神と悪魔(akuma)の関係を考えてみる。
悪魔(akuma)については、まだまだ疑問が多いですか。
堕天使を含めて、悪魔(akuma)や堕天使に従った霊達である悪霊の総称がサタンと言う解釈が一般的ですからね。
悪魔(akuma)に引き渡すとは、悪魔(akuma)と同じような惨めな状態になるという意味と説明する宗派もあるようです。
辞書でも、悪魔(akuma)=サタンね。
天使名ルシフェルが地に落ちてルシファーとなったが、ルシファーは悪魔(akuma)の代名詞でもあるという話もある。
辞書でも悪魔(akuma)=サタンとあるのは、重々承知です。
辞書と言うのは、それぞれの言葉がどういう意味に使われているか、それぞれがどういう文脈に使われているか、示すのであって、その解釈の正誤や是非は考慮の外です。
以前は間違えとされた意味や用法も、一般化したとみなされれば載るですよね。
それに、代名詞として使われていることは、等号とは似ているけど違うのですよ。
代表的存在と、みなされているに過ぎない。
裁きの神=悪魔(akuma)
単純化すれば、そうです。
実際は、悪魔(akuma)は裁きの執行者なのだと思えるのです。
悪魔(akuma)に渡すと、神は仰ってるからです。
でも、悪魔(akuma)とサタンは、違うのでしたね。
サタンは堕落した天使ルシファーなのに対し、悪魔(akuma)は神の一族よね。
ユダヤ教徒やキリスト教徒が、聖書の解説書としてのコーランを受け入れてないので、気がついていないことが多いようです。
裁きの神=悪魔(akuma)は、イスラムの思想と言うわけではない。
イスラム教の思想というより、コーランに明文化されているのを気がついたので、よく探せば聖書でも言及されているかも。
残念なことには、現代のムスリムも聖書の解説書としてのコーランの位置づけを受け入れてないようですね。
新約しか読まない大半のキリスト教徒、コーランしか読まないイスラム教徒、旧約だけと言いつつタルムード重視のユダヤ教徒、困ったものです。
ムハンマドは旧約聖書が読めなかったらしく、聖書の登場人物の明らかな時代錯誤や誤認に基づく記述がたくさんあったため、ユダヤ教徒はコーランの内容をせせら笑ったという話ね。
聖書とコーランに多くの違いがあるのは、確かなようです。
そのため、ユダヤ教徒はコーランの内容をせせら笑ったのでムスリムは聖書を読まなくなったと言うのです。
でも、ムハンマドは、聖書を読めと言っているのです。
内容の食い違いが、ムハンマドの勘違いなのか、アッラーがわざと仕掛けたのか知らないですけど。
なにか隠された意図がありそう。
可能性は、ありそうですね。
裁きの神=悪魔(akuma)
この構図に、サタン=悪魔(akuma)の誤解が重なると、サタン=悪魔(akuma)=裁きの神の勘違いへと転落します。
善悪は宗教における根本原理です。
善とは何か?
悪とは何か?
その内実は、未だに解き明かされているとはいえないよね。
エデンのサタンは、イブを誘惑し人類に原罪を負わせたのです。
けれども、楽園追放が無ければ人間が肉を得て生命の樹を登ることもできなかった。
ユダはイエスを銀貨30枚で売り磔刑死に導いたが、逆にユダがいなければイエスの復活と原罪からの解放もなかったのです。
そういえば、最後の審判は、イエスによる裁きのことでしたね。
イエス=裁きの神と言う正しい解釈も、サタン=悪魔(akuma)=裁きの神の勘違いと繋がると重大な過ちを犯します。
善悪の原理すらも、神の深遠な計画の中に取り込まれているという不思議があるね。
ここで、本質を取り違える人は、後を絶たないわけです。
イエスと言うと、救世主の印象が強いでしょ。
イエス=裁きの神=救世主の構図にサタン=悪魔(akuma)=裁きの神の勘違いが繋がるとイエス=サタンのサタン崇拝の罠にはまります。
そして、サタンを救世主と取り違えてケリポットにつかまるですよね。
ケリポットとは、終わりの見えない泥沼のように容易に抜けられない状態を連想してもらえば、とりあえずいいでしょうね。
芥川龍之介の「蜘蛛の糸」にでてくるカンダタみたいなこと・・・。
そうですね。
サタンとイエスの混同を除けば基本的に正しい解釈にたどり着いた人々は、ひたすら死の樹を下っていることに気づけないのです。
サタンとイエスの混同をしているので、無意識のうちにサタンの特質をイエスの特質と混同し、サタン教にキリスト教を摩り替えてしまったことが見えなくなっているのかも。
サタンとイエスの混同以外は、大筋で正しく理解している。
だから、当人はもちろん、周囲の者もなかなか気がつけないのかも。
神の一族を悪魔(akuma)と呼ぶのは、変というか不自然に感じる人のほうが多いかも。
調べたらわかることだけど、悪魔(akuma)の眷属とされる存在のほとんどは各地で神や神に準ずる位置づけです。
悪魔(akuma)をすべてサタンと同一視したら、とんでもないことになるのね。
世界の民俗では、悪魔(akuma)は日本で言う鬼に近いです。
悪魔(akuma)=サタンという、カソリックによるキリスト教布教時のいい加減な濡れ衣を悪魔(akuma)から脱がしてあげて、ようやっと真相が見えてきたのです。
悪魔(akuma)=サタンは、プロテスタントも同じね。
悪魔(akuma)=サタンの誤解のままでは、イエスだけでなく神道の真相も見誤ります。
飛鳥昭雄と三神たけるによると、死の樹に二通りあるとある。
生命の樹の、鏡面対象と回転対称だと。
鏡面対象とは、上向の生命の樹を水面に移したように下向きにした形と言うことです。
回転対称だと、上向の生命の樹を180度回転して下向きにした形と言うことです。
鏡面対象の死の樹が神の眷属の悪魔(akuma)の樹、回転対称の死の樹が堕天使サタンの樹、ではないかです。
生命の樹とは、人が神の境地に辿り着くために理解すべき知恵と知識の象徴と思って戴いてかまないのです。
神について人間が理解するのは、不可能じゃないの。
知識に、限界はないのです。
この世のすべてを知り尽くし、神の領域まで到達できる能力を持っているのです。
一人一人に現世で許された時間が、その段階に到達するのに短すぎるだけです。
永遠のときが与えられれば、すべての人は神の知識と知恵の段階に限りなく、近づけるのです。
まさに、神に似せて作られたのであり、神の国はあなた方のうちにある、のです。
だから、悔い改めて福音を信ぜよ、とは自分たちの本当の姿に気づきなさいと言うことね。
そうかも。
唯一神と言いながら、天父という神が別に存在してるし、天父が何代も続いるのが本当なら、神は大勢存在している事になるの。
世界は一つ、当然、真理も一つです。
修行中の神が何人いようと、全員が唯一つの真理で結ばれているわけですね。
後輩は先輩に指導と援助を求め、先輩は後輩に指導と援助を与え、知恵と知識を共有しているかも。
そして一心同体を、最も理想的な形で実現しているのですね。
一心同体の意味で、唯一神といえるかも。
..
ムハンマドの教説は、古代ペルシアの宗教観の影響を受けている可能性もあるね。
マズダー教、ゾロアスター教、マニ教と世界を善悪の2元原理で捉えているが、悪魔(akuma)を堕天使のような光の零落としてではなく、神と並ぶ神的存在として捉えているのです。
ユダヤ・キリスト教においても、神は救い主であると同時に多くの不信心者を審判により一掃する滅びをつかさどる存在として描かれているのです。
黙示録に登場するアバドンも、神学では悪魔(akuma)的存在とされているのです。
アバドンの操る「人間の顔をした蝗の大群」は聖なるものを滅ぼさずただ獣に帰依した存在だけを苦しめるとある。
神が悪魔(akuma)すらも利用するとすれば、イブリースに渡すと言うコーランの表現は分からないではない。
私が指摘したいのも、悪魔(akuma)的存在の、聖なるものを滅ぼさず獣に帰依した存在だけを苦しめる、この側面です。
この場合、獣はサタンの象徴として扱われているのです。
マズダー教、ゾロアスター教、マニ教ですか。
ゾロアスター教や、派生したミトラ教は、キリスト教とも類似が指摘されますね。
マズダー教は、ゾロアスター教の異名とされますね。
マニ教も、キリスト教との関連が言われます。
3500年前に生きたゾロアスターは、土着宗教のマズダ信仰を改革し、ゾロアスター教を創始したとされているのです。
マズダー教は、ゾロアスター改革以前の原始拝火宗教を便宜的にそう呼んだのです。
マニ教はゾロアスター教の派生として生まれた宗教で、ゾロアスター、キリスト、仏陀を全て先代の神の使徒として認めているのです。
マニ教は内容的にグノーシス異端の影響を受けていると弾圧され、今は完全に消滅したとされてますね。
マニ教は、紀元15世紀まで中国で存続したことが確認されているようですね。
グノーシスは、物質と霊の二元論に特徴があり、グノーシス主義とも呼ばれたのです。
グノーシスは、1世紀に生まれ、3世紀から4世紀にかけて地中海世界で勢力を持った古代の宗教や思想の一つです。
普通名詞としてのグノーシスは、古代ギリシア語で認識とか知識を意味する言葉です。
グノーシス主義は、自己の本質と真の神についての認識に到達することを求める思想傾向があります。
またグノーシス主義は、地中海世界を中心とするもの以外にイランやメソポタミアに本拠を置くものがあり、ヘレニズムによる東西文化の習合のなかから生まれてきたものともいえるのです。
比喩的な表現で、「悪魔(akuma)」という言葉を使っているのね?
神には、見ようによっては、そう取れる側面があるということと、思っていただいてかまないのです。
聖書には、アブラハムが老いてからようやく授かった子どもであるイサクを燃やし尽くす捧げものにせよと命じられる場面があるのです。
願いをかなえたい一心で一番大事なものを燃やし尽くす捧げものにすると誓った男は、子どもを燃やし尽くす捧げものにせよと命じられる羽目になる話もあります。
また、怒ると恐ろしいが機嫌よくしてもらえば助けてもらえるあたりも、聖書の神とどこか似てるですよね。
神の姿である生命の樹は裁かれる側から見たら、鏡面反転して悪魔(akuma)のように見えるという意味?
裁かれる側にとっては裁きの神として、恐ろしく見えるところは、まさに悪魔(akuma)的かも。
聖書における興味深い記述として、イザヤ書の中などでペルシア王キュロスが神の僕として神に油をそそがれユダを解放するというものがあります。
ここで言う油は、具体的にはオリーブかもしれないけど、象徴としては聖霊と見られているのね。
このキュロスという人物は、ユダヤ人をバビロン捕囚から解放したユダヤの恩人として当時のユダヤから喝さいを浴びた人物です。
ソクラテスの弟子であったクセノフォンの「キュロスの教育」等の著書によれば、勇気と人徳を備えた完璧な統治者としてギリシア人からすら賞賛された存在ね。
キュロスは一般的にゾロアスター教徒と解されており、イザヤの言うキュロスを導いた主は、まさしく彼の崇拝していたアフラ・マズダと同じ神ということになるですよね。
話がそれたが、このように聖書以外のいろいろな古代の宗教や書物からも真理の欠片というものは採集できる気がします。
主こそが、最古にして唯一の神であり、諸民族の神はそのことが忘れられた結果派生したのかもしれないですね。
主は数多くの別名を、お持ちですから。
裁きによって、太陽・月・星それぞれの栄光にわけられるのでしょ。
太陽・月・星それぞれの栄光で、太陽や月の栄光は飛び級のようなものとも、思えるのです。
太陽や月の栄光の人たちは、下の栄光と往復できると言うのですから。
色々と考えたら、無限に疑問が生じてしまうの。
新しく世界を創造する度に、永遠に苦しみ続ける大量の霊が必要になるのが悲惨よね。
何か、もう少しいい方法はなかったのかと思ってしまう。
あと、いわゆる外の暗闇に行った悪霊たちは、本当にそのまま永遠に変わらないのか? という疑問がある。
さんざん苦しんだ後、「星の栄光」程度に落ち着くとかするのかな?
永遠の地獄なんて、気の毒すぎるのではと。
彼らの投げ込まれるイブリースの炎は、おそらく魂の消毒のためかも。
俗に言う「顔を洗って出直して来い」ってことだと思えるのです。
神は完全に公平なので、気の毒とか可哀相という言葉は当て嵌まらないのではと思う。
完全に公平な世界なら日の栄の住人に対し下位の者が妬みとか羨みは無いと思う。
劣等感や優越感は不公平から発生するものと思えるし。
いずれにせよ周りに上位や下位の者はいないのですから比較する対象がなければ優越感も劣等感も発生しないはず。
永遠の暗闇で悪霊達は、苦しむ事に喜び居心地良く感じているのかもしれません。
新しく世界を創造する度に、永遠に苦しみ続ける大量の霊が必要になるのが悲惨よね。
そもそも、完全な神から不完全な霊の子が生まれるのが不思議。
意識の持ちようの問題かも。
まじめに聞いて、ちゃんと考える気があるかどうか。
だから、悔い改めて福音を信ぜよ、となるのかも。
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コメント
ルシフェルが天使!? 聖書正典の中にルシフェルという名の天使は一度も登場しないよ(笑) 旧約聖書 「イザヤ書」に比喩として登場するだけ。 ネブカドネザル二世のね。 そして、サタンは"魔王"としての称号である。
投稿: sea | 2010年12月 3日 (金) 22時17分
キリスト教の伝統的解釈によれば、ルシフェルは元々全天使の長であったが、土から作られたアダムとイブに仕えろという命令に不満を感じて反発したのがきっかけで神と対立し、天を追放されて神の敵対者となったとされます。
なお、ルシフェルは、地位としては天使の九階級のうち最上である熾天使だったとされているようですね。
ここでは、民俗や伝承を考察しているだけです。
解釈によって異論が出るのは、もとより承知です。
投稿: cova | 2010年12月 3日 (金) 23時04分
>解釈によって異論が
解釈もなにも、登場しないのが事実なんだからしょうがない(笑) ちゃんと天使や、堕天使に纏わる本を読んだほうがいいよ。
投稿: sea | 2010年12月 5日 (日) 12時51分
でしたら、「ルシフェル 天使」「ルシフェル 熾天使」「ルシフェル 堕天使」「ルシファー 天使」「ルシファー 熾天使」「ルシファー 堕天使」などで検索して出てくるすべてのサイトに片っ端から教えてあげてくださいませ。
「Lucifer Angel」「Lucifer the Fallen Angel」とか、「Lucifer the highest angel」などで外国語サイトもたくさん出ますよ。
そちらにも、御教授よろしくお願いしますね。
ついでに、 Wikipediaにも、訂正をしてあげてくださいね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/ルシファー
わたしは、こういうルシフィル堕天使説を展開する人たちがいるから、民俗として考察しているだけですよ。
投稿: cova | 2010年12月 5日 (日) 18時18分
おやおや、いきなり癇癪を起こされるとは気の短い人ですねぇ。 ちゃんとカルシウムを取ったほうがいいですよ。 それでは(微笑) あっ! 最後にもう一つだけ(笑) 都合の悪い事実を突き付けられたからと言って、他の人もやってるだろ!と逆上するのは如何なものでしょうねぇ。
投稿: sea | 2010年12月 6日 (月) 11時02分
聖書に残っていないのに、なぜに、昔から今までこの種の説が残っているのでしょ。
どうして、これだけ多くの人たちが、論じているのでしょ。
それが、気になっているだけです。
たとえ、民間伝承に過ぎなくとも、そして、民間伝承であるならなおさら、民俗研究の対象と言えます。
投稿: cova | 2010年12月 6日 (月) 14時30分
seaさん
言葉遣い、賞賛して反対の事を言う。マズイでしょう。止めてください。
私は、通、Q、傍、○○の四つのハンドル以外は使いません。これは宣言しておきます。
投稿: Q | 2010年12月 8日 (水) 19時26分