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義に生きるとはどういう事か考えてみた。

多くの宗教家は、この経典に従えば、経典の内容を伝える私の言葉に従えば、天国に行けますよ、極楽に行けますよと、説いているでしょ。

 そうですね。

そして、神や仏の御心にしたがって生きるものが、たとえどんなに現世で苦労しても神仏はちゃんと見てくださって、天国や極楽に受け入れてくださいますよと、説く場合が多いでしょ。

 そうですね。

だけど、こう思いませんか。

神仏の御心に叶う生き様の人が集まる天国や極楽がそんなに素晴らしいなら、この世に実現できないだろうかと。

 そういえば、そうですね。

思い起こしてください。

偉大な宗教家たちは、神仏の御心に従ったら死後に天国や極楽に行けると説いたでしょうか。

現世を神仏の御心に従うものたちで満たそうと、活動なさっていたのではないでしょうか。

そして、現世で神仏の御心の世に生きられなかったとしても諦めないで生きたものたちは天国や極楽が迎え入れられると、説かなかったでしょうか。

 義に生きるものは幸いである、神の国はあなた方のものだと、イエスは仰いますね。

 一方で、主よ主よとこれ見よがしに私の名を呼ぶものがある、私は言う、あなた方を知らぬとも、仰る。

 義に生きるものであれば、わざわざ、神の注意を引こうとしなくても神の方から注意を払ってくださる。

 なぜなら、義とは神の道を歩くことだから、こう言い換えられるわけでしょ。

 神の道に生きるものは幸せである、神の国はあなた方のものだ。

つまり、義=神の道なわけですね。

そして、神の道である義に生きることを妨げるならば、そのものはサタンであるわけです。

イエスは、地上に神の道に生きるもので満たそうとなさったわけです。

たとえ、サタンが妨害しようとも神の道に生きるなら死をも恐れない人たちとなるわけです。

 だから、キリスト教の歴史は殉教の歴史でもある。

困っている人がいたら我が身を省みずに救いの行いに入る、これは仏教も説きます。

もちろん、そのたびに死んでいたら命はいくらあっても足りないから、神仏の御心に生きるためになら死を恐れるなという事でしょうね。

 マルクスとエンゲルスをサタニスト呼ばわりする人がいますね。

日本共産党の歴史は、まるで殉教の歴史ですよ。

関東大震災の直後から、弾圧の危険をも顧みず救援や救済の活動を行ったのが共産党員や日本民主青年同盟(民青同盟)の前身である共産主義青年同盟(共青)の仲間たちであり、弾圧したのが今の自由民主党の前身であった政党ですよ。

弾圧にあって絶命するまでの間、何人もの人を救っています。

他の災害でも、同様の事例はあるようです。

戦後も、東日本大震災で困っている団体に義援金を届けたらこう言われたそうです。

ほかの党が顔を見せるのはお金が欲しい時ばかり、お金を持ってきてくれた党をはじめてみた。

政党助成金ともいわれる政党交付金の総額は300億を超えます。

議員歳費の総額は300億弱です。

それでも、政党交付金を貰っている他の党は企業団体も集めようとします。

政党交付金は、企業団体献金廃止の代わりであり個人献金で賄えるまでの過渡的なお金だったはずです。

どちらが義に生きようとする党ですか。

地上に神仏の道に生きる人の世を拵えようとしたのは、社会主義や共産主義も同じです。

だが、夢や想いを告げて賛同者を募り実現しようとするのは同じでも、夢物語や改良主義に終わった社会主義者ばかりです。

マルクスやエンゲルスは、古代から正しさが神仏に由来するカッバーラやタントラや陰陽として伝えられてきた唯物弁証法を用いて、社会主義を科学に変えました。

地上に神の国を齎そうと奮闘したイエスの想いを、むしろ忠実に引き継ごうとしたのはマルクスやエンゲルスであり、神の国を死後の世界にすり替え現世に我慢させるための阿片に堕落させたのが当時の教会だったと言えるでしょう。

イエスは神殿の堕落を批判し、マルクスとエンゲルスは教会の堕落を批判しました。

もし、教会を罵ったが故にマルクスとエンゲルスがサタニストであるなら、神殿の堕落を批判したイエスはどうなりましょう。

当時のユダヤ教やローマの支配を脅かす存在となりながらもイエスは、奇跡で人々を救いました。

多くの人を救いながら、ユダヤ教やローマ支配への脅威とみなされたがために十字架にかけられたイエス。

 ソ連東欧は、マルクスやエンゲルスの示した道から外れ破綻したでしょ。

 これ、神の名をこれ見よがしに語りながら神の道に外れていることに気づいていない教会の運命の予型だったりして。

ありえますね。

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