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自分が真実と思えば、事実を歪曲しても良いか。The Coveを考える。その2

映画「ザ・コーヴ(原題も"The Cove")」について、イギリスのガーディアン紙が、興味深い議論をしているそうです。

「東洋人はイルカを食べるが西洋人は牛を食べる。どこに問題があるのか?」と、イルカ漁を問題にしている映画の手法を疑問視しているというのです。

 この視点に同感ですね。

 もちろん映画は、一方的な価値観で作って、公開してもいい。

 価値観の違いは、論理では解決しない。

ザ・コーヴの最大の問題は、捏造と歪曲についての批判がうんざりするくらい、ででくることです。

 もちろん、捕鯨の是非も、論議の対象ですけどね。

食べる食べないは、結局は議論に参加した人たちの中でどんな倫理観が多数派なのかで、決まる所があると思います。

ドイツで同じ議題でディベートした人の話では、そのときはアジアの学生がたまたま多く、「犬・鯨は食べても責められない」が勝ったそうです。

欧州人からは、大ひんしゅくだったらしいけど。

 でしょうねえ。

ザ・コーヴは、上演すべきかどうかで、各地で物議をかもしているのです。

妨害に屈した上演中止ではなく、検討したが内容に問題があるから上演を見送ったというなら、まだ見所があるのですけどね。

 いったん上演を決定したのなら、上演した上で、作品の問題点を批判したほうがまだ、よかった。

問題点を批判すること、発表を妨害すること、別次元です。

問題点を是正した上で発表しなおすべしとは、私の要望です。

誰にも検閲の権限なしです。

聖書にも、このような意味の発言が神の言葉として、収められているのです。

自分の正しいと思うようにせよ、判断は私(つまり神)が下す。

神でさえしないと、明言の検閲なのですよ。

検閲には、賛成できないですね。

 検閲!

 私もごめんこうむります!

 表現をどうするか、当人が決めること!

 評価される作品は残り、されない作品は消え去る。

 それだけのこと!

上演しても、しなくても、その理由は、はっきり言って欲しいですね。

それが正しいかどうかは、個々人が判断したら良い。

ザ・コーヴの問題点を批判することと、上映を妨害することは、別次元です。

表現の自由は、どう表現するかとともに、どう表現しないか、という二つの側面があるのです。

問題点を是正した上で上映しなおすべしです。

真実を掲げてデマを混ぜれば、作品のメッセージ全体がデマになるです。

 コーヴのシホヨス監督は、ただの嘘つき男なんですね。

日本語訳チームの事実誤認の訂正を受容しないなど、私も彼らの姿勢に同意できないところがあるのです。

 しかし、発端の立教大学の上映中止にはがっかりしました。

学問表現の自由の府も、墜ちたもんです。

妨害に屈した上演中止ではなく、検討したが内容に問題があるから上演を見送ったというなら、まだ見所があるのですけどね。

 いったん上演を決定したのなら、上演した上で、作品の問題点を批判したほうがまだ、よかった。

ザ・コーヴをドブスを守る会と、同列において批判する人がいるのですね。

ザ・コーヴをドブスを守る会と、同列に置いちゃまずいです。

ドブスを守る会は、相手の自尊心や肖像権を侵害して、相手の気持ちを傷つけたのです。

 後から目的をばらして撮影するくらいは、ドッキリカメラでもやってます。

 ドッキリカメラは、悪意のないいたずらであり、悪ふざけとして許容される範囲内でやっている限りは、問題視されないでしょうね。

ザ・コーヴは、目的を隠し、上映されてだまされたと知るから余計悪質です。

低俗なだけのドブスを守る会より、コーヴは悪質です。

フィクションを看板に掲げて嘘を言えば芸術と呼ばれるが、真実を看板に掲げて平気で嘘を混ぜれば詐欺と呼ばれるのです。

目的を隠して撮影に協力させ、やめてない人をやめたといい、やらせ映像も平気で混ぜているのです。

だから、ザ・コーヴは問題なのです。

NHKの取材でも、問題点が複数あぶりだされているのです。

 ほかでも、問題点をあげる人はいるようですね。

水産庁漁業資源課課長補佐の諸貫秀樹も、この映画で迷惑している人の一人です。

映画で首になったと説明されていた水産庁の諸貫秀樹が、今でも普通に勤務していることをルイ・シホヨス監督に問い質すも、「辞めたって聞いた」と苦しい言い訳。

ザ・コーヴは、現在は行われていない過去に撮影された突きん棒漁法によってイルカの血で海が赤く染まる「残虐な漁法」が現在も行われていると嘘。

過去の漁法の映像を見せてコメントを要求し、諸貫が「何時何処で撮影したのか」と問いただした直後に、その場面を編集で打ち切り、視聴者に誤解させる。

ザ・コーヴは、インタビュー後に下手な弁明を行った諸貫が上層部から解雇されたと視聴者に誤解させるような編集だが、事実無根。

映画で日本政府が捕鯨議題のためWCにリクルートしたとされる、アノテ・トンキリバス大統領は「大変残念。そんな事実はなく、捕鯨はキリバスが強く望んでいること」と述べている。

別撮りのイルカ漁の映像と、女の人が泣くところをつなげて一つのシーンとして流してた。

諸貫秀樹の件といい、間違いを指摘されても平気で嘘をついてごまかそうとするところをみると、ようするにコーヴのシホヨス監督はただの嘘つき男なんですね。

日本人は他の国にイルカ漁をしろと強制している訳でも、他の国の食文化をやめさせようとしているわけでもないです。

「イルカ漁は伝統じゃないです。伝統だとしても悪習はやめるべきだ」と極めて独善的な態度で一方的にイルカ漁を断罪している歪んだ思想の持ち主のシホヨス監督に問題があるだけです。

フィクションを看板に掲げて嘘を言えば芸術と呼ばれるが、真実を看板に掲げて平気で嘘を混ぜれば詐欺と呼ばれるのです。

目的を隠して撮影に協力させ、やめてない人をやめたといい、やらせ映像も平気で混ぜているのです。

だから、ザ・コーヴは問題視されるのです。

違うでしょうか。

目的を隠して撮影に協力させ、やめてない人をやめたといい、やらせ映像も平気で混ぜているのです。

 目的のために手段を選ばないのは、問題でしょうね。

主張さえ正しければ、テロ行為も擁護していいのでしょうか。

 しないでしょ?

確かに、水銀問題などは、冷静に受け止めるべきテーマですよね。

 ただ、嘘と捏造と悪意に満ちた作品に巻き込まれた水銀問題こそ、迷惑しているでしょう。

 あのやり口は許せません。

ザ・コーヴは、捕鯨に対する賛否の立場を超えて、嘘と捏造と悪意だけで固められた忌まわしい作品として、弾劾されるべきでしょうね。

 でも、だからといって上演妨害は良くないでしょう。

聖書で神は、自分の正しいと思うようにせよ、後の判断は私がする、そう何度もおっしゃっているのですから。

 ザ・コーヴって裁くべき人をあぶりだしているようで、怖い。

裁きの悪魔か、人々を道ずれにしようと企むサタンか、そこは問題かもしれないですね。

うそに事実を混ぜて、全体を事実と強弁するのはサタンのたぶらかしの常套手段と、神秘主義研究ではいうのです。

  "The Cove"はサタニズム映画と、神秘主義者ならいうだろうと。

おそらく、そうでしょうね。

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コメント

きわめて同感です。
そもそもアメリカのドキュメンタリーは偏向の傾向が強いのですが、この映画は、環境保護ビジネスのPVとして作られていますので、制作側はドキュメンタリーである必要がないと思って作っているのではないかと思います。人を説得するならば、もう少し動かぬ証拠でも突きつけるか、相手の心情を求めながら説得を試みるかすべきである。誠意も努力も放棄して、都合のいい部分だけを映像にして垂れ流すのは、アメリカの退廃の象徴にもみえる。

投稿: ednakano | 2010年7月21日 (水) 13時38分

NHKの番組でも、シーシェパードの懸賞目当てに作成された映画と指摘していましたね。

そして、シーシェパードは各国の警察組織によりテロ団体として指定・監視されている。

テロリストの扇動映画であるばかりか、デマとでっち上げに満ちたこんな映画、まともな映画人はかかわり合って欲しくないですね。

投稿: cova | 2010年7月22日 (木) 02時34分

都合のいい部分だけを映像に、というより、自分の都合のいいように映像を編集して事実をゆがめているのが問題でしょうね。

投稿: cova | 2010年7月22日 (木) 02時41分

端的に言うと、人間の深層心理にある差別主義(残念ながら誰にでもある)を煽動することで、シーシェパードなどの環境保護ビジネスを正当化し、募金を募ろうというわけです。本来日本公開は重視していなかったと思います。ところが、興行が大コケ(通算1億円)で、アカデミー賞等の欧米の賞のご威光に弱い日本でも稼ごうと考えたようです。
街宣同好会みたいな団体が、引っかかったのか、おこぼれ頂戴しているのか、ただ目立ちたいのか不明ですが、しっかり宣伝してやったため、意外な大盛況(といって、小さいとこばっかりですから、そう稼げるとは思いませんが)の様子です。「靖国」と同じです。NewsWeekでリック・オバリーは、これは歴史に残る映画で、「靖国」と違うといっていたけど、これは、欧米人の傲慢に象徴と閑居保護ビジネスの問題意識の低さの証明と、アカデミー賞の偏向の象徴として歴史に残るんだろうな。

投稿: ednakano | 2010年7月24日 (土) 09時07分

映画として及第点さえ取れたと思えば、でっち上げかどうか問わないのでは、ドキュメンタリー部門は廃止して欲しいですね。

投稿: cova | 2010年7月24日 (土) 09時19分

せめて、データの整合性などでの審査が必要かと思います。娯楽性が失われても、無責任なデータや事実誤認については、パンフレットや、テロップでの指摘を入れるべきです。嫌ならねつ造や牽強付会的なことをしなくなるので、質が向上すると思います。
アカデミー自体限界かなという感じもしますが。

投稿: ednakano | 2010年7月25日 (日) 22時05分

まだ途中なのですが、三浦淳氏のクジラとイルカの文化政治学という本を読んでいますが、その中で、アメリカの“ニューエイジ”という世代(ちょうど私と同じだいですが1940-50年代生まれくらい)は、カルトや神秘主義が流行し、イルカがアトランティス人だとか、宇宙から来たとか、人間並みに知性があるとかをまともに信じている人間が多いようです。ポール・ワトソン(SSCS代表)なんかもその世代ですが、彼は本当は超功利主義者で、メディアを利用して金もうけしているだけでしょうけど。
どうも、反捕鯨の人と話がかみ合わないのは、新興宗教の信者との会話の違和感と共通のものと考えると腑に落ちます。

投稿: ednakano | 2010年7月25日 (日) 22時13分

ドキュメンタリーも賞の対象にするつもりなら、ドキュメンタリーとしての質もちゃんと審査して欲しいですよね。

反捕鯨の人たちは、感情論で非科学的なめちゃくちゃな論理で、対話にならない人が多いようですね。

困ったもんです。

投稿: cova | 2010年7月26日 (月) 09時34分

人間て、本当にだらしない心の持ち主らですね。特に心を内向きに閉ざしている、ある島国の一部の人々は。。。
イルカショーやらイルカウッチングとかで子供らに親しくさせておいて、犯罪者みたいに町ぐるみでカメラや人目を避けながら、その親しく天真爛漫に近づくイルカを無残で野蛮に殺している。。そして、いつもの台詞は「何故イルカだけ??牛や馬や鳥は?」という言い逃れだけ。
「じゃ、頭脳や力の弱い人間はどう?頭脳や力が強い人間が弱い人間を共食いしてもその言い分は通るんじゃない?」と言いたくなりますな。

なぜ、そこまでして鯨を食べようとするかな・・・。世界中から「野蛮人!」という指差しをうけながら。。。
私は鯨やイルカは殺さないで欲しいですね。もうちょっと、国際的に融和する心と親しみ包む愛を見せて欲しいですね。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
===================
もう少し説明を加えるとすれば、

牛や豚や鳥は世界の共有財産でも無いし、持ち主が明らかである。そして海の魚類も捕って食べてもよいと世界の人々が認めている。

しかし、鯨やイルカはその所有権が日本人だけに特定されて無い。
要するに、世界の人々の共有財産である海の資源の中で、魚類は捕って食べてよいということを、各国の人々が決められたルールの中で互いに認めているけど、イルカは人間を見たら素早く逃げる魚と違って、それは人間を見かけても逃げるところか、わざわざ好奇心を持って近寄って遊ぼうとする頭脳を持っているし、鯨もイルカに劣らない頭脳を持っているは勿論のこと、その数もかなり減っているので、その共有の持ち主らの大多数がその哺乳類は残酷に殺したり大量に捕獲して食料にしたりしないで欲しいと言っているんだから、そういう相手の言い分にも協調してやるべきだと思います。
なにしろ、そんなもの食べなくても生きていける日本国民でしょう?それが文化とか漁民の生計とかいい訳をしているけど、間違った文化は治すべきだし職業の問題はいつも時代と一緒に衰退する業もあるしそのたび、当事者達は別の職業に移って生きている。

これからは日本国民も旧遺産に染まってエゴを張る光景よりは、もっと綺麗でよい処を世界中の人々に発信して欲しいですね。
それが長い目で見れば将来の日本人の評判と利益に繋がるんじゃないでしょうか?

投稿: 鯨の恨みと人間の心無さ | 2011年5月16日 (月) 14時36分

捕鯨について、価値観でいろいろ議論があることは承知しています。

生態系に人も参加してきた以上、それをやめることはできないのですよ。

乱獲はもちろんいけません。

しかし参加してきた生態系から手を安易に引けない以上、実態を科学的に把握し、必要に応じて禁漁も含めた規制は当然すべきです。

ある特定の国や地域や時代の価値観に振り回されない、持続可能な地球環境に責任を持てる取り組みを科学的にすべきと、言いたいだけなのです。

投稿: cova | 2011年5月16日 (月) 16時52分

生態系において、ある種が撤退するのは絶滅した時だけです。

捕鯨は、太古の昔から行われてきました。

つまり、人はシャチと並ぶ鯨類の捕食者として生態系に参加してきたのです。

もし人が手を引けば、鯨類の捕食者はシャチだけになります。

シャチの繁殖能力は低いので、人が手を引けばシャチだけで鯨類の数量を抑えることは不可能でしょう。

当然、鯨類によるオキアミや魚の捕食量が増え、生態系全体のバランスは崩れます。

結果として多くの鯨の餓死による、調整が起こるでしょう。

つまり、クジラの数量制御にとっては鯨の餓死によるか、捕鯨によるかの差しかないのです。

ならば、古代から続く生態系を維持してダメージを減らすほうを選ぶべきではないでしょうか。

投稿: cova | 2011年5月16日 (月) 17時26分

>世界中から「野蛮人!」という指差しをうけながら。。。

世界中(笑)
反捕鯨派の人ってやたらと自分の考えが世界中に共有されてると言い張るよね。
全世界70億の人にアンケートでも取ったのかよと。
はっきりいって、欧米でも極一部のノイジーマイノリティーが騒いでいるだけ。

>「じゃ、頭脳や力の弱い人間はどう?頭脳や力が強い人間が弱い人間を共食いしてもその言い分は通るんじゃない?」と言いたくなりますな。

通りません。
人間には人権が保障されているが、それ以外の動植物には保障されていませんから。
ここは人間社会であり人間のためだけに社会が運営されているという基本的なことを忘れていますね。
あとは面倒なので toripanさんの論を引用

「人間を食っては駄目で、人間に近いほど頭がいいかもしれないイルカや鯨を食っていい理由」は「人間には食われた仲間の仇を討つ為の復讐ができるが、イルカや鯨には不可能だから」という事です。

仮にイルカよりも知能の低い、重度の知的障害を持つ人間が殺されたとしましょう。
法律云々はテーマと違うので、その殺人を裁く仕組みが世の中に無い、と仮定します。
貴方が障害者の家族なら仲間を殺されたイルカのように健気にイルカショーで飛び跳ねますか?
裁いてくれる法が無いんだから、何とかして犯人を探し出し、或いは犯人を知っていれば復讐しませんか?
たとえイルカより知能の低い重度知的障害者でも、同じ人間であるその障害者の家族は犯人に対し復讐が可能です。

人間の重度障害者より頭が良いであろうクジラさんイルカさんには、人間に対しそれ(復讐)が出来ないから、人間は安心して彼等を食用に殺す事が出来ます。

「この喩えは法が無い、という有り得ない設定だから駄目だ」と言うなかれ。
この『復讐』を個人に代わって所属集団が代行で果たしてくれるようになり、お互いを助け合いながら出来る限り安全に安心して暮らせるようになったのが原始社会「ムラ」・「クニ」、後の「法治国家」の成り立ちです。

そして「自分が殺したら、自分も(その殺した相手の家族・仲間に)殺されるよ?だから殺しちゃ駄目だよ?」というのが殺人禁忌の「社会契約説」です。

>それは人間を見かけても逃げるところか、わざわざ好奇心を持って近寄って遊ぼうとする頭脳を持っているし、

好奇心なら他の色々な動物にもあるのだが・・・
まあ反捕鯨派はイルカ鯨を特別な存在だと思いたいのはわかった。

>その数もかなり減っているので、

絶滅に瀕しているのはカワイルカの一部の種くらいなもの。
日本がIWCで捕鯨したいと申し出ているクロミンクは数十万という数が生息している。
反対派って全部妄想だらけだよな。

>なにしろ、そんなもの食べなくても生きていける日本国民でしょう?

○○なんてなくても生きていけるだろ
なんて言ってたら、バンドやるのも絵画見るのも落語を聞くのも禁止されてしまうよな(笑)
自分には必要ないからと他人の自由を認めず禁止させようとする発想は恐ろしい。

>要するに、世界の人々の共有財産である海の資源の中で、魚類は捕って食べてよいということを、各国の人々が決められたルールの中で互いに認めているけど、

海洋法条約第87条は公海での漁獲の自由を定めている。
もちろん魚以外の海産物全てに適用される

http://www.icrwhale.org/eng/59BriefingNoteJap.doc

3.日本の捕鯨は世界の世論を敵に回している。

回答:1992年にリオデジャネイロで開催された国連環境開発会議(UNCED)は、
国連海洋法条約の規定にある公海での捕鯨を許可する合意を再確認し、
持続的利用や開発の対象資源リストから鯨をはずそうとする反捕鯨国のたくらみを明白に否定している。
また、1997年と2000年のCITES(絶滅の恐れのある野生動植物の種の国際取引に関する条約)会合では
出席した締約国の過半数が管理下でのミンククジラの利用を支持した。

したがって、反捕鯨は「世界の世論」ではない。
事実、世界中で鯨類や小型鯨類(イルカ類)が食用として利用されている。
鯨類を食用としない人々の間にも鯨を含む資源の持続的利用が幅広く支持されている。
中国、ロシア、ノルウェー、アイスランドおよび多くの開発途上国が鯨類の持続的利用を支持している。
反捕鯨は西洋のマスメディアによって助長された主に西洋先進国に見られる現象である。

>これからは日本国民も旧遺産に染まってエゴを張る光景よりは

これからは反捕鯨派も旧来の捕鯨差別観に染まってエゴを張る光景よりは、差別しない真っ当な発想をしてほしいですね。
なぜ他の動物では当たり前に行われている、食や調査を鯨では否定するのでしょうか。

>間違った文化は治すべきだし職業の問題はいつも時代と一緒に衰退する業もあるしそのたび、当事者達は別の職業に移って生きている。

間違った捕鯨蔑視は治すべきだし職業差別の問題はいつの時代にもあるしそのたび、当事者達は「差別はよくない」とくだらない差別を乗り越えてきている。

投稿: アリア | 2012年9月 4日 (火) 17時03分

アリアさん、詳細な議論ありがとうございます。

反捕鯨を言う人たちは、オーストラリアで野生のカンガルーが農業に与える懸念のために間引きをして、その肉をヨーロッパ各国を含む国々に輸出していることには反対してないですよね。

ようするに、カンガルーは自分たちもおいしく食べているから、間引きに反対しないが、鯨類は自分たちが食べてないし利用していないから自分には関係ないとして反対しているとしか言いようがありません。

鯨を乱獲で減らした原因は、鯨油目当ての捕鯨を、歴史ある捕鯨国に割り込んでやったヨーロッパにあることを棚上げしているのが、反捕鯨ですよ。

歴史ある捕鯨国は、持続可能な数しか獲らないようにしてきたから、鯨はその数が保ててきたのです。

投稿: cova | 2012年9月 5日 (水) 00時05分

環境保護には、生態系保護も入ります。

鯨に関する生態系でいえば、歴史的な捕食者はシャチと人間です。

生態系からの撤退は自然界では種の絶滅した時以外ありません。

感情的な反捕鯨は、皮肉なことに生態系破壊をしろと言ってるのと等しいのです。

投稿: cova | 2012年9月 5日 (水) 00時55分

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