多賀神社とエジプト?
多賀大社は、伊邪那岐命(イザナギ)・伊邪那美命(イザナミ)の2柱を祀り、古くから「お多賀さん」として親しまれてきたのです。
滋賀県犬上郡多賀町多賀にある神社でしょ。
和銅5年(西暦712年)編纂の『古事記』に「伊邪那岐大神は淡海の多賀に坐すなり」とあるのが、多賀大社のことです。
なお、『日本書紀』においては「構幽宮於淡路之洲」、すなわち「幽宮(かくれみや)を淡路の洲(くに)に構(つく)りて」との記述があり、淡路島に「幽宮」を構えたとされています。
室町時代中期の明応3年(1494年)には、神仏習合が推し進められ、当社には神宮寺として天台宗の不動院が建立されたのです。
神宮寺配下の坊人は全国にお札を配って信仰を広め、当社は中世から近世にかけて伊勢・熊野とともに庶民の参詣で大いに賑わったのです。
「お伊勢参らばお多賀へ参れお伊勢お多賀の子でござる」「お伊勢七度熊野へ三度お多賀さまへは月参り」との俗謡もあります。
ここに見る「お多賀の子」とは、伊勢神宮祭神である天照大神が伊邪那岐命・伊邪那美命両神の御子である神話体系を歌詞に映したものです。
なお、社に残る垂迹曼荼羅(すいじゃくまんだら)は坊人が神徳を説くのに用いたものであり、これを掲げて神徳を説きながら諸国を巡行し、拝礼させたと考えられるのです。
神仏習合の中世期には、「多賀大明神」として信仰を集めたのです。
お多賀さんは、特に長寿祈願の神として信仰されてきたのです。
多賀社隆盛の理由としては、近江国が交通の結節点であったことも挙げるべきでしょうね。
式内社で、旧社格は官幣大社、現在は神社本庁の別表神社です。
藤原忠平らによって延長5年(927年)に編まれた『延喜式神名帳』では、多賀大社は「近江国犬上郡多何神社二座」と記載されています。
「二座」とあることから、この時代にはすでに伊邪那岐命・伊邪那美命2柱が祀られていたことが分かるのです。
なお、境内社つまり摂社である日向神社は延喜式内社であり、瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)を、同じ摂社の山田神社は猿田彦大神を祀るのです。
多賀胡宮とも呼ばれ多賀社の別宮として信仰を集める胡宮(このみや)神社は、伊邪那岐命・伊邪那美命・事勝国勝長狭(コトカツクニカツナガサノミコト)の3柱を祀り、多賀社の南方2キロメートルにある小高い丘の神体山に鎮座し、授子・授産、鎮火の神として崇敬されるのです。
多賀大社では、「お多賀杓子(おたがじゃくし)」と称し、お守りとして杓子(しゃもじ)を授ける慣わしがあります。
「お多賀杓子」は、「お玉杓子(おたまじゃくし)」の名の由来とされています。
お守りとして杓子を授けるというのは、多賀社の別宮で多賀胡宮とも呼ばれる胡宮神社が授子・授産、鎮火の神として崇敬されていることと、関連ありそうね。
授子・授産は、伊邪那岐命・伊邪那美命が日本最古の夫婦神であり、また、伊邪那美命の言葉「お前の国の人間を1日1000人殺してやる」に「それならば私は、1日1500の産屋を建てよう」と伊邪那岐命が言い返していることを指すのでしょうね。
鎮火は、伊邪那美命が、火の神であるカグツチを産んだために陰部に火傷を負って亡くなると、伊邪那岐命がカグツチを殺したことに対応しているのかも。
多賀大社は、『古事記』以前の時代については、一帯を支配していた豪族・犬上君の祖神を祀っていたのではないかとの説があります。
犬上氏の犬上君は、多賀社が属す多賀町を含む地域名「犬上郡」の名祖でもあり、第五回遣隋使・第一回遣唐大使で知られる犬上御田鍬(いぬかみのみたすき)を輩出している古来の豪族です。
犬上氏あるいは犬上君は、日本武尊の子・稲依別王の後裔とされる近江国犬上郡発祥の豪族です。
付近に渡来人集団が多く居住していたことから、犬上君自体も天日槍(アメノヒボコ)らと同じく渡来系氏族であるとの説もあるほど中国大陸や朝鮮半島の文化に親しい一族です。
天日槍は天之日矛とも記される、『古事記』、『日本書紀』に見える新羅の王子です。
多賀胡宮とも呼ばれる胡宮神社の「胡」とは、漢民族が、中国の北部や西部の異民族とくに遊牧民族を呼んだ言葉です。
また「胡瓜」のように、これらの異民族由来のものである事を示す用法もあります。
「胡」のもともとの意味は、「あごひげ」が長い人です。
「胡」宮神社とは、中国の北部や西部の異民族とくに遊牧民族の「あごひげ」が長い人を神と祀る神社だと、自らを名乗ることになるのでしょうね。
中国の西部の異民族で「あごひげ」が長い人を神と祀る施設があった国、エジプト以外あるでしょうかね。
古代エジプトと日本は、太陽神を中心とする三神が動物神を含む八百万の神を従わせる構図を共有してるでしょ。
神道の神社と、古代エジプトの神殿とは、構造も似てるのでしょうね。
しかも、日本はチベットと共に古代中東の遺伝子が多く伝わっている。
「お伊勢参らばお多賀へ参れお伊勢お多賀の子でござる」「お伊勢七度熊野へ三度お多賀さまへは月参り」との俗謡にあるように、多賀大社は伊勢の神宮と深く関わる神社です。
伊勢神宮は今でこそいくらか高台にあるが、その最後にたどり着いた場所は、よりによって水害の避けられないはずの五十鈴川の中といってもいいくらい低い土地だったのです。
わたしは、「川を蛇に見立てた」 としか理由は思いつかないです。
蛇は、脱皮を繰り返すことから、滅びと再生を繰り返す神とされるのです。
水害を受けることを承知の上の、五十鈴川の中島という立地。
これは、太陽神とされる天照大御神に日没と日の出という、滅びと復活があるといってるのと、大して違いないです。
これは、古代エジプトの、滅びと再生を繰り返す太陽神と、そっくりです。
実は、女神とされる天照大御神はもともと、男神の天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊なのです。
しかも、古代エジプトでは太陽神は夜な夜な大蛇に飲まれ、朝になると復活してくるという展開の神話もあります。
また、川と女神といえば、ホルス神の母であり、オシリス神の妻であるイシス女神に捧げられた神殿が、まさにナイル川の川中島に造営されているのです。
その、イシス神殿は、アスワンダムの建設の際、フィラエ島にあったイシス神殿は湖底に沈むため、1972年から1980年にかけて隣のアギルキア島に移築されたのです。
このオシリス神もまた、滅びと復活にかかわる神です。
多賀大社は、『古事記』以前の時代に一帯を支配していた豪族・犬上君の祖神を祀っていたのではないかと見られているのも興味深いです。
犬神は、古代エジプトでは冥府の神アヌビスを思い起すね。
そうなると、多賀(タガ)はアジア大陸で蛇を指す「ナーガ」の転化かも知れないですよ。
ありえますね。
古代エジプトと日本は、蛇神崇拝を共有してるからです。
気になるのは、中国の北部や西部の異民族とくに遊牧民族となったらシルクロードなのですよ。
シルクロードに沿って、イスラエル十支族の末裔が分布している以上、日本に来ていると見る方が自然。
神道の神社は、古代エジプトの神殿とだけでなく、ユダヤ教神殿とも構造が似てるのでしょうね。
しかも日本は、旧約時代のイスラエルに似た民俗や風習がいくつもあると言われるのです。
少なくとも伊邪那岐命(イザナギ)・伊邪那美命(イザナミ)のナギやナミに、アジア大陸で蛇を指す「ナーガ」の転化と見る説が出ていることは事実です。
人面蛇身の女媧(ジョカ)と伏羲(フクギ)が伊邪那岐命(イザナギ)・伊邪那美命(イザナミ)の原型としたら、犬上氏渡来人説に有利になるのだけは、確かでしょうね。
日本とエジプトと言えば、味や食感の好みも似ているのですよね。
エジプト人は、モロヘイヤが大好きです。
モロヘイヤを、専用の道具で粘り気がたっぷり出るまで押しつぶすのです。
粘りがたっぷりのモロヘイヤのスープは、飲んでも良いけど、ご飯にかけるのもおいしいと、好評です。
色と味は違っても、食感はまさに、とろろご飯です。
日本人が好きな卵かけご飯、エジプト人も好きか、機会があったら訊いてみたいですね。
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コメント
多賀大社からさらに北の湖北地方に「天野川」という川が流れています。
この川は別名「息長川」とも呼ばれているのですが、
もし息長川の「長」が「ナーガ」だったとしたら面白いですね。
天の川の織姫とナーガには、雨乞いなどの水の神としての共通点もあります。
ちなみに、私の地元ではナーガは「八大龍王」として祀られています。
あと、多賀大社についてですが、このような歌があります。
参考までに…
「み熊野の 山より来てや 先食の 烏は多賀の 森にすむらむ」
先食烏
http://dada-journal.net/yokai/articles/241/
投稿: かわた | 2011年10月 5日 (水) 20時29分
面白い情報、ありがとうございます。
「み熊野の 山より来てや 先食の 烏は多賀の 森にすむらむ」の歌、神武を導いた鳥を連想できますね。
熊野が神域とされたことと合わせると、なにかありそうです。
それと、「長」が「ナーガ」、語源の可能性は十分あり得ますね。
投稿: cova | 2011年10月 7日 (金) 22時07分