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釈尊も日本人も中東系?

ネパールは通称で、正式名称はネパール連邦民主共和国です。

 2008年に王制廃止した、南アジアの共和制国家よね。

東、西、南の三方をインドに、北方を中国チベット自治区に接する西北から東南方向に細長い内陸国です。

国土は、チベット語でサガルマータと呼ばれる世界最高地点エベレストを含むヒマラヤ山脈および中央部丘陵地帯と、南部のタライ平原から成ります。

 ネパールは、ヒマラヤ登山の玄関口としての役割を果たしているでしょ。

そうですね。

ネパールの古い歴史については、「バンシャバリ」といわれる王朝王統譜が5種類伝えられます。

「ゴーパーラ王朝」「マヒシャパーラー王朝」「キラータ王朝」があったとされるが、信憑性は低いといえます。

紀元前6世紀には、現在ネパール領のカピラヴァストゥ共和国の統治者の子として釈迦、つまり仏陀がルンビニで生誕し、北インドに教えを広めたのです。

インド領説もあるカピラヴァストゥ共和国は、紀元前4世紀から6世紀ごろに存在した国家です。

 これらの地域は、当時はインド文化圏に含まれていたので、カピラヴァストゥ共和国にインド領だったという説も出るのでしょうね。

紀元前3世紀には、インドのアショーカ王が釈迦の生誕地である南ネパールに巡礼を行い、仏塔を建立したのです。

4世紀には、インド・アーリヤ語派の王族によるネパーラー王国リッチャヴィ王朝が成立しました。

チベットと文化的、経済的、政治的の密接な交流があり、宗教・商業上の中心地として繁栄しました。

9世紀には、デーヴァ朝が興ります

13世紀以降には、マッラ朝が統治し、ネワール文化が栄えます。

1450年ごろには、マッラ朝、バクタプルからカトマンズ王国独立。

1619年までにマッラ朝、パタン王国、カトマンズ王国から独立、三王国並立時代となります。

ネパール史を振り返るのは今回の目的ではないので、この辺で本筋に入りたいです。

ネパール南部に位置するルパンヒデ郡にあるルンビニーの聖園は、ブッダ生誕の地として知られています

仏陀生誕の地とされるヒマラヤ山脈南麓にあるルンビニーは、仏教四大聖地の一つです。

仏教四大聖地は、ゴータマ・ブッダの生涯の重要な事跡に関わるとされます。

涅槃経によれば入滅、つまり死の直前に自ら指定したといえます。

仏教四大聖地は、この4カ所です。

生誕所であるルンビニー。

成道、つまり悟りの地である、ブッダガヤ。

初転法輪と呼ばれる初説法の地である、サールナート。

涅槃、すなわち入滅の地である、クシーナガラ。

さらに4カ所を加えて、八大聖地ということもあります

加わるのは、この4ヶ所です。

布教の地である、ラージギール。

教団本部の地である、サヘート・マヘート。

昇天の地である、サンカーシャ。

最後の旅の地である、ヴァイシャリ。

実は、このネパールは、日本との類似も案外あるというのです。

日本語は擬態語が多いけど、ネパール語もいろいろあるそうです。

 擬音語も含めて。

そのようですね。

擬音を交えて話すのは他の言語でも見られるけれど、擬態語を多用する言語はそれほどないです。

首都カトマンズは、アジア各地から西洋まで色んな文化が混ざっていたり、宗教も仏教やヒンズー教が混在していたりと、雰囲気はどことなく日本のどこかの街のようだと言います

 ネパールの宗教は、かつて国教とされていたヒンドゥー教、仏教、アニミズム等とその習合が混在するのでしたね。

 日本は、ヒンズー教の代わりにキリスト教だったりするけどね。

 もちろん、民族宗教の神道もある。

 ネパールと日本、同じアジアの国だから顔が似ているというのもあるでしょうね。

カトマンズは交易の町だから、いろいろあっても当然というかも知れないですよ。

けれど、他のキリスト教圏やイスラム教圏の交易の町は、文物や人は各地から来ていても、文化や宗教は共存はしていても混ざり合っているというほどではないでしょ。

 そういえば、ネパールはブータンと日本を比べた時、話題に上りましたね。

ブータンも、日本との繋がりが深い可能性がある国ですよね。

ブータンの大半はチベット系、そして、チベットは日本とともに古代中東の遺伝子が残っています

 そのチベットとネパールは、関係が深いのでしたね。

チベット系の内訳は、こんなふうですね。

チベット仏教のドゥク派を信仰しゾンカ語を主要言語とし、西部に居住するチベット系のガロップ族と呼ばれる人々。

チベット仏教の主にニンマ派を信仰しシャチョップカ語とも呼ばれるツァンラ語を母語とし、東部に居住するアッサム地方を出自とする以前はシャーチョップ族と呼ばれ今ではツァンラと名乗る人々。

ヒンドゥー教徒でネパール語を話し、南部に居住するローツァンパと呼ばれる少数だがイスラム教徒も含むネパール系住民。

 民族とカーストが、複雑に関係し合っているのでしょ。

そして、ネパールはインド・アーリア系の民族と、チベット・ミャンマー系民族からなる多民族・多言語国家です。

 人種学者のハンス・ギュンターのアーリアン学説では、「アイヌ人はアーリア人であり、日本人はアイヌ人の子孫である。だから日本人はアーリア人である」という議論が立てられていたでしょ。

この議論はナチスに利用されたので、今ではあまり、触れたがる人がいないですけど。

 アーリアン学説自体は、近年になって言語学を初めとする各分野から科学的な反証が行われ、その信憑性を大きく失いつつあるともされるですけど。

明確にアーリアン学説を疑似科学であると厳しく批判する学者が大勢を占めた今日では、半ば棄却された仮説と言えるそうです。

今では、「アーリア人」はインドに移住してきたインド・アーリア人、イランに移住してきたイラン・アーリア人およびそれらの祖先のみを指す場合が多いです。

 でも、インド人にインド人と間違えられる日本人がいたり、インドのタミル語に日本語の起源という説が立っているでしょ。

現在のイランを中心に栄えたペルシャ的な容貌の、日本人もいます。

 つまり、ネパール人の中のインド・アーリア系の民族は、日本人の親戚筋かも知れない。

文化的にも似ているから、可能性はあります。

ネパールの中心、カトマンズ盆地には旧石器時代から人が住んでいたことが明らかになっています

ドゥマカールの遺跡で発見された木具を放射性同位元素で測定した結果、紀元前2万7400年ごろのものと推定されたといえます。

また、タライなど旧インド文化圏の各地でも旧石器時代の遺物が発見されています

伝説では、カトマンズ盆地は太古の昔湖で、スワヤンブー寺院を参詣しに来たマンジュシュリ(文殊菩薩)が湖を囲む山を剣で切り開き、湖水を流しだし人が住めるようにしたといわれます。

また「ネ」(ne) という名の牟尼つまり、聖者が、最初にこの地を「統治」(pal) したので、「ネパール」(nepal)の名が付けられたという伝説もあります

その他、ネパールの起源に関する伝説は数多く存在します。

 「ネ」(ne) という名の牟尼つまり聖者ですか。

 神道の祭司は禰宜だけれど、「祈(ね)ぐ」の連用形が語源と見られているでしょ。

字から解釈すると、禰は「汝に示す」、宜は「捧げる場所」と見えます。

つまり禰宜は、捧げ物を掌り神の言葉を取り次ぐ者と、解釈できそうですね。

 そうなると、禰(ね)こそが、禰宜という言葉の中心ね。

 「ネ」(ne) という名の牟尼つまり聖者というより、「ネ」(ne) と呼ばれた牟尼つまり聖者と解釈する方が、良さそうですね。

「ネ」(ne) と呼ばれた牟尼つまり聖者、すなわち捧げ物を掌り神の言葉を取り次ぐ者である禰宜、有り得ます。

「統治」(pal)、「統治」(shiru)を転化と見れば、こうかも。

「禰」(ne) と呼ばれた捧げ物を掌り神の言葉を取り次ぐ者が、「統治」(pal)したから「ネパール」(nepal)。

 チベットと日本は、古代中東の遺伝子が多く残り、チベットとネパールは古来関係が深い。

 つまり、ネパールと日本も古来関係が深い。

 でも、ここまで深いのか…。

これで、もし、釈尊が出た釈迦族が、この延長線に乗れば、釈尊は日本人の親戚筋となるかも。

 釈迦(シャカ)には、釈迦(サカ)という読みもありますね。

クルマサキという名前のとき、クメルサキの転化であり、クメールつまりカンボジアから来たサカ族という解釈をしましたね。

このサカ族がシャカ族であり、シャク尊の出身した一族であると裏が取れれば、面白いですね。

 そういえば、飛鳥昭雄と三神たけるは、釈尊は日本人の親戚筋と指摘しているよね。

 チベット・ミャンマー系民族、チベットは中東の遺伝子が多いけど、もし、釈迦族がこの流れに乗れば、中東系となりますね。

アーリアも中東に遡るから、釈尊はどうみても中東系ですね。

釈尊も日本人も中東系、これだけは確かと言えそうですね。

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