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スロバキア。

北西にチェコ、北にポーランド、東にウクライナ、南にハンガリー、南西にオーストリアと隣接するスロバキア共和国、通称スロバキアは、中央ヨーロッパの共和制国家です。

首都はブラチスラヴァ。

国土の1/3を森林に覆われた緑多きこの国は、かつてはハンガリー王国の一部であり、その伝統は、ハンガリーをはじめ、スラブ、オーストリア、ドイツ、そして1993に分割されたチェコの影響を受けてきました。

古代にはサモ王国・モラヴィア王国として独立を保った期間もありました。

だが、この地のスラブ人は1000年間少数民族としてハンガリー王国の支配下にあったのです。

ハンガリーにとっても歴史的に重要な地域であり、多くのハンガリー人の出身地、ハンガリー貴族の発祥地でもあります。

 元来スラブ系でしょ。

ハンガリー文化に同化した者も、多いですよ。

スラヴ人は、中欧・東欧に居住し、インド・ヨーロッパ語族スラヴ語派に属する言語を話す諸民族集団です。

ウクライナ人・ベラルーシ人・ロシア人は東スラヴ人、スロバキア人・チェコ人・ポーランド人は西スラヴ人、クロアチア人・セルビア人・ブルガリア人など南スラヴ人に分けられます。

言語の共通性を、何よりのアイデンティティとしています。

スラヴ語の「スラヴ・スロボ」は、言語とか言葉を意味するスラブ語のслово(スローヴォ)から来ています。

スラヴ人の多くは、コーカソイド人種の特徴を持っています。

 アイヌも、コーカソイド人種と見られたことがありましたね。

 いまでは、モンゴロイドに分類されるけど。

こういうことも、日本にロシア人と勘違いされる顔の人がいる理由になっているのでしょうね。

 スラブ人が多い東欧は、日本人に似た人が案外いるということになりますね。

原住地はカルパチア山脈周辺と推定され、その後ヨーロッパ各地へと移住する過程で、6、7世紀頃まで言語としての一体性を持っていました。

 カルパチア山脈は、カルパティア山脈とも発音され、中央ヨーロッパ・東ヨーロッパの山脈でしょ。

次第に東スラヴ人、西スラヴ人そして南スラヴ人といったゆるやかなまとまりから、さらに各地のスラヴ民族を多数派とする集団へと分化していった歴史を持ちます。

「スラヴ」がギリシア語に入ったときに「奴隷」の意味となり、英語のスレイヴの語源になっていったのは、他の民族もそうであるが、スラヴ人も戦争などで捕らえられると奴隷として扱われたためでしょう。

この時期、捕虜はどの国でも奴隷であり、戦利品に過ぎなかったのです。

さらに、ギリシアの文化を受け継いだローマ帝国のラテン語から西欧諸言語に広まったと考えられています。

現在もスラヴ人の名前にアレクサンドル(アレクサンダー)とかローマ人をさすロマンといったものがあるが、東ローマ帝国と現在のウクライナであるキエフ・ルーシとの戦争における奴隷のなごりではとも考えられます。

 でも、スラブ、アラブ、音が似てますね。

 アッラーは、聖書の神であるヤハウエやイエスと同じ神とされるでしょ。

実際はアッラーは、聖書でいう御父だと思うけど、ヤハウエやイエスと同一視しても大まかな議論には影響しませんからね。

そして、言葉は神とともにあった、言葉は神であったと聖書にあります。

 スローヴォが、アッラーの転化と見れば言語や言葉をさすようになっても、おかしくありませんね。

さらに、聖書の民は自らを神の僕(しもべ)の意味で、しばしば聖隷と呼びますよ。

 スラブが奴隷を指す言葉の語源となった背景には、このあたりの事情もありそうですね。

スラブ人の民族発祥に関する言い伝えであるスラブ叙事詩には、どこか聖書を連想できる部分があるのですよ。

 でも、スラブとユダヤの同祖論はあまり聞いたことないですよ。

タタールの軛(くびき)と呼ばれる、モンゴルの支配があった時代が長かったからかも。

 でも、それはルーシの話でしょ。

他のスラブ人も、周辺民族から多くの影響を受けて別々の民族へと、分化していきましたからね。

ユーゴスラビアも、ユーゴスラブ人を纏めようとしたけど、結局民族国家に分かれてしまったでしょ。

 そういえば、白人的なユダヤ人であるアシュケナージは東欧圏に多くなかったですか。

そうですね。

アシュケナージは、アシュケナジーやアシュケナジムとも呼ばれ、ディアスポラのユダヤ人のうち、おもに東ヨーロッパなどに定住した人々やその子孫の呼称の単数形です。

同地からイスラエルに移住したユダヤ人とその子孫の集団も、同様に呼ばれます。

 ロシアや東欧には、アシュケナージを苗字に持つ人は多いですよね。

スロバキアは、第一次世界大戦後オーストリア・ハンガリー帝国からチェコと合併するかたちで独立しました。

その後幾らかの変遷を経て、1993年1月1日にチェコスロバキアから分離独立し現在に至ります。

ケルト人が先住民であるが、1世紀ごろゲルマン人が、この地を支配していました。

5~6世紀ごろにスラブ人が移住して来、9世紀には、大モラヴィア帝国を創り上げました。

9世紀に現在のスロバキア、モラヴィア、ボヘミア、シレジア地方にモラヴィア王国が成立しました。

モラヴィア王国は、9世紀から10世紀初頭にかけて栄えたスラヴ人の王国で、大モラヴィア王国などとも表記されます。

スロバキアでは、モラヴィア王国がスロバキア人による王国であると主張する者もいます。

けれど、歴史学的には証明できる事実ではないのです。

 確かなのは、スラブ人の王国ということだけですか。

どうも、そのようですね。

この地域のスラブ人が現在のように簡単にチェコ人、スロバキア人などと言うように分類できない面がありましたからね。

10世紀になるとマジャル人の侵入を受け、ハンガリー王国が成立しました。

 ハンガリー王国は、かつて現在のハンガリー共和国を中心とする地域を統治した王国でしょ。

ハンガリー王国は000年頃、イシュトヴァーン1世の即位によって成立しました。

当然、今ではほかの国の領土になった地域もあり、スロバキア全土は北部ハンガリーと呼ばれ、ハンガリーの一地域として扱われるようになります。

ただし、ハンガリーに比べてスラヴ人の多い地域でしたけどね。

ちなみに、ハンガリー王国は最盛期には、スロバキアのほか、クロアチア共和国のクロアチア地方やスラヴォニア地方、セルビア共和国のヴォイヴォディナ、ルーマニアのトランシルヴァニア、オーストリア共和国のブルゲンラント州も領域でした。

更にオスマン帝国がハンガリーに侵入するとプラチスラヴァ(ポジョニー)にハンガリー王国の首都が移され、ハンガリーにとっても北部ハンガリーは重要な地域と見なされるようになりました。

この首都移転は北部ハンガリーの人口バランスを狂わせるもので、増加したマジャル人に対して北部ハンガリーのスラヴ人の反感は高まったのです。

19世紀の中ごろに周辺のスラヴ人が民族主義の流れからクロアチアのスラヴ人からクロアチア人、ボヘミアのスラヴ人からボヘミア人と呼び名を変えて行くようになりました。

北部ハンガリーでは自らの地域・北部ハンガリー地域のスラブ語に転化したスロバキアと名づけ、自らをスロバキア人、自分達が話す言語をスロバキア語であると主張するようになりました。

またこの頃、勢力の大きいマジャル人に対して、チェコ人(チェック人)とスロバキア人の連合が主張され始めるようになりました。

オーストリア・ハンガリー二重帝国体制下においてはチェコ、スロバキアは共に連邦国家構想を支持していたが第一次世界大戦の終了と共にオーストリア・ハンガリー帝国は崩壊。

1918年、独立運動の指導者トマーシュ・マサリクは、チェコスロバキアは民族自決の対象となる単一のチェコスロバキア人国家として独立を宣言しました。

チェコの社会学者・哲学者・政治家であったトマーシュ・マサリクは、チェコスロヴァキア共和国の初代大統領を、1918年から1935年まで務めました。

 トマーシュ・マサリクは、1850年3月7日チェコ共和国の領土となっているモラヴィアのホドニーンに生まれ、1937年9月14日に没したのでしょ。

オーストリア・ハンガリー帝国崩壊の後、更にハンガリーに侵入して北部ハンガリーのほとんどの地域をハンガリーから収奪し、これが現在のスロバキア国家の基本的な領土となっています。

しかしこの行動は、ハンガリー等で領土回復運動が高まるきっかけとなったのです。

 スロバキアの伝統料理は、肉系統を主体としたものでポテトが付け合せで出てくると聞きました。

 歴史的にハンガリーとの関係が強いせいか、ハンガリー料理に似ているそうですね。

ハンガリー料理によく似ていているのが南部で、パプリカを使ったグヤーシュというスープがポピュラーだそうですよ。

 スロバキアの料理は、地方によって特色があるのですね。

オーストリアに近い西部では、シュニッツェル、ソーセージ、サワークラウトがよく食べられているそうです。

 シュニッツェルはカツレツ、サワークラウトは酢漬けキャベツですよね。

 スロバキアには、スープ料理の種類がたくさんあるようですね。

もっとも有名なのは、カプストニカ(Kapustnica)という燻製の豚肉ソーセージ、キャベツ、きのこの入った温かいスープでしょう。

カプストニカは、じゃがいもを主原料にしたハルシュキというお団子や、羊のチーズのお団子と一緒に食されているといいます。

川魚のマスやコイも人気で、クリスマスに肉食を禁じているカトリック教徒が多いため、特にクリスマス・シーズンには、マスやコイの料理が食卓を飾ることが多いらしいです。

 チェコと同様、スロバキアで人気の飲み物といえば、ビールでしょ。

Golden PheasantやTopvar、Corgonといったブランドがあり、輸出もされていますね。

ほかには、ボロヴィッカ(Borovicka)というドライジンに似たジュニパーで風味づけしたブランデーや、スリヴォヴィカ(Slivovica)というプラムのブランデー、また東南部ではワインも造られていて、これも海外に輸出されています。

スロバキア料理は、日本人にも美味しいものが多いようだけど、ソーセージはものによっては好みにあまり合わないのがあるらしいです。

食べたことないので、どのソーセージが美味しくてどれがそうでもないか、知らないですけどね。

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