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2011年12月

中国史も、書き換えられるか。

Record Chinaで、この記事がありました。

4000年前の新石器時代に文字を使用、広西の古駱越人=文字史書き換える発見―中国
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20111226-00000005-rcdc-cn

配信日時:2011年12月26日(月)10時1分
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24日、新華ネットの報道によると、中国の駱越人は4000年前に文字を持っていて、チワン族の祖先である古駱越人は文字を持っていなかったという学説が誤りだったことがわかった。

2011年12月24日、新華ネットの報道によると、中国の駱越人は4000年前に文字を持っていて、チワン族の祖先である古駱越人は文字を持っていなかったという学説が誤りだったことがわかった。

駱越文字の発見は中国の文字史を書き換えるもので、駱越文化が中華文明の重要な源の一つだったことが証明された。

広西駱越文化研究会が先ごろ明らかにした。

中国史学界はこれまで、チワン族の祖先は文字を持っていかなったという学説で一致していた。

広西駱越文化研究会の謝寿球(シエ・ショウチウ)会長は次のように述べた。

研究会の専門家は大量の証拠を集めて、古駱越人が4000年前に表意文字を作り出していたことを立証した。

この駱越文字は新石器時代早期に使われ始め、大石サン(金+産)文化(4000~6000年前)には盛んに使われるようになり、中原の甲骨文字と水族の水書の起源の一つになった。

広西駱越文化研究会の専門家は今年10月、広西チワン族自治区百色市平果県馬頭鎮の感桑大石サン祭祀遺跡で古代文字が記された数十点の石板と大石サン(スコップのような形をした石)の破片を発見した。

12月19日、専門家は再び現場での調査を行った。

その結果、文字が記された最大の石は長さ103センチ、幅55センチで、表面に数百個の文字や符号が記され、多くが占いと祭祀の文章だった。

大まかな統計によると、石に記された文字は1000個あまりに達している。

文字が記された石片のそばに大石サンが置かれていたことから、これらの石片文字は大石サン時代のものと考えられている。

そのため、感桑大石サン祭祀遺跡の古駱越文字は中国で見つかった最も古い文字の一つといえる。

研究会の専門家は昨年11月、大明山で大型の古駱越祭祀基壇を発見し、基壇上に図案や符号が記されていたのを発見した。

広西博物館の元館長で、広西文物鑑定委員会主任の蒋廷瑜(ジアン・ティンユー)氏によると、これらの図案や符号は、新石器時代の古駱越人が祭祀の際に用いた符号だったという。

その後、研究会の専門家は南寧市の武鳴県、隆安県、百色市の田東県などの駱越祭祀遺跡で石器、玉器、骨片に描かれた古代の文字や符号を大量に発見した。

これらの符号は、単独で用いられるだけでなく、複数の組み合わせでも用いられており、専門家によって古代の文字であることが確認された。

中国に関しては、類似した記事は以前にもありました。

中国最古の文字か?4000年前に刻まれた謎の記号―河南省
配信日時:2008年12月10日 23時25分

http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=26578

5日、宋豫秦教授率いる調査隊は河南省具茨山に刻まれた謎の記号に関する調査を終了、その年代が4000年前であることを突き止めたという。

一部では伝説の帝王・禹が残したものとの見方もでている。

写真は岩に刻まれた謎の記号。

2008年12月5日、北京大学環境科学・エンジニアリング学院の宋豫秦(ソン・ユーチン)教授率いる調査隊は河南省具茨山に刻まれた謎の記号に関する調査を終了、その年代が4000年前であることを突き止めたという。

一部では伝説の帝王・禹が残したものとの見方も出ている。9日、大河網が伝えた。

具茨山の岩壁に刻まれた謎の文字は1988年に発見された。

発見したのは当時18歳の少年、劉俊傑(リウ・ジュンジエ)。

これまでに5つの峡谷から3000以上の記号を発見、撮影してきたという。

発見から20年、これまで岩壁に刻まれた記号はその意味、成立年代のすべてが謎のままだった。

今回の調査では地層から判断して4000年前のものと推定され、一つの謎が解けたこととなった。

円や四角を組み合わして作った記号は中国の他地域では見られないもので、明らかに文化的背景を有したものと推定される。

ある研究者はこの記号は夏王朝の創始者、伝説の帝王・禹が残した黄河治水の図であり、中国最古の文字の可能性もあると指摘した。(翻訳・編集/KT)

石や岩に描かれた文字については、ギリシア語で石を意味するペトロと彫刻を意味するグリフから、ペトログリフと呼ばれます。

ペトログリフとは、意匠、文字が、象徴となる岩石や洞窟内部の壁面に刻まれ彫刻のことなのです。

中国の文字の歴史が書き換えられた発見だけに、今後の研究に注目したいです。

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やはり、日本人は西方から来た?

没後百五十年記念歌川国芳展、見てきました。

大阪を皮切りに、静岡、東京と三つの会場で行われました。

今見ても、十分新しいのには、改めて驚きました。

年代を隠して、国芳を知らない人に見せたら、まず十中八九、現代作家と思うでしょうね。

構図といい表現といい、まったく古さを感じないのです。

 今でも、エンターテインメントとして通用する。

この面白さは、時代も国境も、超えています。

美人画から、風俗画、役者絵、武者絵、子ども絵、戯画など、実に多彩です。

 でも、あなたのことだから、美術評論ではないですよね。

人物、特に、動きの少ない女性を描いた作品に注目しました。

岩佐又兵衛の作品に出てくる人物は、豊かな頬と長い顎を持ち豊頬長顎(ほうぎょうちょうい)と形容されます。

なお、豊頬長顎は、豊頬長頤と書かれることもあります。

豊頬長顎は、中世の大和絵で高貴な身分の人物を表す表現です。

岩佐又兵衛はこれを誇張し、自分独自のスタイルとしていると評されます。

だが、歌川国芳の描く人物を見ると豊頬長顎としか言いようのない顔が多いのです。

さらに、しっかりとした体つきの男性像が多いです。

しっかりとした体つきは、武者に限らず、男性全般、さらに女性にもみられます。

女性たちはたいてい、斜めに構えしなやかさを強調する仕草で描かれています。

それは、真正面の立ち姿ではしっかりとした体つきに描かれてしまい、見るものや描かれる女性が求めるほっそりとしたたおやかさが表しにくいということです。

 つまり、豊頬長顎としっかりした体つきは、性別を問わない特徴という事。

それだけでは、ないです。

目鼻立ちにも、注目してみたです。

鼻筋の通り具合と、目の位置関係です。

すると、美人画や、武者絵や役者絵の多くに、鼻筋の通った比較的掘りの深い顔が見えるようです。

 つまり、どちらかといえば西方の顔ってことですね。

 足の話題は、今回は触れないのですか。

最近の研究では、外反母趾になりやすい足の傾向は、エジプトタイプだとされるようになってきました。

足指は、三つのタイプに分類されるといいます。

エジプト型と、ギリシャタイプと、スクエアタイプの三つです。

エジプト型は、親指が一番長く、小指にむけて短くなる形です。

日本人の6割から7割が、このエジプト型タイプと言われています。

親指が長い他に、足幅が広めな形です。

親指が側面から圧迫されやすいため、外反母趾になりやすいタイプの足の形です。

ギリシャ型は、親指より第2指が長い足の形です。

日本では、エジプト型に次いで多いです。

足先の細い靴を履いても、爪先に負担をかけることが少なく、外反母趾になりにくいタイプの足の形です。

ただし、指が曲がりやすく、ハンマートゥになりやすい足でもあります。

ハンマートゥとは足の指が曲がったまま、戻らなくなっている状態です。

スクエア型は、5本の指の長さに差がない足の形です。

日本人では珍しい足です。

幅の狭い靴を履くことで、指にタコやウオノメができやすいタイプの足の形です。

 でも、秋田美人の典型はミロのビーナス、神話もギリシャに似ている、和裁の鋏もギリシャタイプ。

 それで、足はエジプトですか。

宗教の構造は、日本も古代エジプトも太陽神を中心とする三神構造で動物神を含む八百万の神という共通点があります。

日本の鳥居は元は二本の柱だったから、拝殿と本殿を分けて入り口に二本の柱を立てた古代のエジプトやイスラエルの神殿と似た構造になります。

しかも、味の好みもエジプトと日本は似ています。

日本とエジプトの接点は、また一つ増えたわけです。

 じゃあ、日本人の顔はギリシャ風ではあるが、まるっきりギリシャ的ではない背景には古代エジプトの血が入っているからってこと。

 そういえば、古代中東の遺伝子は中東を除けばチベットと日本にしか残っていない。

 日本人のベースは、古代エジプト人ということ。

一口に古代エジプトと言っても、王朝の担い手は必ずしも生粋のエジプト人ではなかったことがわかっています。

 つまり、古代エジプトにいた経験のある民族が日本人のベースであり、古代イスラエル人である可能性は排除できない。

古代エジプトにおけるイスラエル人は、実際はどういう位置にいたか、現地の資料ではまだはっきりできていないそうです。

 謎多い民族であるヒッタイトとの関連を疑う人も、居るようですけど。

状況証拠から可能性があると言えるだけで、言い切る決めては今の時点ではないようです。

 古代エジプトにいて、その後行方不明になった十支族やエルサレム教団は、古代イスラエル人でありユダヤ人でしょ。

 王朝との関係に拘らなければ、可能性は出てきます。

 日本には、聖書、特にキリスト教を連想できることは多いわけだし。

やはり、日本人を考えるうえで西方、ことに中東界隈は避けて通れないようですね。

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稲荷とキリスト?その1

稲荷神は、稲荷大神、稲荷大明神とも呼ばれる日本における神の1つです。

神仏習合思想においては仏教における荼枳尼天が本地仏とみなされ、豊川稲荷を代表とする仏教寺院でも祀られています。

神仏分離されたからと思えるが、神道の稲荷神社では『古事記』、『日本書紀』などの日本神話に記載される穀物・食物の神を主祭神としています。

宇迦之御魂神あるいは倉稲魂命と書くが読みはどちらも「うかのみたま」が祀られるほか、豊宇気毘売命(とようけびめ)、保食神(うけもち)、大宣都比売神(おおげつひめ)、若宇迦売神(わかうかめ)、御饌津神(みけつ)などです。

総本宮である伏見稲荷大社では宇迦之御魂大神を主祭神として、佐田彦大神、大宮能売大神、田中大神、四大神とともに五柱の神として祀ります。

伏見稲荷大社では、宇迦之御魂大神、佐田彦大神、大宮能売大神、田中大神の五柱の祭神は稲荷大神の広大な神徳の神名化としています。

山城国稲荷山(伊奈利山)の西麓、すなわち現在の京都市伏見区にある伏見稲荷大社に鎮座する神です。

全国の稲荷神社は、食物神・農業神・殖産興業神・商業神・屋敷神として伏見稲荷大社から勧請されて祀られています。

本来は穀物・農業の神だが、現在は産業全般の神として信仰されてるのです。

 お稲荷様やお稲荷さんの名で親しまれていますね。

稲荷神を祀る神社を、稲荷神社と呼びます。

稲荷神を祀る、稲荷神社のシンボルは赤い鳥居と白い狐というのが一般的だが、他の神との合祀によって鳥居が赤くない場合もあります。

稲荷神社の狐には、狛犬のように宝玉をくわえた像が置かれる例が多いです。

また、阿吽を表すかのように、左右で口の開き方を変える場合もあるようです。

他の祭神とは違い稲荷神には神酒・赤飯の他に狐の好物といわれる油揚げが供えられ、ここから油揚げを使った料理を稲荷と称するようになりました。

 稲荷は、稲生や稲成と書く神社もありますね。

伏見稲荷大社は、各地にある、神道上の稲荷神社の総本社となっています。

日本にある稲荷神社は、6万社を超えるとも言われています。

伏見稲荷大社が総本社となっているが、宮城県、栃木県、愛知県など全国に広がっており、東日本のほうが多く信仰されています。

 そういえば、関西と言えばえびす様かも。

西宮えびす神社は、全国3500あるえびす神社の総社だそうですね。

えびす神社の十日戎(えびす)は、関西が中心で関東にはないですよ。

1月10日の十日戎はなぜか関西が中心で、西日本の方にもあるらしいが関東にはないですね。

 そういえば、「商売繁昌で笹持って来い!」は東日本ではほとんど聞きませんね。

今回は稲荷を考えたいので、話し戻しますね。

稲荷神社は、たとえば武蔵国国府所在地においては、明治初期に市内に6ヶ所で祀られており、市内の家々の屋敷神は566件にも上るなど、多摩地域においては顕著です。

屋敷神として企業のビルの屋上や工場の敷地内などに祀られているものまで入れると、稲荷神を祀る社は数えきれないほどの数になります。

江戸時代になると、江戸に多い物は火事と喧嘩に加えて「伊勢屋、稲荷に、犬のくそ」とまで言わるようになったくらいだから、数えきれないのも、納得ですね。

 多摩地域も、養蚕が盛んだったし、関東一帯は秦氏の一大勢力があったでしょ。

稲荷神は、元々は京都一帯の豪族・秦氏の氏神で、現存する旧社家は大西家です。

また江戸後期の国学の祖、荷田春満を出した荷田家も社家です。

 秦氏は、養蚕に始まり、様々な産業にかかわっていますね。

 だから、稲荷も産業全般の神となっていったのかしら。

おそらく、そうでしょう。

『日本書紀』では、伏見稲荷大社についてこう語ります。

稲荷大神は欽明天皇が即位(539年または531年)する前のまだ幼少のある日「秦(はた)の大津父(おおつち)という者を登用すれば、大人になった時にかならずや、天下をうまく治めることができる」と言う夢を見て、早速方々へ使者を遣わして探し求めたことにより、和銅4年(711年)二月初午の日に秦(はたの)伊呂巨(具)(いろこ(ぐ))が鎮座した。

秦氏は、諸蕃、つまり渡来および帰化系氏族のうち約3分の1の多数を占めます。

秦氏については、中国・秦の始皇帝13世孫、孝武王の子孫にあたる功徳王が仲哀天皇の御代に、また融通王が応神天皇の御代に、127県の秦氏を引率して朝鮮半島の百済から帰化したという記録があるといいます。

その一方で、秦氏は新羅は古く辰韓=秦韓と呼ばれ秦の遺民が住み着いたとの伝承があることから、加羅(伽耶)または新羅から来たのではないかとも考えられているようです。

また一説には五胡十六国時代に前秦の王族ないし貴族が戦乱の中、朝鮮半島経由で日本にたどり着いたと言う説もあり、まだまだ謎が多いです。

雄略天皇の頃には、当時の国の内外の事情から、多数の渡来人があったことは事実です。

とりわけ秦氏族は、良く知られているように絹織物の技に秀でており、後の律令国家建設のために大いに役立ったと思われます。

秦氏は、朝廷によって厚遇され畿内の豪族として専門職の地位を与えられていました。

こうして深草の秦氏族は、和銅4年(711年)稲荷山三ケ峰の平らな処に稲荷神を奉鎮し、山城盆地を中心にして神威赫々たる大神社を建てたといいます。

都が平安京に遷されると、元々この地を基盤としていた秦氏が政治的な力を持ち、それにより稲荷神が広く信仰されるようになりました。

さらに、東寺建造の際に秦氏が稲荷山から木材を提供したことで、稲荷神は東寺の守護神とみなされるようになります。

『二十二社本縁』では、空海が稲荷神と直接交渉して守護神になってもらったと書かれているそうですよ。

東寺では、真言密教における荼枳尼天(だきにてん)に稲荷神を習合させました。

荼枳尼天は、もとはインドの女神ダーキニーでした。

荼枳尼天は人を食らう夜叉、または、羅刹の一種で、中世には霊孤と同一の存在とみなされた存在です。

このことに、より祟り神としての側面も強くなったといわれます。

真言宗が全国に布教されるとともに、荼枳尼天の概念も含んだ状態の稲荷信仰が全国に広まることとなりました。

 じゃあ、稲荷の狐は荼枳尼天信仰から来たのかしら。

そうかも知れないですね。

ただし、仏教系の神である荼枳尼天の眷属は、金狐・銀狐(きんこ・ぎんこ)であって色が違います。

同じ狐でしかも稲荷神が荼枳尼天と習合されたために同一視される原因となったが、正確には稲荷神社に祀られている狐の多くは白狐(びゃっこ)です。

狐は古来より日本人にとって神聖視されてきた動物でもあります。

 農業の害をする生き物を、とってくれるからでしょうか。

大いに助かりますからね。

720年には『日本書紀』に日本武尊を助ける白狐が登場しています。

伏見稲荷の狐といえば、こんな議論もありますよ。

711年に、最初の稲荷神が登場するといいます。

宇迦之御魂神は、別名「御饌津神」(みけつのかみ)と言います。

一方で、狐の古名を「けつ」と言うので、御饌津神を「三狐神」と解して、狐は稲荷神の使い、あるいは眷属に収まったと伝えられるそうです。

時代が下ると、稲荷狐は朝廷の屋敷の出入りが可能となる格であるい命婦の格を受け、命婦神あるいは白狐神として上下社に祀られるようになっていきます。 

江戸時代に入り、稲荷が商売の神と公認されます。

大衆の人気を集めると共に、稲荷狐と稲荷神とは混同されていきます。 

 さらに、荼枳尼天の眷属の狐まで、混同される。

 これじゃあ、ややこしいわ。

またこの頃から稲荷神社の数が急激に増え、流行神(はやりがみ)と呼ばれる時もありました。

稲の神であることから食物神の宇迦之御魂神と同一視され、後に他の食物神も習合しました。

中世以降、工業・商業が盛んになってくると、稲荷神は農業神から工業神・商業神・屋敷神など福徳開運の万能の神とみなされるようになります。

 産業と言えば、秦氏は一大勢力でしょ。

 その秦氏の氏神であれば、当然の展開でしょ。

勧請の方法が容易な申請方式となったため、農村だけでなく町家や武家にも盛んに勧請されるようになりました。

 武家も、元を辿ると神職の一族がかなりいるのでしょ。

詳しく調べる必要はあるけど、可能性は高そうですね。

 そして、神職と言えば、秦氏の流れを組む賀茂氏。

江戸時代には芝居の神としても敬われるようになり、芝居小屋の楽屋裏には必ず稲荷明神の祭壇が設けられるようになっていきます。

 芸能の分野でも、秦氏は一大勢力でしょ。

関連がありそうですね。

明治の神仏分離の際、多くの稲荷社は宇迦之御魂神などの神話に登場する神を祀る神社になったが、一部は荼枳尼天を本尊とする寺になりました。

 昔からの稲荷神社の分布と秦氏の勢力下にあった地域を重ねると、面白いことがわかりそうですね。

気になりますね。

比較的新しく勧請された稲荷は、大抵どこかの敷地内にあるから、見当が付く場合が多いですよ。

それに対して、昔からの稲荷は、たいてい誰でも何時でも祈れるように、祀ってあります。

気になると言えば、『山城国風土記』逸文には、伊奈利社(稲荷社)の縁起としてこういう話があるというのです。

秦氏の祖先である伊呂具秦公(いろぐの はたの きみ)は、富裕に驕って餅を的にした。
するとその餅が白い鳥に化して山頂へ飛び去った。
そこに稲が生ったので(伊弥奈利生ひき)、それが神名となった。
伊呂具はその稲の元へ行き、過去の過ちを悔いて、そこの木を根ごと抜いて屋敷に植え、それを祀ったという。
また、稲生り(いねなり)が転じて「イナリ」となり「稲荷」の字が宛てられた。

過去の過ちを悔いて、と聴いて何か連想しませんか。

 キリスト教の懺悔、ですか。

 そういえば、稲荷のほか、稲生や稲成とも記しますね。

稲荷をINARIと書くと、Aを抜くとINRIでしょ。

そこで、稲荷はINRIの当て字であるという説を唱える人もいますよ。

INRIとは、“IESVS NAZARENVS REX IVDÆORVM”の略です。

もちろんINRIとは、古典ラテン語で、“イエス ナザレの人 ユダヤの王”という意味です。

 秦氏には、ユダヤ人キリスト教徒説もでているけど、こんなことも根拠の一つなのでしょうか。

おそらく、そうでしょう。

それに、稲荷としてまつられる宇迦之御魂大神には蛇神説もあるが、イエスも人々を癒した青銅の蛇を象徴の一つに数える説があります。

 そこでも、稲荷とイエスは繋がりますか。

神社とキリスト教、なにかがあるようですね。

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どんどん新発見がある今、先入観は持たない方が良いかも。

NHKは、2011年12月21日次のように報じました。

地球と同じ大きさの惑星発見
http://www3.nhk.or.jp/news/html/20111221/t10014797461000.html

NASA=アメリカ航空宇宙局は、20日、太陽系以外の宇宙に地球とほぼ同じ大きさを持つ惑星が少なくとも2つ存在することを初めて突き止めたと発表しました。

これはNASAの「ケプラー宇宙望遠鏡」が捉えたもので、イギリスの科学雑誌「ネイチャー」に20日、掲載されました。

それによりますと、地球からおよそ1000光年、光の速さでおよそ1000年離れた宇宙に地球とほぼ同じ大きさを持つ惑星が2つあることが分かりました。

2つの惑星は「ケプラー20」と呼ばれる太陽と同じような「恒星」の回りを公転しており、一つは半径が地球の0.87倍で金星とほぼ同じ大きさで、もう一つは地球の半径の1.03倍だということです。

NASAはいずれの惑星も表面の温度が400度を超えるため、地球のような生命が存在する可能性は低いとしています。

ケプラー宇宙望遠鏡は、これまで液体の水がある可能性を持つ惑星の存在も突き止めていますが、地球とほぼ同じ大きさの惑星の存在を突き止めたのは初めてだということです。

NASAは、ケプラー宇宙望遠鏡を使って、生命が存在する可能性がある地球のような大きさの惑星を見つけ出そうとしており、「地球外生命体が存在するのかどうかを突き止めるためにも可能性がある惑星を少しでも多く探し出したい」としています。

そのもとになった、NASAの報告がこれです。

NASA Discovers First Earth-Size Planets Beyond Our Solar System
http://www.nasa.gov/home/hqnews/2011/dec/HQ_11-421_Kepler_Earth-Size_Planets.html

MOFFET FIELD, Calif. -- NASA's Kepler mission has discovered the first Earth-size planets orbiting a sun-like star outside our solar system.
The planets, called Kepler-20e and Kepler-20f, are too close to their star to be in the so-called habitable zone where liquid water could exist on a planet's surface, but they are the smallest exoplanets ever confirmed around a star like our sun.

The discovery marks the next important milestone in the ultimate search for planets like Earth.
The new planets are thought to be rocky. Kepler-20e is slightly smaller than Venus, measuring 0.87 times the radius of Earth.
Kepler-20f is slightly larger than Earth, measuring 1.03 times its radius.
Both planets reside in a five-planet system called Kepler-20, approximately 1,000 light-years away in the constellation Lyra.

Kepler-20e orbits its parent star every 6.1 days and Kepler-20f every 19.6 days.
These short orbital periods mean very hot, inhospitable worlds. Kepler-20f, at 800 degrees Fahrenheit, is similar to an average day on the planet Mercury.
The surface temperature of Kepler-20e, at more than 1,400 degrees Fahrenheit, would melt glass.

“The primary goal of the Kepler mission is to find Earth-sized planets in the habitable zone," said Francois Fressin of the Harvard-Smithsonian Center for Astrophysics in Cambridge, Mass., lead author of a new study published in the journal Nature.
"This discovery demonstrates for the first time that Earth-size planets exist around other stars, and that we are able to detect them.”

The Kepler-20 system includes three other planets that are larger than Earth but smaller than Neptune. Kepler-20b, the closest planet, Kepler-20c, the third planet, and Kepler-20d, the fifth planet, orbit their star every 3.7, 10.9 and 77.6 days. All five planets have orbits lying roughly within Mercury's orbit in our solar system.
The host star belongs to the same G-type class as our sun, although it is slightly smaller and cooler.

The system has an unexpected arrangement. In our solar system, small, rocky worlds orbit close to the sun and large, gaseous worlds orbit farther out. In comparison, the planets of Kepler-20 are organized in alternating size: large, small, large, small and large.

"The Kepler data are showing us some planetary systems have arrangements of planets very different from that seen in our solar system," said Jack Lissauer, planetary scientist and Kepler science team member at NASA's Ames Research Center in Moffett Field, Calif.
"The analysis of Kepler data continue to reveal new insights about the diversity of planets and planetary systems within our galaxy."

Scientists are not certain how the system evolved but they do not think the planets formed in their existing locations.
They theorize the planets formed farther from their star and then migrated inward, likely through interactions with the disk of material from which they originated.
This allowed the worlds to maintain their regular spacing despite alternating sizes.

The Kepler space telescope detects planets and planet candidates by measuring dips in the brightness of more than 150,000 stars to search for planets crossing in front, or transiting, their stars.
The Kepler science team requires at least three transits to verify a signal as a planet.

The Kepler science team uses ground-based telescopes and the Spitzer Space Telescope to review observations on planet candidates the spacecraft finds.
The star field Kepler observes in the constellations Cygnus and Lyra can be seen only from ground-based observatories in spring through early fall.
The data from these other observations help determine which candidates can be validated as planets.

To validate Kepler-20e and Kepler-20f, astronomers used a computer program called Blender, which runs simulations to help rule out other astrophysical phenomena masquerading as a planet.

On Dec. 5 the team announced the discovery of Kepler-22b in the habitable zone of its parent star.
It is likely to be too large to have a rocky surface. While Kepler-20e and Kepler-20f are Earth-size, they are too close to their parent star to have liquid water on the surface.

"In the cosmic game of hide and seek, finding planets with just the right size and just the right temperature seems only a matter of time," said Natalie Batalha, Kepler deputy science team lead and professor of astronomy and physics at San Jose State University.
"We are on the edge of our seats knowing that Kepler's most anticipated discoveries are still to come."

先日「水があるかも」と話題になった惑星ケプラー22bと違い、今回のは太陽系でいえば水星軌道の内側を回っているので、暑すぎて水はないかもという声も出ています。

だが、比較に挙げられている水星に氷の存在が確認されています。

また、太陽に水分子の存在が指摘されています。

今度の天体に、水があるかも知れない可能性は排除しない方が良いでしょう。

 先入観で発言して、恥かいても知らないってことですか。

 あなたの言い分だって、先入観では。

どんどん、新たな発見がある時代には、恥をかくことを恐れたら何も言えないですよ。

 それは、そうだけど…。

でしょ。

追記

太陽系外に地球サイズ惑星、二つ発見 大気がある可能性
http://www.asahi.com/science/update/1221/TKY201112210538.html

左から順にケプラー20e、金星、地球、ケプラー20f=イメージ画、Tim Pyle提供  太陽系外で地球に似た大きさの惑星が二つ見つかり、うち一つには水蒸気を含む大気がある可能性があることが、米航空宇宙局(NASA)の宇宙望遠鏡「ケプラー」の観測データを解析してわかった。

米ハーバード・スミソニアン天体物理学センターなどの国際研究チームが20日付で英科学誌ネイチャー電子版に発表した。

 見つかったのは、地球から945光年離れた恒星「ケプラー20」の周りを回る惑星「ケプラー20e」と「ケプラー20f」で、これまでに見つかっている太陽系外の惑星としては最も小さく、「f」の半径は地球の1.03倍、「e」は0.87倍。ケプラー20の周りには三つの惑星が見つかっていたが、大きさはそれぞれ1.9倍から3倍あった。

 鉄のコアをケイ酸塩のマントルが覆う地球と似た構造をしている可能性があるほか、「f」は水蒸気の大気があるかもしれないという。

ただ、恒星に近い公転軌道を回るため、表面の温度は「e」が700度台、「f」が400度台と高い。(松尾一郎)

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古代エジプト先王朝期のブラックトップと陰陽?

渋谷にある古代エジプト美術館の企画展、”土器大集合!!エジプト展~ピラミッド以前の文明とは~ ”を見ました。

古代エジプト美術館のHPhttp://www.egyptian.jp/top.htmlには、こうあります。

古代エジプト美術館は古代エジプト専門の美術館で渋谷にあります。
テーマパークの様に神殿、墓や発掘小屋を模したギャラリーの中に本物の古代エジプト遺物が展示してあります。
世界遺産である古代エジプトをお楽しみください。

小さいけれど、来館者全員にエジプト学を学んだスタッフがギャラリートークをするという世界初のサービスが売り物の、面白いところです。

今回の展示では入っていきなり、古代イスラエルの大きな壺が展示されていました。

 今回の、それじゃあ、毎回展示が違う。

ほとんどの展示は入れ替わりますね。

古代イスラエルの大きな壺の用途と形は、古代日本で使われていたものと、あまりにそっくりです。

巨大な大根のような形のその壺は、大半を土中に埋めて使います。

 それじゃあ、上に葉があったらまるで大根。

 漬物でもしてたとか。

食糧などの保管用の壺ですよ。

土中の温度が一定なことを利用した、極めて省エネルギーで合理的な保管法です。

 古代イスラエルの生活文物と言えば、アイヌのものと似ているという指摘もありますよね。

アイヌの人々は、琉球の人々が良く似ているので、親近感を覚えるようですね。

ただ、琉球は中国などとの行き来が多かったので、古代琉球の生活文物がどこまで古代イスラエルに近いか判断は難しいようです。

 日本とチベットくらいしか、古代中東の遺伝子は残っていないことと重ね合わせれば、用途と形がそっくりな壺がイスラエルと日本の古代にあるのは面白いですね。

 でも、エジプトの展示でしょ。

ええ、今回は先王朝時代の権力者の墓から出てきた土器などが、中心でした。

その中に、ブラックトップと呼ばれる赤い土で焼かれた土器がありました。

赤色の胴部を磨研し、内部と口縁部のみを黒く焼くので黒頂土器(ブラックトップ)と呼ばれているのです。

この黒の正体は、焼くときに内部に詰められる藁などから出る炭です。

伏せて焼くために、内部に詰められた藁は燃え上がることなく炭化するのです。

見事に丸く、そして滑らかに表面が均されているそれらの土器は、長く伸ばした粘土を巻き上げながら成形されたものです。

余りにきれいに丸くなっているので、言われなければロクロを使ったと思うほどです。

このブラックトップと呼ばれる壺は、墓の副葬品です。

中に穀物が見つかる場合もあり、主に食べ物を入れていたことが窺えます。

墓の主は、手足を曲げた、屈葬(くっそう)という方法で葬られています。

蹲る形なので蹲葬(そんそう)という人もいる屈葬とは、文化人類学や考古学で、埋葬の際、死者に手足を折り曲げた姿勢をとらせた方法、または、そのような埋葬の状態をいいます。

屈葬には、さまざまなやり方があります。

上体が寝ていて背を下にした、つまりあおむけに屈葬する仰臥屈葬。

横腹を下にした形の横臥屈葬。

腹を下にした形の俯臥屈葬。

上体を立てた形の座位屈葬。

屈葬の程度にも膝頭が胸に密着する姿勢もあれば、伸展葬というには、膝が曲がっていて、伸展葬を意識した埋葬の方法をとっていないものまで、埋葬の姿勢のみでは定義しきれない部分もあるといいます。

屈葬を行った理由としては、墓坑を掘る労力の節約、休息の姿勢、胎児の姿を真似ることによる再生を祈る、死者の霊が生者へ災いを及ぼすのを防ぐため、など様々な説があります。

近年まで日本で行われていた座棺による土葬も、屈葬の一種です。

わたしは、胎児の姿を真似ることによる再生を祈ることが、屈葬の理由としてもっとも有り得たのではないかと見ます。

古代エジプトの死生観では、死者の魂は神々の世界で復活するとされています。

副葬品の壺に食糧があるというのは、死後の世界で生前と同じものを食べたいであろうという、死者への心使いによるものです。

 問題は、なぜわざわざ、内部と口縁部を黒くしたかですね。

それと、赤い土にどうしてこだわったかですよ。

古代エジプトでは、西を死者、東を生者、と住み分けをしました。

この世界観は、陰陽に似ています。

 陰陽というのは、古代中国の思想でしょ。

ところが、インドヨーロッパ語族に属するインドのタントラにも、陰陽と似た論理構造が見られます。

現在のインド人は、ペルシャと共通の先祖とされています。

さらに、聖書については易経研究者の中には易経の焼き直しだと指摘する人もいます。

その人は、古事記にも易経で解釈できる部分が多いと言います。

飛鳥昭雄や三神たけるも、聖書はカッバーラで書かれているが、カッバーラとは陰陽のことだと主張します。

この二人も、古事記の冒頭の神々の世界は創世記の七日間の焼き直しであると言っています。

イギリスなどの先住民であるケルトにも、陰陽に似た世界観があります。

 イギリスと日本には、古代イスラエル人の渡来説、騎士道と武士道、菓子を伴う紅茶と緑茶の文化、妖精と妖怪、など類似点が多いですね。

ケルト以前の、謎が多い先住民であるダーナ神族にも、陰陽が連想できる遺跡があります。

ついでにいえば、欧米人は幕末の日本に来てブリテイッシュ的な顔の人々がいると感想を述べています。

アメリカからは、イギリスとアイヌに二股かけた、フランスとスペインの様式の鏃を伴った古代人骨が見つかっています。

アメリカといえば、先住民と日本人に遺伝子的繋がりや、縄文土器そっくりな土器、さらには日本と共通の寄生虫まで見つかっています。

しかもその寄生虫は寒さに弱いので、赤道に近いルートでないと太平洋を生きて渡れないそうです。

 古代エジプトと日本には、宗教と味の好みに類似がありますよね。

太陽神を中心とした三神構造で動物神を含む八百万の神、しかも、日本の太陽神も本来は男神の天照国照彦なので、さらに印象が重なります。

イタリアには日本人と似た顔の人がいて、エジプトにも傾向の似た顔の人たちがいます。

 イタリアも米と温泉の好きな人々の住む海に囲まれた火山の国という点で、日本と似てますね。

 味の好みも、似ている。

状況証拠だけかも知れないけれど、古代エジプトに陰陽と似た発想があったと見るのは自然な流れです。

陰陽では、黒に天と水と北と陰、赤に地と火と南と陽を配します。

 そして、白に金と西と陰、青に木と東と陽、中心に黄と土と人を、配するのでしたね。

陽が生者の世界なのに対し、陰は死者の世界であり神を含む魂の世界とされます。

 陰陽でブラックトップと呼ばれる副葬品を見れば、解釈が可能という事ですね。

内部と口縁部が黒なのは、神を含む魂の世界を表したいのでしょう。

 容器に入れられた穀物が、神々の世界に受け入れて貰えるように、魂の世界の色を付けた。

そして、魂の世界で再び生まれるために、体内に擬せられた墓に胎児の姿である屈葬で葬られたのでしょう。

 日本にも、ブラックトップ見当たらないとはいえ、屈葬があった。

 日本古代の甕棺も、屈葬の一種と言えますよね。

日本にも死後の世界での復活思想があったから、仏教の来世思想をすんなり受け入れたのかも知れないですね。

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E=mc²は何を意味するか?

量子は、古典力学では考えられなかった不連続な量です。

物理量は、この量子という最小単位の整数倍をとることになります。

量子を扱う自然科学の理論を、量子論と総称します。

量子は、粒子と波動の二つの側面を持つと今では見られています。

ところが、最初は波動の持つ粒子性として発見された存在でした。

量子(quantum)は、1900年にマックス・プランクが発見・提唱した物理量の最小単位です。

量子の概念は、アルベルト・アインシュタインやニールス・ボーアらによって発展を続け、量子力学の建設へとつながりました。

量子の発見は、20世紀の物理学・諸科学に革命を起こしました。

アインシュタインが提唱した光量子は、次の式で表されます。

E = hν

ここで、Eはエネルギー、hはプランク定数、νは振動数です。

量子力学は、プランクがプランク定数を提唱したことから生まれることになった学問の一分野です。

プランクは、黒体輻射という問題に取り組んでいました。

炉の中の温度は、光の色で見分けられます。

今でも瞬時の判断で温度管理をする必要のある職人たちの世界では、光で温度を判断する能力を磨くことは大事なことの一つになっているようです。

プランクもまた、工業の現場から提示された光の色による温度管理の課題に向き合っていた科学者の1人だったのでしょう。

プランクの提出した式はプランクの公式と呼ばれるようになるが、黒体輻射の分布式としては、レイリー・ジーンズの公式とヴィーンの公式が考案されていました。

ヴィーンの公式はヴィルヘルム・ヴィーンが1896年に発表した公式であり、短波長(高周波数)領域においては実験データと一致するものの、長波長(低周波数)では一致しませんでした。

一方、1900年に不完全な形でレイリーが発表しジーンズが手直したレイリー・ジーンズの公式は、反対に長波長(低周波数)領域で実験結果とよい一致を示すものの、短波長(高周波数)領域では合わなかったのです。

マックス・プランクは1900年10月に、短波長(高周波数)領域においては実験データと一致するヴィーンの公式より良い公式を得ようとする過程でプランクの公式を考案しました。

なお、論文発行は翌年の1901年でした。

プランクは自らの見つけた定数を便宜的なものと見なしたが、アルベルト・アインシュタインは実在と見て議論を展開することになります。

1905年、光電効果はアインシュタインが導入した光量子仮説によって、説明付けられました。

アインシュタインは、光電効果を説明した業績によって、1921年にノーベル物理学賞を受賞しています。

 量子の波動性は、数式上とか確率論的の存在ではないわけですね。

量子の考え方は、もともと光に関する問題を解決する中で生まれてきましたからね。

光の粒子性と波動性の問題は、長年にわたって科学者を悩ませてきた問題なのです。

波動としての光を光波と呼び、反射・屈折・回折などの現象を起こす事はよく知られています。

ヤングの実験により光の波動説として証明され、その後マクスウェルらにより光波は電磁波であることが示されました。

厳密にはマクスウェルの方程式で記述されるベクトル波であり偏光を持つが、波動光学では簡略化のためにスカラー波として扱うことが多いです。

光の粒子性は、ニュートンによって唱えられました。

粒子つまり量子としての光を、光子あるいは光量子といいます。

光子は電磁場の量子化によって現れる量子の1つで、電磁相互作用を媒介します。

現在の光子の概念は、アインシュタインによって提唱されました。

この量子の考え方は、物質の側にも延長されていくことになります。

1924年には、ルイ・ド・ブロイにより電子のような粒子にも波としての性質があるという物質波の概念が提唱されました。

1927年になると、クリントン・デイヴィソンやジョージ・パジェット・トムソンにより実証されました。

1928年には日本の菊池正士も雲母の薄膜による電子線の干渉現象を観察して、電子が波動性をもっていることを示しています。

この粒子としての性質と波としての性質をもった何かという概念は量子力学成立以前の物理学では、全く考えられていなかったものでした。

 つまり、波動が粒子性を持つなら、粒子も波動性を持っていい。

ド・ブロイは発想を逆転させたわけですね。

皆は形式論理的思考のために、波動の粒子性と粒子の波動性を対照的な関係や性質としか、見ていません。

ところが弁証法では、一変します。

波動の粒子性と粒子の波動性を、弁証法的にとらえ、本質的に同質であると見ます。

波動性が小さければ粒子になり、波動性が大きければ波動となると、見ることが可能になるのです。

波動性を波長に置き換えれば、光電効果の説明そのものになります。

 波長が短ければ粒子として振る舞い、波長が長ければ波動として振る舞う。

つまり、波長が十分に短ければ短いほど、波動は粒子としての性質を強めることになります。

極端に言えば、限りなく静止に近づけば近づくほど、波動は粒子化することになります。

波動が限りなく静止に近づくとは、波長は極端に短くなり莫大なエネルギーがありながらほとんど前進しない状態と言って良いでしょう。

これは、弁証法でいえば、量から質への転化に当たります。

古代思想の陰陽でいえば、陰極まりて陽に当たると言って良いでしょう。

逆に粒子化状態からエネルギーを解き放てば、膨大な量になってしまいます。

これが有名なアインシュタインの式です。

E=mc²

もっとも、この式が実現したとされる核融合や核分裂でも、エネルギー化した質量はほんのわずかですけどね。

質量からエネルギーが解き放たれることは、弁証法でいえば、質から量への転化に当たります。

古代思想の陰陽でいえば、陽極まりて陰に当たると言って良いでしょう。

なお、このすべての過程を否定の否定と見ることも可能です。

 形式論理では、元の状態に戻りますよね。

 この場合でも、エネルギーの総量は不変だから、形式論理でも構わないのでは。

エネルギーだけ見ればそうなるけれど、途中の粒子化がうまく位置付けられないでしょう。

弁証法では、エネルギーの変態過程と見るのです。

即ち、波動性が否定されて粒子化する過程と、粒子性が否定されて波動化する過程とみます。

 ポテンシャルエネルギーと運動エネルギーの、相互転化と似ている。

ポテンシャルエネルギーと粒子化、運動エネルギーと波動化、という対応でしょうね。

 光の波動性と粒子性で、光電効果は説明できる。

 ニュートリノの超光速現象も、波動性と粒子性で説明できる。

そうですね。

 粒子性が基本的には全面にでているニュートリノも、たまには波動性が顔を出す。

超光速現象は、この時折見せる波動性を観測したと言えるでしょうね。

だから、他の基本的に粒子とされる量子でも、似た現象は起こり得るでしょうね。

 超弦理論などは。

波動による振動をオシロスコープで見ているような、感じですね。

量子の姿というよりも、量子を形作っている場の中の振動を数学的に表しているのでしょうね。

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ヒッグス粒子発見かというが、物理はどこへ向かうか?

ヒッグス粒子は、よくマスコミに「神の粒子」として紹介されます。

この呼び名は、レオン・レダーマンの本のタイトル「The God Particle: If the Universe Is the Answer, What Is the Question? 」にちなみます。

レダーマンは最初この粒子を「goddamn particle(いまいましい粒子)」と呼ぼうとしたが、編集者はその名を望まなかったそうです。

 神の粒子という呼び方は素粒子物理とラージ・ハドロン・コライダーに対するマスコミの興味を引くことには役に立ったでしょうね。

多くの物理学者は、この呼び方が嫌いといいますよ。

この呼び方は、粒子の重要性を誇張しているからです。

イギリスの新聞ガーディアンの科学記者が実施した別名投票で、多くの候補の中から選ばれた最も妥当な名前は「シャンパン・ボトル・ボゾン」でだそうです。

シャンパン・ボトルの底はヒッグス・ポテンシャルの形であり、物理の講義でもよく説明に使われるというのがその理由です。

ヒッグス粒子が見つかっても量子色力学、電弱相互作用と重力の統一理論を作る答えにはならないし、宇宙の究極の起源に対して答えを与えないと見ているのです。

ヒッグス粒子と言えば、2011年12月9日、新聞各紙にこのような記事が載りました。

一例を上げましょう。

産経ニュース
科学http://sankei.jp.msn.com/science/news/111209/scn11120911160001-n1.htm

ヒッグス粒子存在する兆候発見か 宇宙の成り立ち解明へ

 物質に重さ(質量)を与えている未知の素粒子「ヒッグス粒子」を探している欧州合同原子核研究機関(CERN)の2つの国際研究グループが日本時間13日深夜、実験の中間結果を発表する。

ヒッグス粒子が存在する兆候が見つかった可能性があり、素粒子物理学における歴史的な大発見につながるかどうか発表内容が注目される。

 ヒッグス粒子は物質の最小構成単位である素粒子の一種で、約50年前に存在が予言されたが、まだ見つかっていない。

「最後の素粒子」とも呼ばれ、物質になぜ質量があるのかという謎や、宇宙の成り立ちを解明する上で極めて重要な役割を果たす。

見つかれば素粒子物理学の標準理論が完成し、物理学の大きな前進をもたらす。

 発表するのは東京大や高エネルギー加速器研究機構など国内15機関が参加する日米欧の「アトラス」と、欧米中心の「CMS」の2グループ。

スイス・フランス国境にあるCERNの大型ハドロン衝突型加速器(LHC)を使い、ほぼ光速まで加速した陽子同士産経ニュースを2009年から衝突させて崩壊の様子を調べてきた。

 アトラス関係者によると、今年10月までのデータを分析した結果、ある質量の範囲で、ヒッグス粒子が存在する可能性を示す兆候が見つかった。

 ただ、一般に素粒子物理学の「発見」には99・9999%以上の正確さが必要だが、現状では99・9%程度とみられ、日本の関係者は「まだ発見と言える段階ではない」と話す。

今後さらにデータを蓄積し、両グループの結果をすり合わせて検討する必要があり、「発見」かどうかの最終的な結論は来春以降になる。

ヒッグス粒子の探索は、2008年に稼働したCERNの巨大粒子加速器LHC建設の第一目的です。

今回探索されたのは、発見の可能性が残る最後の領域とされる素粒子の質量を表すギガ電子ボルト(GeV)で、114~141GeVの範囲だそうです。

結果の発表は、ATLASとCMSという別々の検出装置を使った2チームがそれぞれ行うといいます。

ヒッグス粒子(Higgs boson)とは、ヒッグス場を量子化して得られる粒子です。

ヒッグス場とは、1964年にエディンバラ大学のピーター・ウェア・ヒッグスによって提唱された、素粒子の質量獲得に関する理論に現れる場についての仮説です。

ヒッグス粒子は、LHCの衝突実験で、およそ10兆回に1回しか生成されないと言われています。

これまで未発見とされてきたが、今回の報告が確かなら大発見と言われます。

ヒッグス場によって質量を獲得するメカニズムをヒッグス機構と呼ぶ事に示されるように、ヒッグス粒子は素粒子に質量を与える存在と見られているのです。

ヒッグス機構では、宇宙の初期の状態においてはすべての素粒子は自由に動きまわることができ質量がなかったが、自発的対称性の破れが生じて真空に相転移が起こり、真空にヒッグス場の真空期待値が生じることによってほとんどの素粒子がそれに当たって抵抗を受けることになったとします。

ニュース等では「対称性の破れが起こるまでは質量という概念自体が存在しなかった」などと紹介される事があるが、正確ではありません。

ヒッグス場によって生じる素粒子の動きにくさを、質量とみなしているというわけです。

質量の大きさとは、宇宙全体に広がったヒッグス場と物質との相互作用の強さだとします。

ヒッグス場というプールの中に物質が沈んでいるから、質量を獲得できると考えているのです。

光子の質量がゼロなのは、ヒッグス場からの抵抗を受けないため相転移後の宇宙でも自由に動きまわることができるからとしています。

また、電荷、フレーバー、カラーを持たない粒子、標準模型の範囲内ではヒッグス粒子それ自体および右巻きニュートリノはヒッグス機構と関係なく質量を持つことが出来るとされています。

標準模型の外部である一般相対性理論、もしくは量子重力理論において重力子の交換によって説明されると期待されているのです。

重力と質量の関係、すなわち重力質量発生のしくみは、空間の構造によって定められるものと想定されています。

 重力は空間の歪みというのが、アインシュタインの相対性理論ですよね。

素粒子は空間の歪みによって重力は与えられるが、重力によって与えられるのは等加速度であって、質量ではないと見ているわけです。

言い換えれば、素粒子は重力によって加速度は得られるが、素粒子の質量を現象させるのはヒッグス場でありヒッグス粒子だというのです。

ここで注目しないといけないのは、質量は相互作用によって表面化するまで可能性に留まり、相互作用によって現象し現実化するということです。

 ヒッグス粒子が質量を与えているというなら、ヒッグス粒子はどこから質量を持ってきているか、言わないといけないですね。

けれど、ヒッグス粒子は抵抗する存在に過ぎません。

もしヒッグス粒子が質量を与えているというなら、電流でいえば抵抗がアンペアの大きさを与えていると言っているようなものです。

電流の大きさであるアンペアの値は、この式で求められます。

電流(I)=電圧(V)÷抵抗(R)

ここで、電流(I)を質量(m)に、電圧(V)を重力(g)に、抵抗をヒッグス粒子に置き換えて考えたらどうなるでしょう。

質量(m)=重力(g)÷ヒッグス粒子

 ヒッグス粒子も定数なら、質量も一定ですね。

もし、質量(m)が変数なら、重力(g)は定数である以上、ヒッグス粒子も変数でしょ。

ヒッグス粒子を定数と置けば、今度は重力(g)が変数でないとおかしいのです。

ヒッグス粒子で割るのは、定数である重力(g)ではなく変数である重力質量(㎎)なのです。

質量(m)=重力質量(㎎)÷ヒッグス粒子

今度は、重力(g)が消えてしまいました。

そこで、ともに定数であるはずの重力(g)とヒッグス粒子を等号で結びましょう。

質量(m)=重力質量(㎎)÷(ヒッグス粒子=重力(g))

ヒッグス粒子を省略するとこうなります。

質量(m)=重力質量(㎎)÷重力(g)

質量(m)には、このような式があります。

E=mc²からm=E/c²

あるいは、これです。

E=hνからhνをm=E/c²に代入します。

ここでhはプランク定数でνは振動数です。

m=hν/c²

hν/c²で質量を表すとこうなります。

質量(hν/c²)=重力質量(㎎)÷重力(g)

ここで重力(g)をヒッグス粒子に置き換えたらこう言えるでしょう。

質量は物質自体が持っているのであり、ヒッグス粒子は素粒子の質量を重力質量として現象させている。

素粒子自体の質量は、光のエネルギーでプランク定数の振動数倍の値を割ると得られる。

量子力学では素粒子は粒子であるとともに波動としているから、素粒子の質量は振動数で得られることになります。

 電磁波である光にも振動数はあるから、光の質量も振動数の大きさだけあるはずですね。

光子の質量がゼロなのは、ヒッグス場からの抵抗を受けないとされています。

ヒッグス場を加速度と置けば、こうなります。

光子の質量がゼロなのは、加速度からの抵抗を受けないとされています。

そしてアインシュタインの相対性理論により加速度を重力と言い換えられるからこうなります。

光子の質量がゼロなのは、重力からの抵抗を受けないとされています。

さらに、重力波と電磁波は同じ形式の式で表せることが、明らかになってきています。

 光子の質量がゼロなのは、重力波と同じ速度であり、重力加速度を受けていないからということでしょうか。

そうかも知れないですね。

だったら、光も抵抗を受けたら振動数に見合った質量を現象させるはずでしょ。

そして実際、光電現象で光は振動数に見合った質量を現象させていると言いえる状態なわけですよ。

ヒッグス粒子の研究が、今後どう展開するか注目しましょ。

追記

2011年12月13日の中間報告では、二つのチームで絞り込んだ範囲は微妙に異なり、標準模型のヒッグスがもしあるとすれば116-130GeVとするATLASに対して115-127GeVとするCMS。

結局、2012年以降の報告まで様子見ですね。

なお、今回のCERNのプレスリリースはこちら。

ATLAS and CMS experiments present Higgs search statushhttp://press.web.cern.ch/press/PressReleases/Releases2011/PR25.11E.html

日本語解説はこちら。

LHCアトラス実験日本アトラスグループ
http://atlas.kek.jp/index.html

現状報告20111213
ATLASとCMS実験がヒッグス粒子探索に関しての現状を報告
2011年12月13日23:45up
https://sites.google.com/site/lhcpr2011/xian-zhuang-bao-gao201112

標準理論通りに見つかるかもしれないが、標準理論から外れる可能性や、結局見つからない場合も排除できないとしています。

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一人一人の価値観がますます問われる時代がきている。

しんぶん赤旗の2011年12月9日付に、気になる記事が載ってました。

TPP安い薬ピンチ
「知財保護」でもうけ独占狙う米
「国境なき医師団」が警告

環太平洋連携協定(TPP)知的財産権保護条項で、安価な医薬品の供給が脅かされるという懸念が強まっています。

 国際的な医療・人道団体「国境なき医師団(MSF)」の米国組織は、入手したTPPの米国提案とみられる流出文章には、ジェネリック医薬品(後発医薬品)の供給を脅かす内容が含まれるとしています。

MSFは、流出文章、米国が締結した貿易協定、米通商代表部(USTR)の発表などを照合して分析し、医薬品の分野で、米国が狙う知的財産権保護強化の危険性を次のように指摘しています。

①型を変えただけの古い医薬品に新薬の特許を認める。

②特許への異議申し立てを困難にする。

③知的財産権侵害の「疑い」だけで、ジェネリック医薬品の貨物を差し押さえる。

④臨床実験データの独占を強化し、ジェネリック医薬品が出回るのを困難にする。

⑤特許期間を延長する。

⑥医薬品認可当局に特許管理責任を負わせる。

 米国が知的財産権保護の強化を図る背景には、新薬の知的財産権を使って収益を上げようとする米国の製薬業界の要求があります。

製薬企業と生物工業企業の団体である米国研究製薬工業会はTPPに関する広報で、研究開発投資を回収するために知的財産保護の強化が必要だと主張し、特に一定期間、ジェネリック医薬品メーカーが臨床実験データを入手できないようにする措置を求めています。

米国のAP通信によると、米国研究製薬工業会は、特許法の改定、外国での知的財産権保護の強化などを求める働きかけに、2011年第1四半期に454万ドル(約3億5412万円)、第2四半期に470万ドル(約3億6660万円)を支出しました。

 MSFによると、ジェネリック医薬品により、過去10年間で第1世代のHIV/エイズ治療薬の価格が99%引き下げられました。

その結果、2002年時点で1人当たり年間1万ドル(約78万円)だった価格が現在の60ドル(約4680円)へ大幅に引き下げられました。

MSFは、TPPで知的財産権保護が強化されると、発展途上国で安価な医薬品の入が困難になると訴えています。

ジェネリック医薬品

新薬(先発医薬品)の特許期間が終了し、独占的な製造・販売権が失効した後、新薬と同じ有効成分や製法を使って製造される医療用医薬品で後発医薬品余も言われます。

効き目、品質、安全性は同じですが価格は安くなります。

こういう内容です。

ここでは発展途上国のエイズ薬を例にとっていたけれど、なんらかの公的な医療保険制度を持っている国、例えば日本も他人事ではありません。

もしジェネリック医薬品の供給に困難が生じた場合、保険の出費に占める医薬品代は大幅に引き上げられることになり、保険料を上げないと維持が困難になる可能性が出てきます。

 組合健康保険にとっても、さらには民間保険にとっても、薬に対する支出が増えるから、保険料引き上げの動きがでるかも。

TPPで、混合医療が広がって現在の健康保険制度が崩壊する懸念が指摘されています。

そのうえに、薬価まで大幅に上がれば、医療格差は国際的にも国内的にも広がるなら、流行病は深刻な事態を今後引き起こす可能性がありそうです。

新自由主義は、企業はさまざまな価値観のある社会貢献は考えず、株主に多くの配当を出し、配当を受けた株主が利益を自分の意思で社会貢献に使えばいいとします。

だが、企業は社会の求めに応じて製品やサービスを提供する存在でもある以上、その行動に対しても社会の求めに応えることを世界の市民は求めるべきでしょう。

私たち一人一人が、どういう価値観で判断し行動すべきか、ますます求められる時代がやってきていると自覚しないと、気が付いた時には多くのものを失うと気づくべきでしょうね。

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ベテルギウスの瘤はガスの塊で説明できるか。

ペテルギウスは、超新星爆発をこれからするとも、あるいはまだ光が届いていないので、すでに超新星爆発をしているかもしれないとも、話題になっている恒星です。

オリオン座α星であるベテルギウス(Betelgeuse)は、地球から640光年離れている恒星です。

 光が640年かかって到達する距離を、640光年というのですよね。

ベテルギウスは、おおいぬ座のシリウス、こいぬ座のプロキオンと冬の大三角を形作る事でも知られています。

M型の赤色超巨星で、現在-6.05程度の平均絶対等級で、全天で9番目に明るい恒星とも、8番目に明るい恒星とも呼ばれます。

M型と言ったけれども、これはスペクトル分類(spectral classification)という、恒星の分類法によるものです。

スペクトル分類は、恒星の分類法の一つです。

スペクトル分類によって細分された星のタイプをスペクトル型(spectal type)と呼びます。

恒星から放射された電磁波を捉え、スペクトルを観察することによって分類します。

恒星のスペクトルは、その表面温度や化学組成により変わってきます。

表面温度により分類するハーバード型とも呼ばれる狭義のスペクトル型と、星の本来の明るさを示す光度階級(luminosity class)があります。

表面温度により分類するハーバード型と星の本来の明るさを示す光度階級を合わせ、2次元的に分類するMKスペクトル分類が広く使われます。

恒星の色は表面温度によって左右され、高温度星は青白く、低温度星は赤みを帯びて見えます。

温度の違いは、スペクトルの吸収線に影響を及ぼします。

高温の天体では水素の吸収線が、低温の天体ではその他の重元素による吸収線が強く現れる傾向にあります。

また特に低温の星では、原子に加えて分子の吸収線も見られるようになります。

そこでスペクトル型を、数万ケルビンの高温度星から3千ケルビンの低温度星まで温度系列として並べる恒星の分類法が作られました。

型 表面温度 K 色

O 29,000-60,000 青

B 10,000-29,000 青~青白

A 7,500-10,000 白

F 6,000-7,500 黄白

G 5,300-6,000 黄

K 3,900-5,300 橙

M 2,500-3,900 赤

ベテルギウスは赤色巨星なので、M型というわけです。

なぜ全天での明るさの順番が一定しないかというと、ベテルギウスは変光星なのです。

ベテルギウスの変光は、1836年にジョン・ハーシェルによって発見されました。

脈動変光星のSRC型半規則変光星の代表星であり、5.8年周期で0.0等 - 1.3等の間を変光します。

ベテルギウスは、肉眼で観測できる数少ない変光星の一つです。

冬の脈動型半規則変光星の中では、最もはっきりとした変光を示します。

バイエル符号αが付けられているが、極大期を除いてβ星のリゲルより暗いのです。

冬に見える半規則変光星には、他にオリオン座W星やうさぎ座RX星などがあります。

オリオン座W星やうさぎ座RX星のどちらも、ベテルギウスほどはっきりした光度変化は見られないといいます。

地球からの見かけの大きさを、視直径といいます。

ベテルギウスは、視直径が2番目に大きい恒星です。

ちなみに、1位は太陽です。

1920年にアルバート・マイケルソンとフランシス・ピーズはウィルソン山天文台の2.5m反射望遠鏡に干渉計を取り付け、その視直径が約0.047秒であることを見出しました。

視直径の大きさを約0.047秒というのは、角度で直径を表しているからです。

 秒もあれば、分もある。

 時計に準えているのでしょ。

約0.047秒というのは、400km離れた所に置いた野球ボールと同程度です。

変光星は、大きさが変わることが知られています。

ベテルギウスを太陽系の中心に置いたとすると、小さい時でも水星、金星、地球と火星を巻き込み、大きい時には木星軌道の近くまで達すると見られています。

これらは、干渉パターンから得られる間接的な情報です。

恒星からくる電磁波を複数の望遠鏡で受けると、重ね合わせによって干渉パターンが得られます。

この干渉パターンが見られなくなるまでの範囲が、恒星の見かけ上の大きさを示していると見なしているわけです。

1970年代にアントニー・ラベイリはスペックル干渉法によって、ベテルギウスの実際の星像を得ることに成功しています。

また、1995年にはハッブル宇宙望遠鏡により、干渉法を用いないという意味で、太陽以外の恒星では初めて直接その姿が撮影されました。

2009年時点のベテルギウスは、15年前の測定時と比べると15%も小さくなっており、しかも加速的に収縮しているらしいことがわかったといいます。

また、2010年1月にはNASAが、ベテルギウスが変型している事を示す観測写真を公開しました。

その観測写真には、ガスが流出し表面温度が不均一になるなど、恒星が不安定な状態にあることが示されたのです。

近年の観測や研究により、その形状は球形ではなく、大きな瘤状のものをもった形状であるとされています。

その瘤でさえ、太陽より大きいのです。

 大きな瘤は、ガスの塊とされているのでしょ。

天体自体もガスの塊と見ているから、あたかも雪ダルマならぬガスダルマと見ているということですね。

実際はもっと、いびつですけどね。

天文学者は、内部対流の悪戯という説明で片づけています。

だが、その観測写真には、明らかに球体と見られる部分の存在が見られます。

そして、その中心の球体の周りを全体として平たいチーズか鏡餅のような形であるように感じられます。

 つまり、ベテルギウス本体は、ガス天体ではない。

自重によって表面はまるで固体のように固まった泥水の塊と、見る方が説明できるかもしれないですよ。

そして、巨大なガスの塊と見られている瘤の正体は、表面に蓄積した泥の塊の割れ目で起きている巨大な噴出ではないでしょうか。

内部対流の悪戯には、違いないけれど、対流しているのは、ガスではなく高温高圧の泥水だと。

 ガスの塊であれば、あのような瘤が長期にわたって形を維持するわけがない。

あの大きな瘤をガスの塊というなら、どうして宇宙空間にもっと拡散しないのでしょう。

噴出のあまりの勢いに、ベテルギウスの大気が引きずられて歪んでいると見る方が、自然に思えますよ。

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ノアの方舟と恐竜?

私のところに、こんな質問が来ました。

ノアがそれら全てを一つがいずつ方舟に乗せたのであれば、なぜ、現代に恐竜は生き残っていないのでしょうか。

恐竜の全種が生き残っているはずでしょ。

なのに、未だ、一種も「確認」されていないというのは、やはり、不可解に思えます。

こういう内容です。

いわゆる未確認動物と呼ばれる中に、恐竜ではないかという議論がされている種類がいるようです。

未確認動物は、英語ではCryptid(クリプティッド)と呼ばれ、これを研究する学問はCryptozoologyと呼ばれます。

それと、代表的な種を網羅すれば基本的な生態は再現できます。

適応放散による分化で、多様性も再現は可能です。

 でも、昔居た種の再現は無理でしょ。

それは、そうですけどね。

似通った環境であれば、似通った姿になることなら、ないとは言えないでしょうね。

ただ、植物の種類や大きさがまるっきり違うから、そっくりになるのは難しいでしょうね。

 恐竜は鳥に近いというのが、近年の定説でしょ。

爬虫類的な姿を期待すると、見つからないと思いますよ。

欧米では、体毛ふさふさのカラフルな恐竜はあたりまえに図鑑に載っているそうです。

恐竜について検討してみると、爬虫類ではありえないのはまず、間違えありません。

最新研究でも、鳥に近い図を描くものが増えています。

そして、恐竜の子孫が鳥と主張する人は多いです。

さらに、鳥と哺乳類の境目も、調べてみると案外あいまいです。

また、哺乳類型爬虫類に分類された仲間は、現在では爬虫類型哺乳類に分類されています。

現在では爬虫類型哺乳類に分類されているのは、単弓類のことです。

恐竜の仲間には、単弓類と見られていたものがあります。

従来からの爬虫類の分類に引っ張られて双弓類の亜綱にされているけど、穴は明らかに一つなので足の付き方や心臓の構造から言っても哺乳類に分類されてもおかしくないのです。

爬虫類に分類されてきたもので、四肢が胴の下につき、体毛があるのは恐竜だけです。

 爬虫類は、四肢が胴の横についているし、そもそも体毛がない。

 恐竜はむしろ、鳥類や哺乳類に近い。

そして、体毛の多いものと少ないものがある、これは哺乳類の方が近いと言えます。

多くの恐竜に素嚢があるけれど、素嚢にはミルクを出す能力があるのです。

 恐竜がミルクを与えていた可能性は、否定する方が馬鹿げている。

もし、恐竜が哺乳類であったら、目撃例が少なく生態が不明な哺乳動物の中に、いる可能性は十分にあり得ます。

飛鳥昭雄や三神たけるにいたっては、恐竜は哺乳類だったと主張しています。

 もしそうなら、哺乳類の未確認動物に恐竜が混ざっている可能性さえ出てきますね。

未確認動物には、天狗や河童のような妖怪の類や、小説などのために創作された存在は含まれません。

また、ジャイアントパンダやローランドゴリラも生物学的に確認されたのは19世紀以降です。

つまり、ジャイアントパンダやローランドゴリラは、18世紀以前の人々にとっての未確認動物でした。

 恐竜も、21世紀以降になって生物学的に確認される存在になる可能性は否定できない。

未確認動物、あるいはUMAと呼ばれるなかに、姿から推察して恐竜ではないかとみられる生物の目撃例があるそうです。

現代にもし恐竜がいたら大発見だが、はるか昔に滅んだのでいないことになっている彼らがもし現代にいれば、定説は危うくなるのでそう簡単には認知されないでしょうね。

しかも、目撃された姿は明らかに未知の哺乳類らしいですよ。

 耳が見える。

耳ではないかと思えるものが、写っている写真もあるようですね。

 恐竜は定温動物だったのではないか、とみる研究者が増えているそうですね。

定温動物とも、温血動物とも言っていたけれど、最近は恒温動物という事が多いですね。

恒温動物ではないかと、見る方が説明できる事柄が増えてきたからでしょうね

 だったら、恐竜が鳥類や哺乳類の可能性は排除しないでしょ。

鳥類までは許容範囲でも、なぜか、哺乳類となるとためらうようですね。

 進化して鳥になったと言い続けた手前、昔の姿のまま哺乳類になったとも言いずらいかも。

 すでに体毛も、確認されてるから…。

白頭山などには、伝説のドラゴンそっくりな生物の目撃例があるそうです。

ロシアや中国でも、同様な目撃例があると言います。

体を上下に波打たせながら、水中を進むそうです。

また、カンガルーに似ているが、体を水平に倒して走る謎の生物の目撃例もあると言います。

これら目撃例の中には、さっきも言ったように写真が残っている場合もあるようです。

未確認生物とかUMAを扱った本の中には写真の収録されているものもあるので、書店で立ち読みでもいいから見かけたらご覧になってください。

 立ち読みでもいいからって、作者から見たら営業妨害では。

買ってもらえるかどうかは、内容に対する評価次第でしょ。

素通りされたら買ってもらえないわけだし。

 方舟の方は。

幼い子どもであれば、小さいしおとなしいだろうから、動物たちは相当な数と種類、乗ったでしょうね。

そのなかには、恐竜の子どももいたかもしれませんよ。

追記

2010年11月、アマゾン川の大干ばつで無数の水生生物の死骸が転がっていたのです。

魚類、甲殻類、軟体動物、など多岐にわたった死骸の中に奇妙なものがあったそうです。

未知ではあるが新種ではない、はっきり言って化石でしか見たことのない生物に似ていたそうです。

体長約50センチ、幅約20センチ、見た目は節足動物のようで、巨大なフナムシか、あるいはカブトガニに思えたそうです。

目撃者の中に、話のタネにしようと写真を撮った者がいました。

残念ながら、死骸を拾ってはいないと言います。

写っていたのは大きさといい、節の部分といい、三葉虫にそっくりだと写真を入手した飛鳥昭雄と三神たけるは主張します。

記事が載っていたのが学研のムーで、しかも、執筆者がこの二人なので、頭ごなしにトンデモ扱いする人もいるでしょう。

2億5100万円前に絶滅したというのが、定説になっている生物の死骸というのですから。

先入観で否定する前に、そういう人には、まず写真を見て欲しいですね。

なお、写真は2011年12月発行の1月号に掲載されています。

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古墳と壺?

埼玉古墳群に行ってみました。

埼玉古墳群は、 直径105メートル、高さ18.9メートルの円墳である丸墓山古墳を除いて、みな前方後円墳です。

       主軸長   後円部径  後円部高さ  前方部幅 前方部高さ

稲荷山古墳  120m     62m    11.7m     74m     10.7m

二子山古墳  138m     70m    13.0m      90m     14.9m

鉄砲山古墳  109m     55m    9.0m     69m     10.1m

将軍山古墳   90m     39m    不明     68m      8.2m

中の山古墳    79m     42m    5.1m     44m       5.4m

瓦塚古墳     73m    36.5m    5.1m     47m       4.9m

奥の山古墳  66m     34m    5.6m     40m       6.0m

愛宕山古墳  53m     30m    3.4m     30m       3.3m

この数値は、埼玉県立さきたま史跡の博物館のHPhttp://www.sakitama-muse.spec.ed.jp/index.php?page_id=157 によるものです。

 後円部と前方部って、幅も高さも、ほぼ同じなのですね。

これは、どちらも一番幅の広いところを比べてますからね。

埼玉古墳群の大型古墳で登ることができるのは、日本最大規模の円墳である丸墓山古墳と、埼玉県第2位の規模の大型前方後円墳である稲荷山古墳だけです。

どちらも、登ってみました。

円墳である丸墓山古墳に丸さを感じるのは、当然過ぎます。

問題は稲荷山古墳です。

 前方部というけれど、上から見ると台形ですね。

それは、上から見るからですよ。

もっとも、真横から見ても、台形っぽくみえますけど。

 じゃあ、箱型なのでしょ。

後円部の上を歩いた感じでは、むしろ円錐に近く見えましたね。

歩きやすいように、幾分平らに均してあるけれども。

 球に円錐を差し込んだような形なのですか。

そうですね。

大雑把にいうと、壺を半分地中に埋めた形に近いです。

もっとも、実際は裾が広がっているし、大きいので全体を見渡すのが大変だから、少々分かりずらいですけどね。

 前方後円墳というより、壺型墳という方が実体にあっているわけですね。

ほとんどの分類は、上から見た形でやっているのでしょうね。

古墳の形を、おさらいしてみましょう。

 円墳

 方墳

 前方後円墳

 帆立貝形古墳

 前方後方墳

 上円下方墳

 双方中円墳

 双方中方墳

 八角墳

面白いことにほとんどが、丸と四角です。

例外は、八角墳だけど、実質的には円と見なしても良いでしょうね。

帆立貝形古墳とは、前方後円墳より前方部分の小さいもので、全体の雰囲気が帆立の貝殻に似ているところからついた名前です。

 前方後円墳については、飛鳥昭雄と三神たけるもマナの壺を模しているという説を立てていますよね。

実物を見ても、前方後円墳が壺を模していると言って良いと思えます。

 前方後円墳が壺を模しているというなら、他の古墳はどうなのかという、疑問がでますね。

おそらく、基本的にはすべての古墳は壺を模している可能性はあるでしょうね。

祭祀用に使われる壺には、実に様々な形があります。

だとしたら、古墳の多彩な形も壺の多彩さを反映しているのかも知れません。

 祭祀用の壺には、供え物が入っているのでは。

当然、そうでしょうね。

 墳墓を、供え物の壺に見立てたと…。

故人がいかに神の御心に叶う人物であったかと、民衆に示す象徴として壺の形を用いたとみたら、どうでしょう。

 古墳に葬られているのは、ほとんどが指導者か、それに準ずる人々だったのではなかったでしょうか。

 神の御心に叶う人物にして指導者、聖書には何人も登場しますよね。

神の御心に叶う人物にして指導者、確かに有名な聖典である聖書には記されていますね。

 日本の先住民であるアイヌには、生活文物に古代イスラエルに似ているとの指摘もあるでしょ。

遺伝子的にも、古代中東の遺伝子が残るのは、中東を除けば日本とチベットと指摘されますね。

 そうなると、全ての古墳はマナの壺を象徴しているという見方もできませんか。

中東からの波状的な移住によって日本人の基本的部分は形成されていると見た方が、旧約聖書を連想できる風習が日本に多いことと連続性を持ちながら断続性もあることを合わせて説明が付くのは間違えないです。

ただし、646年の大化の薄葬礼の頃を境に、前方後円墳から方墳や八角墳、上円下方などに移っていくわけです。

天皇陵は今も、上円下方墳だそうです。

 方、八角、上円下方、陰陽が連想できますね。

方は大地、八角は八卦、上円下方は円天方地を、想定している可能性はありますね。

 中国を意識して、形を変えていったと見る人もいますね。

中国文化圏では陰陽は大きな影響を持った哲学ですからね。

陰陽には易学があり、易経研究家の中には聖書は易経で書かれていると主張する人があります。

また、聖書を正しく理解するにはカッバーラを知る必要があると古くから言われるが、陰陽こそカッバーラだと見る人もいます。

 飛鳥昭雄や三神たけるなどですね。

彼らから言わせれば、古墳は祭祀の壺からカッバーラの教義の象徴に形を変えただけだと、なるのかも知れませんね。

 古墳、特に天皇のものは昔も今も、聖書の世界…。

まだまだ、謎は多いかも知れないけれど、今回はこの辺までとしておきましょう。

薄葬礼以前の古墳は、基本的にマナの壺を象徴していると見るのは、古代イスラエル人の波状的な移住によって日本人の基本的部分が形成されたと証明できるまで待った方が良いでしょうね。

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