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2012年2月

中秋の名月とハロウィン?

春の彼岸は、毎年3月の春分の日をはさんで前後3日合計7日間です。

秋の彼岸は、毎年9月の秋分の日をはさんで前後3日合計7日間です。

じつは、中秋の名月と呼ばれる八月の十五夜も、秋の彼岸とほぼ、同じころです。

仲秋の名月という表現もあるが、これだと陰暦8月の月を指し、十五夜の月に限定されなくなります。

仲秋とは、秋を旧暦7月の初秋、旧暦8月の仲秋、旧暦9月の晩秋の3つに区分した場合、旧暦8月全体を指します。

それに対して中秋とは、秋の中日である陰暦8月15日のみを指します。

ちなみに、中秋の夜に雲などで月が隠れて見えないことを無月(むげつ)、中秋の晩に雨が降ることを雨月(うげつ)と呼びます。

月が見えないながらも、なんとなくほの明るい風情を賞するものとされます。

また、俳諧では8月14日~15日の夜を待宵(まつよい)、16日~17日の夜を十六夜(いざよい)と称して、名月の前後の月を愛でます。

秋分は北半球では、太陽と月の角度により、地球から見た月の位置が観月に最も適しています。

秋分は旧暦では、旧暦8月にあたります。

実際の新暦での日付は、旧暦の8月15日は、9月23日ごろになることが多いです。

それで、新暦では、秋分の前後半月の1ヶ月の期間の中で変動します。

しかし、日本の関東以西では、この時期、晴天に恵まれる確率は低いですけどね。

十五夜の日は満月の日に近い日だが、必ずしも両者は一致するものではなく、むしろ異なる場合の方が多く、その差は最大で2日です。

中秋の名月は、秋の収穫に感謝する行事とされます。

団子の他にその土地の秋の収穫を捧げることが多いが、芋を捧げる地域が多いことから、別名を芋名月と呼んだりします。

各家に供えてったものは、月見団子や栗、柿、枝豆、芋、の他、かつてはお菓子もありました。

 いまでも、お菓子も供える地域はあるようですね、

かつて中秋の名月には、近所の子どもたちがお供えをこっそり持って行ってよいとする風習があり、神様が持って行かれたとみなしていました。

そして、収穫を祝ったり祈ったりしていたのです。

神様が持って行ったことにしていたので、家の人たちは、持っていく子供たちを見つけても、見ない素振りをしていました。

この風習は、今でも続いている土地があるそうだが、昭和の中ごろまで全国でも行われていたようですね。

 トリックアンドトリート(お菓子くれないと悪戯するぞ)と言いながら、子どもたちが家々を巡るハロウィンに、似てますね。

 時期も、近いでしょ。

ハロウィン(Halloween, Hallowe'en)は、ハロウィーンとも呼ばれますね。

毎年10月31日の晩に行われる、ヨーロッパを起源とする民族行事ですよね。

ケルト人の行う収穫感謝祭が、他民族の間にも行事として浸透していったものとされています。

由来と歴史的経緯から、アングロ・サクソン系諸国で盛大に行われていますね。

ケルト人は、自然崇拝からケルト系キリスト教を経てカトリックへと改宗していきました。

カトリックでは、11月1日を万聖節としても知られる諸聖人の日としています。

ハロウィンはその前晩にあたることから、後に諸聖人の日の旧称"All Hallows"のeve(前夜祭)、Hallowseveが訛って、Halloweenと呼ばれるようになりました。

そもそもキリスト教の教えと、魑魅魍魎が跋扈するハロウィンの世界は相容れるものではなく、聖と俗との習合がハロウィンという名称のみに痕跡を残していると言えるでしょう。

 ケルトは、イギリスにも結構いたでしょ。

 アメリカで見つかったアイヌに似た古代人骨は、始めはあるイギリス人に似ていると思われたのですよね。

 その似ていると思われたイギリス人の土地は、ケルトが昔から多い土地だったでしょ。

そして、北海道や東北にも、子どもたちがろうそくよこせと言いながらお菓子を貰って歩く風習があるのでしたね。

幕末の日本に来た白人たちは、ブリティッシュ的な顔の人々がいると報告しています。

ハロウィンは、ケルト人の1年の終りは10月31日で、この夜は死者の霊が家族を訪ねたり、精霊や魔女が出てくると信じられていたことに由来する行事です。

死者の霊や精霊や魔女から身を守るために仮面を被り、魔除けの焚き火を焚いていました。

 行事の位置付けとしては、彼岸に似ていますね。

中秋の名月には、ハロウィンに似た風習があったが、起源は中国に遡ります。

中国、韓国、台湾では中秋節は祝日となっていて盛大に祝うそうです。

 日本では、中秋の名月は祝日になっていませんけどね。

 春分の日や秋分の日を中日とする彼岸があるので、春分の日や秋分の日が祝日になっているからでしょうね。

でも、中国、韓国、台湾といった土地で、ハロウィンに似た風習は、ないようですね。

中国では当日、月餅を食べながら月を観る慣習があったといいます。

近年は月餅はひと月以上前から知人に配るようになったため、中秋当日までに月餅は食べ飽きてしまい、中秋当日には売れ残りを恐れて安売りされるという現象も起きているらしいですね。

台湾では月見をして月餅や柚子を食べる習慣があり、台湾南部ではおもちを食べる風習もあるそうですね。

中秋節当日、屋外でバーベキューをするなどの別の楽しみ方が増えているらしいです。

韓国では、秋夕とその前日と翌日が公休日となるため、多くの企業、施設も休みとなり、帰省する者も多いといいますね。

お供え物は、日本のどの地域より多いかもしれないし、帰省先では、闘牛や闘鶏、綱引きなどの行事があるようです。

中秋の行事と、ハロウィンに似た仕来りは、日本で出会ったのかも知れません。

 やはり、日本はアジアよりヨーロッパに似ている。

なまはげのような行事は、日本各地にみられるけど、アジアでは聞きませんしね。

 ヤマネコも、ヨーロッパやアメリカにいるし、古代日本にもいたけど、アジアでは聞いたことないですよね。

縄文は、アメリカやヨーロッパに遡る可能性は、高そうですね。

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翻訳を見直してみた。 英語VS日本語 その4

“IT”なになに“that”と言う構文あるでしょ。

“THAT”を「あれ」とか「それ」、“THIS”を「これ」と対応させるでしょ。

 何か問題ありますか。

使い方としては、良いと思うのです。

でもね、そういう訳し方ばかりだと、ぎこちなくなりませんか。

“THAT”を「あれはねえ」とか「それはね」、“THIS”を「これはねえ」などと訳したほうがもっと生き生きしてくるのではないでしょうか。

「こういうことがあったんだよ、それはねえ」などという気持ちで訳していくと、より日常会話に近くなるでしょうね。

 そういう言い回しなら、しょっちゅうやってるかも…。

日本語の古語で、「いと」というのがあるでしょ。

 「とても」とか「たいそう」とか「かなり」とか、強調の意味で訳しますね。

でも、こう思いませんか。

英語の“IT”と、使い方が似ているって。

 そういえば、“IT”を「すごい!」とか、「抜群だぜ!」と訳したほうがしっくりくる場合って多いですね。

逆に、日本語の古語の「いと」を、「それは」とか、「それ」と訳しても語感としては違和感ないでしょ。

 違和感ないどころか、むしろ実感が籠るのでは…。

そうなると、古文の「いとあわれ」も、こう訳せるでしょうね。

「それは(ため息)趣があったなあ(遠い目)」などという具合に。

 じゃあ、「いとおかし」はこう訳そうかしら。

 「それは(にっこり)面白かったのよ(微笑む)」なんて風に。

もちろん、わざわざかっこをつけて補足しなくても良いですよ。

 それくらい、文脈や場面でわかりますって。

そうでした…。

“IT”を普通の意味で訳す場合でも、“THIS is IT”を「言うだけ野暮でしょ」とか、「わかってるよね」、「知ってるくせに」などと訳したほうが、会話っぽくなる気はしますね。

あるいは、“THAT”を「ざっというと」、“THIS”を「実にね」などという風に訳しても面白い気がしますよ。

 じゃあ、“THIS is IT”は、「実にすごいぜ!」ですか。

 俗っぽく言うと、「まじでやばいぜ!」。

それのほうが、実感がでるときもあるでしょ。

もちろん場面によっては、“THIS is IT”を「これがそうです」と訳したほうが良いでしょうね。

“IT”なになに“that”と言う構文も、「こういうことがあったんだよ、ざっというとね」という気持ちで訳しても感じが籠るのでは。

 そういえば、“IT”なになに“that”と似ているのに“IT”なになに“for”と言う構文あるでしょ。  

この“for”も、向きを示す「方(ほう)」に、意味と用法が似ているでしょ。

 文法の差はあるけど、向きを示すという点では、似てるかも。

“for”には、「為に」の意味が強いですけどね。

 「方」にも、方向とか方法というとき、「為に」という気持ちは込められているように感じられますね。

ついでにいうと、“to”と「と」も、意味と用法が似ている場合があると思いませんか。

 「と」には、列挙する“and”に似た用法もあるけど。

“and”は、英語の丸唇を発音をはっきりさせるために平唇的にする発声法によって、“to”が転化したのかも知れないですよ。

 列挙する気持ちを表すために続けて言っているうちに、言い易くするために転化した。

一方、向きを表す“to”は強調しているうちに音が明瞭化したのかも。

 でも、“to you”とか “to me”の“to”は「あなたと」とか「わたしと」の「と」に似ている気がするけど…。

 どちらかというと、「あなたに」とか「わたしに」という風に、「に」を使いませんか。

日本語の方が、むしろ英語よりも一音一音、はっきり発音するでしょ。

 そういえば、そうかも。

日本語の方が英語よりも、かえって平唇の傾向が強いので、“to”から“ni”へ転化した可能性がありますね。

日本語より英語が平唇の印象が強いのは、丸唇とのギャップのせいでそう見えているだけでしょうね。

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赤い鳥居とキリスト?

赤い鳥居は、案外奇妙です。

稲荷はたいてい赤い鳥居だが、赤い鳥居でも、稲荷以外の主祭神である神社も、少なからずあるからです。

 でも、稲荷神社で赤くない鳥居の方が例外でしょう。

そして、稲荷以外を主祭神とする神社や祠では、赤い鳥居の方が例外です。

稲荷の赤い鳥居については、農耕に関する呪術とみて、ほぼ間違えないでしょう。

赤い鳥居は火を表すが、陰陽で水克火で、日照りが干ばつにならないようにする呪術があるからです。

火を克する水は黒で表され、火に相対するように配されるのです。

また、火は陽に、水は陰に、それぞれ配されるのです。

それに対して、天には陰が、地には陽が、それぞれ配されます。

陰陽では、陰と陽を合して太極となるように配するので、陽の地には陰の水を、陰の天には陽の火を、配して太極とします。

火に当てずに白く育てる作物は例外で、多くの作物は原産地に関係なく日差しが必要です。

乾燥に強い作物と言えども、干ばつでは枯れてしまいます。

つまり、農耕の呪術としての赤い鳥居だからこそ、農耕など一次産業の祭神とみられる稲荷は、ほとんど例外なく立てるのでしょう。

問題は、稲荷以外の主祭神である神社に立つ、赤い鳥居です。

 古い時代の神社であればあるほど、豊かな実りを求めて祀られたとしたら、もっと、赤い鳥居があっても良いですね。

それ以前に、赤い鳥居の神社はほとんど稲荷になるでしょ。

赤い鳥居が、豊かな実りを求めて立てられるとしたら。

ところが、農耕神以外でも、赤い鳥居があるわけです。

 そういえば、熊野三山の熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社で、鳥居が赤くないのは、熊野本宮大社だけだったような。

出雲大社の鳥居は、赤くないですね。

出雲大社と対を成すとみられる鹿島神宮は、ちょっと奇妙で、神宮に近い二の鳥居は赤くないが現在はっきりとした参道が繋がっていない一の鳥居は赤いのです。

鹿島神宮の一の鳥居は、鹿嶋市の北浦湖畔にあります。

今では国道も一の鳥居に通じる道を大きくそれているので、地図に頼るか人に聞かないと、辿り着くのは難しいかもしれません。

 ひょっとして、天津神と国津神で、鳥居の色は違うとか。

 秦氏は渡来人ですよね。

 稲荷は、秦氏の祭神という議論をしていましたよね。

さらにいえば、天皇に通じる天孫一族も、天孫降臨伝承からして、渡来系と言えますね。

 そうなると、鳥居の色で、天津神か国津神か、さらには、元は国津神の神社だったが天津神に転じたか、などがわかるのかも知れないですね。

そう言い切るには、もっと情報を集める必要はありますね。

視点としては、興味ありますが。

常設の神社自体、秦氏が齎したと見られています。

本来の注連縄を渡した二本柱の鳥居を、横の板や棒で繋いだ今の形に変えたのも、秦氏という事になるでしょうね。

秦氏が、鳥居の形をほとんどの神社で変更したのは、今の鳥居の形に何らかの意味を込めた可能性があるわけです。

 もとは二本の柱を立てて、注連縄を張っていたことを知るユダヤ人のなかには、ユダヤ教の神殿に立っていた二本の柱を連想する人も居るのですよね。

ユダヤ教神殿のヤキンとポアズとよく似たものは、古代エジプトの神殿にも立っていますよね。

 エジプトのオベリスクも、ユダヤのヤキンとポアズも、二本の柱を立てているだけ。

 そして、日本の神社も、本来は二本の柱を立てているだけ。

ところが、秦氏が立てた鳥居は、形が違う。

ヤハウエיהוהをさす一文字“ה(へー)”を筆記すると、鳥居にそっくりになるだけでなく、יהוה(ヨッドヘーヴェブヘー)を縦書きしてもそうなります。

 ヘブル語サイトで、鳥居そっくりの“ה”一文字の宗教アイコンがあるのも面白いですよね。

そうなると、エジプトのオベリスクも、ユダヤのヤキンとポアズも、神を指すיי(ヨッドヨッド)である可能性はあり得ますね。

 だけど、エジプトのオベリスクも、ユダヤのヤキンとポアズも、日本の神社の本来の鳥居も、二本の柱だから神を指すיי(ヨッドヨッド)であるといっているのと同じでは。

確かに、エジプトと日本は味の好みまで似ているし、古代エジプトと日本は、太陽神を中心とした三神構造を軸にすえて動物神を含む八百万の神を祀る宗教を共有しています。

イタリア人は日本の濃い顔の人に似ていると指摘されるが、エジプトにも濃い顔は結構いるというから、エジプト人から見て親近感を覚える日本人もいるかもしれないですよ。

 それでも、秦氏はなぜ、יהוה(ヨッドヘーヴェブヘー)を指し示す形の鳥居に変えたかが、謎でしょう。

飛鳥昭雄と三神たけるは、יהוה(ヨッドヘーヴェブヘー)を縦書きすると人形(ひとがた)になると指摘します。

実際、頭のような三角が乗った山王鳥居と呼ばれる形式も、あります。

新約は、イエスの齎した救いを受け入れてこそ、真の救いがあると主張します。

 イエスによって救いを得よという、新約のメッセージを鳥居は伝えている。

やがて来る救世主による救いを信じよと、旧約は説きます。

そして新約は、その旧約が預言した救世主こそイエスだと説くのです。

 イエスは、弟子たちに最後の晩餐で「私の肉、私の血」と言ってパンとワインを分けますね。

 鳥居はイエスの体、赤はイエスの血、なのかしら。

じゃあ、赤くない鳥居は、イエスの言葉なのでしょうかね。

 神社自体も、古代エジプトや古代イスラエルの神殿と似ていると話題にしましたよね。

またしても、聖書とキリスト教に、辿り着きましたね。

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日本人も家族性地中海熱と家族性アイルランド熱に注意したほうが良い。

日本人は西方から来た可能性があると話をしていたら、こんな感想が寄せられました。

『日本人は西方から来た』
私もそうに思います。

私は家族性地中海熱という遺伝性疾患を持っています。

詳しい事は、恐れ入りますが検索して下さい。

医者の話によると、地中海沿岸に暮らす民族に多い疾患で、日本人には稀であると言うことでした。

ですが、日本人である私と私の親族の遺伝子の中にセファルディ系ユダヤ人、北アフリカのアラブ人をはじめとする地中海沿岸部に暮らす民族と同じ劣性遺伝子が確実に存在しています。

ここからは個人的な意見ですがこの遺伝病、本当は日本人に多いんじゃないかな?と思っています。

日本人には起こらないと除外されていたせいで知られていないせいで、正しく家族性地中海熱と診断されずに他の病気の診断がされていたりしている日本人は結構いるのでは?

また、発症しない保因者としての日本人も多く存在しているのでは?と、思っています。

そこで、家族性地中海熱について検索してみました。

詳しいことは、家族性地中海熱で自分で検索してください。

説明すると長くなるからです。

たとえば、家族性地中海熱http://www.printo.it/pediatric-rheumatology/information/Japan/14.htmなどは、比較的よくまとまっています。

私が気になったところだけ、紹介しますね。

名前に地中海とあるのは、この病気は地中海沿岸域の人々や、中近東つまり、ユダヤ人特にセファルディ(スペイン・ポルトガル系のユダヤ人)・トルコ人・アルメニア人に現れるからです。

上記で説明したような地域や人種では、1000人に3人の割で病気がおこるが、他の地域では希です。

しかし、原因遺伝子がわかってからは、それまでこの病気はほとんどないと思われていた様な、イタリア人・ギリシャ人・アメリカ人の中にもこの疾患が見つかるようになりました。

家族性地中海熱は、伝染しません。

気候風土は、病気に影響しません。

家族性地中海熱は 腹部、胸部、関節の疼痛と腫脹を伴う発作性におこる発熱を特徴として、周期的に症状が繰り返される遺伝性の病気です。

家族性地中海熱の治療はシンプルで、コストも安く、大きな副作用も起こしません。

今日、コルヒチンがこの病気治療の唯一の薬です。

診断がついた患児は、一生涯コルヒチンの内服をします。

約60%の患者で、発作が現れなくなります。

30%で、一部効果があります。

5-10%の患者では効果がありません。

インターフェロンガンマや、抗TNF療法やサリドマイドによる治療の報告があるが、薬剤の効果と安全性では、コルヒチンの方が優れています。

患者の約90%が20歳前にこの病気を発症し、その半数以上が10歳前に発症します。

13対10で、男の子が女の子よりややなりやすい傾向にあります。

この病気に関係した遺伝子や、治療につながる遺伝子の解明が進んでいるところです。

家族性地中海熱は、常染色体劣性遺伝の場合です。

性染色体上には、この病気に関係した遺伝子は存在しません。

常染色体劣性遺伝というのは、父親の遺伝子から一つ、母親の遺伝子からひとつ 2つの変異した遺伝子がそろったときに病気が発症してくるということです。

つまり、両親伴にキャリアー、すなわち、病気の素因は持っているが病気にはなっていない場合です。

なので、家族内に たとえば、兄姉弟妹、いとこ、叔父 さらに、血縁関係のある遠い親戚の中に、この病気は散見されます。

この病気で、両親が家族性地中海熱と、キャリアーの組み合わせの時、病気全体の率ではわずかの率ですが、その子供は、2人に一人はこの病気を発症します。

わたしが注目したいのは、発症が報告される民族や地域のほとんどは、これまで日本人の起源との関わりで取り上げてきたところが多いことです。

遺伝子の異常に起因する周期性発熱には、他にも家族性アイルランド熱あるいはTNF受容体関連周期性発熱症候群(TRAPS)があります。

これについても、先に紹介したサイトに説明があります、
http://www.printo.it/pediatric-rheumatology/information/Japan/13.htm

アイルランドと言えば、ケルトが多い地域です。

アメリカのケネウィックで見つかった古代人骨は当初、あるイギリス人との類似が注目されました。

その人の出身地は、ケルトが多いことで知られる土地なのです。

後で、アイヌとの類似が見つかりましたけどね。

 古代アメリカの先住民と日本先住民は、起源を同じくするのはほとんど常識になっているので当然過ぎる結果ですね。

幕末の日本に来たヨーロッパ人に中には、日本にはブリティッシュ的な顔の人々がいるという声もあったそうです。

 日本でも家族性アイルランド熱の発症例があるなら、ケルトで日本とアイルランドは繋がっている可能性を疑っても良いかもしれませんね。

遺伝子による病気の情報を戴いたことは、これまでの探求の裏が取れたに等しいので、本当に感謝です。

追記

家族性地中海熱(平成22年度)
http://www.nanbyou.or.jp/entry/707

1997年に家族性地中海熱の責任遺伝子として16番染色体に位置する MEFV (Familial Mediterranean Fever gene)遺伝子が同定された。

患者は変異型MEFVのホモ接合体もしくは複合ヘテロ接合体(compound hetero)となる。MEFV遺伝子のコード蛋白であるPyrinの機能異常が、病因に関連していることが示唆されている。

TNF受容体関連周期性症候群(平成22年度)
http://www.nanbyou.or.jp/entry/917

1999年にTNF受容体1型が責任遺伝子として同定され、その後欧米 を中心に日本、中東でも相次いでTNF受容体1型遺伝子異常が報告された。

常染色体優性の遺伝形式を示すが、家族歴のない孤発例も報告されている。

TNF 受容体1型の細胞外領域の特定のドメインに変異が集中しており、変異に伴う受容体の構造変化が病態形成にかかわっていると考えられている。

すなわち構造変 化をきたした変異受容体が細胞表面あるいは細胞内に過剰にとどまることが周期性に繰り返す炎症の原因であると推測されているが、詳しいメカニズムは不明である。

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報われる努力とは。

第一印象に欺かれた経験を持つ人の多くは、無意識のうちに願望や偏見や先入観で見る目が曇らされているのではないでしょうか。

つまり、こういう状態なのかもしれません。

心ここにあらざれば見れども見えず聞けども聞けず。

ありのままを見、聞き、感じる心がないと、人はかえって第一印象に欺かれさえするでしょうね。

そしてますます、直感をあてにしなくなり、猜疑心が膨らむでしょうね。

印象で物を言うな、論拠や証拠を示せという人がいます。

だが、第一印象というのは、案外的を得ている場合が多いのではないでしょうか。

真贋鑑定の名人や、優れた発見や発明ができる人はたいてい、最初の直観を大事にする場合が多いのではないでしょうか。

 直感の泣き所が、論拠や証拠よね。

エジソンの言う99%の努力の大半は、直感の裏を取ることではないでしょうか。

1%のひらめきと99%の努力。

この言葉はしばしば、こう言い換えられます。

1%のひらめきと99%の汗。

 努力と呼ぼうが汗と呼ぼうが、同じことなのね。

ひらめきがあったら、その裏を取るための、努力と汗を惜しんではいけないのでしょうね。

たとえ、ひらめきと思ったものが早とちりや勘違いだったとしても、裏を取る努力や汗で、本当のことがわかるでしょうね。

それを繰り返すうちに、何が本当で、何が偽りかが、感じ取れるような感性が磨かれてくるでしょうね。

 だから、エジソンは、こう言ったわけですね。

 天才とは1%のひらめきと99%の汗。

そういうことでしょうね。

原語は、こうだそうです。

Genius is one percent inspiration and 99 percent perspiration.

inspirationとperspirationの対比をし、さらに韻を踏んでいます。

perspirationとは、汗をかくことであり、汗をかくほどの努力という意味でもあります。

実際は「1%のひらめきがなければ99%の汗(をかくほどの努力)は無駄である」との発言だったそうですよ。

 1%のひらめきさえあれば、天才と思っている人もいるけど。

ひらめきも、誰かが本当であると証明しない限り、思いつきで終わるのではないでしょうか。

 99%の汗は、誰かが流さないといけない。

その99%の汗を、自ら流すことを厭わず、証明にこぎつけたから生前に天才と呼ばれるのかもしれません。

 でも、後の世になって証明されて天才だったとわかる場合もあるけど。

その場合でも、誰かが汗を流したからわかったわけではないでしょうか。

 そうですね。

でしょ。

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宇宙は本当に膨張しているのか?

ビックバンの前提、それは宇宙が膨張しているから、それを遡れば宇宙は一点に集中するというものです。

 では、ビックバンの前は。

宇宙は無から始まったという解釈が、定説になっています。

だが、ビックバン以前はどうだったかを研究しようとする人たちもいて、さまざまに仮説を立てています。

 決定打となる仮説は、ない。

さまざまに出ているが、これといった決め手に、どの説も欠けています。

今現在、ビックバンはインフレーションという段階から、もう少し落ち着いた膨張に移行したというわけです。

もっとも、やがてまたさらに膨張は加速するという説が展開されています。

 膨張しているという解釈の根拠は、赤方偏移でしたね

遠ざかる物体から発せられる光は、ドップラー効果により赤方偏移します。

近づく物体から発せられる光は、ドップラー効果により青方偏移します。

遠方の天体ほど、赤方偏移が大きかったというのです。

 ちょっと待って。

 遠くの光は、昔の宇宙から発して長い時間をかけて、私たちのところに届くのでしょ。

 つまり、遠くの天体の光ほど赤方偏移しているのなら、昔の光ほど赤方偏移していると解釈すべきなのでは。

とてつもない遠方の天体に、大きな加速を物語る観測結果が出ているのは確かなことです。

 遠くを見れば見るほど過去を見ているというのなら、過去の方が大きな加速をしていると解釈すべきなのでは。

宇宙は、膨張どころか、減速しているとみたいのですか。

現実の宇宙だけをみていたのでは、膨張か減速か、判定は困難ですよ。

 だったら、宇宙は減速して今の姿に落ち着いたと見ても良いのでは。

じゃあ、宇宙は無現に大きかったと見たいのですか。

 違うのですか。

重力赤方偏移が測定されていると、指摘したでしょう。

重力は、大きさと方向を持った引力からできています。

 引力はベクトルで表せる。

ベクトルは、合成できます。

距離を足し合わせれば足し合わせるほど、そこには多くの天体が存在するはずです。

泡構造があるので、連続的とはいかないでしょうけど。

 ベクトルとしての引力は、距離が大きくなるほど合成されて大きくなる。

ええ、距離が大きくなるほどその範囲に存在する天体は増えるはずでしょ。

 それで、赤方偏移が示唆する加速度はどんどん大きくなる。

加速度と重力は区別できません。

ベクトルとしての引力の足し合わせが、加速度の足し合わせと解釈されれば、膨張宇宙論となるでしょう。

けれど、遠くを見ることは、過去を見ることなはずでしょ。

だったら、過去になるほど加速度が増していると解釈しないと矛盾するでしょ。

ところが、現実の宇宙は、膨張している証拠も、縮小している証拠も、見えないのです。

すべては、遠方の観測結果の解釈から導き出された議論に過ぎません。

そして、青方偏移も観測されています。

最新宇宙論は、膨張宇宙と宇宙定数を結びつける方向に進んでいます。

 ところが、アインシュタインは宇宙定数を引力と大きさが同じで方向が反対と見なしたのですよね。

ならば、引力は万有、つまりすべての天体にあるから、斥力である宇宙定数も、当然すべての天体にある。

観測にかかった青方偏移は、偶然、複数の天体の持っている宇宙定数が合成されて引力に打ち勝った結果、観測されたのかも知れません。

通常、宇宙定数は、天体の中心に向かって大きくなる引力と反対に、天体の中心から宇宙に発散されて弱まっていくと予想できます。

宇宙定数が加算された結果が観測にかかるためには、地球が運よくその加速結果が届く範囲にいる必要があるでしょう。

 言い換えれば、加算された宇宙定数を観測できるであろうと予測できる範囲を特定して、注意深く探さないと見落としてしまう。

そうなるでしょうね。

ベクトルとしての宇宙定数の加算された先が、地球の方に見ていないことには、うまく捉えられないでしょうから。

極めて、その範囲は狭く、偶然に頼る限り観測数は偶然の悪戯で片づけられるくらいしか、得られないかも知れません。

 観測例が少ないのは、そのせい。

 重力赤方偏移と断定的出来る結果が、これまであまりないのも、意識的な観測がされてこなかったから。

赤方偏移は加速度のせいと、決め込んでいるから偶然にしか観測にかからず、データが少ないのは当然の結果なのです。

 ビックバン宇宙論が、無から宇宙を生んだ神様を信じないと成立しないのは、当然。

無から宇宙が生まれたと言いながら、原因が言えないなら、宇宙は神が作りたもうたと、科学者は教会でいうべきでしょう。

「ビッグバンはカトリックの公式の教義に矛盾しない」と言う声明を、1951年に教皇ピウス12世はバチカン宮殿で会議を開き発表していたそうですからね。

宇宙が光から生まれたとしても、無からではなく、混沌になんらかのショックが加わったと見るべきでしょう。

 そのショックはどこから。

その出所を、自然界に見いだせない限り、聖書の〈神は言われた「光あれ」すると光があった〉に対する効果的反論は難しいですね。

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えびす神社とキリスト?

えびす神社の名前に対し、こんな疑問が寄せられました。

えびす神社には、蛭子神社もありますね。

子といえば、神の御子であるキリストを連想します。

蛭は、昼=太陽と解釈するのは強引でしょうか。

西宮神社は日本全国にある事を考えると、西というは西日本を示唆しているのではなくて、日本人の起源が西方にある事に関係があるのではと思いました。

まず、蛭は、昼=太陽と解釈するという連想についてみてみたいです。

 蛭(ひる)は昼(ひる)に音が通じる。

 面白いですね。

昼=太陽みれば、イエスは義の太陽に準えられるので、蛭子を義の太陽である人の子を暗示しているとみてもいいかなと、思えますね。

 イエスは自らを、人の子と言い続けておられましからね。

それと、陰陽をカッバーラの正体と見る人もいます。

 そう見てよいなら、面白いことになりますね。

虫は、もともとは動物の総称です。

陰陽五行では動物を、五虫、つまり、毛虫・羽虫・裸虫・介虫・鱗虫に分けています。

毛虫は獣、羽虫は鳥やいわゆる虫、裸虫は人類、介虫は亀のようなかたい甲羅をもった類、鱗虫は魚類など鱗をもった類とするのです。

蛭を、至る虫と分解し、至る人と言い換え、至る先を神と見れば、神に至る人=イエスの暗示と解釈が可能になります。

 そうなると、蛭子=イエスとなり、えびす神社=イエスの神殿となる。

また、ヒルに「蛭」の字を充てた理由としては、マムシに噛まれた毒を吸い出させるために蛭が使われていたことも、ありそうですね。

 そういえば、調べてみると、日本の山間部の雑貨屋や、よろず屋などの生活用品雑貨店では、マムシに咬まれたときヒルに毒を吸い出してもらうために売っていた。しかしここ近年では見かけなくなっていた。・・・と、ありますね。

旧約聖書の民数記では、エジプトを離れたイスラエル人の一行が葦の海の途中までやってきたときに、苦しみに耐えかねて不平を言ったので神は炎の蛇を送ったので、かまれた人々の中から死者が出たという話があります。

民がモーゼに許しを願うと、モーゼは神の言葉に従って青銅で蛇を作り旗ざおの先に掲げ、この青銅の蛇を見たものは炎の蛇にかまれても命を永らえたのです。

この青銅の蛇は、イエスの予型と見られています。

実際、イエスには癒しの奇跡が伝えられています。

えびすには、蛭子の他にも、胡、夷、戎、恵比須、恵比寿、恵美須などの書き方があります。

胡は西アジアを指す文字なので、ついでに、西宮についても、触れてしまいましょう。

西は、日本人のルーツである西アジアとみることも可能でしょう。

 日本人の西アジアからの道には、東回りのほか、西回りも考えうるのでしたね。

それで、胡や西宮も陰陽で、解釈してみたいです。

西は陰に配され、神を含む魂の世界の方角とされます。

そこで、西=神の国と置くなら、西宮は神の宮、つまり、この一言だけで神社、あるいは神殿となるでしょう。

さらに、陰は、現在は神の世界に隠れておられるイエスの暗示となり、西宮は天のイエスの神殿という見方もできるかと感じられますね。

夷と書く場合には、弓を構える人の象形という本来の解釈より、弓の長さに注目し、陰陽では長いものを風や息や声に配するので、神の声を託された預言者としてのイエスが連想できます。

 弓は、矢を放ちますね。

矢は、ヤハウエのヤに通じ、弓(きゅう)は旧(きゅう)に通じるので、旧約のヤハウエであったイエスを夷の字で表す意図も、見えそうですね。

戎は、中国語では、古代の兵器や軍、あるいは単に、軍隊や軍事や兵隊という意味も持ちます。

一方では、古代における西方の民族を指す言葉でもありました。

つまり戎とは、軍事に長けた西方の民のことを呼んだと見ることもできます。

さらに、戎(じゅう)という読みから、「じゅう」と呼ばれる民族であったと解釈するなら、軍神としての側面を持つヤハウエの民であるユダヤを連想できます。

ユダヤはジュウとも、呼ばれるからです。

それに、恵比須、恵比寿、恵美須は当て字であることを思えば、中国的発音から見てへブル(heburu)からの音韻転化は十分あり得たと見ても良いと思えます。

平唇音化するとheはhui、buはbi、r音は、sやshuに容易に転化し、heburuはhuibishuに転化したのかも知れません。

 つまり、えびすは西方の民であるユダヤを指し、神としてのえびすは、ヤハウエを指し示す。

少なくとも、えびすはヤハウエを指すという解釈はあり得るし、字からすれば、イエスとみることも、可能でしょうね。

これは、どこまでも解釈であり、言い切るには、さらに情報を集める必要があります。

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電子に本当に質量ゼロはあるか。

2012年2月1日、この記事が出ました。

難しい話なので、こんなこともあるのか、くらいに思ってください。

広島大、質量ゼロ電子を新発見 超高速コンピューターも

http://www.47news.jp/CN/201202/CN2012020101002077.html

 特殊な絶縁体の表面などに存在することが知られている質量ゼロの電子の一種として、新しい性質を持つ電子を発見したと、広島大チームが1日、発表した。
将来の超高速コンピューターの開発などが期待できるといい、近く米物理学会誌に掲載される。

 チームは、電気抵抗が大きく、電球のフィラメントなどに使われる金属タングステンに着目。

表面を動く電子の速度やエネルギーなどの性質を詳しく調べ、質量を持たない電子を発見した。

 質量があり金属の内部を自由に動く電子と比べ、質量を持たない電子は高速で移動できるため、計算速度の早いコンピューターなどにつながる可能性がある。

質量ゼロの電子には、以前にもこのような興味深い記事がありました。

東北大ら、質量ゼロの「ディラック電子」に質量を自在に与える技術を開発

http://news.mynavi.jp/news/2011/11/11/012/index.html

東北大学および大阪大学、高エネルギー加速器研究機構(KEK)は11月10日、「トポロジカル絶縁体」における質量ゼロの「ディラック電子」に対し、質量を自在に与える新しい技術を開発したと発表した。

開発は、東北大学大学院の佐藤宇史准教授、大阪大学産業科学研究所の瀬川耕司准教授と安藤陽一教授、および東北大学原子分子材料科学高等研究機構の高橋隆教授らによるもので、成果は英科学雑誌「Nature Physics」2011年11月号(オンライン版は8月14日に公開)に掲載された。

トポロジカル絶縁体はその名の通りに絶縁体の一種ではあるが、通常の絶縁体とは少々異なる特徴を持つ。

物質内部は電気を通さないが、表面にだけは電気を流すという特殊な金属状態が現れる物質で(画像1)、「スピントロニクス」デバイスの新材料として注目されている。

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画像1。トポロジカル絶縁体のイメージ。2次元物質では端を、3次元物質では表面をアップスピンとダウンスピンの電子が逆向きに動く。
これらの電子は質量ゼロの粒子(ディラック電子)として振る舞う

トポロジカル絶縁体のカギとなっているのが、物質中で質量ゼロの粒子のように振る舞うディラック電子である。

ディラック電子は、電流の向きによって電子の持つ磁石の性質(スピン)を制御できるため、電荷とスピンを制御して利用する次世代の情報通信技術であるスピントロニクスへの応用が期待されているというわけである。

研究グループは今回、昨年発見されたトポロジカル絶縁体「TlBiSe2」(Tl:タリウム、Bi:ビスマス、Se:セレン)と、絶縁体「TlBiS2」(S:硫黄)を混ぜ合わせた結晶を育成し(画像2)、そのバルク(物質内部)および表面の電子エネルギー状態を、KEKのフォトンファクトリーのビームライン「BL-28A」と、東北大の「光電子分光装置」を利用して、「角度分解電子分光」によって決定した(画像3・4)。

なお、角度分解光電子分光とは、光電効果によって飛び出した光電子のエネルギーの放出角度依存性を測定することにより、物質中の電子状態を調べる方法のことだ。

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画像2。トポロジカル絶縁体TlBi(S1-xSex)2の結晶構造(画像提供:東北大学)

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画像3。ディラック錐状態における電子のエネルギー関係の模式図。エネルギー分散が直線的であるために電子の有効質量がゼロとなり、電子がディラック粒子的な振る舞いを示す。

ディラック電子が質量を持つと(左→右)、ディラック錐の上下が分裂してエネルギーギャップが生じる(画像提供:東北大学)

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画像4。角度分解光電子分光で測定したTlBi(S1-xSex)2のエネルギー状態。明るい部分が電子の存在する部分を示す。

x=1.0ではX字型の形状を示すディラック錐が観測され、それ以外ではX字型の状態が上下に分裂して、エネルギーギャップが生じ、ディラック電子が質量を持つ(画像提供:東北大学)

結果、TlBiSe2のセレン原子の一部を硫黄原子に置き換えることで、ディラック電子に質量を与えられることが発見されたというわけだ。

さらに、その質量は硫黄の組成比によって自由に制御できることも判明したのである。

これは、トポロジカル絶縁体表面におけるディラック電子に、これまでとはまったく異なる方法で自在に質量を与えられることを実験的に示した初めての事例だ。

研究グループは、ディラック電子に質量を持たせてその運動を制御する技術は、トポロジカル絶縁体を利用した次世代省エネルギーデバイスや量子コンピュータなどの開発の新たな指針となり、またHDDを大容量化させた巨大磁気抵抗効果に代表されるスピントロニクス技術の新しい展開が期待されるとしている。

質量のあるはずの電子には、質量ゼロの状態があるのか、程度の理解で結構です。

 質量ゼロ電子に、質量を自在に与えるって不思議。

 質量ゼロ電子は、高速で動ける点に注目されていますね。

質量ゼロとして振る舞うので、力はすべて運動エネルギーに転化できますからね。

質量ゼロ電子で思い起こしたいのは、固体プラズマという状態があることです。

普通の物質は固体、液体、気体のいずれかの状態です。

プラズマは、それに並ぶ物質の状態といわれます。

宇宙の大部分は、プラズマ状態であると言われています。

プラズマは、このように定義されます。

プラスの電気を持つ粒子とマイナスの電気を有する粒子がほぼ同じ密度で存在し、 全体として電気的にほぼ中性状態であるような粒子集団。

この固体プラズマは、半導体研究ではよく出てくる考え方のようですね。

 プラズマ状態と、質量ゼロ電子には、なにか関連があるのかなあ。

プラズマ状態ということは、裏を返せば、光に満たされた状態とみてもいいでしょうね。

 そして、光子は質量ゼロの粒子として、振る舞っている。

質量ゼロ電子には、光子が深く関わっている可能性はあり得ますね。

 光と重力は、波として見た場合、同じ形式の式になるのでしたね。

電子は光に包まれて、質量ゼロとして振る舞っていると見たら、どうなります。

 光を、重力と置き換えたら、あらゆる方向から重力が電子に働きかけているのと同じ。

あらゆる方向から同じ大きさの力が働く空間が、電子を包んでいるとしたら、どうなります。

 すべての力は釣り合い、打ち消し合う。

 そうか。

 無重量状態になりますね。

質量ゼロ電子と見るから、おかしくなるのですね。

 重量ゼロ状態の電子。

質量の大きさは、体積や重量で表されるでしょ。

 特に、重量。

質量ゼロ電子の質量を自在に操るのは、アインシュタインの有名な式のおかげでしょうね。

 E=mc²ですね。

m=E/c²と変形できますよね。

 そして、質量ゼロ電子の状態化でなら、与えるエネルギーで見かけの質量mを操れる。

そういうことでしょうね。

 光子の振動数が、あたかも質量として振る舞うのと同じ原理ですか。

おそらく、そうでしょう。

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聖書と稲荷?稲荷とキリスト?その2

稲荷とイエスを、結び付けたくなる話は、いろいろあります。

『山城国風土記』逸文には、このような伊奈利社(稲荷社)の縁起があるというのです。

秦氏の祖先である伊呂具秦公(いろぐの はたの きみ)は、富裕に驕って餅を的にした。
するとその餅が白い鳥に化して山頂へ飛び去った。
そこに稲が生ったので(伊弥奈利生ひき)、それが神名となった。
伊呂具はその稲の元へ行き、過去の過ちを悔いて、そこの木を根ごと抜いて屋敷に植え、それを祀ったという。
また、稲生り(いねなり)が転じて「イナリ」となり「稲荷」の字が宛てられた。

過去の過ちを悔いてといえば、キリスト教の懺悔が連想できます。

稲荷をINARIと書くと、Aを抜くとINRIなので、稲荷はINRIの当て字であるという説を唱える人もいます。

INRIとは、“IESVS NAZARENVS REX IVDÆORVM”の略です。

もちろんINRIとは、古典ラテン語で、“イエス ナザレの人 ユダヤの王”という意味です。

そういう話をしていたら、こんな感想が寄せられました。

稲荷は、復活の初穂としてのキリストを暗示しているのではないでしょうか。

油揚げは、油注がれた者としてのメシアであるキリストを暗示しているのではないでしょうか。       

確かに聖書の中でイエスは、初穂に例えられています。

コリント人への第一の手紙第十五章十五節から二十節です。

十五 すると、わたしたちは神にそむく偽証人にさえなるわけだ。
なぜなら、万一死人がよみがえらないとしたら、わたしたちは神が実際よみがえらせなかったはずのキリストを、よみがえらせたと言って、神に反するあかしを立てたことになるからである。

十六 もし死人がよみがえらないなら、キリストもよみがえらなかったであろう。

十七 もしキリストがよみがえらなかったとすれば、あなたがたの信仰は空虚なものとなり、あなたがたは、いまなお罪の中にいることになろう。

十八 そうだとすると、キリストにあって眠った者たちは、滅んでしまったのである。

十九 もしわたしたちが、この世の生活でキリストにあって単なる望みをいだいているだけだとすれば、わたしたちは、すべての人の中で最もあわれむべき存在となる。

二十 しかし事実、キリストは眠っている者の初穂として、死人の中からよみがえったのである。

INRIに漢字をあてる際に意味と音の両方から稲の字を用いたとみれば、説得力は出ますね。

ただ、稲荷のほか、稲生や稲成とも記します。

 荷の字は、ゴルゴダの丘で荷った十字架を思い起こせますね。

実際は、刑場の杭に付ける横棒だけを荷ったそうですね。

稲光や稲妻のように、雷の光や音を表すのに稲の字が当てられます。

稲光は文字通り光だけを表すのに対し、稲妻は雷鳴と電光の合わせた表現です。

イエスの誕生の際、夜にもかかわらず昼のように明るくなり空から声が聞こえたというのです。

それも、かなり広い範囲だったそうです。

稲生と言う書き方があるのは、イエス誕生の際の光と音を稲妻になぞらえている可能性はありますね。

ついでにいうと、聖書にはイエス・キリストを受け入れたクリスチャン達は「キリストの花嫁」となったと書かれています。

稲妻は、イエスの妻、すなわち花嫁とも解釈できます。

 御父は人々にイエスに帰依しろと、御父の声は求めているわけでしょ。

 イエスの花嫁になれ、という諭しとみれば、確かに稲妻と言えるかも。

さらに、イエスの誕生はモーセの訓戒、いわゆるモーセの十戒の成就と位置付けられています。

稲成とは、イエスによってモーセの十戒は成就したという気持ちも込められていると、解釈できそうですね。

どこまでも、解釈ですけどね。

 油揚げを、肉の代用として調理に使うこともありますね。

そう見れば、油揚げが油注がれた者としてのメシアであるキリストを暗示しているとみても、面白いですね。

そもそも、キリストの語源とされるメシアのもともとの意味は「油注がれた者」ですよ。

この油とは、オリーブ油のことです。

 秦氏の氏神であったとされる稲荷にも、こういう解釈ができてしまう。

 これでは、秦氏にキリスト教徒説が出ても、仕方ないですね。

ただ、こういう解釈ができる事柄が多いこと自体、稲荷を氏神としたとされる秦氏にキリスト教徒説が出る原因になっているわけですがね。      

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