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河童と天狗とユダヤ人と?

河童とユダヤ人、遠目にはよく似て見えるのではないかと話したことがありました、

ユダヤ人も、お皿伏せたような帽子です。

これでマント羽織ったら、遠目には河童みたいになるのではと、ふと思いました。

そのとき、河童と天狗には、奇妙な類似があると話したのですよ。

天狗は修験に、修験はユダヤの習俗に、姿が似ていると言われることも。

そうしたら、イスラエル人に知り合いがいると仰る方から、面白い情報を戴きました。

ユダヤは、元々胡瓜を食す文化だそうです。

インドでの半年の同居生活中、サラダに胡瓜は欠かしてませんでしたと、語ってくれました。

頭のお皿、高い鼻、好物の胡瓜、確かに河童を連想できるそうです。

やはり、この人もこんな感想言ってくれました。

「自分も河童と天狗とユダヤ人の関連性に興味があり、自分なりに推測してて同じことに興味のある方がいる!と嬉しく思いました。」

これは、嬉しかったですね。

 イスラエル人を知っている人が、同じ推理をしているのですね。

そして、こんな議論を展開してくれました。

「世界各地から日本に辿り着いた漂流民もきっといたことでしょう。なかにはユダヤ教徒もいたかも知れません。」
「河川敷や、秩父等河川流域の山間部に残る河童や天狗伝説はそういった漂流民がたまたま日本に漂着し、その後利根川等の河川から内地に移動した後に定住を図ったと考えた方が自然と思います。」

話は、してみるものです。

私も、そういった可能性は十分にあると思います。

 そういえば、ユダヤ人のあのお皿のような帽子、キッパというらしいですね。

 あるサイトで偶然知りました。

 こういう名前です。

 キッズポータル
 子供向けのサイトの情報や日々の出来事なんか書いちゃいます。
 http://ameblo.jp/kidsportal/entry-10474721937.html

キッパ、カッパ、似てますね。

 飛鳥昭雄や三神たけるはカッバーラから転化したという説だけど、カッパの語源はイスラエル人のキッパという被り物かも。

そっちの方が、一般には説得力あるでしょうね。

 ただ、彼らがもっと周辺の人たちと交流していたなら、河童という妖怪にされることはなかったのでは。

古代の一過性な出来事なら、昔話や伝説にはなっても、妖怪話にまでなるでしょうか。

繰り返し、謎めいた存在が目撃されたから妖怪話が生まれた、そう見えませんか。

 そういえば、妖怪の多くは、身近な存在の化身。

河童の仲間の妖怪も、職能集団としての性格を持ってますよね。

 日本の妖怪で、職能集団の性格を持つのは、河童の仲間くらいかも。

しかも、複数の地点が現場のように感じられます。

 定住はしたが、地域との日常的な接点を持っていない。

サンカ(山窩・ 山家・山稼)は、実態が謎に包まれた集団ですよね。

 そう言えば、穢多などと呼ばれた人々は、被差別部落に住んでいるから、詳しい実態が知られていないとしても河童の正体ではありえないですね。

化身であれば、当然、言い伝えに出てくるはずでしょ。

そうかと言って、サンカは可能性はあり得るけど、恰好で疑問が残ります。

 河童には、化身とされる実在する集団は伝わっていないですからね。

ある理由があったので隠れ住む必要があった、ユダヤの集団の可能性は考えて良いかもしれないですね。

仏教公伝の年次については、近年も様々な説が提唱されています。

ただし各史料の記述から、欽明天皇期に伝来したことは疑いないと思われているのです。

もし、ユダヤ人の中に、動物の捧げものに拘る人々がいたとしたらどうでしょう。

 『岩国領の被差別民について』の著者である宮田伊津美は、こう書いているそうですね。

 「エタの職業の代表は皮革関係であるが、全体的にみれば生活基盤は皮革ではなく農業活動にあったと考えるべきであろう。」

 さらには、海岸沿いの穢多には、漁業を「家職」とすることが許されたそうですね。

 にも拘らず、穢多というと皮革という印象がある。

穢多は、文字通り読むと「穢れが多い」ということですね。

「けがれ」は「穢れ」のほか、「汚れ」とも書かれます。

こういう意味です。

1 けがれること。特に精神的にみにくいこと。よくないこと。清潔さ、純粋さなどを失うこと。また、失われていること。「―を知らない子供たち」

2 不名誉であること。名誉をけがすこと。名折れ。「家名の―」

3 死・出産・月経などの際に生じるとされる不浄。罪・災いとともに、共同体に異常をもたらす危険な状態とみなされ、避け忌まれる。この間は、神前に出たり人に会ったりするのをつつしむ習慣もあった。

ところが、元の文字はそれぞれ、けっして悪い意味ではないです。

「禾」は稲、麦、粟など穀物を、「歳」は地球の一周する時間や一年をさすとともに穀物の実りの良し悪しを、表します。

「水」は文字通り「みず」を、「于」は場所や対象を、表します。

つまり、むしろ、農業にそった言葉でさえあります。

そこで、私は「気枯れ」だったと見ました。

「気」は「元気」「勇気」「病気」などの「気」で、「気」が「枯れる」とは死を意味したのではないでしょうか。

 穢多は、死に関することを生業としたがゆえに穢れとして遠ざけられ、被差別部落が生まれた。

穢れが多いと書いて「エタ」というのは、動物を捧げ物とする風習を仏教の禁畏とされた後も続けようとしたユダヤ人が、世間からの隔離を受け入れることと引き換えに、続行を認められたからかも知れません。

ユダヤを、ヘブル語でィエフダー(יהודים)と呼ぶでしょ。

 ィエフダーから転化して、イダ、イド、エダ、ヒダ、ヒタ、ハダ、ハタ、イデ、ヘダ、トダ、キダ、キタとなった可能性を見てきましたね。

ィエフダーから、エタも転化してきたとみれば、被差別部落の起源は生贄の習慣を守ろうとしたユダヤ人という情報と合いますよね。

 穢多というと皮革という印象は、生贄の習慣を守ろうとしたユダヤ人だったからということで、辻褄は合いますね。

穢多は、有名な割には実態が意外と知られていません。

奈良本辰也著の『吉田松陰と「討賊始末」』に、長州藩では「穢多」身分とされた宮番の妻であった登波の旅は、病気に倒れて、常陸国の百姓家に寝込んでしまう事があったと記していると言います。

「穢多」身分であった女に、宿を貸し、看病までしてくれ、回復後、あらたな旅へ送り出してくれた「常陸国の百姓」がいたというのです。

これは、被差別部落民という括りだけで捉えたら説明が付きません。

 穢多は正体がユダヤ人であり、関東に多かった秦氏もユダヤであったとしたら、成程と思えますね。

 ひょっとすると、人としての河童や山童は、まだまだ謎の多い穢多の知られざる側面だったのかしら。

さあ、まだまだ、知られていないユダヤ人集団があるかも知れないから、即断はできません。

でも、胡瓜が好きな河童は、カッバーラの転化という飛鳥昭雄と三神たけるの主張は、ユダヤは元々胡瓜を食す文化というから、現実味が出てきましたね。

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