« 狸囃子を考えてみた。狸囃子 その1 | トップページ | 漆。 »

エロイム、エッサイム。

聖書の「神」の単数形"el('el)"は、天使の名の固有名詞構成接尾辞にその名残りを見ることが出来るのです。

例えば、Michael(Micha'el), Gabriel(Gavri'el), Uriel(Uri'el)などです。

ヘブライ語聖書では、「神」を表わす普通名詞"elohim(エローヒーム)"が用いられる場合があるのです。

"elohim"は、"el エール(『神』の単数形)"の複数形です。

唯一神を示すのには矛盾しているようにも感じられるが、神である御父と補佐する御子と聖霊による唯一神会と捉えることが可能です。

"elohim"はまた、"el elohim エール・エローヒーム"とも呼ばれるのです。

カッバーラ系黒魔術における有名な召喚呪文、"Elohim Essaim Frugativi et appelavi(エロイム、エッサイム、フルガティウィ・エト・アッペラウィ)!"の起源でもあるのです。

死者降霊術(ネクロマンシー)や精霊召喚術で、用いられるものです。

"Eloim, Essaim, frugativi et appelavi "と、"Elohim"ではなく"Eloim"と表されることが多いです。

 『エロイム・エッサイム、我は求め訴えたり!』の意味でしょ。

"Essaim"は、「悪魔(akuma)」とも「火」とも解釈されるのです。

コーランから解釈すると、神に逆らうものは悪魔(akuma)であるイブリースに引き渡され裁きの火へ落とされるようです。

つまり、裁きの火=悪魔(akuma)となるのです。

そして"Elohim Essaim"あるいは"Eloim Essaim"は、"Elohim"もしくは"Eloim"は「神」をさすので、「裁きの火の神」=「悪魔(akuma)」となるのです。

 悪魔(akuma)とサタンを混同すると、おかしくなってしまいますよね。

 悪魔(akuma)は神、サタンは堕落した天使、地位がぜんぜん違う。

ここを間違えると、聖書を悪魔(akuma)の書でありサタン崇拝の書と読み違えることになるのです。

 魔術には、黒魔術と白魔術があるという人がいるのね。

しかし、いずれにしても魔術は悪魔(akuma)の力を借りる以上、軽々しく手を染めてはいけないのです。

聖書には、アブラハムが老いてからようやく授かった子どもであるイサクを燃やし尽くす捧げものにせよと命じられる場面があるのです。

 これはアブラハムとイサクの神への忠誠心が試されたので、神は本心から求めたのではないでしょ。

ええ、神は二人を試されたのですからね。

一方、願いをかなえたい一心で一番大事なものを燃やし尽くす捧げものにすると誓った男は、子どもを燃やし尽くす捧げものにせよと命じられる羽目になるのです。

黒魔術に子どもの捧げものが出てくるけれど、実は聖書のこれらの記述に基づくのです。

こういったことも、聖書を悪魔(akuma)の書でありサタン崇拝の書と読み違える原因になるのです。

裁きの神の力を得ようとするからといって、子どもを捧げる必要は必ずしもないのですよ。

 本当に必要なのは、身も心も捧げつくす忠誠心ということ。

ただし、神とサタンを取り違えると、反社会的行為に手を染めることになるのです。

 捧げもの用に、無理やり子どもを手に入れようとするとか。

そうですね。

それは、本来やってはいけないはずなのです。

神の力を借りるのに、子どもなどの捧げものは本来不要なのですから。

 自分の子であってもだめ、ましてさらってでもなんて絶対だめ。

子どもの捧げものを求められる時点で、欲望に目がくらんだ人をたぶらかすサタンの術策に、はまったといえるでしょうね。

 イエスが贖罪のために身を捧げるように見えるけど、贖罪もあるけど、それ以上に神になるために必要な復活体のため。

そうですね。

捧げもの自体自分の忠誠心を形にしようとする現れの一つなのであって、神が求めているわけではないのです。

 神は、この世のすべての創造者にして所有者だからですね。

黒魔術にある内容は、象徴体系であって、その書かれているままやってはいけないのですよ。

 そこが気づけるかどうかも、神は見ておられる。

そうですね。

正しいと思うようにやっていいが、裁定は神が下されるのです。

魔術は、表面の象徴体系を見抜けるかどうか、本質を神に導かれて見抜けるかどうか、問われるのです。

勘違いして反社会的行為に走った者たちは、裁きの神である悪魔(akuma)に渡されて地獄の火に落とされるでしょうね。

 それが見抜ける人は少ない。

だから、軽々しくやったらいけないのでしょうね。

私は、魔術の真似事など、やる気はさらさらないです。

神の力は、神と天使が使えばいいわけですから。

 それ以前に、使えないでしょ。

 魔術!

あ!そうだったです。

神は、知恵や知識を求めるものには気前よく教えてくださるお方です。

そして、御自身の御心に沿って使う者かどうかを見定めておられる、怖いお方でもあるのです。

魔術の知恵と知識を求めれば、神は教えてくださるのです。

ただし、魔術の知恵と知識の裏にある本質を求めるかどうかも、さりげなく採点しておられるのです。

魔術の表面的知識で満足するものは、サタンに誑かされて反社会的行為に転落してしまうのです。

 そして、地獄の炎の管理者である悪魔(akuma)に引き渡されるのでしょ。

子どもの捧げものを求められたアブラハムとイサクに対する神の試しと、アダムとイブに対する神の試しとが、本質は同じということです。

神の知恵と知識を得るために、善悪を知る樹の実を食べたアダムとイブの行為と同質なのです。
ポチッとよろしく!

|

« 狸囃子を考えてみた。狸囃子 その1 | トップページ | 漆。 »

聖書・コーラン」カテゴリの記事

コメント

だからどうした?…って単純に思ったんですが?神とか意味がわからない、妄信者かよ(笑)
アナタのブログってホント自己満足だよね…
かなり古いよ、アナタもネタも。過去をほじくって良いように書いてるだけじゃない…?

投稿: ーー゚ | 2010年9月20日 (月) 11時39分

ええ、民俗研究の大半は、だからどうしたって内容です。

研究は、先人の成果を踏まえ、私見を加えて進めるものです。

トンデモと言われないように慎重にやってます。

トンデモ大好きな方には、物足りないでしょうね。

投稿: cova | 2010年9月21日 (火) 22時40分

自己満足でないサイトやブログ、あったら教えていただきたいですね。

いにしえの人々の気持ちに寄り添って、研究しようという立場で臨んでいます。

かなり古いよ、アナタもネタも、そう言って頂けるとうれしいです。

過去をほじくって良いように書いてるだけじゃないって、そうですが何か問題ありますか?

投稿: cova | 2010年9月22日 (水) 10時22分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: エロイム、エッサイム。:

» 世界四大宗教の経済学 ~ユダヤ教とお金 [投資一族のブログ]
信仰に関する事柄だけを述べるのが宗教ではない。どんな宗教にも必ず生活のための知恵が含まれている。古代にあっては、 まさに宗教こそが尊ぶべき知恵であった。そうした宗教に含まれているのは、「お金をどう扱うか」、あるいは「お金に対してどう いう態度を取るべきか」という知恵である。お金についての知恵や教えは人間の考え方、ふるまい方に影響をもたらす。その 人の発言や行動を通じて、さらに経済社会にははっきりとした影響をもたらす。つまり、宗教がお金についてどのようなことを教え るかということで、人間社会の倫理が変... [続きを読む]

受信: 2010年9月24日 (金) 21時11分

« 狸囃子を考えてみた。狸囃子 その1 | トップページ | 漆。 »