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葬儀の祭壇を考えてみる。

葬儀で、茶碗に山盛りのご飯を見た人は多いでしょうね。

あれは、枕飯というのです。

枕飯は、故人が使用していたご飯茶碗すり切り一杯分の米をはかり、本来は別釜で炊くそうです。

 そうなんですか!

 知らなかったので、義父の時は適当な量のお米を、いつも使っている炊飯器で炊いちゃいましたよ。

本来は別釜で炊くって知らない人のほうが、多いでしょうね。

炊いたご飯は残さず山盛りに盛りつけ、箸を突き立てるのです。

 宗派によっては、うちは違うという人もいるのよ。

 ごく普通の盛りで良いと。

おそらく大半は、鎌倉仏教の流れかもしれませんね。

従来の宗派の説明に合理性がないとみれば、容赦なくきったでしょうから。

 あの世に行くまでの、食事でしょ。

だったら、お結びの方が理にかなっているのでは?

 そうねえ。

理由を説明できないから、山盛りの枕飯をしない宗派が出るわけでしょうね。

一方、枕団子はそのまま行う宗派は多いようです。

枕団子の数は六個が多く、これは六道、つまり地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六世界を巡る象徴という説明があるからです。

六道(ろくどう)は「りくどう」とも呼ばれます。

 枕団子は、米で作る上新粉をぬるま湯でかためによく練り直径3センチ位の丸い団子にしたものでしょ。

 5分くらい蒸して、出来上がり。

6つ作りお皿に5つならべ、そのうえに1つおくのですね。

枕団子を向かって左、枕飯を向かって右に並べるのです。

これを見ると気がつくのは、左右に山ができることです。

 つまり、枕飯は山盛りであることに、意味があるのね。

仏教の山といえば、須弥山(しゅみせん)ですよね。

須弥山は本来の名称は須彌山だとされ、サンスクリットでSumeru、つまりスメール山に漢字をあてたものです。

須弥山とは、古代インドでバラモン教、仏教、ジャイナ教等の世界観の中で中心にそびえる山です。

 向かって左の枕団子は、六道、つまり地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六世界でしたね。

仏教において迷いあるものが、六道を輪廻するとされます。

六道を解脱して須弥山に至る仏道に入る時戴くのが、戒律を保つ誓いの名前である戒名かもしれませんね。

そして修行により、須弥山に至る。

 須弥山が枕飯なら、立てた箸は。

菩提樹かも。

菩提樹(Ficus religiosa)は、仏教の開祖 ゴータマ・ブッダが、その木の根元に座って光明を得たとされます。

 世界樹や宇宙樹あるいは生命の樹としての、菩提樹かしら。

おそらく、そうでしょう。

故人を寝かせた後、「枕飾り」を準備するのです。

故人の枕元か側に、小机を置きます。

その上に「燭台」「香炉」「花立て」の三具足(みつぐそく)の他「鈴(りん)」と「線香立て」を用意するのです。

 「燭台」は、蝋燭立てでしょ。

ええ。

それぞれ花立てにはお花を供え、線香、蝋燭を立てて火をつけるのです。

「燭台」「香炉」「花立て」の三具足は、三尊を表すのかもしれないですね。

 絶対三神と、違うの。  

似てますねえ。

「鈴」と「線香立て」は、それぞれ、神仏の声と、神仏への捧げ物でしょうね。

 「燭台」は、聖書のメノラーを連想するのね。

メノラーも燭台だけど、七枝ですよ。

 でも、6は人に対応する数、1は唯一神に対応する数、そうみれば一本でもいいはず。

 「鈴」は、神の声で良いかも。

 「線香立て」は、燃やし尽くす捧げ物を象徴に代えただけでは。

それは、面白いですね。

枕団子を向かって左、枕飯を向かって右に並べるのです。

これは、胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅をあわせた両界曼荼羅あるいは両部曼荼羅に、対応するかもしれないですね。

曼荼羅には、生命の樹と共通した三×三の構図があります。

箸を立てた枕飯を、菩提樹や宇宙樹や世界樹に見立てられるなら、これらの樹は生命の樹と同じとされるから、矛盾しないです。

 死者の頭にも、三角巾をつけるしきたりがありますね。

これも、生命の樹の至高の三角とみれば、魂が無事に菩提樹にたどり着いて欲しいという呪術かも。

 葬儀も、カッバーラがたくさんありそう。

 祭壇の基本的配置も、生命の樹だったりして。

 葬儀の逆さ事も、死の樹に落ちないで生命の樹を登って欲しいとの願いがこもっているとか。

そういえば、釈尊を生んだサカ族には、日本人同様古代中東の遺伝子があるという人もいるのですね。

古代中東思想で、仏教も解釈できるかも。

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コメント

命の書に書いてある人だけが…どうなるんですか?

投稿: 聖書の友 | 2010年11月19日 (金) 15時55分

黙示録には、こうあるのでしょ。
「命の書に名のしるされていない者はみな、この火の池に投げ込まれた。」
「勝利を得る者は、このように白い衣を着せられる。そして、わたしは、彼の名を命の書から 消すようなことは決してしない。わたしは彼の名をわたしの父の御前と御使いたちの前で言い 表わす。」

でも、それを気にするよりも、命の書に書いていただける生き様を出来るよう、見守りと導きを求めて祈ることを忘れないほうが、より大切ではないでしょうか。

投稿: cova | 2010年11月19日 (金) 20時30分

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