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納豆。

納豆は、大豆を納豆菌によって発酵させた日本の食品です。

 納豆は、栄養面でも注目されているようね。

総務省統計局の全国物価統計調査の調査品目にも、採用されています。

血液凝固因子を作るのに不可欠なビタミンKや大豆由来のタンパク質も豊富であり、現在でも重要なタンパク質源となっています。

食物繊維は、100グラム中に4.9~7.6グラムと豊富に含まれます。

食物繊維はオリゴ糖等と共にプレバイオティクスと呼ばれる腸内環境に有用な成分であり、納豆菌はプロバイオティクスと呼ばれ、これも腸内環境に有用と考えられています。

O157を抗菌することがわかっています。

納豆には血栓を溶かす酵素が含まれており、納豆から単離したナットウキナーゼを経口投与したイヌで血栓の溶解が観察されたという報告があります。

納豆をかき回して食するのは、納豆のねばりの中にあるグルテンの構造が一定の方向になると美味しく感じるという経験を持つことによります。

途中から逆方向にまぜるとこの構造が壊れて味が損なわれます。

納豆に含まれるビタミンK2は骨たんぱく質の働きや骨形成を促進することから、ビタミンK2を多く含む納豆が、特定保健用食品として許可されています。

また、ポリグルタミン酸にはカルシウムの吸収促進効果があるため、納豆から抽出されたポリグルタミン酸が特定保健用食品特として許可されています。

納豆菌の一部には、安定した芽胞のまま腸内まで生きて到達してビフィズス菌を増やし腸内環境を正常化する効果があることから、そのような効果を持つ納豆が特定保健用食品として認可されています。

 結構なことが多いね。

ビタミンK2は抗凝血薬(ワルファリン)の作用を弱めることから、ワルファリンの服用中は、納豆は避けるべきとされているなど注意点もありますけど。

 「納豆(なっとう)」は、「納豆(のうとう)」の転化でしょうね。

古代から中世の日本語は、発音のあいまいなウ+ア行の二重母音の言葉であったと考えられます。

やがて発音の明瞭化していく過程で、「納豆(なっとう)」に転化した可能性はありますね。

大豆を原料とした発酵食品であり、特有の臭いを持ちます。

日本全国の食品売り場で容易に手に入れることができ、現在多くの日本人に食べられています。

 茨城県を中心とした関東地方では、郷土料理としても親しまれているね。

「納豆」という語句の確認できる最古の書物は、11世紀半ば頃に藤原明衡によって書かれた『新猿楽記』だそうです。

同作中に「腐水葱香疾大根舂塩辛納豆」という記述があり、平安時代には納豆という言葉が既に存在していたことが確認できるといいます。

この記述の納豆には、「舂塩辛」「納豆」、「舂塩」「辛納豆」、「大根舂」「塩辛納豆」など諸説あります。

「辛納豆=唐納豆」など、本来の意味の納豆、つまり現在の「塩辛納豆」を指すものであろうという意見が多いです。

なお、「塩豉」のほかに「淡豉」という名のものがあったらしいが、これは平安時代以降姿を消しています。

 現在では、「納豆」といえば納豆菌を発酵させたいわゆる糸引納豆を指すのが一般的ですね。

糸引納豆が登場したのは、中世以降のことです。

平安時代には、「納豆」という名でも呼ばれるようになりました。

それ以前の定義では、「納豆」とは麹菌を使って発酵させたのち乾燥・熟成させたもの、寺納豆とも呼ばれるいわゆる塩辛納豆のことです。

なお、塩辛納豆もしくは寺納豆・浜納豆とは、現在一般的な糸引納豆との区別をつける為の便宜上の名称です。

塩辛納豆は、風味としては味噌やひしおに近いです。

塩辛納豆は古い漢語では豉(し)と呼ばれ、中国では紀元前2世紀頃の遺跡からも出土があり、今なお豆豉(トウチ)と呼ばれ、中華料理の重要な調味料です。

 つまり、納豆は魚醤と起源を共有する食品ね。

アジアでも、納豆類似の食品がありますよ。

ヒマラヤ麓のネパールなど南アジア、中国雲南省からベトナムをはじめとする東南アジアにかけた地域です。

タイやラオスでは、トゥア・ナオという食品があります。

朝鮮半島でも、清麹醤が作られています。

インドネシアなど東南アジア諸国にも、大豆などをテンペ菌で発酵させる醗酵食品テンペがあります。

 みな、日本人の先祖がやってきたと見られている国や地域ねえ。

納豆類似の食品の起源は、さらに西方へ遡れるとみている人もいますよ。

 そういえば、ケチャップと醤油を比べたこともありましたよね。

 エジプトやイタリアやギリシャなどの、地中海の国々も日本との類似がいくつもありましたね。

日本人自体、古代中東の遺伝子が多く残っていることがわかっていますよ。

日本では奈良時代頃には醤(ひしお)の一種として伝来したのではないかとされ、古い史料では「久喜」(くき)の名で言及されています。

 あるいは、魚介の塩辛と同じ起源を考えて良いでしょうね。

塩蔵品としてのアンチョビは、三枚に下ろして内臓を取り除いた小魚を塩漬けにして、冷暗所で熟成及び発酵させたものです。

オリーブオイルを加え、缶詰や瓶詰にするもので、主にイタリアやスペイン、モロッコで生産されていますね。

 イタリアは、日本の食材と似たものが多いよね。

ええ。

塩辛納豆も、魚介の塩辛も塩漬けされた食材が、麹菌によって発酵して生まれた食品と言う共通点がありますね。

本来好気性である麹菌が、空気から遮断された嫌気性の環境におかれることで塩漬けされた食材を発酵させました。

室町時代頃になると、日本独自の食品として登場した糸引納豆が広く知られるところとなり、やがて製法の簡単さなどから塩辛納豆よりも多く作られ、日常食として消費されるようになるとともに、「納豆」という言葉もまず糸引納豆を意味するように変化していったとされます。

同じ頃、北宋・南宋に渡航した僧たちが塩辛納豆を持ち帰り、再度国内に紹介しました。

寺院内でも盛んに生産したことから、これらは寺納豆とも呼ばれるようになりました。

こうした伝統を持つものが今でも大徳寺納豆で知られる京都の大徳寺や、天竜寺、一休寺や浜松の大福寺などで作り続けられており、名物として親しまれています。

納豆誕生自体は、原料から推測するに、日本で大豆や米が食されるようになってから以降であると思われます。

 日本の大豆栽培が、どこまで遡るかよね。

米は、縄文時代には乾田栽培してました。

当然、米から酒を造ってしましたよね。

 魚醤も古くから、作っていたかもしれないとすると、はじめに意図して作ったのは麹菌を使って発酵させたのち乾燥・熟成させたものだったと見る方が自然ね。

一方、糸引き納豆は食用に保存するために加熱処理した大豆を藁苞で包んで保存していたら偶然出来たのかも。

現在の主流の納豆、つまり糸引き納豆は、「煮豆」と「藁」の菌がたまたま作用し、偶然に糸引き納豆が出来たと考えられています。

弥生時代の住居には、藁が敷き詰められていたし、また炉がある為に温度と湿度が菌繁殖に適した温度になったと見られています。

ほかにも、起源や時代背景については様々な説があり定かではないです。

そのため、意識して作られるようになったのが遅れたのかも。

 豆の腐った物と見られて、始めは省みられなかったかも。

確かに糸引き納豆に対する外国人の第一印象は、腐った豆ですからね。

しかし、いったん意図して作られるようになると、製法の簡単な糸引き納豆は一気に普及したのかも。

糸引き納豆の一種であるひきわり納豆は、秋田県など北東北で古くから作られていたからです。

普通の納豆より発酵が早く、消化が良いとされます。

 古くからって、何時頃でしょう。

わかっていないところを見ると、少なくても弥生時代まで行くかもしれないですね。

ひきわり納豆、碾き割り、即ち砕いた大豆を発酵させることによって作られます。

ひきわり納豆に対し、通常の割っていない大豆を使った納豆は「粒納豆」と呼ばれます。

 糸引き納豆が、もし弥生時代に遡るとしたら、なぜ中世以降に一般的になったかしらね。

中世は武士の台頭した時期であり、関東の鎌倉幕府成立をひとつの区切りとみれば、説明ができるかも。

 鎌倉幕府の実行支配する地域の拡大とともに、糸引き納豆は広まったのかしら。

茨城県特産に、干し納豆があります。

元来は保存食だったとされるが、現在は納豆の入手できない日本国外へ旅行に行く際に持っていく場合があるといいます。

納豆を天日干しすることにより長期保存可能にしたものです。

なお納豆を乾燥させても、納豆菌は死滅しません。

食べ方としてはそのまま食べるほか、湯につけて戻す、お茶漬けにするなどがあります。

 干し納豆であれば、確かに各地に広げるのは楽ね。

納豆は、戦国時代において、武将の蛋白源やスタミナ源ともなっていました。

干し納豆に近いものに、揚げ納豆があります。

これは納豆を油で揚げ、粘り気を取り去ったものです。

納豆を良くかき混ぜると、たっぷり引いた糸で箸を動かしにくくなるくらい硬くなります。

それを揚げる訳です。

納豆独特の臭いも、目立たないです。

そのまま酒のつまみとして食べる事が多いです。

しょうゆ・塩・梅・一味唐辛子などの味が、つけられています。

日本航空の国際線機内でも、酒肴として提供されています。

おそらく、東日本から広まったのだろうけど、何時頃からあるのかはわからないです。

ついでにいうと、茨城県特産におぼろ納豆、しょぼろ納豆とも呼ぶそぼろ納豆があります。

納豆に刻んだ切り干し大根を混ぜ込み、醤油等の調味料で味をつけたものです。

そのまま酒のつまみとして食べたり、ご飯にかけて食べたりします。

江戸時代には商品として出回るようになり、京都や江戸において「納豆売り」が毎朝納豆を売り歩いていました。

戦時中は軍用食として、戦後は日本人を救う栄養食として食べられ、日本に納豆が普及していったです。

納豆には、大豆の粒の大小による区別もあり、概して東北地方は大粒が目立つ傾向があります。

また、山形県酒田市の塩納豆、熊本県の金山寺納豆などローカル色に富んだ納豆もあります。

消費量は、特に北関東から南東北にかけて多いです。

生産量日本一は茨城県、消費量日本一は福島県で、消費量最下位は和歌山県です。

様々な種類が存在するが、現在一般的には糸引き納豆の事を指します。

納豆発祥伝承は、日本各地にあります。

糸引き納豆の一種であるひきわり納豆は、秋田県など北東北で古くから作られていたことから、秋田県横手市の金沢公園に「納豆発祥の地」の碑があります。

 秋田音頭に能代市桧山地区の「桧山納豆」が、秋田名物の一つとして謳われているね。

冬の保存食にしょうとして乾かして藁苞に入れていた大豆の煮豆が、竈などの熱で発酵したがもったいないので食べたら美味かったのが始まりだったというのは可能性としては十分あるかも。

伝統的な納豆の作り方は、蒸した大豆を稲の藁で包み、40度程度に保温し約1日ほど置いておくのです。

稲藁に付着している納豆菌が大豆に移行し、増殖することによって発酵が起こり、納豆ができあがるのです。

秋田などの雪国では、すぐ取りにいけるよう調理場所の傍で保存されていただろうから、発酵に必要な温度まで熱せられる条件はあったと考えられます。

 でも、7月10日は「納豆の日」とされているね。

これは1981年、関西での納豆消費拡大のため、関西納豆工業協同組合がなっ(7)とう(10)の語呂合わせで制定したものです。

1992年、全国納豆工業協同組合連合会が改めて「納豆の日」として制定しました。

しかし「納豆」「納豆汁」などが冬の季語である事や、「納豆時に医者要らず」という諺があったように、元々納豆の時期は冬とされています。

 けど、秋田美人の顔と古代ギリシャのミロのビーナスの顔の類似を思い出すと、納豆秋田起源説はかなり有力かも。

裏を取れる情報が欲しいですね。

 でも、ひきわり納豆の歴史の古さを考えると、最有力だと思えるけど。

茨城県水戸市は、明治以降、鉄道の水戸線の開通に伴い、土産品として売られたのをきっかけに、産地としてもっとも知られています。

 天狗納豆が、発祥とされるとか。

今では毎年水戸の日の3月10日に、「納豆早食い大会」が開催されていますね。

九州では熊本県で、例外的に古くから普及しています。

熊本には全国規模の納豆製造会社である丸美屋があり、スーパーマーケットで普通に売られていて、消費量も多いです。

製法や菌の改良などで匂いを少なくしたり、含まれる成分の内「ナットウキナーゼ」の健康増進効果がテレビなどのメディアで伝えられるようになり、この40年間を見ても一番少ない近畿中国四国と、福島水戸など一番多い地域との差など国内各地域での消費量の差は大きく縮まっているようですね。

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