稲荷とキリスト?その1
稲荷神は、稲荷大神、稲荷大明神とも呼ばれる日本における神の1つです。
神仏習合思想においては仏教における荼枳尼天が本地仏とみなされ、豊川稲荷を代表とする仏教寺院でも祀られています。
神仏分離されたからと思えるが、神道の稲荷神社では『古事記』、『日本書紀』などの日本神話に記載される穀物・食物の神を主祭神としています。
宇迦之御魂神あるいは倉稲魂命と書くが読みはどちらも「うかのみたま」が祀られるほか、豊宇気毘売命(とようけびめ)、保食神(うけもち)、大宣都比売神(おおげつひめ)、若宇迦売神(わかうかめ)、御饌津神(みけつ)などです。
総本宮である伏見稲荷大社では宇迦之御魂大神を主祭神として、佐田彦大神、大宮能売大神、田中大神、四大神とともに五柱の神として祀ります。
伏見稲荷大社では、宇迦之御魂大神、佐田彦大神、大宮能売大神、田中大神の五柱の祭神は稲荷大神の広大な神徳の神名化としています。
山城国稲荷山(伊奈利山)の西麓、すなわち現在の京都市伏見区にある伏見稲荷大社に鎮座する神です。
全国の稲荷神社は、食物神・農業神・殖産興業神・商業神・屋敷神として伏見稲荷大社から勧請されて祀られています。
本来は穀物・農業の神だが、現在は産業全般の神として信仰されてるのです。
お稲荷様やお稲荷さんの名で親しまれていますね。
稲荷神を祀る神社を、稲荷神社と呼びます。
稲荷神を祀る、稲荷神社のシンボルは赤い鳥居と白い狐というのが一般的だが、他の神との合祀によって鳥居が赤くない場合もあります。
稲荷神社の狐には、狛犬のように宝玉をくわえた像が置かれる例が多いです。
また、阿吽を表すかのように、左右で口の開き方を変える場合もあるようです。
他の祭神とは違い稲荷神には神酒・赤飯の他に狐の好物といわれる油揚げが供えられ、ここから油揚げを使った料理を稲荷と称するようになりました。
稲荷は、稲生や稲成と書く神社もありますね。
伏見稲荷大社は、各地にある、神道上の稲荷神社の総本社となっています。
日本にある稲荷神社は、6万社を超えるとも言われています。
伏見稲荷大社が総本社となっているが、宮城県、栃木県、愛知県など全国に広がっており、東日本のほうが多く信仰されています。
そういえば、関西と言えばえびす様かも。
西宮えびす神社は、全国3500あるえびす神社の総社だそうですね。
えびす神社の十日戎(えびす)は、関西が中心で関東にはないですよ。
1月10日の十日戎はなぜか関西が中心で、西日本の方にもあるらしいが関東にはないですね。
そういえば、「商売繁昌で笹持って来い!」は東日本ではほとんど聞きませんね。
今回は稲荷を考えたいので、話し戻しますね。
稲荷神社は、たとえば武蔵国国府所在地においては、明治初期に市内に6ヶ所で祀られており、市内の家々の屋敷神は566件にも上るなど、多摩地域においては顕著です。
屋敷神として企業のビルの屋上や工場の敷地内などに祀られているものまで入れると、稲荷神を祀る社は数えきれないほどの数になります。
江戸時代になると、江戸に多い物は火事と喧嘩に加えて「伊勢屋、稲荷に、犬のくそ」とまで言わるようになったくらいだから、数えきれないのも、納得ですね。
多摩地域も、養蚕が盛んだったし、関東一帯は秦氏の一大勢力があったでしょ。
稲荷神は、元々は京都一帯の豪族・秦氏の氏神で、現存する旧社家は大西家です。
また江戸後期の国学の祖、荷田春満を出した荷田家も社家です。
秦氏は、養蚕に始まり、様々な産業にかかわっていますね。
だから、稲荷も産業全般の神となっていったのかしら。
おそらく、そうでしょう。
『日本書紀』では、伏見稲荷大社についてこう語ります。
稲荷大神は欽明天皇が即位(539年または531年)する前のまだ幼少のある日「秦(はた)の大津父(おおつち)という者を登用すれば、大人になった時にかならずや、天下をうまく治めることができる」と言う夢を見て、早速方々へ使者を遣わして探し求めたことにより、和銅4年(711年)二月初午の日に秦(はたの)伊呂巨(具)(いろこ(ぐ))が鎮座した。
秦氏は、諸蕃、つまり渡来および帰化系氏族のうち約3分の1の多数を占めます。
秦氏については、中国・秦の始皇帝13世孫、孝武王の子孫にあたる功徳王が仲哀天皇の御代に、また融通王が応神天皇の御代に、127県の秦氏を引率して朝鮮半島の百済から帰化したという記録があるといいます。
その一方で、秦氏は新羅は古く辰韓=秦韓と呼ばれ秦の遺民が住み着いたとの伝承があることから、加羅(伽耶)または新羅から来たのではないかとも考えられているようです。
また一説には五胡十六国時代に前秦の王族ないし貴族が戦乱の中、朝鮮半島経由で日本にたどり着いたと言う説もあり、まだまだ謎が多いです。
雄略天皇の頃には、当時の国の内外の事情から、多数の渡来人があったことは事実です。
とりわけ秦氏族は、良く知られているように絹織物の技に秀でており、後の律令国家建設のために大いに役立ったと思われます。
秦氏は、朝廷によって厚遇され畿内の豪族として専門職の地位を与えられていました。
こうして深草の秦氏族は、和銅4年(711年)稲荷山三ケ峰の平らな処に稲荷神を奉鎮し、山城盆地を中心にして神威赫々たる大神社を建てたといいます。
都が平安京に遷されると、元々この地を基盤としていた秦氏が政治的な力を持ち、それにより稲荷神が広く信仰されるようになりました。
さらに、東寺建造の際に秦氏が稲荷山から木材を提供したことで、稲荷神は東寺の守護神とみなされるようになります。
『二十二社本縁』では、空海が稲荷神と直接交渉して守護神になってもらったと書かれているそうですよ。
東寺では、真言密教における荼枳尼天(だきにてん)に稲荷神を習合させました。
荼枳尼天は、もとはインドの女神ダーキニーでした。
荼枳尼天は人を食らう夜叉、または、羅刹の一種で、中世には霊孤と同一の存在とみなされた存在です。
このことに、より祟り神としての側面も強くなったといわれます。
真言宗が全国に布教されるとともに、荼枳尼天の概念も含んだ状態の稲荷信仰が全国に広まることとなりました。
じゃあ、稲荷の狐は荼枳尼天信仰から来たのかしら。
そうかも知れないですね。
ただし、仏教系の神である荼枳尼天の眷属は、金狐・銀狐(きんこ・ぎんこ)であって色が違います。
同じ狐でしかも稲荷神が荼枳尼天と習合されたために同一視される原因となったが、正確には稲荷神社に祀られている狐の多くは白狐(びゃっこ)です。
狐は古来より日本人にとって神聖視されてきた動物でもあります。
農業の害をする生き物を、とってくれるからでしょうか。
大いに助かりますからね。
720年には『日本書紀』に日本武尊を助ける白狐が登場しています。
伏見稲荷の狐といえば、こんな議論もありますよ。
711年に、最初の稲荷神が登場するといいます。
宇迦之御魂神は、別名「御饌津神」(みけつのかみ)と言います。
一方で、狐の古名を「けつ」と言うので、御饌津神を「三狐神」と解して、狐は稲荷神の使い、あるいは眷属に収まったと伝えられるそうです。
時代が下ると、稲荷狐は朝廷の屋敷の出入りが可能となる格であるい命婦の格を受け、命婦神あるいは白狐神として上下社に祀られるようになっていきます。
江戸時代に入り、稲荷が商売の神と公認されます。
大衆の人気を集めると共に、稲荷狐と稲荷神とは混同されていきます。
さらに、荼枳尼天の眷属の狐まで、混同される。
これじゃあ、ややこしいわ。
またこの頃から稲荷神社の数が急激に増え、流行神(はやりがみ)と呼ばれる時もありました。
稲の神であることから食物神の宇迦之御魂神と同一視され、後に他の食物神も習合しました。
中世以降、工業・商業が盛んになってくると、稲荷神は農業神から工業神・商業神・屋敷神など福徳開運の万能の神とみなされるようになります。
産業と言えば、秦氏は一大勢力でしょ。
その秦氏の氏神であれば、当然の展開でしょ。
勧請の方法が容易な申請方式となったため、農村だけでなく町家や武家にも盛んに勧請されるようになりました。
武家も、元を辿ると神職の一族がかなりいるのでしょ。
詳しく調べる必要はあるけど、可能性は高そうですね。
そして、神職と言えば、秦氏の流れを組む賀茂氏。
江戸時代には芝居の神としても敬われるようになり、芝居小屋の楽屋裏には必ず稲荷明神の祭壇が設けられるようになっていきます。
芸能の分野でも、秦氏は一大勢力でしょ。
関連がありそうですね。
明治の神仏分離の際、多くの稲荷社は宇迦之御魂神などの神話に登場する神を祀る神社になったが、一部は荼枳尼天を本尊とする寺になりました。
昔からの稲荷神社の分布と秦氏の勢力下にあった地域を重ねると、面白いことがわかりそうですね。
気になりますね。
比較的新しく勧請された稲荷は、大抵どこかの敷地内にあるから、見当が付く場合が多いですよ。
それに対して、昔からの稲荷は、たいてい誰でも何時でも祈れるように、祀ってあります。
気になると言えば、『山城国風土記』逸文には、伊奈利社(稲荷社)の縁起としてこういう話があるというのです。
秦氏の祖先である伊呂具秦公(いろぐの はたの きみ)は、富裕に驕って餅を的にした。
するとその餅が白い鳥に化して山頂へ飛び去った。
そこに稲が生ったので(伊弥奈利生ひき)、それが神名となった。
伊呂具はその稲の元へ行き、過去の過ちを悔いて、そこの木を根ごと抜いて屋敷に植え、それを祀ったという。
また、稲生り(いねなり)が転じて「イナリ」となり「稲荷」の字が宛てられた。
過去の過ちを悔いて、と聴いて何か連想しませんか。
キリスト教の懺悔、ですか。
そういえば、稲荷のほか、稲生や稲成とも記しますね。
稲荷をINARIと書くと、Aを抜くとINRIでしょ。
そこで、稲荷はINRIの当て字であるという説を唱える人もいますよ。
INRIとは、“IESVS NAZARENVS REX IVDÆORVM”の略です。
もちろんINRIとは、古典ラテン語で、“イエス ナザレの人 ユダヤの王”という意味です。
秦氏には、ユダヤ人キリスト教徒説もでているけど、こんなことも根拠の一つなのでしょうか。
おそらく、そうでしょう。
それに、稲荷としてまつられる宇迦之御魂大神には蛇神説もあるが、イエスも人々を癒した青銅の蛇を象徴の一つに数える説があります。
そこでも、稲荷とイエスは繋がりますか。
神社とキリスト教、なにかがあるようですね。
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コメント
稲荷は、復活の初穂としてのキリストを暗示しているのではないでしょうか。油揚げは、油注がれた者としてのメシアであるキリストを暗示しているのではないでしょうか。
投稿: ペプシコーラ | 2011年12月27日 (火) 17時02分
「西宮」とは、大国主西神社の事を指すとの説もあるそうです。稲荷神の旧社家の大西家と大国主西神社は、無関係とは思えません。これらの根が同じなら稲荷とえびすも同じになります。十日戎はキリストを暗示しているとしか思えないのですが。
投稿: ペプシコーラ | 2011年12月27日 (火) 17時15分
コリント人への第一の手紙第十五章十五節から二十節ですね。
ここでイエスは初穂に例えられていますね。
それでINRIに漢字をあてる際に意味と音の両方から稲の字を用いたとみれば、説得力は出ますね。
また、油揚げを肉の代用として調理に使うこともありますね。
そう見れば、油揚げが油注がれた者としてのメシアであるキリストを暗示しているとみても、面白いですね。
いずれも、秦氏がキリスト教徒であれば、の話ですけど。
ただ、こういう解釈ができる事柄が多いこと自体、稲荷を氏神としたとされる秦氏にキリスト教徒説が出る原因になっているわけですがね。
投稿: cova | 2011年12月27日 (火) 17時32分
イエスはモーセの十戒を成就させたとみる向きもある、日すなわち太陽の神とされる存在ですからね。
十日戎と十戒、戎と戒が字が似ていて、何かの意図を読み取れと言わんばかりな、思わせぶりなのは、確かですね。
古代から現在のえびす神は大国主であったという説もあったようですね。
西宮神社境内末社の大国主西神社は、延喜式神名帳では菟原郡で、西宮神社がある武庫郡とは一致しないが、武庫郡と菟原郡の境界は、西宮神社の約200m西側を流れる夙川とされているけれど、河道の変遷により古代は菟原郡に所属したとの説もある事と合わせると、面白いですね。
投稿: cova | 2011年12月27日 (火) 17時45分
えびす神社には、蛭子神社もありますね。子といえば、神の御子であるキリストを連想します。蛭は、昼=太陽と解釈するのは強引でしょうか。
投稿: ペプシコーラ | 2011年12月30日 (金) 13時12分
西宮神社は日本全国にある事を考えると、西というは西日本を示唆しているのではなくて、日本人の起源が西方にある事に関係があるのではと思いました。
投稿: ペプシコーラ | 2011年12月30日 (金) 13時21分
蛭(ひる)は昼(ひる)に音が通じる。
それも面白いですね。
そして、昼=太陽とみて、義の太陽に準えられるイエスとみる。
陰陽をカッバーラの正体と見る人もいます。
もしそう見てよいなら、面白いことになります。
虫は、もともとは動物の総称です。
陰陽五行では動物を、五虫、つまり、毛虫・羽虫・裸虫・介虫・鱗虫に分けています。
毛虫は獣、羽虫は鳥やいわゆる虫、裸虫は人類、介虫は亀のようなかたい甲羅をもった類、鱗虫は魚類など鱗をもった類とするのです。
蛭を、至る虫と分解し、至る人と言い換え、至る先を神と見れば、神に至る人=イエスの暗示と解釈が可能になります。
イエスは自らを、人の子と名乗ったからです。
そうなると、蛭子=イエスとなり、えびす神社=イエスの神殿となる。
投稿: cova | 2011年12月30日 (金) 17時08分
また、西宮についても、日本人は西方から来たという解釈も、面白いとは思います。
ただ、日本人の道には中東からの東回りのほか、西回りも考えうるのですよ。
これも陰陽で、解釈してみたいです。
西は陰に配され、神を含む魂の世界の方角とされます。
そこで、西=神の国と置くなら、西宮は神の宮、つまり、この一言だけで神社、あるいは神殿となるでしょう。
さらに、陰は神の世界に隠れておられるイエスの暗示となり、西宮は天のイエスの神殿という見方もできるかと感じられますね。
投稿: cova | 2011年12月30日 (金) 17時17分
では何故、ヒルに「蛭」の字を充てたのでしょうか。調べると、[・・・日本の山間部の雑貨屋や、よろず屋などの生活用品雑貨店では、マムシに咬まれたときヒルに毒を吸い出してもらうために売っていた。しかしここ近年では見かけなくなっていた。・・・]と、あります。マムシ=サタンとすれば、悪魔祓いをするイエスを連想します。
投稿: ペプシコーラ | 2011年12月30日 (金) 20時14分
旧約聖書の、民数記にモーセが神に教えられて青銅の蛇を掲げ、神の差し向けた炎の蛇にかまれた人々に示して救った話があります。
もっとも、この炎の蛇はモーセに文句を言う民に怒った神が差し向けたもので、民が許しを乞うたので、モーセは青銅の蛇を掲げたのですが。
この青銅の蛇は、イエスの予型と見られています。
実際、イエスには癒しの奇跡が伝えられています。
投稿: cova | 2011年12月30日 (金) 20時25分
戒の「かい」の読みは、神に背いたカインにちなんでいるのでは、と思いました。
投稿: ペプシコーラ | 2012年1月 4日 (水) 10時54分
旧約聖書創世記第4章に登場するアダムとイヴの息子たち、兄のカインと弟のアベルのことですね。
それを言ったら、怒るときの「こら!」も、聖書の民数記に登場するコラに由来する、という議論がありますよ。
なお、この話は民数記16章にあるので、気になる人は読んでくださいね。
神に命じられて指導者になったモーセやアロンだって、好きでやってるわけじゃなかったのですよ。
忠誠の深さを見込んで任命した神に逆らえば、自分だって危ないから逆らえないわけです。
神に従っているからこそ、正しい判断が出来ていることを、いやというほどあじわっていますしね。
なのに、コラはモーセとアロンに、あなた方ばかりがなぜ皆に指図するのか、と文句を言って困らせたために、神に罰せられたのです。
またヨシュア記のアカン、第2サムエルと歴代誌のウザも、あかん、うざいの語源説がありますね。
投稿: cova | 2012年1月 4日 (水) 11時57分
戒の読みで、「かい」は漢音ですね。
日本語とユダヤ後の類似を論じた議論でも、漢語から日本語に入ってきた言葉を比較している場合が見られます。
漢語とユダヤ語の類似は偶然なのか、漢字の成立にユダヤ人が関与していたのか、興味あるところです。
易経や陰陽とユダヤ教神秘主義カッバーラは、同じものと言いたくなるくらい酷似しているという指摘もあるのです。
古代の中国とユダヤ、想像以上の繋がりがあったかも知れません。
投稿: cova | 2012年1月 4日 (水) 21時06分