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2010年12月

相撲は格闘技の原型?

相撲は、張り手や突っ張りのような突き技、四つ相撲のような組み技、裾払いのような足技が、渾然一体となった、ある意味総合格闘技といえます。

 そういえば、これらがすべてそろった格闘技はほかに聞かないかも知れない。

ボクシングは、拳闘といわれるように相撲でいえば突き技しかないでしょ。

ボクシングは、紀元前4000年ごろの古代エジプトの象形文字からも軍隊で使われていたのが判読されており、クレタ島の紀元前3000年ごろのエーゲ文明の遺跡からもボクシングの図が書かれた壷が発見されているそうです。

それで、紀元前3000年ごろから競技に発展していったと思われているようです。

 足技が加わるタイ式ボクシングのムエタイでも、組み技はないですね。

相撲司家の吉田家の故実では、禁じ手制定以前の相撲の戦い方について「相撲の古法は、突く・殴る・蹴るの三手である」と伝えられているそうです。

相撲は、打撃系が本来の形みたいですね。

ここに、相撲の字が当てられた直接の理由がありそうですね。

 そうすると、元の形はタイ式ボクシングのムエタイに近いのでしょうかね。

意外と空手に近かった可能性は、ありますよ。

相撲の原型から、空手とムエタイに大陸で分化したのかも、知れないですね。

レスリングは、相撲でいえば組み技しかないですよね。

 腰から下を攻防に用いることが出来ないグレコローマンスタイルのグレコローマンとは、「ギリシアとローマの」と言う意味でしょ。

グレコローマンスタイルのルールは、古代ギリシア、古代ローマでのパンクラチオンルールに由来し、スープレックスなどの投げ技中心の試合展開となることが比較的多いですよ。

一方、18世紀頃イギリスで隆盛していたキャッチ・アズ・キャッチ・キャンのルールに由来するフリースタイルは、全身を攻防に用いることが出来るのでタックルとも呼ばれるレッグダイブを中心とした試合展開になることが比較的多いですね。

 体にぴったりの衣服で行うのがレスリングなら、多少ゆったりした着物のような衣服で行うのが柔術ですね。

柔術は、江戸時代になってからの呼び名ですよ。

戦場における組討の技術や、武士の小太刀、小刀あるいは小脇差、脇差などでの護身術や、相撲や、捕手術とか捕縛術などの治安維持のための逮捕術などが、柔術の源流ですよ。

組討とは、弓・鉄砲、槍、刀剣の間合いに続く格闘における技術で、敵将の首を取ることも行われました。

脇差などでの護身術には、小具足(こぐそく)などがあります。

柔術の異称ともなった小具足は、小脇差のような短い脇差を用いた日本古来の格闘技術です。

相撲は、武士にとって組討のための鍛錬方法として行われていたといいます。

 だから柔術をもとに生まれた柔道に、相撲と共通の技があるのですね。

柔術の確認できる最古の源流は、天文元年に竹内久盛が開眼し、子竹内久勝が広めた竹内流だそうです。

天文元年は西暦でいえば1532年で、戦国時代として知られる室町時代後期にあたり、足利義晴が室町幕府第13代将軍となっていました。

韓国は、柔道や拳法の起源は韓国にあるといっているけれど、これらの起源は中東に遡れるのではないかというのが、今回の議論の目的です。

 つまり韓国起源というなら、韓国人中東渡来説が成り立たないといけないだろうというわけですね。

日本には、スメル渡来説やユダヤとの同祖論が出てますからね。

 韓国スメル渡来説は、聞いたことないですね。

 韓ユ同祖論も、スコットランド人ノーマン・マクラウドが触れたくらいで、他はほとんどいないのでは。

彼の主張は、十部族の内の主要な部族は朝鮮半島を経由して日本へ行ったが、ダン族など残りの部族はそのまま半島に留まったというものです。

イスラエルのアミシャブという失われた十支族を探す組織も日本には注目しているけれど、彼らが南北朝鮮を注目しているという話は聞きません。

 拳法は、中国でも多彩な展開を遂げていますよね。

中国拳法とも日本ではよく呼ばれるが、中国武術では徒手技術である拳法は火器を除く武器術と組み合わされている場合がほとんどですね。

武器は中国においては器械、または兵器と呼ばれ、刀や剣に代表される短器械、槍や棍に代表される長器械などがあります。

中国の武術の門派の数は400とも600とも言われるが、徒手拳術と器械を備えている門派が多いですね。

北派と南派、伝統拳と制定拳、などど分類されるようですね。

北派は外家拳と内家拳、南派は広東南派系と福建南派系、などに分かれていくようだけれど、細かいところまで今回は踏み込みません。

 韓国は柔道や拳法を自国が起源というなら、多彩な展開を遂げていないと不自然ですねえ。

中国拳法は、その多彩な展開から言って、南派に起源を見る方が自然ではないでしょうか。

そして、ギリシャ、ローマのあるイタリア、イギリス、これらは日本とのさまざまな類似が指摘できる国々なのです。

 そういえば、これらの国は、日本との顔や文化を何度も比べてきましたね。

さらに、中国の広州のある広東や福建は、日本古代史との絡みで注目が集まりつつあります。

 中国南部、江南といえば、日本の稲作文化はこの地域抜きに起源を語れないというのが近年の流れになってますね。

もっといえば、長江流域ですよ。

長江文明と日本は、深いつながりがあると指摘されるのです。

 長江文明は、中東に繋がるかもしれないと議論したこともありましたね。

そして、日本とチベットは古代中東の遺伝子が多く残るとか、日本と古代イスラエルに最も顕著にみられる遺伝子があるとか、指摘されます。

もっと言えば、相撲にもメソポタミア起源説があるのです。

相撲にそっくりな出土品が、見つかっています。

相撲は、ギリシャやローマのレスリングやヨーロッパやタイのボクシングのように細分化する以前の、格闘技の寝技以外すべての要素を含む総合格闘技です。

極東の島国日本は、発祥の地である中東で失われた格闘技の原型を、古代中東の遺伝子とともに今日まで伝えてきた国と言えるでしょう。

もし、韓国が柔道や拳法を自国が起源というなら、韓国人中東起源も唱えてしかるべきでしょうね。

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四十八と時輪曼荼羅?

数字にまつわる言葉は、いろいろあります。

 それぞれに、いわれがついているけど、どうしてこの数なのかわけわからない数字もあるでしょ。

 例えば、四十八とか。

古来の日本では、「縁起の良いたくさんの数」として四十八を使用したとみられていますね。

四十八といえば、四十八滝とか、四十八池というのもあります。

 四十八茶百鼠(しじゅうはっちゃひゃくねずみ)というのもあるでしょ。

 江戸時代に幕府は、奢侈禁止令(しゃしきんしれい)を幾度となく発令しました。

 つまり贅沢禁止令よね。

 それは、庶民の着物の色・柄・生地にまでも細かい規定を設けたものでした。

 したたかな庶民は制約を逆手にとって、地味な色である茶色や鼠色のバラエティを競い合ったわけね。

相撲における決め技のことを、四十八手(しじゅうはって)と言うのは、室町時代からその名が見られます。

決め技の数は、実際には四十八手ではなく八十二手あります。

投げ技・捻り技・掛け技・反り技それぞれを12手で数えて、合計で四十八手というわけです。

今では新しい技や返し手が作られて決まり手が増え、八十二手となっています。

初期のこの呼称は、正しく技の数を数えてのものではなく、ただ単に「相撲の技の数は多い」「縁起よく48」などという意味だったと考えられているのです。

 でも、相撲は神事として位置づけられてきたでしょ。

四十八という数は、陰陽から考えるほうが良いと思えるですね。

 そういえば、土俵の四房は陰陽ね。

投げ技・捻り技・掛け技・反り技という四つの技に分け、さらに12ずつ配するあたりも陰陽そのものでしょ。

 12ずつ配するといえば、伊呂波(いろは)四十八文字も、そうね。

 七五調で、合わせて十二文字を四行に分けている。

 起承転結だと思っていたけれど、この歌も陰陽だったのね。

 七と五の陽と十二の陰、表された歌の陽と四十八の陰。

つまり、四十八滝とか、四十八池、四十八茶百鼠などの四十八は、伊呂波や相撲の四十八がまずあって、そこそこ多い数という意味だけが残って転用されたというわけでしょうね。

 でも、陰陽では四つの面の真ん中は、残り四つより一段上に位置付けられているよね。

四つの面は木・火・金・水に、真ん中は土に配されます。

陰陽は、その意味では確かにピラミッドに似てるのでしょ。

実は、曼荼羅も立体であらわすとピラミッド型になるのですよ。

四天王と真ん中に位置する大日如来も、立体化した曼荼羅とされます。

 そういえば、葬儀の話のとき向かって左の枕団子と向かって右枕飯を、胎蔵界曼荼羅と金剛界曼荼羅をあわせた両界曼荼羅あるいは両部曼荼羅に対応する可能性を話題にしたでしょ。

それは曼荼羅を立体で表したら、山型になるからですよ。

ちなみに、四天王と大日如来を四方から見ると山の字が現れます。

 土俵は屋根と合わせて、ピラミッドを表すのでしたね。

 勝負俵と合わせると、ピラミッドアイを構成するとも。

土俵は、立体化した曼荼羅と見ることも可能でしょうね。

相撲が土俵を作る理由は、五行の真ん中が土だからですね。

 そして、土俵の方が地を表し勝負俵の円で天が表される。

さらに、力士、つまり人は三角で表されます。

 土俵の四面に、相撲の本来の決め手の数である八十二手を十二手ずつ配当すると…。

 時輪曼荼羅(じりんまんだら)と訳されるカーラチャクラ・マンダラに、そっくりじゃないの。

時輪曼荼羅は、文字通り「時間の輪」を意味し、私たちの時空を象徴している曼荼羅です。

密教の中でも最も重要なマンダラとも言われており、覚醒した体、覚醒した言葉、覚醒した叡智、覚醒した喜びが描かれていると言われています。

時輪曼荼羅の基となる時輪経典は11世紀に成立した経典で、チベット密教の最奥義です。

 じゃあ、東西に分かれて対峙する力士は、日の出と日没に対応するから天を表す丸く並べた勝負俵の中に立つ。

 土俵、特に勝負俵の中が女人禁制なのは、女性は陰に配され月に対応するから太陽の場である土俵に上がってはいけない。

そういうことでしょうね。

別に女性を差別しているからじゃないのです。

現に、興業として催される以外にも民俗や神事としても女相撲もあります。

おそらく民俗や神事としての女相撲は、月も水も女も陰に配されるので暦が滞りなく巡って恵みの雨が降って欲しいという農耕儀礼が元かも。

 ところでチベットと言えば、日本とともに古代中東の遺伝子が残る土地よね。

 相撲にもチベット仏教の奥義である時輪曼荼羅が見えるというのは、偶然ではないということかしら。

おそらく、そうかも。

 そういえば、時の移ろいを詠った伊呂波歌って、四十八文字をわざと十二ずつ分けてあります。

 これも、時輪曼荼羅を意識して作られた歌だったのでしょうか。

仏教的な視点から意味をとると、とても哲学的にも深い内容になるとは、よくいわれます。

作者は不明だけど、涅槃経 無常偈を下敷きにしているという説もあるくらいですからね。

それと、土俵を時輪曼荼羅とみたけど、土俵の上がり段と呼ばれる部分は東に3ヶ所、西に3ヶ所、向正面にも3ヶ所、正面だけは1ヶ所で、合計10ヶ所あります。

これを暦などの十干十二支の十干とみれば、確かに時を表しているといえますね。

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電磁相互作用、弱い相互作用、強い相互作用、重力相互作用の統一とフラクタル?重力と電磁力?その4

重力は、天体などの物体が引き寄せる力ではないのです。

 質量があると、空間を歪めて重力を引き出すと言ってるのが一般相対性理論だったでしょ。

歪められた空間は、元に戻ろうとするのです。

元に戻ろうとした空間は、自分を歪めた物質の表面を押すのです。

 空間が物体を押す力が、引力として現象する。

ということは、引力とは物質が空間から引き出した反作用力と言っているのと、同じではないですか。

 つまり、物体の斥力が作用力となって、反作用力である引力が空間から生まれる。

 空間は、引力と斥力に満ちた空間であり、実際の重力は引力と斥力からなる。

重力と電磁力は、似た式で表せると言う指摘もあるのでしたね。

 重力では、斥力が進む方向の反対に引力として働く。

 電力では、電子が進む方向の反対に電流が流れる。

 そういうことかしら。

似てないですか。

 電流の方向は、電子の発見以前に決められた。

 重力の方向は、斥力の発見以前に決められた。

 そういう展開に、なっていくのかしら。

重力についてみたらどうでしょうね。

 引力をプラスとすれば、斥力はマイナス。

 斥力をプラスとすれば、引力はマイナス。

 どっちを実数にとり、虚数にとっても複素数だったでしょ。

 信号処理、制御理論、電磁気学、量子力学、地図学等の分野を記述するには虚数が必要なのでしょ。

 アインシュタインも、統一場理論に複素数場の考えを入れようとした。

 重力も、記述に虚数が必要になるってことかしらね。

重力を引力と斥力からなると見れば、電力と磁力からなる電磁力と似た式になっても不思議ではないのです。

重力と電磁力の統一で、重力が複素数になってしまうのも、当然となってしまうのです。

虚数はたいてい、複素数であらわされます。

さらに、重力と電磁力などを統一する理論を作ろうとすると、重力を複素数で表すことになるのだったのです。

そうしないと、重力が統一場に収まらないと言う訳ですね。

 虚数の定義の一つが、「2乗した値がゼロを超えない実数になる」だったでしょ。

 絶対に「ゼロを超えない実数」とは、マイナスでしか表現できない数。

 反対向きの変化が、マイナスでしたよね。

 電磁力は、単純化すると電子が震えて出るもの、かしら。

電磁力は、電子がエネルギーを取り込んだり吐き出したりすることで発生するのですが…。

単純化すれば、そうですね。

 重力も、零点振動のような振動から発生するのではと考えたこともありましたね。

“零点振動(Zero-point motion)”とは、これ以上下がらない温度である絶対零度でさえ止まらない、“ゼロ点振動”とも言うのだったのです。

あらゆる物理現象、生物現象、経済現象に現れる“f分の1ゆらぎ”も、この零点振動と関わりがあるかもしれないです。

この零点振動が、重力発生と深く関わる可能性はあるかも。

 そういえば、電子などは“仮想光子(virtual photons)”に包まれているって言われますね。

 仮想光子は、この零点振動で発生する電磁場と、繋がってるのかしらね。

 まるで呼吸するように、エネルギーを出し入れしている電子は、光を呼吸してるようなものかしら。

仮想光子とは、零点運動や原子核をまわる時など出ていると見られている「見えない」光ですね。

零点振動と仮想光子とを結びつけるのも、面白い見方ですね。

 そういえば、光子の場合には零点振動は零点輻射というとか。

輻射とは、電磁波の放射に対して使われる用語ですね。

 零点振動で、電磁波が出てる。

 それが、仮想光子となって粒子にまとわり付いているってことねえ。

でも、これだけ似ているのに電磁力と重力の統一ができないのは不思議ですね。

ちなみに、物理学で素粒子の間に相互にはたらく基本的な相互作用は、素粒子の相互作用、あるいは単に、相互作用と呼ばれる自然界の四つの力に分けられます。

その四つとは、電磁相互作用、弱い相互作用、強い相互作用、重力作用、です。

電磁相互作用は、電場あるいは磁場から電荷が力を受ける相互作用。

弱い相互作用は、電磁相互作用と比較して、力が非常に弱いことからこの名がついた。

強い相互作用は、電磁相互作用に比べて10の2乗倍、つまり100倍の強さがある。

重力相互作用は、4つの力の中で最も弱い。

なお、電磁相互作用と重力相互作用の影響範囲は無限大なのに対し、弱い相互作用は10のマイナス18乗m、強い相互作用でも10のマイナス15乗mしか届かない。

つまり、素粒子段階しか働かない弱い相互作用と強い相互作用、天体段階でも働く電磁相互作用と重力相互作用、という分類になる。

この四つの相互作用を統一する試みは、多くの研究者が挑戦してきたです。

ところが、重力だけがどうしても、含めないのです。

アインシュタインが幾何学で試みて、挫折したです。

重力を取り込んだ統一理論には、次元に注目したものもあるけれど絞り込む決め手に欠けたり、背景となる空間への依存性の強さへの疑問があったりするのです。

すべての力の統一を、宇宙の成立段階に対応させる議論もあるです。

ただ、次元や段階に注目すると統一の展望が見えるというのは、興味深いです。

つまり、四つの力の階層性に目をつけて相似形を対応させる方向に向かっているのではないでしょうか。

フラクタルな理論で、電磁相互作用、弱い相互作用、強い相互作用、重力作用を関連つけていくのが現実的ではないかという気がするのですね。

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狸囃子は猫踊り?狸囃子 その2

関東には、出雲国の杵築大社から勧請されたことで知られる氷川神社は、たくさんあるのです。

例えば、「猫じゃ猫じゃ」の起源譚の一つが伝わる大悲山広徳院長谷寺の近くにある戸田神社は、他田日奉部と関係する久都伎直日奉真人(くづきのあたいひまつりのまひと)が、出雲国の杵築大社を勧請したものだそうです。

 出雲国の杵築大社、今の出雲大社でしょ。

 主たる祭神は、大国主命でしょうかね。

そうかも。

 関東の杵築大社から勧請された神社は、探せば、まだまだあるかしら。

気になりますね。

関東と出雲、伊豆と出雲は訛りも似ていれば、地名も似ているでしょ。

そして、八幡のつく地名や神社が、どちらにもあるのです。

気になるのは秦氏です。

 八幡神社は、秦氏ゆかりの神社だったでしょ。

狸囃子伝承が残る證誠寺の木更津市にも、地名の八幡や、八剱八幡神社があるのです。

證誠寺の狸囃子は、目出度し目出度しの結末となった長谷寺の猫の馬鹿踊り伝承と異なり、実はちょっと悲しい結末となっていますよ。

證誠寺の狸囃子伝説は、いつ頃成立したのかは不明です。

 『群馬県館林市の分福茶釜』や愛媛県松山市『八百八狸物語』と並び、日本三大狸伝説の1つとされているでしょ。

「秋の夜に和尚と何十匹もの狸が寺の庭で囃子合戦をした挙句、夜が明けたら腹鼓で調子を取っていた大狸が腹を破いて死んでいた」という面白くも悲しい物語です。

證誠寺の境内には、この物語の結末で腹を破って死んでしまった大狸の供養のために作られたという狸塚があるのですよ。

 1924年つまり大正13年に発表された童謡『証城寺の狸囃子』は、この伝説を元に詩人の野口雨情が作詞、中山晋平が作曲したのだったのよね。

その昔、證誠寺の辺りは「鈴森」と呼ばれていたのです。

そこは竹やぶが鬱蒼と生い茂り、昼でも薄暗く薄気味悪い場所であったといいます。

また、この辺りには夜になると一つ目小僧やろくろ首などの物怪が現れると噂されていたのです。

そんな證誠寺に、ある日新しく1人の和尚がやって来たのです。

その晩から寺の周囲には噂通りに一つ目小僧やらろくろ首やら物怪が現れるのだが、和尚はそれを見ても全く驚かなかったのです。

実はこの物怪達の正体は、この森を住処とする狸たちであったのです。

彼らは、一つ目小僧やろくろ首に化けては訪れる人間たちを驚かして楽しんでいたのです。

ところが新しくやってきた和尚は全く驚きもせず平然としているので、狸たちのしゃくに障ったのです。

そこで、親分格の大狸は「ぜひとも和尚さんを驚かせてやろう」とある事を思いついたのでした。

ある秋の晩の事、何者かが寺の庭で大騒ぎしているでしょ。

寝ていた和尚は目を覚まし外の様子に耳を凝らしてみると、それはお囃子のようだったのです。

不思議に思いこっそり庭を覗くと庭の真ん中では大狸が腹を叩いてポンポコと調子を取り、それを囲むように何十匹もの狸が楽しそうに唄い踊っていたのです。

その様子を見ていた和尚もつい楽しくなってしまい、自慢の三味線を持って思わず庭に出てしまったのです。

そんな和尚を見て狸たちは「まだ驚かないのか!?」とばかりに、さらに大きく腹鼓を鳴らすのだったのです。

和尚も負けじ三味線で対抗し、まるで和尚と狸の音楽合戦となってしまったのです。

それから毎晩、和尚と狸たちは唄い踊っていたのだが4日目の晩、狸たちが一向に現れないので和尚が不思議に思っていると翌朝、庭には調子を取っていた大狸が腹を破って死んでいたのです。

不憫に思った和尚は、その大狸を懇ろに弔ってやったのです。

おそらく、この狸はもちろん、大悲山広徳院長谷寺に伝わる「猫じゃ猫じゃ」の起源譚の猫も、禰子が正体であったと私は見たいです。

かつて、狸は獣偏に里と書くことに示されるように、里に出没する小動物の総称だったのです。

猫が狸と呼ばれていた場合は、よくあったようです。

「証(あかし)」の元の字である「證」は、「灯(あかし)」と同語源です。

「灯(あかし)」も元の字は「燈」であったことに示されるように、証とは、「言葉によってある事柄が確かであるよりどころを照らし出して明らかにすること」なのです。

つまり、「証」の一文字で「証明」の意味を持っているのです。

 「証」の一文字に「証拠」の意味があるのも、「証(あかし)」の拠り所が「灯(あかし)」だったからかしら。

おそらくこの「灯(あかし)」とは、燈明だったかも。

「證」が「証」に置き換えられるのは、「登る」ことは「正しい」からで、音が似ているだけではないでしょうね。

もちろん、神南備とされる山に登って神託を戴く意味もあるかもしれないです。

しかし、これが神の言葉に導かれて生命の樹を登ることだとしたらどうでしょ。

證誠寺の辺りは鈴森と呼ばれていた、これは神祀りの鈴の音が聞こえる森だったのかも。

ここで踊っていた狸の正体は、猫=禰子であり、巫女だったのかも。

飛鳥昭雄と三神たけるは、日本の妖怪とはカッバーラの象徴が化けたものだといいます。

證誠寺はカッバーラ寺であり、證誠寺周辺は日本におけるカッバーラ研究の一大中心地の一つであったとしたらどうでしょう。

 じゃあ、證は燈であり、燈はメノラーだった…。

それも、ありえそうですね。

あるとき、證誠寺にカッバーラに精通した僧がきて問答を地元の禰子達と交わし、ついに言い負かしたので禰子の指導者は命を落とした。

そこで勝った僧は、禰子の指導者を懇ろに弔った。

そう解釈したら、どうでしょ。

 三味線は三絃で、この三は三神を表し、皮の猫は実はイエスの隠喩だったのかしら。

 ちょっと、言い過ぎ?

意味は通りますね。

ありえるでしょうね。

この僧の出自も、禰子だったかも。

 そういえば、「證誠(しょうじょう)」は、「猩々(しょうじょう)」に音が通じる。

 猩々は、正体を猿とされるはずなのに、なぜか狸とも混同されますね。

 そして、猿は古代エジプトでは太陽神の崇拝者とされ、狸=猫は禰子であって、神に仕えるもの。

確かに、古来狸とされた生き物の大半は猫であったようです。

猫と猿は、意外と印象が重なるのですよ。

二本足で立ち、顔つきや体つき、さらには表情や仕草の人間臭さまで、似ているのです。

 体のバランスを取る尻尾も細いし、よく動く…。

生態としては、猫は、片手で物を持たないし、二足歩行もしない、枝から枝に飛び移らないし、雑食でもない、などの幾つもの差があるのですけどね。

一方で遠目に見ると、猫と狸は尻尾を除けば非常によく似ているでしょ。

 近くで見ても、狸と似てる猫、いるよね。

猫が、猿と狸を繋ぐ存在であり、狸とされた生き物の大半であったとすれば、実は猩々の正体の一つになっている可能性もあり得るのでしょ。

 猩々=猿=猫=狸の構図で、猩々が狸と混同された。

證誠寺の「誠」は、「うそ偽りのない心」「まごころ」「誠」です。

つまり、證誠とは、「言葉によってある事柄が確かであるよりどころを照らし出して明らかにされたことに、うそ偽りのない心であるまごころで誠をつくす」となります。

 そのまとこをつくす相手は、太陽神で、大日如来とすれば、矛盾ないね。

興味深いことに、関東は秦氏の一大拠点であり、秦氏にはエルサレム教団起源説があり、イエスはカッバーラを明かした人であるという説があるのです。

「猫じゃ猫じゃ」の起源譚の一つが伝わる長谷寺観音堂のある香取市は、八幡は地名ではわからないけど、八幡神社なら複数あるのです。

関東は秦氏の一大勢力地であったことが知られているので、八幡神社があること自体はそれほど不思議ではないです。

 同じ千葉県内に、證誠寺の狸囃子伝説の元ネタとも思える長谷寺の「猫じゃ猫じゃ」発祥伝承があるのは、興味深いね。

面白いことに、出雲には猫が踊る歌が伝わっているでしょ。

出雲童歌とされる、「ネコにゃんにゃん」です。

出雲大社と鹿島神宮は、対をなす神社とみられる構図があります。

 「ネコにゃんにゃん」には、バステトの大祭が重なって見える。

ますます、これは偶然とは見えなくなってきますね。

追記

出雲の童歌「ネコにゃんにゃん」の歌詞はここに収録しています。

この歌についての情報募集中です
http://cova-nekosuki.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_78ef.html

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「情けは人のためならず」を考えてみました。

情けは人のためならず、これは、情けを人にかければ自分に返ってくるから結局は自分のためになる、という意味で使われてきた言葉です。

 でも、最近は、情けは人のためにならない、と解釈したり、情けは人の得ばかりじゃないかと、反発する人もいるようですよ。

情けが人のためにならない場合も、当然あります。

でも、それは相手のやる気を失うような形で、情けの押し売りをした場合ではないでしょうか。

情けとは、「情報」の「情」の字が当てられるでしょ。

 でも、この場合の情けってこういう意味でしょ。

 他人に対する心づかいとか哀れみや思いやりの感情という、人間味のある心、他人をいたわる心、人情、情愛、思いやり。

 人としての感情。

確かに、そうです。

ほかにも、こんな意味で使いますよね。

風情、おもむき、あじわい、情緒。

もののあわれを知る心、風雅を解する心、風流心。

男女の愛情や情愛、恋愛の情、恋心、情事、色事。

義理。

でも、ここでいう情けは、相手に対する思いやりやいたわりなどの心遣いのことですよね。

 そうそう。

情報とは、こういう意味です。

ある物事の内容や事情や様子、あるいはそれについての知らせ、インフォメーションともいう。

ある特定の目的について、適切な判断を下したり、行動の意志決定をするために役立つ資料や知識。

文字・数字などの記号やシンボルの媒体によって伝達され、受け手に状況に対する知識や適切な判断を生じさせるもの。

生体系が働くための指令や信号。神経系の神経情報、内分泌系のホルモン情報、遺伝情報など。

物質・エネルギーとともに、現代社会を構成する要素の一。

つまり、情とは「ある物事の内容や事情や様子」ということです。

 情けとは、相手の置かれた状態の内容や事情や様子を、十分理解しないと余計なお世話となる。

相手をよく見て、自力でやれると思えば任せる。

これが基本ですよ。

そのうえで、期限に間に合わないとか、要求されている条件とか水準に達していない場合には、助ける必要がある。

 状態によっては交代して手伝わせる側に回す必要も、あるでしょ。

得意なことに集中させるとか、する場合もありますね。

この場合、本当にその仕事をできる人に任せているか、問われます。

 人手が足りずに未経験者や、未熟練者に手伝わせることもあるでしょ。

でも、できそうなことを頼むでしょ。

 あ、そうか。

情けが人のためにならないという人は、実は、自分の思いや考えを相手に押し付けていたり、できないことをやらせて無能のレッテルを貼ろうとしたと恨まれる結果になった人ですよ。

 あるいは、そういう例を身近に多く見てきた人。

それとか、自分のできるところを見せびらかしたいだけじゃないかとか、できるんだったら始めから人に頼むなと、反発される体験のある人でしょうね。

 結局、事態をきちんと理解できていない。

 何をやれば良いかを、表面的にしかわかっていない。

 やろうとしている事柄に対しても、周りの人に対しても、そして、実は、自分自身さえも。

なるほど、孫子の兵法が、組織論としても愛読されるわけですねえ。

「彼を知り己を知れば百戦して殆うからず」

これは、謀攻篇にあるそうです。

ついでにこれも、触れておきましょう。

虚実篇にあるそうです。

「善く攻むる者には、敵、其の守る所を知らず。善く守る者は、敵、其の攻むる所を知らず」

でも、もし、すでに反感を買ってしまったら、こうするしかないかも。

汝の敵を愛し、迫害する者のために祈れ。

すべて、この世の存在で神によって生まれていないものはないというのが聖書の立場です。

つまり、すべての存在に神の御心はそそがれているので必ずどこかに良いところがある。

相手の良いところを見出して、そこを積極的にほめる。

時間はかかるかもしれないけれど、自分の気持ちが相手にいつか届くことを信じて。

 でも、キリスト教は殉教の歴史でもあるでしょ。

彼らは本気で心の底から相手の悔い改めの可能性を信じていたから、最後まで希望を捨てなかったから、命がけで相手を愛したのでしょうね。

 だから彼らは、絶望して自殺などしない。

自分の命が果てる瞬間まで、相手の悔い改めを信じたのでしょう。

いつか、自分の思いが届く日が来ることを信じて。

 それは、自分の思いであり願いである以上に、神の思いであり願いであると、信じているから。

そうかもしれませんね。

 でも、言うのは簡単でも、行うのは簡単じゃないでしょ。

そうかもしれませんね。

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ダムは経済的か。 ダムを考える その2

ダムについて、考えてみましょう。

ダムは、一般に治水や、発電、灌漑用水、水道水等利水のために水を貯める機能を有しています。

 ダムは、土砂やゴミで一杯になってしまわないのでしょうか?

 川の途中をせき止めたダムには、上流から土砂や流木などがどんどん溜まっていってしまうような気がします。

河川を流れてくる土砂も、溜まることになります。

河川にダムがない場合、洪水時には土砂や有機物は濁水とともに一気に流れ、粒径の小さい土砂や軽い落葉等の有機物の大半は海まで流出し、海底に堆積します。

ダムができると、一般的には、粒径の大きな土砂等はほとんどがダム湖内に堆積します。

洪水時に水中に浮遊するような粒径の細かい土砂や有機物は、ダムがない場合と同様にダム下流に流れますけどね。

流木も、浮いているけれどダムからの取水や放水の妨げになるから、取り除かないといけません。

 そうすると、貯めることのできる水の量が減っていってしまうのではないかと心配です。

ええ、上流からの土砂が溜まって、貯水量が減少します。

溜まっても、発電ダムとしては落差利用なのでそんなに困らないのです。

取水口より、水面が上にありさえすればいいのですから。

 それでも、寿命はくるでしょ。

もちろんですよ。

取水できないことには、発電できませんから。

水害防止としてや、貯水量としては、砂など溜まっていくのは当然致命的ですけどね。

貯水や発電といったダム本来の機能が維持できなくなるだけでなく、下流河川の浸食や海岸侵食など、いろいろな問題が発生します。

これが、ダムの寿命の原因の一つです。

そこで、ダムに貯まった土砂を下流に流すことで、これらの問題を総合的に解決する必要があります。

 何か、土砂やゴミがたまらないような仕組みがあるのでしょうか。

土砂やゴミがたまらないような仕組みは、いろいろあります。

たとえば、下から水を抜いて砂を出す方式は、かなりの数のダムに設置されてはいるのです。

 それでも少しずつ、溜まっていくでしょう

ええ、水抜き穴の付近に溜まった土砂しか流せないので、ほとんど利用されていません。

それから、排砂ゲートという方法があります。

宇奈月ダムは黒部峡谷では最も新しいダムで洪水防止を主目的とした多目的ダムで、国土交通省が建設し、2001年に完成しました。

宇奈月ダムの特徴は、上流の出し平ダムと同様に排砂ゲートを備えていることです。

 宇奈月ダムと出し平ダムの共通点には、重力式コンクリートダムというのもあるでしょ。

ええ、高さは宇奈月ダムは97m出し平ダムは76.7m、総貯水量は宇奈月ダムは24,700,000立方m出し平ダムは9,010,000立方mです。

出し平ダムは発電が目的で、1985年に完成し新柳河原発電所で41,200kW、音沢発電所で124,000kWです。

一方、宇奈月ダムの洪水調整能力は700立方メートル/秒、水道水供給量は58,000立方メートル/日、発電能力は20,000kw/hです。

全国有数の急流河川である黒部川は、特に周辺の山地の浸食作用が著しく、大量の土砂が河川に流れ込むため、短期間でダムに土砂が貯まります。

この貯まった土砂を定期的に排出してダムの能力を回復させるのが排砂ゲートです。

しかし、出し平ダムの排砂では下流の漁業者の間で問題を起こしています。

 言ってみれば、小規模な大水を人工的に起こしているようなことでしょ。

自然の大水であれば、もっと間隔があくけど、いくら小規模でも間隔が狭いと海流などで処理しきれないでしょうね。

黒部川の宇奈月ダムと出し平ダムの連携排砂も最近できた方式だけれど、ここはダム貯水の回復が非常に早いので可能になった方式で、十分水が貯まるまで数年掛かる普通のダムには適用できません。

最近増えているのは、ダム湖の上流に貯砂ダムを造るというものです。

つまり、本来のダム湖の上流に小さなダムを造って、洪水時には水はダムを乗り越えて下流に流れるが、土砂はここで止めるというものです。

貯めた土砂は定期的に掘削して排除します。

ある程度の効果はあるが、先にも言ったように、細かい土砂は濁水となってダムを乗り越えるので、完全なものではありません。

また、排砂バイパスといって、ダム湖の上流からダムの下流までトンネルを掘っておいて、洪水時にはダムから放流する水量を、洪水時に生じる高濃度土砂とともにこのトンネルを通して流してしまおうというものです。

これもそれなりに効果はあるが、トンネルを造るため費用が場合によっては数千億円と非常に高額というのがつらい。

ダム貯水池の堆砂対策は昔から非常に難しい問題で、現在様々な方式が開発中です。

ただ、ダムというのは特性が千差万別で、ここでうまく行ったからと言ってよそでもうまくいくとは限らないという困難を抱えています。

ただ現在、新たなダム設置が難しくなっており、一方で地球温暖化に伴う気象の変動が大きくなって渇水も増えると予想されることから、既設のダムの機能回復は非常に重要な国家的課題になっています。

ダムに関わる様々な組織で、熱心に研究が進められています。

ダムには、もう一つの寿命があり、実はこちらがもっと深刻です。

コンクリートの寿命なのです。

一般にコンクリートは、70から100年で寿命がくると言われています。

その原因として次のことが上げられます。

劣化は、凍結と融解の繰り返しで細かい隙間を大きく広げていく。

中性化は、セメントが二酸化炭素と反応して炭酸カルシウムとなり、コンクリートが酸性側に傾き、中の鉄筋が錆びはじめていく。

アルカリ性骨材反応は、骨材のシリカ、シリケート、炭酸塩により、アルカリシリカ反応などが起こりゲルが生じる、これが水を吸って膨張し、ヒビ割れが起きコンクリートの強度が弱まる。

これは、コンクリートであれば、どんな建造物でも避けられません。

ダムにはさらに、次のような要素が加わります。

疲労・摩耗は、土石流がダム壁に何度も繰り返し力を加える、また土石のヤスリのような働きでコンクリート表面を削っていく。

塩害は、塩素イオンが鉄筋を錆びさせることで、錆びはもとの体積の2~4倍となり、ヒビ割れなどを起こさせる。

以上のことが相互的に進んで寿命がくるのです。

大きなダムが破壊すれば、土石流災害の供給源となってしまいます。

そのうえ、コンクリート自体が山を切り崩して採掘しています。

小さな山など、短期間で消えてしまったものもあるのですよ。

 メンテナンスのために消えていく山が、これ以上増えていいかという課題にも、やがて直面することでしょう。

さらに、維持費問題があります。

例えば、マスコミが報道しない八ッ場ダムの維持費は、ダム本体だけで年間10億円以上とも言われています。

 ダム設置に伴う、周辺地盤への影響も、無視できなくなっていますね。

岩盤の弱い地域まで、設置が広まりましたからね。

この地盤への対策費は、新たな課題となってのしかかるでしょうね。

ということで、いずれにしてもダムには問題点が多いのです。

 本当に必要なダムはどれか、絞り込まないと、ダムの存続そのものが危うくなる。

もっと、国民が知る必要があることでしょうね。

近自然工法で、最低限の手を加える手法をきめ細かく講じることこそ、治水でも利水でも長い目で見て安く上がるはずです。

漁業との共存も、容易でしょうし。

追記

塩害は、コンクリートに海砂など塩素イオンを含むものが入ってしまうと通常の建造物でも起こり得るが、川砂など塩素イオンがでないものを用いれば環境からの影響だけ考慮すればいいとみて、コンクリート本来の寿命を決める要素から省きました。

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生命の樹と死の樹と弁証法。生命の樹 その3

生命の樹と死の樹の関係については、なかなか理解が難しいようですね。

 死の樹を、どういう意味で使うかよね。

死の樹を理解するには、カッバーラとはなにかを考える必要があるかもしれないですね。

 カッバーラって、授かるものでしょ。

 この場合のカッバーラは、神から授かるものと言うことでしょ。

それだけでは、この問題は理解できないのです。

さらに内容に踏み込んで、議論をする必要があるのです。

カッバーラは、弁証法的思想です。

 哲学的な思想という意味かしら。

カッバーラもタントラも陰陽も、極めて弁証法的な構造を持った思想ですよ。  

弁証法とは、対話や議論や討論が異なる意見や見解を語り合うことによって物事への理解を深めるように、物事のあり方が相対する要素の共存や統一と対抗や対立によって変化や展開していくことだと、考えてもらえれば良いかもしれないですね。

 対話や議論や討論が、異なる意見や見解を語り合うことによって物事への誤解に脱線していく場合もあるのでは。

正しい理解や知識を持っていないもの同士の場合、ありえるのです。

物事への誤解に脱線していく場合、実践や経験で得られた知識で訂正や修正する必要はあるでしょうね。

弁証法は、思想であると同時に世界を動かす原理原則でもあるのです。

つまり、哲学思想としての弁証法は、世界を動かす原理原則を心に鏡像のように反映したものなのです。

世界を動かす原理原則と言う生きた現実世界=生命の樹と、心に鏡像のように反映した哲学思想=知識の樹の構図になるかもしれないですね。  

 現実世界と哲学思想、生命の樹と知識の樹の双方を貫くのが、弁証法ね。

そして知識は過去の出来事の心への反映を蓄積したものと言う意味で、死んだ物の系統的な蓄積でありその姿を生きた現実に対する死んだ知識と言う意味で死の樹と言っている側面もあると思うのです。

弁証法は、分析と総合をきちんとやれば真理に近づくけれど、分析と総合をずさんにやると詭弁に堕落するのです。

分析過程を下降、総合過程を上昇というのです。 

下降する分析過程を知識の樹に、上昇する総合過程を生命の樹に、対応させると面白いことがわかります。

分析を分解、総合を組み立てと言い換えれば、こうなるのです。

きちんと分解してきちんと組み立てれば、ちゃんと動くのです。

 これが、鏡面対象の死の樹。

ずさんに分解してずさんに組み立てれば、動かないか誤動作するのです。

 これが、回転対象の死の樹。

システムは分解したら動かない、つまり、死と同じ。

システムは組み立てれば動く、つまり、生と同じ。

裁きを行うのは、生命の樹に対して鏡面対象の死の樹。

裁きで捨てられるのは、生命の樹に対して回転対象の死の樹。

生命の樹に対して回転対象の死の樹は、言ってみれば故障や不良に相当するのです。

裁きを行う、生命の樹に対して鏡面対象の死の樹。

これを悪魔(akuma)と見たから、神の一族といったのです。

裁きで捨てられる、生命の樹に対して回転対象の死の樹。

これが堕落した天使、サタンのルシファー。

知識は、何をなすべきか、何をなすべきでないかを、判断する基準を示してくれるから、善悪を知る知識の樹であり、悪を地獄に送る裁きの死の樹でもあるかもしれないですね。

しかし、知識は同時にミスリードで自らを地獄の苦しみに追い込むサタンの樹でもあるかもしれないですね。

この知識の持つ二面性が、正しく導いてくれる鏡面対象の死の樹と、誤りの袋小路に迷い込む回転対象の死の樹として、語られていると見たいです。

 では生命の樹の上昇には、何が必要と考えますか。

カッバーラやタントラや陰陽の根幹を成す弁証法は、まず、世界を動かす原理原則なのです。

思想としてのカッバーラやタントラや陰陽が神からの授かり物と名実ともに呼び得るのは、世界を動かす原理原則を歪みのない鏡像として心に反映させられたときでしょうね。

しかし残念ながら私たちは、心に鏡像として取り込んだ世界を動かす原理原則や現象を、まったく歪みのない鏡像のように知識に出来るわけではないのです。

知識は、願望や先入観などによって、程度の差こそあれ歪んでしまうのです。

幼子のような素直な心が求められるのは、願望や先入観などによって理解や解釈や判断を歪めないためといえるかもしれないですね。

幼子のような素直さで、世界を動かす原理原則を歪みのない鏡像のように心に反映させるとともに、理解や解釈や判断を願望や先入観などによって歪めないことかもしれないですね。

 神を見失わないとは、世界を動かす原理原則の理解や解釈や判断を願望や先入観などによって歪めないこと。

願望や先入観などによって歪められなかった世界を動かす原理原則の理解や解釈や判断を得ることは、正しい理論を構築することの大前提ですからね。

そして、正しく構築された理論を、こんどは実践に正しく生かしていくこと。

正しく構築された理論は、鏡面対象の死の樹に相当すると共にエデンの園にあった善悪を知る知識の樹であるかもしれないですね。

生命の樹は、正しく構築された理論を正しく実践に生かしていくことに相当するかもしれないですね。

アダムとイブの失楽園は、せっかくの正しく構築された理論が願望や先入観などによって歪められた結果かもしれないですね。

 しかし、アダムとイブはあえてせっかくの正しく構築された理論が願望や先入観などによって歪められる道を選んだのかしら。

願望や先入観などによって歪められた正しく構築された理論を自力で正していける能力を磨くように、神は望んでおられると気づいたのかもしれないですね。

 もちろん、神に導かれながらでしょ。

願望や先入観などによって歪められた世界を動かす原理原則に対する理解や解釈や判断を、神の導きによって正していく過程が実際の生命の樹を上る行為なのかもしれないですね。

神の指導とサタンの誑かしを願望や先入観などによって取り違えて、神を見失わないよう気を付けたいものです。

神は、その人の成長段階や成長程度に合わせて、乗り越えられる範囲で課題をお出しになられるようです。

 その人がここに気がつけるかどうか、問題の解き方を素直に神に求められるかどうか、じっくり見てくださっている。

だから、思い込みで突っ走るとろくなことがないが、落ち着いて事態の推移を見て要点をつかめば、それなりにうまくいくか、失敗を最小に抑えられるのかもしれないですね。

困難に悩み苦しむのは、神に見放されたのではなく、神を見失いかけているからではないでしょうか。

追記

死の樹については、一般に、善悪を知る樹とも、善悪を知る知恵の樹とも、単に知恵の樹とも、呼ばれています。

私自身も、特に混乱しない場合には、死の樹を一般的な呼び方にならって知恵の樹と呼ぶ時があります。

今回の議論では、情報化した知恵という意味で知識と呼ぶ方がしっくりくると見て、死の樹を知識の樹と呼んで議論を展開しました。

今後も、死の樹を必要に応じて知識の樹として扱うことがあると思いますが、呼び方に一貫性がないのではなく、どこに注目するかで使い分けているだけですので、ご了承ください。

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納豆。

納豆は、大豆を納豆菌によって発酵させた日本の食品です。

 納豆は、栄養面でも注目されているようね。

総務省統計局の全国物価統計調査の調査品目にも、採用されています。

血液凝固因子を作るのに不可欠なビタミンKや大豆由来のタンパク質も豊富であり、現在でも重要なタンパク質源となっています。

食物繊維は、100グラム中に4.9~7.6グラムと豊富に含まれます。

食物繊維はオリゴ糖等と共にプレバイオティクスと呼ばれる腸内環境に有用な成分であり、納豆菌はプロバイオティクスと呼ばれ、これも腸内環境に有用と考えられています。

O157を抗菌することがわかっています。

納豆には血栓を溶かす酵素が含まれており、納豆から単離したナットウキナーゼを経口投与したイヌで血栓の溶解が観察されたという報告があります。

納豆をかき回して食するのは、納豆のねばりの中にあるグルテンの構造が一定の方向になると美味しく感じるという経験を持つことによります。

途中から逆方向にまぜるとこの構造が壊れて味が損なわれます。

納豆に含まれるビタミンK2は骨たんぱく質の働きや骨形成を促進することから、ビタミンK2を多く含む納豆が、特定保健用食品として許可されています。

また、ポリグルタミン酸にはカルシウムの吸収促進効果があるため、納豆から抽出されたポリグルタミン酸が特定保健用食品特として許可されています。

納豆菌の一部には、安定した芽胞のまま腸内まで生きて到達してビフィズス菌を増やし腸内環境を正常化する効果があることから、そのような効果を持つ納豆が特定保健用食品として認可されています。

 結構なことが多いね。

ビタミンK2は抗凝血薬(ワルファリン)の作用を弱めることから、ワルファリンの服用中は、納豆は避けるべきとされているなど注意点もありますけど。

 「納豆(なっとう)」は、「納豆(のうとう)」の転化でしょうね。

古代から中世の日本語は、発音のあいまいなウ+ア行の二重母音の言葉であったと考えられます。

やがて発音の明瞭化していく過程で、「納豆(なっとう)」に転化した可能性はありますね。

大豆を原料とした発酵食品であり、特有の臭いを持ちます。

日本全国の食品売り場で容易に手に入れることができ、現在多くの日本人に食べられています。

 茨城県を中心とした関東地方では、郷土料理としても親しまれているね。

「納豆」という語句の確認できる最古の書物は、11世紀半ば頃に藤原明衡によって書かれた『新猿楽記』だそうです。

同作中に「腐水葱香疾大根舂塩辛納豆」という記述があり、平安時代には納豆という言葉が既に存在していたことが確認できるといいます。

この記述の納豆には、「舂塩辛」「納豆」、「舂塩」「辛納豆」、「大根舂」「塩辛納豆」など諸説あります。

「辛納豆=唐納豆」など、本来の意味の納豆、つまり現在の「塩辛納豆」を指すものであろうという意見が多いです。

なお、「塩豉」のほかに「淡豉」という名のものがあったらしいが、これは平安時代以降姿を消しています。

 現在では、「納豆」といえば納豆菌を発酵させたいわゆる糸引納豆を指すのが一般的ですね。

糸引納豆が登場したのは、中世以降のことです。

平安時代には、「納豆」という名でも呼ばれるようになりました。

それ以前の定義では、「納豆」とは麹菌を使って発酵させたのち乾燥・熟成させたもの、寺納豆とも呼ばれるいわゆる塩辛納豆のことです。

なお、塩辛納豆もしくは寺納豆・浜納豆とは、現在一般的な糸引納豆との区別をつける為の便宜上の名称です。

塩辛納豆は、風味としては味噌やひしおに近いです。

塩辛納豆は古い漢語では豉(し)と呼ばれ、中国では紀元前2世紀頃の遺跡からも出土があり、今なお豆豉(トウチ)と呼ばれ、中華料理の重要な調味料です。

 つまり、納豆は魚醤と起源を共有する食品ね。

アジアでも、納豆類似の食品がありますよ。

ヒマラヤ麓のネパールなど南アジア、中国雲南省からベトナムをはじめとする東南アジアにかけた地域です。

タイやラオスでは、トゥア・ナオという食品があります。

朝鮮半島でも、清麹醤が作られています。

インドネシアなど東南アジア諸国にも、大豆などをテンペ菌で発酵させる醗酵食品テンペがあります。

 みな、日本人の先祖がやってきたと見られている国や地域ねえ。

納豆類似の食品の起源は、さらに西方へ遡れるとみている人もいますよ。

 そういえば、ケチャップと醤油を比べたこともありましたよね。

 エジプトやイタリアやギリシャなどの、地中海の国々も日本との類似がいくつもありましたね。

日本人自体、古代中東の遺伝子が多く残っていることがわかっていますよ。

日本では奈良時代頃には醤(ひしお)の一種として伝来したのではないかとされ、古い史料では「久喜」(くき)の名で言及されています。

 あるいは、魚介の塩辛と同じ起源を考えて良いでしょうね。

塩蔵品としてのアンチョビは、三枚に下ろして内臓を取り除いた小魚を塩漬けにして、冷暗所で熟成及び発酵させたものです。

オリーブオイルを加え、缶詰や瓶詰にするもので、主にイタリアやスペイン、モロッコで生産されていますね。

 イタリアは、日本の食材と似たものが多いよね。

ええ。

塩辛納豆も、魚介の塩辛も塩漬けされた食材が、麹菌によって発酵して生まれた食品と言う共通点がありますね。

本来好気性である麹菌が、空気から遮断された嫌気性の環境におかれることで塩漬けされた食材を発酵させました。

室町時代頃になると、日本独自の食品として登場した糸引納豆が広く知られるところとなり、やがて製法の簡単さなどから塩辛納豆よりも多く作られ、日常食として消費されるようになるとともに、「納豆」という言葉もまず糸引納豆を意味するように変化していったとされます。

同じ頃、北宋・南宋に渡航した僧たちが塩辛納豆を持ち帰り、再度国内に紹介しました。

寺院内でも盛んに生産したことから、これらは寺納豆とも呼ばれるようになりました。

こうした伝統を持つものが今でも大徳寺納豆で知られる京都の大徳寺や、天竜寺、一休寺や浜松の大福寺などで作り続けられており、名物として親しまれています。

納豆誕生自体は、原料から推測するに、日本で大豆や米が食されるようになってから以降であると思われます。

 日本の大豆栽培が、どこまで遡るかよね。

米は、縄文時代には乾田栽培してました。

当然、米から酒を造ってしましたよね。

 魚醤も古くから、作っていたかもしれないとすると、はじめに意図して作ったのは麹菌を使って発酵させたのち乾燥・熟成させたものだったと見る方が自然ね。

一方、糸引き納豆は食用に保存するために加熱処理した大豆を藁苞で包んで保存していたら偶然出来たのかも。

現在の主流の納豆、つまり糸引き納豆は、「煮豆」と「藁」の菌がたまたま作用し、偶然に糸引き納豆が出来たと考えられています。

弥生時代の住居には、藁が敷き詰められていたし、また炉がある為に温度と湿度が菌繁殖に適した温度になったと見られています。

ほかにも、起源や時代背景については様々な説があり定かではないです。

そのため、意識して作られるようになったのが遅れたのかも。

 豆の腐った物と見られて、始めは省みられなかったかも。

確かに糸引き納豆に対する外国人の第一印象は、腐った豆ですからね。

しかし、いったん意図して作られるようになると、製法の簡単な糸引き納豆は一気に普及したのかも。

糸引き納豆の一種であるひきわり納豆は、秋田県など北東北で古くから作られていたからです。

普通の納豆より発酵が早く、消化が良いとされます。

 古くからって、何時頃でしょう。

わかっていないところを見ると、少なくても弥生時代まで行くかもしれないですね。

ひきわり納豆、碾き割り、即ち砕いた大豆を発酵させることによって作られます。

ひきわり納豆に対し、通常の割っていない大豆を使った納豆は「粒納豆」と呼ばれます。

 糸引き納豆が、もし弥生時代に遡るとしたら、なぜ中世以降に一般的になったかしらね。

中世は武士の台頭した時期であり、関東の鎌倉幕府成立をひとつの区切りとみれば、説明ができるかも。

 鎌倉幕府の実行支配する地域の拡大とともに、糸引き納豆は広まったのかしら。

茨城県特産に、干し納豆があります。

元来は保存食だったとされるが、現在は納豆の入手できない日本国外へ旅行に行く際に持っていく場合があるといいます。

納豆を天日干しすることにより長期保存可能にしたものです。

なお納豆を乾燥させても、納豆菌は死滅しません。

食べ方としてはそのまま食べるほか、湯につけて戻す、お茶漬けにするなどがあります。

 干し納豆であれば、確かに各地に広げるのは楽ね。

納豆は、戦国時代において、武将の蛋白源やスタミナ源ともなっていました。

干し納豆に近いものに、揚げ納豆があります。

これは納豆を油で揚げ、粘り気を取り去ったものです。

納豆を良くかき混ぜると、たっぷり引いた糸で箸を動かしにくくなるくらい硬くなります。

それを揚げる訳です。

納豆独特の臭いも、目立たないです。

そのまま酒のつまみとして食べる事が多いです。

しょうゆ・塩・梅・一味唐辛子などの味が、つけられています。

日本航空の国際線機内でも、酒肴として提供されています。

おそらく、東日本から広まったのだろうけど、何時頃からあるのかはわからないです。

ついでにいうと、茨城県特産におぼろ納豆、しょぼろ納豆とも呼ぶそぼろ納豆があります。

納豆に刻んだ切り干し大根を混ぜ込み、醤油等の調味料で味をつけたものです。

そのまま酒のつまみとして食べたり、ご飯にかけて食べたりします。

江戸時代には商品として出回るようになり、京都や江戸において「納豆売り」が毎朝納豆を売り歩いていました。

戦時中は軍用食として、戦後は日本人を救う栄養食として食べられ、日本に納豆が普及していったです。

納豆には、大豆の粒の大小による区別もあり、概して東北地方は大粒が目立つ傾向があります。

また、山形県酒田市の塩納豆、熊本県の金山寺納豆などローカル色に富んだ納豆もあります。

消費量は、特に北関東から南東北にかけて多いです。

生産量日本一は茨城県、消費量日本一は福島県で、消費量最下位は和歌山県です。

様々な種類が存在するが、現在一般的には糸引き納豆の事を指します。

納豆発祥伝承は、日本各地にあります。

糸引き納豆の一種であるひきわり納豆は、秋田県など北東北で古くから作られていたことから、秋田県横手市の金沢公園に「納豆発祥の地」の碑があります。

 秋田音頭に能代市桧山地区の「桧山納豆」が、秋田名物の一つとして謳われているね。

冬の保存食にしょうとして乾かして藁苞に入れていた大豆の煮豆が、竈などの熱で発酵したがもったいないので食べたら美味かったのが始まりだったというのは可能性としては十分あるかも。

伝統的な納豆の作り方は、蒸した大豆を稲の藁で包み、40度程度に保温し約1日ほど置いておくのです。

稲藁に付着している納豆菌が大豆に移行し、増殖することによって発酵が起こり、納豆ができあがるのです。

秋田などの雪国では、すぐ取りにいけるよう調理場所の傍で保存されていただろうから、発酵に必要な温度まで熱せられる条件はあったと考えられます。

 でも、7月10日は「納豆の日」とされているね。

これは1981年、関西での納豆消費拡大のため、関西納豆工業協同組合がなっ(7)とう(10)の語呂合わせで制定したものです。

1992年、全国納豆工業協同組合連合会が改めて「納豆の日」として制定しました。

しかし「納豆」「納豆汁」などが冬の季語である事や、「納豆時に医者要らず」という諺があったように、元々納豆の時期は冬とされています。

 けど、秋田美人の顔と古代ギリシャのミロのビーナスの顔の類似を思い出すと、納豆秋田起源説はかなり有力かも。

裏を取れる情報が欲しいですね。

 でも、ひきわり納豆の歴史の古さを考えると、最有力だと思えるけど。

茨城県水戸市は、明治以降、鉄道の水戸線の開通に伴い、土産品として売られたのをきっかけに、産地としてもっとも知られています。

 天狗納豆が、発祥とされるとか。

今では毎年水戸の日の3月10日に、「納豆早食い大会」が開催されていますね。

九州では熊本県で、例外的に古くから普及しています。

熊本には全国規模の納豆製造会社である丸美屋があり、スーパーマーケットで普通に売られていて、消費量も多いです。

製法や菌の改良などで匂いを少なくしたり、含まれる成分の内「ナットウキナーゼ」の健康増進効果がテレビなどのメディアで伝えられるようになり、この40年間を見ても一番少ない近畿中国四国と、福島水戸など一番多い地域との差など国内各地域での消費量の差は大きく縮まっているようですね。

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多賀神社とエジプト?

多賀大社は、伊邪那岐命(イザナギ)・伊邪那美命(イザナミ)の2柱を祀り、古くから「お多賀さん」として親しまれてきたのです。

 滋賀県犬上郡多賀町多賀にある神社でしょ。

和銅5年(西暦712年)編纂の『古事記』に「伊邪那岐大神は淡海の多賀に坐すなり」とあるのが、多賀大社のことです。

なお、『日本書紀』においては「構幽宮於淡路之洲」、すなわち「幽宮(かくれみや)を淡路の洲(くに)に構(つく)りて」との記述があり、淡路島に「幽宮」を構えたとされています。

室町時代中期の明応3年(1494年)には、神仏習合が推し進められ、当社には神宮寺として天台宗の不動院が建立されたのです。

神宮寺配下の坊人は全国にお札を配って信仰を広め、当社は中世から近世にかけて伊勢・熊野とともに庶民の参詣で大いに賑わったのです。

「お伊勢参らばお多賀へ参れお伊勢お多賀の子でござる」「お伊勢七度熊野へ三度お多賀さまへは月参り」との俗謡もあります。

ここに見る「お多賀の子」とは、伊勢神宮祭神である天照大神が伊邪那岐命・伊邪那美命両神の御子である神話体系を歌詞に映したものです。

なお、社に残る垂迹曼荼羅(すいじゃくまんだら)は坊人が神徳を説くのに用いたものであり、これを掲げて神徳を説きながら諸国を巡行し、拝礼させたと考えられるのです。

神仏習合の中世期には、「多賀大明神」として信仰を集めたのです。

お多賀さんは、特に長寿祈願の神として信仰されてきたのです。

 多賀社隆盛の理由としては、近江国が交通の結節点であったことも挙げるべきでしょうね。

式内社で、旧社格は官幣大社、現在は神社本庁の別表神社です。

藤原忠平らによって延長5年(927年)に編まれた『延喜式神名帳』では、多賀大社は「近江国犬上郡多何神社二座」と記載されています。

「二座」とあることから、この時代にはすでに伊邪那岐命・伊邪那美命2柱が祀られていたことが分かるのです。

なお、境内社つまり摂社である日向神社は延喜式内社であり、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)を、同じ摂社の山田神社は猿田彦大神を祀るのです。

多賀胡宮とも呼ばれ多賀社の別宮として信仰を集める胡宮(このみや)神社は、伊邪那岐命・伊邪那美命・事勝国勝長狭(コトカツクニカツナガサノミコト)の3柱を祀り、多賀社の南方2キロメートルにある小高い丘の神体山に鎮座し、授子・授産、鎮火の神として崇敬されるのです。

多賀大社では、「お多賀杓子(おたがじゃくし)」と称し、お守りとして杓子(しゃもじ)を授ける慣わしがあります。

「お多賀杓子」は、「お玉杓子(おたまじゃくし)」の名の由来とされています。

 お守りとして杓子を授けるというのは、多賀社の別宮で多賀胡宮とも呼ばれる胡宮神社が授子・授産、鎮火の神として崇敬されていることと、関連ありそうね。

 授子・授産は、伊邪那岐命・伊邪那美命が日本最古の夫婦神であり、また、伊邪那美命の言葉「お前の国の人間を1日1000人殺してやる」に「それならば私は、1日1500の産屋を建てよう」と伊邪那岐命が言い返していることを指すのでしょうね。

鎮火は、伊邪那美命が、火の神であるカグツチを産んだために陰部に火傷を負って亡くなると、伊邪那岐命がカグツチを殺したことに対応しているのかも。

多賀大社は、『古事記』以前の時代については、一帯を支配していた豪族・犬上君の祖神を祀っていたのではないかとの説があります。

犬上氏の犬上君は、多賀社が属す多賀町を含む地域名「犬上郡」の名祖でもあり、第五回遣隋使・第一回遣唐大使で知られる犬上御田鍬(いぬかみのみたすき)を輩出している古来の豪族です。

犬上氏あるいは犬上君は、日本武尊の子・稲依別王の後裔とされる近江国犬上郡発祥の豪族です。

付近に渡来人集団が多く居住していたことから、犬上君自体も天日槍(アメノヒボコ)らと同じく渡来系氏族であるとの説もあるほど中国大陸や朝鮮半島の文化に親しい一族です。

天日槍は天之日矛とも記される、『古事記』、『日本書紀』に見える新羅の王子です。

多賀胡宮とも呼ばれる胡宮神社の「胡」とは、漢民族が、中国の北部や西部の異民族とくに遊牧民族を呼んだ言葉です。

また「胡瓜」のように、これらの異民族由来のものである事を示す用法もあります。

「胡」のもともとの意味は、「あごひげ」が長い人です。

 「胡」宮神社とは、中国の北部や西部の異民族とくに遊牧民族の「あごひげ」が長い人を神と祀る神社だと、自らを名乗ることになるのでしょうね。

中国の西部の異民族で「あごひげ」が長い人を神と祀る施設があった国、エジプト以外あるでしょうかね。

 古代エジプトと日本は、太陽神を中心とする三神が動物神を含む八百万の神を従わせる構図を共有してるでしょ。

神道の神社と、古代エジプトの神殿とは、構造も似てるのでしょうね。

 しかも、日本はチベットと共に古代中東の遺伝子が多く伝わっている。

「お伊勢参らばお多賀へ参れお伊勢お多賀の子でござる」「お伊勢七度熊野へ三度お多賀さまへは月参り」との俗謡にあるように、多賀大社は伊勢の神宮と深く関わる神社です。

伊勢神宮は今でこそいくらか高台にあるが、その最後にたどり着いた場所は、よりによって水害の避けられないはずの五十鈴川の中といってもいいくらい低い土地だったのです。

わたしは、「川を蛇に見立てた」 としか理由は思いつかないです。

蛇は、脱皮を繰り返すことから、滅びと再生を繰り返す神とされるのです。

水害を受けることを承知の上の、五十鈴川の中島という立地。

これは、太陽神とされる天照大御神に日没と日の出という、滅びと復活があるといってるのと、大して違いないです。

これは、古代エジプトの、滅びと再生を繰り返す太陽神と、そっくりです。

実は、女神とされる天照大御神はもともと、男神の天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊なのです。

しかも、古代エジプトでは太陽神は夜な夜な大蛇に飲まれ、朝になると復活してくるという展開の神話もあります。

また、川と女神といえば、ホルス神の母であり、オシリス神の妻であるイシス女神に捧げられた神殿が、まさにナイル川の川中島に造営されているのです。

その、イシス神殿は、アスワンダムの建設の際、フィラエ島にあったイシス神殿は湖底に沈むため、1972年から1980年にかけて隣のアギルキア島に移築されたのです。

このオシリス神もまた、滅びと復活にかかわる神です。

多賀大社は、『古事記』以前の時代に一帯を支配していた豪族・犬上君の祖神を祀っていたのではないかと見られているのも興味深いです。

 犬神は、古代エジプトでは冥府の神アヌビスを思い起すね。

 そうなると、多賀(タガ)はアジア大陸で蛇を指す「ナーガ」の転化かも知れないですよ。

ありえますね。

古代エジプトと日本は、蛇神崇拝を共有してるからです。  

気になるのは、中国の北部や西部の異民族とくに遊牧民族となったらシルクロードなのですよ。

 シルクロードに沿って、イスラエル十支族の末裔が分布している以上、日本に来ていると見る方が自然。

神道の神社は、古代エジプトの神殿とだけでなく、ユダヤ教神殿とも構造が似てるのでしょうね。

しかも日本は、旧約時代のイスラエルに似た民俗や風習がいくつもあると言われるのです。

少なくとも伊邪那岐命(イザナギ)・伊邪那美命(イザナミ)のナギやナミに、アジア大陸で蛇を指す「ナーガ」の転化と見る説が出ていることは事実です。

人面蛇身の女媧(ジョカ)と伏羲(フクギ)が伊邪那岐命(イザナギ)・伊邪那美命(イザナミ)の原型としたら、犬上氏渡来人説に有利になるのだけは、確かでしょうね。

 日本とエジプトと言えば、味や食感の好みも似ているのですよね。

エジプト人は、モロヘイヤが大好きです。

モロヘイヤを、専用の道具で粘り気がたっぷり出るまで押しつぶすのです。

粘りがたっぷりのモロヘイヤのスープは、飲んでも良いけど、ご飯にかけるのもおいしいと、好評です。

色と味は違っても、食感はまさに、とろろご飯です。

日本人が好きな卵かけご飯、エジプト人も好きか、機会があったら訊いてみたいですね。

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ミトラス教。

密議宗教のミトラス教は、ミトラ教とも呼ばれ、かつてはキリスト教とローマ帝国の国教の地位を争い熾烈な宗教対立を繰り広げたことで知られます。

ある宗教学者はこの闘いにミトラス教が勝っていたら、キリスト教に変わり世界宗教の座に就いていたと分析するほど大きな勢力を持っていたのです。

 主神とする太陽神ミトラスは、ミスラス、あるいはミトラやミスラと言うことがありますね。

ミトラス教は、古代のインド・イランに共通するミトラ神の信仰でした。

ヘレニズムの文化交流によって地中海世界に入った後に形を変え、主にローマ帝国治下で紀元前1世紀より5世紀にかけて発展、大きな勢力を持つにいたったと考えられています。

 その起源や実体については、不明な部分が多いでしょ。

ミスラ(Mithraあるいは Miθra)は、インド神話におけるアーディティヤ神群の一柱ミトラ(mitra)と起源を同じくします。

アーディティヤ(Aditya)は、古代インド神話における神々の集団の1つです。

アーディティヤ神群と呼ばれ女神アディティの息子たちとされ、ヴァルナ、ミトラを首領とする『リグ・ヴェーダ』では5~8柱の神々とされます。

通常名前を挙げられるのは、ヴァルナ、ミトラ、アリヤマン(款待)、バガ(分配、幸運)、アンシャ(配当)、ダクシャ(意思)の6神です。

古来より太陽との関連が深い神々とされ、後世にはヴィシュヌなどが加わって12神とされるようになったそうです。

友愛と契約の神ミトラとならぶ最高神ヴァルナ(Varuṇa)は、古代のイラン・インドの神話共有時代における始源神です。

ヴァルナは、ミトラとともに太古のアスラ族、アーディティヤ神群を代表した神です。

ヴァルナは、イランでは、宇宙の秩序と人類の倫理を支配する神とされ、ゾロアスター教が成立してからはアフラ・マズダーとされたのです。

これは秩序と正義の神であることからひいて契約の神にもなり、ミタンニ・ヒッタイト条約文にも条約=国家間の契約ということからヴァルナ神の名があげられています。

また、ヴァルナは、インドでは、『リグ・ヴェーダ』などの諸ヴェーダにおいて、雷神インドラ、火神アグニとともに重要な位置に置かれたのです。

ヴァルナは、天空神、契約と正義の神として司法神、水神などの属性をもたされた存在でもあったのです。

司法神、水神などの属性をもたされた段階ですでにヴァルナは、梵天として知られるブラフマンによって、始源神としての地位を奪われていたのです。

さらにヴァルナは、後には死者を裁くヤマ神に司法神としての地位を奪われるにつれ、水との関係から、やがては水の神、海上の神という位置づけがあたえられることとなったのです。

 ヴァルナはついには水神になるなど、ミトラスに比べて地位の低下が大きかったので、主神とする宗派がないのかしら。

そうかも。

ついでにいうと、ヴァルナは仏教に採り入れられた際には、水神としての属性のみが残り、仏教における十二天の一つで西方を守護する「水天」となりました。

日本では各地の「水天宮」はこの「水天」としてのヴァルナを祀ったものだったが、現在の各地の水天宮の祭神は天之御中主神とされています。

天之御中主神とされたのは、ヴァルナ神のもともとの神格が最高神、始源神であったことによります。

 陰陽で水に天が配された理由も、水天とされたヴァルナ神のもともとの神格が最高神、始源神だったからかしら。

ありえますね。

一方ミトラスは古くは、古代アーリアにおいて信仰されていた契約・約束の神でした。

中世以降は、友愛の神、太陽の神という性格を強めました。

民間での信仰は盛んで、ミスラを主神とする教団があっただけでなく、ミトラを一神教化するという動きもあったようです。

最終的にキリスト教が勝利を収め、ミトラス教はほぼ消滅したとされます。

ミトラス教は密議宗教であったので、完全に消滅したのかは分からないです。

 別の形で命脈を保っている可能性は、ありえますか。

ミトラス信仰自体は、マイトレーヤ(maitreya)信仰または弥勒信仰に形を変えて中国など東アジアに伝わってますけどね。

 ミトラス信仰としての弥勒信仰は、ミトラス教ではない。

少なくとも、儀式は伝わってないようですね。

ミトラ教の神話体系は、仏教では菩薩として受け入れられていますけど。

太陽神ミトラスは、インドではマイトレィアとしても、親しまれていました。

サンスクリット語のマイトレーヤとは、ミスラの別名またはミスラから転用された神名です。

マイトレーヤは弥勒菩薩と漢訳され、古代の日本までやって来ました。

ミスラはクシャーナ朝ではバクトリア語形のミイロ(Miiro)と呼ばれ、この語形が弥勒の語源になったと考えられています。

クシャーナ朝での太陽神ミイロは、のちの未来仏弥勒信仰に結び付いたとみられているのです。

マイトレーヤを軸とした、独特の終末論的な「弥勒信仰」が形成されたといわれます。

弥勒信仰には、救世主信仰の側面があると指摘する人もいます。

 マニ教からの、推測ですね。

マニ教は、かつてはスペイン・北アフリカから中国にかけてのユーラシア大陸で広く信仰された世界宗教でした。

現在では消滅したとされるマニ教は、過去に興隆したが現在では滅亡した、つまり信者が消滅した宗教のうちで、代表的なものといわれます。

摩尼教と記されることもあるマニ教(Manichaeism)は、サーサーン朝ペルシャの210年から 275年ごろの人とされるマニを開祖とする宗教です。

マニ教は、ユダヤ教・ゾロアスター教・キリスト教・グノーシス主義などの流れを汲んでいます。

 さらに仏教・道教からも影響を受けているとも、指摘されますね。

そこで、マニ教は、西方伝道においてはイエス・キリストの福音を、東方への布教には仏陀の悟りを前面に押し出していたわけです。

しかし、各地域毎に布教目的で柔軟に変相したため、東西に発展した世界宗教となった反面、教義・経典が混乱気味となったのですね。

マニ教の神話では、人間は闇によって汚れているものの、智恵によって内部の光を認識することができるとします。

原初の世界では光と闇が共存したが、闇が光を侵したため、闇に囚われた光を回復する戦いが開始された。

光の勢力によって原人が創生されたが、原人は敗北して闇によって吸収された。

その後、光の勢力は太陽神ミスラを派遣して、闇に奪われた光を部分的に取り返すことに成功した。

闇は手元に残された光を閉じ込めるために、人祖アダムとイブを創造した。

この、マニ教で光を取り戻すもの位置付けられたミスラ神に、救世主の側面を見たのでしょうね。

話をミトラス教に戻しますね。

ミトラス教こそ、キリスト教のもろもろの儀礼や教義のルーツであり、ユダヤ教以外でキリスト教オリジナルとされている儀礼、例えば洗礼や聖餐など、そのほとんどを生み出していると見る人もいます。

ミトラス教の実態は史料のほとんどが散逸し、密議中心だったため、多くが謎に包まれています。

しかし、石像や祭具などの数少なく残った史料の中に、彼らがミトラス教で「逆さまの梯子」を重要なシンボルとしていたことが認められます。

天に昇る梯子ではなく、地に下る梯子、つまり死の樹を象徴としていたのです。

アダムとイブ、そして、イエス、彼らに宣告された「死」の指し示す意味、そしてまた、知識の樹が死の樹とされる意味、つまり「死」の本当の意味を知れということかも知れないです。

 すでに逆さになっている死の樹を、そのまま下れと見るか、反転させて生命の樹として見るか、一人一人が問われる。

実際は、生命の樹と死の樹を合わせ鏡としてみろと暗示しているのかもしれないですね。

 『学んで思わざるは即ち罔し(くらし)思うて学ばざれば殆し(あやうし)』と、論語にありますね。

 これは、知識だけ学んでも知恵がなければ活用できない、知恵を働かせようとしても知識がなければ思いつきで終わる、ということでしょ。

知恵を生命の樹、知識を死の樹と置き換えれば、こうなりますよね。

死の樹だけ学んでも生命の樹を上らなければ活用できない、生命の樹を上ろうとしても死の樹を知らなければ思いつきで終わる。

 活用できず思いつきで終わると、サタンに付込まれて堕落。

神を知るつもりで悪魔(akuma)研究をしている人の多くが、いつの間にかサタン崇拝の過ちに陥っています。

悪魔(akuma)とサタンをまったくの別の存在としてこそ、神を知るための悪魔(akuma)研究の出発点に立てるのですね。

 ミトラス教は裁きの神の教えであったことは、考えていいかもしれないですね。

悪魔(akuma)は、裁きの神ですからね。

 そういえば悪魔(akuma)には知識の神という、側面があったのね。

そのために、神知学の中でミトラス教は大きな位置を占めているのかも。

裁きの神である悪魔(akuma)は、神の知識に精通した存在として、死の樹である知識の樹の管理者でもあったからです。

裁きの神=悪魔(akuma)であるために、悪魔(akuma)=サタンの俗説から、ミトラス教に対して、ヤハウェの興したものではなく、サタンの働きによって生まれた古代宗教との解釈も生まれたのかも。

 ここで神を見失うと、キリスト教がサタンにのっとられてしまうでしょうね。

ミトラス教を、誤解から解き放つ必要があるかも。

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パスタこそ麺文化の原点?

イタリア料理の主要な要素のひとつであるパスタ(pasta)は日本語の「麺」にほぼ相似イタリア語で、スパゲッティ、ペンネ、ラザニアなどを含むのです。

イタリア語のpasta は、俗ラテン語の生地、練りものを意味する pastaに由来するのです。

 中国語や日本語の麺は、俗ラテン語のpastaから転化したのかしら。

古代中国の発音と、比べたら面白いかも。

俗ラテン語の生地、練りものを意味するpastaから、イタリア語 pasticceria(パスティッチェーリア)のほか、英語のpaste(ペースト)や英語のpastry(ペーストリー)、フランス語のpâté(パテ)やpâtisserie(パティスリー)、などの語がうまれたのです。

イタリアのパスタは、豊富な種類をもつ中国の麺に比べても実に多彩です。

この事実は、パスタや麺の起源が地中海世界にあることを物語っているように見えるのです。

イタリア料理の主食の一つであるパスタは、小麦粉などを主体とした練り物である生パスタ、およびそれを乾燥した製品である乾燥パスタを指す言葉です。

「食用の pasta 」を意味するパスタ・アリメンターレ(pasta alimentare)と呼ぶこともあるのです。

日本語の「麺」に近い用法だが、細長い形状にこだわらない点が異なるのです。

饂飩や蕎麦、ラーメン、餃子とその皮やそばがきも、「日本の pasta 」ということになるからです。

 そばがきはイタリア人から見れば、生地、練りものを意味する俗ラテン語のpastaそのものですもの。

 そういえば、日本には顔立ちや体格・体型がイタリア人に近い人が多いように感じます。

 イタリアと日本は、食文化の好みも近いし、国土の姿や気候風土も似てますね。

日本は、饂飩に加えて蕎麦の文化も作り上げたのです。

 蕎麦は、穀物のソバの実を原料として加工した日本の麺類の一種で、それを用いた料理を含めた呼び名でもあるのね。

蕎麦切り、日本蕎麦とも呼ばれ、歴史は古く、うどんや寿司、天麩羅と並ぶ代表的な日本料理ですね。

 ソバの実を原料としたパスタは、そういえばあまり聞きませんね。

少数だが、ソバの実を用いたパスタもあるのですよ。

多彩なパスタの世界を見てみたいです。

ロングパスタ

スパゲッティ Spaghetti - 断面は円、太さは様々だが、2.0mm弱。

スパゲッティーニ Spaghettini - 細長い、日本では一般的なパスタ、断面は円、1.6mm~1.7mmと太さの種類がある。
名称はスパゲッティの指小形で、「より細いスパゲッティ」という意味。

フェデリーニ fedelini - 細めのスパゲッティで1.4mm~1.5mm。

ヴェルミチェッリ Vermicelli - 名称はミミズやヒルのような長い虫という意味の「ヴェルメ」(verme)の指小形で「小さいヴェルメ」の意。
極細のスパゲッティで、1.2mm未満。ナポリでは、スパゲッティやスパゲッティーニはヴェルミチェッリと呼ばれることの方が多い。
英語読みの「ヴァーミセリ」としても知られ、主にスープに使われる。

リングイネ Linguine - スパゲッティよりやや太く、断面は楕円形。

スパゲッティやスパゲッティーニ、フェデリーニ 、ヴェルミチェッリ、リングイネは、どことなく日本の饂飩に通じる食感があるのです。

 そういえば、饂飩に焼き饂飩があり、スパゲティで焼きそば風の料理作った人いるのね。

 饂飩にも、蕎麦に近い細さのものがあるし。

カペッリーニ Capellini - 最も細いスパゲッティで、「天使の髪の毛」を意味するカペッリーニ・ダンジェロ(Capellini d'Angelo)の別名がある。
スープや冷製に用いる。

スープや冷製に用いるカペッリーニの食べ方は、細さから言っても素麺に近いですね。

タリアテッレ Tagliatelle - 卵を入れた練り粉をのばして、幅7~8mmに細長く切り分けたパスタ。
地域によりフェットゥッチーネ(Fettuccine)ともいい、乾燥パスタもある。

タリアテッレは、食べ方や製法を除けば主に冷製に用いる冷麦が連想できます。

ピッツォッケリ Pizzoccheri - 蕎麦を主体とした練り粉を薄く伸ばし、きしめん状に切り分けた手打ちパスタ。

パッパルデッレ Pappardelle - 薄い板状にのばした手打ちパスタを20~30mmの幅に切り分けたリボン状のパスタ。

パッパルデッレなどは、見た目も食感もきしめんそっくりかもです。

ブカティーニ Bucatini - スパゲッティとマカロニの中間の太さの孔の開いているパスタ。

キタッラ - 断面の四角いアブルッツォ州の郷土料理、琴のような道具キタッラで作る。

ビーゴリ Bigoli - 独特の歯ごたえがある、形、色ともに日本の蕎麦に似たヴェネト地方のパスタ。

パッサテッリ Passatelli - パン粉とチーズ、ナツメグを混ぜ合わせて生地にし、専用の押し出す道具で太い短めのスパゲッティ状に成形したもの。

ストロンカテッリ Stroncatelli - スパゲッティ状のマルケ州アンコーナ地方の手打ち生パスタ。

タリオリーニ Tagliolini - 卵入りの練り粉をのばして、幅1~2mmに細長く切り分けた蕎麦状のパスタ。
ピエモンテ州で人気のパスタで、同州ではピエモンテ語のタヤリン(Tajarin)として知られる。
タヤリンは一般的なタリオリーニよりほんの少し細めの場合が多い。

トレネッテ Trenette - 幅3~4mm、厚さ1~2mmの断面が長方形のリグーリア州のパスタ。

ショートパスタ

マッケローネ Maccherone - マカロニ。

ペンネ Penne - ペン先のように斜めに切られた筒状のパスタ。
表面に波状の筋が入ったものはペンネ・リガーテ Penne rigateとなる。

ペンネッテ Pennette - 小型のペンネ。

リガトーニ Rigatoni - 外側に波状の筋が入った、太めのショートパスタ。

ファルファッレ Farfalle - イタリア語で「蝶」の意味、蝶の形をしたパスタ。

コンキリエ Conchiglie - イタリア語で「貝」の意味、貝殻のように小さく巻いたパスタ。

コンキリエッテ Conchigliette - 小型のコンキリエ。

エリーケ(フジッリ)Fusilli -螺旋(らせん)状のショートパスタ。

ルオーテ Ruote -車輪のような形をしたパスタで、中国では、この変型として、内側を「福」や「壽」などの漢字に変えた物が作られている。
日本では、ハローキティなどのキャラクターマカロニとして市販されている。

オレッキエッテ Orecchiette - 「小さな耳」を意味し、プッリャ州で作られる。

ガルガネッリ Garganelli - ロマーニャ地方産の手打ちマカロニ

ガッセ Gasse - 十文字に結んで結び目を作り、両端を密着させたリグーリア地方のパスタ。

ステッリーネ Stelline - 星形をしたパスタ。

ツィーテ Zite - マカロニより太い管状のパスタ。

その他

ラビオリ Ravioli - 詰め物入りのパスタで2枚で閉じている。
ピエモンテ地方には、デル・プリン(Del Plin)と呼ばれる、独特の食感のラビオリもある。

トルテッリ Tortelli - 詰め物入りのパスタ。

トルテッリーニ Tortellini - 小型のトルテッリで、正方形の生地で詰め物を包み、三角形になるように二つに折り、両端を合わせて指輪状にして留める。
詰め物は挽肉やリコッタチーズであることが多い。

アノリーニ Anolini - イタリア北部エミリア=ロマーニャ州の詰め物入り小形パスタ

カルツォニッキ Calzonicchi - 炒めた脳と卵のペーストを詰め、三角形にかたどったローマ地方のパスタ。

カソンセイ Casonsei - 方形状の詰め物入りパスタ。

チャルツォンス Cialzons - イタリア北部、山岳地方のホウレンソウ、干しブドウ、卵のペーストを詰めたパスタ。

ラピオリ、トルッテリ、トルテッリーニ、カルツォニッキ、カソンセイ、チャルツォンスは、どことなくワンタンや餃子などを連想させられます。
日本では焼くのが一般的な餃子も、本来中国では水餃子です。

パンツェロッティ Panzerotti - 詰め物をした半月状のパスタで、揚げて食す。

パンツェロッティは、揚げ餃子を連想できます。
餃子を揚げたり焼いたりする起源は、パンツェロッティかも知れないです。

カンネッローニ Cannelloni - 詰め物を筒型に巻いたパスタ。

カンネッローニ は、春巻きの原型のように見えるのです。

ニョッキ Gnocchi - 潰したジャガイモ、法蓮草、リコッタチーズ、南瓜などを混ぜて作られるダンプリング(団子)状のパスタ。

ラザーニェ Lasagne - 縁が波打った板状のパスタ。

クスクス Couscous/イタリア語: Cuscus - デュラムセモリナ粉に水をふりかけて粟粒大に丸めたもの。
米国以外では、パスタとして扱わない。
起源は北アフリカで、ベルベル人の伝統料理とされ、モロッコ料理などで用いられる。
イタリアではシチリア、サルデーニャ、リヴォルノで作られる。

リゾーニ Risoni - 米粒状のパスタ

クリンジョネス Culingiones - サルデーニャ地方のラビオリ。

マルタリアーティ Maltagliati - 変則の梯形状に切った細長い手打ちパスタ。

パスタ・ミスタ pasta mista - 「混ぜたパスタ」の意で、「パスタ・ミスキアータ」 (pasta mischiata) とも呼ばれる、形や大きさの異なるパスタを取り混ぜたもの。
主な用途は、パスタを使ったスープの一種のミネストラ( minestra)である。
少量残ったパスタは、欠けたり折れたりしたパスタと混ぜて「ミヌッツァリア」 (minuzzaglia) または「ムンネッツァリア」 (munnezzaglia) と呼び、安い値段で売った。
パスタは食料品店で量り売りされ、包装されたパスタが広く市販されるのは第一次世界大戦後のこと。
現在では、パスタ・ミスタという名称で、箱入りや袋入りの混合パスタが市販されている。

詳しく触れきらなかったけれど、中国はもちろん日本でも地域に入っていけば、このパスタによく似ていると言う麺は、まだまだあるかも。

 パスタや麺の文化は、ヨーロッパよりむしろアジアで多彩に展開していきますね。

パスタや麺を周辺の文化とともに、地中海世界からアジアを横断し日本に向かって運んできた人々の存在を考える必要があるかも。

追記

「小さな耳」を意味するオレッキエッテという ショートパスタで、後から気づいたことです。

よく似た中華料理に使われる麺類の一種に、猫耳(マオアール)があります。

中国では猫耳朶あるいは猫耳朵と書き、古くは圪坨儿とも呼んだそうです。

麺の各片が猫の耳に似た形をしているので、この名がついたのです。

発祥の地は、晋語圏といわれる山西省をはじめとした中国の北方地区です。

圪坨儿の名は、山西省をはじめとした中国の北方地区の地域で呼ばれていたといいます。

猫耳朵と呼ぶようになったの近年だとか。

浙江省杭州の浙江料理でも、猫耳朶同じような麺が用いられるようです。

作り方は、小麦粉を水で練った生地を、小さく切り、一個ずつ手の親指でつぶして成形する。

指でつぶす時に、ただ垂直に押すのではなく、指を横に滑らせ生地を転がすようにして押すことで、猫の耳のように丸まった独特の形状に仕上がる。

一片の麺の大きさは、名前とは異なって親指の先程度の小さいものである。

出来上がった麺は、茹でてから、野菜と炒め合わせたり、スープの具にしたりする。

面白いのは、みみと呼ばれる小麦粉を原料とした郷土食が、日本の山梨県鰍沢町にあることです。

名前が「耳」に由来すると言う説があります。

地中海から中国、日本の麺の道は、こんなところからも見えるのですね。

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