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2011年7月

ブラックホールに水は似合うか?

ナショナルジオグラフィック ニュースで、この記事を見つけました。

巨大ブラックホールに大量の水を確認

            Andrew Fazekas
for National Geographic News
July 28, 2011

http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=20110728002&expand#title

 地球から120億光年離れた銀河の中に、これまで見つかっている中で最も遠くにある、最も大量の水の雲が確認されたと天文学者が発表した。

 地球の質量の400億倍に達するこの巨大な水蒸気雲は、クエーサーと呼ばれるタイプの活発に物質を飲み込む超大質量ブラックホールの周囲を取り囲んでいる。

 クエーサーというのは、宇宙の中でも特に明るくエネルギー放出の大きな天体だが、実体は銀河の中心に存在するブラックホールであり、周囲の降着円盤の重力エネルギーを消費し、同時に強力なエネルギージェットを逆に放出している。

 研究の共著者でカリフォルニア州パサデナにあるカーネギー天文台の天文学者エリック・マーフィー氏は、「ブラックホールは、この円盤の物質を飲み込み、そのときにX線や赤外線の放射の形でエネルギーを放出す

る。そのエネルギーが今度は周囲の物質を熱することがあり、観測されたような水蒸気が生じている」と説明する。

 このクエーサーを取り囲む水蒸気は、「地球の全海水の140兆倍に相当する。きわめて大量の水だ」。

◆原初の水が宇宙を冷やした?

 マーフィー氏らは、ハワイのマウナケア山頂にあるカリフォルニア工科大学サブミリ波天文台の口径10メートルの電波望遠鏡に取り付けられた分光器を使い、この湿ったブラックホールを発見した。

また、異常に温かいこの水蒸気の雲の中に、ブラックホールを取り囲むほかのガスや塵が混じっていることも明らかにした。

 実際、ガスや塵の量が十分にあるため、このブラックホールは現在の6倍、太陽の質量の1200億倍以上にまで成長しうるとマーフィー氏は言う。

 そしておそらくそれ以上に驚くべき発見は、この巨大な宇宙の貯水池が形成されたのが、宇宙が生まれてまだ16億年しか経っていないころだったということだ。

「この発見で私が何より興奮するのは、宇宙の年齢が現在の10分の1でしかなかったころでさえ、水がどれほど普遍的だったかということを証明している点なのだ」とマーフィー氏は語る。

「宇宙がこのように若かった段階の天体でこれほど大量(の水)が見つかったという事実は、ビッグバン後、銀河において分子形成と化学進化が非常に急速に進み得たということを示す新たな根拠となる」。

 天文学者は、今回の発見をもとに、若い宇宙に大量に存在した水が星間物質(恒星間の宇宙空間に存在するガスや塵)の効率的な冷却剤としてどう働いたかを研究できるものと期待している。

その冷却が、恒星の形成と銀河系のような銀河の進化に影響を及ぼしたと考えられるのだ。

 水蒸気を伴うクエーサーに関するこの研究論文は、「Astrophysical Journal Letters」誌に受理されている。

この記事で注目したいのは、ここです。

地球の質量の400億倍に達するこの巨大な水蒸気雲は、クエーサーと呼ばれるタイプの活発に物質を飲み込む超大質量ブラックホールの周囲を取り囲んでいる。

このクエーサーを取り囲む水蒸気は、「地球の全海水の140兆倍に相当する。きわめて大量の水だ」。

実は、ブラックスターと言った方が良い天体がブラックホールに分類されるなかにあると指摘する説があるのです。

詳しい話は、前にしたからここではブラックスターがあるらしいとだけ、言っておきましょう。

つまり、物理学が破綻するかもしれない特異点が存在しないのに、あたかもブラックホールのように振る舞う天体があるわけです。

さらに、大きさだけでは恒星か惑星か区別がつかないという議論まで、出てきています。

大きな惑星はガス天体だから、恒星との差は光っているかどうかというのは、もはや昔の話です。

少なくとも惑星からは、ガス天体という括りは消えつつあるのです。

 そういえば、ガス天体とされた星は、軒並み磁気が大きいですね。

そして、磁気によって重力は制御可能であることも見てきました。

 強力な磁気で無重力を体験しているカエルには、宇宙を飛んでいる船の中と地上の実験室は区別がつかない。

それが、アインシュタインの相対性理論ですよ。

 磁気による無重力体験中は、足元の地球は消えたも同然。

だったら強力な磁気で、地球がガス天体であるかのように、異星人を欺くことも理論上は可能でしょ。

 この記事が報告しているのは、ブラックスターだった。

そう見る方が、自然でしょ。

追記

今回深入りしなかった話は、ここを見てくださいね。

ブラックホールに黒星がつくか。
http://cova-nekosuki.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/post-c901.html

惑星と恒星の境目はどこ?
http://cova-nekosuki.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/post-7be3.html

反磁性で惑星の輪を解釈してみた。重力と電磁力?その7
http://cova-nekosuki.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/post-e870.html

無重力で作る単結晶は地上で可能になる。重力と電磁力?その6
http://cova-nekosuki.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/post-b7ed.html

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シカン。

今回は、以前ネット上で交わしたシカン研究で知られるアンデス考古学者の松本剛との議論で得られた情報を元に多少手を加えてお話したいです。

 つまり、あなたの説の展開よね。

ええ、基本的にはそうですよ。

シカン展は二回行きましたが、想像外の埋葬方法に衝撃を受けました。

 ロロ神殿の「東の墓」のことでしょうか。

 確かに逆さまって、他では聞いたことないですね。

 首も変な捻られ方していますね。

日本にも、死後に特別な力を得たいと逆さ埋葬を願った人物の伝承なら、あります。

また、逆さには埋葬しないが逆さごとという風習もあります。

松本剛によると、考古学的には、「西の墓」の方が得られる情報量が多く、より重要とみられていますね。

 シカンの逆さ埋葬は、どんな解釈ができそうですか。

古代には、相対する事物によって世界は作り動かされているという、弁証法的思想ともいえる発想があったようです。

陰陽でいえば下や左や後ろは陰の秘められた力の世界とされていました。

超自然的で神秘な力を欲したという、見方もできますね。

相対する事物によって世界は作り動かされているという、古代思想としては、陰陽やタントラ、カッバーラなどがあります。

陰陽でいえば、陰には、方向でいえば後ろ、左、下になります。

ところが方位では西と北が左と見なされ陰に配されます。

シカンの東西の墓を陰陽で見ると、陽の東に陰の逆さ埋葬で陰陽合一となり、陰の西にメッセージを秘めた副葬品を陽として置いてまた陰陽合一とする。

さらに、東西の墓でも陰陽合一を図る。

弁証法には、階層的あるいは入れ子的な世界観があるのです。

アメリカ先住民には、方位や色にこだわる文化もあるようですね。

実は陰陽は方位とともに、色にもこだわります。

 特に五色でしょ。

配色に違いがあっても五色と方位にこだわるなら、陰陽と極めて似通った発想なり思想があると見えます。

 これを歴史的必然があるから調べるべきと見るか、偶然って面白いねと見るか、ですね。

私は歴史的必然が見えるか、情報を集めたいと思っています。

卑弥呼が魏に送ったのは、「男生口四人・女生口六人・班布二匹二丈を奉り以て到る。」だといいます。

これで先方が満足したということは、内容は半端でなく凄かった可能性があります。

生口は単なる奴隷などではなく、特殊技能者か高度技能者であり、布も品質が良かったのでしょう。

 縄文の文化水準は高かったのですね。

『後漢書』は107年(後漢永初1)に当時の倭国王帥升らが後漢の安帝へ生口160人を献じたと伝えました。

また、『魏志倭人伝』は倭王卑弥呼も239年(魏景初2)に魏明帝へ男生口4人、女生口6人を、243年(魏正始4)に魏少帝へ生口を献じ、その後継者の台与も248年に生口30人を魏へ献じたと伝えます。

『後漢書』は、107年(後漢永初1)に当時の倭国王帥升らが後漢の安帝へ生口160人を献じたと記すのです。

この数字を、160人もと見るか160人しかと見るか、それで相当内容への認識は変わるでしょう。

160人で先方は満足したと見るなら、彼らは単なる奴隷ではなく技能者集団であったとなります。

『魏志倭人伝』は倭王卑弥呼も239年(魏景初2)に魏明帝へ男生口4人、女生口6人を、243年(魏正始4)に魏少帝へ生口を献じ、その後継者の台与も248年に生口30人を魏へ献じたと伝えます。

 これで先方が満足していることからも、生口が単なる奴隷ではなかったと見る方が自然でしょうね。

最新の発掘成果は明らかにしていることは、興味深いですよ。

縄文遺跡は、東西それぞれの日本に統一単位と日常的交易の存在を想定する方が自然な内容物が出土してます。

 これは度量衡の統一と、交換レートの広域設定なしにありえないですね。

卑弥呼の時代は十分に中国が一目置くだけの国が、日本に営まれていたということでしょう。

縄文土器とよく似た出土品はアメリカからも出ているし、南太平洋は、日本とアメリカの縄文を繋いでいたのではないかと見られる島々が連なるのです。

環太平洋的な広がりが見える縄文文化を背景に外交していたから、中国が日本に一目置いていたのかもしれません。

卑弥呼は、だいたい175年頃から248年頃の女王で、邪馬台国に都をおいていました。

 卑弥呼の鬼道は、陰陽の可能性があるのでしたね。

シカン文化はペルー北部沿岸で750年から1350年頃のプレ・インカ時代に栄えた考古文化です。

陰陽思想は、縄文末期にアメリカにも土器とともにわたっているとしてもおかしくないかも。

徐福は、3,000人の童男童女(若い男女)と百工(多くの技術者)を従え、五穀の種を持って東方に船出、日本で神武になったと見る人もいる縄文末期から弥生初期の人物です。

陰陽の前身とされる思想とされる方術の使い手である方士で、卑弥呼の時代に極めて近いです。

卑弥呼の鬼道の正体と見られる陰陽は、徐福一行が背後にいたかも。

中国と日本とアメリカの古代を繋ぐ陰陽の糸の存在は、どこまでも可能性であり、仮説に過ぎません。

ただ、可能性が見えることは非常に面白いです。

 でも、縄文人には地中海世界からアメリカ経由で日本に来ていることも、十分考えられるわけでしょ。

 しかも、縄文人の流れをくむアイヌには、古代イスラエルと似通った生活文物があるとも言うでしょ。

それは、古代イスラエルの生活文物を持った集団が、地中海世界を経てアメリカに渡っているということでしょ。

古代アメリカの陰陽的思想に結びつくかどうかは、さらに情報が要りますね。

陰陽的思想の基本は、もちろん陰陽と、それから五行です。

陰陽は合一して大極となるが、大極も前後・右左・上下・東西・南北というように位置と対応して陽にも陰にもなります。

そして無限入れ子が出来上がるのです。

陰陽五行では、色は陰陽にも、五行にも対応します。

色は何色かよりも、五色であることの方に注目したほうが良いです。

東=木=青・西=金=白・南=火=赤・北=水=黒・中=土=黄が基本だが、五色には多様性があります。

理論の基本構造は、色の違いによってそれほど左右されません。

陰陽は合一して大極となるが、陰陽それぞれに何が配当されるかで、どういう事物が生じて展開して変化していくかが生旺墓です。

陰陽それぞれに配される要素の間には、統一と対立の関係が展開されていきます。

統一と対立も、相生と相克と呼ばれます。

アンデス考古学者の松本剛からの情報によると、ロロ神殿の周りには東と西の墓だけでなく、他にもたくさんの墓が計画的に配置されていたことが分かっています。

しかも多くは盗掘によって荒らされているそうです。

オリジナルのプランを復元できたら、いろんなモデルを検証することができるといいます。

全体がどんな位置関係で配置されているか、だけでもかなりどんなことを考えていたかを想像できるでしょうね。

松本剛は、埋葬以外にも、神の顔を逆さに表現した金のコップなどが見つかっているといいます。

さらに「逆さま」のデータを増やして、そこから何か答えが導けないか、探ってみる必要があると考えているそうです。

 神の顔を逆さに表現した金のコップなど、ですか。

なにか超自然的な恐れるべき力、例えば、悪魔(akuma)的な存在としてとかでしょうかね。

魔力を得る呪術儀式の道具に用いたとも、想像できますね。

悪魔(akuma)は、世界の民俗の中では日本でいえば鬼に相当します。

鬼(oni)は、陰(on)の転化と見られる秘められた知恵と力の擬人化された存在です。

金も特別な力の象徴なので逆さの神とは、特別な秘められた知恵と力を授かる呪術に用いたのでしょうね。

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ハッブルの法則を見直してみた。

ハッブルの法則は、天体が我々から遠ざかる速さとその距離が正比例することを表す法則であるとされています。

 ハッブルの法則は、1929年、エドウィン・ハッブルとミルトン・ヒューメイソンによって最初に定式化されたのでしたね。

この法則は、宇宙が膨張している事実を示していると解釈されています。

v を天体が我々から遠ざかる速さ、つまり、後退速度、D を我々からその天体までの距離とすると、こういう式が立ちます。

v= H0D

Hの次は数字の0で、アルファベットのOではないですよ。

ここで比例定数H0は、ハッブル定数(Hubble constant)と呼ばれます。

現在の宇宙の膨張速度を決めると、見られています。

ハッブル定数は時間の逆数の次元をもち、単位は通常、km/s·Mpcと書いてキロメートル毎秒毎メガパーセクと読まれます。

現在広く受け入れられている値は、(70.5±1.3)km/s·Mpcです。

銀河は実視等級20等程度までスペクトル観測が可能であるが、いずれの銀河もそのスペクトルは赤のほうにずれています。

スペクトルとは、複雑な情報や信号をその成分に分解し、成分ごとの大小に従って配列したもののことです。

様々な領域で用いられる用語で、様々な意味を持つが、現代的な意味のスペクトルは、分光スペクトルか、それから派生した意味のものが多いです。

スペクトルの赤のほうにずれることを、赤方偏移といいます。

観測された赤方偏移が、ドップラー効果とすれば銀河までの距離と後退速度の間に一定の法則性を発見したものといえるわけです。

 ハッブル定数の解釈に、疑問があるのですか。

ハッブルたちの見つけた事実は、赤方偏移であって、それ以上でも以下でも、ないはずでしょ。

観測された赤方偏移がドップラー効果によるというのは、可能な解釈の一つでしかないはずです。

アインシュタインの一般相対性理論は、いくつかの予測を出しています。

どれも興味深いけれど、今回の議論との関係で気になるのは、重力による赤方偏移です。

1984年、宇宙科学研究所(ISAS)のX線観測衛星てんまが、中性子星の強い重力による重力赤方偏移を世界で初めて捉えたと報じました。

一般相対性理論は、アルベルト・アインシュタインが1905年の特殊相対性理論に続いて1915年から1916年にかけて発表した物理学の理論です。 

 ハッブルの法則は、アインシュタインが一般相対性理論を提起するまえに、出されていますね。

 そして、一般相対性理論の予測した重力赤方偏移による見直しは、てんまによって確かめられた後も行われていない。

そうですね。

少なくとも、一つでも重力赤方偏移が確認された以上、従来観測されている赤方偏移を他に似た事例がないか再検討しても良いと思いませんか。

 加速度と重力は、見分けがつかないはずですねえ。

だったら、これまで観測された天体からのスペクトルが示してきた赤方偏移も、ドップラー効果によるものか、重力赤方偏移によるものか、区別はつかないはずでしょ。

 遠くに行くほど、早く遠ざかっているという解釈は、間違っている。

加速度の足し合わせの結果と、重力の足し合わせの結果も、見分けがつかないはずでしょ。

 特定の天体を中心にとると、他のすべての天体は遠ざかっているという結果でないとおかしいですね。

つまり、青方偏移が見つかったとしても、それを天体の回転によるものだとかなんとか、説明できないとまずいはずでしょ。

だが、アンドロメダ銀河のスペクトルは、青方偏移しているという観測結果が報告されています。

秒速300kmで、こちらに近づいてきているそうです。

ハッブル定数については、こんな記事がありました。

宇宙の膨張速度を決めるハッブル定数が従来より精確に
【2011年3月15日 HubbleSite】
http://www.astroarts.co.jp/news/2011/03/15hubble_constant/index-j.shtml

 アメリカの研究チームにより、宇宙の膨張速度を決めるハッブル定数の値が従来より高精度で求められた。

宇宙膨張を加速させる「暗黒エネルギー」説をさらに確固たるものにし、別の説を除外する結果となっている。

 おとめ座の方向約7,200万光年先にある「NGC 5584」は、調査対象となった8つの銀河の1つ。
クリックで拡大(提供:NASA, ESA, A. Riess (STScI/JHU), L. Macri (Texas A&M University), and the Hubble Heritage Team (STScI/AURA))

 アメリカのAdam Riess氏らの研究チームは、ハッブル宇宙望遠鏡(HST)に搭載された広域観測カメラ3(WFC3)の観測結果から8つの銀河の距離と地球から遠ざかる速度を測定し、誤差3.3%というひじょうに高い精度でハッブル定数を求めた。

ハッブル定数は宇宙の膨張速度を決めるパラメータで、遠い銀河ほど速く遠ざかるという比例関係の定数となる値だが、今回発表された値は73.8km/s/Mpcというものだ。

これは、距離が1メガパーセク(100万パーセク=約326万光年)離れるごとに、遠ざかる速度が秒速73.8km大きくなる、ということを表している。

 銀河までの距離測定は、Ia型超新星の明るさを観測して行われた。

Ia型超新星はピーク時の明るさが一定で、しかもたいへん明るいため、見かけの明るさと比較することで遠方銀河までの距離の測定に用いることができる。

宇宙が加速度的に膨張していることの説明として、物体同士を遠ざけ空間を広げる斥力(注)を生む「暗黒エネルギー」が提唱されており、Riess氏らの研究チームなどが1998年にその存在の観測的な証拠を発見している。

もう1つの説として「天の川銀河周辺を取り囲むさしわたし80億光年の泡状の空洞が膨張している」というものがあり、この場合の定数値は約60~65となる。

だが今回、ハッブル定数の値が正確にしぼりこまれたことで、この説が除外された。

 宇宙の膨張速度をより正確に求めることで、暗黒エネルギーの強さや宇宙の形状、存在する素粒子の種類など、さまざまな推計が可能になる。

注:「斥力(せきりょく)」 物質同士を引き合わせる「引力」とは反対に、物質同士を引き離す力のこと。

こういう内容です。

秒速300kmという、アンドロメダ銀河のスペクトルが示した青方偏移から推定される速度早いですよね。

これは、ドップラー効果で推定したから早いとなるわけですよ。

重力青方偏移とみたら、どうでしょう。

 いまのところ、時空連続体の歪みから生まれるのは引力だけというのが定説なのですよね。

アインシュタインの特殊相対性理論と一般相対性理論は、物理学史上古典力学に分類されている場合が多いですよ。

 古典力学といえば、普通はニュートン力学でしょう。

ニュートン力学では、全ての作用には反作用があるはずですね。

引力は時空連続体の歪みとして説明されます。

 だが、この時空連続体の歪みは、質量によるはずでしょ。

ならば、時空連続体の歪みは質量からの作用によるはずではないですか。

そして引力とは、質量による作用が引き出した時空連続体からの反作用ではないでしょうか。

時空連続体にたいして、質量から作用した力は斥力であるはずではありませんか。

 時空連続体の歪みが重力とするなら、引力だけなく斥力もないとおかしいはずだと。

1901年の国際度量衡総会において、標準重力加速度の値を9.80665m/s2と規定し、以来その値が用いられています。

 秒速300km、かなり大きいですね。

アンドロメダ銀河が示した重力青方偏移とみたら、それくらいの速度にみえる偏移はむしろ妥当かもしれないですよ。

天体で観測できるすべてのスペクトルの偏移が重力で説明できれば、アインシュタインの宇宙定数導入の方こそ正しくて、判断ミスと思った方が早とちりだったとなる可能性はあり得ると思うがいかがでしょう。

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聖書には猫の出てくる記事もあった。

エレミヤの手紙に、聖書では珍しく猫がでてきます。

 旧約と新約を通して、猫が出るのはエレミアの手紙だけですよね。

エレミヤの手紙は、バビロンへ拉致されることになった民への手紙という形式を取っており、偶像礼拝の愚かさ、無力さを一貫して指摘しています。

偶像は生命を持たず、歩けず、喋れず、何も感じず、と無能さを列挙した上で、それを畏れる者もまた嘲られるというのが主題です。

エレミヤの手紙は、カトリック教会と正教会では旧約聖書に含めている書物の1つです。

そういえば、続編付というのもありますね。

一方、ユダヤ教とプロテスタント諸派では外典として扱いますからね。

 だから、聖書に猫が出てこないと言われるわけですね。

そうですね。

バルク書の第6章として含まれることもあり、哀歌の後続の小編として位置づけられています。

ちょっと長くなるけど、どんな文脈で猫が登場するか見てみましょう。

バビロニア人の王によって捕らえられ、バビロンに連れて行かれようとしている人々に、神から命じられたことを伝えるため、エレミヤが送った手紙の写し。

1、あなたたちがバビロニア人の王ネブカドネツァルによって捕らえられ、バビロンに連れて行かれようとしているのは、神に対して罪を犯したからです。

2、バビロンに行ったら、何年もの間、七代にも及ぶ長期間そこにとどまることになるでしょう。しかしその後、神はあなたたちを平和のうちに連れ戻してくださいます。

3、バビロンでは、金や銀や木でできた神々の像が肩に担がれて、異邦の民に恐れを抱かせているのを見るでしょう。

4-5、気をつけなさい。群衆が神々の像を前から後ろから伏し拝むのを見て、あなたたちまでが異国から来た民に似た者となり、それらを恐れるようなことがあってはなりません。むしろ心の中で、「主よ、伏し拝むべき方はあなたです」と言いなさい。

6、神の使いがあなたたちと共にいて、あなたたちの生活を見守っているからです。

7、神々の像は金や銀で覆われ、その舌は職人が磨き上げたものであり、まやかしにすぎず、口を利くこともできません。

8、おしゃれな娘にでもしてやるように、人々は金で冠を作り、

9、神々の像の頭に載せています。ときには祭司たちが、神々の像から金や銀をくすねて自分のものとし、

10、その一部を神殿娼婦に与えることもあります。神々の像は、人間にするように、衣で飾られますが、もともと銀や金や木でできていて、

11、さびと虫食いから身を守れないのです。紫の衣をまとってはいますが、

12、自分の上に神殿の埃が積もるために、顔をふいてもらう有様です。

13、また、地方総督のように笏を持ってはいますが、自分に対して罪を犯す者を殺すことができません。

14、右手に短剣や斧を持ってはいますが、戦争や盗賊から身を守ることもできません。このように、それらの像が神でないことははっきりしているのですから、恐れてはなりません。

15、人間が作った器は、壊れてしまえば何の役にも立ちませんが、

16、彼らの神々の像も同じようなもので、神殿に据えられているだけのものです。その目は、出入りする人々がたてる埃にまみれています。

17、また、王に危害を加えた者を死刑にするとき城門を閉ざすように、祭司たちは神殿を扉と鍵とかんぬきで固めて、盗賊に略奪されないようにします。

18、祭司たちは必要以上にともし火をともしますが、神々の像はそのともし火一つ見ることができないのです。

19、神々の像は、あたかも神殿の梁のようなもので、よく言われるように、その内部は虫に食われています。地からわいた虫が体や衣をかじっても、何も感じません。

20、その顔は神殿に漂う煙で黒ずんでいます。

21、その体や頭の上を、こうもりやつばめ、小鳥が飛び交い、猫までやって来ます。

22、このようなことで、それらの像が神でないことは分かるはずですから、恐れてはなりません。

まだ後があるけど、いかに偶像崇拝が馬鹿馬鹿しいか述べる文が続くだけなので省きますね。

 猫まで、って言ってますね。

要するに、神がどれだけ呆れているか表すために、猫がひきあいにだされるわけですね。

 おそらく、動物たちは象徴でしょうね。

蝙蝠は無節操、燕は見栄っ張り、小鳥は小者、でしょうね。

もちろん、蝙蝠は無節操じゃないし、燕は見栄っ張りじゃない、小鳥は小さいけど小者というのとは違うわけですけどね。

だとすると、ここでいう猫は、甘言で人々を誑かす偽物の救世主=サタンの回し者を仄めかすのでしょう。

 あ、そうか。

 猫はイエスのメタファーだからですね。

猫はイエスのメタファーという場合、猫の性質を丸ごと使ってイエスの比喩にするわけでしたね。

逆に、イエスは猫のメタファーといえば、イエスの性質を丸ごと使って猫の比喩にすることになります。

 だからといって、猫とイエスは等号では結べないですよね。

つまり、猫が来たことをイエスが来たことと取り違えてはいけないわけですね。

猫はイエスの象徴であって、イエスそのものではないですから。

 そこで猫は、偽物イエスに成りすますこともできるわけでしょ。

 もちろん、ここでも猫自体が偽物イエスではない。

 イエスもどきではあるけど。

象徴するものと象徴されるものの混同が、イエスもどきをイエスと取り違える過ちに繋がるわけですね。

 偶像もまた象徴するものであって、象徴されるものではない、そういうことですね。

そういうことです。

 神の偶像は説明の方便として生まれたのであって、神自身ではないから間違えるなと。

神を見失うなとは、象徴するものと象徴されるものを混同するな、という意味でもあるわけですね。

 本質を見失った段階で、真理は詭弁に堕落する。

そういうことです。

崇められた偶像に災いを齎すことなく寄るとすれば、この場合の猫は反イエスの象徴以外あるでしょうか。

 そういえば、アークは異教徒に持ち去られた時、偶像に悪戯をして恐れさせましたね。

猫は、魔女狩りでは悪魔(akuma)の化身と見なされて問答無用で殺されたこともありました。

魔女狩りの最盛期は16世紀から17世紀であったが、17世紀末になって急速に衰退していきました。

17世紀末期に魔女狩りが衰退した理由は、いろいろ議論があるようです。

ただ、知識階級の魔女観が変化し、裁判も極刑を科さない傾向が強まったこと、カトリック・プロテスタントともに個人の特定の行為の責任は悪魔(akuma)などの超自然の力でなく、あくまでも個人にあるという概念が生まれてきたことは確かと言われます。

一般庶民の間では、依然として魔女や悪魔(akuma)への恐怖があって「魔女」の告発が行われてたようですけどね。

肝心の裁判を担当する知識階級の考え方が変化して、無罪放免というケースが増えたことで、魔女裁判そのものが機能しなくなっていったようです。

イングランドで1624年に制定された魔女対策法が廃止されたのは1736年であり、最後の40年間はこの法律によって死刑となったものはいなかったと言います。

近代でさえこうですよ。

 本質を見失ったことで始まった魔女狩りは、袋小路に入って破綻した。

そうなるでしょうね。

聖書編纂の時代はなおさら、異教で神と結び付けられた過去のために、猫は、偽物の神の象徴としても、意識されていたのでしょう。

つまり、蛇も猫も、神と悪魔(akuma)の二面性を理解しないと聖書を読み違える危険性があるといえるでしょう。

 アダムとイブを誑かした蛇と、出エジプトで人々を癒した蛇ですね。

ラーがアッラーの正体であり、アッラーは聖書の神と同一です。

そして、ラーは猫神です。

当然、イエスも猫神なわけですよ。

 そして猫は、預言者の象徴ですね。

 エレミヤの手紙で猫までやって来るという場合の猫は、具体的には預言者を指すのですね。

そうなりますね。

 本物の預言者ではないのに、本物が礼拝に来たかのように偶像崇拝者は思い込んで喜ぶのでしょ。

 しかも猫は、イエスに匹敵する救世主であるかのような預言者を指していますね。

ええ、コーランも指摘しているように、イエスは御父エロヒムの預言者です。

コーランでは、御父エロヒムはアッラーと名乗っていますけど。

 イエスは、旧約、新約、コーランを通して御父エロヒムの預言者ですね。

ただし、絶対三神の1人でもあるという、別格の預言者ですけどね。

 猫はイエスのメタファーであるとともに、預言者のメタファーでもあるが、メタファーでしかないから間違えてはいけないですよね。

神を見失うなというのは、そういう意味でもあるわけですよね。

 そうなると、さびと虫食いも、腐敗や退廃の象徴ですね。

そうなるでしょうね。

ときには祭司たちが、神々の像から金や銀をくすねて自分のものとし、とあります。

さびと虫食いは、宗教を食い物にしている祭司のような連中のことでしょうね。

今回は聖書に一か所だけ登場する猫について、考えてみました。

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蜀江坂。

蜀江は中国の川で 風光明媚なところと云われ、また、織物の「蜀江錦」はその美しさで知られています。 

おもしろいことに、日本にもその名を冠した地名があります。 

 目黒区、新宿区、港区ですね。

目黒区の蜀江坂の名の由来は、「衾村々誌」にこうあるそうです。

1365年、世田谷城主の吉良治家が、わが子祖朝の若死にを悼んで東岡寺を建立したとき、蜀江の錦、七条の袈裟と土地を寄進した。

蜀江坂はこれにちなんだ名である。

東岡寺は、いまでは東光寺と呼ばれています。

なお、七条は袈裟の大きさを表します。

条とは小さな布を縦に繋いだもので、袈裟はこれを横に何条か縫い合わせて作られます。

条の数は一般には五条、七条(しちじょう)、九条(くじょう)の3種類であり、条数の多い方が尊重されます。

古い時代の袈裟には十五条、二十三条なども見られたといいます。

蜀江坂は、かつて、中根二丁目18番を西の立源寺裏から東の呑川に下る農道で、野良仕事の行き来に利用されていたが、昭和初期に行われた耕地整理により廃道となった坂です。

なお、いまでも蜀江坂の名は目黒区に残っているが、かつての急で滑りやすかった坂と違い、緩やかな勾配になっています。

新宿の蜀江坂は、新宿区北新宿1丁目と2丁目の間を、南から北に向けて上る坂道です。

坂下部は北新宿1丁目34番と2丁目3番の間、坂上部は北新宿1丁目32番と2丁目4番の間になります。

標識にはこうあります。

かつてこの辺りが蜀江山と称されていたためこう呼ばれる。

蜀江山の由来は、天慶の乱の時平将門(あるいは弟の将頼)が蜀江錦の衣の袖を落としたから、あるいは江戸時代に三代将軍家光が鷹狩でこの地を訪れた時、紅葉の美しさを蜀江の錦のようだと称賛したからだという。

天慶の乱とは、天慶2年(939年)に関東と瀬戸内海で起きた平将門の乱と藤原純友の乱の総称です。

徳川家光は、慶長9年7月17日(1604年8月12日)に生まれ、慶安4年4月20日(1651年6月8日)に没しました。

在職は、元和9年(1623年)から慶安4年(1651年)までです。

港区の蜀江坂白金四丁目と六丁目の境界にある坂道で、北から南に登っています。

標識には、こうあります。

坂の上の丘を紅葉が美しい中国の蜀江にちなんで蜀江台と呼んだことからつけられた。

むかしの字名は卒古台である。

蜀江を冠した地名は、日本ではほかにないようですね。

 港区の蜀江坂の説明、そっけないですね。

 由来に中国の蜀江にちなんだとあっても、誰の名前もない。

逆に言えば、それだけ古いので名付けた人の名が伝わっていないということですよ。

新宿の蜀江坂で、天慶2年(939年)に蜀江錦の衣の袖を落としたのは平将門か、弟の将頼か、分からないわけでしょ。

 あれだけ名のある人物の持ち物でありながら、誰が落としたか特定できないというのも、ちょっと変ですね。

 この説が疑わしいから、三代将軍家光説が出たと思えます。

しかし、天慶の乱に遡る説がある以上、家光説も疑わしいでしょ。

 目黒区の蜀江坂は、間を取って1365年ですねえ。

目黒区の蜀江坂は、かつて米や麦、竹の子などの野菜づくりを主とする農村の赤土の滑りやすい日陰の急な坂だったというからもっと昔はうっそうとした緑に覆われていたかも知れないですよ。

 そうなると、気になるのは港区の説明ですね。

紅葉が美しい中国の蜀江にちなんで蜀江台と呼んだと、ありますね。

 むかしの字名は卒古台、つまり、音が正しく伝わらなかった。

 裏を返せば、それだけ古くからの地名だった。

 昔の日本語は、二重母音でしょ。

 それも、あいまい音になりやすいワ行母音だった。

 蜀江は、容易に卒古に転化しやすい。

 台は高台という事だから、蜀江台が卒古台になまったのでしょうね。

新宿区の説明にも、紅葉の美しさを蜀江の錦のようだと称賛と記すでしょ。

目黒区の蜀江坂も、蜀江にちなんで名付けられた名前と見る方が自然でしょ。

 しかも、名付けた人の名は伝わっていない。

誰言うとなく、蜀江を連想すると言い出したと、いう事でしょ。

 もっといえば、蜀江を思い出したから、となる。

古代、関東に蜀から渡ってきた人々が住み説いて、故郷を想ってこれらの地に蜀江の名を付けたのでしょうかねえ。

 朝鮮の高麗などにちなんだ地名があることを考えたら、可能性がないとは言いきれないですね。

関東の古代、謎が多いですねえ。

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京都祇園祭とキリスト教?

京都の祇園祭で山鉾巡行は、三度の合図ではじまります。

 これは、三神でしょ。

当然、そうでしょ。

 絶対三神だったりして。

記紀神話の造化三神でも、筋は通りますよ。

この祭りでは、扇が至る所で振られます。

陰陽では、閉じた扇は陽、開いた扇は陰に配されます。

陰陽合一の教義によります。

 開いた扇は陰、つまり女。

京の町全体を、陰で覆い尽くし、生まれ変わり、生まれ直しを願って、災いを払う呪術なのでしょう。

京都の祇園祭で巡航する祇園山笠には、八つの籤取らずがあると言います。

おそらく、八は八方で世界を表すのでしょう。

籤取らずは九字取らずで、この九字は道教を源とする「臨・兵・闘・者・皆・陣・裂・在・前」の9文字から成る呪文「九字」と見えます。

 九字を取らないということは、すでに京の町にかけられている呪文を取らない、という事でしょうか。

京の町にかけられている、大元の呪文があるのでしょうね。

碁盤の目になぞらえられる京の地割は、東西に通る十の通りと、南北に通る七の通りからなります。

東西の十の通りは九字切の九字を封じ、南北の七の通りは世界を表す八に足りない、つまり未完を表して永遠を祈るのでしょう。

 東西の十の通りは聖書の十戒、南北の七の通りはメノラーにも、見えますけど。

ようするに、京の町にかけられた呪文があり、それを取り去ると見える真似はしないという事でしょうね。

先頭を切る山笠は、長鉾です。

これは、長いものは神の息であるとともに神の声を表すからでしょう。

天の光を浴びて光る姿が、神の使いの白蛇を表すのでしょう。

今の姿になったのは明治からとみられる、四条通りで行われる白塗りの稚児による結界切も面白いです。

以前はほかの場所で行われていたと見られるが、それがどこかははっきりしないようです。

白塗りの稚児が太刀で結界を切るのだが、その所作もまず横に太刀を払ってから縦に振りおろします。

これは、十字切といい、陰陽の九字切と対を成します。

 キリスト教でも、十字を切りますよ。

白は陰陽では西に配され、死や光の象徴です。

死は魂の世界、神々の世界であり、光に包まれた神の使いである稚児だから露わにすることを許される陰陽の奥義です。

さらに、陰陽の象徴はごろ合わせに満ちています。

稚児は、千児に通じます。

 千は万とともに、永遠の象徴ですね。

 永遠の存在である神の使いの子が、光に満たされて地に現れ、奥義を示す。

 まるでイエスでしょ。

稚児は本来の意味は、乳児、幼児のことです。

「ちのみご」という言葉が縮んだものと考えられるが、後に、袴着・ひもとき前の6歳くらいまでの幼児に拡大されます。

七つまでは神のうち、という言葉に示されるように、この年齢までの死亡率が高かったので、千児に通じる稚児と呼んで無事に乗り切って欲しいと願ったのかも知れないですよ。

七五三は、子どもの厄払いが元です。

稚児が白塗りで祭りに参加することが多いのも、死と再生、さらには光による清めを願ったのでしょう。

祭りの稚児はほとんどが男児なのは、陽の男児に儀礼的な死を潜らせて、無事に神の世界から現世に移ることを願ったのでしょう。

男児は女児より、死亡率が高いですからね。

 死と再生、まるで禊であり、洗礼であるパブテスマ。

 光の清めは、聖霊による清め。

 パブテスマを経た神の子イエスは、聖霊による清めを説いた人でしょ。

また、キリスト教を見ますか。

山鉾は西方の様子を描いた織物で、飾られます。

西方は、死の方角であるとともに神の世界、つまり、神の巡行を意味するという事ではないかと。

 日本人の遺伝子は古代中東に遡ります。

 故郷を懐かしむ、回顧趣味だったりして。

それは、有り得るけど…。

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これもメルトダウン?

こういうのを、贔屓の引き倒し、というのでしょうね。

本当に自信があるなら、正々堂々と証拠を出して議論すれば良いでしょ。

 自信がないから、こんなことまでやる。

情けないですね。

立場をちゃんと、考えないからこういうことになるのでしょう。

2022年7月16日付のしんぶん赤旗に、こんな記事がありました。

舞台裏を報じたような記事と並べて紹介しましょう。

世論誘導初公聴会から

陳述人推進派が多数

原子力委選定

九州電力の玄海原発再稼働をめぐる“やらせ”メールで浮かんだ原発推進派の不正体質。

問題になったのは原発「安全神話」をふりまき、根本的欠陥を糊塗(こと)するため世論をゆがめる行為です。

こうした世論工作は昨日今日のものでなく、全国で初めて行われた国主催の原発公聴会でも、当時の政権政党と一体となってすすめられた実態がありました。(遠藤寿人)

73年、福島原発計画時

 東京電力福島第2原子力発電所(福島県楢葉町、富岡町)の建設をめぐって1973年9月18日、日本初の原発公聴会が開かれました。

 同原発の建設計画をめぐっては、安全性を心配する楢葉町の住民らが公聴会の開催を求める署名を集め、通商産業省(中曽根康弘大臣=当時)に陳情。

1カ月後、原子力委員会が公聴会の開催を通知してきました。

 しかし、「安全性を心配する住民の気持ちを逆手にとって、推進の場に変えられた」と指摘するのは、当時、公聴会開催を要求した一人の早川篤雄さん(70)=原発の安全性を求める福島県連絡会代表=。

 公聴会での陳述希望者は官製はがきで応募する形ですが、実際に選ばれる陳述人は原子力委員会が選定します。

 公聴会の陳述人は、1404人の応募で、うち42人が指定されました。

 「公平」な場のはずなのに、賛成意見27人、反対意見13人と、推進派が圧倒的多数を占めました。

 賛成意見を述べたのは、町長、町議会議長、県議会議員、農業・漁業団体幹部、商工会会頭など地元有力者です。

 しかも不可解なのは公聴会への希望者が1万6158人と、同町人口(約7000人)の倍以上に達したことです。

早川さんは「外部から大量に応募させ、地元住民を締め出した。公聴会では知らない顔がたくさんいた」と証言します。

 この公聴会のために「安全神話」をふりまいたのが自由民主党機関紙「自由民主」です。

裏表2ページの「原発特集号」が、公聴会1週間前、原発建設地域の新聞に折り込まれました。

 福島第1原発(大熊町、双葉町)の航空写真を大きく掲載し、「原発建設で双葉の未来を」との見出しで「関東大震災の3倍の地震がおきても、原子炉はこわれないようにつくられています」と安全性を強調しました。

 さらに推進派は「明日の双葉地方をひらく会」と言う団体を結成。

公聴会の直前に「結成記念講演会」を開催するため、「自由民主」やビラなどで大宣伝しました。

 福島第1原発事故のためにいわき市で避難生活をおくる早川さんは、怒りを込めてこう語ります。

「住民をごまかし、声を無視して『安全神話』を振りまいた、原発推進の責任をきちんと追及する必要がある」

検証が必要なら、批判派と一緒にやったら良いでしょ。

 賛成派で固めないと通らないような自信のないことは、もっと謙虚になってほしい。

これが同じ日のしんぶん赤旗が報じた、舞台裏の眺めです。

09年

原発を持たない沖縄電力除く原発推進の9電力会社役人206人

自民に献金2800万円

やらせメールの九電も157万円

 原発を持たない沖縄電力を除く東京電力など9電力会社の役員ら206人が、自民党側に、2009年の1年間に判明しただけで、約2800万円もの献金をしていたことが、本誌の調べでわかりました。

電力会社役員の国民政治協会への献金(2009年)

北海道電力 28人   219万円
東北電力  14人   170万円
東京電力  47人   569万円
中部電力  25人   406万円
北陸電力  14人   251万円
関西電力  11人   172万円
中国電力  16人  450.5万円
四国電力  35人   397万円
九州電力  16人   157万円
 計    206人   2791.5万円

(注)政治資金収支報告書などで作成

 自民党の政治資金団体「国民政治協会」の09年分の政治資金収支報告書を調べたもの。

 これによると、もっとも多かったのは、東電の47人、569万円。

勝俣恒久会長、清水正孝社長(当時)が30万円、経済産業省OB(資源エネルギー庁次長)の白川進副社長(当時)ら6人の副社長は全員が24万円など、献金額が職位によって、ランク付けされているのが特徴です。

事故後、社長に就任した西澤俊夫常務(当時)は12万円でした。

 献金額が、次に多いのは、中国電力の450万円。

福田督会長(当時)、山下隆社長(現会長)が38万円、副社長が32万円などと、同様にランク付けがされています。

山口県に計画中の上関原発の「立地プロジェクト長」を兼任する苅田知英社長(当時常務)は26万円でした。

 玄海原発の運転再開をめぐる「やらせ」メール問題が発覚した九州電力は、松尾新吾会長、真部利応社長が各29万円など、計16人で、157万円。

「玄海原発の運転再開に賛成する意見の投稿を増やすことが必要である」として、国主催の「説明番組」の周知を指示した原子力担当の段上(だんがみ)守副社長(当時)は15万円でした。

 電力業界は、かつて鉄鋼、金融とともに「献金御三家」といわれ、自民党側に多額の献金をおこなってきましたが、石油ショック後の1974年、電気料金引き上げへの世論の批判をかわすために企業献金をやめています。

 しかし、役員のランク付けした個人献金という形で、事実上の企業献金は各電力会社とも続いています。

 電力会社と自民党の癒着は変化がありません。

 自民党は、東電福島第1原発事故後、党内の経済産業部会、電源立地及び原子力等調査会などの三つを合体して「エネルギー政策合同会議」を発足させました。

委員長は、甘利明元経済産業相が就任、4月12日の初会合には、東電の元副社長で現在は東電顧問の加納時男元参院議員が「参与」として幹部陣の隣に座るという「原発推進派」の旗揚げでした。

 同会議副委員長の西村康稔衆院議員が、「当面、原発を立ち上げていかないと経済は持たない」(10日、NHK「日曜討論」)と発言するなど、「安全神話」にのっかかり、原発を推進してきたことに反省がありません。

こういう内容が報じられると、原発推進派とみられるだけでどこからいくら貰ったのという目で見られるようになるでしょうね。

こういうのを、墓穴を掘るというのでしょうね。

こんな真似は、したくないものです。

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原子と宇宙に相似形は見えるか。

液滴模型(Liquid drop model)とは、原子核の性質を記述するモデルの一つです。

液滴模型は、ニールス・ボーアとその共同研究者達によって1930年代に発展しました。

原子核の性質を、形に注目すると核構造ということになります。

 原子核は、単なる核子の寄せ集めではなく、何らかの構造を持っている。

 液滴模型が構造についてのモデルの一つということは、別のモデルもあるわけですね。

殻模型というのも、ありますよ。

でも、まず液滴模型から話をしますね。

原子核が安定で唯一な自己束縛系であることは、結合エネルギーと密度の飽和性に由来するものです。

すなわち、核物質を一種の液体と見なすことができるのです。

 それは古典的なものではなくフェルミ液体とも、量子液体とも呼ばれる状態ですね。

原子核を液滴と考えると、表面振動の結果として励起状態を解釈することができます。

液滴模型では、殻模型での一粒子運動では説明できない集団的な励起振動状態を、うまく説明することに成功しました。

変形核や核分裂現象が、陽子・中性子からなる液体の表面張力とクーロン反発力のバランス、という観点から研究されたのです。

そして、当時の原子核の実験的データをそれなりに説明し、成功を収めました。

ところが液滴模型は、1940年代に原子核が安定に存在する為の「魔法数」の存在が知られる様になると、説明する事が出来なかったのです。

魔法数はその後、量子力学を考慮した殻模型によって説明されました。

 量子力学を考慮ということは、波動性を考えに入れるということでしょうか。

単純には言い切れないけど、そういうこともあるかもしれません。

原子核の周りの電子の運動は、「殻」という概念を通して理解できるが、原子核の性質も、この「殻」を通して理解することができるのです。

原子核の性質を「殻」を通して理解することができるのは、核子がポテンシャルの中で一粒子運動をしているという描像が成立することを意味しています。

核子間にはたらく核力は強い相互作用であるため、核子の運動が一粒子運動で記述できることは矛盾しているようにみえます。

核子がパウリ原理がはたらくフェルミ粒子であることと、核力が核子の平均自由行程にくらべ短距離力であることからこの矛盾を克服することができます。

パウリ原理は、パウリの排他原理ともよばれ、2つ以上の粒子が全く同一の量子状態を持つことはできないということです。

このパウリ原理が働くフェルミ粒子は、物質の構造にかかわるものがほとんどです。

パウリ原理が働かない粒子はボース粒子といい、1つの体系内であっても同一の量子状態をいくつもの粒子がとることができ、エネルギーにかんするものが多いです。

核子が他の核子が作る平均的なポテンシャル、つまり平均場の中を一粒子運動をしているという立場から1949年、ゲッパート=マイヤーとイェンセンによってスピン・軌道力を導入したポテンシャルにおける一粒子運動を通して原子核の魔法数を説明することに成功しました。

 魔法数は、電子の「殻」を通して現れる希ガスの存在に対応するのでしょ。

希ガスは、原子における最外殻電子が閉殻となっているため化学的に非常に不活性であるガスです。

魔法数とは、原子核が特に安定となる陽子と中性子の個数のことです。

 魔法数も希ガスもどちらも、一定の法則で現れるわけですね。

ちなみに、陽子数または、中性子数が魔法数である原子核を魔法核と呼びます。

この殻模型の成功を機に、核構造物理学という新しい分野を開くことになるのです。

この平均場近似の概念を発展させたものが、集団運動模型です。

平均場近似と集団運動模型は、ほぼ同義です。

だが、殻模型は表面振動など原子核の集団運動の効果を取り入れる事は困難でした。

それで、液滴模型を主に、殻模型の効果を補正として取り入れる殻補正法が核分裂などを研究する為に用いられることになります。

 液滴模型を主に、殻模型の効果を補正として取り入れる殻補正法ですか。

 一粒子運動というところは、どうも気になりますね。

 一粒子、つまり一塊となって運動するということでしょう。

どことなく、地殻天体の構造を連想できそうですね。

現在、シェルモデル(shell model)計算と言えば配位混合による計算を指し、平均場近似とシェルモデルとは物理の内容が異なると言います。

シェルモデルだと平均場近似では無視した多体相関が入っているため、新しい実験値等をよく説明することができるとも言っています。

おそらく平均場近似では内部まで硬いとみなすことになるが、現実には配位混合だの多体相関だのと言いますからね。

液滴模型を主に殻模型の効果を補正として取り入れる、つまり外はある程度硬いが中は液状ということでしょうね。

 そうなると、原子核と天体、原子と太陽系あるいは衛星を伴う天体、という相似形が見て取れそうですね。

数学でいうフラクタル、弁証法哲学でいう世界の階層性、ということになるでしょうね。

電磁力と重力の式は形式が似通っていることと、磁気で重力制御が可能であることも、世界の階層性で説明出来るかもしれません。

やはり、プラズマ宇宙論の方に分があるようにみえますね。

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寿司の文化的背景を考える。

寿司は、なれ鮨に遡ります。

平安時代の927年に書かれたとされる『延喜式』の「主計式」には諸国からの貢納品が記されており、鮓や鮨の語を多く見い出すことができます。

九州北部、四国北部、近畿、中部地区に多く、関東以北には見られないのが特徴的。

当時の詳しい製法を知る資料には乏しいが、魚(または肉)を塩と飯で漬け込み熟成させ、食べるときには飯を除いて食べるなれ寿司「ホンナレ」の寿司と考えられています。

室町時代の1473年から1486年ころ書かれたとみられる『蜷川親元日記』に、「生成(ナマナレ)」という寿司が登場します。

ちなみに「ホンナレ」は、ナマナレに対して後世に作られた造語。

発酵を浅く止め、これまで除かれていた飯も共に食した寿司のことです。

現代に残るホンナレは、ほぼ滋賀県の「ふなずし」に限られます。

ナマナレは、日本各地に郷土料理として残っています。

ナマナレが現代に多く残った理由として、発酵時間が短く、早く食べられることが挙げられます。

日比野光敏著『すしの貌』では、「米を捨ててしまうのがもったいない」という感覚もあったのではないかと指摘しています。

 なれ鮨を、チーズに近いのではないかと議論したこともありましたね。

熊野地方には、「本馴れ鮓」と称するヨーグルト状の鮓があります。

『涅槃経』には、こんな記述がありますよね。

「牛より乳を出し、乳より 酪を出し、酪より 生酥を出し、生酥より 熟酥を出し、熟酥より 醍醐 を出す、醍醐最上にして…仏の如く。」

『酪』『生酥』『熟酥』『醍醐』は、諸説あります。

私は、お酒の製造過程で出来る産物ととらえ、『酪』はヨーグルトなどの乳酸発酵乳、『酥』はチーズ、『醍醐』は乳酒とみます。

 やはり、なれ鮨は、ヨーグルトやチーズに近いようですね。

そうですね。

 寿司にも、いろいろな字が当てられますよね。

 鮨もあれば、鮓もある。

「すし」は、「鮨」や「寿司」の字があてられるが、近畿では「鮓」が使用され、延喜式の中に年魚鮓、阿米魚鮓などの字が見えるといいますよ。

「すし」の語源は江戸時代中期に編まれた『日本釈名』や『東雅』の、その味が酸っぱいから「酸し(すし)」であるとした説が有力とされています。

 鮓は、魚偏に「ながら」とか「たちまち」と読む乍ですよね。

 乍に人偏で作るでしょ。

 つまり寿司はもともと、魚の加工食品だったわけですね。

1990年出版された石毛直道・ケネス・ラドル著『魚醤とナレズシの研究 モンスーン・アジアの食事文化』によると、東北タイやミャンマーあたりの平野部をあげ、水田地帯で稲作と共に成立した魚介類の保存方法が後に伝わったとしています。

1970年に出た篠田統著『すしの本』は、東南アジアの山地民の魚肉保存食を寿司の起源とあげ、高地ゆえ頻繁に入手が困難な魚を、長期保存する手段として発達したものとしていますね。

中国で「鮨」の字は紀元前5 - 3世紀に成立した辞典『爾雅』に登場します。

「魚はこれを鮨という。肉はこれを醢という」と対比されます。

醢(ひしお)は魚や鳥などの肉の塩漬けのことだけれど、魚はこれを鮨というと前半にあるので、この場合は肉の塩漬けを指すのでしょう。

当然、鮨は魚の塩辛と思われます。

後漢の『説文解字』に「鮺(zhǎチャア)は魚の蔵」であるとしています。

鮺(チャア)とは古くは鮓を指す言葉で、蔵とは貯蔵形態ということなので、鮓は魚の保存法だったというわけです。

䰼(xínシン、qínチン)と鮺(チャア)は同じとする一方、鮨は魚の䏽醬(bùjiàngブゥチャオ)つまり塩辛だとして区別しました。

ちなみに、䰼(xínシン、qínチン)は、広東語だそうです。

鮺(チャア)がどのような保存食かは不明だが、10世紀の徐鍇の注は「今俗に鮓に作る」としており、おそらくこのあたりが「鮓」の始まりではないかと思われます。

2世紀末成立の『釈名』で鮓は「葅(zūツオー)。塩と米で葅のように醸し、熟してから食べる」とされています。

葅(ツオー)は漬物のことです。

なお葅(ツオー)には肉酱の意味もあるが、鮓の説明に出てくるところから、ここでは漬物と解釈しました。

しかし、3世紀頃に編まれた『広雅』は鮨は鮓なりとして区別せず、東晋の郭璞による『爾雅注』も同じです。

篠田統はさまざまな記録から「鮓」が中国の古い時代にはあまりポピュラーな食べ物ではなかったことを示し、「南方を起源とする外来食」、つまり東南アジアから伝わったものと位置づけています。

 実際、東南アジアや広東と言った南方ばかり登場しますね。

 そういえば、地理としての長江流域に広東の名前は出てこないけど、長江の経済圏や文化圏を語ると広東はよく出てくるようですね。

日本における文献初見は『養老令』(718年)の「賦役令」で、鰒鮓、貽貝鮓のほかに雑鮨が見えます。

『令義解』はこれに「鮨また鮓なり」と注解しており、以後も日本では鮨と鮓が区別されず、ともにすしとされた。

「正税帳」(729年-749年)にも見えます。

篠田統、石毛直道らによると、これは外から来たものであり、稲作文化とともに中国は長江あたりから九州に伝わったのではないか、とみていますね。

1966年にでている中尾佐助著『栽培植物と農耕の起源』では、寿司の起源は「ラオスの山地民やボルネオの焼畑民族」の焼畑農耕文化複合の一つとされていますよ。

 中国南部とラオス、地域としてはそう離れていないですよね。

中国南部とともに、インドシナ三国と日本古代も、繋がりを考えていった方がよいでしょうね。

 遺伝子などから見ても、関わりが見えますからね。

寿司と稲作文化、やはり繋がりが強いようですね。

 稲作文化と言えば、弥生時代ですね。

 弥生時代と長江とくれば、徐福を避けて通れない気がしますよ。

 なれ鮨と徐福、何らかの関係があったら面白いですね。

徐福は、中国山東省出身の方士と言われていますよ。

もっとも、秦に併合された徐福の故地である斉は、揚子江として知られる長江下流域の稲作発祥の地という議論もありますけどね。

 寿司の起源としての魚の塩漬けに、もっと注目しても良いのでは。

 魚偏に旨いと書く鮨という字もあることだし。

そういえば、寿に司と書いて寿司というのは、行事によく使われるからそう書くようになったのでしょうね。

ネタも、魚とは限らなくなったという流れも関係あるでしょう。

 稲荷寿司、河童巻きなども、寿司飯が魚以外と組み合わされるようになって、生まれてきたわけでしょ。

ご飯に酢を混ぜる寿司飯ができる前は、米も魚と一緒に発酵していますよね。

つまり、米と魚以外のネタとの出会いは、ご飯とおかずというより、むしろ調味料としての鮨だった可能性はありますね。

「鮓」の読みは899年から901年のころとされる『新選字鏡』で「酒志」、「鮨」の読みは931年から938年とされる『倭名類聚抄』では「須之」とされています。

酒は今でも、調味料としても使われますからね。

時代が下るとともに酒や酒粕、糀を使用したりと、寿司の発酵を早めるため様々な方法が用いられ即製化に向かいます。

そして1600年代からは、酢を用いた例が散見されるようになります。

岡本保孝著『難波江』に、「松本善甫という医者が延宝年間に酢を用いたすしを発明し、それを松本ずしという」とあります。

 延宝年間は、1673年から1680年まで続いたのでしたね。

日比野光敏によれば「松本ずし」に関する資料は他になく、延宝以前の料理書にも酢を使った寿司があるゆえ「発明者であるとは考えられない」としていますけどね。

誰が発明したかはともかく、寿司に酢が使われ、酢の醸造技術も進んできて、いよいよ発酵を待たずに酢で酸味を得て食する寿司、「早寿司」が誕生することになります。

 炊いたご飯と酢を混ぜる、寿司飯が登場するまで、長い間寿司はむしろ、魚偏に旨いと書く鮨だった。

これは、寿司文化を考えるうえで、大事なところでしょうね。

 寿司はもともと、ヨーグルトや魚醤に近かった。

遡れば、そうなりますね。

 つまり、チーズに近いと見ても間違えではない。

 パンと肉の食感の、意外な近さも、話題にしたでしょ。

 日本のパンの好みは、魚の食感に近いという展開になった。

 元はヨーグルトやチーズに近い風味の食品だった寿司と、魚に近い食感が好まれるパン。

 パンとチーズときたら、チーズフォンジュ…。

そういえば、近年ヨーロッパ人やアメリカ人の間でも寿司は人気ですね。

現在、「スシ」はテリヤキ、天ぷらと並ぶ日本食を代表する食品になっており、日本国外の日本食レストランの多くでは寿司がメニューに含まれています。

特に北米では人気があり、大都市では勿論、地方都市のスーパーマーケットですら寿司が売られていることが珍しくないといいますよ。

2500年前から2000年前の500年間に、中国の土地では大きな遺伝的変化が生じたわけですよね。

 山東省の臨淄(りんし)の調査結果でしたね。

約2500年前の春秋戦国時代の臨淄(りんし)住民の遺伝子は、現代「ヨーロッパ人」の遺伝子に非常に近いです。

約2000年前の前漢末の臨淄(りんし)住民の遺伝子は、現代の「中央アジアの人々」の遺伝子と非常に近いです。

現代の臨淄(りんし)住民の遺伝子は、現代「東アジア人」の遺伝子と変わらないといいます。

 2500年前から2000年前の500年間に中国の土地から大規模な人類が移動して、現代のヨーロッパ人や中央アジアに近い人たちは日本に来たわけ。

状況証拠からすれば、そうなりますね。

 仮に、山東省や徐福が関わっていたとしたら、面白いことになりますね。

 もう一つ、気になるのが寿司はもともと魚醤にも近かったことですよ。

稲作文化とともに、中国南部や南アジアから来た可能性があるわけですよね。

 稲作と言えば弥生時代、徐福には弥生時代の日本で神武になったかも知れない話がある。

そして、徐福は中国から現代ヨーロッパ人的な人たちを率いて来たかも知れない。

 そのヨーロッパ人も、魚醤という点から見て、地中海世界を考える方が良い。

 そういえば、クロワッサン( croissant)は、三日月形に作るフランス発祥のパンですね。

バターを多く使っており、サクサクした食感と甘みが特徴的です。

マリー・アントワネットがオーストリアから嫁いだ時に、クロワッサンの製法がフランスに伝えられたという議論がありますよ。

マリー・アントワネットが嫁いだ頃と言えば、ハプスブルグ家のオーストリア宮廷は、ヨーロッパ中で最も権力のあったといいます。

全ての分野で、ヨーロッパで一番の職人を雇っていたそうです。

パン職人は、その頃最も評判の良かったデンマークのパン職人が担当していたそうですよ。

マリー・アントワネットがフランスに嫁いだ時、デンマークのパン職人も同行し、デニッシュ・ペストリーの生地で作ったのが最初のクロワッサンだとされています。

 クロワッサン、三日月形というけど、あのサクサクとした食感と甘味、ヨーロッパのパンとしてはどちらかと言えば魚に近いかも。

それより、魚醤といえば、ヨーロッパではやはりイタリアでしょ。

 カンボジアのアンコール朝とローマ帝国の不思議な類似、東南アジアと日本の遺伝的繋がり…。

寿司の文化的背景は、想像以上に深く大きいかも。

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長谷寺は秦寺?

長谷寺(はせでら、ちょうこくじ、はせじ、ちょうこくでら)は仏教の寺院の名称です。

各地に同名の寺院が多数存在しています。

奈良県桜井市・神奈川県鎌倉市・長野県長野市の三寺をもって 「日本三所」「日本三長谷」 と称する。

日本三長谷

長谷寺 (桜井市) (はせでら) - 奈良県桜井市にある真言宗豊山派(ぶざんは)総本山の寺院。

長谷寺 (長野市) (はせでら) - 長野県長野市にある真言宗智山派(ちざんは)の寺院。

長谷寺 (鎌倉市) (はせでら) - 神奈川県鎌倉市にある浄土宗系単立の寺院。

他にも、秋田から徳島まで、広く分布します。

長谷寺 (由利本荘市) (ちょうこくじ) - 秋田県由利本荘市にある曹洞宗の寺院。秋田三十三観音霊場第8番札所。

長谷観音 (古河市)(はせかんのん) - 茨城県古河市にある真言宗豊山派の寺院。寺号は長谷寺である。

長谷寺 (高崎市) (ちょうこくじ) - 群馬県高崎市(旧群馬郡榛名町)にある金峰山修験本宗の寺院。坂東三十三箇所第15番札所。

長谷寺 (東京都港区) (ちょうこくじ) - 東京都港区にある曹洞宗の永平寺東京別院。

長谷寺 (厚木市) (はせでら) - 神奈川県厚木市にある高野山真言宗の寺院。坂東三十三箇所第6番札所。

長谷寺 (上田市) (ちょうこくじ) - 長野県上田市にある曹洞宗の寺院。

長谷寺 (豊川市) (ちょうこくじ) - 愛知県豊川市にある浄土宗鎮西派の寺院。

長谷寺 (堺市) (はせでら) - 大阪府堺市にある真言宗宗派豊山派の寺院。

長谷寺 (倉吉市) (ちょうこくじ、通称はせでら) - 鳥取県倉吉市にある天台宗の寺院。

長谷寺 (鳴門市) (ちょうこくじ) - 徳島県鳴門市にある高野山真言宗の寺院。新四国曼荼羅霊場第2番札所。

長谷寺 (徳島市) (ちょうこくじ) - 徳島県徳島市にある高野山真言宗の寺院。新四国曼荼羅霊場第82番札所。

これらの寺は、ほとんどが本尊に十一面観音を祀ります。

例外は、徳島県徳島市の長谷寺(ちょうこくじ)の千手観世音千手観世音菩薩です。

長野県上田市にある曹洞宗の寺院である長谷寺は、本尊についていまひとつわかりません。

現在、長野県長野市松代町にある曹洞宗の阿弥陀如来を本尊とする長国寺(ちょうこくじ)の末寺になっています。

だが、同じ曹洞宗でも秋田県由利本荘市の長谷寺は本尊が十一面観音であり、ほとんどの長谷寺と書く寺院も本尊は十一面観音なので、おそらくここもそうではないかと思われます。

上田市の長谷寺は、現本堂は昭和53年(1978年)の再建です。

寛保2年(1742年)土砂災害に巻き込まれ、宝暦7年(1757年)には再び火災で焼失、明治23年(1890年)にも火災に遭い、古い建物は残っていないのです。

ただ、長谷寺と記す寺院の本尊は、ほとんどが観音なのは興味深いです。

そして、長谷寺所在地の歴史をたどると、軒並み、秦氏が顔を出すのです。

 考えてみれば、長谷寺と書いて「ちょうこくじ」とは読めても「はせでら」は、明らかに無理がありますね。

そもそも、どうして長谷(ちょうこく)と書くのかということ自体、謎ですね。

考えてもすぐに答えの出ない疑問は、さておいて、なぜ、「はせ」と読ませるかですよ。

「t音」は、しばしば、「s音」に転化します。

つまり、「hata」は「hasa」に、容易に転化するのです。

そして、「hasa」は発音しやすいように「s音」に引きずられる形で「hase」に転化しやすいのです。

 そうなると、「はせでら」は、「はたでら」だった。

 秦氏(はたし)の長谷寺(ちょうこくじ)が、つまって、長谷寺(はせでら)…。

そう見るのは、自然でしょ。

 関東や近畿は、秦氏がいたのは知ってます。

 中国地方も、秦氏がいたのはあり得るでしょう。

 だけど、四国や秋田は、意外ですね。

多くの人にとって、盲点だったかもしれませんね。

さらに、秦氏にはユダヤの転化だったという説があります。

 「ユダヤ」=「ィエフダー」語源説ですね。

 「ィエフダー」から、「ィエハダー」、「ハダ」、「ハタ」になったという。

そうなると、十一面観音の11は、生命の樹の11の節ではないかと言う疑問が出てくるわけです。

 じゃあ、千手観音の千は、千年王国の、千ですか。

そうなるでしょうね。

長野県長野市松代町にある曹洞宗の阿弥陀如来を本尊とする長国寺は、同じ長野県にある上田市の長谷寺がもとになって作られた寺院です。

その本尊が阿弥陀如来なのは、偶然でしょうか。

仏から、放射線状に手が出れば千手観音、放射線状に光が出れば阿弥陀如来ですよ。

そして、阿弥陀の語源とされる、梵名の「アミターバ」は「無限の光をもつもの」、「アミターユス」は「無限の寿命をもつもの」の意味で、これを漢訳して無量光仏、無量寿仏とも言います。

 イエスは多くの人を救済しようとしている救世主とされるから、多くの人を救う千手観音に、似てますね。

 そして、イエスは体が光ったから、無量光仏に近い。

 さらに、イエスは復活で永遠の命を得たから、無量寿仏に近い。

イエスについては、聖書の奥義であるカッバーラを明かした存在と指摘する人もいますよ。

 そして、十一面観音の11は、生命の樹の11の節の可能性がある。

さらに、生命の樹はイエスそのものという声もあります。

 それじゃあ、十一面観音も、イエスの象徴ですか。

秦氏については、ユダヤ人説ばかりか、ユダヤ人キリスト教徒説まで、ありますよ。

面白いことに、大乗仏教にはキリスト教の影響を受けて成立したという説もあります。

高野山は、イギリス人のE.A.ゴルドン夫人が景教碑のレプリカを建てたいという申し出を受け入れました。

仏教もキリスト教も元は一つであるという「仏基一元」の考えが夫人の研究テーマでした。

秦氏は、仏教と神道、どちらにも深くかかわった不思議な一族です。

 そのうえ、キリスト教まで関わりが見えるのは興味深いですね。

謎の多い、一族ですね。

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反磁性で惑星の輪を解釈してみた。重力と電磁力?その7

反磁性(Diamagnetism)とは、磁場をかけたとき、物質が磁場の逆向きに磁化され、磁場とその勾配の積に比例する力が、磁石に反発する方向に生ずる磁性のことです。

物質が磁場の逆向きに磁化される大きさをを、負の磁化率といいます。

反磁性研究の大まかな歴史は、こうなります。

1778年、バーグマン(S. J. Bergman)がビスマスとアンチモンが磁場に反発することを発見した。

1845年、ファラデーはすべての物質は本来、印加磁場に対して何らかの反磁性的な反応をすると考え、「反磁性」という用語を作った。

1895年、ジョゼフ・ラーモアは反磁性を古典的に説明し、ラーモア反磁性と名付けられた。

1911年、ニールス・ボーアによる反磁性の古典的な説明が不可能であることの証明は、ボーア=ファン・リューエンの定理と呼ばれる。

1933年、マイスナーは超伝導状態の物質は、非常に強い反磁性を有することを発見した。

この現象はマイスナー効果として知られている。

磁場は、電気的現象・磁気的現象を記述するための物理的概念です。 

工学分野では、磁界ということもあります。

 単に磁場と言った場合は磁束密度 Bもしくは、磁場の強さ Hのどちらかを指すものとして用いられますよね。

どちらを指しているのかは文脈により、また、どちらの解釈としても問題ない場合も多いですね。

磁性(magnetism)は、磁気ともいい、物質が原子あるいは原子よりも小さいレベルで磁場に反応する性質であり、他の物質に対して引力や斥力を及ぼす性質の一つです。

 反磁性体は自発磁化をもたず、磁場をかけた場合にのみ反磁性の性質が表れるでしょ。

自発磁化は、強磁性体では隣り合った原子の間に磁気モーメントの向きをそろえようとする相互作用が働いているため、各原子の磁気モーメントの向きが自発的にそろい、磁場をかけなくても磁化をもつことをいいますよ。

磁気モーメントは、磁石の強さを表す量で、磁石の特性である方向を表現するためにベクトルであらわされます。

磁気モーメントは周囲に、S極とN曲を結ぶ表す矢印でおなじみの磁束を作ります。

この矢印の向きがベクトルの向き、矢印の数がベクトルの大きさを表します。

なお、磁力線はN極から沸き出しS極へ吸い込まれるのに対し、磁束線はN極とS極を経由して切れ間なく回るので勘違いしないように。

磁気が強いと磁力線や磁束線をたくさん書かないといけなくなるが、この線の込み具合を磁束密度と呼ぶ場合が多いです。

なお、磁石の強さを表す場合、磁力密度ということもあります。

内殻電子を含む、原子中の対になった電子が必ず弱い反磁性を生み出すため、実はあらゆる物質が反磁性を持っています。

電子殻は、原子構造の模型において、原子核を取り巻く電子軌道の集まりをいいます。

電子軌道は、あたかも殻を内側から重ねたように見える振る舞いをすることがあるので、電子殻という呼び方があると思ってください。

例えば、光の発生を説明するには重宝します。

 実際の電子は、もっと複雑な振る舞いをするでしょ。

説明上の方便です、詳しい説明は自分で調べてくださいな。

内殻電子とは、原子核に近い電子です。

しかし、反磁性は非常に弱いため、強磁性や常磁性といったスピンによる磁性を持つ物質では隠れて目立たないです。

つまり、差し引いた結果の磁性として反磁性があらわれている物質のことを反磁性体と呼ぶに過ぎないです。

単にスピンと呼ばれることもあるスピン角運動量(spin angular momentum)は、電子やクォークなどの素粒子、およびそれらから構成されるハドロンや原子核や原子などの複合粒子が持つ量子力学的な自由度の1つです。

スピン角運動量は、軌道角運動量とともに、粒子の全角運動量に寄与しています。

スピンは、電子殻の説明にも登場します。

 1つの軌道には、同じ状態の粒子は1つしか入れない。

 ところが、実際は2つ入っている。

その難問を解く鍵が、スピンでした。

上向きと下向き、反対向きのスピンを想定して、難問は解かれました。

 プラスの陽子とマイナスの電子、上向きスピンと下向きスピン、まるで、陰陽ですね。

磁性と反磁性も、お忘れなく。

相補な関係にある存在や性質は、ミクロの世界からすでに対立と統一を繰り返して世界を形作るとともに動かしているのです。

 統一が空間を、対立が時間を、形作って時空連続体は常に変化の中にあるのですね。

常若は、世界の本質なのでしょうね。

このように、ほとんどの物質において反磁性は非常に弱いが、超伝導体は例外的に強い反磁性を持ちます。

なお、標準状態において最も強い反磁性をもつ物質はビスマスです。

物質の持つ反磁性による効果として、反磁性体に磁石などを近づけたとき反発する現象があります。

反磁性による力は一般的に小さいため、本来反磁性体であるはずの物質が、非磁性であると誤解されている場合があります。

なお、物質の反磁性を測定するとき、僅かな強磁性の不純物を含んでいただけで全く違う結果になることがあります。

これは、強磁性の効果の方が反磁性よりも桁違いに大きいからです。

反磁性体は 1 よりも小さい透磁率と、0 よりも小さい磁化率を有します。

よって磁場に反発するが、反磁性は非常に弱い性質のため、日々の生活で確認することはできないのです。

例えば、水の磁化率はχv = −9.05×10−6です。

最も強い反磁性を有する物質はビスマスであり、その磁化率はχv = −1.66×10−4です。

また、熱分解グラファイト(熱分解黒鉛)は一次元的なχv = −4.00×10−4という磁化率を有するという報告があります。

ただし、これらの強い反磁性体においても、その磁化率は常磁性体や強磁性体の磁化率に比較すると非常に小さいオーダーです。

反磁性の性質を示す代表的な物質として水や銅、木などがあります。

石油やプラスチックのような大半の有機物も、反磁性を示します。

反磁性体に磁石などを近づけたとき反発する現象は、蛇口から細く静かに出した水に強力な磁石を近づけると、磁石を避けるように水が曲がるという実験により確認することができます。

この振る舞いは、弱い二つの磁石の同極同士を近づけたときと似ています。

しかし反磁性を持つ物質に現れる反発力は近づける磁石の極性によらず、どちらの極にも反発するという点で決定的に異なっています。

このような違いはなぜ現れるのかと言うと、反磁性という性質が、外部磁場の影響により、物質自体が周りの磁場を打ち消す方向の極性の磁石になるという性質であるからです。

物理学において、磁気ともいう磁性とは、物質が原子あるいは原子よりも小さいレベルで磁場に反応する性質であり、他の物質に対して引力や斥力を及ぼす性質の一つです。

反磁性による反発力を利用して、非常に強い磁場をかけると、反磁性体を磁気浮上させることができます。

例えば実験室などで15~20T程度の磁場を発生させ物質にかけると、水を多く含んだりんごや卵、生物などを浮かせることができ磁束線はN極、S極を経由してクルクル回るのです。

また、反磁性の強い熱分解カーボンやビスマスなどは、磁力の強いネオジム磁石を用いた室温実験でも十分浮上させることができます。

 近づける磁石の極性によらず、どちらの極にも反発するというと、見かけ上の反重力が出来そうですね。

磁気の掛け方によって、重力を弱めることも、場合によっては重力を強めることも、見かけ上できると言いますからね。

このようにして現れた物質の磁力は、外部磁場が存在すると言うこと自体に由来しているため外部磁場の消滅と共に消滅します。

また、反磁性体に強い磁場を印加しても、その反磁性体が強磁性体のように自発磁化を持つことはないです。

 反磁性による反発力を利用して、非常に強い磁場をかけると、反磁性体を磁気浮上させることができる。

 水を多く含んだりんごや卵、生物などを浮かせることができるなら、水が豊富な天体なら丸ごと強い磁気で包めば、見かけ上の重力はどこから見ても小さくなる。

可能性は、ありますよ。

ガス天体と思っていた星は、実は水の塊でもっと重かったというなら、全体を包んでいた強力な磁気の悪戯に見事に騙されていたことになりますからね。

実際、かつては天王星、海王星もガス天体含めていたが、現在では別の巨大氷惑星として天王星型惑星に分けられています。

木星についても、表面はガス状で硬い地表はないとしながらも、内部に液状の構造があることは最新研究も認めていますからね。

さらに、木星のガスの組成は水素が90%、ヘリウムが10%と太陽によく似ているというから、今後の太陽研究の展開も注目していきたいですね。

惑星を知ろう...[ 木 星 ]
http://www.planetary.or.jp/jupitar.html

 木星の大気は何層にもなった氷の雲が重なり、木星の主成分である液体水素を含んでいる。

大気の上層部の温度は-130℃であるが、下方は1000℃以上でガスは液化している。

木星の表面と中心核の中間領域では、高熱1万℃と高圧で水素は液体金属になっている。

 液体金属水素は高速で回転する木星の働きで電流を生み、木星の巨大な磁場を作り出している。

この磁場の磁力線により、木星の周りには地球の磁気圏の1200倍も大きいまゆの形をした巨大な磁気圏が形成されている。

この磁気圏は太陽風を構成する高速の荷電粒子を捉えるため、探査機に障害となる放射線帯を作っている。

 液体金属水素の層の下は水とアンモニアと溶解した岩石層で、その下に中心核がある。

木星の中心核の温度は摂氏3万5000℃もあり、太陽から受ける2倍の熱を放出している。

こういう最新研究は、チェックが必要ですね。

さらに水銀や金、ビスマスのように内殻電子の多い重い金属にも反磁性を示すものが少なくないが、これらは非磁性であるとみなされていることが多いです。

しかし普段は反磁性体と意識しないような物質についても、非常に強い外部磁場のもとではその反磁性が強くあらわれる。

水は弱い反磁性体であるため、水を入れた容器の中心に強力な磁石を入れると水が左右へと分かれる現象が生じます。

この現象は1993年に発見され、旧約聖書『出エジプト記』のモーセにちなみモーゼ効果(Moses Effects)とよばれています。

一方、常磁性を持つ液体で同様の実験を行うと、逆に容器の中心に液体が集まるという現象を確認できます。

この現象を逆モーゼ効果(reverse Moses effect)とよびます。

 飛鳥昭雄と三神たけるは、モーゼ効果こそが紅海の奇跡を引き起こした原因そのものと言ってますね。

彼らの言い分をとんでもないという前に、他の決定的説明をする方がよほど効果的な反論ですけどね。

諸説あっても、どれも決定打でない以上、選択肢に入り続けますよ。

身近な物質の反磁性磁化率

物質名             χm=Km-1×10-5
ビスマス            -16.6
炭素(ダイヤモンド)         -2.1
炭素(グラファイト)         -1.6
銅                 -1.0
鉛                 -1.8
水銀                 -2.9
銀                 -2.6
水                -0.91

例外的に強い反磁性を持つのが超伝導体です。

超伝導体は第一種超伝導体と第二種超伝導体にわけられるが、このうち第一種超伝導体の内部には磁束が侵入できないマイスナー効果が働くと考えられています。

第一種超伝導体の内部では完全に磁場が打ち消されており、磁化率がちょうど-1です。

このような性質を完全反磁性といいます。

第二種超伝導体は強力な磁石の上に静止して浮上します。

このとき、第二種超伝導体はマイスナー効果などの完全反磁性の性質により浮力を得て、更に第二種超伝導体のピン止め効果によって静止力を得ています。

超伝導体はその内部から完全に磁場を排除するマイスナー効果のため、完全反磁性体(χv = −1)と考えられています。

反磁性の起源を古典的に説明すると、物質に磁場を加えたとき、その電磁誘導によって物質中の荷電粒子(実質的には電子)に円運動が誘発され、一種の永久電流が流れ続けます。

この電流は、磁場が弱くなる方向へ磁場と磁場勾配に比例した力(ローレンツ力)を生じるとともに、レンツの法則に従い外部の磁場を打ち消す方向に磁場を生み出す。

この円運動の挙動はジョゼフ・ラーモアによって1895年に研究され、さらにポール・ランジュバンによって定式化されたので、これをラーモア反磁性、もしくはランジュバンの反磁性といいます。

これは誰もまだ原子がどのように構成されているかを知らない時代であったにもかかわらず、反磁性の性質や発生する力の大きさを良く説明し、実験との一致はすばらしいものがありました。

この古典的な説明は、すべての導体が実質的に反磁性を示すことからも推測できます。

変化する磁場に置かれた導体には、電磁誘導によって自由電子に円運動が起こり誘導電流が流れます。

 この電磁誘導は、IHを謳った家電製品で起きていることでしょ。

IHはInduction Heating(誘導加熱)の略で、誘導電流で鍋や鉄板自体に発熱させるのでガス並みの火力がでるというのがセールスポイントですね。

100Vより200Vの方が効率が良いので、キッチンに作り付けのIHクッキングヒーターは今では大半が200Vではないかと思います。

この誘導電流によって磁場の変化とは反対向きの誘導磁場が生じるとともに、磁場と磁場勾配に比例するローレンツ力を生じ、導体の運動や磁場の変化に抵抗する力になります。

この現象は物質の反磁性と良く似ています。

ラーモアらの理論から計算すれば、すべての物質は電子を持つのでその磁性には多かれ少なかれ反磁性の寄与があり、ほとんどのものは磁化率にして10-5程度のオーダーしかない極めて小さいものであることがわかります。

このように、反磁性は古典的な範囲で説明されたかのように思われていたが、ニールス・ボーアは古典力学で計算すると熱平衡の状態で磁性がゼロになることを1911年に見いだし、ボーア=ファン・リューエンの定理と呼ばれるようになります。

このため、反磁性の説明は量子力学に取って代わられたが、量子力学から厳密に導かれた結果はラーモアらの理論と正確に一致していました。

量子力学によれば、不対電子が存在しない物質は弱い反磁性となり、不対電子によるスピンが存在する物質は常磁性や強磁性などの性質が顕著になります。

なお、金属中の自由電子については量子論的な取り扱いによる定式化がレフ・ランダウによってなされています。

そのため、金属の電子による反磁性は、ランダウ反磁性とよばれています。

ベンゼン環の面に対して垂直に磁場をかけると、レンツの法則によって磁場を打ち消そうとベンゼン環に沿って電流が流れます。

レンツの法則とは、19世紀のロシアの物理学者、ハインリヒ・レンツによって発見された電磁誘導に関する法則です。

何らかの原因によって誘導電流が発生する場合、電流の流れる方向は誘導電流の原因を妨げる方向と一致するというものです。

例えばコイルに軸方向から棒磁石を近づけると、誘導電流が流れます。

コイルに電流が流れると磁場が生じるが、この磁場はレンツの法則が示唆する向き、すなわち棒磁石の接近を妨げる向きとなるのです。

ベンゼンは、分子式 C6H6 を持つ最も単純な芳香族炭化水素です。

炭素原子6個が6角形に並び環状になるベンゼン環は、ベンゼンの構造としてよく知られています。

磁場を打ち消そうとする電流が流れることにより、ベンゼン環などを含む有機物では、他の物質よりも大きな反磁性が発生することがあります。

更にグラファイトのようなベンゼン環の集まりの物体には、磁場に対してねじれ力が働きます。

これが反磁性磁場配向で、実際には、反磁性磁場配向を観測するには、強力な磁場が必要です。

 ベンゼン環の面に対して垂直に磁場をかけると、レンツの法則によって磁場を打ち消そうとベンゼン環に沿って電流が流れる。

 つまり、環状の面に対して垂直に磁場をかけると、レンツの法則によって磁場を打ち消そうと環に沿って電流が流れるということですか。

 輪のある土星、海王星、冥王星は、輪のない木星より磁気が小さいでしょ。

近年、木星にも輪があることがわかってきましたよ。

ただ、氷の塊でできた土星などのリングと異なり、繊細な木星のリングは、惑星間塵が木星の小衛星に衝突する際にまい上がる微粒子で作られています。

 レンツの法則によって、磁場を打ち消そうと環に沿って電流が流れるわけでしょ。

 土星、海王星、冥王星などの輪は、氷ですよね。

おそらく濁っているでしょうけどね。

 濁った氷でできているなら、土星、海王星、冥王星の輪に電流が流れて、レンツの法則が働いているなどということは、あるのですか。

氷の輪のある土星、海王星、冥王星は、微粒子からなる輪を持つ木星より磁気が小さいのは、客観的事実ですからねえ。

レンツの法則が、惑星間塵からなる輪を持つ木星より、氷の輪のある土星や海王星や冥王星の方が、大きく働いている可能性はありそうですね。

追記

様々な磁気浮上の動画があります。

日本磁気科学界
磁気科学ギャラリー
http://www.magneto-science.jp/gallery.html

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あらためて鳥と哺乳類と恐竜を比べてみた。どこへ向かうか、恐竜研究。その7

こんな研究が発表されていました。

【7月6日 AFP】国際研究チームが、1億年以上前に生息した鳥類の化石から、ヒトを含む現代の生物にも見られる色素の痕跡を発見したと、6月30日の米科学誌サイエンス(Science)に発表した。
http://www.afpbb.com/article/environment-science-it/science-technology/2810757/7461422?utm_source=afpbb&utm_medium=topics&utm_campaign=txt_topics

孔子鳥の化石のカルシウム分布を示したシンクロトン高速走査蛍光X線画像(撮影日不明)。

 研究チームは、米スタンフォード大(Stanford University)が運営するSLAC国立加速器研究所(SLAC National Accelerator Laboratory、米カリフォルニア州)でシンクロトロン放射光を使って、約1億2000万年前に生息したくちばしを持つ最古の鳥、孔子鳥(Confuciusornis sanctus)と、約1億年前に生息した現在のカイツブリのようなGansus yumenensisの化石を調査した。

 その結果、茶色の瞳や黒い髪にみられるユーメラニン(eumelanin)という色素の化学的な痕跡が見つかったという。

当時の生物の生化学的特徴を知るヒントとなり、食べていた餌や生息環境の理解を深める上で役立つという。

 研究チームの1人、英マンチェスター大(University of Manchester)のRoy Wogelius氏は「この色素は、太古の昔から発展して、いまの地球上にいる生物も活発に合成している。現代に生きるわれわれと、古代の生物を直接結ぶものだ」と話している。(c)AFP

ヒトを含む現代の生物にも見られる色素の痕跡を発見、食べていた餌や生息環境の理解を深める上で役立つというというけど、はたして、それだけでしょうか。

以前、この記事に注目しました。

ニワトリの指に恐竜の名残 鳥類・獣脚類説を裏付け

http://www.47news.jp/CN/201102/CN2011021001000591.html

 ニワトリの翼に存在する3本の指の骨は、ヒトの場合の親指と人さし指、中指に相当し、祖先とされる恐竜の獣脚類の前脚と同じ形態だとする研究成果を、田村宏治東北大教授(発生生物学)らのチームがまとめ、11日付の米科学誌サイエンスに発表した。

 従来、鳥類の指は人さし指と中指、薬指の3本と考えられており、獣脚類から進化したとする説では説明がつかない矛盾点として残っている。

 今回の発見は、この矛盾を解消する成果。

チームは「鳥類の恐竜起源説の正しさを支持する決定打ともいえる」と強調。

田村教授は「150年間の論争に終止符を打つ」としている。

 鳥類は四肢動物に属し、翼が前脚に相当、指の骨が3本ある。

一方、獣脚類は前脚に5本の指があったが、進化の過程で薬指と小指が退化。

3本の指となったことが化石から分かっていた。

 チームは、卵の中でニワトリの指が形成される過程を、3本のうち最も外側の指に着目して詳しく調べた。

指のもととなる軟骨が、初期には薬指の位置にあるが、発達とともに次第にずれ、どの指になるかが決定する段階では中指の位置に移動することを発見した。

 さらにこの指は、マウスの中指の作られ方と一致することも判明。

3本は中指と、人さし指、親指と判断した。

 約150年前に見つかり最古の鳥とされる始祖鳥の場合も、恐竜と指が似ていることから、現存する鳥類と指の形態が異なるのかどうか議論が続いていた。

2011/02/11 04:02   【共同通信】

こういう内容です。

この記事の、「さらにこの指は、マウスの中指の作られ方と一致することも判明。」の一文は、多くのメディアは無視しました。

しかし、鳥と恐竜と哺乳類の共通点を指摘した記述には違いありません。

さらに、鳥と恐竜と哺乳類の共通点を指摘する記事が2000年の物から見つかりました。

2000年4月21日付の科学誌サイエンスに、サウスダコタ州バッファロー近辺から発見された体長4メートルで体重が約300キログラムの恐竜の胸に心臓の化石が見つかったという報告があるというのです。

ノースカロライナ州立大学の科学者たちは、コンピューター画像処理技術を使ってウィロの胸部を調べたそうです。

心臓が残っていたのはテスケロサウルスと言う草食恐竜で、哺乳類や鳥のように心臓は4つの心室または部分を持っているように見えるといいます。

1本の大動脈が、心臓から体の他の部分へ血液を運んでいたとのことです。

3つの心室しか持っていない爬虫類は、血液を身体に運ぶのに2本の大動脈を持っています。

 鳥と恐竜と哺乳類、共通点がどんどん見つかりますね。

そしていままた、鳥類の化石からヒトを含む現代の生物にも見られる色素の痕跡を発見しています。

 鳥類と哺乳類に多くの類似が明らかになってきている以上、鳥類が哺乳類と同じ色素を持っていた可能性を考えて良い。

鳥と恐竜はどちらが先か議論が続いていることを想えば、恐竜にも哺乳類と同じ色素があったかも知れないわけです。

 仮にこの色素が恐竜から見つかったとしても、食べていた餌や生息環境の理解を深める上で役立つという見方しかされないでしょうけどね。

おそらく、そうでしょうね。

恐竜化石から見つかった消化器系は、鳥にそっくりですからね。

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なぜ天皇陛下と呼ばれるか考えてみた。

今回は、なぜ天皇陛下と呼ばれるか考えてみたいです。

まず、陛下のような言い方の違いを見ておきましょう。

陛下=天皇・皇后・皇太后・太皇太后・国王・王妃・皇帝

殿下=皇太子・皇太子妃・太閤・関白

閣下=大統領,総理大臣,その他の国務大臣,軍隊の高官や司令官

貴下=一般人同士が手紙で使う尊称

足下=今は聞かないが、明治時代には「あなた」の意味

面白いことに、どれも「下」がつきます。

 話したいのは、なぜ、天皇陛下なのかでしょ。

そうでしたね。

 天皇・皇后・国王・王妃・皇帝は、なぜ階下の意味の陛下か、ですけど。

天皇階下は天皇陛下の誤植だが、意味は同じです。

陛は、宮殿の階段のことだからです。

 陛下は一般には、階下にいる近臣を通じて奏上する意からと見られていますよ。

もちろん、それもあります。

陛下なのは、地上における神の代理だからでもあります。

 神の宮殿の階下にいるから陛下。

おそらく、そうでしょう。

ほとんどの王は、王権神授説に基づいて地上の統治権を得ているわけですからね。

 天皇は、皇后・国王・王妃・皇帝と違って、天が付きますね。

天は神ですよ。

天帝ではなく、天皇と名乗ることに意味があるわけです。

天帝は、古代中国の祭祀をもとにしてに後世成立した道教における最高神です。

最高の神格でありながら非偶像である天と、偶像である天帝を区別する場合もあります。

天子は、中国や日本で用いられた君主の称号で、天下を治める者で、国王、皇帝、天皇などの別号として用いられます。

王は天、すなわち天帝の子であり天命により天下を治めるとする古代中国の思想を起源とします。

天孫降臨は、神の一族から降臨した、つまり階下=地上に降りたことではないでしょうか。

 天皇は天孫、つまり神の子だから。

君が代を考えた時、挽歌でありながら祝いの歌として扱われる謎を考えてみたでしょ。

 死は、終わりではなく天に昇って神になることと、推理しましたね。

死んで神になれるのは、神の子という位置付けだからでしょうね。

 だったら、天皇ではなく、天子でも良いはず。

ここに、天皇と呼ばれる意味があるでしょうね。

単なる、天帝の子をさす天子ではない、天帝の皇太子だから、天皇ではないでしょうか。

教会は王の破門をできるが、天皇は将軍を首にする側ですよ。

 そういえば、天子は天命によって国を治める権限がある。

天命が改まれば、天子は交代させられるわけでしょ。

 易姓革命ですね。

王朝の交代は、天子の徳がなくなれば天命が別の姓の天子に改まり変わるという中国の政治思想ですね。

日本の南北朝は、将軍による皇位継承への介入はあったけど、破門された天皇はいないはずです。

 天皇陛下とは、神である天の皇太子が天の宮殿で天に仕えているから。

そういうことでしょうね。

陛下を階下にいる近臣を通じて奏上する意と見る場合、奏上する相手を天と見れば、天皇は地上と天の仲介者であるといえるでしょう。

 天と地の仲介者。

 そういえば、イエスは天と地の仲介者である仲保者とされます。

 イエスは自らを人の子と呼び、天皇は現人神とされました。

 一方でイエスは神の子として、やがて神になられるお方と見られるから、言ってみれば皇太子のような立場ですね。

天と地の仲介者というだけなら、国王や皇帝や古代中国の天子も陛下ですよね。

 そうですね。

 ただ、イエスとほかの預言者の差は、聖霊を伴ったかどうかですね。

 天皇と、他の陛下との差は、どうかというと。

天皇の場合、天孫降臨まで遡る必要があるでしょうね。

天孫降臨は、天照大神の孫である瓊瓊杵尊(邇邇藝命)が、葦原中国の統治のために天照大神の命により高天原から地上に降りたとされる日本神話の説話です。

統治のためにという以上、部下を率いていたとみるのは自然と見ますけどね。

 天皇の祖先である瓊瓊杵尊が部下を率いて降臨したとみれば、聖霊を伴ったイエスに近くなりますね。

 天帝の子孫とされる中国の天子と言えども、王朝初代は、天命を受けた時点ですでに仲間がいるはず。

さらに、神である天の後継者に位置付けられて生まれたのは、陛下の中で天皇だけでしょ。

 戦後、天皇は人間宣言によって人になったから現人神ではないという人もいますね。

いわゆる人間宣言と言われるのは、新日本建設に関する詔書の一部です。

朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯ハ、終始相互ノ信頼ト敬愛トニ依リテ結バレ、単ナル神話ト伝説トニ依リテ生ゼルモノニ非ズ。

天皇ヲ以テ現御神トシ、且日本国民ヲ以テ他ノ民族ニ優越セル民族ニシテ、延テ世界ヲ支配スベキ運命ヲ有ストノ架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズ…。

人間宣言といわれるなかに、朕ト爾等国民トノ間ノ紐帯単ナル神話ト伝説トニ依らないとあります。

また、天皇ヲ以テ現御神トすることに架空ナル観念ニ基クモノニモ非ズとあります。

 神話ト伝説ト架空ナル観念に依らないと言っているので、事実ではないと、一言も触れてはいないですね。

つまり、天皇は今も現人神なのですよ。

人として現れた神、それが現人神です。

 イエスも、ヤハウエが受肉して人として現れた神ですね。

 皇太子扱いとしても、実質的に神として振る舞っておられる。

 天皇もまた、皇太子扱いとしても、実質的に神として振る舞っておられた。

現人神の思想は、古くはエジプトのファラオ、さらにはスメルにまで遡るといえますね。

 日本に、古代中東の遺伝子があるでしょ。

 スメラミコトと呼ばれるので、スメル渡来説がある。

 中東の古代遺跡には、菊花紋そっくりの紋章がある。

この紋章はいまでも、古代からの王家の紋章だと言って誇らしげに掲げる人がいますね。

神話の構造が、太陽神を中心にした三神構造で、動物神を含む八百万の神なのは古代エジプトに似ています。

 女神とされる天照には、男神である天照国照彦天火明奇櫛甕玉饒速日命がもともとの祭神だったというから、さらに古代エジプトに似てきますね。

これらのことを重ね合わせると、天皇が現人神とされることは非常に興味深いでしょ。

日本は、古代中東の文化が、数千年の時間を超えて引き継がれている国なのでしょうね。

 だから、日ユ同祖論が後を絶たない。

そういうことでしょ。

日本人は中東から東回りと西回りで来たと見る方が、説明できることが多いです。

 日本人中東起源説こそ、真相に思える。

日本人中東起源説は、年代を下れば日ユ同祖論やスメル渡来説と重なります。

 遡れば重ならない。

当たり前だが、これが大切な点ですよ。

 定性的類似は、間違えなくある。

あとは、年代を特定できる資料と情報を集めればどちらか決着がつくわけですね。

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アーモンドアイ。

シカンを特徴つけるアーモンドアイ、ひょっとして、エジプトや猫や犬の目となんか関連ありでしょうか。

 そういえば、古代エジプトのウジャトの目は、アーモンドアイで検索かけたら出てきますね。

ウジャトの目ははやぶさ、または、はやぶさの頭をもつ人物像で表現されるホルスの目とされます。

ただし、古代エジプトで神々の中心は太陽をつかさどる猫神ラーです。

つまり、シカンのアーモンドアイが猫の目でも、比較するうえで矛盾はないわけです。

 ウジャトの目は、天空のラーの目とみるわけですね。

ウジャトの目と酷似したものは、もちろんないでしょうね。

シカン研究で有名なアンデス研究家の松本剛は、羽や爪猛禽類的な特徴の方が顕著と指摘しているけど、ウジャトの目はまさに猛禽であるホルスの目とされています。

古代エジプトと日本が太陽神中心の三神構造と動物神を含む八百万の神々であること、日本の太陽神が天照国照彦という男神であったこと、に気づいている人は少ないでしょうね。

ついでにいえば、天照国照彦は天照国照彦天火明櫛甕玉饒速日命の略称です。

天照国照彦天火明櫛甕玉饒速日命は、大神神社の祭神で『出雲国造神賀詞』では大物主櫛甕玉という倭大物主櫛甕魂命と、櫛甕玉の名を共有しているため、同一神と見る人もいますね。

女神とされる天照大神にすり替えられた背景に、関係あるかもしれません。

 大物主と言えば、金刀比羅宮の由来にこうありますね。

 金刀比羅宮には主たる祭神の大物主神とともに、相殿に崇徳天皇が祀られています。

 大物主神は天照大御神の弟、建速素盞嗚命の子、大国主神の和魂神で農業殖産、漁業航海、医薬、技芸など広汎な神徳を持つ神様として、全国の人々の厚い信仰を集めています。

神々の系譜は諸説あります。

金刀比羅宮の由来は、その一つですね。

 神々の系譜は諸説あるから、実際は同じ神と見てもいいという人も出るわけですね。

 大物主神は天照大御神の弟、建速素盞嗚命の子、大国主神の和魂神とあるけれど、大物主=大国主=天照国照彦とみて、さらに、建速素盞嗚命と同一視できると見れば、興味深いですね。

 卑弥呼と弟の男王に重なってしまう。

さらに面白いことに、天皇の尊称はヤマトネコですよ。

そして天皇の隠語も猫です。

 天照国照彦は古代エジプトの王と天照大神を王妃と重ねれば、そっくりになりますね。

 王は太陽神の巫女との婚姻によって、地上の太陽神としての地位を得るのでしたね。

日本には、古代中東の遺伝子が残っているのです。

 たしか、ジャガー神崇拝や、猫に扮したと思える祭司を表した遺物が古代アメリカから出ていたと思いますね。

アメリカと日本については、縄文土器ばかりか、遺伝子の裏付けのあるし、アイヌの特徴がみられる古代人骨も出ているのです。

シカンを特徴つけるアーモンドアイが、もし、猫神崇拝と関連があるなら、古代アメリカ人と日本とのかかわりの深さから言って、日本にも猫神崇拝があったことになるかもしれません。

天皇の隠語が猫とされること、尊称がヤマトネコであることは、猫神崇拝の名残でしょうか。

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