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創世記と最新宇宙論は矛盾しないか。創世記と科学 その2。

ユダヤ教やキリスト教、さらにはイスラムの聖典である旧約聖書『創世記』の冒頭には、以下のような天地の創造が描かれています。

 前にも、それ言ってたでしょ。

一応言わせてくださいな。

1日目 暗闇がある中、神は光を作り、昼と夜が出来た。

2日目 神は空、つまり天を作った。

3日目 神は大地を作り、海が生まれ、植物が出来た。

4日目 神は太陽と月と星を作った。

5日目 神は魚と鳥を作った。

6日目 神は獣と家畜と、神に似せた人を作った。

7日目 神は休んだ。

このうち、3日目以降の明らかに地上での出来事と思える記述はすでに見てきました。

 最新進化論の様々な展開を追ってみると、ほとんど聖書の主張する内容と、矛盾が見えないのですね。

聖書には、こうあります。

神にとっての一日は千年のようであり、千年は一日のようだ。

それで、創世記の天地創造は7000年だったという人たちもいます。

 生物の進化との対比は、後半の5日間、つまり5000年。

最新進化論は、いずれも、ダーウィニズムや新ダーウィニズムの言う気の遠くなる時間を疑っているのです。

なかには、実験進化学を唱える西原克成のように臨床医学への応用が可能なはずだと言い切る人もいます。

 西原克成の目から見れば、実質に必要とされる期間は5000年でも長い可能性がある。

1人の人を治すのに、100年も1000年も、かかるプロセスが使えるわけないでしょ。

 何年だって、待てない。

違いますか。

つまり、西原克成の理論は聖書の言う期間内に十分収まると見る方が自然なのです。

それで、今回は、1日目と2日目に注目します。

1日目 暗闇がある中、神は光を作り、昼と夜が出来た。

ビッグバン理論は、聖書のこの部分を宇宙論に持ち込んだという声さえあるのです。

神は言われた。

「光あれ。」

こうして、光があった。

神は光を見て、良しとされた。

光は昼と呼び、闇は夜と呼ばれた。

夕べがあり、朝があった。

第一の日である。

どうして、そう言われるかというと、1927年にベルギーの司祭で天文学者のジョルジュ・ルメートルが一般相対論のフリードマン・ロバートソン・ウォーカー計量に従う方程式を独自に導き出し、渦巻銀河が後退しているという観測結果に基づいて、「宇宙は原始的原子(primeval atom) の“爆発”から始まった」というモデルを提唱したからなのです。

 だったら、聖書と矛盾しないでしょ。

ところが、詳しい議論は省くけど、ビックバン理論にはいくつもの仮定の上につくられた仮説体系としても弱みもあるのです。

 仮定は一つでも揺らげば、ビックバン理論そのものが崩れ去る。

そうですね。

それに対してプラズマ宇宙論は、徹底的に観測結果そのものにこだわります。

プラズマの観測結果から、宇宙の生成の過程が説明できると主張します。

プラズマ は、気体を構成する分子が部分的に、または完全に電離し、陽イオンと電子に別れて自由に運動している状態です。

つまり、プラズマの発生は基本的に光を伴うと言って良いでしょう。

 有力などちらの理論でも、始めに光があったのですね。

厄介なのは2日目です。

2日目 神は空、つまり天を作った。

そういえば、簡単です。

ところが、聖書にはこうあります。

神は言われた。

「水の中に大空あれ。水と水を分けよ。」

神は大空を造り、大空の下と大空の上に水を分けられた。

そのようになった、

神は大空を天と呼ばれた。

夕べがあり、朝があった。

第二の日である。

ここには、宇宙そのものの創世と地球の創世が、重ねられているのです。

 最新数学理論のフラクタルみたいですね。

フラクタル、そのものですよ。

聖書はカッバーラ、つまりユダヤ教神秘主義で書かれていると、しばしば言われます。

しかしカッバーラとは、授かるものという意味です。

世界を作り動かす根源的な力から授かった知識と知恵の体系が、カッバーラということです。

世界を作り動かす根源的な力を神と呼べば、神の心中に秘められた知識と知恵の体系を授かったものとなるから、神秘主義なのです。

ところが、世界を作り動かす根源的な力とは唯物弁証法なのですよ。

 タントラや陰陽道も、そうでしたねえ。

唯物弁証法には、客観的世界の法則という側面と認識によって得られた法則の知識を言う側面があります。

そして唯物弁証法には世界の階層性があります。

フラクタルは、最新数学理論に世界の階層性が反映されたものなのです。

面白いことに宇宙では、水はありふれた存在なのです。

全ての星は、水の塊として解明されるときはそう遠くないはずです。

 じゃあ、太陽も。

そうなるでしょうね。

 当然、とんでもない、太陽などの恒星はガス天体だという声は出るでしょうね。

それは、恒星の重力が大きさの割に小さく見えているからですよ。

 木星や土星も、大きさの割に重力が小さいと見えていますよね。

しかし、これらの天体はみな、磁気がものすごく大きいのです。

 確かに、ガス天体と見られた星の磁気は程度の差はあってもかなり大きいですね。

さらに、輪のある土星などと輪のない木星とでは磁気の大きさに差があります。

 ここに注目した議論は、これまであまり出ていませんよね。

理由を説明できる議論が展開できないから、でしょうね。

 重力と電磁力の関係や、重力と加速度の関係を考えていけば、説明は可能。

そうなるでしょうね。

重力と加速度は区別できないというのが、相対性理論の主張ですから。

そして、土星などの輪には角加速度があります。

この角加速度も、重力と区別できないはずではないでしょうか。

電磁力と重力の式が形式的に類似していることや、実験によって磁気で見た目の重力の大きさを操れると明らかになっていることから見て、ガス天体と思われていた星の重力はもっと大きいはずと想定できます。

たとえば、磁気でカエルが無重力体験する実験も出来ますよ。

普通地上で無重力体験と言えば、自由落下でしょ。

 自由落下する飛行機を使った無重力体験、テレビで見ますよね。

十分強力な磁気を使えば、猫や犬、人だって浮くわけです。

 象も、浮く。

当然、浮きます。

理論上は、天体だって磁気で軽くできるわけですよ。

 無重力体験中のカエルには、実験装置と航行中の宇宙船は区別がつかない。

そして、ガス天体と言われる星は軒並み磁気が大きいでしょ。

あの磁気で見かけの重力が小さくなっている可能性は十分あり得ます。

そして、磁気で無重力体験可能なら、磁気は重力と同じ大きさの反対向きの加速度と見かけ上区別がつかない現象を作ったわけでしょ。

言い換えれば、加速度は磁気と見かけ上の区別がつかない結果を得られるはずでしょ。

そして、ガス天体とされる星では、輪のある星は輪のない星より軒並み観測される磁気が小さい。

 そういえば、土星などの輪は回転しているから角加速度がありましたね。

矛盾しないでしょ。

 重力がもっと大きいなら、天体の質量も、もっと大きいはずですね。

つまり、ガス天体と見えていた星々は、実は水天体だった可能性が疑えるのです。

 宇宙の塵で、濁っているでしょ。

おそらく、そうでしょう。

泥水と言った方が良いかもしれません。

 光るかどうかは、磁場の形次第。

そうなるでしょうね。

もちろん地球も、例外ではありません。

地球は、磁場の形が光らないようになっているだけということでしょう。

地球は、基本的に水の星です。

雲や海や川などだけでは、ありません。

マントル対流のマントルも、ようは泥の流れであり水の対流です。

雲と大地、大きく見ればどちらも水なのです。

「水の中に大空あれ。水と水を分けよ。」

神は大空を造り、大空の下と大空の上に水を分けられた。

そのようになった、

神は大空を天と呼ばれた。

矛盾しないでしょ。

 ええ、まあ。

天体についての議論は、あなたの仮説でしょって、言いたそうですね。

 前提はすべて、観測結果と磁気と重力に関する最新理論と実験結果ですねえ。

それと、相対性理論も、ですよ。

 やったことは、新たに立てた仮定も前提も、何一つない、独自性皆無の議論。

 視点を変えただけじゃないかと、指摘することも可能ですね。

でしょ。

観測結果と最新理論、相互の矛盾がないように、組み立てただけです。

 従来の定説も、当時の観測結果や最新科学と矛盾はなかったはずだけど。

その後の重力研究が、電磁力との驚くべき類似や相互作用の存在を明らかにしてきました。

進化についても、最新研究は、定説よりはるかに短期間に起こり得るし、起きないとおかしいという展開になっています。

 最新研究を踏まえて、定説も進化すべき。

当然でしょ。

最新の生命科学や、物理研究を調べたら、聖書創世記の記述とほとんど矛盾しないという展開になったのですよ。

聖書の歴史記述については、その多くが史実であると明らかになっています。

最大の壁が、創世記でした。

 古代イスラエル人についても、謎が多いでしょ。

出エジプト記と史実については、そのようですね。

10の奇跡も含めて、解明が必要なことはいくつもあるようですね。

説はいろいろでているようですが。

創造論科学と称する議論の多くは、聖書の解釈の方を無理やり科学に合わせたようにみえます。

私の今回の議論は、最新科学の成果を整理したら創世記の記述に限りなく近くなったというものです。

聖書解釈から、観念論的神秘主義を追放して、純然たる歴史書として読むのが私の目的です。

弁証法の矛盾とは、相補関係が本質的にもつ動的な釣り合いのことです。

今までの釣り合いが限界に達したら、新たな釣り合いに移行するのです。

 組み立てられる議論や事実の間に、矛盾があってはいけない。

弁証法論理とは、形式論理に変化という視点を持ち込んだものであって、矛盾を持ち込んではいけないのです。

 矛盾とは変化の原動力であって、論理自体は整合性がないといけない。

 それが、弁証法ですか。

そうです。

聖書の創世記は、神を法則と言い換えれば、最新理論そのものなのです。

唯物弁証法は、大昔に宇宙の謎を哲学的に解明していたということでしょうね。

神とは、世界を作り動かす根源的な力であるとともに、そのすべてを極め尽くした知恵と知識の到達者ということかもしれないですね。

 知れば、やりたくなる。

 神の境地に辿り着けば、天地創造をやりたくなる。

満を持して、天地創造をした人がこの広い宇宙のどこかにいたのかもしれませんよ。

唯物弁証法では、神の境地への到達は、少なくとも理論的には可能ですからね。

追記。

かつては天王星、海王星もガス天体含めていたが、現在では別の巨大氷惑星として天王星型惑星に分けられています。

また、木星についても、大気の下方は1000℃以上でガスは液化していると見られるようになってきました。

木星の表面と中心核の中間領域では、高熱1万℃と高圧で水素は液体金属になっていると考えられています。

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