両界曼荼羅と生命の樹?生命の樹 その4
曼荼羅は、梵語つまりサンスクリットのमण्डल maṇḍalaの音に漢字をあてたもので、曼陀羅と表記することもあります。
曼荼羅はその形態、用途などによってさまざまな分類があります。
密教では、曼荼羅をその外観から次の4種に分けています。
大曼荼羅は、大日如来をはじめとする諸仏の像を絵画として表現します。
一般的に「曼荼羅」と言ったときにイメージするものが大曼荼羅です。
三昧耶曼荼羅(さまやまんだら、あるいは、さんまやまんだら)は、 諸仏の姿を直接描く代わりに、各尊の悟りを表す象徴物が記されます。
諸仏の代わりに、煩悩を打ち砕く武器である金剛杵、蓮華、剣、鈴などの器物が描かれています。
法曼荼羅は、諸仏の姿を直接描く代わりに、1つの仏を梵字ともサンスクリット文字ともよばれる1つの文字で象徴的に表したものです。
仏を表す文字を仏教では種子あるいは種字(しゅじ)と言うことから、「種子曼荼羅」とも言います。
羯磨曼荼羅(かつままんだら)とは、曼荼羅を平面的な絵画やシンボルではなく、立体的な彫刻として表したものです。
羯磨曼荼羅の羯磨とは、サンスクリット語で「働き、作用」という意味です。
マンダラという語は、英語ではヒンドゥー教やその他の宗教のコスモロジー(宇宙観)も含め、かなり広義に解釈されているが、日本語では通常、仏教の世界観を表現した絵画等のことを指します。
今回は、曼荼羅を世界という程度の意味で使いたいと思います。
漢字自体には、意味はないですよね。
当然でしょ。
मण्डलには形容詞で「丸い」という意味があり、円は完全・円満などの意味があることから、これが語源とされ、中国では円満具足とも言われる事があるそうです。
古代インドに起源をもち、中央アジア、中国、朝鮮半島、日本へと伝わりました。
曼荼羅は、仏教特に密教において聖域、仏の悟りの境地、世界観などを仏像、シンボル、文字、神々などを用いて視覚的・象徴的に表したものです。
21世紀に至っても、チベット、日本などでは盛んに制作されています。
インドでは諸神を招く時、土壇上に円形または方形の魔方陣、マンダラを色砂で描いて秘術を行います。
色砂で土壇上に描くため、古い物は残っていないが、チベット仏教などでは今でも修行の一環として儀式、祭礼を行う時に描かれます。
もちろん、チベット仏教の曼荼羅には、色砂で創られる砂曼荼羅以外にも諸仏、六道輪廻、他など多くの種類があります。
曼荼羅の内容から区分すると、密教系では、根本となる両部曼荼羅とも呼ばれる両界曼荼羅の他に別尊曼荼羅があります。
両界曼荼羅は、金剛界曼荼羅と大悲胎蔵生曼荼羅という2種類の曼荼羅から成ります。
金剛界曼荼羅は金剛頂経、大悲胎蔵生曼荼羅は大日経という、密教の根本経典に基づいて造形されたものです。
2つの曼荼羅とも、密教の根本尊である大日如来を中心に、多くの尊像を一定の秩序のもとに配置し、密教の世界観を象徴的に表したものです。
別尊曼荼羅は、大日如来以外の尊像が中心になった曼荼羅で、国家鎮護、病気平癒など、特定の目的のための修法の本尊として用いられるものです。
修法の目的は通常、増益(ぞうやく)、息災、敬愛(けいあい、きょうあい)、調伏の4種に分けられます。
増益は長寿、健康など、良いことが続くことを祈るもの、息災は、病気、天災などの災いを除きしずめるように祈るもの、敬愛は、夫婦和合などを祈るもの、調伏は怨敵撃退などを祈るものです。
仏眼曼荼羅、一字金輪曼荼羅、尊勝曼荼羅、法華曼荼羅、宝楼閣曼荼羅、仁王経曼荼羅などがあります。
密教以外では、浄土曼荼羅、垂迹曼荼羅、宮曼荼羅などがあります。
浄土曼荼羅は、観無量寿経などの経典に説く阿弥陀浄土のイメージを具体的に表現したものです。
浄土曼荼羅の類の作品を中国では浄土変相図と称するのに対し、日本では曼荼羅と称しています。
浄土曼荼羅の浄土つまり清らかな国土とは、それぞれの仏が住している聖域、理想的な国土のことです。
弥勒仏の浄土、薬師如来の浄土などがあるが、単に「浄土」と言った場合は、阿弥陀如来の西方極楽浄土を指すことが多いです。
日本の浄土曼荼羅には図柄、内容などから大きく分けて智光曼荼羅、当麻曼荼羅、清海曼荼羅の3種があり、これらを浄土三曼荼羅と称しています。
垂迹曼荼羅は、特定の神社の祭神を本地仏または垂迹神として曼荼羅風に表現したものです。
日本の神道の神々は、仏教の諸仏が「仮に姿を変えて現れたもの」だとする思想があり、本地垂迹説といいます。
本地垂迹説では、神の本体である仏のことを「本地仏」と言い、本地仏が神の姿で現れたものを「垂迹神」といいます。
垂迹曼荼羅にも多くの種類があり、本地仏のみを表現したもの、垂迹神のみを表現したもの、両者がともに登場するものなどがあります。
代表的なものに和歌山県の熊野三山に伝わる熊野曼荼羅、奈良の春日大社に伝わる春日曼荼羅、比叡山の鎮守の日吉大社に伝わる日吉山王曼荼羅などがあります。
宮曼荼羅とは、 本地仏や垂迹神を描かず、神社境内の風景を俯瞰的に描いた作品のうち曼荼羅と呼ばれているものです。
宮曼荼羅は神社の境内を聖域、浄土として表したものと考えられます。
この他、仏教系、神道系を問わず、「曼荼羅」と称される絵画作品には多くの種類がある。
法華曼荼羅とも呼ばれる文字曼荼羅は、日蓮の発案したもので、絵画ではなく題目や諸尊を漢字で書き表していて、中央の題字から長く延びた線が引かれる特徴から髭曼荼羅とも呼ばれます。
日蓮宗及び法華宗、霊友会系法華経団体系の本尊としています。
今回は、もっとも知られている両界曼荼羅を考えてみます。
両界曼荼羅は、密教の中心となる仏である大日如来の説く真理や悟りの境地を、視覚的に表現した曼荼羅です。
大日如来を中心とした数々の仏を一定の秩序にしたがって配置したものであり、個々の「仏」の像を絵画で表したもののほか、1つの仏を1文字のサンスクリットを表記するための文字のひとつである梵字で象徴的に表したものもあります。
胎蔵曼荼羅として知られる大悲胎蔵生曼荼羅は大日経、金剛界曼荼羅は金剛頂経という密教経典をもとに描かれています。
大日経は7世紀の中頃、インドで成立したものと言われ、インド出身の僧・善無畏(ぜんむい)が弟子の一行(いちぎょう)とともに8世紀前半の725年(開元13年)前後に漢訳したものです。
金剛頂経は7世紀末から8世紀始めにかけてインドで成立したもので、大日経が訳されたのと同じ頃に、インド出身の僧・金剛智(こんごうち)と弟子の不空(ふくう)によって漢訳されています。
なお、金剛頂経は、十八会(じゅうはちえ)、つまり、大日如来が18のさまざまな機会に説いた説法を集大成した膨大なものであるが、金剛智と不空が訳したのは、そのうちの初会(しょえ)のみで真実摂経(しんじつしょうぎょう)とも言います。
大日経と金剛頂経は同じ大日如来を主尊としながらも系統の違う経典であり、違う時期にインドの別々の地方で別個に成立し、中国へも別々に伝わりました。
これら2つの経の教えを統合し、両界曼荼羅という形にまとめたのは、空海の師である唐僧・恵果であると推定されています。
恵果は、密教の奥義は言葉では伝えることがかなわぬとして、宮廷絵師李真に命じて両界曼荼羅を描かせ、空海に与えました。
空海は唐での留学を終えて806年(大同元年)帰国した際、それらの曼荼羅を持ち帰っています。
胎蔵曼荼羅は、上から、外金剛部院、文殊院、釈迦院、中台八葉院、持明院、虚空蔵院、蘇悉地院からなり、向かって右に除蓋障院と金剛手院、向かって左に地蔵院と蓮華部院が配されるという構成になっています。
胎蔵曼荼羅を見て直感的に感じるのは、3×3の構図ですね。
この、3×3の構図は、金剛界曼荼羅ではもっとはっきりします。
日本で一般的に用いられる金剛界曼荼羅は、成身会(じょうじんえ)、三昧耶会(さまやえ)、微細会(みさいえ)、供養会、四印会、一印会、理趣会、降三世会(ごうざんぜえ)、降三世三昧耶会の九会(くえ)から成るからです。
両界曼荼羅は、向かって右に胎蔵曼荼羅、向かって左に金剛界曼荼羅の順で配されます。
インドでは、神々をたいてい前向きに描いて左が上位でしょ。
金剛界曼荼羅の方が、胎蔵界曼荼羅より、上位なのかしら。
少なくとも、胎蔵界曼荼羅から金剛界曼荼羅という順で見ることは意識されていますね。
胎蔵界曼荼羅も金剛界曼荼羅も3×3の構図だけど、胎蔵界曼荼羅だけ見ていても、この構図に気づきにくいですね。
どう見て良いか、迷ってしまう。
つまり、迷いの胎蔵界曼荼羅に対し、悟りの金剛界曼荼羅と見たいわけですね。
金剛界曼荼羅は、本当にすっきりしていますか。
下の六つの世界は、無限入れ子を連想します。
中に入ったら、迷いそうですね。
金剛界曼荼羅の九会は、ひとつの曼荼羅の9つのブロックと考えるよりも、9つの曼荼羅の集合体と考えるべきものと見られています。
つまり、一つ一つが悟りを求めて胎蔵界曼荼羅を出た後の世界とも考えられるのです。
そのうち、下の六つが無限入れ子の構図であるばかりか、上三つとの間に通路のようなものが見えるでしょ。
六つの迷いの世界を抜けて、つまり悟りを得て、上三つの世界に来いと…。
恐らく下の六つは、六道輪廻(りくどうりんね)でしょうね。
六道輪廻(ろくどうりんね)と、言った方が今の私たちにはすぐわかるけど。
どちらの読みでもいいですよ。
ここでは六道輪廻(りくどうりんね)で通すけど。
悟りを求めて、迷いの胎蔵界曼荼羅を出ても六道輪廻の迷いに入ってしまう…。
天道、人間道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道が、六道とされます。
このうち、地獄から畜生までを三悪趣、あるいは、三悪道、三悪、三途と呼び、これに対し修羅から天上までを三善趣と呼称する場合があります。
また地獄から修羅までを、四悪趣と称することもあります。
六道から修羅を除いて五趣とか五道と称すこともあります。
初期仏教では、地獄・餓鬼・畜生・人間・天上を五趣とし、修羅はなかったので、五趣の方が六道より古い概念とされます。
当初、修羅あるいは阿修羅が、天部に含まれていたもので、大乗仏教になってから天部から修羅が派生して六道となったからで、これらを一括して五趣六道といいます。
天道は、天人が住まう世界です。
天人は人間よりも優れた存在とされ、寿命は非常に長く、また苦しみも人間道に比べてほとんどないとされます。
また、空を飛ぶことができ享楽のうちに生涯を過ごすといわれるが、煩悩から解き放たれていません。
天人が死を迎えるときは5つの変化が現れ、これを天人五衰、あるいは単に五衰と称し、体が垢に塗れて悪臭を放ち、脇から汗が出て自分の居場所を好まなくなり、頭の上の花が萎みます。
人間道は、人間が住む世界です。
四苦八苦に悩まされる苦しみの大きい世界であるが、苦しみが続くばかりではなく楽しみもあるとされ、仏になりうるという救いもあります。
修羅道は、阿修羅の住まう世界です。
修羅は終始戦い、争うとされ、苦しみや怒りが絶えないが地獄のような場所ではなく、苦しみは自らに帰結するところが大きい世界です。
畜生道は、牛馬など畜生の世界です。
ほとんど本能ばかりで生きており、使役されなされるがままという点からは自力で仏の教えを得ることの出来ない状態で救いの少ない世界とされます。
餓鬼道は、餓鬼の世界です。
餓鬼は腹が膨れた姿の鬼で、食べ物を口に入れようとすると火となってしまい餓えと渇きに悩まされます。
他人を慮らなかったために餓鬼になった例があり、旧暦7月15日の施餓鬼はこの餓鬼を救うために行われます。
地獄道は、罪を償わせるための世界です。
六道、また十界の最下層で、一般的に、大いなる罪悪を犯した者が死後に生まれる世界とされます。
これら六道は、すべて迷いの世界なのです。
厄介なのは、他の六つより天道ですね。
天道は、苦しみも人間道に比べてほとんどないとされるので、悟ったと勘違いする人は多いでしょうね。
だが、煩悩から解き放たれていないことを忘れてしまうと、躓いてしまうでしょうね。
この六道を抜けると、悟りの四印会、一印会、理趣会にはいるわけですか。
そうなるでしょうね。
でも、その話に入る前に、もう一度胎蔵界曼荼羅を見てください。
後光のようなものに包まれた三角が見えますね。
その中に万字があります。
万字は、太陽を表し、この場合は多分大日如来の象徴でしょうね。
三角の上にも万字が見えます。
三角は、人を表すのでしたね。
円は天、方は地、という円天方地の思想と合わせて、円天角人方地で世界を表す。
この構図、何か連想しませんか。
我々に似せて人を作ろう。
それとか、御父と聖霊と御子。
それじゃ、聖書でしょ。
仏性は万人にあるという、大乗仏教の基本ですよ。
人は皆、己の仏性に気づき導かれて、悟りの道を進むことができる。
それが、両界曼荼羅の示すところではないでしょうか。
でも、九会という事は…。
十は一段上に上がれということでしょうね。
一段上で、再び胎蔵界曼荼羅から金剛界曼荼羅への悟りを目指せ…。
それが仏への道だと。
おそらく、そうでしょう。
3×3の構図で、無限に登って限りない悟りの道を進め。
生命の樹も、そうですよ。
一番下のマルクトを除く九つのセフィロトを登れ。
だが、一つの生命の樹で御父に昇りつめても、また、次の生命の樹を始めから昇って、これを無限に繰り返す…。
悟りを開き仏陀となった釈尊も、中東出身部族の釈迦族の尊者である可能性はありますよ。
生命の樹の思想を思い起こしながら、悟りを目指したのかも知れないですね。
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