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深曽木の儀を視点を変えてみた。

着袴(ちゃっこ)の儀と深曽木(ふかそぎ)の儀は健やかな成長を願う古来から皇室伝統の儀式で、一般の七五三に当たります。

 深曽木の儀は、主に男児の儀式ですよね。

着袴の儀に続いて行われる深曽木の儀では、子は髪の毛を鋏で切り揃えられた後、足元の青色の二個の小石を踏んで日置盤と呼ばれる碁盤より南に向かって飛び降ります。

日置盤は、罫線が通常の碁盤のように19×19路ではなく、21×21路で、升目でいうと20×20の400マスになっているといいます。

暦における八節である春分・秋分・夏至・冬至・立春・立夏・立秋・立冬に当たる位置が盤上に記されているほか、陰陽道にいう九星、すなわち一白・二黒・三碧・四緑・五黄・六白・七赤・八白・九紫を表す碁石が置かれていました。

日置盤は高天原を表わすと、以前触れたけれど、古伝によると青色の二個の小石は高天原から眺めた地球と月とを意味するものだそうです。

また、古伝によると青色の小石を踏んで飛び降りられるのは、葦原の中津国の支配者として降臨される事を象徴したものであるといいます。

そこで今回は深曽木の儀について、さらに考えてみたいと思います。

ちなみに、深曽木の儀については、深曽木(みそぎ)の儀と呼ぶこともあるそうです。

日本碁院のHP「楽しい囲碁入門教室」http://www.nihonkiin.or.jp/lesson/index.htmには、囲碁の始まりについての記事の中のこういう記述があります。

囲碁の起源

囲碁のはじまりは、四千年ぐらい前、中国と言われています。

中国ではなくインドやチベット発祥の異説もありますが、はっきりしたことは分かっていません。

当初囲碁は、古代中国の皇帝(=尭帝・舜帝)が、囲碁を創って子どものしつけのため、教えたという伝説や、また碁盤は宇宙、碁石は星のかわりで、カレンダー、占いに使ったという話があります。

中国の古い書物(=論語・孟子など)には囲碁のことが書かれ、また紀元前770~前221年ころ春秋・戦国時代には、囲碁は戦略、政治、人生のシミュレーションゲームとして広まったようです。

この記述には、碁盤は宇宙、碁石は星のかわりとあります。

 青色の二個の小石は、東に配される青い色である九星の三碧ではないか、考えたでしょ。

深曽木の儀では、童形服を着て、右手に桧扇、左手に小松と山橘を持つけれど、それに先立つ着袴の儀で男子は滝の意匠をあしらった和服である落滝津の御服の上に白絹の袴を着付けます。

この着袴の儀での衣装で、滝の意匠をあしらった落滝津の御服を水と解釈して五行の北と天に、白絹の袴を五行の西に、それぞれ配されると見ました。

ここに飛び降りる方角を合わせれば、東西南北が揃います。

 この東西南北は、高天原の方位とともに、降臨された葦原の中津国の方位でもあるのでしょ。

おそらく、そうでしょう。

 日置盤を含む碁盤は宇宙の象徴でもあったというならば、高天原も地上ではなく宇宙にあったと考えていたことになりますね。

天皇家の祖神として、太陽神が崇められるので、高天原は太陽を想定しているように見えますね。

 ところが、本地である大日如来の垂迹として天皇家の祖神の太陽神は位置付けられるわけでしょ。

 そうなると、大日如来を大いなる太陽の如くに来られるお方と見れば、天皇家の祖神の太陽神も大いなる太陽の如くに来られるお方となるでしょ。

これは、古代エジプトの地上における太陽神ラーとされるファラオとそっくりですよね。

 神々は三神構造であり動物神を含む八百万の神を崇める、これも、古代エジプトと日本はそっくり。

 ついでにいうと、エジプトと日本は味の好みまで似ている。

 食は生活の基本でしょ。

 宗教と味の好みが似ているうえに、着袴の儀と深曽木の儀に対しても古代エジプトと日本の関係を裏付けるような解釈が可能になる。

 面白いですね。

地の神は天の神から権能を与えられて王として君臨する、この構図は、聖書における御父と御子の構図にそっくりなのです。

 コーランのアッラーは、厳密に言えば御父エロヒムだけど、御子は御父から全権を与えられて君臨するのです。

そこで、アッラーを御子であるイエスと混同しても実質的に差し支えないことになるので、アッラーをイエスと見なした議論も可能になります。

さらに、古代エジプトの太陽神ラーをアッラーとおけば、ラーをイエスの正体と見ることも、もちろんできるでしょうね。

 フェラオは、地上における太陽神という位置づけですよね。

 天皇は、太陽神の子孫という位置づけですよね。

そして、深曽木の儀では、左手に小松と山橘を持ちます。

この枝を神の声と見なして、預言者となる儀式としての側面がありはしないかと、議論しました。

 古代エジプトは、フェラオが地上における太陽神という位置づけであるにもかかわらず、儀式を掌る祭司がいたでしょ。

 日本も、天皇が太陽神の子孫という位置づけであるにもかかわらず、儀式を掌る祭司がいるでしょ。

 だとしたら、ファラオも預言者という側面もあったのでしょうか。

ファラオは預言者であったという視点からの調査は、これまでされていないから見落とされているのかも知れないです。

少なくとも、ファラオは預言者であったと見る研究はいままでのところでは、知らないですね。

今後の展開でどうなるか、わからないですけど。

 着袴の儀で、女子は濃色(こきいろ)と呼ばれる濃い赤紫色の小袖と同色の袴を、それぞれ着用しますよね。

さらに女児は、衵扇(あこめおうぎ)を手にし、さらに袿(うちき、うちぎ)を着用しますね。

 男児は深曽木の儀では、童形服を着て、右手に桧扇、左手に小松と山橘を持つでしょ。

 扇は、奥義に通じると、しばしば言われます。

 奥義の伝授の儀式が、着袴の儀と深曽木の儀なのでしょうかね。

民俗学者の吉野裕子は、扇は陰陽の象徴と解釈していますね。

 閉じて陽、開いて陰、合わせて陰陽と見るのでしたね。

閉じている状態は陰の極みとしての陽、開いている状態は陽の極みとしての陰、と解釈が可能ですね。

 開くために閉じるから陽、閉じるために開くから陰、と考えても良いでしょうね。

つまり、陰陽とは常に物事を動的な関係のなかで捉える世界観ですよね。

そして、陰陽は神道の哲学的、思想的背景とされています。

着袴の儀と深曽木の儀を、奥義の伝授の儀式と見ても良いかも知れないですね。

 飛鳥昭雄と三神たけるは、陰陽はカッバーラと言っていますよね。

それでは、着袴の儀と深曽木の儀を、カッバーラの伝授の儀式と解釈するのと変わらないでしょ。

日本の民俗に、旧約聖書時代のイスラエルに似たところが多いのは事実だし、キリスト教を連想できる部分も少なくないけど。

 キリスト教は、旧約聖書の救世主来臨預言を根拠にしているから、旧約聖書をきちんと解釈すれば日本の民俗にキリスト教的な要素はあってもおかしくはない。

天孫一族には、失われた十支族説が絶えないから、そういう解釈が出てもおかしくないですけど。

天皇は、日本を正しい聖書理解に導いた正統な預言者であると言っているのと、大差ないでしょ。

 本地垂迹から、大日如来をイエスと置くと天皇は正当な神の後継者になると気づいて、ザビエルは真っ青になったのではないかと、考えたことありましたね。

 正当な神の預言者となると気づいたザビエルは、頭の中が真っ白になったと見ても良かったかも。

 教皇は、正当な神の預言者として指導的な地位についているわけではないから。

天皇は神の預言者という、展開にまたしてもなったのは事実ですけどねえ。

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