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京都祇園祭とキリスト教?

京都の祇園祭で山鉾巡行は、三度の合図ではじまります。

 これは、三神でしょ。

当然、そうでしょ。

 絶対三神だったりして。

記紀神話の造化三神でも、筋は通りますよ。

この祭りでは、扇が至る所で振られます。

陰陽では、閉じた扇は陽、開いた扇は陰に配されます。

陰陽合一の教義によります。

 開いた扇は陰、つまり女。

京の町全体を、陰で覆い尽くし、生まれ変わり、生まれ直しを願って、災いを払う呪術なのでしょう。

京都の祇園祭で巡航する祇園山笠には、八つの籤取らずがあると言います。

おそらく、八は八方で世界を表すのでしょう。

籤取らずは九字取らずで、この九字は道教を源とする「臨・兵・闘・者・皆・陣・裂・在・前」の9文字から成る呪文「九字」と見えます。

 九字を取らないということは、すでに京の町にかけられている呪文を取らない、という事でしょうか。

京の町にかけられている、大元の呪文があるのでしょうね。

碁盤の目になぞらえられる京の地割は、東西に通る十の通りと、南北に通る七の通りからなります。

東西の十の通りは九字切の九字を封じ、南北の七の通りは世界を表す八に足りない、つまり未完を表して永遠を祈るのでしょう。

 東西の十の通りは聖書の十戒、南北の七の通りはメノラーにも、見えますけど。

ようするに、京の町にかけられた呪文があり、それを取り去ると見える真似はしないという事でしょうね。

先頭を切る山笠は、長鉾です。

これは、長いものは神の息であるとともに神の声を表すからでしょう。

天の光を浴びて光る姿が、神の使いの白蛇を表すのでしょう。

今の姿になったのは明治からとみられる、四条通りで行われる白塗りの稚児による結界切も面白いです。

以前はほかの場所で行われていたと見られるが、それがどこかははっきりしないようです。

白塗りの稚児が太刀で結界を切るのだが、その所作もまず横に太刀を払ってから縦に振りおろします。

これは、十字切といい、陰陽の九字切と対を成します。

 キリスト教でも、十字を切りますよ。

白は陰陽では西に配され、死や光の象徴です。

死は魂の世界、神々の世界であり、光に包まれた神の使いである稚児だから露わにすることを許される陰陽の奥義です。

さらに、陰陽の象徴はごろ合わせに満ちています。

稚児は、千児に通じます。

 千は万とともに、永遠の象徴ですね。

 永遠の存在である神の使いの子が、光に満たされて地に現れ、奥義を示す。

 まるでイエスでしょ。

稚児は本来の意味は、乳児、幼児のことです。

「ちのみご」という言葉が縮んだものと考えられるが、後に、袴着・ひもとき前の6歳くらいまでの幼児に拡大されます。

七つまでは神のうち、という言葉に示されるように、この年齢までの死亡率が高かったので、千児に通じる稚児と呼んで無事に乗り切って欲しいと願ったのかも知れないですよ。

七五三は、子どもの厄払いが元です。

稚児が白塗りで祭りに参加することが多いのも、死と再生、さらには光による清めを願ったのでしょう。

祭りの稚児はほとんどが男児なのは、陽の男児に儀礼的な死を潜らせて、無事に神の世界から現世に移ることを願ったのでしょう。

男児は女児より、死亡率が高いですからね。

 死と再生、まるで禊であり、洗礼であるパブテスマ。

 光の清めは、聖霊による清め。

 パブテスマを経た神の子イエスは、聖霊による清めを説いた人でしょ。

また、キリスト教を見ますか。

山鉾は西方の様子を描いた織物で、飾られます。

西方は、死の方角であるとともに神の世界、つまり、神の巡行を意味するという事ではないかと。

 日本人の遺伝子は古代中東に遡ります。

 故郷を懐かしむ、回顧趣味だったりして。

それは、有り得るけど…。

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