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2010年10月

弥生人はやはり神武東征と関係あり?

神武に率いられた天孫一族の東征のたどった道と、弥生人となった渡来人のたどった道は、面白いほど重なってくることが考古学によって明らかにされてきたようです。

しかも、東に向かおうとする弥生人となった渡来人と先住民であった縄文人の間で、争いがあったことを示す人骨も見つかっているといいます。

 でも、争った後のある人骨はほとんどが西日本でしょ。

東日本には生い茂る森林にはばまれて、手前で止まらざるを得なかったと見られています。

東日本の縄文人たちは、今見ても優れた伐採能力を持つ石斧で木々を伐採していました。

硬い木の枝と幹の部分をたくみに生かし、石斧を木をくりぬいてソケット状にして取り付けていたのです。

しかも、わざとソケット状にくりぬいた一部を欠けた形にしたり、石斧との段差を極力なくす加工を施していたのです。

 縄文人たちは、その優れた石斧と、大きな石を加工して作った石の鍬でどんどん木々の生い茂る土地を開墾していたのでしょ。

ええ、弥生人はそういう土地を切り開くための道具や技術を持ってなかったのです。

そこで、東日本への進出は現地の縄文人を味方につけざるを得なかったのです。

 一方、東日本の縄文人たちも、水田の高い生産力に魅力を感じていたのでしょ。

弥生人たちの土地へと、東日本の縄文人たちは距離をものともせずに進出して、水田技術を身につけようとしていた痕跡は数多く見つかっているのですって。

 その水田の技術は、長江の下流域で生まれたのでしょ。

そう考えられていますね。

そして、中国が春秋から戦国時代のころ、多くの人々は国外に脱出し、その一部が日本に来て弥生時代を開くことになる。

 当然、森林を切り開く道具や技術を手にしてない人たちよね。

だから深い森に囲まれた東日本の縄文人たちの世界は、弥生人にとってまったくお手上げだったのかも。

長江下流域から朝鮮半島にかけて、海を越えてやってきた人たちの集合体から、弥生人は成立したようですから。

 そうなると、徐福が不老不死の仙薬を求めて蓬莱山を目指して船出したころと、近くありませんか。

中国から徐福が神武になったと言う説が出ても、おかしくないのは事実かもね。

東日本縄文人たちの技術水準の高さを知って、弥生人たちは味方につけた方が得と判断したのかもしれませんね。

 そういえば、縄文時代も末期になると、朝鮮半島南端の地域から水田技術を持ち帰った人たちがいたとか。

ええ、ごく一部にとどまったようですけどね。

 稲作をしていた縄文人の多くは、熱帯ジャポニカを焼畑に直播きだったわけでしょ。

弥生人と西日本縄文人は、農地を巡って争ったのかも知れないですね。

 焼畑と水田、農地の利用法はまったく違うわけですからね。

それに対して、東日本では 弥生人たちは西日本のときと異なり、ほとんど争おうとはしていなかったようなのです。

そこで、こういう疑問が起きます。

神武とは、弥生人の指導者であったのではないか。

縄文人と弥生人の和解こそ、ニギハヤヒと神武の和解の正体だったのではないか。

 可能性はありますね。

さらに、『古事記』では倭建命と表記される日本武尊は、西日本ではさまざまに策を巡らして戦った記述があるのに、東日本では奇妙なほど戦いの記述が減るのです。

これも、弥生人の東日本進出が平和的に縄文人の協力を取り付けてなされていった考古学の情報と、面白いほど重なっていくのです。

 縄文人は、野焼きしたあとに熱帯ジャポニカを直播きしていたと見られているね。

米を作った証拠はあるのに、水田は見つかっていないですからね。

東日本への温帯ジャポニカの進出は、熱帯ジャポニカとの雑種から生まれた早稲によって可能になったことが分かって来たといいます。

熱帯ジャポニカも水田で育てられ温帯ジャポニカとの雑種ができることは、実験で確かめられています。

 熱帯ジャポニカの栽培に慣れた東日本縄文人の協力なくして、実行は難しかったかも。

記紀の記述に従えば、神武は弥生時代に遡ってしまうのだけれど、最新考古資料と照らし合わせると、神話と笑い飛ばせなくなってくるのです。

神武に始まる弥生王朝の存在は、事実と考えるべき方向に向かっていくのではないでしょうか。

 じゃあ、神武王朝最後の天皇は、だれかしら。

仁徳以前に、神の付く名前の天皇が三人もいるのに、仁徳以降はいないのはなぜでしょうか。

 そういえば、皇后にも、仁徳以降には神が付く名前は見えないかも…。

ここから想像できる弥生王朝最後の天皇は、応神であったのかもしれないですよ。

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ゲルマンと日本を角度を変えて比べてみた。

両国国技館は、東京都墨田区横網(よこあみ)一丁目にある大相撲の興行のための施設です。

 ボクシングなどの格闘技の試合に、使われることもあるでしょ。

番付では、旧字体で國技館と表記しているのです。

“両国国技館”とは一般向け通称であり、正式名称は『國技館』だからです。

毎年2月の第3又は第4日曜日に行われている両国国技館の5000人の第九は、両国国技館落成、また国技館の両国復帰を祝して開催されたのが始まりです。

 現在の建物は、1985年1月場所から使用されているのでしたね。

でも、国技館の足取りをたどろうというのはないです。

両国国技館で5000人の第九をしようとなったとき、問題になったのはまったく未経験のドイツ語の歌詞をどう覚えるか、だったそうです。

そこでカナに直したドイツ語を、さらに漢字かな混じりに変換して、頓珍漢でも良いから日本語に直して覚えようというアイディアがでたそうです。

この語呂合わせドイツ語で歌う下町の第九、なんとドイツ語の専門家も合格点を出す本格的発音だそうです。

そこで気が付いたのは、とっても面白いことです。

平唇音的発音をする言語の典型ともいうべきドイツ語の巻き舌音を、下町の人々は見事に発音できていたのです。

 東京の下町といえば、べらんめい言葉よね。

 そういえば、下町言葉は、巻き舌がすごいって印象があります。

 一方ドイツ語は、なんかすごく硬い印象があるけど、そんなに巻き舌がすごい言葉だったのか。

ドイツ語の発音は濁音ばかりと、感じる人は多いでしょ。

これは、ドイツ語がものすごい巻き舌音だらけの言葉だからですよ。

 巻き舌音がすごいっていえば、ローマもかなりすごいの。

 巻き舌で、東京の下町とローマとドイツは繋がるのか。

今のドイツとイタリア、それからオランダ、スイス、オーストリア、フランスの東部あたりまで、神聖ローマ帝国領と見なされていたのです。

 そうか、ローマ帝国つながりか。

 でも、なんで巻き舌音という特徴を共有してるのかしら。

神聖ローマ帝国領といっても、実際に統治していたのは、今のドイツとオーストリア、ボヘミア、オランダくらいだそうです。

ローマ帝国は、イタリアのローマから興って古代ヨーロッパを支配していたのはご存知でしょ。

ローマ皇帝位は西ローマ帝国が滅びたあと、しばらくしてフランク王国のカール大帝に与えられるのです。

フランク王国はその後すぐに分裂してしまい、今のドイツあたりにできたのが東フランク王国です。

これがやがて、ドイツ王と呼ばれるようになったらしいのです。

「ドイツ」というのは当時のドイツに住んでいたゲルマン人の言葉で、「我々の民族」「俺たち」みたいな意味だそうです。

現代ではフランク人の王が続いていた頃を東フランク王国、それにかわってゲルマン人の一派であるザクソン人が王様になってからをドイツ王国と言って区別しているようですね。

1024年にドイツ王ハインリッヒ2世が、「うちの国はこれからローマ帝国と呼ぶ」といったのが神聖ローマ帝国の始まりです。

 このころはまだ、神聖は付いてなかったのね。

ここで、神聖ローマ帝国史を詳しく振り返るつもりはないです。

ゲルマン人であるドイツ王ハインリッヒ2世の「うちの国はこれからローマ帝国と呼ぶ」という主張が、なぜ通ったのかという疑問を考えてみたいのです。

ゲルマン人(German)は、現在のドイツ北部・デンマーク・スカンジナビア南部地帯に居住していたインド・ヨーロッパ系を祖先としインド・ヨーロッパ語族 - ゲルマン語派に属する言語を話す諸集団の事を指すのです。

 ゲルマン人は、民族とはいえないの。

インド・ヨーロッパ語族 - ゲルマン語派に属する言語を話す諸集団であって、民族というほどのまとまりはないようですね。

民族とは、一定の文化的特徴を基準として他と区別される共同体をいうのです。

土地、血縁関係、母語としての言語の共有や、宗教、伝承、社会組織などがその基準となるのです。

ただし、普遍的な客観的基準を設けても概念内容と一致しない場合が多いようです。

それで、むしろある民族概念への帰属意識という主観的基準が客観的基準であるとされることもあります。

 しいていえば、ゲルマンへの帰属意識を持つ人の集合。

ゲルマンの名は、古代ローマ時代の地名であったゲルマニア(Germania) に由来するのです。

ゲルマニアは、おおよそライン川の東、ドナウ川の北の地域で、現在のドイツとほぼ重なる一帯を指するのです。

主にゲルマン人が居住した地域で、ライン川をはさんでガリアと隣接しています。

ローマ帝国はライン川の西側の属州を上流と下流に分け、それぞれ高地ゲルマニア属州と低地ゲルマニア属州の名を与えていたのです。

ゲルマン人は、古代時代にはローマ帝国を脅かす蛮族として活動したのです。

中世には、ラテン人であるローマ人やキリスト教文化との混合によって中世ヨーロッパ世界を形成したのです。

中世は、西洋史では、一般に西ローマ帝国の滅亡した476年から15世紀末までをさすのです。

 なんだあ、ラテン人であるローマ人やキリスト教文化との混合くらいしか、ゲルマンとローマとの接点は見えないの。

いまのところ、この程度です。

なお、中世には、1453年の東ローマ帝国の滅亡を以って終わりとする見方もあります。

ルネサンス以降あるいは宗教改革以降を近代とするが、ルネサンスを中世に含めるかどうかは議論があります。

ゲルマンは、現代においては、ドイツ、オーストリア、スイス、ルクセンブルク、オランダ、スウェーデン、ノルウェー、デンマーク等に住む人々、イングランドのアングロ・サクソン人、ベルギーのフランデレン人、フランスのアルザス人、イタリアの南ティロル人がこの集団の系譜を引いているのです。

何れの勢力も長い歴史の中で複数の部族間の離合集散や異民族との混血を繰り返しているので、古代のゲルマン人とは同質ではないです。

 じゃあ、古代ゲルマン人はどういう人々か、わかっていない。

ゲルマン人とは、ローマ帝国によるゲルマニア地方に居住する諸部族に対する他称だったのです。

彼ら自身は、同じコーカソイド人種に属し、ゲルマン語派の言葉を用い、文化面において一定の共通性が存在したが、同時代のスラヴ人やケルト人と同様ゲルマン人としての同族意識を持つ民族共同体を形成していたわけではないのです。

 ゲルマン人というのは、それらゲルマニア地方出身の諸民族を総称する際に用いられた用語に過ぎなかった。

 離合集散は、ほかの民族も同様。

そうですね。

アングロ・サクソン人やゴート人という部族名こそ、かれらにとっての民族名だったのです。

また、フランスはその国名がフランク王国に由来するように、少なくとも支配層の流れはゲルマン系であるが、ラテン、ケルトと完全に混成化しており、ゲルマン人国家と呼ばれることはまずないです。

ただ、ゴート人には面白い指摘があるのです。

疑問視されている説ではあるけれど、ゴート族はスカンディナヴィア半島を発祥とする民族という意見もあるのです。

550年頃にアリウス派僧侶でゴート人の歴史家であるヨルダネスが、東ゴート王国の学者カシオドロスの著書を要約して著した史書『ゴート人の事跡(De rebus Geticis)』に載ってるそうです。

スカンディナヴィア南部はゴートランドあるいはイェータランドと呼ばれ、ゴート族を含むゲルマン系民族がポーランド一帯に遺したストーンサークルと類似するものがスカンディナヴィアで発掘されているというのです。

 ストーンサークルといえば、イギリスばかり思い出していたけど…。

日本にも、あります。

イギリスといえば、アングロ・サクソン人(Anglo-Saxons)の一派のサクソン人が、イングランド人としてイングランドの基礎を築いたため、アングロ・サクソン人は単にサクソン人と呼ばれることもあったでしょ。

ちなみにアングロサクソン人は、5世紀頃、現在のドイツ北岸、デンマーク南部よりグレートブリテン島に侵入してきたアングル人、ジュート人、サクソン人のゲルマン系の3つの部族の総称です。

 日本と、イギリスと、ドイツは、ストーンサークルで繋がる…。

 ドイツにストーンサークルがないので、すっかり見落としていた接点ね。

ドイツのプロイセンとも呼ばれるプロシアと日本の関係に、どうも気になっていたのでちょっと調べてみました。

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苦しいとはどういうことか、思ってみた。

自分は何でこれほどまでに、苦しいのか。

神に見放されたのではないか。

そう思って、神に背を向けたり、神を呪ったりする人は、多いようです。

 違うの?

神に見放されるとは、神に退けられることですよ。

聖書には、神に退けられたものの多くは、悲惨な最期を遂げています。

 生きてない。

その通りでしょうね。

たいていの宗教で、神に見放された者は生きていられなくなるのではないでしょうか。

 どんなに苦しくても生きていると言うことは、見放されていない。

そうなりませんか。

ただ、犯罪や人災とも言いえる災害の被害者を、ここでいう神に退けられたものに含めるのは適当ではないでしょうね。

 殉教や、何らかの事故、病気、戦争、犯罪被害者等、悲惨な最期を迎える人々などと、彼らを犠牲や被害にあう原因を作った人々は分けて考えるべき。

犯罪や人災とも言いえる災害の加害者になっているのに自覚がないか、自覚があっても反省する意思のない人々は、神に見放される可能性は高いでしょう。

 じゃあ、苦しんでいる人々は、どうして苦しいわけ?

神は、その人を試して居られるのでしょう。

神に救いを求め続けられるか、どうか。

神を呪うか、どうか。

 でも、神を呪い続ける人でも、生きてるじゃないですか!

神は、我慢強いお方だからでしょうね。

あるいは、単に気が長いだけかもしれないけど。

 神は永遠を、生きておられるから。

 人にとって長い日々も、神にとっては一瞬ってこと。

それもあるでしょう。

 それだけじゃあ、ない。

修行を積んで、永遠の魂を神に認められるなら、今の苦しみはその人にとっても一瞬になるからでしょうね。

 永遠の魂を神に認められるって、生命の樹を上ることかしら。

そうでしょうね。

どんなに神を呪っている者でも、悔い改めて神を受け入れるなら、その神を受け入れる水準は漠然と祈っている場合よりもっと深くなるでしょう。

苦しさを神の試しと受け止め、導きのために教え諭してくださっているありがたいお方として感謝できるかどうかでしょうね。

 悔い改めて福音を信ぜよ、神の国はあなた方のうちにある。

神の国に入る権利は、すべての人に認められていると気づきなさいということでしょうね。

 悔い改めて福音を信ぜよ、神の国は近づいた。

これは、少なくとも二つの解釈が可能でしょうね。

一つは、悔い改めた者には神の国は今まで以上に近い存在になった。

もう一つは、最後の審判の時は確実に近づいている、悔い改めるなら早いほうが良い。

実際は、この両方の意味ではないでしょうか。

 今味わっている苦しみは、神の試しであり、諭しと導きであるから、見捨てられていないことに感謝したほうが良い。

 そして、ここから何を学ぶべきかを素直に祈りながら神の応えを求めた方が良い。

そう思った方が、少なくとも気は楽になるのではないでしょうか。

 なんだ、気休めを言ってたの!?

どう受け取るかは、その人の自由でしょうね。

あなたは自分が正しいと思うようにするが良い、判断は神が下す。

これが神の立場のようですから。

追記

2010年10月17日、記述の一部を補足修正しました。

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神社と猫? ピラミッドと猫?その2

ギゼーのピラミッド群は、ピラミッドとスフィンクスを一度に見られる場所として知られているのです。

 猫は、一匹で、あるいは数匹で、ピラミッド型を現すことがあるでしょ。

 香箱座りといって、体を箱型にする座り方をすることがありますね。

 前足を投げ出して香箱座りすると、まるでスフィンクス。

そうそう。

古代エジプトは太陽神が猫神、ピラミッドもスフィンクスも太陽神の祭祀場といえるでしょうね。

古代エジプトも日本も、太陽神を中心とした三神構造の動物を含む多神教ですね。

 古代エジプトの神殿と、日本の神社は、構造が似ている。

古代エジプトは猫(neko)が太陽神で、日本は太陽神に使えるのが禰子(neko)ですからね。

 じゃ、日本の神社も香箱猫かしら。

神社は、すべてがすべて、山のそばとはいえないのでしょうね。

 そういえば、浜に近い神社も多いね。

 ただ、神社が近くにある山や、弁才天の社がある山は、全国にかなりありますよ。

山も、形はさまざまですね。

猫耳もあれば、人の寝姿もあれば。

 でも、基本は三角に近い場合は多いでしょ。

そうですねえ。

 子どもが山を描けば、たいてい三角かも。

 だったら、山は古代人にとってピラミッドだったのでは。

それをいうなら、山の代わりにピラミッドを建造したのでは。

山の三角は、蛇に見立てられたと民俗学の吉野裕子は指摘してますね。

 猫は、蛇とイメージがとても重なるでしょ。

猫の首筋から口元のシルエットは、ドキッとするくらい蛇っぽいです。

全身も、細長い瞳に丸い頭細長い胴は蛇に似ているのです。

おまけにトグロが巻けるとこや、舌を出しっぱなしにする癖まで似ているのです。

さらに、蛇は日本の神道を含めてそれ以外の宗教でも、神の使いとする場合が多いです。

蛇と猫の接点と言えば、蛇巫のそばにいた神から授かった子どもの代役として魔女と一緒にいた猫でしょうね。

なぜ、猫が神から授かった子どもの代役が務まるかといえば、神の声としての蛇と人の合体が猫だからですね。

 そういえば、猫って幼子に顔も体つきも、よく似てるから声も聞き間違えたりするのね。

日本の神の山である、「かんなび」の山も蛇神だけでなく、猫神の象徴なのかです。

そして、もともと日本に神社はなく、山を御神体として祭りのたびに社を建てていたです。

 これ、至聖所である神殿に必ず前庭をつけた古代エジプトや、幕屋や神殿を至聖所と聖所に区切った古代イスラエルに近い。

神社は本殿と拝殿からなり、古代エジプトの神殿とか、古代イスラエルの幕屋や神殿と、構造が似てますね。

 イエスも猫をメタファーとしていたし、コーランのアッラーは聖書の神と同じで古代エジプトのラーとも同じと見ていい。

 そしてラーは猫神でしょ。

禰子(neko)から選ばれる神官が、太陽神を中心とする八百万の神々に仕える日本。

猫(neko)神である太陽神に、同じく猫(neko)神である地上の太陽神ラーの子孫であるファラオが仕えた古代エジプト。

古代エジプトの神殿が香箱座りの猫神とみれば、古代イスラエルの幕屋や神殿も、日本の神社も、香箱座りの猫神になりそうですね。

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場の量子論を考えてみた。

場の量子論(quantum field theory)は、物理学における理論的枠組の1つです。

場という物理量に、量子力学を適用した理論です。

 物理学でいう場は、物理量が空間的に分布している場所のことね。

かつては、帯電粒子と電磁場のように、粒子間の力を媒介する媒質空間をさしたのです。

現在では、粒子と場とは一元化されて相互に付随しあうものとされます。

 肉体と魂、見たいな感じですか。

 生命体とは受肉した魂である、といったふうな。

魂だけの存在は、死後の世界、いわゆるあの世の存在と解釈すれば、生命体とは受肉した魂である、というのはそうですね。

 魂だけの生命体もある、聖書の聖霊や受肉前のイエスであるヤハウエとか。

塊として扱える粒子と、エネルギーに満たされた存在である場とは、一体として振舞うというイメージなのですね。

 じゃ、肉体とオーラ、見たいな。

視覚的イメージとしては近いかも、でも、科学としてはちょっとオカルト過ぎて例えとしては却下されそうですね。

物体あるいは粒子間に働く重力・電磁力などの相互作用が、重力場・電磁場など、力を媒介する場との相互作用を通して行われるとする立場の理論なのです。

 電磁場に対しては光子が、核力の場に対してはπ中間子が対応し、逆に陽子や中性子も場として表現されるのでしょ。

場の量子論とは、場を量子化し、場の量子と粒子との相互作用を量子論的に扱う場合をいいます。

場の理論には、もうひとつ、場を非量子論的に扱う場合をさす場の古典論があります。

いまでは、場の理論といえば場の量子論のことになりました。

 ところで、集合論と確率論は、場の量子論と関係あるのでしょ。

場の理論と確率論は、大いに関連あります。

量子力学的には素粒子も場として記述されるので、素粒子と場とは統一的に扱われ、素粒子論も場の理論といいます。

場の理論は、素粒子物理学、原子核物理学、物性物理学などの多くの物理学の分野で、多体系を記述するための基礎的な道具として用いられています。

多体系とは、複数、特に三体以上質量の関わりあう系をいいます。

特に素粒子物理学においては、場の量子論とは量子化された場の性質を扱う理論です。

素粒子物理では、量子化された場は素粒子そのものに対応します。

もともと場の量子化は、量子力学の多体系への拡張を目指して発展したのです。

多体系での反応では、粒子数が保存するとは限らなかったのです。

また、多体系での反応では、位置と運動量との間にある不確定性原理により、粒子の生成や消滅が起きるので、それらも含めて扱う必要性がありました。

不確定性原理とは、ある2つの物理量の組み合わせにおいては、測定値にばらつきを持たせずに2つの物理量を測定することはできない、という理論のことです。

位置と運動量は、時間とエネルギーという形でしばしば表されます。

なお、粒子の生成/消滅現象の代表例として対生成、対消滅などが知られており、この対生成により生じる粒子を仮想粒子と呼びます。

この場合、この仮想粒子が物質の間でやり取りされる現象が力の相互作用に対応します。

 そして、量子が確率論的に扱われるから、場の量子論も確率論的になる。

確率は、どれが実現性が高くって、どれが実現性が低いか、ってことでしょうね。

そして、集合論は、大まかに言うなら、集合と集合の重なりを論じる理論ですね。

 確立も集合で表せば、実現性の高さは集合の重なりで表現できるでしょ。

 確立集合の重なりを実現性の高い順で言えば、こうなる。

 実現する確率の高い集合と実現する確率の高い集合。

 実現する確率の高い集合と実現する確率の低い集合。

 実現する確率の低い集合と実現する確率の低い集合。

 このうち粒子として振舞うのは、実現する確率の高い集合とみたらどう。

そして粒子を取り巻く場を、実現する確率の低い集合に対応すると見る。

 まるで、周囲のぼやけた影絵のような感じ。

そして相互作用は、影絵の周囲のぼやけた部分が重なったイメージということですかね。

 重なった部分は、あたかも物があるように濃くなるでしょ。

相互作用を担当する粒子は、動きますよ。

視覚的イメージとしては、直感的にわかりやすいから面白いですけど。

時間とは変化であり、変化とは可能性が現実性を生み続ける過程の連続である、とみたならどうでしょうね。

時間とは、実現する確率の高い集合と実現する確率の高い集合の重なりの連続と、言い換えられないでしょうか。

 連なった確率集合の実現の確率の高さに差があれば、まるで山脈の尾根の連なりね。

量子力学を解釈するモデルの中には、実際、確率の山が尾根のように連なるように見えるものもありますよ。

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即身仏と即身成仏。

仏教では、即身成仏(そくしんじょうぶつ)の考えがあるのです。

仏教で考える即身成仏は、人間がこの肉身のままで究極の悟りを開き、仏になることです。

 天台宗や真言宗や日蓮宗や禅宗などで、主に説かれてますよね。

修行者が瞑想を続けて絶命し、そのままミイラになる即身仏(そくしんぶつ)と混同されがちであるが、即身成仏と即身仏とは全く別物です。

即身仏とは、密教系の日本仏教の一部で、僧侶が土中の穴などに入って瞑想状態のまま絶命し、ミイラ化した物を呼ぶ名称です。

仏教の修行の中でも、最も過酷なものとして知られます。

この背景にあるのは入定(にゅうじょう)という観念で、入定ミイラとも言われます。

入定は、本来は悟りを開くことです。

入定とは、入定した者は、肉体も永遠性を得るとされる真言密教の究極的な修行のひとつです。

僧が、生死の境を超え弥勒出世の時まで衆生救済を目的とするのです。

後に、その肉体が即身仏となって現れるとされたのです。

入定ミイラとなるとは、死を、死ではなく永遠の生命の獲得とする考えなのです。

 即身仏や入定ミイラの考えって、永遠の生を得る復活体を得るための死の思想があるカッバーラと似てますね。

でも、死に方に決定的な差があるのです。

まず、アダムとイブの食べると死ぬことになると諭された善悪を知る知識の樹の実を振り返って見たいです。

どうして死ぬ運命になる知識の樹は、エデンの園にあったかです。

 この世には、生だけでなく死もあると、知るためでしょ。

死と神に退けられる滅びの差は、魂の世界に居られるかどうかなのです。

 生とは、肉体を失えば終わるものではなく、魂だけになっても続くものなのだということかしら。

その通りでしょうね。

受肉前のイエスであったヤハウエも、同じく絶対三神の一員でいらっしゃる聖霊も、魂だけの存在です。

滅びとは、神に退けられて魂としてさえ存在できなくなることです。

いわゆる死とは、肉体を失い魂だけの存在になることなのです。

そして復活体とは、死によって失われることのない肉体を手にした魂なのです。

 その復活体としてさえ存在できなくなるのが、滅びってことかしら。

そうですね。

最後の審判によって、神に退けられたときに滅びはくるわけです。

 最後の審判とは、復活体で修行を続けるにふさわしいかどうかを、神に判断されること。

そうでしょうね。

また、別の世界で誕生から出直せということでしょうね。

カッバーラから見れば、即身仏や入定ミイラとは両刃の剣のようなことかも。

入定ミイラとは、即身仏となって現世に戻ったときに用いる肉体を確保する行為ですね。

 現世に戻ったとき用いる体を保存するとは、古代エジプトのミイラとそっくりね。

つまり、即身仏を目的とした入定ミイラは保管されるべきものではあっても、拝むものではないのです。

また、即身仏となることを願って旅立った魂も、拝むものではないってことでしょうね。

 神でも仏でもないから。

そうですね。

崇拝されるべきは神仏であって、人の魂や肉体ではないかもです。

もし、手を合わせたいのであれば、即身仏の発願成就を神仏に願うためであるべきかも。

 カッバーラと仏教、どこに接点があるかという疑問もでますけど。

カッバーラの奥義は、生命の樹に表されているのです。

生命の樹と共通する構図の特徴は、3×3です。

 地上に対応する王国、つまりマルクトのセフィロトを除いて、9のセフィロトということね。

縦横ともに三つに分けられる構造があれば、生命の樹を意識して作られた可能性があるのです。

 金剛界と胎蔵界の曼荼羅に、3×3の構図は見られるね。

それで、飛鳥昭雄と三神たけるは生命の樹と指摘しているのですね。

 生命の樹があれば、カッバーラに通じる思想があると見て良い。

そうなるのですね。

一方、即身成仏とは人間がこの肉身のままで究極の悟りを開き、仏となること。

仏になって、永遠の生を得るということです。

 しかし、永遠の生は基本的に魂のものなの。

そうですね。

魂と同様な永遠の肉体とは、本質的には復活体ということです。

 じゃあ、生まれたときの肉体のまま天に召されたと見られているモーセやエノクも、いつかは死を体験することが神から求められる。

御子の地位にあるイエスでさえ、十字架の死が求められたのでしょうね。

 じゃあ、人間がこの肉身のままで究極の悟りを開き、仏となることは?

釈迦(釋迦)、 梵名をシャーキャ(शाक्य [zaakya](Śākya))として知られるゴータマ・シッタルダは、肉身のままで究極の悟りを開き、仏となられたことは有名ですね。

 つまり、釈尊となられた釈迦のように、究極の悟りを開き仏の教えの奥義にたどり着くことはできる。

神も仏も、知恵や知識を求めるものには気前よく教えてくださるお方です。

 目的は、問わないのでしょうか。

求めよ、さらば与えられん。

尋ねよ、さらば見出さん。

門を叩け、さらば開かれん。

すべて求むる者は得、尋ねる者は見いだし、門をたたく者は開かれるなり。

マタイによる福音書の7章7節から8節にこうあることは、あまりに有名です。

そしてイエスは、カッバーラを人々に開かれたお方です。

 当然、仏教もカッバーラで解釈されるべきだし、解釈できる。

 生命の樹が、あるから。

一方で、あなたは自分で正しいと思うようにせよ、それが主なる神の御心に沿うかどうかは神が判断するともあるのです。

御自身の御心に沿って使う者かどうかを見定めておられる、怖いお方でもあるのです。

 でも、釈迦は死なれたのでは。

入滅、つまり現世から消滅し、神仏の世界に入られたということでしょうね。

御仏から永遠の修行を認められるのは、魂であって肉体ではないのでしょうね。

復活体としての肉体は、魂と一体と見ていいかも。

 即身成仏とは、釈尊のように、仏陀の教えの本質にたどり着くことでしょうか。

おそらく、そうかも。

 カッバーラで仏教も理解できる、だから、イエスの教えと仏教は比較されてしまうのでしょうか。

その可能性は十分あるかもです。

 仏教学を少しかじりましたが、やはり奥が深いですね。

 仏教もキリスト教も、イスラム教も、実は、根っこは、そう大差ないのでは、と想う事があります。

最古の文明スメルからの伝播が、相当大きいという感じはありますね。

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お茶について思ってみた。

日本語や中国語で茶と呼ばれるチャノキの葉や茎を加工して作られる飲み物は、世界的に広まっているのです。

 英語でtea、イタリア語やスペイン語でTé、フランス語でThé、などの名前で知られているでしょ。

チャノキの原産地は中国南部とされているが、確かなことはわかっていないのです。

世界で茶を意味する語の起源は、「チャ」系統のものと「テー」系統のものがあるとされるのです。

「チャ」は、主に陸路で伝わったです。

大航海時代以降の伝播では、中国語のうち、広東語での呼び名であるチャ(ch'a または ts'a )とかチャーまたはツァーに由来するものと、福建省厦門(アモイ)地方の方言(ミン南語)での呼び名のテー(te または tei )に由来すると考えられるのです。

ポルトガルが広東省のマカオから茶を運んだため、ポルトガル語でも「チャ」の発音が見られるのです。

ただし、ポルトガル語でchá の発音は「シャ」なのですけど。

また、オランダがアモイから茶を運んだため、オランダから茶を輸入した国では「テ」の発音が定着し、テは海路で伝わったと言われます。

茶を意味する単語をもつ言語で、この両者の系統に属さないものは極めて珍しいですね。

日本語の茶の字音は呉音「ダ」、漢音「タ」、唐音「サ」ですね。

「チャ」という音は院政時代の『色葉字類抄』から見られ、漢音と唐音の間の時期に流入したと考えられるのです。

また、朝鮮語漢字音も「タ」と「チャ」があるが、植物・飲料の茶だけを指す場合、「チャ」を用いるのです。

チャノキ以外の植物の葉、茎、果実、花びら、等の部位や真菌類・動物に由来する加工物から作られる飲み物にも、「茶」もしくは「○○茶」と称するものが数多くあるのです。

 広義では、それらは全て「茶」に分類されるのね。

そうですね。

チャの木、あるいは茶樹とも記されるチャノキ(茶の木)は、学名をCamellia sinensisといい、ツバキ科ツバキ属の常緑樹です。

単にチャ(茶)と呼ぶこともあるのです。

漢字の「茶」は、中唐以後に成立した字です。

中唐までは、「荼(ト)」と表記されていたのです。

「荼」は草本植物を表す草冠と、「苦い」ことを意味する「余」からなり、本来は苦い味のする植物であるニガナを指す字です。

ニガナ(苦菜)は学名をIxeris dentataといい、キク科の多年草です。

路傍や田畑や山野にごく普通に生え、環境によりさまざまな形になるようです。

日本全土、東アジアの温帯から亜熱帯にかけてみられるのです。

沖縄県ではホソバワダン(細葉海菜)の葉をニガナ(ンジャナ)の名で食用としているから、混同しそうですね。

ホソバワダン(細葉海菜)の学名はCrepidiastrum lanceolatumで、ニガナと同じキク科の多年草だから勘違いされそうですね。

近縁種のワダン(C. platyphyllum)より葉が細いことから、ホソバワダンの名があるのです。

ホソバワダンは、島根県や山口県の日本海側から沖縄、朝鮮半島南部さらに中国の海岸の岩場から山裾にかけて生育するのです。

 「荼(ト)」は、苦い味の植物一般をさしたのかしら。

そうでしょうね。

おもしろいのは、茶もニガナも、日本人の祖先と関わりが深い地域の植物なのですね。

茶は、原産地の雲南方面から四川・江南へと長江流域に広まるにつれ、デャあるいはテャのような発音に荼字を当てて使うようになったと推定されているのです。

 雲南方面から四川や江南へと長江流域、弥生文化の源流と考えられている地域ね。

陸羽が『茶経』を著して、「荼」を1画減らして区別することが広まったと言われます。

『茶経』には「茶」「檟(カ)」「蔎(セツ)」「茗(メイ)」「荈(セン)」の5種の名の他にも当て字もあって、それらも合わせると10種以上の字が使われていたというのです。

「茗」に関しては、現代中国語でも茶を総称する「茗茶」という言い方が残っているそうですね。

 中唐といえば、中国唐代の皇妃の一人に、玄宗皇帝の寵姫として有名な楊貴妃がいるのね。

姓は楊、名は玉環で、貴妃は皇妃としての順位を表す称号です。

中国の暦で開元7年から至徳元載(元年)6月16日の人というから、西暦で言えば719年から756年7月15日にあたります。

 楊貴妃の出身の蜀は、まさに弥生文化の源流と考えられている雲南方面から四川や江南へと長江流域とある程度重なるでしょ。

漢字の「茶」が中唐以後に成立した字であること、チャノキの原産地は中国南部とされていることと、ほぼ重なるのは注目して良いでしょうね。

ただ、雲南においては茶は多くの場合に草として調理され食べられるものであり、湯に入れてだし汁を飲むように改良したのは、煎じ薬の伝統を持つ漢人であろうと見られているのです。

 そういえば、茶葉を食べてる人、今の日本にもいるのね。

 苦い植物で、草として調理して食べられたといえば、蓬(よもぎ)があるのね。

蓬は、日本全国で自生している学名をArtemisia indica var. maximowicziiという、キク科の多年草ですね。

 別名はモチグサ(餅草)、草餅にして食べるからかしら。

蓬は、春につんだ新芽を茹で、おひたしや汁物の具、天ぷらにして食べることもできます。

 ヨモギといえば、聖書のニガヨモギを連想するのね。

 日本人の遺伝子に残る古代中東の特徴と、日本人のお茶好き、関係あるのかな。

どうでしょうね。

 そういえば、蜀について古代エジプトと関係ありそうだと考察したことありましたね。

 蜀に火偏で燭台の燭になるところから、火を灯す前の燭台であるユダヤの象徴とされるメノラーも連想できた。

日本のお茶好きは、ユダヤのニガヨモギに遡るのではと、言いたいのですか。

日ユ同祖論が、食いつきそうですね。

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