神道と聖書を比べてみると。
神道には、教義がないと言われるのです。
そういえば。
神道にあるのは、神と祈りの儀式だけです。
じゃあ、教義がないかというと…。
神道は、「神ながらの道」と言う意味です。
「随神」と書いて、「神(かん)ながら」と読むのです。
「随」のもともとの意味はこうです。
神の在る所に従って祀る事。
そこから、随う、付き従う意を表すようになったのです。
任せるの意に、用いるのです。
一説には、人の後からついていく意を表すともいうのです。
つまり、教義はないのではないのです。
名前そのものが教義を表す宗教が、神道と言うことかも。
神を、神の在る所に従って祀る。
神に、付き従う。
神である人の後からついていく。
これが、神道の教義。
これって、日本の神は引越しをしょっちゅうしてるってことでしょうか。
神に、付き従う。
神を、神の在る所に従って祀る。
たしかに、移動する神に付き従い、神の在る所に従って祀る、そう見えちゃうです。
おまけに、神である人の後からついていく。
これって、聖書の神にそっくりね。
神が行くところに幕屋を移動させ、預言者の後からついていく。
日本も、神社を常設する前は仮設の神殿に神をお迎えした。
神に命じられた人の後に、信者は従った。
それに、常設の神社も、聖書の幕屋に似ていると指摘されるからです。
神職の衣服の裾に房があり、清めの塩を用いるところまでそっくり。
それに、神に従えといいながら、どうしろと言わない。
聖書には、あなたは自分の正しいと思うようにして良い、神の意に沿うかどうかは神が判断するとある。
神道も、あなたは自分の正しいと思うようにして良い、神の意に沿うかどうかは神が判断するとみえる。
神道には、神に従うよう求めながら、どうしろという定めはないです。
その代わり、困ったらいつでも神に救いを求めて良い。
聖書には、神は生きておられる、そういう箇所はいくつもあるでしょ。
神道は、神は生きておられることを前提に、成り立っている。
そして、判断に困ったら常に神に伺いを立て、決断し、行動する。
ここも聖書と神道は、共通。
その神道を持つ日本人の遺伝子は、古代中東と共通。
それじゃあ、シュメール渡来説や、日ユ同祖論でるわけだわ。
神と民族は一心同体で移動したのが、古代といっても良い位ですからねえ。
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コメント
おはようさま
神道は、いろいろあるようです。神道の土台は、アニミズムです。それは、森羅万象万物に神々が宿るという特殊な信仰です。アニミズムが土台になって、後の新しい信仰が融合したというのが日本の文化だと思われます。
アニミズムは、動物が持ち合わせているかは分かりませんが、人類がまだ動物時代からの最も古い信仰だと思われます。自然崇拝ですから、各地の自然風土によって異なる信仰になるのは当然です。あちらの信仰はこちらの信仰に全く合わないのです。例えば、南半球の星崇拝は南極星(実際にはありません)でしょうし、北半球では北極星です。宗教などというものはなかったと思われます。それが、宗派宗教となるのは、聖書などの権力化する新興宗教などの誕生以降だと思われます。
日本では、決して、アニミズムが途絶えることなく続いてきました。山ノ神、玄関の神・・・・
天皇主義やキリスト主義はほぼ、人間主義だと思われます。決定的な異なりです。天皇主義はまだ、アニミズムと共存してきましたが、キリスト教やイスラム教などでは、アニミズムはペイガニズムだったかといわれ、完全に差別され解体される教義です。ここに、共生共存の思想や自然法は奪われ、独善的統一宗教教義の下に支配されるようになったのが現在だと思われます。ガリレオ宗教裁判や十字軍民族浄化。勝ち組みや負け組みなどといって、負け組みは完全排除、抹殺されるのだと思われます。
猫、犬神社は山形県米沢の北隣、高畠町にありました。
投稿: かきね | 2010年8月 1日 (日) 10時04分
日本神道は、古代中東の宗教思想が独自展開を遂げながら生き残ってきたものが、その後流入してきた宗教の影響を受けながら今日の姿になったように思えます。
聖書は、古代中東思想の生き残りである神道と照らし合わせてこそ、本当の意味に解釈できるように感じますね。
神道の原型は、古代エジプトの動物神を含む多神教に遡るようです。
聖書にも、動物神を含む多神教を背景にして成立したと見える記述は散見されるようです。
投稿: cova | 2010年8月 1日 (日) 10時54分