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2010年9月

鳥との共存から環境を考える。生態系を考える その5

最近、身近な生き物を観測して環境を考える動きが広まっているようです。

 そういえば、雀をあまり見かけない、などという声もありますね。

確か、東京の中野区で以前、地域の人々とともに町の鳥を調べて「中野の鳥」と言う冊子が出されていたのです。

 もし、今出ていないなら再刊して欲しいですね。

それぞれの地域、鳥で自分の町はどんな環境か調べたら、面白いでしょうね。

 鳥によって、好む環境は違う。

 つまり、どんな鳥を良く見かけるかで、地域の環境がある程度見当が付く。

雀が減った理由も、隙間の多い和風家屋が減ってきたからではないかと、見られています。

 そういえば、瓦葺もめっきり減りましたねえ。

 瓦屋根って、隙間は多そう。

意外と細かい隙間で、雀って巣を作るからです。

 土砂崩れを防ぐコンクリート壁って、水抜き穴があるでしょ。

その穴が、雀の巣になっている場合はよくあるようですね。

 雀が多いと、そのあたりは隙間が多いと言う目安。

ええ。

 鳥に限らず、身近な生き物は調べる必要が増えてきたようですね。

 温暖化のせいか、今までいなかったはずの生き物や、生えてなかったはずの植物、見かけることが多いようね。

 特に植物。

 道端の雑草は、生え方が早いのと、種類が増えたと言うか、変わったと言うか…。

当然、昆虫も顔ぶれが変化しているそうです。

それに伴って、これまでなかった菌も、可能性が出てきます。

 日常気にすると言えば、ネズミやゴキブリ、ハエや蚊ばかり…。

猫や犬も、気にしてるでしょ。

 これからは、もっといろんな生き物にも、注意したほうが良いかなあ。

そうかも。

 鳥害対策、小手先でいくらやってもだめでしょうね。

庭のある家屋の減少などで、地域の緑が減ったために残った場所に集中した結果ですからね。

 人も鳥も、居場所がなくて暇があればろくなことしないと思った方が良いのでは。

居る事が問題ではなく、たくさん集まって我が物顔に振舞っていることが問題なのが、共通と言えばいえますけどねえ。

 余談だけど、居場所のない若者たちの存在と犯罪の相関はアメリカでも深刻らしいですねえ。

鳥は迷惑の自覚がないけど、若者の問題行動は開き直ってやっている点が、大きな差だと思うのですけど。

鳥の居場所を、いかに分散して街中に作るか考えないと、根本対策にならないのは確かでしょうね。

 ただ、鳥の居場所問題を前面に出してしまうと、なかなか理解を得られないでしょうねえ。

若者たちの居場所だって、確保がままならない実態があるでしょ。

 高齢者などの施設だって、必要性の割りに身近に作ろうとすると用地取得が大変でしょ。

発想を変える必要が、あるでしょうねえ。

緑豊かな場所は防災の観点からも有効だと、阪神淡路の震災を視察した地元議員は言ってました。

 震災以外にも、緑地は有効でしょうかね。

緑地環境計画工学研究室の的場史惠による、「神戸市における都市防災と緑地計画の関わりに関する研究」と言う文章を見つけました。

延焼を遅らせたり防止する、災害時の避難場所、洪水の防止、などが挙げられていますね。

都市環境の維持・改善の機能も挙げられていますね。

気温の緩和、大気汚染の防止、省エネルギー化に寄与、生物の生息環境、などです。

 生物の生息環境、ここは鳥害対策に役に立ちそうですね。

でも、逆に言えばここまで多くの効用を指摘しないと、鳥害対策だけでは住民と行政の理解は得にくいともいえますね。

さらに、こんな効用も言っています。

散策・自然学習の場、休養・休息の場、運動・遊びの場、などです。

 緑地整備、良い事多いじゃないですか。

面白い指摘もありました。

自然景観の構成、田園風景の構成、都市景観に風格を与える、などです。

 言いたいことは、わかるけどねえ。

 ここまで言うと、予算はどうする気かと言われそう。

結局鳥害は、鳥と人の問題というより、どういう地域でどういう風に暮らしたいかという人の側の問題ということでしょうね。

 鳥はむしろ、人が引き起こした問題のとばっちりを受けていると…。

今回も、この言葉で締めくくることになりそうですね。

 マタイによる福音書の7章7節から8節にある言葉、ですか。

求めよ、さらば与えられん。
尋ねよ、さらば見出さん。
門を叩け、さらば開かれん。
すべて求むる者は得、尋ねる者は見いだし、門をたたく者は開かれるなり。

今回も、行き着いてしまったようですねえ。

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バランガ。

アニメ版悪魔くんの主題歌に、バランガが登場するのですね。

バランガ(Barang)について調べていたら、鯨の妖怪のことではないかという話がありました。

 鯨の妖怪で有名といえば、鯨座になったティアマトがいるのね。

ティアマト(Tiamat)は、地域で言うとイラクやギリシアの伝承に登場するのです。

 イラクでは女神とされ、ギリシャではモンスターになっているね。

時間の初めから存在した神の1人とされるティアマトは、母神であり、大地と塩水の神格を持っているとされます。

 大地母神のような存在と、されていたのね。

ええそうですね。

ティアマトは、混沌の象徴と考えられているのです。

 カオスと、似通った位置付けね。

 邪神だったという説も、あるね。

ティアマトは「原初の水」アプスの妻となり、ラフムとラハムを産んだのです。

ラハムは兄弟のラフムとの間に、アンシャールとキシャールをもうけたとされます。

ラハムはある時は大蛇として、またある時は赤い帯と6つの巻き髪を持つ女性として描かれます。

常に、兄弟のラフムと一対で描かれます。

 ラハムとラフム、女媧と伏羲の元でしょうか。

ありえます。

ティアマトの姿は蛇、竜または人と獣と蛇と鳥が混ざったものだとされているのです。

 飛鳥昭雄と三上たけるなら、メルカバーといいそう。

 スフィンクスは、人の顔をもち獅子の胴と牛の尾があり鷲の翼を持つメルカバーと言ってましたよ。

 鵺は、猿の顔、狸の胴体、トラの手足を持ち、尾はヘビでやはり、メルカバーだと。

鵺には、胴が虎で足がタヌキ、尾はキツネになっていたり、さらに頭がネコで胴はニワトリと書かれた資料もあるようですね。

これは推測だけど、ティアマトから、スフィンクスやベルーガや鵺が出たのかも。

アッカド神話では、ティアマトは マルドゥク に殺され、その遺骸が世界を形作ったとされているのです。

マルドウクは、鍬をシンボルにしていることから元来は農耕神であったといわれているのです。

後にバビロン市の隆盛とともに各地の神の性格を取り込んで、バビロニアの最高神にまで高められたのです。

彼女の体の水分は雲、雨、霧に、頭が山に、両目がティグリス河とユーフラテス河の水源になったです。

そして2つに裂かれた身体が空と海底に、曲げられて空に打ち上げられた尾が天の川になったといいます。

 死体から世界ができたという展開も、死体化成神話にはあるのね。

 死体化成神話は、作物起源譚とも深いつながりがあるけど。

ティアマトの死は、イザナギの禊や、月夜見尊に殺された保食神、あるいは、素盞嗚尊に殺された大気都比売の元になっているかもしれないですね。

なお、マルドウクとの戦いに備えてティアマトは「鋭い歯、容赦ない牙」という怪物の軍団を造ったのです。

この軍団は、彼女の子である11匹の怪物から成っているのです。

ギルタブリル 、 クサリク 、 クリール 、 パズズ 、 ムシュフシュ 、 ムシュマッヘ 、 ラハブ 、ウガルルム、竜、ウリディンム、バシュムです。

 ここも、飛鳥昭雄と三神たけるなら生命の樹の11のセフィロトに関係ありと主張しそうね。

11面観音の11の面と、関連があるのかもしれないですよ。

ティアマトはギリシア神話にも取り入れられ、「お化け鯨」とも呼ばれる怪物となったのです。

ティアマトは、後に鯨座になるのです。

ティアマトは、獣の身体を基本に竜の翼と尾、魚のうろこ、というものです。

クジラやサメに似ている、頭はイノシシなどという説もあるのです。

ティアマトの身体には無数のフジツボが付着しているそうです。

 鯨との共通点、身体には無数のフジツボくらいしか、見えない気がするけどね。

 なんで、鯨なのでしょうね。

大地と塩水の神格を、持つとされたあたりが原因なのかです。

 大きな鯨は、まま小さな島みたいではあるけど…。

ティアマトは、エキドナとテュポンから生まれたともいわれているのです。

『蝮の女』がその名の意味であるエキドナは、英語ではEchidna, ギリシャ語ではἜχιδναと記されます。

エキドナはギリシア神話に登場する怪物で、上半身は美女で下半身は蛇だというのです。

ティアマトの娘ラハムはある時は大蛇として、またある時は赤い帯と6つの巻き髪を持つ女性として描かれます。

 そうなると、エキドナとテュポンも女媧と伏羲がだぶって見えそうね。

テューポーンは、英語でTyphon、ギリシャ語でΤυφών, でテュポーエウスとも呼ばれ英語ではTyphoeus、ギリシャ語ではΤυφωεύς, となるのです。

長母音を省略してテュポーン、テュポン、テュポエウスとも表記されますね。

ギリシア神話に登場する神、あるいは怪物で暴風や台風の神とされます。

どちらも人面蛇身とされる女媧と伏羲だけど、伏羲には伏犠のように牛偏がつくばあいがあるように牛身の神とされることもあるのです。

確かに、ティアマトの親のエキドナとテュポンも、子どものラハムとラフムも女媧と伏羲と大いに関係ありそうですね。

 そうなると、ティアマトにも女媧の側面は隠れているかも。

可能性なら、ありえます。

ティアマトは ポセイドンの意思でエチオピアを荒らしていたのです。

 ポセイドーン(Poseidōn)は、古典ギリシア語でΠοσειδῶνというギリシア神話の海洋を司る神でしょ。

イオニア方言系では、ポセイダーオーンとも呼ばれ、エンシノガイオスという名もあるのですね。

水の神繋がりで、地下水の支配者でもあり、泉の守護神ともされますね。

 このあたりも、ティアマトの「お化け鯨」とされた原因はあるのかしら。

そこが、謎ですね。

ティアマトは、偶然通りかかった ペルセウスによってメドゥサの首で石にされたといわれているのです。

ペルセウスは ヘルメスから借りていた空飛ぶ靴と剣で空からティアマトに切りつけて倒したともいうのです。

 ところで、バランガはどうなったの。

ティアマトとバランガ、しいて言えばどちらかが元になって転化したかもしれないとしか、今のところいえないですねえ。

もっと、 バランガの情報がほしいですね。

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毅然とした外交を。

2010年9月20日付「しんぶん赤旗」に、『日本の領有は正当尖閣諸島問題解決の方向を考える』という記事を見つけました。

多少長いが、要領よくまとまっているので全文紹介します。

 沖縄の尖閣諸島周辺で今月、中国の漁船が海上保安庁の巡視船に衝突し、漁船の船長が逮捕されたことに対し、尖閣諸島の領有権を主張する中国側の抗議が続いています。

日本共産党は、同諸島が日本に帰属するとの見解を1972年に発表しています。

それをふまえ、問題解決の方向を考えます。

 歴史・国際法から明確

 尖閣諸島(中国名は釣魚島)は、古くからその存在について日本にも中国にも知られていましたが、いずれの国の住民も定住したことのない無人島でした。

1895年1月に日本領に編入され、今日にいたっています。

 1884年に日本人の古賀辰四郎が、尖閣諸島をはじめて探検し、翌85年に日本政府に対して同島の貸与願いを申請していました。

日本政府は、沖縄県などを通じてたびたび現地調査をおこなったうえで1895年1月14日の閣議決定によって日本領に編入しました。

歴史的には、この処置が尖閣諸島にたいする最初の領有行為であり、それ以来、日本の実効支配がつづいています。

 所有者のいない無主の地にたいしては国際法上、最初に占有した「先占(せんせん)」にもとづく取得および実効支配が認められています。

日本の領有にたいし、1970年代にいたる75年間、外国から異議がとなえられたことは一度もありません。

日本の領有は、「主権の継続的で平和的な発現」という「先占」の要件に十分に合致しており、国際法上も正当なものです。

 中国側の領有権主張は70年代から

 中国、台湾が尖閣諸島の領有権を主張しはじめたのは1970年代に入ってからです。

1969年に国連アジア極東経済委員会(ECAFE)の報告書で、尖閣諸島周辺の海底に石油・天然ガスが大量に存在する可能性が指摘されたことが背景にあります。

台湾が70年に入って尖閣諸島の領有権を主張しはじめ、中国政府も71年12月30日の外交部声明で領有権を主張するにいたりました。

 たしかに、尖閣諸島は明代・清代などの中国の文献に見られますが、それは、当時、中国から琉球に向かう航路の目標としてこれらの島が知られていたことを示しているだけであり、中国側の文献にも中国の住民が歴史的に尖閣諸島に居住したことを示す記録はありません。

中国が領海法に尖閣諸島を中国領と書き込んだのは92年のことでした。

それまでは、中国で発酵された地図でも、尖閣諸島は中国側が「領海」とする区域の外に記載されていました。

 日本の主張の大義を国際的に明らかに再発防止の交渉を

 日本共産党は72年、「尖閣列島問題にかんする日本共産党の見解」(同年3月31日付「赤旗」、『日本共産党国際問題重要問題集9』掲載)を出し、日本の領有権は明白との立場を表明しました。

これは、歴史的経過や国際法の研究にもとづき、これらの島とその周辺が日本の領土・領海であると結論したものです。

 その後明らかになった歴史資料に照らしても、当時のこの見解を訂正しなければならない問題は、あらわれていません。

 領海は、国際法上、その国が排他的に主権を行使する領域です。

尖閣諸島付近の日本の領海で、中国など外国漁船の違法な操業を取り締まるのは、当然です。

 同時に、紛争は領土をめぐるものを含め「平和的手段により国際の平和、安全、正義を危うくしないように解決しなければならない」のが、国連憲章や国連海洋法の大原則です。

その精神に立って日本外交には、第一に、日本の尖閣諸島の領有権には明確な国際法上の根拠があることを国際舞台で明らかにする積極的活動が必要です。

 第二に、今回のような事件の再発防止のため必要な交渉をおおいにすすめることが求められています。

 中国側も、事実にもとづき、緊張を高めない冷静な言動や対応が必要でしょう。

こういう内容です。

強いて付け加えることは、ありません。

中国側の過激な行動に巻き込まれて悲鳴を上げている経済に配慮するあまり、政治決着に走れば、その後のすべての外交交渉は無茶を押し付けられるでしょう。

国際法を行使する構えを、毅然として示すことも選択肢としてとるべきと思います。

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漆。

日本美術の原点を考える上で忘れてはならないのが、Japanです。

英語では、磁器(porcelain)を chinaware または china と呼ぶのに呼応して、漆器(lacquerware)を japanware、japan などと呼ぶことがあります。

なお、日本産の漆そのものの英名はJapanese lacquerです。

漆とは、ウルシ科のウルシノキ(漆の木)やブラックツリーから採取した樹液を加工した、ウルシオールを主成分とする天然樹脂塗料です。

主成分は漆樹によって異なり、主として日本・中国・産漆樹はウルシオール(urushiol)、台湾・ベトナム産漆樹はラッコール(laccol)、タイやミャンマー産漆樹はチチオール(thitsiol) を主成分とするのです。

 漆文化が広がるこれらの地域って、日本人や日本の文化の起源との関連でも注目されているのね。

そうですね。

 漆は、塗料として漆工などに利用されるほか、接着剤としても使うでしょ。

うるしの語源は、「麗し(うるわし)」とも「潤し(うるおし)」ともいわれているのです。

漆器は、日本を象徴する工芸品です。

漆器の歴史は縄文時代に遡り、三内丸山遺跡を始め多くの遺跡から出土しているのです。

古来人々は、漆には特別な力があるとされ魔除けとして重宝されてきたのです。

触ると酷くかぶれる漆には、邪悪なものを寄せ付けない力があると考えられたからとみられているのです。

漆にかぶれた場合は、ワラビの根を煎じた汁、煮た沢蟹の汁、硼酸水などを患部に塗る民間療法があるのです。

漆は日本では縄文時代から利用されており、土器の接着・装飾に使われているのです。

木製品に漆を塗ったものや、櫛(くし)に塗ったものも出土しているのです。

『以呂波字類抄』に、日本における漆塗の起源として次のような話が載っているそうです。

倭武皇子(やまとたけるのみこ)は、宇陀の阿貴山で猟をしていたとき大猪を射たが、仕留めることができなかった。
漆の木を折ってその汁を矢先に塗って再び射ると、とどめを刺すことができた。
そのとき汁で皇子の手が黒く染まった。

部下に木の汁を集めさせ、持っていた物に塗ると美しく染まった。
そこでこの地を漆河原(現在の奈良県宇陀市大宇陀区嬉河原(うれしがわら)と名附け、漆の木が自生している曽爾郷に漆部造(ぬりべのみやつこ)を置いた。

自分自身のミイラを仏像、すなわち即身仏とした修行者達は身体の防腐のために予めタンパク質含有量の少ない木の実のみを食する「木食」を行うと共に、死して即身仏となる「入定」の直前に漆を飲んでその防腐作用を利用したというのです。

漆の最も一般的な用途は、塗料として用いることです。

漆は、金属などに塗った場合、百数十度まで加熱することで焼き付け塗装することもできます。

 漆を塗られた道具を、漆器というのですね。

黒く輝く漆塗りは伝統工芸としてその美しさと強靱さを評価され、食器や高級家具、楽器などに用いられます。

漆は熱や湿気、酸、アルカリにも強いが、紫外線を受けると劣化することが知られているのです。

極度の乾燥状態に長期間曝すと、ひび割れたり、剥れたり、崩れたりするのです。

 腐敗防止、防虫の効果もあるため、食器や家具に適しているといわれますよね。

 でも、手入れが大変で、気安く使えない。

 大事にすれば、何年も持つって分かってはいるけどねえ。

黒漆と赤漆を用いて塗り分けることも行われます。

昭和以後は、レーキ顔料として知られる酸化チタン系顔料の登場により、赤と黒以外の色もかなり自由に出せるようになりました。

 漆を用いた日本の工芸品では、京漆器がよく知られているでしょ。

漆塗りの食器では、輪島塗などが有名ですね。

竹細工の駕籠を漆で塗り固めるものである籃胎や、厚く塗り重ねた漆に彫刻を施す工芸品の彫漆もあります。

碁盤の目も、伝統的な品では黒漆を用いて太刀目盛りという手法で書かれます。

江戸時代などには、漆を接着剤として用いることもよく行われたのです。

例えば、小麦粉と漆を練り合わせて、割れた磁器を接着する例があるのです。

硬化には2週間程度を要するのです。

接着後、接着部分の上に黒漆を塗って乾かし、さらに赤漆を塗り、金粉をまぶす手法は金継ぎ(きんつぎ)というのです。

金継ぎは鑑賞に堪える、ないしは工芸的価値を高めるものとして扱われます。

漆の新芽は食べることができ、味噌汁や天ぷらにすると美味だといいます。

これは元々、漆塗りの職人が漆に対する免疫をつくろうとして食べたのが始まりで、山菜独特のえぐみが非常に少なく食べやすいそうです。

しかし「食べた後に舌が少しピリピリし出した」という報告もあるため、食べない方が無難とか。

まだ報告されていないけれど、敏感な人はアナフィラキシーショックを起こす可能性も十分考えられるため、かぶれない自信がある人以外は食べない方が良いだろうということです。

漆の材料は、ウルシ科のウルシノキ(漆の木)やブラックツリーから採取するのです。

ヤマウルシでもうるし成分は採れるが、量が少なく使われないです。

基本的に用途と品質あるいは等級によって分類されるけれど、地域や業者によって名称が異なる場合もあるのです。

生漆系は、生漆、船漆、錆(下地)漆、生上味漆(高品質なもの)。

無油系は、素黒目漆、木地呂漆、赤呂漆、黒呂色漆、梨地漆。

有油系は、朱合漆、箔下漆、春慶漆。

漆はJapanといわれるくらい日本が有名だが、実はワニスまたはバニッシュ(varnish)とも呼ばれるニスの一種です。

もっといえば、漆はワニスの中でもラッカーの一種でJapanese lacquerが英名です。

ニスとは、英語の「varnish」、オランダ語の「vernis」からの外来語で、天然または合成の樹脂を溶剤に溶かした塗料です。

木材などの材料の表面を保護するために用いられる、透明で硬い上塗り剤です。

ワニスは、最初に使われたギリシャの地名に由来するといわれます。

 日本神話とギリシャ神話の類似、さらに、秋田美人にさえ典型顔はミロのビーナスとの主張もあるのですね。

 和裁のハサミも、ギリシャタイプと指摘されるでしょ。

 日本の多くの女性を悩ませた外反母趾は、ギリシャタイプの指の足に先のとがったローマタイプの靴を無理してはいたからと聞きました。 (ここを訂正します。追記参照)

 最近は、ギリシャタイプ用にアレンジされた靴も多いようですね。

そうでしたね。

以前蜜蝋を取り上げたけど、実は、蜜蝋は、表面の仕上げや接着の用途で漆と競合していた時期があるそうです。

オイルは、表面の仕上げには使われることもあったけど、今では撥水用のコートに使われるくらいでしょ。

漆にはかぶれ易いという欠点はあるけれど、オイルや蜜蝋よりはもつので、今ではもっぱら漆が使われます。

ただ、かぶれ防止に蜜蝋仕上げされる場合は、今でもあるのですね。

 蜜蝋自体は、今でもさまざまに使われますね。

日本では、本来の発音に近い「ワニス」の呼称が用いられ、古来からある「漆(うるし)」に対するものとして「仮漆」の字が当てられたのです。

やがて、「ワニス」の「ワ」を省略して呼ぶことが多くなりました。

「ワニス」という音から「和ニス」と解釈され「漆」を指すようになり、本来の「ワニス」は「洋ニス」と呼んで区別されるようになったからです。

ワニスは、一般的には乾性油と樹脂に鉱物由来の有機溶剤、或いは、テレピン油などの溶剤を混合したものです。

ワニスで被覆された表面は、光沢を持つことが多いです。

薄く塗布すると透明になる塗料やそもそも透明性の高い塗料もあるが、顔料を含む塗料とは対照的に、透明性が高いですね。

浸透による被塗装物の透明性が増すことを考えれば、塗料とバニッシュの個々の差の方が大きいという観点もあるそうですけど。

塗布したあと溶剤を蒸発させるか、化学反応等によってワニスは硬化するのです。

 乾湿像といって、麻布に漆を何層にも固めて塗っていく技術によって造られた仏像などもあるのですよね。

乾湿漆箔といって金箔を貼ったり、乾湿技法の蒔絵、乾湿漆に加工をほどこした工芸もあるのですね。

 乾湿漆の工芸、繊細なのは良いけど、壊れやすいので手入れは大変そう。

油を使ったワニスが乾く速さは、油の種類や量などに依存するのです。

化学反応を伴う場合は、一液性熱・光硬化樹脂を用いる事があるのです。

溶剤を蒸発させるタイプと、化学反応を伴うタイプの差は、硬化時の重量変化にも現れます。

乾性油の種類は多い。亜麻仁油、桐油、胡桃油などが使われます。

ワニスには、天然樹脂としてコハク、コーパル、ロジンなどが用いられてきました。

今日ではアルキド樹脂、ポリウレタンなどが最も一般的です。

化学反応系にはエポキシ樹脂が主に用いられるのです。

古くはテレビン油が溶剤として使われていたが、ホワイトスピリット(white spirit)やストッダード溶剤 (Stoddard solvent) などの石油系溶剤が使われるようになっているのです。

一液性熱・光硬化の場合には硬化剤が用いられ、主にイミダゾールを成分とするのです。

 一液性硬化とは、複数の液を混ぜないでも硬くなるってことですね。

 混ぜる比率を考えないで良いから簡単だけど、すぐ固まりだすので手際よく作業しないといけないのは、少々やっかい。

天然のワニスは、溶剤に溶かした樹液や樹脂からなるものが大部分です。

使用する溶剤により、酒精ワニス(アルコールを用いたもの)、テレビン油ワニス、油ワニスの3つに分類されるのです。

スパーワニス(spar varnish)はマリンワニス(marine varnish)とも呼ばれ、高い防水性と日光に対する耐性を持ちます。

スパーワニス(spar varnish)は、帆柱(spar に使われたことが名称の由来です。

合成品には、水を溶剤とするポリウレタンワニスや、エポキシ樹脂を配合したものなど様々な種類があるのです。

バイオリン用のワニスには胡桃油や亜麻仁油とコハク、コーパルやロジンの組み合わせが最もよく用いられます。

使用する油は加温、または空気と日光にさらすことによって下ごしらえをするのです。

配合する樹脂は加温して柔らかくするが、同時に重さが減り、色合いが濃くなるのです。

濁った油と樹脂を混ぜ合わせて加温したあと、テレビン油で薄めて塗布用の溶液を調製するのです。

漆の英名にもついているラッカー(lacquer)の語は、溶剤を下地として作った速乾性を持つワニスもしくは塗料を意味します。

耐久性が非常に高く硬化するのが遅い、ウルシの樹液から得られるワニスのことも指するのです。

セラックとも呼ばれるシェラック(shellac)という、ラックカイガラムシ(Laccifer lacca)、およびその近縁の数種のカイガラムシの分泌する虫体被覆物を精製して得られる樹脂状の物質もあるのです。

実は、ラッカーの名は、その分泌物がラッカーやシェラックの製造に用いられた昆虫ラックカイガラムシ(lac, 学名 Laccifer lacca、旧名 Coccus lacca)に由来するのです。

シェラックは、常温では、黄色から褐色の透明性のある固体で、精製すると白色、透明になるのです。

無味無臭で、人体には無害です。

通常、熱軟化性であるが、一定の温度では熱硬化性をしめすのです。

シェラックにはアルコールを溶媒として使い、水溶液を蒸発させると、透明皮膜を形成するのです。

シェラックは、アルコール系溶剤のみに溶け、他の有機溶剤には耐性をしめすのです。

耐久性にはそれほど優れないが、シェラックは下塗り剤や材料面へのワニスや塗料の浸透を防ぐシーラーとして使われます。

フレンチポリッシュという、家具などの木材に独特の光沢を与える高等な技術などでは、シェラック自身が上塗りに利用されます。

ラッカー (lacquer) は、一般的には無色または着色された塗料の一種です。

溶剤を揮発させることによって乾燥すると硬くて耐久性の高い塗面を与え、磨き上げることによって非常に強い光沢と深みが得られるのです。

狭義にはナフサ、キシレン、トルエン、ケトン(アセトン)など揮発性の高い溶媒に樹脂を溶かしたものを指すのです。

日本では漆が、ラッカーの一種としては広く知られています。

これまでに知られている歴史上最も古いラッカーの使用例は日本列島におけるもので、時期的には紀元前7,000年頃のことです。

ウルシの木の樹脂から作られ、非常に硬く、丈夫で美しい仕上がりが得られたのです。

水、酸、アルカリ、摩擦には強いが、紫外線には弱かったのです。

主な成分は、様々なフェノール類の混合物からなるウルシオールといくらかのタンパク質です。

 ウルシオールラッカーは、中国での発掘調査によって、8,000年以上前にも使われていたという証拠が見つかってるのでしょ。

3,600から3,000年前中国の殷(いん)の遺跡から漆器の一部が発掘されていたので、漆器は中国が発祥地で、漆器の技術は漆木と共に大陸から日本へ伝わったと見られていたのです。

 殷は、紀元前17世紀頃から紀元前1046年にかけ存在した中国の王朝でしょ。

商(しょう)とも言われ、最終的に紀元前11世紀に周に滅ぼされた王朝ですね。

文献には、夏王朝を滅ぼして王朝を立てたとされるのです。

夏王朝は、中国では2000年から教科書は「夏王朝は実在した」と書き換えられたけど、日本ではまだ伝説の王朝と見る人は多いようですね。

 夏王朝は、日本との繋がりが注目される長江文明に関係があるとみなされているのでしょ。

 殷の漆文化って、夏と関連ないのかしら。

今後の研究の進展を見ないと、なんともいえないですね。

中国の物を大幅に遡る約9,000年前の縄文時代前期の漆器が、北海道の南茅部町の垣ノ島B遺跡から見つかっているのです。

北海道の遺跡から出土した漆木のDNA分析の結果、日本のウルシの木は日本固有種であることが確認されたのです。

このことから、漆器の日本起源説も主張されるなど漆器の起源については議論が続いているのです。

日本では、垣ノ島B遺跡の出土品に次いで約6,000年前の鳥浜遺跡から朱塗りの櫛も発掘されているのです。

現在、中国で最古の物は長江河口にある河姆渡(かぼと)遺跡から発掘された約7,000年前の漆椀であるとの指摘もあるのですね。

なお、日本で縄文時代に作られていた漆器は朱のみで、黒の漆器は弥生時代以降とみられているのです。

時代が下るに従い、色付けのために他の顔料が用いられるようになりました。

上塗りのみではなく、すり砕いて焼いた、または焼いていない粘土と混ぜ合わせ、麻の繊維で作られた布を貼り合わせて作った型の上に塗る技法も使われたのです。

木製の芯などを使わずに像などを作ることができ、日本では乾漆と呼ばれたのです。

中国から導入されたのち、日本では金や銀の粉や細粒などを用いる、より発展した装飾法(蒔絵)が作り出されたのです。

中国の楽器、古琴に塗る際には、より高い強度を与えて演奏に堪えられるようにするため、漆は鹿の角(または陶器)の粉末と混ぜ合わされたのです。

天然の漆は毒性を持つため一般的に輸入するのは難しいが、刀を修理する日本の店からならばオンラインで少量入手できるようです。

ウルシオールを主成分とするラッカーは揮発性の低い水を溶剤とし、蒸発のみによって工程を完了する他の大部分のラッカーと異なり、酸化と重合を伴う工程を経て製造されるのです。

良好な状態での乾燥・硬化には、高温と高い湿度が必要とされるのです。

含まれるフェノール類は酵素ラッカーゼによって酸化・重合され、適切な方法で水分を蒸発させることによって硬く機械強度の高い物質となるのです。

ラッカーの技術はインドとアジアで大きく発展し、高度に装飾された品々が作られたのです。

 インドも、タミル語に日本語の起源説が出たり、日本とともにマンクスの伝承に出たり、日本にインド顔がいたり、日本と繋がりは深いね。

新鮮な樹脂は皮膚に触れるとひどいアレルギー反応を起こすため、取り扱いに注意が必要とされます。

中国におけるラッカーの利用例として棺、皿、楽器、家具などが知られているのです。

粉末状の辰砂と混合したラッカーは、中国の伝統的な朱色の漆器の製造に用いられるのです。

中国製の品は様々な交易路を経て中東にももたらされ、ラッカー製造の技術は中国から朝鮮半島にも伝わったというのです。

ウルシの木は、樹脂がとれるようになるまで10年以上かかるです。

集められた樹液は「水中重合(aqua-porimerization)」と呼ばれる工程で酸素を吸収させたあと、風呂(ふろ)あるいは室(むろ)と呼ばれる湿気の多い環境におかれ、水分を蒸発させながらさらに酸素を吸収させるです。

漆は、水とテレビン油に溶かすのです。

タイ、ベトナム、ビルマ、台湾でラッカーを採取する木はチチ(Thitsi)と呼ばれ、少し異なるのです。

ウルシオールではなく類似の物質、ラッコール(laccol)またはチチオール(thitsiol)を含み、出来上がりはほとんど同じだが中国や日本のラッカーよりも柔らかいそうです。

日本や中国のウルシの木とは違い、ビルマのものはアレルギー反応を起こさせず、よりゆっくりと硬化するのです。

職人は、刷毛を使わず素手で塗布を行うのです。

生の漆に少量の酸化鉄を加えると、赤または黒に着色することができるのです。

この色は鉄の酸化状態によって異なるのです。

17世紀、アジアやインドでのラッカーを用いた工芸がイギリス、フランス、オランダ、スペインで広まると、ヨーロッパ人たちは異なる技法による模造品を開発したのです。

ヨーロッパでの技法はシェラックに似た樹脂から作ったワニスを用いるものであり、家具などに対して使われたのです。

この技法はジャパニング (japanning) として知られるようになり、ワニスを何回か塗り重ね、そのたびごとに加熱乾燥と磨き上げを行ったものです。

18世紀にはこのラッカー工芸は一般に広く受け入れられるようになり、19世紀から20世紀にかけてハンディクラフトやデコパージュへと発展したのです。

 島国日本の漆文化の起源って、どこまで遡れるのかしら。

 南アジア、まさか、中東。

でも、中国製の品は様々な交易路を経て中東にももたらされています。

 そうねえ。

 日本の文化は、中東に遡れそうなものが多いけどねえ。

 蜜蝋との関わりとか、どうかしら。

漆文化を生んだ、技術や知識なら可能性は探っても面白いかも。

いまでは、ラッカーやワニスはさまざまな素材から作れているのです。

興味深いけど、直接関係ないので今回はここまで。

追記

最近の研究では、外反母趾になりやすい足の傾向は、エジプトタイプだとされるようになってきました。

足指は、三つのタイプに分類されるといいます。

エジプト型と、ギリシャタイプと、スクエアタイプの三つです。

エジプト型は、親指が一番長く、小指にむけて短くなる形です。

日本人の6割から7割が、このエジプト型タイプと言われています。

親指が長い他に、足幅が広めな形です。

親指が側面から圧迫されやすいため、外反母趾になりやすいタイプの足の形です。

ギリシャ型は、親指より第2指が長い足の形です。

日本では、エジプト型に次いで多いです。

足先の細い靴を履いても、爪先に負担をかけることが少なく、外反母趾になりにくいタイプの足の形です。

ただし、指が曲がりやすく、ハンマートゥになりやすい足でもあります。

ハンマートゥとは足の指が曲がったまま、戻らなくなっている状態です。

スクエア型は、5本の指の長さに差がない足の形です。

日本人では珍しい足です。

幅の狭い靴を履くことで、指にタコやウオノメができやすいタイプの足の形です。

ただ、ギリシャ神話の神々は、エジプトとのかかわりが指摘されており、この二つの文明を荷った民の間の関係はどうであったか興味深いものがあります。

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エロイム、エッサイム。

聖書の「神」の単数形"el('el)"は、天使の名の固有名詞構成接尾辞にその名残りを見ることが出来るのです。

例えば、Michael(Micha'el), Gabriel(Gavri'el), Uriel(Uri'el)などです。

ヘブライ語聖書では、「神」を表わす普通名詞"elohim(エローヒーム)"が用いられる場合があるのです。

"elohim"は、"el エール(『神』の単数形)"の複数形です。

唯一神を示すのには矛盾しているようにも感じられるが、神である御父と補佐する御子と聖霊による唯一神会と捉えることが可能です。

"elohim"はまた、"el elohim エール・エローヒーム"とも呼ばれるのです。

カッバーラ系黒魔術における有名な召喚呪文、"Elohim Essaim Frugativi et appelavi(エロイム、エッサイム、フルガティウィ・エト・アッペラウィ)!"の起源でもあるのです。

死者降霊術(ネクロマンシー)や精霊召喚術で、用いられるものです。

"Eloim, Essaim, frugativi et appelavi "と、"Elohim"ではなく"Eloim"と表されることが多いです。

 『エロイム・エッサイム、我は求め訴えたり!』の意味でしょ。

"Essaim"は、「悪魔(akuma)」とも「火」とも解釈されるのです。

コーランから解釈すると、神に逆らうものは悪魔(akuma)であるイブリースに引き渡され裁きの火へ落とされるようです。

つまり、裁きの火=悪魔(akuma)となるのです。

そして"Elohim Essaim"あるいは"Eloim Essaim"は、"Elohim"もしくは"Eloim"は「神」をさすので、「裁きの火の神」=「悪魔(akuma)」となるのです。

 悪魔(akuma)とサタンを混同すると、おかしくなってしまいますよね。

 悪魔(akuma)は神、サタンは堕落した天使、地位がぜんぜん違う。

ここを間違えると、聖書を悪魔(akuma)の書でありサタン崇拝の書と読み違えることになるのです。

 魔術には、黒魔術と白魔術があるという人がいるのね。

しかし、いずれにしても魔術は悪魔(akuma)の力を借りる以上、軽々しく手を染めてはいけないのです。

聖書には、アブラハムが老いてからようやく授かった子どもであるイサクを燃やし尽くす捧げものにせよと命じられる場面があるのです。

 これはアブラハムとイサクの神への忠誠心が試されたので、神は本心から求めたのではないでしょ。

ええ、神は二人を試されたのですからね。

一方、願いをかなえたい一心で一番大事なものを燃やし尽くす捧げものにすると誓った男は、子どもを燃やし尽くす捧げものにせよと命じられる羽目になるのです。

黒魔術に子どもの捧げものが出てくるけれど、実は聖書のこれらの記述に基づくのです。

こういったことも、聖書を悪魔(akuma)の書でありサタン崇拝の書と読み違える原因になるのです。

裁きの神の力を得ようとするからといって、子どもを捧げる必要は必ずしもないのですよ。

 本当に必要なのは、身も心も捧げつくす忠誠心ということ。

ただし、神とサタンを取り違えると、反社会的行為に手を染めることになるのです。

 捧げもの用に、無理やり子どもを手に入れようとするとか。

そうですね。

それは、本来やってはいけないはずなのです。

神の力を借りるのに、子どもなどの捧げものは本来不要なのですから。

 自分の子であってもだめ、ましてさらってでもなんて絶対だめ。

子どもの捧げものを求められる時点で、欲望に目がくらんだ人をたぶらかすサタンの術策に、はまったといえるでしょうね。

 イエスが贖罪のために身を捧げるように見えるけど、贖罪もあるけど、それ以上に神になるために必要な復活体のため。

そうですね。

捧げもの自体自分の忠誠心を形にしようとする現れの一つなのであって、神が求めているわけではないのです。

 神は、この世のすべての創造者にして所有者だからですね。

黒魔術にある内容は、象徴体系であって、その書かれているままやってはいけないのですよ。

 そこが気づけるかどうかも、神は見ておられる。

そうですね。

正しいと思うようにやっていいが、裁定は神が下されるのです。

魔術は、表面の象徴体系を見抜けるかどうか、本質を神に導かれて見抜けるかどうか、問われるのです。

勘違いして反社会的行為に走った者たちは、裁きの神である悪魔(akuma)に渡されて地獄の火に落とされるでしょうね。

 それが見抜ける人は少ない。

だから、軽々しくやったらいけないのでしょうね。

私は、魔術の真似事など、やる気はさらさらないです。

神の力は、神と天使が使えばいいわけですから。

 それ以前に、使えないでしょ。

 魔術!

あ!そうだったです。

神は、知恵や知識を求めるものには気前よく教えてくださるお方です。

そして、御自身の御心に沿って使う者かどうかを見定めておられる、怖いお方でもあるのです。

魔術の知恵と知識を求めれば、神は教えてくださるのです。

ただし、魔術の知恵と知識の裏にある本質を求めるかどうかも、さりげなく採点しておられるのです。

魔術の表面的知識で満足するものは、サタンに誑かされて反社会的行為に転落してしまうのです。

 そして、地獄の炎の管理者である悪魔(akuma)に引き渡されるのでしょ。

子どもの捧げものを求められたアブラハムとイサクに対する神の試しと、アダムとイブに対する神の試しとが、本質は同じということです。

神の知恵と知識を得るために、善悪を知る樹の実を食べたアダムとイブの行為と同質なのです。
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狸囃子を考えてみた。狸囃子 その1

楽しい狸の歌と踊りで有名な日本の童謡『証城寺の狸囃子(しょうじょうじのたぬきばやし)』は、野口雨情作詞、中山晋平作曲です。

野口雨情が千葉県木更津市を訪れた際に證誠寺の狸囃子伝説を聞いたのが、作詞の元になったのです。

寺の名前が違うのは、はじめにミスプリントしたからだそうです。

実は、千葉に動物と和尚さんが踊る伝承がほかにもあったのです。

場所は、香取市米野井字長谷の大悲山広徳院長谷寺です。

いまでは観音堂だけが残るが、広徳院長谷寺は奈良時代の天平九(737)年に創建された徳星寺の末寺だったのです。

この長谷寺観音堂のある土地は、北西方向から東南へと延びる比高およそ三十メートルほどの舌状台地にあり、そのほぼ先端部の南側に位置していたのです。

江戸時代のころまでは残存していたが、残念ながら、現在はこの杉林の中の二間四方の観音堂ばかりとなってしまっています。

観音堂内の十一面観音菩薩像は、楠の一木造りで、高さ約1.70メートル。

長谷寺で和尚さんと踊ったのは、猫だったのです。

和尚さんは、飼い猫と般若湯、つまり酒を呑み交わしながら木魚を打ち鳴らして一緒に踊っていたのです。

しかも近所の猫までいっぱい集まって、般若湯を呑んで踊りに加わっていたそうです。

 證誠寺の狸囃子伝説に、なんとなく似てますね。

 腹鼓の正体は、木魚だったのかしら。

可能性は疑ってもいいかもです。

 證誠寺の狸囃子伝説の、狸も実は猫だったりして。

かつて、狸は獣偏に里と書くことに示されるように、里に出没する小動物の総称だったのです。

 当然、猫も含まれていた。

むしろ、猫が狸と呼ばれていた場合がよくあったようです。

 作物を狙わず、作物に害する鼠などを捕ってくれたので多めに見られたのかしら。

そうかも。

 じゃ、同じ起源を持つ話が、一方では狸囃となり、もう一方では猫が踊った伝承となったのかしら。

元が同じであると、思った方がいいかもです。

この和尚さんと猫の踊りの伝承は、「猫じゃ猫じゃ」の起源譚のひとつとなっていたのです。

長谷寺は後に火災で焼け、観音様も楠の木目が分からぬほどに焼けただれたが、その姿のまま、建て替えられた御堂に今も祭られていたのです。

 それで、観音堂だけあるの。

「猫じゃ猫じゃ」は、文政十一(1814)年頃から「江戸」で流行った唄です。

明治初(1868)年 に替え歌が沢山出来、その後の花柳界では座敷唄として大いに唄われたのです。

和尚さん、伝承ではののさんとなっていたのです。

ののさんとは、観音さまの愛称です。

観音堂の坊さんと、親しみを込めてののさんといったのでしょうね。

長いので多少はしょるです。

この頃、寺の近在に調子の良い馬鹿囃子があったのだが、決まった踊りはまだなかったのだったのです。

この馬鹿囃子が、後の佐原囃子になったそうです。

そこへ、ある年の祭に、若衆が隣村と踊り競べをすることになり、ののさんが頼まれて、この囃子に踊りをつけることになったのです。

踊りを考えるのに夢中になったののさん、猫たちとの般若湯を呑み交わして踊ることなどすっかり忘れていたのです。

ののさんの飼い猫のたまから事情を聞いた猫たち、夜になると寺に集まったのです。

それを見たののさん、猫たちと一緒になって般若湯で酔っ払い、炉端、皿、鉄瓶まで叩いて馬鹿囃子をはじめてしまいました。

そこへちょうど若衆世話人、村人に言いふらしたものだからみんな集まってしまいました。

驚いていた村人も、つられて踊りだしてしまいました。

翌日、村では、猫が頬被りして、浴衣に草履はいて、ののさんに踊り教えたって評判になりました。

これを聞いたののさんは、踊りながら次のように唄ったというのが「ネコじゃ踊り」の始まりですと。

 ネコじゃ ネコじゃと おっしゃいますが
 ネコが じょじょはいて かっこはいで
 しぼりゆかたで くるものか
 ハァー おっちょこちょいのちょい
 もひとつおまけで ちょい

踊りの師匠さんに習った隣村に、見事に勝ってしまったこの馬鹿囃子、やがて、「ネコじゃ踊り」とよばれるようになり、「利根川」に運ばれて遠く「江戸」まで流行ったといいます。

長谷寺観音堂と同じ台地の先端部の北側に戸田神社は、鎮座していたのです。

戸田神社は、天平八(736)年の創建と伝わるです。

中世には、長谷寺や戸田神社のある台地の先端部の尾根を削って、千葉氏系の木内氏の城館「八丁内城(米野井館)」があったと推測されていたのです。

台地尖端の鞍部に、この城館の「曲輪」部はあるそうです。

八丁内城は、さらに古くは米野井館と呼ばれました。

八丁内城は、奈良時代から平安時代にかけてこの地域の国造を世襲した他田日奉部(おさだのひまつりべ)の一族の館跡だとも考えられていたのです。

戸田神社は、他田日奉部と関係する久都伎直日奉真人( くづきのあたいひまつりのまひと)が、出雲国の杵築大社を勧請したものだそうです。

 出雲国の杵築大社、今の出雲大社でしょ。

 主たる祭神は、大国主命なのかも。

かもです。

関東には、出雲国の杵築大社から勧請されたことで知られる氷川神社もたくさんあります。

 関東の杵築大社から勧請された神社は、探せば、まだまだあるかしら。

気になりますね。

関東と出雲、気になるのは秦氏です。

八幡のつく地名や神社が、どちらにもあります。

證誠寺の木更津市にも、地名の八幡や、八剱八幡神社があります。

長谷寺観音堂のある香取市は、八幡は地名ではわからないけど、八幡神社なら複数あります。

関東は秦氏の一大勢力地であったことが知られているので、八幡神社があること自体はそれほど不思議ではないです。

むしろ同じ千葉県内に、證誠寺の狸囃子伝説の元ネタとも思える長谷寺の「猫じゃ猫じゃ」発祥伝承があるのは、興味深いです。

おそらく、この猫はもちろん、狸も、禰子が正体であったと私は見たいです。

追記

今回はこちらを参考にさせていただきました。

千葉県の猫神・長谷寺の猫
http://nekonokamisama.blog3.fc2.com/blog-entry-19.html

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包丁を考えて見ました。

ふと思ったのです。

日本は島国。

当然、渡って来なければ誰も住まないでしょ。

古代から中国との往復は頻繁であり、文化の影響も大きいはずです。

にもかかわらず、食文化はあまり中華の影響がないように思えるのですよ。

 たとえば、包丁。

 大きくて四角い中華包丁は、ついに日本には根付かなかった。

そう、中華包丁は、中華以外、使わないですね。

むしろ、日本の包丁の起源は西洋風のナイフに求める方が良いかも。

そして、日本の食材に合わせて包丁は多彩に展開したのです。

日本の刀は、中東から東に広がる切りつける武器という側面もあります。

しかし、一方で突く武器としての側面も持つのです。

西洋は、切りつける武器よりも突く武器が発展してきたのです。

槍とか鉾、剣などはまさに突く武器ですよね。

 そういえば、三種の神器も、八咫鏡・八尺瓊勾玉・草薙剣の別名を持つ天叢雲剣からなる。

銅鐸と並んで古代の祭具であった、銅鉾とも書く銅矛も大量に残されています。

 日本の刀文化は、むしろアジアの影響が強まってから生まれた。

しかし、切りつける武器としての特徴である反り返りは、日本刀ではついに定着しなかったでしょ。

日本刀の刃は切れ味を高め、切りつけるだけでなく、突いても使える武器であることにこだわり続けたようにみえるのです。

 日本刀は、刀の姿をした槍、あるいは、剣。

そういえるでしょうね。

日本で多彩に展開した包丁は、ヨーロッパでも重宝されていくことになったのです。

 Japanese cutleryとか、Coltelli da cucina giapponesi、つまり、日本のナイフ。

面白いとこに、フランスのCouteau de cuisineやスペインのCuchillo de cocinaと呼ばれる調理用ナイフに、日本の包丁と似たものが見えるのです。

 日本の、とは言わないあたり興味でますね。

 アメリカで見つかったアイヌを連想できる古代人骨の傍らから、フランスやスペインの様式の矢じりが出ているでしょ。

 フランス人やスペインのバスク人には、日本人に似た人もいる。

 関係あるかしら。

気になるでしょ。

隣の国中国では、昔からの中華包丁を今でも使いこなしていますからね。

 あまり、日本の包丁が中国で重宝されている話は聞きませんね。

 中国では、菜刀と呼ばれるなかに日本の包丁に良く似たものはあるけど。

菜刀の種類には、日式菜刀つまり日本式と西式菜刀つまりヨーロッパ式のほか、中式菜刀つまり中国式もあります。

この中式菜刀が、日本で中華包丁として知られるものです。

 じゃ、日本の包丁に似てるのではなく、日式菜刀つまり日本式包丁。

 日本の包丁は、中国でも重宝されているのでしょうかね。

そういうことになるのでしょうねえ。

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イエスの昇栄。どういう意味で、イエスは人の子だったのか?その2

神は、かつて私たちと同じ人間であった者が神となった存在で、骨と肉とを私たち人間と同じように持っている言う主張をする一派があるのです。

 私たちと同じ人間であった者が神となったことを、昇栄したという言葉で言い表しているのね。

多くのキリスト教の宗派は、神は永遠の過去から神であったと見ているのです。

 ところが、聖書の神秘主義思想であるカッバーラは、人は修行によって神の境地を目指すべき存在という考えに立っているのよね。

 まるで仏教の、修行によって御仏の境地を目指す教えとそっくり。

すべての人は、生命の樹を上って神の境地を目指すことを、神によって定められているという思想ですね。

 密教も、金剛界と胎蔵界の両部曼荼羅とも呼ばれる両界曼荼羅の教えに従って御仏の境地を目指す、似てますね。

ええ、この類似はしばしば指摘されることです。

カッバーラでは、生命の樹を上るかどうか、また上ろうとした場合でも、どのように生命の樹を上るのが正しいか、自分で判断することが求められるというのです。

 イエスは、生命の樹を上ることを自らの定めとして生き、神の言葉に従って修行することを選ばれたとみるわけでしょ。

そうして、イエスは私たちと同じ人間として生まれ、修行によって神の地位と昇る栄光、つまり昇栄を得たというのです。

 そのイエスに見習って、神の似姿に位置づけられて神の被造物として生まれたものとして、昇栄を目指す指南としてカッバーラがある。

だから、イエスの昇栄が問題になるのですよ。

イエスの昇栄を考える場合、この「昇栄」をどの段階と見るかですね。

昇栄とは、最高の階級に行くこと=永遠の生命を得ること、だそうです。

 最高の階級に行くこと=永遠の生命を得る、ならば、イエスは復活体を得たゴルゴダの丘のあとで、昇栄したことになりませんか。

 だって、イエスは神の子といわれるたびに人の子と訂正してますよ。

イエスと昇栄の問題は、イエスは、いつから神かということでしょうね。

絶対三神といいながら、唯一絶対神ともいいます。

政党で言えば、党三役と党首、みたいなことではないでしょうか。

党三役は、党首と一心同体であることが求められます。

 実際は、そうなってない党の方が多いけど。

理想を言えば、党三役は一心同体で党内外に当たることが求められる。

党三役に入れば、ナンバーツー、ナンバースリーと呼ばれ、次期党首最有力。

つまり、党首並みの実力がナンバーツー、ナンバースリーに求められるでしょ。

 ナンバーワン、ナンバーツー、ナンバースリー、と呼ぶにふさわしい人が本当に選ばれてるか、怪しい党も多いけど。

それを言ったら、実も蓋もないのでしょうね。

このナンバーツー、ナンバースリーに、御子と聖霊がいると見たら、名実ともに神と呼びえるのは御父のみではないでしょうか。

 イエスが名実ともに神となるには、御父にならないとだめ。

イエスの昇栄とは、裁きのとき再臨されるイエスは、御子の地位か、御父の地位か、そういうことではないでしょうか。

つまり、ゴルゴダの丘はイエスにとって名実ともに絶対三神の一員に入るためのダートくぐりだったのでは。

 ダート…。

生命の樹の、絶対三神の世界に入る前の隠されたセフィロトのことです。

ダートをくぐるには、神の目にかなわないといけないそうです。

生命の樹は、語りだせば、それだけで一冊書く人いるのですからね。

だから、深入りはしないです。

 どのように、神に試されるかは極秘事項。

だから、隠されたセフィロトなのでしょうね。

御子から人を経て、再び御子に戻るという弁証法的過程なのでしょうね。

 誤解を恐れず言えば、ヤハウエ時代のイエスは、仮免許時代だったとか。

聖霊時代の霊体で御子仮免許時代を体験した後、復活体を手に入れるために受肉したのが、救世主として活動したイエスだったのでしょうね。

 そのうち、イエスも昇格して御父の立場にのぼられるでしょうね。

それがいつかは、わからないです。

イエス昇栄は、千年王国の前か後かは議論が分かれるところだけれど、おそらくそのころではないかと推測するのです。

 退役した御父は、どうなるのかしら。

生命の樹は無限に続くから、もっと上に行くのでしょうね。

イエスが新たに御父になったら、イエスを頂点とする絶対三神体制ができてしまうけど、これもより高次の地位に居られる神の計画通りなのでしょうね。

 神の上に、神がいるのかしら。

大勢の方々が居られて、みなさまそれぞれに修行を積みながら、生命の樹の更なる上を目指していらっしゃるのでしょうね。

この世界は、最新科学も明らかにしつつあるように、上にも下にも無限階層です。

ずっと上がどうなってるか、なんてところまでは知らないですけど。

私たちの世界より、上の段階にすんでいるのかも知れないです。

あるいは、プラズマで作られる亜空間と考える人もいるでしょうね。

 イエス・天父・聖霊の住む惑星、どこかにあるのかしら。

元は人だった、っていうか今も昇格した人という意味では人ですからね。

 どこかの星に住んでるかしら。

おそらく、そうでしょうね。

 だから、神に宇宙人説がでる。

実際は、異邦人というべき人たちだけど、ほかの星に住んでいるから異星人ではあるでしょうね。

ただ、昇格によって自在に超能力を操れるからスペースシップはいらないでしょうね。

 プラズマで全身を包んで、亜空間ワープ!

可能性はあるのですよ。

イエスには、全身が光った話があるのですからね。

 イエスの力は、この銀河系だけにしか及ばないのかしら。

われわれのいる銀河を含む銀河団とは、思うのですけど。

 どこまで、広がってますかね。

われわれに関係する異星人(エイリアン)は、太陽を含む太陽系のほとんどの星にいるでしょうけど。

 太陽!

さすがに太陽にいるような異星人は、プラズマに守られているのでしょうね。

 神の段階まで達してないけれど、高度な科学文明は到達している。

他の天体から来る、いわゆる異星人の乗り物つまりエイリアンクラフトとしてのUFOは、この太陽系の星々から来ているのでしょうね。

 UFOが来ているとしたら、でしょ。

ええ。

 この高度文明の異星人が、いわゆるUFOで来る神と混同されている。

我々から見たら、桁外れの文明水準だから、神と思い込む人はいるでしょうね。

そう考えたら、聖書と細かい点で矛盾する神=宇宙人説の正体は説明できるのではないでしょうか。

 神は、我々と異なる天体の住民であるから異星人である。

 ただし、地球人と同じ人間であった人々が修行によって神の境地に到達した存在である。

唯物弁証法は、人の認識は無限に物質世界の本質に迫りえるという立場です。

カッバーラも、タントラも、陰陽道も、古代版唯物弁証法ですよ。

 カッバーラの言う、イエスが昇栄するという思想は、唯物弁証法と矛盾しない。

もちろんです。

 この広い宇宙のどこかに、神の境地の知恵と知識に見事到達できた人々がいる可能性は否定しない。

地球人だって、目先の欲望や戦争なんかで道草食わずに知恵と知識を正しく生かす道に精進していれば、もっと神の境地に近づくことはできていたでしょうね。

 科学はどんどん、禁断の領域に踏み込んでいますからね。

神の境地の人々が、地球にどんなことを忠告しにくるか。

神の境地の人々が、地球にどんな手段でやってくるか。

 本気で考えたら、世間で言う神=宇宙人説の多くが、いかにいい加減かわかる。

聖書は、神の国は近づいたとも、神の国はあなた方のうちにあるとも、言って悔い改めよと求めているのです。

人は皆、神の境地にたどり着く能力を持ち、知恵と知識は神の境地に限りなく近づいている現実がある、そう思えないでしょうか。

ここのところに気づいて、この知恵と知識をどう使うべきか、本気で考えないと欲望で暴走した知恵と知識に人はしっぺ返しを食うのでしょうね。

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ドイツはどこまで日本との類似が見えるか。ドイツと日本 その1。

日本人が意外と親近感を覚える、ヨーロッパにいる民族の一つはドイツ人ではないでしょうか。

 確かに、まじめさという点でほっとできるのはドイツという人は、多いのね。

 でも、細かいところでは、やはり異民族と感じる人もいますよ。

それは、しかたないでしょうね。

たどってきた歴史も違うし。

でも、藁葺き屋根を見かけるヨーロッパの国は、イギリスとドイツだそうですよ。

自然に学んで庭を造る文化も、イギリスやドイツに息づいているようです。

 そういえば、封建国家の分裂状態を克服することが、近代化の道だったのは、日本、イタリア、そして、ドイツ。

日本は、一応天皇や将軍の下で一つの国であったけど、日本人という意識は明治以降に芽生えたと言って良いでしょうね。

それに、日本が近代国家建設で大いに参考にしたのもドイツ。

 思い出した。

 マルクスにつながるドイツ哲学…。

 弁証法は、ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルから、カール・マルクスに引き継がれたのでしたね。

ヘーゲルで、いきなりドイツに弁証法哲学が芽生えたとは、思えないと言いたいのでしょう。

 日本も陰陽、つまり弁証法思想の伝統があるでしょ。

 ドイツにも、なにか弁証法的発想の伝統はなかったのかしら。

ドイツ文化に見る弁証法的発想については、情報が欲しいですねえ。

でも、気になることはあるのですよ。

妖怪の日本、妖精のイギリスに対して、メルヘン街道のドイツ。

 メルヘンは、おとぎばなしとか、昔話とか、童話をさすドイツ語よね。

妖精や、小人や、魔法使いなどが活躍する空想的な物語です。

 妖精や、魔法使いって、イギリスと似てる。

 つまり、日本とも似てる。

イギリスと言えば、ケルト文化も結構残ってるでしょ。

 ケルトと日本の文化に感じる類似といえば、陰陽でしょ。

陰陽は、古代の弁証法思想といっていいでしょうね。

 でも、ドイツ文化と陰陽の接点ってなにでしょう。

そこなんですよ。

気になっているのは…。

ところで、ドイツ人の顔に、欧州の中でも目は小さめ、彫りの深い顔をイメージする人って多くないでしょうか。

 顔の輪郭が四角くてがっちりしている人も、多いように思いますね。

そういう顔の人、日本にいないでしょうか。

 そういわれれば、いるような気はしますね。

ドイツ人の気質についても、日本と似ているということに同感する人って多いでしょうね。

 細かいところまで含めて似てるって人と、細かいところはやっぱり違うって人と、いるけど。

 親近感という点では、そうねえ。

1871年から1873年にかけて、岩倉使節団を欧米に派遣したのです。

日本政府が近代国家を建設する指針を得るために派遣した使節団はドイツにも立ち寄り、ドイツ首相ビスマルクなどに謁見。

この時、使節団はビスマルクから、当時の国際社会の実態は弱肉強食の原理で成り立っていることを改めて知らされたのです。

「特命全権大使・米欧回覧実記」には、ビスマルクの日本に対する脅しとも忠告とも取れる発言が収められているといいます。

「現在世界の各国は皆、礼儀をもって相交わっているようにみえるが、それはまったくの建前のこと。裏では強弱あい凌ぎ大小相侮るというのが実情だ。大国は自分に利益があれば国際的な取り決めを守るものの、自国に不利と見れば軍事力にものをいわせるのだ」。

ここまで、あけすけにヨーロッパの本音を日本に語ってくれたのは、ビスマルクが日本に自国の似姿を見たからかも知れませんね。

 確かに、手の内をさらけ出してますね。

 お抱え外国人として日本に来たならいざ知らず、現役の政治家でしょ。

 よっぽど、日本を舐めているか、心配していないと、ここまで言わない。

岩倉使節団は、アメリカから、ヨーロッパのイギリス・フランス・ベルギー・オランダ・ドイツ・ロシア・デンマーク・スウェーデン・イタリア・オーストリア・スイスの12カ国を回っています。

セイロン、シンガポール、サイゴン、香港、上海等アジア各国も回っているけどです。

この使節団の旅で、ビスマルクほど、親身に日本のために忠告してくれた人はおそらくいないでしょうね。

脅しも、入っているとしても…。

 そういえば、プロイセンというけど、プロシャ、プロシァ、とも言いますね。

 シャ、シァのつく国って、なにかしら日本と接点が見えますね。

ドイツ、ますます気になりますね。

追記

エジプト考古学の吉村作治も、ドイツ人は日本人のこと好きなんだよね、日本人もドイツ人のこと好きだけど、といってドイツ人の同業者から我がことのように発見を喜ばれ親身になってアドバイスをもらったと、語っています。

ドイツと日本は民族性が似ていると、ほかの国の調査隊と比べて、つくづく思うそうです。

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ウッドサークルを考えてみる。

縄文の環状木柱列、つまりウッドサークルは、縄文後期から晩期の北陸地方に集中する謎の遺構です。

代表的な金沢市のチカモリ遺跡の木柱列は、入口が白山山系を向いた構造だそうです。

 白山の大崩壊から千数百年後に建てられたこの木柱列には、口承で語り継がれたであろう大崩壊の衝撃が込められている気がする。

ウッドサークルは、イギリスが有名ですね。

縄文日本とイギリスが何らかの接点があったことになるのです。

 そういえば、ストーンサークルもイギリスと共通ですね。

アメリカのケネウィック出土の古代人骨はイギリスと日本に二股かかってるそうです。

ケネウィック出土の古代人骨は、縄文人の血を濃く引いているアイヌに似ているというのです。

 そういえば、栃木の大谷石の採掘場に行って、南米と同じ葬り方の1万1千年前の縄文人の骨を見た。

南米は、縄文とそっくりの土器も出てるでしょ。

 なぜ、縄文後期・晩期の北陸にのみ、ウッドサークルが出現するのか。

 白山大崩壊の衝撃が神話的に受け継がれ、山の神を鎮める祭祀表現だったからでは。

 そう推測すると、チカモリ遺跡や真脇遺跡など北陸の木柱列が、諏訪の御柱を考えるヒントになる気がするの。

 山の神が背景にある、御柱祭だけに。

諏訪の御柱は、聖書を連想できる名前のモリヤ山を背景に聖書が連想できる展開をすることが有名で、日ユ同祖論が注目しているのです

 北陸の環状木柱列で、10本の柱が円形に並べられた構造が気になるの。

 思い出すのは、十一面観音よ。

 色んな造形はあるが、十面十一面で表現され、十の顔が前後左右に配された木彫は、まるで環状木柱列。

 白山神の本地が十一面観音とされたのも、北陸人の集合的無意識に潜む元型的イメージが投影されたのかも…。

十面十一面なら、飛鳥昭雄と三神たけるは、生命の樹と即座に言うでしょうね。

 確かに、木の宇宙観で、縄文とケルトがつながる気がするの。

 その根底となる巨木文明には生命樹や宇宙樹という古代の宇宙観が関わってそうですね。

まさに、そうですね。

 またセフィロトとの関連も、興味深いね。

セフィロトは、生命の樹の十の節のことですよね。

 残る一つの節は、人々から隠された、ダートと呼ばれる神の段階への入り口に当たる存在ですよね。

陰陽も、ケルトと日本の接点ですよ。

 白山は、地球規模の聖なる山ね。

 韓国の太白山や小白山、中国と北朝鮮の国境は長白山とも呼ばれる白頭山でしょ。

 シルクロードの天山が、旧・白山ね。

 ヒマラヤのダウラ・ギリ、アルプスのモン・ブラン、スペインと北米のシエラ・ネバダ、ハワイのマウナ・ケアも白山と訳せます。

どれも、日本人のルーツにかかわる土地です。

 中国や朝鮮半島は、大陸からの通り道というのは、わかる。

ヒマラヤは、日本と古代中東の遺伝子を共有するチベット。

 スペインは、バスク人のそっくりさんが日本にいるでしょ。

アメリカは、さっきも触れた古代人骨や縄文文様の共有、さらに遺伝子も繋がりが見えます。

日本の御神木文化にも、根底となる巨木文明には生命樹や宇宙樹という古代の宇宙観があるのかもしれません。

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