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2011年3月

傲慢は高くつく。

友人が教えてくれたこんな記事ありました。

十戒の筆頭に、私のほかを神としてはならぬとあるが、この「私」を自然とか現実とおけば、全ての項目は誰もが頷けるものとなるでしょうね。

改めて、そのことを考えさせられた内容です。

【社会】

「大津波やM9 想定却下」 福島原発 設計者ら証言
http://www.tokyo-np.co.jp/s/article/2011032390071412.html

2011年3月23日 07時14分

福島第一原発6号機の設計図を見ながら説明する元技術者=22日、東京都千代田区で(坂本亜由理撮影)

 東日本大震災による大津波が発端となり、世界有数の原発事故を起こした東京電力福島第一原発。

その設計や安全性の検証を担った東芝の元社員二人が本紙の取材に応じ、「設計時は、これほどの津波は想定していなかった」と証言した。東電の想定していた津波は最高で五・五メートル。

実際には倍以上高い十四メートルを上回る大津波が押し寄せており、二人は設計に想定の甘さがあったと口をそろえる。

 取材に応じたのは、一九七〇~八〇年ごろに同原発の安全性を検証した元技術者の男性(63)と、七一年から順次稼働した同原発1~3号機と、5~6号機の設計に加わった元設計者の男性(69)。

 タービンの安全性の検証に携わった元技術者は、原発の設計図の青焼きを見ながら「今回のような大津波やマグニチュード(M)9は、想像もできなかった」と振り返った。

 元技術者は事故や地震が原因でタービンが壊れて飛んで炉を直撃する可能性を想定し、安全性が保たれるかどうかを検証。

M9の地震や航空機が墜落して原子炉を直撃する可能性まで想定するよう上司に進言した。

 だが上司は「千年に一度とか、そんなことを想定してどうなる」と一笑に付したという。

 元技術者は安全性を検証して報告したが、建設時にどう反映されたのか知らない。

「起こる可能性の低い事故は想定からどんどん外された。計算の前提を変えれば結果はどうとでもなる」と、想定の甘さを懸念する。

 元設計者は六七年、東芝に入社。日本の原発黎明(れいめい)期に原子力機器技術部に配属され、七一年から順次稼働した福島第一原発1~3号機と、5~6号機の設計に参加した。

原子炉周りの残留熱を除く熱交換器や、海水ポンプの設計に携わった。

 元設計者は「当時は『M8以上の地震は起きない』と言われ(十メートルを超えるような)大津波は設計条件に与えられていなかった」と証言。

 「女川や柏崎刈羽など、ほかの原発でも、非常用電源などでは同様の弱点を持つ」と指摘した。

(東京新聞)

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なんと、固体核融合が米国特許とっていた。

核融合がガス天体でなくても起きる可能性がある事を示す装置が、特許を取得していました。

*米国特許確認しました。

Development of "DS-Reactor" as a practical
reactor of "Cold Fusion" based on
the "DS-cell" with "DS-Cathode"

METHOD OF PRODUCING ULTRAHIGH PRESSURE GAS

http://lenr-canr.org/acrobat/ArataYdevelopmenb.pdf

これで、従来の恒星に関する理論にまた一つ、疑問が出てきます。

なお、記事にある荒田吉明工学博士は、金属工学の大阪大学名誉教授で日本学士院会員です。

高温学会会長を務め、1995年に文化功労者、2006年に文化勲章受章となっています。

未解明だった熱加工特性を解明し、新しい溶接工学の体系を確立しました。

夢エナジー
【ヘリウム製造装置】 わかりやすい固体核融合

2011年1月 3日 (月曜日)

http://solid-fusion.blog.ocn.ne.jp/blog/2011/01/post_9c66.html

荒田吉明先生が、平成20年7月4日に出願された特許が、平成22年1月21日に公開されたことが分かりました。

【特許】ヘリウムガス発生装置およびヘリウムガス発生方法

全項目
(19)【発行国】日本国特許庁(JP)
(12)【公報種別】公開特許公報(A)
(11)【公開番号】特開2010-14629(P2010-14629A)
(43)【公開日】平成22年1月21日(2010.1.21)
(54)【発明の名称】ヘリウムガス発生装置およびヘリウムガス発生方法
(51)【国際特許分類】

【審査請求】未請求
【請求項の数】4
【出願形態】OL
【全頁数】9
(21)【出願番号】特願2008-176348(P2008-176348)
(22)【出願日】平成20年7月4日(2008.7.4)
(71)【出願人】
【識別番号】593002632
【氏名又は名称】荒田 吉明
【住所又は居所】兵庫県神戸市東灘区御影町郡家字庄の元247
(74)【代理人】
【識別番号】100078282
【弁理士】
【氏名又は名称】山本 秀策
(74)【代理人】
【識別番号】100062409
【弁理士】
【氏名又は名称】安村 高明
(74)【代理人】
【識別番号】100113413
【弁理士】
【氏名又は名称】森下 夏樹
(72)【発明者】
【氏名】荒田 吉明
【住所又は居所】兵庫県神戸市東灘区御影町郡家庄ノ元247番地
(72)【発明者】
【氏名】張 月嫦
【住所又は居所】大阪府茨木市美穂ケ丘11番1号 大阪大学荒田記念館内

(57)【要約】
【課題】大量のヘリウムガスを容易に発生させることが可能な実用的なヘリウムガス発生装置を提供すること。
【解決手段】ヘリウムガス発生装置1は、ヘリウム成分を含む重水素ガスを重水素透過性を有する壁を透過させることにより、高純度の重水素ガスを発生させる第1の装置10と、重水素超吸収性を有するPd含有合金の粉末に前記高純度の重水素ガスを供給することにより、前記粉末の内部でヘリウムを発生させる第2の装置20と、前記粉末を加熱することにより、前記粉末の中のヘリウムを前記第2の装置の外部に排出する加熱装置40と、前記第2の装置から排出されたヘリウムから高純度のヘリウムガスを発生させる第3の装置30とを備えている。
【選択図】図1

【特許請求の範囲】
【請求項1】
ヘリウム成分を含む重水素ガスを重水素透過性を有する壁を透過させることにより、高純度の重水素ガスを発生させる第1の装置と、
重水素超吸収性を有するPd含有合金の粉末に前記高純度の重水素ガスを供給することにより、前記粉末の内部でヘリウムを発生させる第2の装置と、
前記粉末を加熱することにより、前記粉末の中のヘリウムを前記第2の装置の外部に排出する加熱装置と、
前記第2の装置から排出されたヘリウムから高純度のヘリウムガスを発生させる第3の装置と
を備えたヘリウムガス発生装置。
【請求項2】
前記粉末は、ZrO2・Pdの粉末、または、Pd数%含有のZr3NiOバルク合金の粉末である、請求項1に記載のヘリウムガス発生装置。
【請求項3】
ヘリウム成分を含む重水素ガスを重水素透過性を有する壁を透過させることにより、第1の装置において、高純度の重水素ガスを発生させるステップと、
重水素超吸収性を有するPd含有合金の粉末に前記高純度の重水素ガスを供給することにより、第2の装置において、前記粉末の内部でヘリウムを発生させるステップと、
前記粉末を加熱することにより、前記粉末の中のヘリウムを前記第2の装置の外部に排出するステップと、
第3の装置において、前記第2の装置から排出されたヘリウムから高純度のヘリウムガスを発生させるステップと
を包含するヘリウムガス発生方法。
【請求項4】
前記粉末は、ZrO2・Pdの粉末、または、Pd数%含有のZr3NiOバルク合金の粉末である、請求項3に記載のヘリウムガス発生方法。

【発明の詳細な説明】
【技術分野】
【0001】
本発明は、大量のヘリウムガスを容易に発生させることが可能な実用的なヘリウムガス発生装置およびヘリウムガス発生方法に関する。
【背景技術】
【0002】
電気分解を利用して超高圧の重水素ガスを生成する方法が知られている(例えば、本願発明者による特許文献1を参照)。この方法は、「超高温核融合」と「固体核融合(常温核融合)」の開拓者として本願発明者を紹介した米国科学技術誌”21stCENTURY SCIENCE&TECHNOLOGY”(1995)においても紹介されている。この方法に用いる重水素ジェネレータの構造は、本願発明者によって後に”DS-カソード”(”Double Structure Cathod”)と命名される熱エネルギー発生装置の構造と実質的に同等であり、本願発明者の長年にわたる熱核反応に関する研究の源流となっている。
【0003】
本願発明者によって開発されたDS-カソードは、固体核融合(常温核融合)が存在することを立証したものとして世界的に有名である。現在では、固体核融合(常温核融合)の研究者でこれを知らない者はいないほどである。例えば、本願発明者による特許文献2には、DS-カソードを用いて固体核融合(常温核融合)を生じさせることにより、熱エネルギーを発生させる方法が開示されている。
【特許文献1】米国特許第5,647,970号
【特許文献2】国際公開第95/35574号

【発明の開示】
【発明が解決しようとする課題】
【0004】
本願発明者は、この20年を通じ「固体核融合の実証」について独走的な立場でその成果を示してきた。今回、本願発明者は、大量のヘリウムガスを容易に発生させることが可能な実用的なヘリウムガス発生装置およびヘリウムガス発生方法を開発したので、ここに報告する。
【0005】
すなわち、本発明は、大量のヘリウムガスを容易に発生させることが可能な実用的なヘリウムガス発生装置およびヘリウムガス発生方法を提供することを目的とする。
【課題を解決するための手段】
【0006】
本発明のヘリウムガス発生装置は、ヘリウム成分を含む重水素ガスを重水素透過性を有する壁を透過させることにより、高純度の重水素ガスを発生させる第1の装置と、重水素超吸収性を有するPd含有合金の粉末に前記高純度の重水素ガスを供給することにより、前記粉末の内部でヘリウムを発生させる第2の装置と、前記粉末を加熱することにより、前記粉末の中のヘリウムを前記第2の装置の外部に排出する加熱装置と、前記第2の装置から排出されたヘリウムから高純度のヘリウムガスを発生させる第3の装置とを備えている。これにより、上記目的が達成される。
【0007】
本発明のヘリウムガス発生方法は、ヘリウム成分を含む重水素ガスを重水素透過性を有する壁を透過させることにより、第1の装置において、高純度の重水素ガスを発生させるステップと、重水素超吸収性を有するPd含有合金の粉末に前記高純度の重水素ガスを供給することにより、第2の装置において、前記粉末の内部でヘリウムを発生させるステップと、前記粉末を加熱することにより、前記粉末の中のヘリウムを前記第2の装置の外部に排出するステップと、第3の装置において、前記第2の装置から排出されたヘリウムから高純度のヘリウムガスを発生させるステップとを包含する。これにより、上記目的が達成される。

【発明の効果】
【0008】
本発明によれば、大量のヘリウムガスを容易に発生させることが可能な実用的なヘリウムガス発生装置およびヘリウムガス発生方法を提供することができる。
【発明を実施するための最良の形態】
【0009】
以下、図面を参照しながら、本発明の実施の形態を説明する。
【0010】
1.ヘリウムガス発生装置1の構成
図1は、本発明によるヘリウムガス発生装置1の構成を示す。
【0011】
ヘリウムガス発生装置1は、ヘリウム成分を含む重水素ガスを重水素透過性を有する壁(例えば、Pd壁)を透過させることにより、高純度の重水素ガスを発生させる第1の装置10と、重水素超吸収性を有するPd含有合金の粉末に、第1の装置10から高純度の重水素ガスを供給することにより、粉末の内部でヘリウムを発生させる第2の装置20と、第2の装置20内の粉末を加熱することにより、その粉末の中のヘリウムを前記第2の装置の外部に排出する加熱装置40と、第2の装置20から排出されたヘリウムから高純度のヘリウムガスを発生させる第3の装置30とを備えている。
【0012】
第1の装置10は、ステンレスベッセル11と、ステンレスベッセル11の内部に配置されているPdベッセル12とを含む。ステンレスベッセル11およびPdベッセル12は、例えば、円筒形である。Pdベッセル12の外側にあるステンレスベッセル11の内部空間には、管13を介して、市販のボンベに封入されている重水素ガス(ボンベガス)が供給される。ボンベガスは、少量のヘリウムガスを含有している。第1の装置10は、ボンベガスに含有されているヘリウムガスを除去することにより、高純度の重水素ガスを発生させる装置(すなわち、”D2 gas cleaner apparatus”)として機能する。
【0013】
重水素ガス(ボンベガス)がステンレスベッセル11に供給されると、その重水素ガスはPdベッセル12の壁を透過し、Pdベッセル12の中に高純度の重水素ガスとして充填される。ここで、「高純度の重水素ガス」は、純度100%レベルの重水素ガス(すなわち、ヘリウムガスを全く含まない重水素ガス)であることが好ましいが、純度100%レベルに近い高純度の重水素ガス(例えば、純度99.5%以上の重水素ガス)であってもよい。このように、Pdベッセル12は、重水素ガスを透過させるが、ヘリウムガスを透過させないPdフィルタとして機能する。従って、ヘリウムガスは、ステンレスベッセル11の中に残留する。時間の経過とともに、ステンレスベッセル11の中には、高純度のヘリウムガスが蓄積されることになる。このようにして蓄積された高純度のヘリウムガスは、ヘリウムガスタンク14によって回収され得る。なお、Pdベッセル12の代わりに、重水素透過性を有する壁を含む任意のベッセルを用いてもよい。
【0014】
Pdベッセル12内に充填された高純度の重水素ガスは、管15を介して、第2の装置20に供給される。
【0015】
第2の装置20は、反応容器21を含む。
【0016】
反応容器21は、反応容器21の内部に重水素超吸収性を有するPd含有合金の粉末をサンプルとして封入可能なように構成されている。反応容器21は、高真空状態を実現することができるような密閉構造を有している。反応容器21は、例えば、ステンレス製である。しかし、反応容器21の材料として、ステンレス以外の物質を用いてもよい。
【0017】
高純度の重水素ガスが、管15を介して、反応容器21内の粉末に供給されると、反応容器内21内で「固体核融合反応」が発生する。この「固体核融合反応」により、反応容器21内の粉末の中に大量のヘリウムが発生することになる。なお、「固体核融合反応」を発生させるために、加熱装置40によって反応容器21を加熱することは不要である。
【0018】
反応容器内21内で「固体核融合反応」が終了した後、反応容器21内の粉末が加熱装置40によって加熱される。加熱装置40は、任意のタイプのヒータであり得る。この加熱により、粉末の中のヘリウムが第2の装置20の外部に排出されることになる。従って、第2の装置20の外部に排出されるガスは、ヘリウムガスおよび重水素ガスの混合ガスである。この混合ガスは、管22を介して、第3の装置30に供給される。
【0019】
第3の装置30は、ステンレスベッセル31と、ステンレスベッセル31の内部に配置されているPdベッセル32とを含む。ステンレスベッセル31およびPdベッセル32は、例えば、円筒形である。Pdベッセル32の外側にあるステンレスベッセル31の内部空間には、管22を介して、混合ガスが供給される。第3の装置30は、この混合ガスから重水素ガスを除去することにより、高純度のヘリウムガスを発生させる装置(すなわち、”helium gas concentration apparatus”)として機能する。
【0020】
混合ガスがステンレスベッセル31に供給されると、その混合ガスのうち重水素ガスがPdベッセル32の壁を透過し、ステンレスベッセル31の中には、その混合ガスのうちヘリウムガスのみが残ることになる。その結果、長時間に渡る反応によって、ステンレスベッセル31の中には、高純度のヘリウムガスが蓄積されることになる。このようにして蓄積された高純度のヘリウムガスは、ヘリウムガスタンク34によって回収され得る。ここで、「高純度のヘリウムガス」は、純度100%レベルのヘリウムガス(すなわち、重水素ガスを全く含まないヘリウムガス)であることが好ましいが、純度100%レベルに近い高純度のヘリウムガス(例えば、純度99.5%以上のヘリウムガス)であってもよい。また、Pdベッセル32の中には、高純度の重水素ガスが蓄積されることになる。このようにして蓄積された高純度の重水素ガスは、重水素ガスタンク35によって回収され得る。回収された重水素ガスを第1の装置10のステンレスベッセル11に供給することによって回収された重水素ガスを再利用するようにしてもよい。これにより、重水素ガスの使用効率を向上させることができる。なお、Pdベッセル32の代わりに、重水素透過性を有する壁を含む任意のベッセルを用いてもよい。
【0021】
2.反応容器21内の「固体核融合反応」
図2は、反応容器21内で「固体核融合反応」を発生させるための手順を示す。この手順は、「前処理」の段階と、「高純度水素ガスの吸収および化学反応」の段階とを含む。ここで、反応容器21の内部は、高真空状態にすることができるように構成されている。高真空状態は、例えば、公知の真空ポンプ(図示せず)によって実現することができる。ここで、「高真空状態」とは、実質的に真空である状態(例えば、圧力が10-6~10-8Torrである状態)をいう。
【0022】
2.1 「前処理」の段階
重水素超吸収性を有するPd含有合金の粉末が高純度の重水素ガスと反応する前に、その粉末の表面から酸化物が除去されている。すなわち、サンプルの粉末は、その粉末の表面の酸化物が除去されるように予め処理される。この処理は、「固体核融合反応」が発生する前に行われる処理という意味で「前処理」とも呼ばれる。この「前処理」は、粉末の表面についた湿気や酸化物などの汚れを除去するための処理である。この処理は、例えば、粉末を反応容器21の内部に入れた状態で、粉末を150℃でbakingしながら、反応容器21の内部を高真空状態にすることによって行われる。このとき、特に酸素の除去が重要である。
【0023】
2.2 「高純度重水素ガスの吸収および固体核融合反応」の段階
反応容器21の内部が高真空状態にされた後、高純度の重水素ガスが、上記「前処理」された粉末に供給される。その結果、重水素ガスの重水素原子Dは、上記「前処理」された粉末に吸収される。ここで、重要なことは、第1の装置10から供給される高純度の重水素ガスの重水素原子Dは、上記「前処理」された粉末の中に常温で容易に吸収される、ということである。これによって、粉末の内部は、高密度の重水素原子Dで充満されることになる。これを実現するためには、重水素ガスの圧力は約50~70[atm]である。その結果、重水素ガスの注入後まもなく、重水素の固体核融合反応により、熱エネルギーが急速に発生し、同時にヘリウムガスも発生する。つまり、2個の重水素が結合して、1個のヘリウムとなり、熱エネルギーが発生する。
【0024】
3.実験結果
図3は、7gの「前処理」されたZrO2・Pdの粉末を用い、純度100%の重水素ガスD2を用いたとき、反応容器21内で生成された「反応生成熱」を測定した実験結果の一例を示す。
【0025】
図3において、横軸は経過時間(分)を示し、左側の縦軸は温度(℃)を示し、右側の縦軸は圧力(atm)を示す。ここで、Tinは、反応容器21の内部の温度(粉末の温度)を示す。TSは、反応容器21の温度を示す。Pinは、反応容器21の内部の圧力を示す。温度Tinは、例えば、粉末に接触するように中空のステンレス配管を配置し、そのステンレス配管の中に温度計を挿入することによって測定される。温度TSは、例えば、反応容器21に接触するように温度計を配置することによって測定される。
【0026】
この実験例における実測の過剰熱は、約175[KJ]であった。
【0027】
なお、3gの「前処理」されたZrO2・Pdの粉末を用い、純度100%の重水素ガスD2を用いた実験例では、実測の過剰熱は、約52[KJ]であった。
【0028】
図4Aおよび図4Bは、7gの「前処理」されたZrO2・Pdの粉末を用い、純度100%の重水素ガスD2を用いたとき、反応容器21内で生成された「反応生成物」を測定した実験結果の一例を示す。
【0029】
図4Aの(a)は、反応生成物測定直前の質量分析器(QMS)の初期状態をスペクトル分析した結果を示し、図4Aの(b)は、その直後、このQMSにより、反応容器21の内部に存在する反応ガスをスペクトル分析した結果を示す。図4Aの(a)、(b)において、横軸は経過時間(分)を示し、縦軸はスペクトル強度(×10-12[A])を示す。
【0030】
図4Bは、QMSにより、サンプル内部に残留する反応生成物をスペクトル分析した結果を示す。図4Bにおいて、横軸は経過時間(分)を示し、縦軸はスペクトル強度(×10-11[A])を示す。
【0031】
図4Aおよび図4Bを比較するとき、QMSの性能および4Heスペクトルの出現していることがよく分かる。このように、「反応生成物」としてヘリウムガスのみが発生していることは、反応容器21の内部で「重水素の固体核融合反応が存在した」ということの確実な証拠である。
【0032】
なお、反応容器21の内部に存在するガスを分析する他の方法としては、反応容器2の内部に存在するガスを電離して、磁気分析する方法も存在する。
【0033】
図5は、18.4gの「前処理」されたPd数%含有のZr3NiOバルク合金の粉末を用い、純度100%の重水素ガスD2を用いたとき、反応容器21内で生成された「反応生成熱」を測定した実験結果の一例を示す。この実験例においても、図4Aおよび図4Bに示される実験結果と同様に「反応生成物」としてヘリウムガスのみが測定された。
【0034】
以上のように、本発明の好ましい実施形態を用いて本発明を例示してきたが、本発明は、この実施形態に限定して解釈されるべきものではない。本発明は、特許請求の範囲によってのみその範囲が解釈されるべきであることが理解される。当業者は、本発明の具体的な好ましい実施形態の記載から、本発明の記載および技術常識に基づいて等価な範囲を実施することができることが理解される。

【産業上の利用可能性】
【0035】
本発明は、大量のヘリウムガスを容易に発生させることが可能な実用的なヘリウムガス発生装置およびヘリウムガス発生方法等を提供するものとして有用である。
【図面の簡単な説明】
【0036】
【図1】本発明によるヘリウムガス発生装置1の構成を示す図
【図2】反応容器21内で「固体核融合反応」を発生させるための手順を示す図
【図3】反応容器21内で生成された「反応生成熱」を測定した実験結果の一例を示す図
【図4A】反応容器21内で生成された「反応生成物」を測定した実験結果の一例を示す図
【図4B】反応容器21内で生成された「反応生成物」を測定した実験結果の一例を示す図
【図5】反応容器21内で生成された「反応生成熱」を測定した実験結果の一例を示す図
【符号の説明】
【0037】
1 ヘリウムガス発生装置
10 第1の装置
11 ステンレスベッセル
12 Pdベッセル
20 第2の装置
21 反応容器
30 第3の装置
31 ステンレスベッセル
32 Pdベッセル
40 加熱装置

【図面の簡単な説明】
【0036】
【図1】本発明によるヘリウムガス発生装置1の構成を示す図
【図2】反応容器21内で「固体核融合反応」を発生させるための手順を示す図
【図3】反応容器21内で生成された「反応生成熱」を測定した実験結果の一例を示す図
【図4A】反応容器21内で生成された「反応生成物」を測定した実験結果の一例を示す図
【図4B】反応容器21内で生成された「反応生成物」を測定した実験結果の一例を示す図
【図5】反応容器21内で生成された「反応生成熱」を測定した実験結果の一例を示す図

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創世記と進化論は矛盾しないか。創世記と科学 その1。

ユダヤ教やキリスト教、さらにはイスラムの聖典である旧約聖書『創世記』の冒頭には、以下のような天地の創造が描かれています。

1日目 暗闇がある中、神は光を作り、昼と夜が出来た。

2日目 神は空、つまり天を作った。

3日目 神は大地を作り、海が生まれ、植物が出来た。

4日目 神は太陽と月と星を作った。

5日目 神は魚と鳥を作った。

6日目 神は獣と家畜と、神に似せた人を作った。

7日目 神は休んだ。

現在のムスリムの大半が旧約や新約を読んでいないからと言って、旧約や新約もまたイスラムの聖典であることは、否定できません。

ムハンマドは、自らが神の言葉を伝えた人々に、聖書を読むように求めています。

 現代人の多くは、聖書の創世記を神話に過ぎないと思っているようね。

この世界が、たったの7日で出来たなんてありえない、というわけでしょうね。

聖書には、こうあります。

神にとっての一日は千年のようであり、千年は一日のようだ。

それで、創世記の天地創造は7000年だったという人たちもいます。

 それだって、短すぎませんか。

非ダーウィン派進化論者のなかには、7000年だって長すぎると思っている人もいるようです。

臨床医学への独自な進化論の適用などに踏み切っている西原克成の実験進化学などは、進化は短期に一気に起きる必要があるという立場ですよ。

失われた骨も、短期間で誘導して生成可能だと断言します。

 あとは、目的とする形にいかに誘導するかが課題なのね。

そのようですね。

ホヤの変体は、重力との相互作用によって制御されて非常に短い間に起きるのだと西原克成は主張します。

そして、進化は重力が引き起こしたとまで、言い切ります。

天地創造7日というけれど、生命は3日目から6日目の4日間です。

創世記の一日は千年だと主張する人から見れば、4000年です。

 4日目は、神は太陽と月と星を作った。

 だから実際は、3000年でしょ。

まあ、そう固いこと言わないでくださいな。

 西原克成は、4000年もあれば十分だというかしら。

明言はしていないけれど、かなりの短期間を想定しているはずです。

さらに、進化は盲目的ではないという立場もあります。

今西錦司などは、進化は起きるべくして起きると言っていますよ。

今西錦司は、初期の研究であるカゲロウと植物相に関する研究を通じ「棲み分け理論」を提唱しました。

「棲み分け」は、種同士の社会的関係を表す概念です。

たとえばカゲロウ類の幼虫は渓流に棲むが、種によって棲む環境が異なると同時に、異なる形態をしています。

流れが遅く砂が溜まったところに生息する種は、砂に潜れるような尖った頭をしている。

流れのあるところに生息する種は、泳ぐことに適した流線型の体をしている。

流れの速いところに生息する種は、水流に耐えられるように平たい体をしている。

このようにそれぞれが棲み分けた環境に適応し、新たな亜種が形成されると考えたのです。

今西進化論の特徴は、個体ではなく、種が選択の単位になっていることです。

今西進化論の言う種とは、分類学上の種とは異なります。

実際の生物個体の認知機構と実際のコミュニケーションによって構成されたものであり、同種個体はそれによって種社会を形成するといいます。

この種社会が、種の実体だと今西錦司は言います。

そして種が異なるという認識によって棲み分けが行われ、同位社会が組織・形成され棲み分けがなされる主張します。

今西錦司はこの立場から、動物社会学や進化論を展開しました。

今西が主張する棲み分けは、個体ではなく種社会を主体とした共時構造です。

生息地分割としての棲み分けは、ただ異なる種の個体が生息地を分けて分布していることをさすので、混同しないよう注意が必要です。

今西進化論は、あまりに従来と異なる用語の使い方をしたために今では少数派です。

だが、今西進化論に海の外からの援軍とも言いえる存在が登場しています。

これまで何度も紹介した、リマ=デ=ファリアの説く「選択なしの進化論=自律進化説」です。

「選択なしの進化論=自律進化説」によれば、素粒子、鉱物、生命体からヒト社会に至るあらゆる「形態と機能」は、素粒子など基本的な水準の「形態と機能」に基礎があるとなります。

そして、生物の形と結晶の形の相似性に注目します。

メカニズムには、光などと並んで重力の働きを重視しています。

 つまり、環境との相互作用によって進化は起きるが、方向は盲目的でなく一定の制約に沿って進む。

そうなりますね。

棲み分けによって亜種ができるとする、今西進化論とも基本的には矛盾しないでしょうね。

しかも、進化を推し進める力として重力に目を付けたところは西原実験進化学と共通しています。

彼らの理論に従えば、進化は4000年もあれば十分だと、なりはしないでしょうか。

変化は短期間に起きたが安定化の方の期間が必要となれば、4000年は十分な時間でしょう。

5日目の、神は魚と鳥を作ったとあるのは気になりますね。

 両生類や爬虫類を、水辺の生物として魚に含めている可能性もありますね。

両生類でありながら、サンショウウオと呼ばれる仲間もありますね。

そう見れば、進化論と順番はほとんど重なりますね。

 生命の発生についても、諸説あるでしょ。

聖書は「あなたは土から生まれたから、土に帰る。 あなたは塵から 生まれたから、塵に帰る」と、言っています。

これについても、面白い説がありますよ。

生命は海辺の土の中で生まれたと、言うのです。

詳しい話は省くけど、要は粘土の中で初期の生命が成立したという議論です。

粘土は生命と非常に相性が良いと、言う人もいますよ。

さらに、ビックバン宇宙論でもプラズマ宇宙論でも、宇宙は光の中から生まれたというのは共通認識なようです。

 4日目に、神は太陽と月と星を作ったとなっていますね。

大気の状態が変化し、地上から見えるようになったと言いたいのかも知れないですね。

 そういえば、3日目に神は大地を作り、海が生まれ、植物が出来たと言っていますね。

植物の登場によって、大気の状態は大きく変わったというのは定説になっていますね。

あとは、神を法則と置き換えれば、最新進化理論の出来上がりです。

 創世記の天地創造は、神がいたから非科学に見えただけ。

いにしえの人は、わけがわからないときは神の仕業にしてしまったのでしょう。

ちょうど数式で未知の数があったら、abcやxyzを使うのと似ていますね。

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日本と古代中東。

スメル辺りは、「クフ王」並に日本諸語と無縁の音韻体系なのではないか、という疑問を寄せてくる人がいました。

ところがどっこい、日本には、古代中東の遺伝子を持った人が一番多くいるとの指摘もあります。

 チベットも多いけれど、人口から言ったら日本は比較にならないでしょ。

チベット自治区は中国で人口が最も少なく、人口密度が最も小さい省です。

統計によれば、1950年のチベットの人口はおよそ100万人、2004年の人口総数は273万人ほどに増え、2007年には284万人だったそうです。

そのうちチベット族の人口は92%というから、だいたい261万人と言いますね。

もっとも、正確な人数は、わかっていないという声もあります。

理由としては、中国による占領下で、きちんとした統計が外部に出てこないこととチベット人の多くが本来遊牧民であることがあげられています。

 それに対して、日本は1億2千万越してますよね。

少子化で、これからはそのうち減少に転じると見られているけど、古代中東の遺伝子が世界で一番多い国には違いありません。

 だって中東を除けばチベットと日本だけでしょ。

そうですね。

日本には中東から繋がる太陽の船の絵があったり、大ピラミッドの内部構造と似通ったトンカラリンがあったりします。

トンカラリンの構造と大ピラミッドの内部構造の類似は、エジプト研究で有名な吉村作治の指摘です。

入口の大きさや、内部の角度など、そっくりだそうですよ。

 食の好みの類似も、吉村作治は指摘しているでしょ。

日本と古代エジプトの神話は、太陽神を中心とした三神構造と動物神を含む八百万の神が共通ですね。

 しかも、太陽神も、元は男性神の天照国照彦天火明櫛甕玉饒速日命という指摘もある。

天皇の十六弁菊花紋をはじめ、日本の家紋に中東起源説があります。

今は亡きイラクのフセインの腕輪にあった紋章が皇室の菊花紋とそっくりだと、外国の記者は突っ込み入れていました。

フセインは、イラクに古くから伝わる王家の紋だと言い返しましたけど。

 日本には、日ユ同祖論のほか、天皇アラブ渡来説、スメル渡来説がありますね。

明治天皇の孫が、日ユ同祖論者で、皇室の男子はユダヤの仕来りである割礼していると著書に書いています。

また、天皇は秦氏の出身で秦氏はユダヤと断言しています。

シルクロードに沿って、十支族の子孫と言われる人々が分布、日本の傍まで来ています。

純粋の日本人なのに、中東の人に違いないと何人にも言われた経験者もいます。

中東から来たと思われた人の中には、皇室の方々もいらっしゃるそうですよ。

スメルと日本については、くわしくは、「ヘブライの館 2」の「日本人シュメール起源説」の謎http://inri.client.jp/hexagon/floorA3F_hb/a3fhb301.htmlで論じられているのでそちらを見て欲しいです。

そこから、多少端折って紹介しますね。

スメル人の文字と言語は、20世紀になって欧米考古学者、言語学者、オリエント史学者によって解読され始めたと言います。

次のようなことが、明らかになっているそうですよ。

スメルの楔形文字は、漢字の形成とほぼ同じ過程を経て成立した。

スメル文字は、現代日本語の漢字仮名まじりと同じ構造をもつ。

スメル文字は、子音のみならず母音をも記す。

スメル語は、膠着語である。

ちなみに、スメル周辺のセム系言語の文字は、子音のみを表記するわけで、へブル文字などはまさにそうですね。

日本語もスメル語同様、膠着語の系統に、属します。

膠着語とは、膠(にかわ)で接着したように接着語によって単語がぺったりとくっついている言葉のことです。

 接着語とは、日本語でいえばテニヲハのことよね。

更に日本語は、母音が非常に強調される特色があります。

スメル周辺から日本人が来たという議論は、元禄時代、日本にやってきたドイツ系のオランダ人歴史学者ケンペルに始まるのですね。

 ケンペルは、日本の歴史を研究し「高天原はバビロニアにあった」、「日本人は、はるか西方のその源郷から渡来した」と提唱したのよね。

スメラミコトにも、スメル渡来説が見えると言います。

スメ(皇)、スメラ(天皇)とは古代バビロニア語のスメル(Sumer)と同語で、ル、ラは助辞の変化、ミコト(尊、命)、ミカド(天皇)の言語はミグト(Migut)の転訛で“天降る開拓者”すなわち神ということだと解釈していますね。

このように、天皇にまつわる古語はスメル語で解釈できると主張しています。

また、日本とメソポタミアの文明が非常によく似ていると、シュメール神話と日本神話の比較などから指摘する人もいます。

さらに、天孫一族はヒッタイトだという人もいます。

日本は神を『柱』と数えるが、ヒッタイト人が『柱』形をもって国王を表徴する。

天孫民族の八咫烏は、ヒッタイトの両頭鷲像に似ている。

ヒッタイトの岩屋生活は、天孫民族の天の岩屋戸に酷似する。

天忍穂耳命が「正勝吾勝勝速目」の名をあげ、「吾れカチカチ」と名乗ったが、「カチ、カチ」民族すなわちヒッタイトである。

などを、論拠として挙げ、詳しく論じているそうです。

ヒッタイト人については、その骨格、その顔つきは日本人にひどく似ていていると論じた人もいるそうですよ。

 オックスフォード大学の考古学の権威である、セイヌ博士ね。

もちろん、日ユ同祖論も日本語との類似する言葉を多数あげて、正しさを主張しています。

 神社と神殿、神輿とアーク、神職の服装、そのほかにもさまざまな似ている習俗があると言ってますね。

イスラエル建国と相撲なども、論拠とされています。

 相撲は、メソポタミア起源でしょ。

日本と古代中東、やはり遺伝子が残っている以上の繋がりを考えたほうがよさそうですね。

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大人の銀河はいつからあったか?

宇宙論の新たな展開が、これから始まりそうな予感がするこんな報告があったのですね。

これでますます、従来の定説の見直しは避けられなくなりそうです。

すばる望遠鏡

観測成果- 2011 -

宇宙幼年期の壮年銀河団
http://subarutelescope.org/Pressrelease/j_index_2011.html#110309

2011年3月9日

フランスの研究者をリーダーとする国際的な研究チームが、すばる望遠鏡を含む地上・宇宙の最先端の望遠鏡群を使い、宇宙の歴史を調べる上で画期的な発見を報じました。

宇宙が現在の年齢のわずか4分の1という若い時期に、既に成長しきった銀河団が存在することを見いだしたのです。

このような時期には活発な星生成によって成長途中の銀河団が存在することはわかっていたのですが、今回発見されたものは、大人の銀河たちから成り立っていることがX線や可視光・赤外線観測から明らかにされたのです。

「CL J1449+0856というこの銀河団は、成長しきったものとしては最も遠方にあるものです」、とリーダーのラファエル・ゴバさん(フランス)が言えば、「その性質を明らかにする上で、すばる望遠鏡からのデータが決定的な役割を果たしました」と共同研究者の小野寺仁人さん(スイス)が付け加えます。

詳しくは英文でのリリースをご覧下さい。

The Most Distant Mature Galaxy Cluster
Young, but surprisingly grown-up
http://www.eso.org/public/news/eso1108/

An old galaxy cluster discovered in the young Universe
http://sci.esa.int/science-e/www/object/index.cfm?fobjectid=48483

Young, but surprisingly grown-up
The most distant mature galaxy cluster
http://www.spacetelescope.org/announcements/ann1105/

こういう内容です。

 もし、ビッグバン宇宙論が説明できず、プラズマ宇宙論が解明という展開になれば、主流は一気に入れ替わるでしょうね。

プラズマ宇宙論の創始者ハンネス・アルベーンは、次のように述べているそうです。

「宇宙についての理論は、われわれが観測や実験で確かめた事実の延長上に打ち立てられなければならない。われわれは(ビッグバン理論のように、最初に宇宙誕生の姿を想像して、そこから現在の宇宙に進化するまでを推測して理論にするのではなく)、まず今の宇宙の姿を調べ、それを元にしてより遠い過去へ、より不明瞭な時代へと遡っていくべきである」

プラズマは、常に反発や引き合い、衝突などを繰り返し変化し続けています。

 プラズマは、、一つの場所にとどまるということはしない。

大きなスケールの変化は、プラズマの反発や引き合いや衝突が積み重なり起き始め大規模な構造を作り出すと考えられています。

 大規模構造は、プラズマの中を流れる電気と、それがつくりだす磁場によって形成される。

つまりプラズマ宇宙論なら、ビックバン宇宙論よりも、すみやかに銀河が形成される理論を展開できるはずですね。

これからどういう議論になっていくか、面白いことになりますよ。

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オオヤマネコとアメリカとヨーロッパと古代日本。日本の猫はいつからいたか。その2

以前、2008年6月22日の読売新聞にこんな記事が出ていたと情報を寄せてもらったと、触れました。

イエネコ弥生時代から? 通説より800年古い骨、壱岐で出土

カラカミ遺跡から出土した弥生時代のイエネコの骨

 野生ではなく、人に飼われたネコ(イエネコ)の骨が、長崎県壱岐市(壱岐島)のカラカミ遺跡から見つかり、奈良文化財研究所などの鑑定の結果、紀元前1世紀ごろの弥生時代中期のもので、出土したイエネコの骨としては最古であることがわかった。

文献などからイエネコの伝来は8世紀に、経典などをネズミの害から防ぐため遣唐使が大陸から持ち帰ったと考えられていたが、約800年さかのぼる。

穀物を守るため大陸から運ばれて来たとみられ、家畜史研究の貴重な資料となる。

 カラカミ遺跡は弥生時代中期以降の環濠(かんごう)集落。

九州大学が2004から07年度にイノシシ、魚、イヌなどの骨と一緒にゴミ捨て場から発掘した動物骨を同研究所埋蔵文化財センターの松井章・環境考古学研究室長らが鑑定した。

 見つかったネコの骨は1歳半から2歳で脛(けい)骨、大腿(だいたい)骨など12点。

野生のヤマネコより骨や関節が小さく、形状が現在のイエネコと酷似し、当時、壱岐島にヤマネコがいた形跡がないことからイエネコと断定。

脛骨を放射性炭素年代測定などで調べた結果、約2100から2200年前とわかった。

 文献では、平安時代の「日本霊異(りょうい)記」に死者がネコになってよみがえる8世紀の話があり、同時代の「源氏物語」「枕草子」にもかわいがられたネコが登場するなど、ペットとして飼われるようになっていた。

 しかし、これまでイエネコの骨の最古の出土例は、神奈川県鎌倉市の千葉地東遺跡など鎌倉時代(13世紀)の遺跡2か所で確認されているだけだった。

この話をした段階では、縄文時代のネコについての裏をとれていませんでした。

 でも、可能性はあるはずと言ってたでしょ。

さらに情報を集めたら、縄文時代の貝塚から、ネコの骨が出土していることが確かめられました。

 ネコといっても、イエネコではなくヤマネコだったかもしれませんけどね。

オオヤマネコは、ヨーロッパからシベリアに棲息する寒冷地で生きるヤマネコです。

オオヤマネコは、ヨーロッパでは、ヨーロッパヤマネコについで人々が身近に親しんできたヤマネコだそうです。

日本にも、そのオオヤマネコが、3万年前もしくは1万年前から縄文時代の中期から後期頃まで野生していたのです。

そういえばオオヤマネコには、こういう特徴があるのです。

尾はごく短く、これは他のネコ科動物には見られない特徴である。

尾が短いにもかかわらず、木登りは巧みだし、優れたジャンプ力も持っている。

 日本に多い尾の短いネコを思うとき、とても気になりますね。

東南アジアに尾の短いネコが多いと指摘されるにもかかわらず、日本の尾の短いネコとの関わりは薄いとされていますからね。

縄文人が、オオヤマネコの下顎骨や牙に穴を開けた装飾品が、岩手県陸前高田市の中沢浜貝塚で見つかっているといいます。

他にもオオヤマネコの骨が発見されているのは、鹿児島県市来町の市来(いちき)貝塚、山口県美祢郡の秋吉台遺跡、福井県若狭町の鳥浜貝塚、宮城県宮城県桃生郡の里浜貝塚、千葉県市原市の西広貝塚などです。

イエネコかヤマネコか不明だが、ネコの骨が出ているその他の主な貝塚や遺跡をあげておきましょう。

 所在地               貝塚名              

青森県八戸市コレ皮一王寺      一王寺      

山形県東置賜郡高畠町竹ノ森     日向洞窟  

新潟県佐渡郡金井町金沢       中興  

茨城県稲敷郡江戸崎町高田椎塚    椎塚        

埼玉県岩槻市真福寺         真福寺      

東京都品川区大井権現町       大井権現町   

東京都大田区馬込4丁目        馬込        

東京都大田区田園調布        下沼部 

神奈川県横浜市港北区高田町     高田        

神奈川県横浜市金沢区六浦島     野島               

滋賀県大津市石山          石山  

愛知県渥美郡渥美町伊川津      伊川津       

島根県八束郡美保関町森山      権現山洞窟内 

長崎県諌早市有喜町六本松      有喜 

 所在地               遺跡名

愛媛県上浮穴郡美川村上黒岩     岩蔭

岩蔭遺跡は縄文時代早期から江戸時代の遺物が出土しているので、縄文のネコかどうかは確認が必要です。

でも、オオヤマネコということなので、まず、縄文とみていいようです。

オオヤマネコは、日本には3万年前もしくは1万年前から縄文時代の中期から後期頃までいたとみられていますから。

たんに遺跡といった場合、大阪府貝塚市の東遺跡のように中世後半から近世にかけての集落跡などからでたネコの骨もあるので、年代の確認作業は欠かせません。

 とはいっても、貝塚は東北から九州まで、分布していますね。

おそらくまだまだ、あることでしょう、

 四国は、どうなのでしょう。

情報が欲しいですね。   

 もし、これら貝塚のネコがオオヤマネコだったら、おもしろいですね。

 縄文人は、アジア経由よりも南太平洋の島伝いにアメリカ経由でヨーロッパから来た可能性があるのでしょ。

少なくとも秋田美人と秋田犬については、ヨーロッパ起源を考えないと説明がつかない要素が多いですね。

 ケネウィックで見つかった古代人骨は、当初、イギリス人的特徴が見えるとして白人のものという説が出たでしょ。

 でも、よく見るとアイヌの特徴が見つかった。

スペインやフランスの特徴のある鏃(やじり)と一緒に、出土していると言いますね。

注目したいのは、ヨーロッパのオオヤマネコとごく近縁種のカナダオオヤマネコが、北米大陸北部に棲息していることです。

カナダオオヤマネコの名前は、主としてカナダで見つかることに由来しています。

オオヤマネコには、今触れたヨーロッパオオヤマネコ(Lynx lynx)、カナダオオヤマネコ(Lynx canadensis)のほか、スペインオオヤマネコ(Lynx pardinus)、ボブキャット(Lynx rufus)がいます。

ヨーロッパオオヤマネコは、ヨーロッパおよびシベリアの森林に棲息します。

ネコ類としては中型だが、オオヤマネコ属最大種であり、体長は80から130 cm、肩高約70cmで、体重はオスでは通常18から30 kg、メスは平均18.1kg 程度です。

毛皮は灰色から赤褐色で、黒い斑点があるが、毛皮の模様はさまざまで、毛皮に斑点のない個体のすぐ近くに、多くの斑点をもつ個体が棲息しているということもあります。

カナダオオヤマネコは、北アメリカに生息するネコ科の動物の一種です。

ヨーロッパオオヤマネコとはとても近縁で、この2種を同一種とみなす専門家もいるが、ヨーロッパオオヤマネコよりむしろボブキャットに近い特徴も存在します。

ボブキャットとは生息域が一部重なっているが、体長67から110cm、尾長5から17cm、体重7から17kgと体の大きさはボブキャットよりも大きく、イエネコの2倍以上あります。

オスはメスより体が大きく、シルバーがかった茶色の密な毛皮に胴体や尾、四肢には黒く明瞭な斑紋が点在するが変異があります。

ひだ襟のような首毛をもち、耳の先端には黒い房毛があります。

虹彩は黄土色から黄緑色で、瞳孔は円形に収縮します。

4から5月と10から11月に換毛し、夏毛は冬毛に比べて短く、赤みがかった茶色になります。

長い脚と深い毛におおわれた足は、深い雪の中を歩き回るのに適しています。

ボブキャットは、ネコ科オオヤマネコ属に属する中型獣で、体長65から105cm、尾長11から13cm、体重6から15kg。

アメリカを含むカナダ南部からメキシコ北東部にかけての森林・草原・半砂漠地帯に生息し、12種類の亜種が確認されています。

スペインオオヤマネコは、体長85から110センチメートル、尾長12から13センチメートル、肩高50から70センチメートルで、体重オス12.9キログラム、メス9.4キログラム。

スペイン南西部、ポルトガル南部に棲息し、夏季は毛衣が赤褐色、冬季は毛衣が灰色がかります。

 ここで気が付くのは、オオヤマネコの分布がこれまでに縄文人との関わりを考えてきた地域と重なっていることですね。

ネコは、自然に生息している仲間ではイリオモテヤマネコなど少数例しか泳ぐ姿の目撃例はありません。

つまりこの分布は、これらの土地がかつて繋がっていたか、人と一緒に移動したか、しないとありえないのです。

このことは、貝塚のネコの骨を野生といって片づけてきたこれまでの議論を見直す必要があるかも知れないことを、示していると言って良いでしょう。

飼育されていたと見られているイヌの骨も、貝塚から出ているのですから。

例えば加曽利南貝塚は約4000~3000年前の縄文後期のもので、約1000年かけて長径約170メートルの馬蹄形の貝塚が作られ、イヌの骨が人間とともに葬られていることが確認され、話題を呼んだのですよ。

 東北から九州にかけて貝塚からでたネコの骨が、もしオオヤマネコなら、ヨーロッパからアメリカ経由で来た人たちと一緒に来たのかもしれませんね。

でも、オオヤマネコは雪の上でも楽にジャンプできるため、行動範囲が広く、1夜で40km移動することもあります。

主にヨーロッパオオヤマネコはトナカイやノロジカなどのシカ類、カナダオオヤマネコはウサギを狩ります。

イノシシの子供、鳥、キツネなどを捕食することもあり、220kgのアカシカを殺した例もあるのですよ。

天敵は、ピューマなどのより大型のネコ科の動物ですから、連れてきたかどうか。

 農作物を守るためなら、ありえませんか。

その気になれば、ライオンでさえ人になれますからねえ。

仮説としては、おもしろいですけど。

日本のネコのルーツは、ヨーロッパが6割、ペルシャが3割と以前話題にしました。

残った1割は、少なくても一部は、古典にも載ってる唐ネコでしょうね。

ところがオオヤマネコは、ネコはネコでも、イエネコとは体格が違うのです。

もちろん分類上も、分けられています。

 日本のネコの6割がヨーロッパと言っても、オオヤマネコは直接つながらない。

オオヤマネコは、体長85から115センチで尾が短い、ネコ科オオヤマネコ属 Lynxに属する中型獣の総称です。

欧米での呼び方をそのまま用いて、リンクスということもあります。

アメリカに生息するカナダオオヤマネコは平均12キロなのに対して、ユーラシアに生息するヨーロッパオオヤマネコは平均22キロとかなりサイズに開きがあります。

 大陸に対して、日本のような島国では、多少小型になっているのでは。

ありえますね。

ネコの骨が見つかっている貝塚があるとしか、触れていない人も多いですから。

大きさにそれほど差がない場合、イエネコとヤマネコを骨で見分けるのは難しいそうです。

それに、ネコの骨で縄文人をアメリカやヨーロッパから来た可能性を探ろうとする人は、今のところほとんどいないようです。

 だから、ネコの骨が出た、くらいにしか思っていない。

イエネコかヤマネコか、判定が難しいので慎重になっているだけかもしれないですよ。

ネコ科は、基本的骨格に大きな差がないといいますからね。

イエネコは、学名をFelis silvestris catusという、世界中で広く飼われているネコ目(食肉目)の小型動物です。

 オオヤマネコはヤマネコと言っても Lynxに属しているのに、イエネコはFelisで、分類が違う。

イエネコの起源は、ネズミを捕獲させる目的で飼われ始めたFelis silvestrisに分類されるヤマネコの家畜化なので、分類学上はヤマネコの1亜種とされます。

大型のものでは、頭から胴にかけてのは体長75cm、尾長40cm、肩高35cmに達するけれど、ほとんどの場合体の大きさは現生するネコ科の他のほとんどの動物に比べて小さく、体重は2.5から 7.5kgの範囲に収まるものが多いです。

いま、日本にはオオヤマネコがいるという話は聞きません。

いったいどこにいったかは、不明です。

 でも、街中などでヤマネコっぽいネコ、たまに目撃されるようですねえ。

 それも、オオヤマネコの血統が連想できそうな大きさで、しかも耳の上に毛が立ってるのもいるのですよ。

ヨーロッパから来たイエネコでもオオヤマネコっぽい仲間は聞いたことないので、日本でたまに見かけるオオヤマネコっぽい彼らの先祖はどうなっているのか、見かけた研究者にはDNAを調べてほしいものです。

縄文時代の貝塚からでたネコの骨が、もしも、オオヤマネコであった場合には、縄文人のヨーロッパからアメリカを経てやってきた可能性を示す証拠が、ケネウィック人についで出たことになるでしょうね。

追記

この記事は以前に書いたこの記事の続編にあたります。

日本の猫はいつからいた

http://cova-nekosuki.cocolog-nifty.com/blog/2009/01/post-c023.html

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鬼と悪魔(akuma)鬼 その2。

鬼畜というが、鬼は理由もなく残酷・残忍になったりしないです。

 鬼は、怒りや悲しみの化身に見えますね。

畜は畜生の略だが、動物たちの方が親子の情が深いことが多いです。

残忍と言われる肉食獣も、犠牲になるのは彼らの傍に不用意に立ち寄ったり、怒らせたり、した場合がほとんどです。

彼らも体力を無駄にしたくないからむやみに襲わないです。

草食獣も、家畜として飼いならされたものはおとなしいが、野生は違うことも多いです。

 身を守るために、神経質になっているからね。

満腹のライオンの方が、よっぽどおとなしいです。

草食獣は消化の悪い草を食べてるので、簡単には満腹にならないです。

草食獣に近づくには、敵ではないと信頼されることが必要です。

民俗では、日本でいう鬼と訳すのが適切な場合が多いのが悪魔(akuma)です。

悪魔(akuma)もまた、恐ろしいとか、残忍とかいうのは一面的な理解です。

科学の世界でも悪魔(akuma)が大勢登場するが、小鬼とか悪戯な妖精に近いです。

 「マクスウェルの悪魔(akuma)」「ラプラスの悪魔(akuma)」が有名ね。

いずれもパラドックスに関わっていますね。

鬼は怒りの化身として、時に残忍だが、優しい力持ちでもあります。

鬼は、恐れられた存在だが、不思議なことに嫌われていません。

権力からは押さえつけるべき存在だが、民衆は、むしろ親しんでさえいます。

鬼は超人的力を持ち、呪術の担い手でさえあるようです。

この鬼こそ、卑弥呼の鬼道の鬼なのでしょうね。

鬼道の鬼は、神武によって封印され、なだめすかされながら、良いように利用されたのかもしれないです。

 卑弥呼の後、また乱れた邪馬台国を纏めるために女王に即位したとされる壹與ね。

即位後、消息が不明なのは謎です。

神武の力を借りたつもりが、名ばかりの女王に祭り上げられた可能性はありますね。

もともと、カリスマ巫女として君臨し、実務は男王が握っていたからです。

そして、縄文の鬼道も祭り上げられ封印された可能性はあり得ると思っています。

 鬼の封印は、弥生時代から今日まで続いているように見えますね。

だから、鬼は時としていい加減にしろと怒り、罰しに来るのでしょうね。

桃太郎の原型の一つとされる岡山の伝承では朝廷の命令による、吉備津彦の対抗勢力である温羅征伐とされます。

人身御供を行っている非道な輩だから征伐するというのが、朝廷の言い分です。

温羅は朝鮮由来とされるので、西方即ち陰で鬼となるのかもしれないですね。

もっともわたしは、温羅はもっと西方に遡るとみます。

キリスト教圏の悪魔(akuma)もまた、恐れられた存在だが、不思議なことに嫌われていません。

権力からは押さえつけるべき存在だが、民衆は、むしろ親しんでさえいます。

悪魔(akuma)は超人的力を持ち、呪術の担い手でさえあるようです。

この悪魔(akuma)こそ、先住民の信仰した神なのでしょうね。

 悪魔(akuma)=鬼の構図が見えますね。

縄文の鬼と、ヨーロッパ古代の悪魔(akuma)は、不思議なほど似てみえます。

 秋田美人の白さがヨーロッパと関係がある可能性と重ねると、興味深いね。

ストーンサークルは、古代の鬼や悪魔(akuma)を神と崇めた文化の遺物なのでしょうね。

悪魔(akuma)と鬼の類似は、民衆や権力との関係ばかりか、高度な知恵や知識の担い手でさえあるように見える点です。

鬼と桃太郎をこのようにみると、十字軍はある種、鬼ヶ島から宝を持ち帰った桃太郎に重なって感じられます。

十字軍も、イスラムから古代の優れた知識を得て帰ったのです。

桃太郎の鬼の原型の一つとされる温羅は、大陸から進んだ技術や文物をもたらしたとして、地元の人々は今も慕っているといいます。

そういえば桃太郎でも、鬼が何か悪いことをした話は語られないです。

一方的に悪者扱いです。

十字軍のイスラムも、一方的に悪者扱いで攻め込まれました。

イスラムも、多くの信者を持つ宗教です。

もっとも、イスラムは羊を捧げ物にするが、人身御供などはしていません。

 イスラムから言えば、一部のキリスト教勢力は悪魔(akuma)に見えているのかも。

皮肉なことだけど、イスラムの中には、そう思っている人もいそうですね。

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詰め込み教育とゆとり教育を考えてみた。

知ることとわかることは、しばしば混同されます。

 そういえば、知ってるっていう言葉は、ちゃんと理解できてから言ってくれって、よく言いますね。

でも、言葉は知っているけど、どういうことかまでは、わかっていないってこと、ありますよね。

知ることとわかることを、記号でつなぐとこうなりますね。

知ること≧わかること。

わかることとは、知ったことを、理解していくことなのですね。

 あ、そうか。

 子どもの頃、なんでだろうって思っていたこと、大きくなってからわかるってよくありますね。

 電車に乗ってから移動している大人が不思議だったけど。

 どこから降りたら乗り換えが楽になるとか考えてたってわかってから、自分もやるようになってたとか。

知識として持っているだけでは、使うべきところで適切に使いこなすことはできないのでしょうね。

 なんでかって、わからないと使いこなせない。

それで、知識と知恵という、二つの言葉が必要となるわけでしょうね。

円周率の3.15を知識として知っていることと、知恵として使いこなすことは別というわけなのですね。

 しるこに塩を入れるとおいしいけど、砂糖や素材の甘さを引き出してくれるからなので、少々でいい。

 塩と胡椒を使う時も、塩を控える目的もあるのでバランスが大切。

とにかく、わかろうがわかるまいが知りたいから面白いから知識を集める段階と、集めた知識を理解しようとする段階が、交互にやってきます。

 知識を集めて知恵とする。

 知恵を使って知識を集める。

 わかるとは、この過程の繰り返しなのね。

言ってみれば理解の山の登山列車はスィッチバックで、登るものなのですね。

いったん止まって周囲を見回し、また登っていくのです。

学生時代は発想があるが知識がない、だからとにかく学ぶことです。

学んだものほど発想が膨らむです。

社会人は知識はあるが発想がない、だからヒントを得るために学ぶのです。

新しい知識は驚きと気づきの宝庫です。

言ってみれば充実期と身長期です。

 こういう、対比でみるといろいろと面白いことに気づくね。

 陰陽って、こんなことも考えるの。

物事を対比の中で捉えるのが、陰陽ですからね。

あれかこれか、でも、あれもこれも、でも、ないです。

物事は常に、対比のなかにあります。

そして、状況に応じてどちらの面が大きく出るか変わってきます。

対立の中に統一を見、統一の中に対立を見、全体を大きく捉える視点が持てるかどうかが、問われますよね。

 平たく言えば、一面的に見るな、多面的に見ろってことなのね。

そうですね。

詰め込み教育の是非は、しばしば議論になります。

詰め込むには、詰め込める心の状態に持って行ってあげることが大切です。

受け入れる姿勢ができていない相手に、詰め込もうとするのは時間と労力の無駄です。

 詰め放題で、ただ詰めるより、袋を詰めやすいように工夫する人っていますねえ。

 似たようなものねえ。

おもしろい!知りたい!そう思えればどんどん自分から詰め込むのでしょうね。

詰め込み教育をとやかく言う連中に限って、押し付けを詰め込みと勘違いしています。

詰め込むには、どう組み立てて与えていくかが大切です。

効率の良い詰め方と悪い詰め方があるのは、結晶を見ても言えます。

 最密充填って、結晶にある言葉でしょ。

 この方法って、詰め放題にぴったりなのよね。

我笛吹けど、汝等踊らず、我等踊れども、汝足らわず。

 聖書にある言葉ね。

実際はこうですけどね。

マタイ伝11章17に、あります。

「われら汝等のために笛吹きたれど、汝等踊らず、歎きたれど、汝ら胸うたざりき」

聖書の方は、聞く耳持たない者に、言うだけ無駄ということのようですね。

我笛吹けど、汝等踊らず、我等踊れども、汝足らわず。

これは、太宰治の作品だったです。

お互いがお互いを、力不足と言い合って、不毛な争いしていると皮肉を言いたかったのでしょうね。

 詰め込み教育派も、ゆとり教育派も、一面的な議論で不毛な対立。

ええ。

ゆとり教育が失敗したのは、ゆとりを作ったことではないです。

インプットなしのアウトプットはないのですよ。

インプットせずにアウトプットしろと言ったから破たんしたのです。

 無い袖は振れないって、ことでしょ。

 いちいち、横文字使わないでよ。

でも、言いたいことは、わかるでしょ。

 ええ、まあ。

のびのびインプットできる環境を作ってあげてこそ、本当のゆとりだったです。

3.15を3で良いなどとは、論外な話です。

3.14を3.1415まで教えるくらいの方が、よかったのですね。

 面白がらせるなら、もっと長くても良い。

まあ、そうですね。

誰でも、感じ取る能力は持ってるのでしょうね。

あとは、表現するのに必要な言葉を知ることと、適切な言い回しを選べることなのですね。

思考回路がちゃんとできているかどうかです。

 考える力が、ちゃんとできているかってこと。

考えをちゃんとまとめ上げるには、道筋立てて考えることも要ります。

 文章をきちんと書けるか、読めるかですね。

 筋道立てて考えると言えば、数式なんか典型ね。

数式も解けることは大事だが、それ以上に大事なのは文章として読める力なのですね。

数式は、普通の文章が文字でやっていることを、記号や数字でやっているだけです。

数学は計算の仕方を教えることも大事だが、論理的思考を身に着けることがもっと大事なのですよ。

数式は、数学の言葉で書かれた言語なのですね。

 だったら、外国語とある意味同じことですね。

もっと、ここに注目した数学教育があっていいですね。

外国語教育も、自国とは違う論理の組み立て方を理解することです。

数学教育も、論理的な文章の組み立て方を理解することです。

ここに注目したら、もっと面白い教育方法が出来上がりそうですね。

 誰かやってみたら良いのに。

それは、教育学者にやってもらいたいですね。

 やらないの。

体がいくつあっても、たらないです。

一つの内容を表す言い回しは、複数あります。

一つの答えが導き出される式も、複数あります。

どれを選べばいいかは、どういう状態にあるか、どういう条件にあるか、などで決まります。

 どっちも、場の空気が読めないと的確な選択はできませんね。

詰め込み対ゆとりの構図で、教育を論じること自体、馬鹿馬鹿しいです。

 量を詰め込むにはゆとりがいるし、ゆとりがあればたっぷり詰め込めますね。

詰め込むゆとりのできた生徒を、いかに効率よく増やすかこそ、考えて欲しいものなのですね。

どうすれば良いかの答えは、現場にあるはずです。

本当に、ゆとりが必要だったのは、生徒一人一人をきちんと見る時間のない教員です。

ゆったりした心で、一人一人に向き合ったなら、もっと効果的な詰め込み方をきめ細かく指導できます。

 それもわからん馬鹿は、教育行政にはいりませんよね。

 ゆとりという言葉を、知ったふりして振りかざして教育に混乱と停滞しか、残らなかったからですね。

知ることと、わかることは、別なのですよ。

そして、知ることもわかることも、限界はないです。

極めれば、いつの日か必ず神の領域にまで達するのです。

 まさに、我々に似せて人を作ろうですね。

そうですね。

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秋田犬とヨーロッパ

秋田犬のヨーロッパ的な血液分布について、外国種との交配や交雑に由来するのではないかという疑問がでる情報に接したのです。

秋田犬の犬種としての歴史は、意外に浅いというのです。

しかも、外国の犬との交配の歴史を持っているというのです。

 これは、盲点でしたね。

品種として確立されてから、まだ100年程しか経ていないと指摘する声があるのです。

もっともこれは、秋田犬そのものが歴史が浅い犬であることを意味しないのです。

秋田犬の祖先犬は、「秋田マタギ」と呼ばれるマタギ犬、つまり山岳狩猟犬です。

元来日本犬には大型犬は存在せず、秋田マタギも中型の熊猟犬であったというのです。

 ところで、どんな特徴だったのでしょ。

遺伝子的には現在の秋田犬にも米国の研究チームにより、柴犬などのアジア原産の犬と同じルーツを持つ特徴が基本的に残っていることが確認されており、その中でも北方のマタギ犬由来とされるのです。

品種として確立されるまでには、様々な受難の時代があったというのですよ。

江戸時代、秋田犬は闘犬でしたよ。

 江戸時代の出羽国北部の秋田地方を納めていたのは、佐竹氏でしょ。

佐竹氏は、関ヶ原の戦いの後に常陸国から転封された外様大名です。

佐竹家では久保田城の佐竹東家を中心として、一族の西家、北家、南家を、それぞれ大館、角館、湯沢に配したのです。

特に佐竹西家の流れである小場家が治める大館地方では闘犬が盛んとなり、体が大きく強い犬を望む人々の手によって、マタギ犬と土着犬などの交配が行われたのです。

江戸幕府によって藩内の築城や武力の向上が厳しく規制されたため、慶長年間の1630年つまり寛永7年頃より、藩士の闘志を養うためとして闘犬を奨励したことが背景にあったと言われるのです。

この犬が秋田犬の原種となるが、当時は秋田県内でもタイプに地域差があり、この犬は県北の大館・能代地方の「大館犬」と呼ばれるものでした。

時代が移っても秋田の闘犬熱は衰えず、明治時代になると、他の地方の犬種や外国産の大型犬種との交配が積極的に行なわれるようになったそうです。

例えば、1897年(明治30年)頃からは、秋田と並んで闘犬の盛んであった高知県から土佐犬が入ってきているそうです。

その後土佐犬は、洋犬と交配を行って大型化するのです。

 じゃあ、秋田犬のヨーロッパ的血液分布には、闘犬として強くするための外国の犬との交配があったのでしょうか。

秋田犬には、柴犬などのアジア原産の犬と同じルーツを持つ特徴が基本的に残っていることが確認されているというから、相当、外国の血が入っているのでないかと言われそうですね。

 でも、土佐犬の血液型には外国と血液型分布が近いという話は聞かないね。

大型化のためだけの、一時的な交配だったのかもしれないですね。

さらに日清戦争以降は、秋田犬には、南樺太へ渡った人たちが持ち込んだ樺太犬や北海道犬も入っているのです。

一方、洋犬種としては、まず小坂銅山のドイツ人技師の飼い犬であったマスティフと思われる犬や、明治中期以降には、ジャーマン・シェパード・ドッグやグレート・デーンなどとの交配も行われたのです。

 何度もヨーロッパの犬と交配してるようでは、血液型分布がヨーロッパ犬に近いと言われても、どうせ、そのせいでしょうと言われそう。

これによって立耳、巻尾といったスピッツタイプ本来の特徴が失われた犬は、旧来の秋田マタギに対して新秋田と呼ばれたのですね。

江戸、明治と盛んに行われた闘犬だが、明治も末の1908年(明治41年)、社会的弊害に鑑みて、ついに県下に闘犬禁止令が発令されたのです。

警視庁が闘犬・闘鶏・闘牛を禁止するのが1916年(大正5年)7月26日のことです。

 8年も先駆けての禁止令は、県下での白熱ぶりを偲ばせますね。

 闘犬禁止令によって、秋田犬の飼育減ったのでしょうか。

どうでしょうね。

洋犬人気の高まりなどが重なって、秋田犬の飼育数はある程度減ったかもしれないですね。

 洋犬との雑化によるタイプの乱れは、さらに進んだのでしょうね。

ただ、疑問なのはいくら外国の犬との交配や交雑が進んだからと言って、血液型分布はヨーロッパ型に近づくでしょうか。

どの程度であれば、そうなるかという、目安はどのくらいかです。

 秋田犬に対するヨーロッパ犬の比率が、同数かそれ以上でないと、血液型分布がヨーロッパ型にならないかしら。

外国の犬との交配や交雑がいくら活発だったとしても、明治以降なのです。

しかも、活発だったのは明治期だけ。

秋田犬より外国の犬の方が多い状態が、あったと思えますか。

それより気になるのは、日本の犬は基本的にスピッツタイプとされることです。

スピッツは、犬の系統の1つで、複数の品種を含みます。

米国UKC(United Kennel Club)の分類法では北方犬種(Northern Breeds)とされているのです。

シュピッツとも発音されるスピッツ(Spitz)とはドイツ語で「鋭利な、尖った」という意味で、口のあたりや耳の尖った形からこのように呼ばれたのです。

口のあたりや耳の尖った犬の系統であるスピッツは、古い犬の特質を色濃く残す犬種なのですよ。

そして、日本の在来犬種はすべてスピッツ系です。

日本では、スピッツ系の品種の1つである日本スピッツを特に指してスピッツと呼ぶことが多いですけど。

秋田犬は、柴犬などのアジア原産の犬と同じルーツを持つ特徴が基本的に残っているにもかかわらず、血液型分布がヨーロッパタイプなのはなぜかということの方を、問うべきかも。

外国の血が混ざると、混ざった方の特徴は意外と表面に強く出るのです。

つまり、日本のほかの地域の犬は、秋田犬よりアジアの犬との混血が進んでいるとみたらどうでしょう。

 秋田犬は、ヨーロッパ犬との交配が活発だったので、元の血液型分布が保てたと見た方が、かえって合理的な説明になる。

秋田美人の色白の程度は、ヨーロッパに近い訳ですよ。

 ヨーロッパから来たと見ないと説明できないほど白い秋田美人がヨーロッパから連れてきたから、秋田犬の血液型分布もヨーロッパ型になった。

 そう見る方が自然。

考えてもみてくださいね。

ミロのビーナスが秋田美人の典型で、イタリア人やフランス人やスペインのバスク人と似た顔がいるのが、日本ですよ。

 そういえば、日本人にはゲルマンの血が入っていると見る人もいましたね。

 そして、スピッツは北方原産の犬種とされている。

スピッツは、古い犬の特質を色濃く残す犬種なのですよ。

 そして、日本は島国だから、古い時代の特質が残りやすい。

日本犬は、基本的にマタギの犬ということは、縄文は狩猟採集文化だったことからして、縄文時代から人の傍にいたとみたらどうですか。

縄文貝塚から出るネコの骨は、オオヤマネコのものと指摘されるです。

 オオヤマネコは、古代日本を除くと、アメリカとヨーロッパのネコね。

 ネコが自分で船に乗って、航海したと見るのは不自然ね。

人について行ったと見たほうが、納得いくでしょ。

 そういえば、アジアでオオヤマネコの話題は聞かない。

つまり、オオヤマネコはヨーロッパからアメリカ経由で日本に来たと見ないことには説明がつかないのです。

 秋田犬の血液型分布がヨーロッパ型なのは、祖先の血液型分布が保てたから。

日本はアジアの国だから古代はアジアだけ見れば良いと考えているから、他の地域の犬がアジアの犬との交配や交雑が進んでいるという見方ができないわけですね。

大正時代に入る頃から、学識者や関係者によって、「秋田犬を保存すべし」という世論が高まりを見せたのです。

保存運動の中心となったのは、雑化を危惧した時の大館町長であった泉茂家らです。

このような動きは秋田犬に限ったことではなく、明治期の舶来文物偏重や交通の自由化等による洋犬等との雑化と、その反動としての保存運動とは、全国の日本犬に共通の動きです。

このような流れの中、1919年(大正8年)には、種族保護に関する法律、すなわち天然記念物保存法が発令されたのです。

同法の制定に向けて中心となって動いた渡瀬庄三郎は、当時の「日本犬保守運動」の中心人物でもあります。

渡瀬らは翌1920年(大正9年)、内務省の視察団として、秋田犬の調査のために大館市を訪れたのです。

この時は秋田犬はタイプの雑化が甚だしいとみなされて、天然記念物への指定には至らなかったのです。

渡瀬は1922年(大正11年)の動物学会において 「日本犬の起源に就いて」と題する発表を行ったが、一番の議論の焦点は秋田犬であったというのです。

これ以後、同好者による秋田犬の繁殖改良・再作出への取り組みはいっそう勢いを増し、1927年(昭和2年)5月には、町長らによって「秋田犬保存会」が設立されました。

日本犬保存会が東京に 設立されたのは、これより1年遅い1928年(昭和3年)6月のことです。

日本犬保存会は、秋田犬、北海道犬、柴犬、甲斐犬、四国犬等の保存を目的とする団体です。

保存会の設立以降、秋田犬復興への取り組みはいよいよ本格的になり、1931年(昭和6年)春の、鏑木外岐雄らによる再調査を経て、同年7月31日、9頭の優秀犬が、「秋田犬(あきたいぬ)」として国の天然記念物としての指定を受けます。

これは日本犬としては初の天然記念物指定です。

この1年後の1932年(昭和7年)10月4日、帰らぬ主人・上野英三郎(東京帝国大学教授)を渋谷駅で待ち続ける秋田犬忠犬ハチ公の記事が「いとしや老犬物語」として朝日新聞に報道され、注目を集めます。

2年後の1934年(昭和9年)4月には、東京渋谷の駅頭でハチ公像が除幕されます。

ハチ公は翌1935年(昭和10年)3月8日、11歳4ヶ月で死亡したが、主人に忠実な秋田犬は、忠犬ハチ公の名とともに、ますます世に知られることになったのです。

この1934年(昭和9年)頃から、秋田犬保存会は犬籍登録を実施、1938年(昭和13年)には「秋田犬標準」も制定され、展覧会も開催されるようになります。

太平洋戦争(大東亜戦争)の勃発によって、一時中断されますけど。

もちろん現在は、社団法人秋田犬保存会によって、展覧会が実施されています

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アンコール・トムと地中海?

アンコール・トムの遺跡には、戦いばかりか、民衆の生活を描いたレリーフも見えるのです。

むしろ、生活を描いたものが多く、サーカスも描かれているのです。

アンコールトム遺跡には相撲のレリーフも、見つかるのです。

それは、まわしと思えるものを身に着けた向かい合う二人の姿から想像できるのです。

さらに、初期アンコールの遺跡からグリフィンが連想できるレリーフも見つかるといいます。

グリフィンとは、鷲あるいは鷹の翼と上半身、ライオンの下半身をもつ伝説上の生物です。

グリフィンの名は、曲がった嘴を意味するギリシア語のグリュプス(Γρυψ)なので、ギリシア神話に登場する思われているが、誤りだといいます。

 ヘロドトスの『歴史』など古くから多くの物語に登場しており、伝説の生物としての歴史は古いそうね。

古代では、神の力のシンボルとも神の守護者ともされたのです。

崇拝の歴史はメソポタミアや古代エジプトに遡り、ギリシャやローマへと続いたのです。

現在のカザフスタン南東にあたるスキタイのアルタイ山地あたりでは、貴重な財産を守ってくれる存在とされるようですね。

 アンコール朝の正体はなんだったのか、これからの展開が面白そうね。

鷲の部分は金色で、ライオンの部分はキリストの人性を表した白であるともいいます。

 ライオンの部分はキリストの人性を表した白、ライオンってネコ科でしょ。

 イエスって、猫に縁があるのね。

 やはり、イエスの原型はエジプトの猫神であるラーに遡るのね。

 それに、ラーの娘に怒りの雌ライオンの頭を持つ女神セクメトがいるでしょ。

グリフィンは、コーカサス山中に住み、鋭い鈎爪で牛や馬をまとめて数頭掴んで飛べたといいます。

紋章学では、グリフォンは黄金を発見し守るという言い伝えから、「知識」を象徴する図像として用いられたのです。

また、鳥の王・獣の王が合体しているので、「王家」の象徴としてももてはやされたのです。

グリフォンと牝馬の間に生まれた、鷹の上半身に馬の下半身を持つ生物は、ヒッポグリフ(hippogriff)と呼ばれます。

グリフォンには重要な役目が2つあります。

1つは天上の神々の車を引くことです。

ギリシャ神話の女神ネメシスの車を引くグリフォンは、ほかのグリフォンと違い身体も翼も漆黒です。

また、彼らは馬を目の敵にしているが、これはどうも神々の車をひくという役目を横取りされかねないと思っているためらしいのです。

2つめの役目は欲に目の眩んだ人間の処罰です。

グリフォンの習性として、金銀財宝を集めるというものや、財宝のある場所に巣を作るというものがあります。

グリフォンの発祥の地は、数多の財宝が眠るとされる中東の砂漠地帯であり、富のためなら命を惜しまない強欲な人間を惹きつけてきました。

しかし、砂漠の空を巡回するグリフォンにたいていの者は見つかってしまい、その爪と牙の餌食となっているのです。

長い年月の末、グリフォンの目を掠めることに成功した者達の手によって財宝は掘り尽されたが、グリフォンは今も健在であり、行動範囲を広げているといいます。

 あまり欲張ってばかりいると、グリフィンの処罰の対象になりかねない。

また、一方でグリフォンは、「七つの大罪」の一つである「傲慢」を象徴する動物として描かれることもあります。

 神と悪魔の二面性、グリフィンはどこか猫に印象が重なるのね。

伝説でいえば、猫又ですね。

 あるいは、罪人を運ぶ妖怪とされる火車。

でも、神の車を曳くと言えば、聖書のメルカバ―も連想できるのがグリフィンなのですよ。

 男性、ライオン、雄牛、および鷲の4つの顔が、メルカバーの条件と言われるのね。

 グリフィンは、鷲の上半身と翼、ライオンの部分はキリストの人性を表した白で、男性、ライオン、鷲まではそろうけど、雄牛がいない。

だから、いままでだれもメルカバ―とグリフィンを比べようとはしなかったかもです。

ネメシスは、ギリシア神話に登場する女神で、人間が神に働く無礼に対する、神の憤りと罰の擬人化であるとされます。

ネメシスの語は元来は「義憤」の意であるが、よく「復讐」と間違えられます。

聖書で神の戦車とされるメルカバ―も、義憤のイエスがサタンたちを倒すために乗るとされます。

 なるほど、グリフィンとメルカバ―って、妙に似てますね。

 ところで、アンコール朝の話は、どうなったの。

このグリフィンと思われるレリーフのある建造物は、アンコール朝初期と見られます。

この建造物にある魔除けの顔は、古代ローマ人領にいた様々な民族の顔なのです。

しかもそのころのアンコール朝の港と見られる遺跡からは、古代ローマのコインが出るのですよ。

 つまり、海のシルクロードで来たローマ帝国から来た人が交易目的で住んでいた。

どうもそればかりでは、ないように見えるのです。

小さな橋にも見える、古代ローマの影響とも思える高度な土木技術はローマ人が手掛けた仕事かもしれないで、すまされます。

アンコールにすべての道が通じる国土つくりも、ローマ人が王の間近に使えて進言した結果かもしれないで、すまされます。

じゃあ、世襲ではなかった王は、何を意味するのでしょう。

 でも、ローマの植民地だったとしたら、なんでローマでは当たり前だった施設がないのかしら。

そこなのですよ。

疑問は。

 ローマ人の征服王朝だったとか。

それにしては、ローマを感じさせる技術や制度があるのに、施設や建造物が見えないのが気になるのです。

アンコール・ワットはヒンズー教なのにたいし、北に位置するアンコール・トムを建てたアンコール朝中興の王にして最盛期の王であったジャヤーヴァルマン7世はアンコール朝を仏教国に変えてしまったのです。

 アンコール・ワットは寺町の意味だったのに対し、アンコール・トムは大きな町という意味でしょ。

アンコールは、都市を指すサンスクリットのナガラからでた言葉です。

サンスクリットは古代から中世にかけて、インド亜大陸や東南アジアにおいて用いられていた言語です。

サンスクリットは、古典時代から広く使われて多くの文献を残しているため、ヨーロッパで古典学術用語として栄えたラテン語・ギリシア語とともに「三大古典印欧語」と称されることもあります。

現在の母語話者は少ないが、インドでは憲法で認知された22の公用語の一つです。

宗教的な面から見ると、ヒンドゥー教、仏教、シーク教、ジャイナ教の礼拝用言語で、その権威は現在も大きいと言うのです。

サンスクリットは、印欧語族とも呼ばれるインド・ヨーロッパ語族のアーリア語を祖語とするインド・イラン語派に属します。

狭義には紀元前5世紀から紀元前4世紀にパーニニがその文法を規定し、その学統によって整備された古典梵語とも称される古典サンスクリットのことを指します。

広義には、最古部は紀元前1500年頃とされるリグ=ヴェーダに用いられていた言葉にまで溯り、後の時代の、仏典などが記された仏教混交サンスクリットをも含む言葉です。

同じくアーリア語を祖語とするインド・イラン語派に属する古典語であるアヴェスター語とは、非常に類似しているのです。

アヴェスター語とは、ゾロアスター教の聖典『アヴェスター』に用いられた言語です。

インド・ヨーロッパ語族のサテム語派の代表的な言語であり、インド・イラン語派イラン語群東部方言に分類されます。

実際に話されていた場所や時代は定かではないが、言語学その他による検証により、 紀元前7世紀頃のイラン東南部の言語とする説が有力です。

現存する最古の史料はサーサーン朝ペルシア末期、6世紀頃の物で、それ以前は 口承伝持で伝えられてきたと考えられます。

表記にはアヴェスタ文字が用いられるが、 これはパフラヴィー語と同じくアラム文字を元に、6世紀頃創作された文字で、母音や子音の微妙な相違まできちんと表記できるです。

イラン諸言語で用いられた文字としては、唯一の例として知られるといいます。

サンスクリットは、釈迦の時代など日常の生活においてパーリ語などプラークリットと呼ばれるインド各地の地方口語が一般に用いられるようになって以降も、逆に公用語として普及し、ヒンドゥー教・仏教など宗教・学術・文学等の分野で幅広く長い期間に亘って用いられたのです。

サンスクリットは、プラークリットと共に近代インド亜大陸の諸言語にも大きな影響を与えた言語です。

サンスクリットとプラークリットの二つの古典語はヒンドゥスターニー語などの北インドの現代語の祖語です。

そればかりか、ドラヴィダ語族に属する南インド諸語に対しても借用語などを通じて多大な影響を与えたです。

さらには東南アジアの多くの言語や、東アジアの言語にも影響を与えているのです。

但し近代インドの諸言語では、特に北インドのインド語派の言語を中心に高級語彙の供給元の言語としてサンスクリットだけでなくインドのイスラーム化と同時に導入されたアラビア語、ペルシア語も広範囲で機能しているのです。

そのため純正なサンスクリット系語彙がインド語派に属する系統的に近いヒンドゥスターニー語などでは失われ、却って系統的に遠い南インドのドラヴィダ諸語の中に保存されているというねじれた事態も少なくないのです。

 ちょっとまって、アラム文字って言ったでしょ。

 アラム語と言えば、イエスの時代のユダヤ人が話していたヘブル語の方言でしょ。

 それに関係した文字が、アラム文字でしょ。

ええ、アラム文字は、かつての中東の国際語であったアラム語の文字で、フェニキア文字と密接な関係があります。

アラム文字は時代・地域によって非常に多くの字形があり、アラム文字から派生した他の言語の文字も非常に多いですよ。

ペルシア帝国時代に行政言語としてエジプトからアフガニスタン・中央アジア、インドまで広範囲に渡って普及したのです。

紀元前後にはアラム語の諸方言ばかりか、パルティア語やソグド語などの中期イラン語の表記にもメソポタミア地方で使用されていたアラム文字が用いられたのです。

アラム文字は、かつてのメソポタミア・バビロニア地方にて使われていた楔形文字から代替されると急速に普及したのです。

また、古代ユダヤ人が使用していた古ヘブライ文字は、アラム文字に代替されたが、アラム文字からは現ヘブライ文字が生み出されているのです。

 つまり、崇拝の歴史はメソポタミアや古代エジプトに遡り、ギリシャやローマへと続いたグリフィン、サンスクリットにはアラム文字が関係している。

クメール文字の系譜は、こうなるのです。

原カナン文字からフェニキア文字が生まれ、アラム文字が派生し、ブラーフミー文字へと転じ、今のクメール文字になった。

 言葉は、民族とともに移動するでしょ。

アラム文字ということは、へブル人なのかって言いたいのですか。

ほかにも、証拠が欲しいですね。

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アンコール・ワットと日本?

アンコール・ワットは、細かいところにこだわっても面白いけれど、そこだけを見ていくと謎だらけになります。

アンコールは町、ワットは寺、つまり寺町という意味です。

アンコール・ワットはヒンズー教の寺院です。

 東京ドーム15個分の広さに、さまざまな意味を込めた造形や装飾が、ありますもの。

アンコール・ワットの、基本的な思想は全体の構図の中に、壮大な思想体系は細部の造形や装飾の中に、込められていると言って良いでしょう。

そこで、アンコール・ワットに込められたメッセージを読み解くには、まず全体構造に託された基本的な思想とはいったいどのようなものであったかを、見る必要があるでしょう。

よく指摘されるのは、アンコール・ワットが山を造形したものだということです。

 神の山、ですか。

須弥山を意識したのだと、指摘されます。

 じゃあ、神奈備山とも神南備山とも書かれる、神霊が鎮座する山。

でも、山というなら、ピラミッド型でも良いのではないでしょうか。

 つまり配置に意味がある。

細かいところに、あえて目をつぶって、全体を見てください。

 曼荼羅に、似てますね。

曼荼羅は3×3の構図が、基本です。

 じゃあ、生命の樹ですか。

その通りです。

古代インドにも、タントラという陰陽道やカッバーラ同様の、古代の唯物弁証法があったのです。

唯物弁証法の思想の三本柱は、次の通りです。

①対立物の統一と闘争
②螺旋的発展(否定の否定)
③量から質、質から量への転換

そして、もう一つの三本柱があります。

①理論
②運動
③実践

両者を3かける3の構図で組みわせると、曼荼羅や生命の樹とそっくりな構図が浮かび上がるのです。

日本にも、似た構図がありますよ。

 門松、ですか。

3・4・3の構図ではないかと、いう声も出るかもしれません。

生命の樹の真ん中の柱には、マルクトという10個めの節が付くのです。

けれど、マルクトを除く9個の節だけでも生命の樹なのですよ。

さらに、出雲大社は柱の配置がまさに3×3の構図です。

 じゃあ、アンコール・ワットと出雲大社は、カッバーラ・タントラ・陰陽道という共通の思想で作られているのですか。

日本建築に、屋根に鬼瓦という魔除けの顔があるでしょ。

初期アンコール朝の遺跡にも、屋根に魔除けの顔があるのですよ。

それも、ギリシャやローマ、トルコやペルシャ、スペインやポルトガル、まさにローマ帝国領の人々の顔です。

面白いことに、南部イタリアにも屋根に魔よけの顔を付ける風習があるそうです。

 じゃあ、鬼瓦の鬼のモデルは、元をたどれば古代ローマ帝国の人。

ありえますね。

アンコール朝時代の港の遺跡からは、ローマ帝国のコインも見つかると言いますよ。

アンコール朝はまた、古代ローマ並みの土木建築技術があると言います。

小さな橋でさえ、古代ローマにも匹敵する技術が見て取れると言います。

 海のシルクロードが、あったからでしょ。

東南アジアは、香辛料を求めるローマ人が来ていたところですからね。

 じゃあ、日本にあるクメールの遺伝子は、海のシルクロードが原因でしょうか。

少なくとも、一部はそうかもしれないですね。

 シルクロードの東の端に日本はあるから、イタリア的な顔の人は日本にいてもおかしくない。

 どこか中東でしょと、勘違いされる顔も、海のシルクロードからきたトルコ人やペルシャ人の血が入っていればなっても、そうなってもおかしくない。

でも、建国間もないころ、多くのペルシャ人も来てますよ。

平家にもペルシャとの関連が、見えたでしょ。

 じゃあ、なおさらペルシャ風の顔は日本に居て当然なのね。

そうそう、アンコール・ワットと出雲大社ですね。

以前、この歌でシュリーヤントラを連想したって言いましたよね。

八雲立つ 出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を 

アンコール・ワットは、タントラ思想を持ったヒンズー教の寺院ですよ。

それと、陸のシルクロードで東の出発点は西安でしょ。

海のシルクロードは、出発点はどこでしょう。

 アンコール王朝も、中継点ですよね。

日本まで来ていても、おかしくないはずですよ。

新羅にも、ローマの強い影響はありますから。

日本建築に見えるギリシャ・ローマの影響は、海のシルクロードによると見たほうが良いかもしれないですよ。

八角堂は、海のシルクロードがもたらしたといえるでしょう。

アンコール朝の初期には八角の建築があり、ヨーロッパでもよく見かけると言います。

 トルコのエフェソス遺跡にあった、クレオパトラの妹じゃないかといわれる人のお墓の形も『オクタゴン』と呼ばれる八角形ですね。

 ギリシャの血を引いているから、この八角形なのだろうっていうでしょ。

中国は丸だから、似ているけどまるで違います。

中国で学んだ人も多いから、丸だって建てられたはずでしょ。

 だけど、八角や六角に、こだわってますね。

中国から多くを学びながら、中国化しないで国風化しているでしょ。

 その国風化の根底に、古代ローマの影響がある。

広く、古代中東という風にとらえたほうが良いかもしれないですけどね。

それと、アンコール朝の国つくりも、すべての道はローマに通ず、ならぬ、すべての道はアンコールに通ず、とでも言いたくなるやり方だそうですね。

アンコール朝は、世襲ではなかったのです。

当時のアジアの王朝としては、かなり珍しいことです。

 世界の王朝でも、たいてい世襲でしょ。

ええ、日本の天皇も世襲ですね。

古代ローマ帝国の皇帝や、神聖ローマ帝国の皇帝は世襲ではなく選挙されていたけど、それは一国の支配者としては例外的ですね。

それでいて、ジャヤーヴァルマンを名乗る王は、何度も登場します。

ちなみに、アンコール朝中興の王にして最盛期の王はジャヤーヴァルマン7世と見られています。

この7世というのは後世の研究者が便宜上つけた数字で、当時はもちろんついていません。

アンコールトム遺跡には相撲のレリーフも、見つかります。

それは、まわしと思えるものを身に着けた向かい合う二人の姿から想像できるのです。

さらに、初期アンコールの遺跡からグリフィンが連想できるレリーフも見つかるといいます。

グリフィンとは、鷲あるいは鷹の翼と上半身、ライオンの下半身をもつ伝説上の生物です。

グリフィンの名は、曲がった嘴を意味するギリシア語のグリュプス(Γρυψ)なので、ギリシア神話に登場する思われているが、誤りだといいます。

 ヘロドトスの『歴史』など古くから多くの物語に登場しており、伝説の生物としての歴史は古いそうですね。

古代では、神の力のシンボルとも神の守護者ともされました。

崇拝の歴史はメソポタミアや古代エジプトに遡り、ギリシャやローマへと続いたのです。

現在のカザフスタン南東にあたるスキタイのアルタイ山地あたりでは、貴重な財産を守ってくれる存在とされるようですね。

アンコール朝の正体はなんだったのか、これからの展開が面白そうです。

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