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古代エジプト先王朝期のブラックトップと陰陽?

渋谷にある古代エジプト美術館の企画展、”土器大集合!!エジプト展~ピラミッド以前の文明とは~ ”を見ました。

古代エジプト美術館のHPhttp://www.egyptian.jp/top.htmlには、こうあります。

古代エジプト美術館は古代エジプト専門の美術館で渋谷にあります。
テーマパークの様に神殿、墓や発掘小屋を模したギャラリーの中に本物の古代エジプト遺物が展示してあります。
世界遺産である古代エジプトをお楽しみください。

小さいけれど、来館者全員にエジプト学を学んだスタッフがギャラリートークをするという世界初のサービスが売り物の、面白いところです。

今回の展示では入っていきなり、古代イスラエルの大きな壺が展示されていました。

 今回の、それじゃあ、毎回展示が違う。

ほとんどの展示は入れ替わりますね。

古代イスラエルの大きな壺の用途と形は、古代日本で使われていたものと、あまりにそっくりです。

巨大な大根のような形のその壺は、大半を土中に埋めて使います。

 それじゃあ、上に葉があったらまるで大根。

 漬物でもしてたとか。

食糧などの保管用の壺ですよ。

土中の温度が一定なことを利用した、極めて省エネルギーで合理的な保管法です。

 古代イスラエルの生活文物と言えば、アイヌのものと似ているという指摘もありますよね。

アイヌの人々は、琉球の人々が良く似ているので、親近感を覚えるようですね。

ただ、琉球は中国などとの行き来が多かったので、古代琉球の生活文物がどこまで古代イスラエルに近いか判断は難しいようです。

 日本とチベットくらいしか、古代中東の遺伝子は残っていないことと重ね合わせれば、用途と形がそっくりな壺がイスラエルと日本の古代にあるのは面白いですね。

 でも、エジプトの展示でしょ。

ええ、今回は先王朝時代の権力者の墓から出てきた土器などが、中心でした。

その中に、ブラックトップと呼ばれる赤い土で焼かれた土器がありました。

赤色の胴部を磨研し、内部と口縁部のみを黒く焼くので黒頂土器(ブラックトップ)と呼ばれているのです。

この黒の正体は、焼くときに内部に詰められる藁などから出る炭です。

伏せて焼くために、内部に詰められた藁は燃え上がることなく炭化するのです。

見事に丸く、そして滑らかに表面が均されているそれらの土器は、長く伸ばした粘土を巻き上げながら成形されたものです。

余りにきれいに丸くなっているので、言われなければロクロを使ったと思うほどです。

このブラックトップと呼ばれる壺は、墓の副葬品です。

中に穀物が見つかる場合もあり、主に食べ物を入れていたことが窺えます。

墓の主は、手足を曲げた、屈葬(くっそう)という方法で葬られています。

蹲る形なので蹲葬(そんそう)という人もいる屈葬とは、文化人類学や考古学で、埋葬の際、死者に手足を折り曲げた姿勢をとらせた方法、または、そのような埋葬の状態をいいます。

屈葬には、さまざまなやり方があります。

上体が寝ていて背を下にした、つまりあおむけに屈葬する仰臥屈葬。

横腹を下にした形の横臥屈葬。

腹を下にした形の俯臥屈葬。

上体を立てた形の座位屈葬。

屈葬の程度にも膝頭が胸に密着する姿勢もあれば、伸展葬というには、膝が曲がっていて、伸展葬を意識した埋葬の方法をとっていないものまで、埋葬の姿勢のみでは定義しきれない部分もあるといいます。

屈葬を行った理由としては、墓坑を掘る労力の節約、休息の姿勢、胎児の姿を真似ることによる再生を祈る、死者の霊が生者へ災いを及ぼすのを防ぐため、など様々な説があります。

近年まで日本で行われていた座棺による土葬も、屈葬の一種です。

わたしは、胎児の姿を真似ることによる再生を祈ることが、屈葬の理由としてもっとも有り得たのではないかと見ます。

古代エジプトの死生観では、死者の魂は神々の世界で復活するとされています。

副葬品の壺に食糧があるというのは、死後の世界で生前と同じものを食べたいであろうという、死者への心使いによるものです。

 問題は、なぜわざわざ、内部と口縁部を黒くしたかですね。

それと、赤い土にどうしてこだわったかですよ。

古代エジプトでは、西を死者、東を生者、と住み分けをしました。

この世界観は、陰陽に似ています。

 陰陽というのは、古代中国の思想でしょ。

ところが、インドヨーロッパ語族に属するインドのタントラにも、陰陽と似た論理構造が見られます。

現在のインド人は、ペルシャと共通の先祖とされています。

さらに、聖書については易経研究者の中には易経の焼き直しだと指摘する人もいます。

その人は、古事記にも易経で解釈できる部分が多いと言います。

飛鳥昭雄や三神たけるも、聖書はカッバーラで書かれているが、カッバーラとは陰陽のことだと主張します。

この二人も、古事記の冒頭の神々の世界は創世記の七日間の焼き直しであると言っています。

イギリスなどの先住民であるケルトにも、陰陽に似た世界観があります。

 イギリスと日本には、古代イスラエル人の渡来説、騎士道と武士道、菓子を伴う紅茶と緑茶の文化、妖精と妖怪、など類似点が多いですね。

ケルト以前の、謎が多い先住民であるダーナ神族にも、陰陽が連想できる遺跡があります。

ついでにいえば、欧米人は幕末の日本に来てブリテイッシュ的な顔の人々がいると感想を述べています。

アメリカからは、イギリスとアイヌに二股かけた、フランスとスペインの様式の鏃を伴った古代人骨が見つかっています。

アメリカといえば、先住民と日本人に遺伝子的繋がりや、縄文土器そっくりな土器、さらには日本と共通の寄生虫まで見つかっています。

しかもその寄生虫は寒さに弱いので、赤道に近いルートでないと太平洋を生きて渡れないそうです。

 古代エジプトと日本には、宗教と味の好みに類似がありますよね。

太陽神を中心とした三神構造で動物神を含む八百万の神、しかも、日本の太陽神も本来は男神の天照国照彦なので、さらに印象が重なります。

イタリアには日本人と似た顔の人がいて、エジプトにも傾向の似た顔の人たちがいます。

 イタリアも米と温泉の好きな人々の住む海に囲まれた火山の国という点で、日本と似てますね。

 味の好みも、似ている。

状況証拠だけかも知れないけれど、古代エジプトに陰陽と似た発想があったと見るのは自然な流れです。

陰陽では、黒に天と水と北と陰、赤に地と火と南と陽を配します。

 そして、白に金と西と陰、青に木と東と陽、中心に黄と土と人を、配するのでしたね。

陽が生者の世界なのに対し、陰は死者の世界であり神を含む魂の世界とされます。

 陰陽でブラックトップと呼ばれる副葬品を見れば、解釈が可能という事ですね。

内部と口縁部が黒なのは、神を含む魂の世界を表したいのでしょう。

 容器に入れられた穀物が、神々の世界に受け入れて貰えるように、魂の世界の色を付けた。

そして、魂の世界で再び生まれるために、体内に擬せられた墓に胎児の姿である屈葬で葬られたのでしょう。

 日本にも、ブラックトップ見当たらないとはいえ、屈葬があった。

 日本古代の甕棺も、屈葬の一種と言えますよね。

日本にも死後の世界での復活思想があったから、仏教の来世思想をすんなり受け入れたのかも知れないですね。

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