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犬の癒し、猫の癒し。

犬は、心を解き放つが故に、人が嵌るのでしょう。

解き放った心の中で、犬を思い切り走らせる。

たとえば散歩をしなかった人が、犬が来ると外出するようになることって多いのではないでしょうか。

心の中にあった、これもしたい、あれもしたいという想いが、犬によって引き出される。

犬によって、自分がいつの間にか大きくなったという感覚が無意識のうちにもたらされる。

犬はどんなときも、自分の可能性を広げてくれるかけがえのない存在にいつの間にかなっている。

犬の癒しは開放感、心に生えた翼のような存在。

だから、人は犬を失うと体の一部を失った気がするのでしょう。

猫は、心の隙間に住みつくが故に、人が嵌るのでしょう。

入り込んだ心の隙間の中で、猫は気ままに振る舞う。

たとえば頑固な人が、猫を知ると前よりいつの間にか不思議と寛容になることって多いのではないでしょうか。

心の中にあった、全てを自分が決めることに疲れたという想いが、猫によって引き出される。

猫によって、自分で何もかも決めなくたっていいじゃないかという感覚が無意識のうちにもたらされる。

猫はどんなときも、自分の心に重荷が来ないようにしてくれるかけがいのない存在にいつの間にかなっている。

猫の癒しは脱力感、心のど真ん中のつっかえ棒のような存在。

だから、人は猫を失うと心に大きな穴が開いた気がするのでしょう。

そんな気がするのです。

こういう見方は、変でしょうか。


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コメント

Wham bam thank you, ma’am, my questions are ansewerd!

投稿: Roxy | 2011年7月17日 (日) 20時36分

Could you sympathize.

投稿: cova | 2011年7月18日 (月) 07時46分

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