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コーランしか読もうとしない、現在のムスリムの立場は、本当にそれで良いか。

ムスリムは、旧約聖書を読まないです。

ムスリムは、新約聖書も読まないです。

 聖典は、コーランとも発音されるクルアーンのみというわけね。

これが、現在のイスラームにとっては当然視されているようです。

 一般ムスリムが読むのは、もっぱらクルアーンというわけ。

今のイスラム教徒にとって、旧約聖書の内容は、コーランに書かれた事が全てであり、旧約聖書は必要としないとされています。

これは、新約聖書も同じ事です。

ムハンマド自身は、「旧約聖書は完全無欠」とコーランで語っているのにですよ。

さらに、「聖書も読め」と勧めているのです。

ムハンマド自身は、コーランは「聖書が正しいことを確証するためにある」とまで断言しているのです。

しかし一方で、コーランは、旧約聖書の記述と大きな食い違いをみせているように見えるのも確かなのです。

 でも、聖書の内容は、新約・旧約ともにクルアーンとは原理上矛盾しないはずでしょ。

最後の預言者であるムハンマドに下されたコーランが「確証」するべき「聖書」とは、現存するユダヤ教徒・キリスト教徒の聖書ではなく、「本来の」聖書であるとするのです。

 「本来の」聖書、ですか。

イスラムは、いまある旧約聖書も新約聖書も不完全なもの、歪みが入ったものと見ているようです。

イスラーム側では、記述の食い違いという矛盾を解決する手段として、「ユダヤ教徒やキリスト教徒による聖書の改竄・歪曲」という主張を編み出したのですよ。

すなわち、当時から現代に至るまで現実にユダヤ教徒・キリスト教徒の間で使われている聖書は、歪曲・改竄が繰り返されたことで啓示された本来の内容から離れたと主張するのです。

 カッバーラを知らないと本来の聖書はわからないと言う人々と、歪曲・改竄が繰り返されたとする点では、イスラムは意見が合うのね。

イスラムは、歪曲・改竄が繰り返されたことでコーランとの食い違いが生じるとするのです。

一方、コーランは神の言葉がそのまま記された完璧なもの、というのが現在のイスラームの立場です。

 つまり、コーランには、聖書を真に理解するために必要とされるカッバーラのようなものは存在しない。

少なくても、ムスリムにカッバーリストのような存在がいるとは聞いたことないですね。

公然といたなら、コーランは神の言葉がそのまま記された完璧なものという、公式見解と矛盾するでしょ。

 でも、イスラムにもカッバーリストのような存在はいてもおかしくない。

いてもおかしくない気は、するのですけどね。

 食い違いの中に隠されたメッセージを、読み解く人はどこかにいる。

いるかも。

イスラムの支配下地域では、聖書が禁書とされ、それは現在までも続いているのです。

 聖書は、イスラムで聖典のひとつとされているでしょ。

 それなのにイスラム教徒のほとんどが実際には聖書を読まないのは、聖書が禁書にされていることに原因があるの。

ムスリムは、コーラン以外に、ハディースという文献、というより文書集をよく引用するのです。

ムスリムにとっての第二聖典であるハディースは、使徒ムハンマドの言動の伝承を後代に編集したものとされているのです。

このハディースは、イスラムの世界支配が確立したのちに成立しているのです。

 コーランでは、「旧約聖書は完全無欠」、「聖書も読め」、コーランは「聖書が正しいことを確証するためにある」といわれているのに…。
 
 ムスリムには、ほとんど知られていないの。

ええ、残念ながらその通りですね。

ハディースはコーランには答えの書いてない、解釈できないような生活や社会の規範を決める根拠にするのです。

ハディースは、いろいろな種類があり一つではないそうです。

イスラムの教義や法学を勉強する人は、ハディースを読むのです。

大多数のイスラム教徒は現在、第二聖典とされるハディースの主張である「コーランは聖書よりも優れている」との考えを採用しているのです。

イスラームでは、旧約のうち最初の基本的な5書のみをトーラーすなわち律法として、聖典とみなすようです。

アブラハムの息子のうち、妾ハガルに生ませた息子イシュマエルがセム族つまり、アラブ民族の始祖という伝説です。

 でも、セム族とはノアの息子セムの子孫と言う意味でしょ。

そうですよ。

アラブはセム族の一部です。

また、イスラムの天使もユダヤ教の天使と共通するものもあります。

ムハンマドにコーランを与えた天使は、ガブリエルと解釈されているのです。

 でも、そうなるとイスラムはイエスの明かした御父と御子と聖霊をどう見ているのでしょ。

ただ一人の神であるアッラーの啓示を、ムハンマドが受けたと見ているわけです。

ムスリムのイエスに対する解釈は、おそらくこうです。

イエスは、聖霊を伴ってアッラーから使わされた特別な預言者であり、御子ではない。

イエス自身も、人の子と自らを呼び、神の子と言う呼び方を退けている。

アッラーの言葉に、わしに子供はおらんとある。

矛盾はないでしょう。

 しかし、こういう解釈もあるでしょ。

 イエスは、聖霊を伴ってアッラーから使わされた特別な預言者なのは、御子だから。

 イエス自身も、人の子と自らを呼び、神の子と言う呼び方を退けているのは、御父もかつては人の子だったから。

 アッラーの言葉に、わしに子供はおらんとあるのは、イエスがアッラー、すなわち御父エロヒムの言葉を伝えているから。

ええ、わたしは、そちらの立場です。

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コメント

私はイスラム教です。確かに、あなたの意見はムスリムが聖書も読むべきと思うと言ってましたが、確かに、イスラムの初期ではキリスト教やユダヤ教の人達と結婚また、彼らが捌いた肉を食べれるたんです。あくまでも、イスラム初期では同胞として扱いされました、しかし、クルアーン(コーラン)は今の本の形に預言者ムハンマド様に啓示されたのではない、確かに預言者様は読み書きできない人です。これは彼は亡くなる時もそうです読み書きできないままです。だから、当時のアラブ人が驚いたのです。そして、もちろん人々はいきなり俺が預言者だ言うと人なんか信じないし、証拠としていろんな事を尋ねました、その時も(イスラム歴史をみればわかりますが、預言者様は前の預言者様達(イブラヒム様やイエス様やムーサー様)や彼らの啓典については無知なままです。)すぐに答えるのではなく、神の啓示が天使ジブライル(ガブリエル)を通して降りるのを待って来てから、答えてました。預言者様が自分の意思または知識で答えたとムスリムは信じていません。じゃあ、このムハンマドという人は何がすごいのか、なぜの神の次にムスリムに愛されるのか?彼は神に最も愛され、彼の行為、言葉すべて神によって清らにされ、彼は聖典クルアーンの教えを人間としてそのまま生きてみせました。つまり、信仰、断食、祈り、寄付、巡礼、結婚、商売、政治、と言った何をするにしろクルアーンの教えをそのまま実行して証明して解説しました。その解説が、ハディースです。何も彼の言語録すべてではなく、イスラムに関係ある事は残こされている。つまり、神によって選ばれた人類のお手本です。ここで、キリスト教とユダヤ教に大きな違いがあります。慈悲深きアッラーは人類のために預言者アダム様を含め約10万人もの預言者達をこの世に送られました。その預言者達は時代に一人か同時代に別々の民に送られ、その預言者達の役割はその人の民を導くことだけでした。同様にユダヤの民に送られた預言者達がヤコブ様からイエス様までで、最後にして預言者様中でもリーダーとしてまた、全人類が彼の民として送られたムハンマド様である。彼が生まれたときから、生きている人間からこれから、生まれる子どもから世界中が彼の民であります。これはもちろんキリスト教やユダヤ教からは非難され未だにお互いに忌み嫌ってはいるが、これを証明するために、かつて、自分の民であるユダヤ人追われ十字架にかけられる前にが生きたまま昇天させられた慈悲深きアッラーの奴隷でかつ預言者でイエス様が再びこの世に今度は預言者としてではなく、ムハンマド様の民として舞い降りキリスト教かユダヤ教かイスラム教かどっちか、誠か教えるとして預言されています。楽しみです。
最後に、少なくとも、イエス様の当時のキリスト教の教えや聖典、または、モーゼ様の当時の教えを別に読んでもなかったんですが、しかも、ユダヤ教とキリスト教の当時の聖典にムハンマドもう一つの呼び名がアハメドという預言者が来るという予言が残ってましたし、訳する時になぜか訳しないがキリスト教とユダヤ教両聖典もユダヤ人に降りたの本当はヘブライ語で現在でもヘブライ語で読むとムハンマドなっていりのに、英訳にするとそこスルーです。ま、何を隠そうが、暴れようが、偏見されようが、最後の審判の日には何も通用しないのでが楽しみで待ち遠しいです。笑
また、最後のあなたの解釈ですが、それが人間である我々なら、そう思いますし、イスラム教では、預言者ムハンマド様を他の預言者様達はあくまでも、我々に対して、警告者であり、預言者であります。我々からはすごい存在ですが、神から万物の創造者、慈悲深き神アッラー(キリスト教の神もユダヤ教の神もアッラーであり、アラビア語でアッラーという)からみれば、所詮信仰深き奴隷であり、そのミッションを遂行するために選ばれた人達です。そして、ここに言う奴隷という言葉は人間で言う奴隷という目見るのではなく、このランクはあの世では格別です。神にもっても従順した者二、なります。神が聖典クルアーンに我々人間には神の容姿などを考える知識や能力が、与えらていないと言っている。つまり、我々の知識の範囲を超えています。人々は神を深く考えたあげく、偶像崇拝や神の子人間を神にしてしまうはめになった。だから、クルアーンであなたが上に述べたようにアッラーに言葉はいないと否定しています。また、イスラム教は預言者様の絵やアッラーの像などを創造するのも禁止しています。その時の人々がそうしなくても、時代の流れで昔尊敬された人後々神と崇められるケースが多いです。
最後に僕がまとめたいのは、預言者アダム様から預言者アブロハム様からムハンマド様みんな同じアッラーの神を崇めるよう推進して、来たが、サタンの誘惑と時代の流れで人々は道を踏み違えるが、また、預言者が現れその繰り返しで最後に来たのが預言者ムハンマド様今までのすべての宗教まとめ唯一神アッラーを崇めその奴隷であり、使いでムハンマドを預言者として認めるこれだけがイスラム教に入る条件てあります。クルアーンで全部神によってまとめられてるから、あとから、手を加えられた聖書読む必要性がないんです。もし、興味あったら、みてください。英語ですが、http://youtu.be/HGBJg6zX8wk
討論で聖書とクルアーンについて
誰をも、責める目的で投稿したのではなく、意見交換のつもりで投稿します。何か、不憫な事言っていたら許してください。ありがとうございました。

投稿: | 2013年2月16日 (土) 10時29分

歴史を言えば、いろんな事もあったでしょう。

でも、ムハンマドが活躍始めた時にあった経典は何ですか?

聖書でしょう。

ムハンマドは、もっとちゃんと聖書読めと言って、活躍始めた。

違いますか?

聖書の正しい解釈はこうだ、と神は仰っておられる!

違いますか?

投稿: cova | 2013年2月16日 (土) 16時27分

返事してくれて、ありがとうございます。
預言者ムハンマド様はムスリムにはクルアーンを勧めました。聖書を読めと言ったのは、紛れもなくイエス様に下された経典とクルアーンは同じ神アッラーによって下されたもので述べていることは同じであると当時のキリスト教の人々が預言者ムハンマド様に信憑性を確かめるために来た時に言った言葉です。しかし、その時すでにキリスト教にはイエス様を唯一神アッラーの預言者として信じ唯一神を信じてた人はイスラムになったが、神の子として信じてた人は拒びました。
少なくとも、聖書には神の言葉も含まれているが、同時に、語り手や伝達者の言葉も含まれているから、いかに、イスラムが本物で(科学的数学的に)クルアーンが正しいか、どうキリスト教が道を踏み違えたかを理解するためには、聖書は読みます。
1400年も前にクルアーンに述べられている、自然や地球系や地球軌道の事や胎児の状態などを読んだだけで、イスラムになった人複数いますので、聖書を読むだけでクルアーン凄さが確かに感じられます。
そもそも、クルアーンは宗教の本じゃないです。この世でどう暮らして、何を信じて、何を目指してと期限付きの短い人生の完璧な生き方を全人類に教えて無限の人生への準備を呼びかけている。

投稿: | 2013年2月19日 (火) 10時11分

勿論クルアーンも読むけど、聖書だって読んでいるということですね。

クルアーンは、確かに良い書であることは知っています。

聖書の正しい理解に、読んで損はありません。

ムハンマドは正しい聖書の解釈を述べ、それが纏められたのがクルアーンであることは、認めます。

ただ、どこまでも、クルアーンは聖書の解説書であって基本は聖書であるとムハンマドは言っていた、と思えますけどね。

投稿: cova | 2013年2月19日 (火) 12時56分

返事遅れてすいませんでした。
まあ、現在キリスト教で使われている聖書はムスリムから見ればイエス様に降りた聖書(インジール)は現在はなく、後継者によってことごとく中身が変えられ、科学的に反している。
確かに、クルアーンで聖書(インジール)の解説はあるが、今のキリスト教の古訳/新訳聖書ではないです。

投稿: | 2013年3月13日 (水) 06時47分

今のキリスト教の古訳/新訳聖書ではない、それはいえますね。

いわゆる旧約、新約ともに、編纂の時点で削除や改ざんがなされていると、主張する人たちもいます。

とは言っても、聖書も伝えるべき基本は伝えています。

そして、ムハンマドはユダヤ教徒やキリスト教徒に、原点回帰と、聖書の正しい理解について説いている以上、ムスリムもまた聖書は必読、ということでしょうね。

投稿: cova | 2013年3月14日 (木) 09時39分

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