孔子とカッバーラ?
一を聞いて十を知る、ということわざがありますね。
頭の回転が良く、1つ聞けば10を知ってしまうような様子を言うでしょ。
あの人は頭の回転が良く「一を聞いて十を知る」ような人です、のように使いますね。
中国の「論語」にある、孔子の一番弟子「顔回」を評していった言葉が語源由来です。
なぜ、他の数字ではなく、十なのか、でしょ。
ここでいう十は、全体を表す十割のことでしょうね。
一割を聞いて十割を知る、つまり、一部を聞いて全体を知る、と言いたい。
その解釈では、まだ半分だと思いますよ。
一は、一つのリンゴのように全体を表すこともありますよね。
そうか。
全体を見渡せるような視点から物事を見る、という意味も込められているわけですね。
そういえば、群盲象を評すと言うことわざもありますね。
その一つ一つが全体を推測できるだけの情報を含んでいなければ、何を見たか聞いたか、わからない。
ことわざはたいてい、矛盾する内容のものと対になってるでしょ。
矛盾するものと対になる、弁証法の構図ですね。
つまり、一つのことわざはどれも、矛盾する内容を自分自身の中に含んでいるわけですよ。
一を聞いて十を知る、とは全体を推測できる部分の見方や聞き方を知っている、と見ることもできるわけですよ。
どんな物事にも共通する構図や構造があると、知っていたりわかっていたりする人が、一を聞いて十を知る事ができるわけですね。
群盲象を評すという場合も、目が見えないという表面的なことよりも、本質や全体像が見えていないという内面的なことを、言っているわけですね。
盲人の洞察力は、目の見えている人よりも鋭い時って多いですよね。
でも、すぐ前の石ころや穴は、どこにあるか見えてないから、目の見えている人が教えてあげないと危ないですけどね。
群盲象を評すの、群盲とは全体を理解できない状態を言うわけですね。
だから科学でも、これまで知られてこなかった事柄に出会った学者や研究者のいうことは、実際に観察や観測をした報告には耳を傾けても良いです。
一方で、全体についての想像は参考程度に聞いた方が良いですよ。
人によって言うことが違う場合があるし、たとえ似ている場合でも群盲象を評すに似た状態の場合もありますからね。
ところで、十と言うと門松や生命の樹の節の数でも、あるでしょ。
生命の樹の節の一つ一つについて理解ができていれば、どの節についての話なのか即座に見抜いて全体像がわかるという事かも知れないですね。
生命の樹は、別名を、世界樹とも宇宙樹とも、言いますからね。
じゃあ、一を聞いて十を知るとは、一つを聞けば世界や宇宙がどんな風なのかわかってしまう人という事でもある。
カッバーラに通じた人ということ。
中国の論語だから、陰陽に通じた人、つまり弁証法が理解できている人が、一を聞いて十を知る人なのでしょうね。
ここで陰陽をカッバーラとみると、孔子はカッバーラに通じた人となってしまいますよ。
イエスが、カッバーラを明かした人と言われるでしょ。
孔子がカッバ-ラに通じた人なら、行方不明になっていたエルサレム教団の末裔の1人だったとか。
それを言ったら、同時代に活躍した諸子百家の主だった顔ぶれはみんな、エルサレム教団の末裔の1人という説だって立つでしょ。
墨子には、キリスト教徒が親近感を寄せ、アラビア人説が出てるででょ。
じゃあ、墨子なら、エルサレム教団の末裔の1人という説が立つとでも。
証拠を掴まないと、安易にそういう議論はできませんよ。
孔子は紀元前551年9月28日から紀元前479年4月11日まで生きていた、春秋時代の中国の思想家、哲学者で儒家の始祖ですよ
今日の道徳の確立の始祖とされます。
孔子の氏は孔、諱は丘、字は仲尼(ちゅうじ)です。
孔子とは尊称で、子は先生という意味です。
紛らわしいことに、孔子の姓は、子だそうです。
この「子」は尊称の「子」ではないといいます。
孔子の先祖が殷とも呼ばれる商の貴族という説があり、商国の姓は子なのです。
ヨーロッパでは、ラテン語化された孔夫子の音訳の"Confucius"の名で知られているそうです。
なお、夫子は先生への尊称です。
孔子は、紀元前551年、一説には552年に、魯国昌平郷辺境の陬邑、現在の山東省曲阜(きょくふ)市で陬邑大夫の次男として生まれたとされます。
黄河が山東省西部を貫き、山東省の北部で渤海に流入しています。
ちなみに、邑は村を指し、昌平とは太平を盛んにするという意です。
父は叔梁紇、母は顔徴在とされるが、『論語』の中には記述がないそうです。
『論語』で孔子自身は「貧しくて賎」と語っているので、卑賎階級の巫女の子として生まれたとの異説もあります。
殷と同定されているのは、考古学の進展により、紀元前1600年頃から紀元前1400年頃とされる二里岡(にりこう)文化が通説です。
二里岡文化は、黄河流域を中心とした文化です。
河南省鄭州市で1951年に発見された二里岡遺跡から、その名をとっています。
二里岡遺跡のほとんどは現代の鄭州市街の下にあるため発掘が困難なので、二里岡文化についての研究は二里岡遺跡以外の場所での発掘によるところが大きいといいます。
中国の考古学者は、鄭州付近を商(殷)王朝の初期の中心地と考えており、二里岡文化を商王朝の初期段階とみています。
二里崗文化とも書かれる二里岡文化は、中国の黄河中流から下流を中心に栄えた青銅器時代の文化です。
一方、欧米の考古学者らは、安陽市で発見された殷墟とは異なり二里岡からは商王朝の町であることを示す文字資料が出土していないため、二里岡を商と結びつけることには慎重だそうです。
二里岡遺跡は周囲約7kmの城壁に囲まれた都城で、城壁の外に骨器や陶器を作る大きな工房群が位置していました。
工房の中には、二つの青銅器工房も含まれているそうです。
二里岡文化は青銅器を大々的に使用する中国最初の文化であり、その初期には急速に勢力を拡大して長江流域にまでいたりました。
現在の武漢市黄陂区にあたる湖北省黄陂県の盤龍城遺跡は、長江流域で発見されている唯一の商代の都市遺跡です。
盤龍城遺跡からは、多くの青銅器が出土しています。
二里岡のある鄭州付近は銅の出土が少なく、盤龍城は銅資源を確保するための前哨であったと考えられています。
盤龍城遺跡を絶頂として、以後二里岡文化は徐々に衰退していったようです。
二里岡文化は先行する二里頭(にりとう)文化に影響を受けており、その青銅器は二里頭文化の様式や製造法を受け継いでいます。
二里頭文化は、河南省偃師市の二里頭遺跡からその名をとっています。
二里岡文化期には二里頭文化の時期よりも青銅器の様式は均一になり洗練され、青銅器の使用が広まりました。
紀元前2100年頃から紀元前1800年頃または紀元前1500年頃の二里頭文化は、中国の黄河中流から下流を中心に栄えた新石器時代から青銅器時代初期にかけての文化です。
二里頭文化は、中国初期王朝時代の初期に、都市や宮殿を築きました。
現在のところ100近くの二里頭文化の遺跡が発見されていて、代表的なものには洛陽市の東乾溝遺跡、矬李遺跡、東馬溝遺跡、陝県の七里鋪遺跡、臨汝県の現在の汝州市にある煤山遺跡、鄭州市の洛達廟遺跡などがあります。
おおよその地理的範囲は、河南省中部・西部の鄭州市付近の伊河・洛河・潁河・汝河などの流域から、山西省南部の汾河下流一帯にかけてだが、その影響は上流の陝西省南部や、南の長江中流域にも及んだと見られます。
長江の名前が出ましたね。
長江文化に対して、さらに西方の中東にまで遡る可能性を見たことがあったでしょ。
長江文明については、蜀は古代エジプト、さらには古代イスラエルまで連想を広げましたね。
頭を上げた虫を表す蜀の字から、エジプトの蛇神ネヘブカウでしょ。
それから、蜀の字は火の付かない燭台に見えるのでメノラーでしょ。
だったら、孔子の出自にエルサレム教団末裔説を言ってもおかしくはないかも。
言えるのは、可能性があるという程度ですよ。
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