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斉一性は普遍的か?

私の元に、こんな意見が来ました。

 「生命の最初の化石証拠は、35億年前のオーストラリアの地層から得られたものである。これは、繊維状細胞である。」

 この事実を、どう説明しますか?

 4000年では、ちと、桁からして、合わないように思われるのですが。。。

 くれぐれも、地質学の誤りのせいにはしないで下さいね。

 現在の地質学は、アイソトープの恩恵で、かなり正確なものになっています。

こういう内容です。

ちなみに4000年は、聖書にある天地創造の7日のうち4日が生命に関する記述であることによります。

神にとって1000年は1日のようで1日は1000年のようだ、という聖書の記述から4日を4000年と換算しました。

アイソトープとは放射性同位元素と呼ばれ、放射線を出しながら壊れて別の元素になる性質があります。

アイソトープが最初の半分に減るまでの期間を、半減期と言います。

アイソトープの半減期は、環境に左右されません。

 もちろん、崩壊後の元素と合わせれば、元素の総量は同じでしょ。

アイソトープと崩壊後の元素の量をみれば、半減期が判断出来る可能性があります。

つまり、半減期を調べれば何年前かわかるというのが、この議論の根拠になっています。

 でも、同じ地域でも放射線量が違うという事で、問題になっているでしょ。

 出発点には、同じ時点のアイソトープの量は同じと見るのが、分析法の前提なのでは。

原発事故のようなことは、地質学の対象とする時代にはなかったと見ているのです。

自然の条件下では、誤差の範囲のアイソトープ量の差しかないと、言いたいのでしょう。

 その35億年前という数値は、激変がなかったことを前提にした数値でしょ。

 恐竜絶滅などの原因となった激変を考慮に入れれば、全く違う結果だって出るはずです。

琥珀に閉じ込められた古代の空気を調べたら、恐竜の時代は酸素の濃度が濃かったという結果が出ています。

酸素の濃度が濃かったので、恐竜などは巨大化出来たという研究もあります。

 恐竜の時代と現代とでは、大気中のアイソトープの濃度が違うと見る方が自然ですね。

アイソトープの正確性を担保する斉一性自体、怪しいというのが最新科学の指し示すところなのです。

なお、斉一とは、こういう意味です。

物事がどれも一様であること、あるいは、整いそろっていること。

または、物事がどれも一様であるさま、あるいは、整いそろっているさま。

それに、恐竜絶滅には、諸説出ているが一つに絞り切れていません。

 一長一短あるから、どれか一つに絞れない。

言い換えれば、複合的な事態が起きた証左と言えるでしょう。

 隕石が、洪水や地震、さらには噴火まで地球規模で引き起こしたとか。

生き残っている生物の説明が、どの説でも困難なのです。

 想定外という言葉は、この事態にふさわしいですね。

説明の一筋縄でいかないこと自体が、想像を超えた激変を物語っているとしたら、斉一性を絶対的と考えない方が合理的な解釈と思えるのではないでしょうか。

法則の斉一性と、歴史の斉一性は、別なのですよ。

 考えてみれば、価値観だって、時代で変わる。

 これって、自然の中に斉一性がないことの反映だったりして。

ありえますね。

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