。

「随」のもともとの意味はこうです。

神の在る所に従って祀る事。

そこから、随う、付き従う意を表すようになったのです。

任せるの意に、用いるのです。

一説には、人の後からついていく意を表すともいうのです。

つまり、教義はないのではないのです。

名前そのものが教義を表す宗教が、神道と言うことかも。

 神を、神の在る所に従って祀る。

 神に、付き従う。

 神である人の後からついていく。

 これが、神道の教義。

 これって、日本の神は引越しをしょっちゅうしてるってことでしょうか。

神に、付き従う。

神を、神の在る所に従って祀る。

たしかに、移動する神に付き従い、神の在る所に従って祀る、そう見えちゃうです。

 おまけに、神である人の後からついていく。

 これって、聖書の神にそっくりね。

 神が行くところに幕屋を移動させ、預言者の後からついていく。

 日本も、神社を常設する前は仮設の神殿に神をお迎えした。

 神に命じられた人の後に、信者は従った。

それに、常設の神社も、聖書の幕屋に似ていると指摘されるからです。

神職の衣服の裾に房があり、清めの塩を用いるところまでそっくり。

 それに、神に従えといいながら、どうしろと言わない。

 聖書には、あなたは自分の正しいと思うようにして良い、神の意に沿うかどうかは神が判断するとある。

 神道も、あなたは自分の正しいと思うようにして良い、神の意に沿うかどうかは神が判断するとみえる。

神道には、神に従うよう求めながら、どうしろという定めはないです。

その代わり、困ったらいつでも神に救いを求めて良い。

 聖書には、神は生きておられる、そういう箇所はいくつもあるでしょ。

 神道は、神は生きておられることを前提に、成り立っている。

 そして、判断に困ったら常に神に伺いを立て、決断し、行動する。

 ここも聖書と神道は、共通。

その神道を持つ日本人の遺伝子は、古代中東と共通。

 それじゃあ、シュメール渡来説や、日ユ同祖論でるわけだわ。

神と民族は一心同体で移動したのが、古代といっても良い位ですからねえ。

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ロマ音楽と日本音楽は、どこまでつながりが見えるか。ロマと日本?その1。

ロマ音楽が大きく影響している国には、よく見ると面白い傾向が見られるのです。

影響が見られる国々は次のとおりです。

インド・トルコ・マケドニア・アルバニア・セルビア・ギリシャ・ルーマニア・ブルガリア・ハンガリー・ロシア・スペイン・フランス。

そのうち、古代日本とのなんらかのつながりや類似が見えているのは次の国です。

インドは、タミル語が日本語の起源のひとつにあげられているのです。

ギリシャは、神話や和裁のはさみ、足の形、さらには秋田美人とのつながりも見えるのです。

スペインやフランスは、アメリカで見つかったアイヌ的な古代人骨からこの地域の様式の矢尻が見つかっているのです。
スペインについては、バスク人と日本人の気質が似ているなどの指摘もあるのです。

 フラメンコやフラダンスと阿波踊りが、どこか似てるのも興味あるね。

ロシアについても、日本人のルーツの一つと見られるバイカル湖があったり、シベリアにアイヌがいるのです。
ロシア的な顔立ちの人々がいるなど、何らかのつながりは考えても良いかもです。

 ロシアも、大衆音楽と日本音楽に拍子の類似が見えますよね。

トルコは、日本に親近感を抱く人が多く、古代にどのようなつながりがあったか調べる価値はあるかも。

ハンガリーは、どのようにつながるか不明だが、語順が似ているという接点が見えるのです。

今のところ日本とのつながりや類似が不明なのは、マケドニア・セルビア・ルーマニア・ブルガリアなのです。

 つまり、ロマ音楽の影響が見られる国の多くに、日本とのなんらかのつながりや類似がみえる。

ええ。

 ロマ、ジプシーの歴史と音楽、踊りはベリーダンスと、とても深く結びついていると言っている人も多いですよね。

面白いのは、古代からベリーダンスが踊られているエジプトが、ロマ音楽の影響を受けたとされる国から外れていることなのです。

 それでいて、ロマについている各国の名称にはエジプトから来た人々という意味があるでしょ。

ロマは、北インドのロマニ系に由来する、中東欧に居住する移動型民族であるとされているのに、エジプト由来をさす名前が多い不思議な民族です。

 さらに、ロマ音楽の特徴とされる拍子で、日本の民謡は大半手拍子が打てる。

 日本の神話や神々の体系や神社、さらには食の好みまで、エジプトに似てる。

 地上の太陽神が治める国、ここも日本と古代のエジプトはそっくり。

ロマの周辺は、さらに見ていく必要がありそうですね。

顔が日本人っぽいのは、スラブ系にも多いって声があったです。

 そういえば、東欧はスラブ系が多いですね。

 セルビア・ルーマニア・ブルガリアも、日本とのつながりありそうですかね。

マケドニアも、歴史をたどってみる価値がありそうですね。

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自分が真実と思えば、事実を歪曲しても良いか。The Coveを考える。その2

映画「ザ・コーヴ(原題も"The Cove")」について、イギリスのガーディアン紙が、興味深い議論をしているそうです。

「東洋人はイルカを食べるが西洋人は牛を食べる。どこに問題があるのか?」と、イルカ漁を問題にしている映画の手法を疑問視しているというのです。

 この視点に同感ですね。

 もちろん映画は、一方的な価値観で作って、公開してもいい。

 価値観の違いは、論理では解決しない。

ザ・コーヴの最大の問題は、捏造と歪曲についての批判がうんざりするくらい、ででくることです。

 もちろん、捕鯨の是非も、論議の対象ですけどね。

食べる食べないは、結局は議論に参加した人たちの中でどんな倫理観が多数派なのかで、決まる所があると思います。

ドイツで同じ議題でディベートした人の話では、そのときはアジアの学生がたまたま多く、「犬・鯨は食べても責められない」が勝ったそうです。

欧州人からは、大ひんしゅくだったらしいけど。

 でしょうねえ。

ザ・コーヴは、上演すべきかどうかで、各地で物議をかもしているのです。

妨害に屈した上演中止ではなく、検討したが内容に問題があるから上演を見送ったというなら、まだ見所があるのですけどね。

 いったん上演を決定したのなら、上演した上で、作品の問題点を批判したほうがまだ、よかった。

問題点を批判すること、発表を妨害すること、別次元です。

問題点を是正した上で発表しなおすべしとは、私の要望です。

誰にも検閲の権限なしです。

聖書にも、このような意味の発言が神の言葉として、収められているのです。

自分の正しいと思うようにせよ、判断は私(つまり神)が下す。

神でさえしないと、明言の検閲なのですよ。

検閲には、賛成できないですね。

 検閲!

 私もごめんこうむります!

 表現をどうするか、当人が決めること!

 評価される作品は残り、されない作品は消え去る。

 それだけのこと!

上演しても、しなくても、その理由は、はっきり言って欲しいですね。

それが正しいかどうかは、個々人が判断したら良い。

ザ・コーヴの問題点を批判することと、上映を妨害することは、別次元です。

表現の自由は、どう表現するかとともに、どう表現しないか、という二つの側面があるのです。

問題点を是正した上で上映しなおすべしです。

真実を掲げてデマを混ぜれば、作品のメッセージ全体がデマになるです。

 コーヴのシホヨス監督は、ただの嘘つき男なんですね。

日本語訳チームの事実誤認の訂正を受容しないなど、私も彼らの姿勢に同意できないところがあるのです。

 しかし、発端の立教大学の上映中止にはがっかりしました。

学問表現の自由の府も、墜ちたもんです。

妨害に屈した上演中止ではなく、検討したが内容に問題があるから上演を見送ったというなら、まだ見所があるのですけどね。

 いったん上演を決定したのなら、上演した上で、作品の問題点を批判したほうがまだ、よかった。

ザ・コーヴをドブスを守る会と、同列において批判する人がいるのですね。

ザ・コーヴをドブスを守る会と、同列に置いちゃまずいです。

ドブスを守る会は、相手の自尊心や肖像権を侵害して、相手の気持ちを傷つけたのです。

 後から目的をばらして撮影するくらいは、ドッキリカメラでもやってます。

 ドッキリカメラは、悪意のないいたずらであり、悪ふざけとして許容される範囲内でやっている限りは、問題視されないでしょうね。

ザ・コーヴは、目的を隠し、上映されてだまされたと知るから余計悪質です。

低俗なだけのドブスを守る会より、コーヴは悪質です。

フィクションを看板に掲げて嘘を言えば芸術と呼ばれるが、真実を看板に掲げて平気で嘘を混ぜれば詐欺と呼ばれるのです。

目的を隠して撮影に協力させ、やめてない人をやめたといい、やらせ映像も平気で混ぜているのです。

だから、ザ・コーヴは問題なのです。

NHKの取材でも、問題点が複数あぶりだされているのです。

 ほかでも、問題点をあげる人はいるようですね。

水産庁漁業資源課課長補佐の諸貫秀樹も、この映画で迷惑している人の一人です。

映画で首になったと説明されていた水産庁の諸貫秀樹が、今でも普通に勤務していることをルイ・シホヨス監督に問い質すも、「辞めたって聞いた」と苦しい言い訳。

ザ・コーヴは、現在は行われていない過去に撮影された突きん棒漁法によってイルカの血で海が赤く染まる「残虐な漁法」が現在も行われていると嘘。

過去の漁法の映像を見せてコメントを要求し、諸貫が「何時何処で撮影したのか」と問いただした直後に、その場面を編集で打ち切り、視聴者に誤解させる。

ザ・コーヴは、インタビュー後に下手な弁明を行った諸貫が上層部から解雇されたと視聴者に誤解させるような編集だが、事実無根。

映画で日本政府が捕鯨議題のためWCにリクルートしたとされる、アノテ・トンキリバス大統領は「大変残念。そんな事実はなく、捕鯨はキリバスが強く望んでいること」と述べている。

別撮りのイルカ漁の映像と、女の人が泣くところをつなげて一つのシーンとして流してた。

諸貫秀樹の件といい、間違いを指摘されても平気で嘘をついてごまかそうとするところをみると、ようするにコーヴのシホヨス監督はただの嘘つき男なんですね。

日本人は他の国にイルカ漁をしろと強制している訳でも、他の国の食文化をやめさせようとしているわけでもないです。

「イルカ漁は伝統じゃないです。伝統だとしても悪習はやめるべきだ」と極めて独善的な態度で一方的にイルカ漁を断罪している歪んだ思想の持ち主のシホヨス監督に問題があるだけです。

フィクションを看板に掲げて嘘を言えば芸術と呼ばれるが、真実を看板に掲げて平気で嘘を混ぜれば詐欺と呼ばれるのです。

目的を隠して撮影に協力させ、やめてない人をやめたといい、やらせ映像も平気で混ぜているのです。

だから、ザ・コーヴは問題視されるのです。

違うでしょうか。

目的を隠して撮影に協力させ、やめてない人をやめたといい、やらせ映像も平気で混ぜているのです。

 目的のために手段を選ばないのは、問題でしょうね。

主張さえ正しければ、テロ行為も擁護していいのでしょうか。

 しないでしょ?

確かに、水銀問題などは、冷静に受け止めるべきテーマですよね。

 ただ、嘘と捏造と悪意に満ちた作品に巻き込まれた水銀問題こそ、迷惑しているでしょう。

 あのやり口は許せません。

ザ・コーヴは、捕鯨に対する賛否の立場を超えて、嘘と捏造と悪意だけで固められた忌まわしい作品として、弾劾されるべきでしょうね。

 でも、だからといって上演妨害は良くないでしょう。

聖書で神は、自分の正しいと思うようにせよ、後の判断は私がする、そう何度もおっしゃっているのですから。

 ザ・コーヴって裁くべき人をあぶりだしているようで、怖い。

裁きの悪魔か、人々を道ずれにしようと企むサタンか、そこは問題かもしれないですね。

うそに事実を混ぜて、全体を事実と強弁するのはサタンのたぶらかしの常套手段と、神秘主義研究ではいうのです。

  "The Cove"はサタニズム映画と、神秘主義者ならいうだろうと。

おそらく、そうでしょうね。

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税金は今のままで良いか。その2

菅直人首相は、「日本をギリシャのようにするな」と消費税増税・法人税減税を主張しています。

共産党志位委員長、ギリシャでは2000年から2010年まで法人税を40%から24%に引き下げが国の財政に大穴をあけ、同時期に消費税を18%から23%に引き上げていたが財政破綻したと指摘しています。

 菅首相の言うとおりに消費税増税と法人減税をやれば、日本はギリシャのようになってしまいかねない。

大企業上位100社法人税実質負担率ほぼ30%、ヨーロッパと同水準です。

研究開発減税・外国税額控除・連結決算などで、トヨタ自動車30.1%・三菱自動車29.7%・神戸製鋼所28.3%・クボタ24.6&・本田技研工業24.5%・ブリジストン21.3%京セラ18.9%・ソニー12.9%等です。

4%の国税分で、日本では税収全体に占める消費税収の割合はすでに22%あるといわれています。

消費税率が17.5%のイギリス、25%のスウェーデンも、税収全体に占める消費税の割合は22%です。

日本の消費税は見かけ上低いが、EU等では食料品等の税率低いため、実際の税額は日本より低いのです。

 日本の税率を挙げれば、福祉国家スウェーデンより高くなる可能性ある。

 税率だけで見るだけでは正確でない。

消費税の税全体に占める割合は、22%で欧米も同じですから。

 欧州では消費税も高いが、所得税や資産税も高い。

経済評論家の上念司によると。財務省が昨年11月に発表した債務残高は約864兆円。

国の債務残高から国の保有資産を引いた純債務純債務は約290兆円。

 赤字が膨らんでいる原因は、長期のデフレつまり物価安によるわけね。

日銀がお金を発行し、デフレ脱却政策をとれば景気は回復。

消費税を増税する必要なし。

日本の国債の93%は国民が買っている。これって、銀行が相当買ってるってこと。

その原資は、国民が銀行に預けたお金。国民は、税金で国庫を支えてるだけじゃなくって、金貸して国庫支えてるってこと。

その割りに、国民のために使われてる実感が乏しいことにもっと怒って良いです。

 国民おとなしすぎ。

本当に財政の再建をいうのなら、法人税を下げどころではないはずです。

 法人税を下げたら、日本の経済がよくなって国民は豊かになるでしょうか。

今までも、法人税の減税や優遇措置は繰り返されてきたです。

 それで国民の生活が楽になったことは、一度もありません。

法人税を減税しても、その分は海外投資・内部留保・金融投機・配当に回るだけです。

小池晃、大企業は勤労者の可処分所得減少の影で内部留保を増やしながら、社内留保や社内配分にするどころか、国外などの証券を買っていると指摘しています。

 大企業よ、そんな金があったら、国内の勤労者に還元してくれ。

あらゆる方法をとって税収の確保をすべきなのに、不公平税の最たる消費税を増税し、法人税を下げるとはどういうことだといいたいですね。

 今雇用者報酬が下がる一方で、大企業はカネ余り状態が続いている。

内需拡大には、雇用者報酬を上げることです。

 余裕資金があったとしても、出鱈目し放題の政治が続く日本に投資するほどお人よしじゃない。

 大事ないざというときの蓄えは、日本に投資したくない。

 こんな政治続けば国民の金が国外に垂れ流しになって、日本が没落。

現在の日本は、お金のある人は収入のうち一部が貯蓄に回り、大企業は内部留保に溜め込み、結果、資産運用で海外にお金が流れて行くようになっています。

簡単に言うと、国民の生産が海外に流出してしまっているのです。

 これでは、景気が良くなりませんね。

日本は今、内需主導の成長実現を目標としなくてはならないです。

 最重要な要件は、企業貯蓄の大幅削減ね。

企業貯蓄はそもそもが、過去の過剰投資の産物である資本消費が元なのですよ。

 そう考えたら、企業内部留保は、自然に減っていく。

企業の内部留保率が高く、固定投資率も高目の高度成長経済が失速すると、需要の管理は非常に難しくなる可能性が出てくるです。

 需要維持のために、信用拡大と資産バブルをわざと促してきた場合は特に、成長失速後の需要管理が難しくなる。

日本の税制や社会保障は、賦課方式なので、負担層を厚くしませんと、持たないです国債費っていうのは、利払費と債務償還費のふたつから成り立っているそうです。

実は利払費だけがネットの増分になって、その分だけが新規発行額になるのです。

それを日本は、国債費に利払費と債務償還費の両方を入れているのです。

国際基準では新規国債発行額は、ストックの数字のネットの増分が新規発行額になる、日本はそうなってないそうです。

 ストックは債務償還費、ネットは利払費に、対応してると思って良い。

大雑把には、そうなるでしょうね。

日本の国債費は会計を操作していて、国際基準じゃないそうです。

日本は、特殊に新規発行額を増やすような会計操作をしているなるそうです。

それは特別会計にお金を入れるために、余分に国債を発行するためだそうです。

だから新規発行額を国際比較すると、いつも日本は過大に出るようになるそうです。

経済評論家の上念司によると、財務省が2009年11月に発表した債務残高は約864兆円。

国の債務残高から国の保有資産を引いた純債務純債務は約290兆円。

赤字が膨らんでいる原因は、長期のデフレつまり物価安によります。

日銀がお金を発行し、デフレ脱却政策をとれば景気は回復だそうです。

 消費税を増税する必要なし。

日本人一人2500万円の損失 、この20年間のデフレによる損失は総額3200兆円という人までいるのです。

 800兆円の国の借金なんて、吹っ飛ぶ額。

この20年間、日本を除く先進国は年平均4%程度の名目成長をしてきました。

 その間日本の名目成長率は、ほぼゼロ。

日本も、一定程度の実質成長を達成していたのです。

IMFの統計によると、1990年の日本のGDPは439兆円、2010年のGDPは475兆円程度になると見られているのです。

 デフレが、見事にこれを相殺してきた。

他の先進国と同様に、1990年から20年間年率4%の名目成長をしていたと仮定すると、現在の日本のGDPは約1000兆円となると試算しているのです。

439兆×1.04^20 = 439兆 × 2.19 = 961兆円

  800兆円の国の借金と、ほぼ相殺。
 
200兆円近い、おつりが出るです。

 でも、単年度で返すわけじゃない。

日本の国債の93%は国民が買っているのです。

これって、郵便局や銀行が相当買ってるってこと。

 今だと、郵貯銀行って言ってるから、銀行が相当買ってるといっても良い。

その原資は、国民が銀行に預けたお金です。

 国民は、税金で国庫を支えてるだけじゃなくって、金貸して国庫支えてるってこと。

 その割りに国民のために使われてる実感が乏しいことに、もっと怒って良いでしょ。

国民おとなしすぎでです。

 それより、これから物価高に誘導する政策が採られる可能性大。

それに見合う賃上げや、納入、納品額の引き上げが大企業に求められるのです。

 大企業の内部留保に批判がいきそう。

企業貯蓄はそもそもが、過去の過剰投資の産物である資本消費が元なのですよ。

 企業貯蓄の最たるものが、内部留保。

現在の日本は、お金のある人は収入のうち一部が貯蓄に回り、大企業は内部留保に溜め込み、結果、資産運用で海外にお金が流れて行くようになっているのです。

簡単に言うと、国民の生産が海外に流出してしまっているのです。

 これでは、景気が良くなりませんね。

日本は今、内需主導の成長実現を目標としなくてはならないです。

 最重要な要件は、企業貯蓄の大幅削減ね。

内部留保の適正化を、大企業に促すだけでも賃上げや、納入、納品額の引き上げの財源はかなり確保できるのでは。

この政策は、所謂、所得階層の中間層を厚くし、中の上、中の中、中の下といった中が日本社会を支える日本的なものです。

金持ちが、貧乏人を引っ張るなどといううさんくさい政策は、最後は必ず社会保障が崩壊します。

 最低でも、消費税率は維持が必要。

 法人税も、大企業にはむしろヨーロッパ並みに払ってもらい、中堅企業の負担を軽減。

IMFの消費税15%勧告の対日報告だされているっていうけど、日本側の財務省や日銀、財界との会談の上で結論を共有と明記したのですね。

 要は、消費税引き上げ法人税減税派の自作自演。

お手盛りってことですね。

 これを、振りかざして国際機関が言ってるなんてやられたら、たまらんですね。

ほとんど、こういうことふれないでしょ。

大企業の内部留保を、適正規模に抑えさせる政治のリーダーシップこそ求められるのでは。

 企業家は、税金出し惜しみしちゃいけませんね。

 私、税金払ってます。

 しかも、猫増えました。

自分の国は、自分で支えないと、誰が支えるか、考えた方が良いでしょうね。

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北という字を考えてみた。

北は、二人が互いに背を向け合う形だそうです。

背くの意を表す、とされるのです。

北は背の初文、つまり、背の文字が生まれた当初の形でもあります。

日に向かって背く方向の意から北方の意となり、背を向けて逃げる意から逃げる、敗れる意に用いるとされるのです。

 でも、ちょっと待った。

 日に向かって背く方向なら、午前は東に日があって西、午後は西に日があって東、そう思うけど。

確かにそうですね。

北が日に向かって背く方向なら、裏を返せば、北は日に向かう方向でもあるでしょ。

 そういえば、陰陽道では北を天、南を地とみなす。

背を向けて逃げる意から逃げる、敗れる意になる、その勝者は天ということになります。

 つまり、敗北とは、天に敗れる、と言うことね。

天下を争って、敗れたものはどちらに逃れるでしょう。

 野に下るとも言うけど。

 あ、そうか。
 
 天から地に下るから、地の意味で野と言っている。

天下平定とは、天に配された北に対し、地に配された南を平定することでしょうね。

 だから、指南車という、常に南をさす道具が作られた。

南は天から見れば地の方角だから、平定すべき南を常に指す必要があったのでしょうね。

 聖書で言えば、天から敗れて地に落ちたのはサタン。

 サタンとは逆らう者の意味。

 敗北は、天に破れて地に落とされたサタンにも対応しそう。

そう見えるのは、面白いですね。

 そういえば、北面武士(ほくめんのぶし)ってありましたね。

北面武士とは、上皇に仕え、院の北面下臈に詰め、身辺の警衛あるいは御幸に供奉した武士のことだったです。

北面は、11世紀末白河上皇が院政を開始してほどなく創設されました。
院御所の北面を詰所とし、上皇の側にあって身辺の警護あるいは御幸に供奉した廷臣や衛府の官人らをいうのです。

 北、すなわち天に顔向けできる身分の人たちが北面ということね。

 その天に面と向かえる、つまり傍近くお使え出来る武士だから北面武士。

おそらくそうでしょうね。

 都で天皇の場所を北に置いたのも、北を天、南を地とする陰陽に基づいていたわけね。

だから、南が朱雀だったでしょ。

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ムハンマドとイエスは矛盾するか。

預言者ムハンマドは、姦通の石打刑、窃盗の断手刑を執行したと指摘する人がいるのです。

 イエスは、娼婦とされる女性が石を投げられそうなとき助けたでしょ。

イエスは一方で、「罪のないものが投げろ」という、言葉も言っているのです。

 ムハンマドとイエスは、矛盾はしていない。

ムハンマドは、アッラーが命じられるままに投げたのでしょうね。

それは、彼がアッラーの預言者だったから。

 じゃあ、イエスも石を投げた可能性はあった。

この話しよく例に出されるけど、主がこの女は十分に悔いているから救うに値すると、イエスに命じたのでしょうね。

 そして、周囲の人々の素行には問題が多いことも、主は見通しておられた。

そうでしょうね。

イスラームは、多様な人間のクドラに応じて、様々な形で発現すると指摘する人もいるのですよ。

クドラとは、意思と訳される言葉です。

聖書には、自分が正しいと思うように振舞うよう求める箇所があるのです。

それが神の目に適うかどうかの判断は、主なる神がなさるという注釈がつくのですけどね。

 おそらく、そのことを言っていると思われる。

ええ。

 イスラム社会の刑で、いろいろ批判されることはあるでしょ。

だが、一番問題にすべきは、聖書やコーランの教えをきちんと踏まえて裁いたか、でしょうね。

 啓典にあるからといって、杓子定規に実行すれば、「主よ主よとこれ見よがしに言う」だけの者として主なる神に「あなた方を知らぬ」と退けられる。

そういうことでしょうね。

イスラム社会は、預言者の教えを受けたにもかかわらず重罪を犯した弱い信者をも内に抱える包括社会です。

 これも、聖書の教えを踏まえている。

意図せずに罪を犯してしまった場合、逃れの町に行けば良いとあるだけではないのですね。

 過ちを犯した以上に、神の導きを求めず悔い改めないことのほうが、より神の前では大きな罪ってことね。

救い主で知られるイエスだけど、最後の審判では容赦ない裁き人として再臨するのです。

そこでうろたえないでいられる、生き方って難しいけど、試みていくしかないですね。

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使い捨てライターは、チャイルドレジスタンスより、しつけの方が要りはしないか。

子どもの使い捨てライターでの火遊びによる、痛ましい事故が相次いだのです。

 子どもの手に届かないところに、置かない方が悪いと言う声もありますね。

でも、子どもがどこにあるかを知ってしまえば、どこにあっても結局同じと言うぼやきもあるでしょ。

 ところで、使い捨てに限らず、ライターがなぜ自分の家にあるか、考えた方が良いのでは。

そういえば、喫煙者にライターありますかと訊かれて、持っている人はたいてい喫煙者では。

 吸わない人が持っている場合って、少ない。

外で訊かれても、あるいは訪問先で訊かれても、ライターを持っていない家は、そのほとんどが非喫煙者では。

 非喫煙者が持っているとすれば、何らかの理由、たとえば蝋燭をつけることがある、くらい。

そういうお宅は、使うときの定位置があるだけでなく、用途が決まっているし、仕舞い場所も決まっているのでは。

 こういうお宅は、ライターを無造作に使わないのでは。

気をつけて使って、すぐに火を消す場合が大半では。

 つけてすぐ消さないのは、煙草くらい。

 しかも、ライターの使い方も無造作、ところ構わず吸って、タバコもライターも所構わず置く。

つまり、ライターは無造作に使ってところ構わず置いて良いものという印象を、知らず知らずのうちに子どもに植え付けているのでは。

 そこで、子どもも真似をして、ライターを無造作に扱い、無造作に振り回す。

そうして、気が付いたら火が燃え移っているのでは。

 喫煙者も、うっかり置いた煙草で家中に焼け焦げを作っていることは、よくありますね。

つまり、大人のやっている無造作な喫煙態度を子どもは真似をしているに過ぎないのでは。

 そういえば、経済産業省の諮問機関が、2011年夏より使い捨てライターなどに安全対策を義務付ける方針を決めた。

これを受けて、ライター製造大手が子どもが着火しにくいチャイルドレジスタンス(CR)機能付き商品を投入する動きが出ています。

 だけど、子どもだって馬鹿じゃない。

 どうやって使えば良いかわかれば、絶対工夫してつけようとする。

 そしてそれが、新しい遊びになって、悲劇は繰り返される可能性はゼロとはいえない。

一方で、高齢者や障碍者(しょうがいしゃ)は、使いにくくなる一方では。

 危ないから規制しろ、これって、鯨はかわいいから殺すなと、同じくらい感情的で短絡的。

 理性的に対処して、マナーやルールを守れば、危険性が減る。

 その証拠に、包丁で幼い子どもの同じような悲劇は少ない。

包丁だって、子どもはいつもどこにあるか知ってるし、どう使うかも知ってますけどね。

 そして、親の真似して台所ごっこをして料理しようとする。

 親も、安全な使い方を指導しようとする。

使い捨てライターは危ないからチャイルドレジスタンスをつけろ、というけど、大人がマナーとルールを守れば要らないのでは。

 だめといって、子どもから遠ざけるより、安全な使い方を親が指導するべきでしょうね。

だめといわれることほど、子どもって、やりたくなるのですよ。

 きちんと、安全な使い方を教えて親が一緒に使えば良い。

お供えやケーキの蝋燭とか、一緒に使うときってありますからね。

 煙草の吸い方まで、教えたらいけないけど。

捕鯨は鯨の絶滅につながるからやめろ、というけど、関係国がマナーとルールを守れば要らないのでは。

 逆に言えば、自分たちはマナーもルールも守れないから、チャイルドレジスタンスも捕鯨禁止も要るといってるようなもの。

 包丁は気をつけて丁寧に扱うものと、子どもは大人の態度から学んでいるから、怪我はあっても悲劇はほとんどない。

かえって、包丁を大人や高学年が意図的に犯罪に使って悲劇を生んでいますけど。

追記

チャイルドレジスタンスが義務付けられたからといって、全てのライターが、規制されるわけではありません。

おそらく、高齢者や障碍者が使いにくくなるという声に対応した結果でしょう。

規制の対象となるのは、いわゆる使い捨てのライターで、ジッポーライターのように燃料タンクが金属製のものや、使い捨てではなく、国の定めた対象除外要件を満たしたライターは規制の対象外です。

ここでいう使い捨てライターには、  バーベキュー等、たばこ以外のものに使用する多目的ライターも含みます。 

さらに、チャイルドレジスタンスも、過信してはいけません。

子どもによる点火操作を困難とする「CR(チャイルドレジスタンス)機能」は、51ヶ月未満の幼児による点火操作を困難とする機能で、国の定めた技術基準に適合するものとされたからです。

具体的には、点火操作力が重いもの、点火操作方法が複雑なもの等があります。

規制の詳細は、経済産業省http://www.meti.go.jp/index.htmlのこのページを見てください。

消費生活用製品安全法のページ
http://www.meti.go.jp/policy/consumer/seian/shouan/index.htm

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科学はどこまで正しい?

科学理論は全部、近似なのですよ。

 え。

 だって、いろんなこと説明出来ているでしょ。

説明できている現象も、仮説で解釈しているに過ぎないのですよ。

 じゃあ、日食や月食の説明も、仮説に過ぎないと。

観測で確かめられている事実をよく説明できている仮説だから、真実として扱われているに過ぎないのです。

燃焼についても、観測で確かめられている事実をよく説明できている仮説としてフロギストン説があったのです。

 燃焼した物質は、ほとんど例外なく軽くなるから。

フロギストン説は、あらゆる可燃性物質の中に含まれるフロギストンが、他の物質と分離するのが燃焼と説明するのです。

 ものを燃やすと煙が出ることから、この仮説が生まれた。

燃えやすい物質ほど、フロギストン濃度が高いと解釈したのです。

また、生命現象もフロギストンが関わっているとしたのです。
フロギストンの少ない空気ほどネズミが長命なことから、「脱フロギストン空気」は「良好な空気」と見なされたのです。

ジョセフ・プリーストリーは、水銀灰を使った実験で脱フロギストン空気を集めたと思っていたのです。

ところがそれは、酸素だったと後に判明するのです。

アントワーヌ・ラヴォアジエが密閉容器での酸化によって質量保存の法則を定式化するに至って、フロギストン説は棄却され、カロリック説に移行したのです。

長くなるので省くけど、カロリック説も説明できない現象が出て廃棄されることになるのです。

なお、良好とされた脱フロギストン空気は、いまでは酸素の濃い空気とされているのです。

 むろん、酸素が濃ければ健康にもよい。

ただし濃すぎると、酸素中毒になるから要注意です。

 これからも、フロギストン説やカロリック説のような袋小路に入り込む説が出る可能性はある。

当然ですね。

ニュートン力学も、アインシュタインの相対論も、ICや集積回路を可能にした量子力学も近似ですよ。

 ニュートン力学が光速に近い速度で限界が見えたから、アインシュタインの相対論が生まれた。

 ニュートン力学がミクロの世界で限界が見えたから、量子力学が生まれた。
 
 だから、ニュートン力学が近似なのは理解できます。

 量子力学やアインシュタインの相対論も、近似なの。

量子力学とアインシュタインの相対論は、より基礎的な理論と見られているのです。

ところが二つの理論を統一するのは、難しいのです。

 それは、どちらも近似だから。

そうです。
 
もっと、掘り下げた理論展開をして統一の可能性が出てくるわけですね。

 さまざまな化合物を可能にした科学理論も、近似ね。

現代科学で説明できていないから嘘、なんて間違いなことも多いのですよ。

 科学妄信は、ある種カルト。

そうですね。

まだ説明や解明できる仮説が立てられない段階に、過ぎない場合もあるからです。

 今も、フロギストン説やカロリック説の二の舞を踏みそうな説ありますかね。

恐竜や、恒星に関する説は、大きく揺れているから、二の舞を踏みそうですね。

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