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シリア

シリア・アラブ共和国、通称シリアは、中東・西アジアの共和制国家です。

首都はダマスカスですよね。

北にトルコ、東にイラク、南にヨルダン、西にレバノン、南西にイスラエルと国境を接し、北西は東地中海に面します。

この地域は、世界で最も古い歴史を持つ土地と言われます。

 紀元前1万年頃に氷河期が終わり、地球が温暖化が始まった紀元前8000年頃にはこの地域では麦による農耕が始められたとされますね。

紀元前6000年ごろには「肥沃な三日月地帯」の一部として灌漑農業が発展し、紀元前3000年ころには農耕に富を基盤とした文明の萌芽があったといいますね。

古代オリエント時代においてもメソポタミア、アッシリア、バビロニア、さらにギリシア・ローマ、ビザンチン帝国と支配者がめまぐるしく変わります。

イスラム世界に入ってからも、支配者は、ウマイヤ朝、アッバース朝、セルジューク朝、などの各王朝からモンゴル人のイル汗国、オスマン帝国と変わりました。

近代には列強の争いの舞台となるなど、人類史の縮図といっていい地域です。

「シリア」という言葉は、歴史的シリア、大シリア、ローマ帝国のシリア属州など、周辺のレバノンやパレスチナを含めた地域を指すこともあります。

 「リア」や「リヤ」のつく国や地域って、日本との関係が見える地域が多いですね。

 シリアも、そうですか。

「シリア」の語源は不明だが、アッシリアの転訛とする説、ティルスの転訛とする説などがあります。

それで、気にはなっていたけど、ちょっと後回しにしていました。

 だったら、なんで取り上げる気になったの。

気になるからだけど、それだけじゃ、だめですか。

「シア」や「シヤ」、「リア」や「リヤ」とくると、もとは、「シマ」だったと見たくなります。

 「シリア」は「シア」の転化であり、本をただせば「シマ」だった。

縄張りとか、勢力圏の意味の「シマ」から、「シア」、さらに「シリア」と見ても面白いでしょ。

パレスチナなどは、日ユ同祖論の出るイスラエルの地でもありますよ。

紀元前3千年紀にはエブラ、キシュ、アブツァラリク、マリなど血縁によって結ばれたセム語都市文明圏が成立しました。

 じゃあ、シリアはセム語語族の「シマ」、つまり一大勢力圏だった。

可能性は見ても良いでしょ。

 セム語族と言えば、モンゴロイドに分類されるでしょ。

 日本人もモンゴロイドに分類されるから、古代シリア人と同じセム語族。

シリア料理などアラビア料理は、日本ではあまり食べることのないけど、日本人の舌によく合うそうですよ。

おいしくて洗練された中東料理の代表といえば、レバノン料理です。

シリアもかつてはレバノンと同じ国だっただけに、ほぼ同じ流れを汲んでいるといえます。

シリアの典型的な食材は、ライ麦パンやブルガーという挽き割り小麦、お米、肉、野菜、豆、だそうです。

シリアの食事には、メゼとも呼ばれるマッザという野菜や豆をメインにした前菜も欠かせません。

 メゼとも呼ばれるマッザ、混ざるの語源だったりしてね。

用法と語感は似てるけど、どうなのでしょうね。

 料理の傾向は、エジプトとも似てるかしら。

シリアは、かつてエジプトとメソポタミア、地中海地域を結ぶ交通の要所として栄えたから、似ているのも当然とも言えますけどね。

メゼの定番は、ホンモスあるいはフムスというひよこ豆のペーストや、ババガヌーシュというナスのペースト、などだそうです。

胡瓜を刻んで入れたヨーグルトなんて、もろきゅうを連想できるメゼもあると言います。

 ひよこ豆は、エジプトでも出ますね。

 胡瓜と言えば、ユダヤ人は胡瓜が大好きでしょ。

 お皿のような帽子のキッパを被って、胡瓜が好物なので河童の正体だという話も出た。

ブルガー小麦は、キベ(Kibbeh)という、ブルガー小麦とラムのひき肉を混ぜて油で揚げた料理などに使うそうです。

 キベって揚げるところは違うけど、なんとなく、つみれみたい。

 キベが西に渡ってハンバーグの祖先になり、東に渡ってつみれになったとか。

これだけで、一つの話になりそうなので、先に進みたいですけど。

ほかにポピュラーなのは、さまざまなペストリーや、つぶした豆を揚げた料理であるファラフェルですね。

ファラフェルは、ヒヨコマメまたはソラマメから作ったコロッケのような中東の食べ物です。

それから、タブーリというパセリのサラダ、チキンやラムのシチュー、回し焼肉のシャワルマ―ようするにドネルケバブ―などもあげられるそうです。

シリア人は甘いものが大好きなので、ダマスカスやアレッポでは、甘いお菓子が多いそうですよ。

さまざまな種類のバクラヴァという焼き菓子のような、甘いペーストリーですって。。

 日本の甘党が多い地域、元を辿るとシリア人のいたことろだったりして…。

どうなんでしょ。

もしそうなら、面白いですけどね。

 刻んだ胡瓜をヨーグルトで食べるのが好き、ヨーグルトを味噌に変えると、もろきゅうでしょ。

 日本人のもろきゅう好きは、シリア起源なのかしら。

シリアから、ユダヤ人経由で、日本ですか。

 ありえるでしょ。

日本には、古代中東の遺伝子が多いうえに、日ユ同祖論がありますからねえ。

エブラは、アレッポの南西55kmに位置するシリア北部にある古代の都市国家の遺跡です。

エブラは紀元前3千年紀後半、および紀元前1800年から紀元前1650年と紀元前2千年紀前半の二つの時期の重要な都市国家でした。

遺跡のある場所は、現在テル・マルディーフ(Tell Mardikh)と呼ばれ、紀元前2250年頃に遡る楔形文字の書かれた粘土板が15,000枚と大量に発見されたことで有名です。

これらはスメル語、およびここで初めて発見されたセム語派の言語・エブラ語で書かれています。

 スメルも、日本に渡来説がありますね。

 スメラミコトの語源という議論も立てられている。

エブラは大麦、オリーブや織物の生産が行われ、「マリムーク」という指導者のもと、メソポタミアからパレスチナ、エジプトまで交易が営まれていました。

エブラは、紀元前2250年ごろにアッカドに滅ぼされます。

またマリは、宗教的中心地として紀元前1900年頃栄えました。

マリ(Mari)は現在のシリア領内の(テル・ハリリ Tell Hariri)で、ユーフラテス川中流の右岸(西岸)にあった古代スメルおよびアムル人の都市国家です。

現在のシリアの町アブ・カマル(Abu Kamal)の北西11km、デリゾールの南東120kmに位置します。

紀元前5千年紀には住居があったとみられるが、都市として繁栄したのは紀元前2900年頃から紀元前1759年にかけてのことで、その後ハンムラビによって破壊されました。

ついでに言うと、キシュ(Kish)は、ケシュ(Kesh)とは別の都市です。

ケシュは、まだ場所の特定はできていないが、ニンフルサグを守護女神とした古代シュメールの都市とされます。

キシュ(Kish)は、バビロン遺跡の東に位置する古代メソポタミアの都市、またはそこに起こった国家国家で、現代名はテル・アル・ウハイミル。

20世紀初頭の発掘によって宮殿跡やジッグラト、墓、書記学校の跡が発見されています。

古代メソポタミア時代の初期において、特殊な意味合いをもった土地です。

 そうそう、シリア史でしたね。

紀元前1850 アッシリア王のシャムシ・アダド1世がヤスマフ・アダドをマリ王にし間接支配を布きました。

そして紀元前1759年には、バビロニアのハンムラビに滅ぼされました。

その後紀元前15世紀にミタンニ王国が成立。紀元前13世紀にはアッシリアがミタンニ王国を滅ぼしました。

一方、海岸部ではフェニキア人の植民が展開されました。

 フェニキアといえば、マン島の猫を日本やインドからもたらしたのでしたね。

琉球大学名誉教授の木村政昭は、琉球にフェニキア人が一大勢力を持っていたと見ていますよ。

 木村政昭といえば、海洋地質学者で地震学者の理学博士ですね。

海の民によりヒッタイトが滅亡すると、アラム人の小国が乱立します。

 ヒッタイトも、古代イスラエルを語るうえで欠かせない存在ですね。

ヒッタイトも、日本人のルーツという議論がありますよね。

さらに、アラム人の言葉であるアラム語はヘブル語とも関係が深いです。

 イエスが話していたのも、アラム語でしたね。

イエスは、西方アラム語の方言を話したそうですよ。

西方アラム語は、かつてアラビアのナバテア人、パルミラ人、パレスチナのキリスト教徒やアラム人ユダヤ教徒によって話されました。

現在はシリアのマアルーラ (Ma'aloula) 村など三つの村で話される現代西方アラム語を除いてまったく消滅しているといいます。

東方アラム語もあって、シリア語やマンダ語、現代アラム語などを含みます。

これらのいくつかは、シリア・イラク・イラン・トルコ・グルジア・アルメニアのいくつかの村で話されています。

アラム語を話すユダヤ教徒の一部と、現代のイスラエルが移住したロサンゼルスでは毎年、アラム語の母語話者のコンベンションがあります。

キリスト教の聖書のアラム語版はシリア語の方言であり、主の祈り(Lord's Prayer)の上で記事を見つけることができるそうです。

アラム人は、紀元前11世紀頃までに、ユーフラテス川上流に定住したひとびとです。

その拠点としては、ティル・バルシップ、現在のゼンジルリであるサマル、アルパド、ビト・アディニなどが挙げられます。

その後、シリアに進出して新たな都市国家を形成したアラム人は、ラクダを用いてシリア砂漠などを舞台に隊商貿易を行いました。

アラム人勢力は、当初はハマ、その後はダマスカスを中心としたのです。

その後、アラム人勢力は、さらに交易網を拡大し、古代オリエント世界に商業語としてのアラム語を定着させました。

また、シリア沿岸部のフェニキア人が用いていたフェニキア文字からアラム文字が作られ、その後の西アジア・南アジア・中央アジアの様々な文字に影響を与えたのです。

 その後のシリアに話を戻してくださいな。

シリアでは、アッシリアがティグラト・ピレセル3世などの優秀な指導者によって勢力を増し、紀元前735年アッシリアが統一。

紀元前732年には北に位置する騎馬民族スキタイに押されて南下したキンメリア人の侵攻を受けました。

その後、アッシリア最後の偉大な王とされるアッシュールバニパルが即位。

アッシュールバニパル王の在位は、紀元前668年から紀元前627年頃だそうです。

アッシュールバニパルは、ニネヴェ図書館と呼ばれる図書館を建造して数万点に及ぶ粘土板を保管しました。

 これらの粘土板は、今のメソポタミア史を研究する上で絶大な影響力を持つのでしたね。

だが彼の死後、急速に衰退したアッシリアは紀元前612年に新バビロニアとメディアの攻撃を受けて滅亡します。

そして新バビロニア、メディア、リディア、エジプトなどの強国が乱立します。

アケメネス朝ペルシアのキュロス2世がメソポタミア地域の統一、続くカンビュセス2世がエジプトを制圧し、ついにメソポタミア全域の支配に成功しました。

アケメネス朝ペルシアの支配は長く続いたが、アレクサンドロス大王の征服を受けると、急速にギリシア化が進みます。

 ギリシャも、神話や和裁はさみ、外反母趾になりやすい足指、秋田美人などで注目しましたね。

紀元前321年にはアレクサンドロス帝国は分裂し、紀元前301年にセレウコス朝シリアが建国されました。

セレウコス朝シリアはインドからイランをへてトルコにいたる広大な領土を持っていました。

 インドやイランも、日本人と似た顔が見つかる国々ですよね。

インド人やイラン人から、同胞に間違えないと断言されて困りまくる日本人もいるようですね。

 インドは、タミル語と日本語を比較して語源説が出ている。

 イランはペルシャの時代から、日本に関わりが深い。

平家はペルシャ人ではないか、などという説も出ているでしょ。

シリアの勢力圏は、紀元前200年ころから、パルティア、バクトリアの侵食を受け縮小します。

さらにポエニ戦争にかかわったことから古代ローマと交戦状態となり、衰退し紀元前64年にローマに併合されました。

ローマの支配下では、パルミラなど諸都市が大いに栄えました。

 ローマ帝国影響下にあった国や地域は、日本と比べると興味深い話が出るけど…。

 シリアも、古代日本を知るうえで顧みた方が良さそう。

気になるでしょ。

 ところで、シリアは、セム語族のどの集団の「シマ」だったのかと。

気になるでしょ。

わたしも、気になる。

アラム語を話していた人々だったのでしょうけどね。

追記

最近の研究では、外反母趾になりやすい足の傾向は、エジプトタイプだとされるようになってきました。

足指は、三つのタイプに分類されるといいます。

エジプト型と、ギリシャタイプと、スクエアタイプの三つです。

エジプト型は、親指が一番長く、小指にむけて短くなる形です。

日本人の6割から7割が、このエジプト型タイプと言われています。

親指が長い他に、足幅が広めな形です。

親指が側面から圧迫されやすいため、外反母趾になりやすいタイプの足の形です。

ギリシャ型は、親指より第2指が長い足の形です。

日本では、エジプト型に次いで多いです。

足先の細い靴を履いても、爪先に負担をかけることが少なく、外反母趾になりにくいタイプの足の形です。

ただし、指が曲がりやすく、ハンマートゥになりやすい足でもあります。

ハンマートゥとは足の指が曲がったまま、戻らなくなっている状態です。

スクエア型は、5本の指の長さに差がない足の形です。

日本人では珍しい足です。

幅の狭い靴を履くことで、指にタコやウオノメができやすいタイプの足の形です。

ただ、ギリシャ神話の神々は、エジプトとのかかわりが指摘されており、この二つの文明を荷った民の間の関係はどうであったか興味深いものがあります。

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