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アンコール・トムと地中海?

アンコール・トムの遺跡には、戦いばかりか、民衆の生活を描いたレリーフも見えるのです。

むしろ、生活を描いたものが多く、サーカスも描かれているのです。

アンコールトム遺跡には相撲のレリーフも、見つかるのです。

それは、まわしと思えるものを身に着けた向かい合う二人の姿から想像できるのです。

さらに、初期アンコールの遺跡からグリフィンが連想できるレリーフも見つかるといいます。

グリフィンとは、鷲あるいは鷹の翼と上半身、ライオンの下半身をもつ伝説上の生物です。

グリフィンの名は、曲がった嘴を意味するギリシア語のグリュプス(Γρυψ)なので、ギリシア神話に登場する思われているが、誤りだといいます。

 ヘロドトスの『歴史』など古くから多くの物語に登場しており、伝説の生物としての歴史は古いそうね。

古代では、神の力のシンボルとも神の守護者ともされたのです。

崇拝の歴史はメソポタミアや古代エジプトに遡り、ギリシャやローマへと続いたのです。

現在のカザフスタン南東にあたるスキタイのアルタイ山地あたりでは、貴重な財産を守ってくれる存在とされるようですね。

 アンコール朝の正体はなんだったのか、これからの展開が面白そうね。

鷲の部分は金色で、ライオンの部分はキリストの人性を表した白であるともいいます。

 ライオンの部分はキリストの人性を表した白、ライオンってネコ科でしょ。

 イエスって、猫に縁があるのね。

 やはり、イエスの原型はエジプトの猫神であるラーに遡るのね。

 それに、ラーの娘に怒りの雌ライオンの頭を持つ女神セクメトがいるでしょ。

グリフィンは、コーカサス山中に住み、鋭い鈎爪で牛や馬をまとめて数頭掴んで飛べたといいます。

紋章学では、グリフォンは黄金を発見し守るという言い伝えから、「知識」を象徴する図像として用いられたのです。

また、鳥の王・獣の王が合体しているので、「王家」の象徴としてももてはやされたのです。

グリフォンと牝馬の間に生まれた、鷹の上半身に馬の下半身を持つ生物は、ヒッポグリフ(hippogriff)と呼ばれます。

グリフォンには重要な役目が2つあります。

1つは天上の神々の車を引くことです。

ギリシャ神話の女神ネメシスの車を引くグリフォンは、ほかのグリフォンと違い身体も翼も漆黒です。

また、彼らは馬を目の敵にしているが、これはどうも神々の車をひくという役目を横取りされかねないと思っているためらしいのです。

2つめの役目は欲に目の眩んだ人間の処罰です。

グリフォンの習性として、金銀財宝を集めるというものや、財宝のある場所に巣を作るというものがあります。

グリフォンの発祥の地は、数多の財宝が眠るとされる中東の砂漠地帯であり、富のためなら命を惜しまない強欲な人間を惹きつけてきました。

しかし、砂漠の空を巡回するグリフォンにたいていの者は見つかってしまい、その爪と牙の餌食となっているのです。

長い年月の末、グリフォンの目を掠めることに成功した者達の手によって財宝は掘り尽されたが、グリフォンは今も健在であり、行動範囲を広げているといいます。

 あまり欲張ってばかりいると、グリフィンの処罰の対象になりかねない。

また、一方でグリフォンは、「七つの大罪」の一つである「傲慢」を象徴する動物として描かれることもあります。

 神と悪魔の二面性、グリフィンはどこか猫に印象が重なるのね。

伝説でいえば、猫又ですね。

 あるいは、罪人を運ぶ妖怪とされる火車。

でも、神の車を曳くと言えば、聖書のメルカバ―も連想できるのがグリフィンなのですよ。

 男性、ライオン、雄牛、および鷲の4つの顔が、メルカバーの条件と言われるのね。

 グリフィンは、鷲の上半身と翼、ライオンの部分はキリストの人性を表した白で、男性、ライオン、鷲まではそろうけど、雄牛がいない。

だから、いままでだれもメルカバ―とグリフィンを比べようとはしなかったかもです。

ネメシスは、ギリシア神話に登場する女神で、人間が神に働く無礼に対する、神の憤りと罰の擬人化であるとされます。

ネメシスの語は元来は「義憤」の意であるが、よく「復讐」と間違えられます。

聖書で神の戦車とされるメルカバ―も、義憤のイエスがサタンたちを倒すために乗るとされます。

 なるほど、グリフィンとメルカバ―って、妙に似てますね。

 ところで、アンコール朝の話は、どうなったの。

このグリフィンと思われるレリーフのある建造物は、アンコール朝初期と見られます。

この建造物にある魔除けの顔は、古代ローマ人領にいた様々な民族の顔なのです。

しかもそのころのアンコール朝の港と見られる遺跡からは、古代ローマのコインが出るのですよ。

 つまり、海のシルクロードで来たローマ帝国から来た人が交易目的で住んでいた。

どうもそればかりでは、ないように見えるのです。

小さな橋にも見える、古代ローマの影響とも思える高度な土木技術はローマ人が手掛けた仕事かもしれないで、すまされます。

アンコールにすべての道が通じる国土つくりも、ローマ人が王の間近に使えて進言した結果かもしれないで、すまされます。

じゃあ、世襲ではなかった王は、何を意味するのでしょう。

 でも、ローマの植民地だったとしたら、なんでローマでは当たり前だった施設がないのかしら。

そこなのですよ。

疑問は。

 ローマ人の征服王朝だったとか。

それにしては、ローマを感じさせる技術や制度があるのに、施設や建造物が見えないのが気になるのです。

アンコール・ワットはヒンズー教なのにたいし、北に位置するアンコール・トムを建てたアンコール朝中興の王にして最盛期の王であったジャヤーヴァルマン7世はアンコール朝を仏教国に変えてしまったのです。

 アンコール・ワットは寺町の意味だったのに対し、アンコール・トムは大きな町という意味でしょ。

アンコールは、都市を指すサンスクリットのナガラからでた言葉です。

サンスクリットは古代から中世にかけて、インド亜大陸や東南アジアにおいて用いられていた言語です。

サンスクリットは、古典時代から広く使われて多くの文献を残しているため、ヨーロッパで古典学術用語として栄えたラテン語・ギリシア語とともに「三大古典印欧語」と称されることもあります。

現在の母語話者は少ないが、インドでは憲法で認知された22の公用語の一つです。

宗教的な面から見ると、ヒンドゥー教、仏教、シーク教、ジャイナ教の礼拝用言語で、その権威は現在も大きいと言うのです。

サンスクリットは、印欧語族とも呼ばれるインド・ヨーロッパ語族のアーリア語を祖語とするインド・イラン語派に属します。

狭義には紀元前5世紀から紀元前4世紀にパーニニがその文法を規定し、その学統によって整備された古典梵語とも称される古典サンスクリットのことを指します。

広義には、最古部は紀元前1500年頃とされるリグ=ヴェーダに用いられていた言葉にまで溯り、後の時代の、仏典などが記された仏教混交サンスクリットをも含む言葉です。

同じくアーリア語を祖語とするインド・イラン語派に属する古典語であるアヴェスター語とは、非常に類似しているのです。

アヴェスター語とは、ゾロアスター教の聖典『アヴェスター』に用いられた言語です。

インド・ヨーロッパ語族のサテム語派の代表的な言語であり、インド・イラン語派イラン語群東部方言に分類されます。

実際に話されていた場所や時代は定かではないが、言語学その他による検証により、 紀元前7世紀頃のイラン東南部の言語とする説が有力です。

現存する最古の史料はサーサーン朝ペルシア末期、6世紀頃の物で、それ以前は 口承伝持で伝えられてきたと考えられます。

表記にはアヴェスタ文字が用いられるが、 これはパフラヴィー語と同じくアラム文字を元に、6世紀頃創作された文字で、母音や子音の微妙な相違まできちんと表記できるです。

イラン諸言語で用いられた文字としては、唯一の例として知られるといいます。

サンスクリットは、釈迦の時代など日常の生活においてパーリ語などプラークリットと呼ばれるインド各地の地方口語が一般に用いられるようになって以降も、逆に公用語として普及し、ヒンドゥー教・仏教など宗教・学術・文学等の分野で幅広く長い期間に亘って用いられたのです。

サンスクリットは、プラークリットと共に近代インド亜大陸の諸言語にも大きな影響を与えた言語です。

サンスクリットとプラークリットの二つの古典語はヒンドゥスターニー語などの北インドの現代語の祖語です。

そればかりか、ドラヴィダ語族に属する南インド諸語に対しても借用語などを通じて多大な影響を与えたです。

さらには東南アジアの多くの言語や、東アジアの言語にも影響を与えているのです。

但し近代インドの諸言語では、特に北インドのインド語派の言語を中心に高級語彙の供給元の言語としてサンスクリットだけでなくインドのイスラーム化と同時に導入されたアラビア語、ペルシア語も広範囲で機能しているのです。

そのため純正なサンスクリット系語彙がインド語派に属する系統的に近いヒンドゥスターニー語などでは失われ、却って系統的に遠い南インドのドラヴィダ諸語の中に保存されているというねじれた事態も少なくないのです。

 ちょっとまって、アラム文字って言ったでしょ。

 アラム語と言えば、イエスの時代のユダヤ人が話していたヘブル語の方言でしょ。

 それに関係した文字が、アラム文字でしょ。

ええ、アラム文字は、かつての中東の国際語であったアラム語の文字で、フェニキア文字と密接な関係があります。

アラム文字は時代・地域によって非常に多くの字形があり、アラム文字から派生した他の言語の文字も非常に多いですよ。

ペルシア帝国時代に行政言語としてエジプトからアフガニスタン・中央アジア、インドまで広範囲に渡って普及したのです。

紀元前後にはアラム語の諸方言ばかりか、パルティア語やソグド語などの中期イラン語の表記にもメソポタミア地方で使用されていたアラム文字が用いられたのです。

アラム文字は、かつてのメソポタミア・バビロニア地方にて使われていた楔形文字から代替されると急速に普及したのです。

また、古代ユダヤ人が使用していた古ヘブライ文字は、アラム文字に代替されたが、アラム文字からは現ヘブライ文字が生み出されているのです。

 つまり、崇拝の歴史はメソポタミアや古代エジプトに遡り、ギリシャやローマへと続いたグリフィン、サンスクリットにはアラム文字が関係している。

クメール文字の系譜は、こうなるのです。

原カナン文字からフェニキア文字が生まれ、アラム文字が派生し、ブラーフミー文字へと転じ、今のクメール文字になった。

 言葉は、民族とともに移動するでしょ。

アラム文字ということは、へブル人なのかって言いたいのですか。

ほかにも、証拠が欲しいですね。

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