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白馬の節会

白馬節会(あおうまのせちえ)は、古来の年中行事の一つです。

節会(せちえ)とは、日本の宮廷で節日(祝の日)などに天皇のもとに群臣を集めて行われた公式行事で、饗宴を伴います。

奈良時代以前(律令制下)から続いた節会は、次の通りです。

元日節会(正月一日)

白馬節会(正月七日)

踏歌節会(正月十六日)

上巳節会(三月三日)

端午節会(五月五日)

相撲節会(七月七日、のち七月下旬)

重陽節会(九月九日)

豊明節会(十一月新嘗祭翌日の辰の日)

釈奠

盂蘭盆

平安時代には、元日、白馬、踏歌、端午、豊明が五節会として、特に重んじられました。

江戸時代には、人日(一月七日)、上巳、端午、七夕、重陽を幕府が式日として定め、五節句として重視しました。

 白馬節会は、人日の行事でもあったのですね。

白馬節会は、中世日本の宮廷年中行事の一つでもあったが、天皇家では明治維新時に廃絶されました。

1月7日、天皇が豊楽院(後に紫宸殿)に出御して邪気を祓うとされる白馬を庭にひき出し、群臣らと宴をさせます。

本来は読みのとおり青馬節会でした。

青馬(あおうま)は、あおごまとも呼ばれます。

 あおごまとは、青駒とも書いたのですかね。

どうでしょう、馬に詳しい人に聞いてみたいですね。

青馬とは純白でも黒でも栗色でもない、灰色がかった毛並みの馬を言ったもののようです。

他にも、濃い青みを帯びた黒馬、淡青色や淡灰色の馬、ではないかという声もあります。

また、文字通り青毛の馬という説もあります。

青は春の色であり、馬は大陸の考え方では陽獣でした。

春のはじめである正月に青い馬を見ると一年の邪気を祓い除くという、大陸の伝説から起こったものと考えられています。

醍醐天皇の頃になると白馬が行事に使用されるようになり、読み方のみそのまま受け継がれたため「白馬(あおうま)」となったとされます。

 醍醐天皇の頃といえば、平安中期ですね。

醍醐天皇は、どちらかといえば平安前期の天皇とされますけどね。

平安前期といっても、最後の方なので平安中期といっても、間違えではないでしょうね。

平安中期は国風文化の盛んになったころであり、それまでの中国文化の影響が薄れて、日本独自の白色に対する神聖感から白馬を用いるようになったとも言われています。

 そういえば、白蛇、白狐は、神社と結びつきがありますね。

 あれば面白いけど、なぜか、白猫や白狸は神社との結びつきはない。

 白狸は、いるとは聞くけど目撃例は少ないようですね。

白狸は一定の割合で生まれるらしいけど、自然では生きていくのは厳しいのかもしれないですね。

 白狸、ネットで動画や画像を見かけたことあるけど、可愛いですよね。

 普通の狸も、可愛いけど。

生き物としての猫と神社の結びつきはないけど、基本的には神職はみな禰子の子孫で、しかも装束はたいてい白だから、白いねこが神社にいると言えば、言えなくもないですけどね。

 猫はヨーロッパでは魔物の仲間扱いだったから、白猫でさえタロットでは登場しても神聖視されてないし。

2012年現在では、白馬節会は、京都市北区にある上賀茂神社や大阪府大阪市にある住吉大社などの神社で、神事として行われています。

 平安京については、ヘブル語に訳すとエルサレムになるというでしょ。

 平城京についても、今では奈良の都というけど、当時はナラに寧楽の字も当てていたようですね。

「おをによし寧楽(なら)の京師(みやこ)は咲く花の薫ふがごとく今盛りなり」ですね。

 寧楽京もまた、エルサレムの意味となるとネットで見ましたよ。

寧楽と書いて、本来は「ねいらく」と読みます。

寧楽とは安楽の意で、平和の都を意味してこの字が当てられたと考えられていますからね。

寧楽と書いて、「なら」とも読んだのは、当時の発音は丸唇音の傾向が強かったからかも、しれないですね。

平安時代は、天皇家の継承問題が一段落ついて、ようやっと落ち着いた桓武天皇以降のことですね。

その後、天皇家の継承問題は持明院統と大覚寺統に始まる南北朝まで、収まっていました。

ちなみに、後深草上皇系は持明院統、亀山上皇系は大覚寺統と呼ばれるのは、それぞれが政務を行った場所の名前によります。

後に持明院統が北朝、大覚寺統が南朝となり、二つの朝廷が並立した南北朝時代へと繋がっていきました。

 いままた、皇室の継承問題は男系が途絶えたらどうするかという形で、持ち上がっていますね。

事態の推移を、見守りたいですね。

平安自体中期の頃から、白馬節会で馬が青馬から白馬になったのは、国風化の一環くらいにしか思われていません。

だが、陰陽で見ると、白は西と陰と死に配当され、青は東と陽と生に配当されるのです。

白馬節会で、白馬を「あおうま」とあえて呼ぶのは死と再生の象徴として用いているからでしょう。

 四季でいえば、春と夏は陽と生に配当され、秋と冬は陰と死に配当される。

つまり、春の始まりとは生の始まりとともに死の終わりでもある冬の終わりなのですよ。

死と再生は、脱皮にもたとえられます。

古い年を脱ぎ捨て、新しい年に生まれ変わるとともに、一年の邪気を祓い除くというわけです。

中国では、新生の象徴として二重の意味で陽とされる青馬を用いたのでしょう。

けれど、二重の陽は陽の極みとなって、陰に転化してしまうと、日本では解釈したのでしょう。

さらに、陽の馬が陰の白であることで、陰陽太極の象徴ともなるので余計に縁起が良いと見なした可能性はあると思いますよ。

 死と復活と言えば、イエスを連想してしまいますね。

またも、日ユ同祖論に持っていきたいのですか。

 だって、平城京も平安京も、エルサレムと訳せる。

 その平城京で、死と復活の行事ですよ。

 イエスは旧約で予言された救世主でしょ。

状況証拠としては、確かに揃いますけどねえ。

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コメント

とても興味深く読ませて頂きました。ありがとうございます。よろしかったら、白馬節会に関して参考になさった書物などの出典をお知らせいただけたらと存じます。

特に<青馬とは純白でも黒でも栗色でもない、灰色がかった毛並みの馬を言ったもののようです。
他にも、濃い青みを帯びた黒馬、淡青色や淡灰色の馬、ではないかという声もあります。>

にある灰色の馬に関心があります。

昔の(今でも)日本語では緑は青に含まれていたので、青馬とは緑馬ということになる筈ですが、体色が赤褐色で毛が灰色な馬は肉眼で見た時に補色残像と加法混色で緑色な印象があったのではという気がします。色彩の専門家には周知なことかもしれないですが。

それを確かめる為に調査中です。専門家には周知なことかもしれないですが。

現在の日本国での競馬用語では青馬とは真っ黒な馬のことを指すというらしいです。Wikipediaにも出ている。
Net上では奈良時代には濃い色の動物が使われていたと書かれているものもあるが、灰色は白よりは濃い色です。 でも当時の記述の原文を読む機会がないので私にはそれ以上は進む事ができません。

もしも緑にも見える灰色の馬が使われていたとすると、おそらくは灰色な馬ならなんでもいいというわけにはいかなったのかもしれない。薄い灰色の馬で手頃なものが見つけられなかった場合に白馬で代用しているうちに、白馬も神聖な感じがしていいんじゃない、ついでに文字も代えてしまえということになったのではなどと当て推量をしている次第です。

もしも黒毛や暗色な体色をした馬が使われていたとしたら、お書きになっておられるような陰陽的な根拠によるもの(吉野裕子さん風)があたっているのだと思います。明治以前の昔の宮中の祭祀には複数の伝統の神官がいて陰陽的なものも大きな比重をしめていたようなので。

しかし奈良時代の上流階級の人は今の韓国人のように彩度の強い色を好んだので(青丹よし)、黒や暗色をした馬を青(緑)馬として見立てたとはちょっと考えにくいような気もします。

投稿: Shahpuhr | 2012年2月 9日 (木) 20時06分

興味を持っていただき、また、面白いことを聞かせていただいて、ありがとうございます。

ネット情報と、陰陽による解釈、それとこれまで展開してきた議論だけで、この話を仕上げたので参考にした文献はとくにありません。

それに、白馬の節会に気が付いたきっかけも、浮世絵美術館で偶然見かけた一枚の絵でした。

投稿: cova | 2012年2月10日 (金) 09時13分

黒や暗色をした馬を青(緑)馬として見立てたとはちょっと考えにくいと思うのももっともです。

緑の黒髪という表現を知っていますか。

緑はもともと、みずみずしさを表す言葉でした。

いまでは、緑のみずみずしい髪といえば初音ミクを連想する若い人も多いかもしれませんが。

現在では「嬰児」が一般的な表記となっている「みどりご」は、本来は「緑児」と書きます。

古く、「みどりご」は「みどりこ」と末尾が清音でした。

赤ん坊を「みどりご(みどりこ)」と呼ぶのは、大宝令で三歳以下の男児・女児を「緑」と称するといった規定があったことに由来します。

大宝令で「緑」と称するようになったのは、生まれたばかりの子供は、新芽や若葉のように生命力溢れていることから喩えられたからだそうです。

つまり、緑は、かつてみずみずしさの表現だったので、色としては、青でもあれば、黒でもありました。

投稿: cova | 2012年2月10日 (金) 09時36分

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