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侘と寂とキリスト教?

侘(わび)寂(さび)は、日本の美意識の1つです。

一般的に、質素で静かなものを指します。

 侘は、一般的には閑寂な生活を楽しむこととか、思いわずらうことや、悲嘆にくれることとされますね。

侘とは、動詞「わぶ」の名詞形で、その意味は、形容詞「わびしい」から容易に理解されるように「立派な状態に対する劣った状態」となりますね。

転じては「粗末な様子」、あるいは「簡素な様子」を意味しています。

もっと端的にいえば「貧しい様子」「貧乏」ということになりましょう。

だが、茶道・俳諧などでは、美的理念の一とみられました。

簡素の中に見いだされる清澄・閑寂な趣として、中世以降に形成された美意識で、特に茶の湯で重視されたのです。

侘の例として、兼六園の茶室、夕顔亭があげられます。

わび茶で使われる茶室は、一般的に周りに木や竹を生やし、茶室以外の世界から断絶させます。

数名が茶を点てて飲むためだけのために設計され、通常、他の建造物からも隔離させて建てます。

建材も自然の状態のまま、塗装などをあまりしないものを多く用います。

飾りやおごりを捨てた、ひっそりとした枯淡な味わいですね。

 一方、寂は、「寂のある声」などの言い回しがあるように声の質で、低く、枯れた感じのある渋みのあるものでしょ。

 謡曲や語り物などの声の質で、声帯を強く震わせて発する、調子の低いものですよね。

 太くてすごみのある声に聞こえますね。

寂は動詞「さぶ」の名詞形で、本来は経年変化、つまり、時間の経過によって劣化した様子を意味しています。

転じて漢字の「寂」が当てられ、人がいなくなって静かな状態を表すようになりました。

同様に金属の表面に現れた「さび」には、漢字の「錆」が当てられています。

英語ではpatina(緑青)の美が類似のものとして挙げられ、緑青などが醸し出す雰囲気についてもpatinaと表現されます。

 寂は、さびしみや、しずけさという意味でも言いますね。

「寂のある茶碗」などのように、古びて味わいのあることや、枯れた渋い趣にも使う言葉ですね。

 「寂に徹した境地」など、閑寂枯淡の趣も表しますね。

連歌や俳諧、特に、蕉風俳諧で重んじられた理念でもありますね。

 閑寂さが芸術化された、句の情調ということでしょ。

中世の幽玄・わびの美意識にたち、もの静かで落ち着いた奥ゆかしい風情が、洗練されて自然と外に匂い出たものですね。

寂には、太くてすごみのあるという意味が込められるけど、面白いことに細みや軽みもまた、寂の類似した言葉として挙げられますね。

 細みや軽みは、蕉風俳諧の根本理念の一ですよね。

細みは、作者の心が対象にかすかに深く入り込んでとらえる美とか、繊細微妙に表現される句の境地です。

軽み(かるみ)は、軽み(かろみ)とも呼ばれる俳諧用語ですね。

芭蕉が晩年に志向した、日常性の中に日常的なことばによる詩の創造の実現をめざす句体や句法、あるいは芸境のことですね。

日常卑近な題材の中に新しい美を発見し、それを真率・平淡にさらりと表現する姿なので、軽みと表現したわけですね。

 撓り(しおり)というもの、ありますね。

撓りには、萎りの字が当てられることもありますね。

撓りもまた、蕉風俳諧の根本理念の一で、対象に対する作者の繊細な感情が、自然に余情として句にあらわれたものですね。

 撓りは、能ではカナでシオリと書くことが多いようですね

泣く様子を表現する型で、手の指を伸ばしてそろえ、斜めに顔の前に上げ、面(おもて)を少しうつむかせる仕草ですね。

このように、本来侘と寂は別の概念であるが、現代ではひとまとめにされて語られることが多いです。

侘は、本来は良い概念ではなかったが、禅宗の影響などもあってこれが積極的に評価され、美意識の中にとりこまれていきました。

侘に関する記述は、古く万葉集の時代からあると言われています。

「侘」を美意識を表す概念として名詞形で用いる例は、江戸時代の茶書『南方録』まで下る。

江戸時代の茶書『南方録』以前では「麁相」(そそう)という表現が近いが、千利休などは「麁相」であることを嫌っていたから必ずしも同義とは言い難いですね。

「上をそそうに、下を律儀に(表面は粗相であっても内面は丁寧に)」と、千利休の高弟である山上宗二が天正16年、西暦でいえば1588年に書き記した秘伝書である山上宗二記(やまのうえのそうじき)に記されているそうです。

 山上宗二記は、道具の所持者の情報から、その成立は1586年、天正14年に遡ると考えられていると聞きますよ。

そういう議論もありますね。

侘とは、強いて言えば「priceは高くないが、qualityは高い」という概念になりましょう。

茶の湯では「侘」の中に単に粗末であるというだけでなく、質的に、あるいは、美的に優れたものであることを求めるようになりました。

この時代、「侘び」の語は「侘び数寄」という熟語として現れます。

これは「侘び茶」の意ではありません。

侘び茶人、つまり「一物も持たざる者、胸の覚悟一つ、作分一つ、手柄一つ、この三ヶ条整うる者」(宗二記)のことを指していました。

「貧乏茶人」のことであります。

後の千宗旦の頃になると、「侘」の一字で無一物の茶人を言い表すようになる。

ここで宗二記の「侘び」についての評価を引用しましょう。

「宗易愚拙ニ密伝‥、コヒタ、タケタ、侘タ、愁タ、トウケタ、花ヤカニ、物知、作者、花車ニ、ツヨク、右十ヶ条ノ内、能意得タル仁ヲ上手ト云、但口五ヶ条ハ悪シ業初心ト如何」とあります。

「侘タ」は、数ある茶の湯のキーワードの一つに過ぎなかったのです。

初心者が目指すべき境地ではなく一通り茶を習い身に着けて初めて目指しうる境地とされていました。

この時期、侘びは茶の湯の代名詞としてまだ認知されていません。

ただし宗二は「侘び数寄」を評価しているから、侘び茶人が茶に親しむ境地も評価されます。

やがて茶の湯の精神を支える支柱として「侘び」は静かに醸成されていったのです。

侘は茶の湯の中で理論化されたが、「わび茶」という言葉が出来るのも江戸時代であります。

特に室町時代の高価な「唐物」を尊ぶ風潮に対して、村田珠光はより粗末なありふれた道具を用いる茶の湯を方向付け、武野紹鷗(たけのじょうおう)や千利休に代表される堺の町衆が深化させました。

武野紹鷗は、文亀2年つまり1502年から 弘治元年閏10月29日というから西暦の1555年12月12日に生きた堺の武具商あるいは皮革商とされる豪商で、茶人でもありました。

 紹鷗は、紹鴎と書く人もいますね。

紹鷗が正しいですけど、紹鴎の方が、変換しやすいからでしょうね。

彼らが「侘び」について言及したものがありません。

彼らが好んだものから、当時醸成されつつあった侘びについて探るより他ありません。

茶室は、どんどん侘びた風情を強めた。

張付けだった壁は民家に倣って土壁になり藁すさを見せ、6尺の床の間は5尺、4尺と小さくなり塗りだった床ガマチも節つきの素木になりました。

 紹鷗は、備前焼や信楽焼きを好んだでしょ。

 利休は、楽茶碗を創出させたし。

日常雑器の中に新たな美を見つけ茶の湯に取り込もうとする彼らの態度は、後に柳宗悦等によって始められた「民芸」の思想にも一脈通ずるところがあります。

侘は、江戸時代に多くの茶書によって茶道の根本美意識と位置付けられるようになります。

侘を「正直につつしみおごらぬ様」と規定する『紹鴎侘びの文』や、「清浄無垢の仏世界」とする『南方録』などの偽書も生み出されたのです。

また大正・昭和になって茶道具が美術作品として評価されるに伴い、その造形美を表す言葉として普及した。柳宗悦や久松真一などが高麗茶碗などの美を誉める際に盛んに用いています。

その結果として、日本を代表する美意識として確立した。

岡倉天心の著書The Book of Tea(『茶の本』)の中では“imperfect”という表現が侘をよく表しており、同書を通じて世界へと広められました。

寂もまた、本来は良い概念ではなかったが、『徒然草』などには古くなった冊子を味わい深いと見る記述があり、この頃には古びた様子に美を見出す意識が生まれていたことが確認されます。

室町時代には特に俳諧の世界で重要視されるようになり、能楽などにも取り入れられて理論化されてゆくのですね。

 先に挙げたシオリに、通じますね。

さらに松尾芭蕉以降の俳句では中心的な美意識となるが、松尾本人が寂について直接語ったり記した記録は非常に少ないとされます。

俳諧での寂とは、特に、古いもの、老人などに共通する特徴のことで、寺田寅彦によれば、古いものの内側からにじみ出てくるような、外装などに関係しない美しさのことだといいます。

具体的な例で挙げられるのは、苔の生えた石があります。

誰も動かさない石は、日本の風土の中では表面にコケが生え、緑色になります。

 君が代に、さざれ石の巌となりて苔のむすまでとありますね。

 あの苔、緑色なのですね。

 千代に八千代というけど、千は聖書では、神にとっての一日は千年のようであり、千年は一日のようだ、とあるでしょ。

 緑はイエスの象徴とされる色、石は神との契約のしるしとして立てられる場面があるでしょ。

 さらに、八(や)はヤハウエのヤに音が通じる。

日本人は苔を、石の内部から出てくるものに見立てました。

 つまり、苔の緑に覆われた石は寂の象徴ということですか。

 苔生して緑になった石は、悲しみを湛えた細やかな心の象徴という点で、なんだかイエスに通じますね。

 そういえば、養蚕ではなぜか、猫の代わりとされる猫石が登場する。

 石でも、イエスと猫は重なりますか。

寂を、イエスやキリスト教と印象を重ねますか。

 日本文化には、奇妙なほど聖書時代のイスラエルやキリスト教が連想できるものは多いですからねえ。

連想するのは自由ですよ。

じゃあ、侘も、聖書やキリスト教と印象を重ねますか。

 侘は「粗末な様子」、あるいは「簡素な様子」を意味していますよね。

聖書は、富者より貧者を神の心に叶う行いの人として描くことが多いですよ。

 例えば、マルコの12章にはこうあります。

「まことに、あなたがたに告げます。この貧しいやもめは、献金箱に投げ入れていたどの人よりもたくさん投げ入れました。みなは、あり余る中から投げ入れたのに、この女は、乏しい中から、あるだけを全部、生活費の全部を投げ入れたからです。」

 有名な山上の訓戒は、前半にこう述べています。

 心の貧しい者は幸いです。

 天の御国はその人のものだからです。

 悲しむ者は幸いです。

 その人は慰められるからです。

 柔和な者は幸いです。

 その人は地を相続するからです。

 義に飢え渇いている者は幸いです。

 その人は満ち足りるからです。

 あわれみ深い者は幸いです。

 その人はあわれみを受けるからです。

 長いので後は省くけど、侘の心は、ここに述べられた言葉に、通じるところがあるように思えます。

思うのは、自由ですよ。

受け止め方は、人それぞれですからね。

寂とは、このように古びた様子に美を見出す態度であるため、骨董趣味と関連が深いです。

たとえば、イギリスなどの骨董(アンティーク)とは、異なる点もあるものの、共通する面もあるといえます。

寂はより自然そのものの作用に重点がある一方で、西洋の骨董では歴史面に重点があると考えられます。

 侘や寂と、イギリスですか。

 日本は奇妙なほど、イギリスに似通った文化が見えますね。

武士道と騎士道、緑茶と紅茶、妖怪と妖精、さらには、音と意味が似通った言葉もある、などですね。

 お菓子と一緒に茶を楽しむ文化も、似てますね。

お菓子、好きですねえ。

 大好きですよ。

 それから、アメリカのケネウィックで見つかった古代人骨は、イギリス人とアイヌに似ている。

 幕末の日本に来たヨーロッパ人は、ブリティッシュな顔が日本にいるという。

 おまけに日ユ同祖論とブリティッシュイスラエル。

 イギリスって、面白いほど、日本文化と比較できますね。

侘や寂まで、日ユ同祖論に持っていきますか。

連想するのは、面白いですけどねえ。

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