「たちわかれ」の歌で、どうして猫は帰ると言われるか考えてみる。
「たちわかれいなばの山の峰に生ふるまつとしきかばいま帰りこむ」
この歌は、猫が帰るおまじないと言われているでしょ。
猫の食器を洗ってこの歌の上の句を書くとか上の句を柱に貼っておき、猫が帰ると下の句を貼るなど、またはこの歌を3回唱えると猫が帰ると信じられていたそうです。
猫がいなくなってしまったら、ためしてみてはいかがでしょうか?
因幡山に往なばを、松に待つを、掛けているのです。
皆があるいはおまえが待っていてくれると風の便りにきいたらさっそく帰ってこよう
こういう意味で歌われていると、解釈されているのです。
この歌、百人一首十六首目の中納言行平の作です。
百人秀歌では九首目にあるのです。
松は、待つにかけられているだけではない気がするの。
風の姿を映すかのような枝ぶりは、まさに、風そのものの化身に見えます。
松そのものが、待つ人と待たれる人をつなぐ風の便りそのもの、かもしれないですね。
この歌は確かに、行方不明の猫を思うママやパパの気持ちにぴったりですよね。
待っていてくれると風の便りに聞いたらさっそく帰ってこようって、思って欲しいと願う気持ち。
特に、この歌を3回唱えると猫が帰ると信じられていたという、3回は意味深いですね。
このいろんな風習に出て来る3は、やっぱり絶対三神でしょうか。
日本神話の、造化三神かもしれないです。
古代エジプトにも、三神がいっぱいでしょ。
太陽神を中心に、動物神を含む八百万の神でしょ。
日本にそっくり。
そういえば、古代エジプトで太陽神は猫神、日本の天皇は太陽神の子孫とされ隠語が猫、これ面白い一致ですね。
猫は、イエスのメタファーでもあるでしょ。
太陽神ラーから、アッラーになって、アッラーとイエスは同一視され、ラーは猫神。
だったらイエスも、猫神。
「たちわかれ」は、上巳であるかも知れないですね。
上巳は、三月の雛祭の原型でしょ。
三月の上巳の節句は、形代で体を撫でて、身のけがれや禍いを身代わりの人形に移するのです。
形代に移し代わらせて、川や海に流して幼子の無事な成長を祈ったのです。
形代は、身代わり信仰の現われで、人間の身代わりに用いられるものです。
でも、行事としての上巳は、神人共食(しんじんきょうしょく)の儀式でもあるのです。
自然の中で神に会い、自然の中で神と別れ、自然の中で神を待つ。
今、別れるあなただけれど、上巳で別れた神とまた会えるように、いつの日か再び、会えますように。
そういう思いが込められた、歌かも。
神に会い、神と別れ、神を待つ。
ゴルゴダの丘で、イエスと別れるまでの流れみたいね。
そういえば、イエスはしきりに自らを「人の子」といっているのです。
上巳で別れる神、上巳は神人共食ということは、最後の晩餐に似てる。
しかも、穢れを身代わりになって背負ってくださったお方として、イエスは有名。
流し雛の人形(ひとがた)に、似ているのです、イエスって。
「山の峰におふるまつ」は、生命の樹であるとともに、松は裸子植物なので目立たないけど、花は咲くのです。
樹木とりわけ松のような枝振りの木は、陰陽では風や息や蛇になぞらえられますね。
神の息にして、蛇に例えられる存在といえばイエス。
花のもとで神を待つなら、‘お雛様御座れ’の上巳は、“オハナミ”そのものになるのです。
この花は当然、桃ですね。
桃の花の雄しべと雌しべは、陰陽の大極神=太陽神をお招きする行事だったりして。
ここで招きする太陽神は、イエスだと思える。
でも、今イエスは天にお帰りになっていらっしゃるけど。
桃は、桃源郷かも知れないですよ。
桃源郷には、エデンの園と、やがて来る神の国が、重ねあわされているとか。
桃は、生命力の象徴ではあるのですけどねえ。
生命力の象徴の樹、生命の樹だったりしてね。
生命の樹があった里とくれば、エデンの園でしょ。
じゃあ、ここで再会を待つ人がなぞらえられているのは、上巳で別れと再会をする神であるとともに、イエスでしょうかね。
イエスの再臨を待つ、気持ちを歌った歌でもある。
そして、イエスを丸ごとなぞらえることができる猫。
つまり、猫待ちの歌になるのでしょうかね。
と、いうことは、本気で唱えたら、ご利益あるのでしょうか。
どうでしょうね。
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