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女媧と伏羲と香箱猫?

香箱座りの時、猫の体は頭の丸と胴体の四角の組み合わせの形になります。

丸は天、四角は地を表現し、猫は太陽神の象徴とされたのでした。

日本の太陽神は、正式名称を天照国照彦天火明櫛甕玉饒速日命と言われるが、天照国照彦・天火明命・櫛甕玉饒速日命に御霊分けられます。

 天と地と太陽神とくれば、頭の丸は天照、胴体の四角は国照を指し示すと見れないでしょうか。

つまり、天照国照彦ですね。

さらに、夜になると光る猫の目は夜道を通る太陽の目ともされたから、天火明命に対応しそうでしょ。

しかも、狩人としての猫は俊足を誇るので、饒速日命と呼ばれても不思議ではないと思われます。

 おまけに、櫛甕玉の玉は日本の猫の代名詞でしょ。

“大”を二つ重ねたものが、“太”だそうです。

ならば、“玉”は、“王”を二つ並べたものかもしれません。

 男王と女王とか。

おそらく、そうでしょう。

 そうそう、将棋は王と玉でしょ。

先手をさす下手(したて)が玉を、後手を指す上手(うわて)が王を持ちます。

 これ、上手(うわて)の王が天帝で下手(したて)の玉は国王とか。

それも面白い解釈ですね。

『出エジプト記の秘密 モーセと消えたファラオの謎』には、神の古い表記法として、“ヨッド י ”を左右に並べた“ヨッド י ヨッド י ”を挙げています。

聖四文字において、“ヨッド י ”は頭にあたる文字とされます。

 “ヨッドヘーヴェブヘーיהוה ”でしたね。

 へブル文字は、横書きでも縦書きでも良いという、日本語表記と似た性質があるのですよね。

 へブル文字は右から左、日本語の横書きも昔は右から左だったでしょ。

日本語では、アルファベットやアラビア数字と混ぜて書きやすいように、左から右に変えられましたけどね。

伏羲は太陽と規(コンパス)を手にし、 女媧は月と矩(さしがね)を手にしています。

この姿は、並んだヨッドに繋がってはいないでしょうか。

伏義も女媧も王であったわけなので、並んだ王、つまり“王王”であり、“玉”そのものではないかと見えます。

 規は円であり、円は天(陽の気)を表し、 矩は方であり、方は地(陰の気)を表すのでしたね。

コンパスは円はもちろん、陰陽における陽としての男・天・日などを表し、定規は方(正方形)はもとより、陰陽における陰としての女・地・月などを表しますよね。

 天と地からなる宇宙をさす、天円地方ですね。

そして、香箱猫は頭の丸と胴体の四角の組み合わせの形になります。

 エジプトの神話では、天の女神と地の男神を描いた図を見た覚えがあります。

これも、陰陽道では説明できます。

天は陰に配され、陰には女も配されます。

地は陽に配され、陽には男も配されます。

常に万物は陰陽の組み合わせと言うのが、陰陽道の基本です。

 陰陽では、上が陽、下が陰、これが基本でしたね。

 当然、上は天、下は地なはずでしょ。

男性原理の天だからこそ女神が、女性原理の地だから男神が、配されたというわけなのです。

 それが、エジプト神話の配置。

陰陽合一の太極という、ことなのでしょう。

このエジプト神話から、後天易の天が陰で地が陽の配置が生まれた可能性はありそうです。

 エジプトからの伝播説ですね。

コンパスを持つ女媧と定規を持つ伏羲は、エジプト神話を元にしているのかも知れないですね。

 陰陽の後天易も、エジプトの影響。

そうかも。

 そういえば、エジプトは東が生者、西が死者の町ですよね。

女性原理と男性原理の合一の太極によって、世界は満たされているのです。

 六芒星も。

太極の象徴の一つですよ。

 右道のヨーガも左道の性の教義も、さまざまのシンボルによって彩られていますよね。

それらは文字通りシンボルであって、それ以上でもそれ以下でもないのです。

これらのシンボルを真似て、奥義に近づこうとする者がいるが、はっきり言って、それらの試みは無意味です。

シンボルの奥に潜むものは、シンボルが何を語るのかを直視してこそ見えてきます。

 シンボルは、一種の文字と見て良い。

そういうことです。

左道と右道どちらの行者も、行のための行に陥っています。

特に左道は煩悩に溺れ、淫し邪教に陥る危険があるだけに、安易に行者にならないほうがいいのです。

 右道のヨーガは、せいぜい健康法としてたしなむくらいでいい。

ヨーガの形は、禅の姿勢の一種くらいの位置付けとみるのがちょうど良いでしょうね。

左右両道に偏らない、その丁度中ほどを心がけるのが、良いようです。

 中ほどを意味する言葉として、中道とか中庸があるでしょ。

中道は、釈迦が仏教の基本理念として説かれたものです。

中庸は、孔子が儒学の根本を為す最高の道徳観念として説かれたものです。

面白いのは、同じ基本理念を説いた両者がほぼ同時代の人であったという厳然たる事実です。

釈迦は、諸説あるが、前四六三年もしくは五五六年から前三八三年もしくは四八六年の人であろうと見られています。

孔子は、前五五一年から前四七九年の人です

当時、「中」思想の潮流が、全世界を席巻していたことが伺えます。

 そういえば、前384年から前322年とほぼ同時代に生きた、古代ギリシアの哲学者、アリストテレスも中庸を徳論の中心概念としているようですね。

日本においては、中道と中庸は、神道の一神観と一致するものとして受け入れられた形跡があると指摘する人もいます。

天御中主神の中や、中山がこの国の中心とされるのが、その証拠だと言います。

中山三山は、この国の心御柱に当たり、京都の丁の字型が、正中の忌柱に当たるそうです。

京都は碁盤の目というけど、実際は道の配置に注目すると中ほどに丁の字が浮かび上がってくるのです。

 この丁の字型は、京の町に隠された呪術の人形(ひとがた)にも見えますね。

北、すなわち天に向かって呪術の人形が飛んで行って災いを祓って欲しいという願いが込められているのかも知れません。

そうそう、ヨーガの左道と右道ですね。

ヨーガの左道と右道もまた、実は陰陽なのです。

 だから、間を取る中道を進むのが良い訳ですね。

 じゃあ、ヨーガの左道と右道も、王と王で玉の構図ですか。

女媧と伏羲が連想できそうですからね。

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