« 包丁を考えて見ました。 | トップページ | エロイム、エッサイム。 »

狸囃子を考えてみた。狸囃子 その1

楽しい狸の歌と踊りで有名な日本の童謡『証城寺の狸囃子(しょうじょうじのたぬきばやし)』は、野口雨情作詞、中山晋平作曲です。

野口雨情が千葉県木更津市を訪れた際に證誠寺の狸囃子伝説を聞いたのが、作詞の元になったのです。

寺の名前が違うのは、はじめにミスプリントしたからだそうです。

実は、千葉に動物と和尚さんが踊る伝承がほかにもあったのです。

場所は、香取市米野井字長谷の大悲山広徳院長谷寺です。

いまでは観音堂だけが残るが、広徳院長谷寺は奈良時代の天平九(737)年に創建された徳星寺の末寺だったのです。

この長谷寺観音堂のある土地は、北西方向から東南へと延びる比高およそ三十メートルほどの舌状台地にあり、そのほぼ先端部の南側に位置していたのです。

江戸時代のころまでは残存していたが、残念ながら、現在はこの杉林の中の二間四方の観音堂ばかりとなってしまっています。

観音堂内の十一面観音菩薩像は、楠の一木造りで、高さ約1.70メートル。

長谷寺で和尚さんと踊ったのは、猫だったのです。

和尚さんは、飼い猫と般若湯、つまり酒を呑み交わしながら木魚を打ち鳴らして一緒に踊っていたのです。

しかも近所の猫までいっぱい集まって、般若湯を呑んで踊りに加わっていたそうです。

 證誠寺の狸囃子伝説に、なんとなく似てますね。

 腹鼓の正体は、木魚だったのかしら。

可能性は疑ってもいいかもです。

 證誠寺の狸囃子伝説の、狸も実は猫だったりして。

かつて、狸は獣偏に里と書くことに示されるように、里に出没する小動物の総称だったのです。

 当然、猫も含まれていた。

むしろ、猫が狸と呼ばれていた場合がよくあったようです。

 作物を狙わず、作物に害する鼠などを捕ってくれたので多めに見られたのかしら。

そうかも。

 じゃ、同じ起源を持つ話が、一方では狸囃となり、もう一方では猫が踊った伝承となったのかしら。

元が同じであると、思った方がいいかもです。

この和尚さんと猫の踊りの伝承は、「猫じゃ猫じゃ」の起源譚のひとつとなっていたのです。

長谷寺は後に火災で焼け、観音様も楠の木目が分からぬほどに焼けただれたが、その姿のまま、建て替えられた御堂に今も祭られていたのです。

 それで、観音堂だけあるの。

「猫じゃ猫じゃ」は、文政十一(1814)年頃から「江戸」で流行った唄です。

明治初(1868)年 に替え歌が沢山出来、その後の花柳界では座敷唄として大いに唄われたのです。

和尚さん、伝承ではののさんとなっていたのです。

ののさんとは、観音さまの愛称です。

観音堂の坊さんと、親しみを込めてののさんといったのでしょうね。

長いので多少はしょるです。

この頃、寺の近在に調子の良い馬鹿囃子があったのだが、決まった踊りはまだなかったのだったのです。

この馬鹿囃子が、後の佐原囃子になったそうです。

そこへ、ある年の祭に、若衆が隣村と踊り競べをすることになり、ののさんが頼まれて、この囃子に踊りをつけることになったのです。

踊りを考えるのに夢中になったののさん、猫たちとの般若湯を呑み交わして踊ることなどすっかり忘れていたのです。

ののさんの飼い猫のたまから事情を聞いた猫たち、夜になると寺に集まったのです。

それを見たののさん、猫たちと一緒になって般若湯で酔っ払い、炉端、皿、鉄瓶まで叩いて馬鹿囃子をはじめてしまいました。

そこへちょうど若衆世話人、村人に言いふらしたものだからみんな集まってしまいました。

驚いていた村人も、つられて踊りだしてしまいました。

翌日、村では、猫が頬被りして、浴衣に草履はいて、ののさんに踊り教えたって評判になりました。

これを聞いたののさんは、踊りながら次のように唄ったというのが「ネコじゃ踊り」の始まりですと。

 ネコじゃ ネコじゃと おっしゃいますが
 ネコが じょじょはいて かっこはいで
 しぼりゆかたで くるものか
 ハァー おっちょこちょいのちょい
 もひとつおまけで ちょい

踊りの師匠さんに習った隣村に、見事に勝ってしまったこの馬鹿囃子、やがて、「ネコじゃ踊り」とよばれるようになり、「利根川」に運ばれて遠く「江戸」まで流行ったといいます。

長谷寺観音堂と同じ台地の先端部の北側に戸田神社は、鎮座していたのです。

戸田神社は、天平八(736)年の創建と伝わるです。

中世には、長谷寺や戸田神社のある台地の先端部の尾根を削って、千葉氏系の木内氏の城館「八丁内城(米野井館)」があったと推測されていたのです。

台地尖端の鞍部に、この城館の「曲輪」部はあるそうです。

八丁内城は、さらに古くは米野井館と呼ばれました。

八丁内城は、奈良時代から平安時代にかけてこの地域の国造を世襲した他田日奉部(おさだのひまつりべ)の一族の館跡だとも考えられていたのです。

戸田神社は、他田日奉部と関係する久都伎直日奉真人( くづきのあたいひまつりのまひと)が、出雲国の杵築大社を勧請したものだそうです。

 出雲国の杵築大社、今の出雲大社でしょ。

 主たる祭神は、大国主命なのかも。

かもです。

関東には、出雲国の杵築大社から勧請されたことで知られる氷川神社もたくさんあります。

 関東の杵築大社から勧請された神社は、探せば、まだまだあるかしら。

気になりますね。

関東と出雲、気になるのは秦氏です。

八幡のつく地名や神社が、どちらにもあります。

證誠寺の木更津市にも、地名の八幡や、八剱八幡神社があります。

長谷寺観音堂のある香取市は、八幡は地名ではわからないけど、八幡神社なら複数あります。

関東は秦氏の一大勢力地であったことが知られているので、八幡神社があること自体はそれほど不思議ではないです。

むしろ同じ千葉県内に、證誠寺の狸囃子伝説の元ネタとも思える長谷寺の「猫じゃ猫じゃ」発祥伝承があるのは、興味深いです。

おそらく、この猫はもちろん、狸も、禰子が正体であったと私は見たいです。

追記

今回はこちらを参考にさせていただきました。

千葉県の猫神・長谷寺の猫
http://nekonokamisama.blog3.fc2.com/blog-entry-19.html

ポチッとよろしく!

|

« 包丁を考えて見ました。 | トップページ | エロイム、エッサイム。 »

音楽」カテゴリの記事

歴史」カテゴリの記事

仏教」カテゴリの記事

」カテゴリの記事

生物」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 狸囃子を考えてみた。狸囃子 その1:

« 包丁を考えて見ました。 | トップページ | エロイム、エッサイム。 »