生命の樹と鏡。生命の樹 その6
ユダヤ教神秘主義と呼ばれるカッバーラには、鏡像反転と言う考えがあるようです。
ここでいう鏡像反転とは、属性を逆にすることです。
鏡像反転って、鏡に移して真逆にしたのを見るんですよね。
陰を陽に、プラスをマイナスに、火を水に、天を地に、男を女に、などなど…。
天岩戸でウズメは鏡を天照に示すけれど、天照の正体は男神であることを暗示しています。
天照国照彦…。
そうかも。
逆に男神であるにもかかわらず女神であるのは、イエスが今、姿を表しておられない陰の状態を連想できますね。
キリスト教は死刑の道具である十字架を、シンボルにしていますね。
シンボルに掲げる教会は多いですね。
十字架を鏡像反転するとイエスになるので、それはカッバーラ的に正しい訳ですね。
十字架は死の樹として陰に対応し、イエスは生命の樹として陽に対応するのでしょ。
イエスは、贖いのために十字架で犠牲になってくださったとされています。
だが、イエスの贖罪の死は御父への忠誠の証という側面もあるようです。
アブラハムとイサクへの神の試しは、十字架のイエスの予型となっています。
御父は、イサクを犠牲として奉げよとアブラハムに命じた以上、自らも御子に犠牲となることを求めたということ。
それもあるでしょうね。
イサクに儀礼的な死を体験させることで、イサクの子孫を聖別する意図もあったかもしれません。
そうなると、イエスの贖罪の死に感謝し、イエスによってもたらされた救いを受けれるものは聖別されるという事でしょうか。
ただし、イエスの教えに正しく従ったかどうか、神に採点されて及第点をとる必要はあるのでしょうね。
だから、最後の審判がある。
おそらく、そうでしょう。
イサクの代わりに仔羊が奉げられるが、この身代わりの仔羊こそ、やがてイエスの象徴の大事な一つとなります。
もっとも、贖罪の死を受け入れることはイエスにとって、人としての修業の締め括りでもあったでしょうね。
人々の苦難や苦悩をいくつも目の当たりにしたイエスの修業のなかで、不条理と死の体験が締め括りとなったのでしょう。
かつてヤハウエとして、天界から見ていただけの地上をイエスは身を持って体験なさったわけでしょう。
言い換えれば、地上で人として得た知識の集大成が十字架の死でもあったのでしょう。
十字架を死の樹に対応させる限りにおいて、ですね。
死を体験して、人の一生についての一通りの知識をイエスが得られたことの象徴としての、十字架というわけかもしれません。
言い換えれば、知識の樹の象徴としての十字架となるのでしょうね。
そして、知識を生かしていく象徴としてのイエスは、知恵の樹としての生命の樹の象徴となるのでしょう。
十字架を死の樹と言うなら、以前、死の樹を知恵の樹と言ったはずでは。
それに、一般にも死の樹は知恵の樹とされています。
知っています。
混乱を避けるため、死の樹を善悪を知る知恵の樹として扱ってきたし、問題が生じない限りは、今後もそうするでしょう。
いま、あえて死の樹を知識の樹というのは、生命の樹との役割分担で相対的なことです。
入れ子構造。
そういうことです。
生命の樹だけで、死の樹も含めたすべてを表すことがありますからね。
生命の樹の鏡面対象が死の樹だから、生命の樹だけで間に合う。
そういうことでしょうね。
そうであれば、生命の樹が知恵の樹でないといけないでしょ。
死の樹の知恵は、過去のものだから、それは知識に転化する。
料理のレシピは、新しく考案された時は知恵の塊かも知れないけど、教わる人にとっては知識でしょ。
アダムとイブが手に入れたのは、神の知恵についての情報、つまり知識だった。
そういう事でしょうね。
それに対し、今現在を生きている私たちは知識を活用して、あるいは、応用して、知恵として使いこなさないといけません。
分析と総合でいえば、分解に当たる分析が死の樹、組み立てに当たる総合が生命の樹。
分析して知識を得、総合して知恵を得る、
だからあえて、生命の樹を知恵の樹、死の樹を知識の樹として扱い、今回の議論を展開するわけです。
人類の歴史は、知識として授かった神の知恵をいかにして使いこなすか悪戦苦闘してきた歴史でもあるでしょうね。
十字架にイエスが貼り付けになっているシンボルも存在しますね。
貼り付けされているので、これは陰陽の合わせ鏡であり、陰陽の結合も象徴しているのでしょ。
阿吽なども陰陽の合わせ鏡となっているけど、陰陽の結合にはなっていない。
また、ケルト十字も陰即ち死の十字架に対し、○が陽即ち生のイエスに対応し、完全な陰陽の結合となってますね。
四角だけでなく、十字もまた四方を指す意味では地の象徴になりますからね。
丸はもちろん天を表し、地を表す十字と対応して陰陽になりますね。
なお、地を陽、天を陰とするのが一般的ですよ。
もちろん、陰陽合一や、陰極まりて陽と陽極まりて陰から、天を陽、地を陰とおいて考える場合もあります。
上を陽、下を陰とみれば、でも良いのでは。
それでは、地を陽、天を陰と見るのと合わないでしょ。
陰に陽、陽に陰を配し、陰陽合一として太極となすように配してあると言っても良いでしょ。
よく、理解してますね。
カッバーラの鏡像反転とは、属性を逆にすることです。
知恵の樹である死の樹は、鏡像反転すると知識の樹でもある。
だから死の樹の鏡像反転としての生命の樹は、知恵の樹でもある。
知恵と知識は常に照らしあいながら、真理を示します。
鏡面反転は、この照らし合わせの象徴でもあります。
エデンの園の中央には生命の樹と善悪を知る樹と、聖書にありますね。
善悪を知る樹を、善悪を知る知恵の樹と記す場合は、善悪を知るとは知恵のことだろうからと後から付け足した可能性はありますね。
そして、善悪を知る樹の実を食べたアダムとイブは死ぬ運命となるのですね。
つまり善悪を知る樹は死の樹なので、生命の樹と死の樹、知恵の樹と知識の樹、と言う風に対になります。
知識は過去、知恵は未来でもあり、方向性でも鏡面対象と言えるでしょう。
そうですね。
善悪を知る樹の実を食べるとは、神の与えてくれる知識を手に入れたことに相当するでしょう。
知識には、知恵という意味や側面もあると、辞書を引くと出てくるけど。
だが、神の知識を手に入れても、神のごとくに使いこなせないと本当の意味で神の境地には近づけないのではないでしょうか。
だから論語にも、こうあります。
学んで思わざるは即ちくらし思うて学ばざればあやうし
学んでも理解が不十分ならものが正しく見えず、理解が正しくできても知識が不十分なら判断を誤る、という事です。
良く知る者はよく理解するとは限らず、よく理解するものは良く知るとは限りません。
神の知識を得ることは、学びの段階に過ぎない。
十分に理解するためには、正しく解釈できないといけないが、それには十分な思索も必要…。
それも、ちゃんとした指導と援助を受ける方が良いでしょう。
謙虚に祈れば、教えてもらえる。
聖書にはこうあります。
求めよ、さらば与えられん。
尋ねよ、さらば見出さん。
門を叩け、さらば開かれん。
さらに、神は気前の良いお方ともあります。
本気で知りたいと祈れば、気づかせてくださるでしょうね。
生命の樹を上るとは、神から授けられる知識を使いこなせるような知恵を学び取っていくことでもあるのでしょう。
創世記の3章4節から3章6節と3章22節からから3章24節には、こうあります。
へびは女に言った、「あなたがたは決して死ぬことはないでしょう。それを食べると、あなたがたの目が開け、神のように善悪を知る者となることを、神は知っておられるのです」。
女がその木を見ると、それは食べるに良く、目には美しく、賢くなるには好ましいと思われたから、その実を取って食べ、また共にいた夫にも与えたので、彼も食べた。
主なる神は言われた、「見よ、人はわれわれのひとりのようになり、善悪を知るものとなった。彼は手を伸べ、命の樹からも取って食べ、永久に生きるかも知れない」。
そこで主なる神は彼をエデンの園から追い出して、人が造られたその土を耕させられた。
神は人を追い出し、エデンの園の東に、ケルビムと、回る炎のつるぎとを置いて、命の樹の道を守らせられた。
聖書には、彼は手を伸べ、命の樹からも取って食べ、永久に生きるかも知れない、とあります。
そこで、命の樹、つまり生命の樹は永久の命を得られる樹であり、善悪を知る樹は知恵の樹でもあると、見なす人も出てきます。
命の樹、つまり生命の樹は永久の命を得られる樹なのは、確かでしょ。
ええ、その通りです。
また、善悪を知る樹は知恵の樹でもあるのは、ある意味正しいでしょう。
全く理解しないで、覚えることはできないから。
覚えてないことを、知っているとは言えないですね。
だが、知るのであって、知ったことを的確に理解し、判断することは別です。
名前や顔を知っていても、どんな人か、までは分かっていないようなこと…。
科学者は何かを理解しようとするとき、まず、データを集めます。
データとは、物事の推論の基礎となる事実や、参考となる資料・情報のことです。
少量のデータでは見えないことも、膨大な量を集めれば見えてくることがあるのは事実です。
けれど、それはまだ仮説の段階です。
仮説を用いて予測を立て、その予測を実証できる実験やあらたな観測や観察を行います。
それを繰り返して、一歩一歩真理に近づくのです。
仮に神の段階に達しえるだけの、質と量のデータを手に入れたとしても、それが何を意味するか理解し、正しい予測が立てられないなら、知恵が神の領域に達したとはとても言えません。
最上位である熾天使(してんし)であったとされるルシフィルの転落は、神に匹敵する知識を得ながら使いこなす知恵が神の域に達していないのに勘違いしていたことによる。
そうかもしれません。
神の領域に達するに必要な理解力を手に入れるには、生命の樹を、間違えることなく上っていく必要があるのでしょう。
本質や、裏面まで、きちんと理解できるように。
それで神は生命の樹を、容易に近づけないよう守られたのですね。
理解する能力が知恵であり、それで生命の樹は知恵の樹でもあるのです。
もちろん、永久の命を得られる樹でもあるけど。
それであえて、善悪を知る樹=死の樹=知識の樹、永久の命を得る命の樹=生命の樹=知恵の樹と、議論を単純化している。
議論は単純化したほうが、わかりやすいでしょ。
本当はもっと、込み入ってるけどね。
知ったことを整理して知識が得られるが、その知ったことを整理していく能力が知恵なのです。
そのため、知識と知恵は混同されやすいのです。
知識には知る行為と、得られた情報の意味の双方が入っています。
つまり、知識とは研究でいえば情報収集能力に当たると言えます。
それに対し知恵は情報分析能力に相当します。
なお、総合は分析と表裏一体と言えるので、今回は分析にまとめました。
物理でいえば、知識が実験物理、知恵が理論物理というところでしょ。
しかし、知恵は情報の整理や分析の能力だけに限定されません。
知恵のもっとも大きな役割が、情報活用能力です。
まとめると知恵とは、情報の整理・分析・活用の三つの能力の総称と言えるでしょう。
一方の知識は、収集・蓄積・継承となるでしょうね。
そうなると、知識と知恵を纏めると。
収集(知識)・整理(知恵)・蓄積(知識)・分析(知恵)・継承(知識)・活用(知恵)という順でしょうね。
この過程を果てしなく繰り返して、知識も知恵も限りなく神の境地に近づいてゆくことになります。
この循環こそ、無限に続くとされる生命の樹として表されていることかもしれません。
なるほど、知恵の樹である生命の樹と知識の樹である死の樹を、行ったり来たりしてますね。
下降と上昇を繰り返している…。
これが、生命の樹と死の樹の鏡面対象と呼んでいることの理由の、少なくとも一つかも知れないですね。
だから、生命の樹と死の樹を照らし合わせてみろと、言うわけでしょうか。
そうかも。
鏡で反転させることで、何が相対する位置にくるかわかるわけです。
相対する事柄の間に生じる、相生と相克、統一と対立の関係にある事柄もまた知ることができる。
相対する事柄の内容がわかれば、解決すべき点もまた見えてくる。
そして生命の樹を上るとは、知識を深めつつ、情報の整理・分析・活用の三つの能力を神の領域を目指して高めていくことでもあるのでしょうね。
そうなれば、知識の収集・蓄積・継承の三つの能力も神の領域を目指して高めていくことが可能になる。
理解を深めれば深めるほど、知識を高めれば高めるほど、知恵も知識も永久に生きた人と同じ水準に限りなく近づいていく。
そういう事かも知れないですね。
カッバーラは象徴体系であって、知恵や知識その物自体は、形がないですからね。
わかりやすさのために、樹の実として表現している。
そういう事でしょうね。
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コメント
Glad I've finally found smoehtnig I agree with!
投稿: Missy | 2011年12月 7日 (水) 04時06分
Are you so happy.
投稿: cova | 2011年12月 8日 (木) 16時15分