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日ユ同祖論がありながら割礼がない日本。

割礼(circumcision)の慣行を持つ民族は、ユダヤ教圏、イスラム教圏、アフリカ、オーストラリア等に分布しているのです。

 割礼とは、成長期に性器の一部を切除する慣行のことでしょ。

 イスラム教も、ユダヤ教復古運動の側面があるので割礼の習慣があっても不思議ではない。

男性の割礼の場合には、陰茎包皮を切除し、女性の割礼の場合には、陰核全体あるいはその一部を切除することがみられます。

 でも、聖書の宗教でありながら、キリスト教には割礼の習慣を聞きませんね。

新約聖書に、「使徒言行録」、あるいは、「使徒たちの活動」の名で収録された文章に割礼廃止の決定があるからではないでしょうか。

割礼廃止決定の根拠となったのは、神が無割礼の異邦人に聖霊を与えられたことや、神の預言の言葉だというのですよ。

 「使徒行伝」は96年にはローマで、115年までにはアンティオキアとスミルナで広く読まれていたことはさまざまな記録から明らかなようね。

成立時期が70年より前ということは、考えにくいと言うのです。

「ガラテア人への手紙」は、西暦50年から52年ごろ書き終えられているのです。

「ガラテア人への手紙」には、割礼がもはや要求されていないという決定がガラテア人に知らされたことが記されています。

神が、無割礼の外国人をキリスト教信者として受け入れることを示された後,多くの無割礼の外国人たちが原始キリスト教の布教にこたえ応じていたのです。

 無割礼の外国人たちも割礼を受けるべきではないのか、という質問も出たでしょうね。

ええ。

使徒言行録には、そのときの様子が生々しく残ってるのです。

原始キリスト教の代表者団は、無割礼の外国人たちも割礼すべきかと言う問いかけに関する決定を下したのです。

その結論は、割礼はもはや行う必要ないというもの。

その時の詳細な内容が、使徒言行録の15章6から29節に記されているのです。

 「使徒言行録」の成立は、「ガラテア人への手紙」よりも後ね。

会議の記録が散逸しないよう、編纂されたのかも。

 イエスも預言者として受け入れているイスラム教に割礼があるのは、割礼廃止がイエスによってもたらされた決定ではないからかしら。

そうかも。

 そうなると気になるのは、ユダヤとの同祖論がある日本よ。

ユダヤと同祖だというなら、日本になぜ割礼がないでしょうか。

その鍵を握るのは、日本になぜか残る原始キリスト教を連想できるさまざまな事柄でしょうね。

 そういえば、日本の神道に神社建築をもたらした秦氏にはユダヤ人キリスト教徒説がある。

それも、年代から言って原始キリスト教であった可能性があるのです。

秦氏の基になったのは、日本書紀によると応神天皇14年に朝鮮半島の百済から百二十県の人を率いて帰化した弓月君(ゆづきのきみ)ですね。

 新撰姓氏録では、融通王と記するのね。

 弓月、融通、これって、ユダヤの転化でしょうか。

弓月は“ゆんづ”が本来の読みと、指摘されるのではないでしょうか。

 “ゆんづ”“ゆんづう”“ゆうづう”と並べて、“ゆだ”“ゆだや”と続けると、音が似てるの。

転化の可能性を疑う価値は、ありそうですね。

 ユダヤの当て字だったから、複数の書き方があるとみればどうでしょ。

それは、ありえるのではないでしょうか。

秦氏の“はた”にも、“ゆだや”が“いぇはだー”に聞こえるので転化したのだという説があります。

 弓月、融通、秦、これ全部、“ゆだや”の転化だとしたら…。

弓月君もしくは融通王とは、“ゆだやの王”とか“ゆだやの指導者”となるのですね。

応神天皇は第15代の天皇で、在位は270年2月8日から310年3月31日と見られているのです。
 
 つまり、「使徒言行録」や「ガラテア人への手紙」よりずっと後ね。

もしも秦氏がユダヤ人キリスト教徒で、しかも原始キリスト教であったとしても、割礼廃止された後の人々だったということになりますね。

 そして、秦氏と天皇家の関係が、わたしたちの想像以上に深いとしたら…。

そういえば、神道最高祭司であるはずの天皇の周辺には意外なほどキリスト教徒が多いとの指摘もあるのです。

 ザビエルも、日本人の精神文化がキリスト教的であると驚いている。

 偶然とは思えませんね。

 ユダヤと同祖であるという説がある日本に、割礼がない理由は…。

原始キリスト教徒だが割礼廃止された後の人々であった、秦氏の影響でしょうか。

追記。

古代イスラエルを連想できる風習を数多く持ちながら割礼がない日本が、十支族がやってきた国の候補に挙げられる理由は聖書の記述にあります。

エレミヤ書 16:13にはこうあります。

「わたしは、お前たちをこの地から、お前たちも先祖も知らなかった地へ追放する。」

お前たちも先祖も知らなかった地というから、地中海世界やアラブ、中央アジア、インドなどは十部族の定住先の候補から自動的に除外されます。

また、イザヤ書11.12では、十支族を「イスラエルの追いやられた者たち」と呼んでいます。

この「追いやられた者」とは、「割礼なき者」を意味する言葉でもあります。

今回は、この聖書の預言がどのような形で成就した可能性があるか、考えてみたわけです。

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コメント

「ユダヤと同祖であるという説がある日本に、割礼がない理由は…。」
その理由は単純に同祖でないからではないでしょうか。

投稿: 御坊哲 | 2010年8月 2日 (月) 19時28分

古代中東の遺伝子が日本にあるからといって、ユダヤと同祖とは限らない。

確かに、そういう考えもできます。

でも、日ユ同祖で解釈しようと思えばできることは、面白いほど多いのです。

日本文化中東起源説自体は、十分検討しても良いと思えます。

投稿: cova | 2010年8月 2日 (月) 20時08分

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