« 「情けは人のためならず」を考えてみました。 | トップページ | 電磁相互作用、弱い相互作用、強い相互作用、重力相互作用の統一とフラクタル?重力と電磁力?その4 »

狸囃子は猫踊り?狸囃子 その2

関東には、出雲国の杵築大社から勧請されたことで知られる氷川神社は、たくさんあるのです。

例えば、「猫じゃ猫じゃ」の起源譚の一つが伝わる大悲山広徳院長谷寺の近くにある戸田神社は、他田日奉部と関係する久都伎直日奉真人(くづきのあたいひまつりのまひと)が、出雲国の杵築大社を勧請したものだそうです。

 出雲国の杵築大社、今の出雲大社でしょ。

 主たる祭神は、大国主命でしょうかね。

そうかも。

 関東の杵築大社から勧請された神社は、探せば、まだまだあるかしら。

気になりますね。

関東と出雲、伊豆と出雲は訛りも似ていれば、地名も似ているでしょ。

そして、八幡のつく地名や神社が、どちらにもあるのです。

気になるのは秦氏です。

 八幡神社は、秦氏ゆかりの神社だったでしょ。

狸囃子伝承が残る證誠寺の木更津市にも、地名の八幡や、八剱八幡神社があるのです。

證誠寺の狸囃子は、目出度し目出度しの結末となった長谷寺の猫の馬鹿踊り伝承と異なり、実はちょっと悲しい結末となっていますよ。

證誠寺の狸囃子伝説は、いつ頃成立したのかは不明です。

 『群馬県館林市の分福茶釜』や愛媛県松山市『八百八狸物語』と並び、日本三大狸伝説の1つとされているでしょ。

「秋の夜に和尚と何十匹もの狸が寺の庭で囃子合戦をした挙句、夜が明けたら腹鼓で調子を取っていた大狸が腹を破いて死んでいた」という面白くも悲しい物語です。

證誠寺の境内には、この物語の結末で腹を破って死んでしまった大狸の供養のために作られたという狸塚があるのですよ。

 1924年つまり大正13年に発表された童謡『証城寺の狸囃子』は、この伝説を元に詩人の野口雨情が作詞、中山晋平が作曲したのだったのよね。

その昔、證誠寺の辺りは「鈴森」と呼ばれていたのです。

そこは竹やぶが鬱蒼と生い茂り、昼でも薄暗く薄気味悪い場所であったといいます。

また、この辺りには夜になると一つ目小僧やろくろ首などの物怪が現れると噂されていたのです。

そんな證誠寺に、ある日新しく1人の和尚がやって来たのです。

その晩から寺の周囲には噂通りに一つ目小僧やらろくろ首やら物怪が現れるのだが、和尚はそれを見ても全く驚かなかったのです。

実はこの物怪達の正体は、この森を住処とする狸たちであったのです。

彼らは、一つ目小僧やろくろ首に化けては訪れる人間たちを驚かして楽しんでいたのです。

ところが新しくやってきた和尚は全く驚きもせず平然としているので、狸たちのしゃくに障ったのです。

そこで、親分格の大狸は「ぜひとも和尚さんを驚かせてやろう」とある事を思いついたのでした。

ある秋の晩の事、何者かが寺の庭で大騒ぎしているでしょ。

寝ていた和尚は目を覚まし外の様子に耳を凝らしてみると、それはお囃子のようだったのです。

不思議に思いこっそり庭を覗くと庭の真ん中では大狸が腹を叩いてポンポコと調子を取り、それを囲むように何十匹もの狸が楽しそうに唄い踊っていたのです。

その様子を見ていた和尚もつい楽しくなってしまい、自慢の三味線を持って思わず庭に出てしまったのです。

そんな和尚を見て狸たちは「まだ驚かないのか!?」とばかりに、さらに大きく腹鼓を鳴らすのだったのです。

和尚も負けじ三味線で対抗し、まるで和尚と狸の音楽合戦となってしまったのです。

それから毎晩、和尚と狸たちは唄い踊っていたのだが4日目の晩、狸たちが一向に現れないので和尚が不思議に思っていると翌朝、庭には調子を取っていた大狸が腹を破って死んでいたのです。

不憫に思った和尚は、その大狸を懇ろに弔ってやったのです。

おそらく、この狸はもちろん、大悲山広徳院長谷寺に伝わる「猫じゃ猫じゃ」の起源譚の猫も、禰子が正体であったと私は見たいです。

かつて、狸は獣偏に里と書くことに示されるように、里に出没する小動物の総称だったのです。

猫が狸と呼ばれていた場合は、よくあったようです。

「証(あかし)」の元の字である「證」は、「灯(あかし)」と同語源です。

「灯(あかし)」も元の字は「燈」であったことに示されるように、証とは、「言葉によってある事柄が確かであるよりどころを照らし出して明らかにすること」なのです。

つまり、「証」の一文字で「証明」の意味を持っているのです。

 「証」の一文字に「証拠」の意味があるのも、「証(あかし)」の拠り所が「灯(あかし)」だったからかしら。

おそらくこの「灯(あかし)」とは、燈明だったかも。

「證」が「証」に置き換えられるのは、「登る」ことは「正しい」からで、音が似ているだけではないでしょうね。

もちろん、神南備とされる山に登って神託を戴く意味もあるかもしれないです。

しかし、これが神の言葉に導かれて生命の樹を登ることだとしたらどうでしょ。

證誠寺の辺りは鈴森と呼ばれていた、これは神祀りの鈴の音が聞こえる森だったのかも。

ここで踊っていた狸の正体は、猫=禰子であり、巫女だったのかも。

飛鳥昭雄と三神たけるは、日本の妖怪とはカッバーラの象徴が化けたものだといいます。

證誠寺はカッバーラ寺であり、證誠寺周辺は日本におけるカッバーラ研究の一大中心地の一つであったとしたらどうでしょう。

 じゃあ、證は燈であり、燈はメノラーだった…。

それも、ありえそうですね。

あるとき、證誠寺にカッバーラに精通した僧がきて問答を地元の禰子達と交わし、ついに言い負かしたので禰子の指導者は命を落とした。

そこで勝った僧は、禰子の指導者を懇ろに弔った。

そう解釈したら、どうでしょ。

 三味線は三絃で、この三は三神を表し、皮の猫は実はイエスの隠喩だったのかしら。

 ちょっと、言い過ぎ?

意味は通りますね。

ありえるでしょうね。

この僧の出自も、禰子だったかも。

 そういえば、「證誠(しょうじょう)」は、「猩々(しょうじょう)」に音が通じる。

 猩々は、正体を猿とされるはずなのに、なぜか狸とも混同されますね。

 そして、猿は古代エジプトでは太陽神の崇拝者とされ、狸=猫は禰子であって、神に仕えるもの。

確かに、古来狸とされた生き物の大半は猫であったようです。

猫と猿は、意外と印象が重なるのですよ。

二本足で立ち、顔つきや体つき、さらには表情や仕草の人間臭さまで、似ているのです。

 体のバランスを取る尻尾も細いし、よく動く…。

生態としては、猫は、片手で物を持たないし、二足歩行もしない、枝から枝に飛び移らないし、雑食でもない、などの幾つもの差があるのですけどね。

一方で遠目に見ると、猫と狸は尻尾を除けば非常によく似ているでしょ。

 近くで見ても、狸と似てる猫、いるよね。

猫が、猿と狸を繋ぐ存在であり、狸とされた生き物の大半であったとすれば、実は猩々の正体の一つになっている可能性もあり得るのでしょ。

 猩々=猿=猫=狸の構図で、猩々が狸と混同された。

證誠寺の「誠」は、「うそ偽りのない心」「まごころ」「誠」です。

つまり、證誠とは、「言葉によってある事柄が確かであるよりどころを照らし出して明らかにされたことに、うそ偽りのない心であるまごころで誠をつくす」となります。

 そのまとこをつくす相手は、太陽神で、大日如来とすれば、矛盾ないね。

興味深いことに、関東は秦氏の一大拠点であり、秦氏にはエルサレム教団起源説があり、イエスはカッバーラを明かした人であるという説があるのです。

「猫じゃ猫じゃ」の起源譚の一つが伝わる長谷寺観音堂のある香取市は、八幡は地名ではわからないけど、八幡神社なら複数あるのです。

関東は秦氏の一大勢力地であったことが知られているので、八幡神社があること自体はそれほど不思議ではないです。

 同じ千葉県内に、證誠寺の狸囃子伝説の元ネタとも思える長谷寺の「猫じゃ猫じゃ」発祥伝承があるのは、興味深いね。

面白いことに、出雲には猫が踊る歌が伝わっているでしょ。

出雲童歌とされる、「ネコにゃんにゃん」です。

出雲大社と鹿島神宮は、対をなす神社とみられる構図があります。

 「ネコにゃんにゃん」には、バステトの大祭が重なって見える。

ますます、これは偶然とは見えなくなってきますね。

追記

出雲の童歌「ネコにゃんにゃん」の歌詞はここに収録しています。

この歌についての情報募集中です
http://cova-nekosuki.cocolog-nifty.com/blog/2008/04/post_78ef.html

|

« 「情けは人のためならず」を考えてみました。 | トップページ | 電磁相互作用、弱い相互作用、強い相互作用、重力相互作用の統一とフラクタル?重力と電磁力?その4 »

音楽」カテゴリの記事

歴史」カテゴリの記事

仏教」カテゴリの記事

エジプト」カテゴリの記事

イスラエル・ユダヤ」カテゴリの記事

」カテゴリの記事

生物」カテゴリの記事

生命の樹」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: 狸囃子は猫踊り?狸囃子 その2:

« 「情けは人のためならず」を考えてみました。 | トップページ | 電磁相互作用、弱い相互作用、強い相互作用、重力相互作用の統一とフラクタル?重力と電磁力?その4 »