弁証法とカッバーラ・タントラ・陰陽道。
弁証法哲学は、認識とは世界を反映して得られるものだから長い時間をかければすべてを写し取る可能性や能力を持っていると説きます。
認識の反映論、ですね。
認識はなぜ外界を正しく捉えることが可能なのかは、哲学では認識論と言います。
弁証法哲学は、生命以前と見られている物質世界から、生命に至るまで一貫した世界観で説明しようとします。
認識の原型は、物質段階ですでに見られている環境を反映する力にあると見るのです。
例えば、水分子の、個体の氷と液体の水と気体の蒸気の三つの状態は、温度の反映です。
記憶でさえ、金属の磁化のような現象に、原型がみられます。
磁化にも、短期の状態と長期の状態があるでしょ。
磁石の傍にあったり、巻きつけたコイルに電流を流している間だけ、磁化される状態が、短期ですね。
永久磁石を作るのが、長期の磁化の典型。
その間に、短い間だけ磁化された状態が残る場合もありますけどね。
液体と固体、あるいは気体でいえば、混ざるだけのときと、溶けたときがあるでしょ。
変形でも、元の形にすぐ戻る場合と、成形されて元に戻らない場合が、ありますね。
物質のこのような性質が、高度に組織されて新しい段階に到達したのが生命の能力。
つまり永遠の時を与えられたなら、認識は神の領域に到達しえると言っていることになります。
認識できない経験や現象の背後にある超経験的なものや本体的なものなど、存在しないという立場です。
認識できない経験や現象の背後にある超経験的なものや本体的なものがあるというのは、不可知論ですね。
認識できない経験や現象の背後にある超経験的なものや本体的なものは、神と言って良いでしょうか。
確かに、認識の限界を超えた超越的存在を、多くの人は神と考えているようですね。
認識できない経験や現象の背後にある超経験的なものや本体的なものを神というなら、神はいないと弁証法哲学は説きます。
しかし、弁証法哲学は、認識は世界を反映しつくす段階に限りなく近づくと説きます。
認識は世界を反映しつくす、世界を知り尽くしたら神の領域に限りなく近づくわけでしょ。
だが、認識が神の領域に到達可能と、説くだけではないです。
いかにして世界を変革すべきか説きます。
つまり、知識と知恵が神に到達する方法を説く哲学でもあるとも言えます。
言い換えれば弁証法哲学は、神になる方法を説いている哲学です。
聖書にある、「我々に似せて人を作ろう」とは、「神の相似形として人を作ろう」であり、「神に限りなく近づける者として人を作ろう」でもあるわけです。
弁証法哲学と聖書は、矛盾していない。
弁証法哲学は、神仙思想と紙一重なのですね。
そういえば、ユダヤ教神秘主義とされるカッバーラも、弁証法哲学の特徴を持ってますね。
陰陽道やタントラも、弁証法哲学の特徴を持ってますよね。
そこで、ニュー・サイエンスと呼ばれる人々は東洋神秘思想に引かれていくわけです。
「ニュー・サイエンスの特徴を大まかに見ると、東洋思想と現代物理学の相似性の強調、還元主義に対する包括的理論の提唱、そしてその両極をつなぐすべてのスペクトルの根底にある神秘主義的アプローチという三つの要素が浮かび上がってくる。」
弁証法哲学は、神仙哲学としての顔があるから、こういう議論になるのです。
東洋思想を弁証法哲学、神秘思想を相似的世界観と置き換えるとこうなります。
「ニュー・サイエンスの特徴を大まかに見ると、弁証法哲学と現代物理学の相似性の強調、還元主義に対する包括的理論の提唱、そしてその両極をつなぐすべてのスペクトルの根底にある相似的世界観的アプローチという三つの要素が浮かび上がってくる。」
ただ、ニュー・サイエンスの人たちは、相似的という関係の中に階層性も入ることを見落としがちな気がします。
階層性は、単純な還元では置き換えることができないから、包括的理論の提唱を要求します。
でも、ニュー・サイエンスの人たちもまた、階層性や相似性を包括的という言葉に単純に還元する過ちに陥りがちなようです。
ニュー・サイエンスは最新数学のフラクタルを、きちんと理解して自らの理論や議論に取り込んで展開しきれていない。
ニュー・サイエンスが新しい展望を切り開きながら、自らは袋小路に嵌ってしまうのは、そのためでしょう。
オカルトに嵌っていると見られて、似非科学のレッテルも貼られがち。
弁証法は、きちんと理解できていないと詭弁に陥り、自らの展望を閉ざしてしまいやすいから、注意が必要なのですね。
神の導きと、サタンの唆しとを、見分けろと聖書は説きますね。
神を見失うなとは、弁証法でいえば詭弁に陥って足を取られるなということですね。
詭弁とは、サタンの唆し。
サタンとは妨げるものだから、正しい認識への到達を妨げるもの。
ニュー・サイエンスの指摘自体は的外れではないが、ニューサイエンス自体は基本的なところで的外れです。
ニュー・サイエンスの指摘に耳を傾けるほうが良いが、ニュー・サイエンスの方向には行くな。
詭弁にも一理ある場合は多いけれど、詭弁はしょせん詭弁、見切りをちゃんとつけて足を取られないように気を付けたいですね。
まさに、神を見失うな、ですよ。
アカデミズムも、定説に囚われる点も多いけれど、誤りに気が付けば大胆に方向転換できるだけ、まだましかもしれません。
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