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2012年3月

稲荷と厄除け?稲荷とキリスト?その3

稲荷の鳥居で、赤い場合は火に配された地が上に来るので、水に配された黒の天が下に来ることになると、言いました。

 でも、赤くない鳥居もあるでしょ。

赤くない鳥居の場合、たいてい白っぽいでしょ。

 白と言えば、白いですね。

白は、陰陽では金に配当されます。

金生水の呪術になるので、水を掌る呪術としては、実はこれでも良い訳ですよ。

 じゃあ、ほとんどの神社は、水を掌る呪術を地域にかけているのですよね。

そうなりますね。

ところが、稲荷は、どうもそれだけではないようなのです。

稲荷神社には、若干例外もあるけれど、たいてい白い狐がいますよね。

 伴っているのは、宝珠や巻物が多いですね。

円は、陰陽では天に配当されます。

 そして天は、神が居られるところ。

 白い狐は、神の使い。

でも、それなら球でも良いでしょ。

 そういえば。

宝珠ということは、白い狐は法を掌る神の使いという、意味が込められているかもしれませんよ。

 巻物をくわえている場合は。

神の使いである以上、何か大切な文書でしょうね。

 奥義を記した、虎の巻。

虎は寅に通じ、丑寅といえば、鬼門ですよね。

そして、鬼は陰(おん)の転化と見られています。

通常であれば、まず明かされることのない内容である奥義を記したからこそ、寅の巻であり、虎の巻となるのでしょう。

稲荷で、どうしても気になっていたことがあるのですよ。

それは、祀られ方なのです。

境内社として祀られる場合、合同庁舎ならぬ合同祠とでも言いたくなるような祀られ方は、稲荷にはほとんど見られません。

合同の祠に祀られる可能性が少ないのは、今まで見た限りでは、稲荷神と弁才天、そして宗像神くらいに思えますね。

稲荷神は、合同の覆い堂に祀られることはあっても、合同の祠に祀られているのを見る可能性は、低いでしょうね。

 ほかの神と合祀されている場合なら、あるけど。

稲荷神は、いくつかの神と合祀された神社はあっても、いくつもの扉が並ぶ合同の祠に祀られた例は、少なくとも今までは見たことがありません。

全部の神社を巡ったわけではないので、断言はしませんが。

逆に、境内社でありながら、主祭神の神社の鳥居の色まで赤くしてしまう場合さえあります。

さらに、覆い堂の中に稲荷神社が祀られる例も、あります。

覆い堂の中に祀られる場合、稲荷神社には供物がいつもあるようです。

 まるで、神棚ではないですか。

神社の中で、主祭神の御前に献げられるなら、まだわかりますよ。

境内社ですからね。

ところがある日、謎を解く手がかりになるかもしれないものを、目撃したのです。

 稲荷の白い狐と言えば、何かがある場合、巻物か宝珠ですよね。

 鳥居は、赤いとは限らないし。

奇妙な狐を、見たのですよ。

手の下に、なにやら渦のようなものを抑えていたのです。

 巻物なわけないですよね。

 宝珠ならあり得るけど。

 宝珠は、同心円だし。

抑えている渦状のものは、四角かったから巻物ではありえません。

どう見ても、厄の字から部首の雁垂をとった形なのです。

 つまり、厄封じ。

そうかも、知れません。

そうなると、稲荷神とは法を掌る神の使いにして、奥義を伝える権限を持ち、厄封じの役目も持った、存在という事になるでしょうね。

 稲荷神は、境内社の中でも別格だから、覆い堂が作られる場合がある。

 稲荷神は、秦氏の氏神でもあったでしょ。

 そして、秦氏は神道や仏教に、大きく関わってきた。

稲荷神は、日本の神々の中でも、特別な位置付けにありそうですね。

 厄封じの役目も持った存在ということは。

 神の命令によっては、厄を解き放って人々を罰する権限もありそう。

祟り神としての顔も持つ稲荷だから、別格扱いで機嫌を取った。

ありえますね。

しかも、法を掌る神の使いにして、奥義を伝える権限を持つとしたら、敵に回したら相当厄介な神ですよ。

 その稲荷に、INARIはINRIに音が似ている。

 稲荷はINRIの当て字であるという説を唱える人もいる。

INRIとは、“IESVS NAZARENVS REX IVDÆORVM”の略です。

INRIとは、古典ラテン語で、“イエス ナザレの人 ユダヤの王”という意味です。

イエスは、法を掌る神である御父の使いにして、奥義を伝える権限を持ち、御父の命令によって厄を解き放って人々を罰する権限もある、お方ですよね。

 これでは、秦氏にユダヤ人キリスト教徒説が、出ても当然過ぎますね。

そうですねえ。

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TPPとISD条項の本質的危険性を見抜けない研究者は経済の本質を知らない?

economyの訳語が、経世済民の略語である経済です。

生態学や自然環境保護運動を指すecologyと、語源を共有する言葉なのです。

 語幹は、economyもecologyも、ecoなのですね。

そもそもeconomyは、家計をやりくりする家政から生まれた言葉です。

事故をおこしたら放射能を撒き散らして、安心して暮らせなくなる原発を家に置くのがまともな判断ですか。

 ない方が好ましいものなら、なくてもやりくりしてこそ経済ですね。

日本共産党はかつて天皇制廃止を掲げ、表向きは下ろしてないが、今はもう当面の課題としていません。

 日本共産党が反対したのは、多くの民衆を参政権から締め出していた制限的な選挙権の上に君臨していた絶対主義的天皇制だった。

国民あっての国であり、国家である以上、国民こそ国と国家の所有者であるべきという立場でもあったわけです。

 その、国民の正当な権利を制限する存在としての絶対主義的天皇制だったから、廃止を要求した。

そういう側面は、あるでしょうね。

国民の合意に沿って改革を前進させる路線だから、合意形成がない限り参加した政権下であっても天皇制には手を付けないのが、現在の方針です。

 そういえば、連立以外のやり方で政権に就く気は基本的にないといってますね。

今の日本国が大日本帝国の継承国家であり、古代から続く天皇所有国家の継承国家である以上、主権在民の政体も貴族から武士への執権の移行の延長線上です。

国家所有者である天皇の認証が、だから政権交代のたびに必要なのです。

 多くの国で、王政や皇帝を廃したのは、言ってみれば政治制度としての国家の所有権を争ってきた歴史の延長線上ということでしょうか。

 国民が、王や皇帝に代わって国家の所有者になるのが共和制。

それに対して、王から国家の所有権を奪わず執権の地位に国民が全体で就こうとしたのが立憲君主制と言えるでしょうね。

一企業のわがままを主権者の意思の上に置こうとするISD条項は、もし今でも日本が絶対主義的天皇制下であったなら、天皇の大権の上に外国企業のわがままを置くことであり不敬罪で罰せられるところでしょう。

 その天皇から、執権の地位を与えられているのが日本国憲法で主権者と宣言された国民ということ。

経済がもともと家政を意味するeconomyの訳語であるなら、国家や世界の経済も家計と見るべきでしょう。

主人公である国民や住民の意思の上に、本来は生計の手段でしかない企業のわがままを置こうとするISD条項は邪道以外何物でもないとなるでしょう。

民主主義と経済の本義に反する条項を持つと判断するからこそ、TPPには断固反対なのです。

国家の主権者こそ、国家の運営に最終的な権限と責任を負うべきではないでしょうか。

 一家の運営は、家族の選択と責任でなされるべきであり、それは社会の規範に反しない範囲でなされるべきという事ですね。

社会の構成員の合意によって、作られるからこそ皆を拘束する社会規範になり得るわけでしょ。

その、社会的合意と矛盾していないことこそ、法の存立基盤であるべきはずです。

 王だろうか、皇帝だろうが、天皇だろうが、社会的合意に反した法や命令をだして、徹底できたためしはない。

一時は執行できても、国民との矛盾を深めて廃止や撤回に追い込まれてきたのは歴史の示すところでは、ないでしょうか。

 まして、国内になんの権限をもついわれもない外国企業に、法を左右させるなど論外。

外国勢力が、内政に深く干渉できたのは歴史的には属国か植民地だけでは、ないでしょうか。

 不平等条約であっても、治外法権を認めさせることはあっても、相手の国の法体系の変更までは求めなかった。

相手国の法の外に自分たちを置くのが、治外法権でしょ。

治外法権撤廃に動いてきたのが、主権国家確立の流れであったわけでしょ。

 明治政府も、幕末に結ばされた不平等条約撤廃に苦労しましたね。

制度をどんなに整え、法体系を整備しても、西欧列強は日本を近代国家の一員となかなか認めようとしなかったでしょ。

 結果として、日本も植民地争奪競争に参加を余儀なくされたのでしたね。

ISD条項で国内法を歪めるTPPを改めさせるためには、アメリカに日本の国力を思い知らせる相当な行動が余儀なくされる可能性が強いですよ。

 アメリカが態度を改めない限り、憲法9条を変えて対米戦も辞さない方向に追い込まれるかもしれない。

だから、TPP断固阻止を言い続けたいのです。

そうでないと、経済そのものが本来の趣旨から逸脱していくでしょうから。

 経済は、経世済民の営みであった家政の原点に戻れと言いたい。

そういうことです。

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太陽と水。

太陽は水の天体と思えると話していたら、こういう質問が、寄せられました。 

太陽には水分子が見つかり、表面が沸いているように見えるのですね?

本当に太陽が水で覆われてたとして、発熱で沸いていたら、水は蒸発してなくなってしまうのではないでしょうか?

蒸発したのが、雲となり、地球と同じく局地的に雨を降らせて循環させてるのでしょうか…

水は100°が最高ですよね?

太陽の熱は光の熱なんですね。

こう言う内容です。

高温化したプラズマとなった大気から、太陽の光と熱は来ているように見えます。

高温化したプラズマに覆われた太陽の水は、かなり温度が高いように見えます。

太陽表面の高温も、太陽の強力な重力の仕業によって沸点が高まっている可能性はありかもです。

地球でさえ、高い山の山頂付近にもなれば沸点は下がり美味しいご飯が炊けないです。

逆に、重力が地球よりはるかに強い太陽であれば沸点の温度はかなり高いところにあると推測できます。

 それでは、太陽表面の水は沸騰してはいないでしょうね。

沸かし続けているスープや味噌汁の表面が連想できる映像が撮られているので、沸いているように見えると言ったのです。

 太陽の大気中にも、水分子の確認はできるのよね。

ある程度、表面の水は蒸発しているでしょうね。

 地球でも海などから蒸発しているから、太陽でも当然そうでしょうね。

太陽の水は、大気との間で循環しているのかも知れないですね。

太陽内部の水は、おそらく熱せられた対流する泥水であり、湧いているように見える表面の水は上澄みのようであるかも。

 その泥は、宇宙の塵を取り込んでいるから。

大半の天体は、多かれ少なかれ、宇宙の塵で汚れた水を取り込んでいるかも知れないですよ。

彗星も、汚れた雪だるまを連想したほうが良いようですから。

 そういえば、太陽はありふれた星と見られていますね。

似たような天体は、宇宙にたくさんあると思っておいた方が良いでしょうね。

 大きさで恒星か惑星か、判断できないわけだし。

 ガス惑星と見られていた天体も、どうもそうではないという流れになってきているし。

つまり、大きさに関係なく、水天体である恒星があり得るのですよ。

 ここで考えたことは、多くの恒星でも起きているかもしれない。

可能性は見ておいた方が良いでしょうね。

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シべリオオオヤマネコの分布と日本人?

オオヤマネコは、ネコ科オオヤマネコ属 Lynx に属する中型獣の総称です。

欧米での呼び方をそのまま用いて、リンクスと称することもあります。

オオヤマネコはユーラシア中北部に分布する文字通り大型のヤマネコです。

耳の先の冠毛と両頬の長い毛が目立ちます。

脚が長いので肩高は60から70cm、シェパードや秋田犬くらいもあるのだが、体はもっと細いです。

シェパードの雄の標準体重は32kg、秋田犬は36~48kgもあるが、オオヤマネコは25kgを超えるものは少ないです。

体長85から115センチです。

尾はごく短く、これは他のネコ科動物には見られない特徴です。

オオヤマネコの足は、目立って大きく幅広いです。

このため雪の中を活発に行動でき、獲物をがっちりと捕らえられます

尾が短いにもかかわらず、木登りは巧みだし、優れたジャンプ力も持っています。

最高時速は25kmに達せず、ハンターが全力で走れば追いこせると言われます。

だが、オオヤマネコがカンジキウサギに追いつけるところから、短距離ならばそれより速く、おそらく時速48kmで走れると指摘する声もあります。

狭義のオオヤマネコは、オオヤマネコ属の種の1つ、ユーラシアオオヤマネコ、ヨーロッパリンクスとも呼ばれるヨーロッパオオヤマネコ Lynx lynxを指すです。

オオヤマネコ属には、ヨーロッパオオヤマネコのほか、カナダオオヤマネコ Lynx canadensis 、スペインオオヤマネコ Lynx pardinus 、ボブキャット Lynx rufus の3種が属します。

アメリカに生息するカナダオオヤマネコは平均12キロ、ユーラシアに生息するヨーロッパオオヤマネコは平均22キロと体のサイズに開きがあります。

北米・ヨーロッパ・アジア北部に生息します。

雪の上でも楽にジャンプできるため、行動範囲が広く1晩で40km移動することもあります。

カナダオオヤマネコは主にネズミやリス、昆虫、鳥、ウサギを捕食し、ヨーロッパオオヤマネコはこれらに加えシカなどの大きな獲物も狙うことがあります。

天敵はピューマなどのより大型のネコ科動物です。

ユーラシアオオヤマネコ、ヨーロッパリンクスとも呼ばれるヨーロッパオオヤマネコには、ヨーロッパ北部からシベリアまでを生息域とするシベリアオオヤマネコを同種とするかどうかという議論があります。

シベリアオオヤマネコの生息域では、シベリアオオヤマネコの他に、オオヤマネコ、ユーラシアオオヤマネコ、ヨーロッパオオヤマネコという記述もあるからです。

シベリアオオヤマネコの体長は67から130cm、尾長は10から30cm、体重は15から35㎏で、身体的特徴も似ています。

もし、シベリアオオヤマネコとヨーロッパオオヤマネコを同種とみて良いなら、日本と重なる生態が広がるアムールトラの数少ない生息域となったシベリア極東部のヤマネコと、かつて日本にいたヤマネコはシベリア経由であった可能性も出てきます。

 古代日本のオオヤマネコは、ヨーロッパからアメリカ経由ばかりではないかもしれない。

シルクロード北方ルートよりさらに北の道も、古代日本のオオヤマネコの渡来ルートとして考えるべきかもしれません。

 日本人の目鼻立ちは、中国や、朝鮮・韓国より、西アジアや、中央アジア、シベリア、南アジアや東南アジアに住む人たちとむしろ似てますね。

 もちろん、隣国である以上、中国や朝鮮・韓国と似た顔の人もいますけど。

ロシアで秋田美人そっくりの女性たちに出会った人たちがいる話も、しましたね。

 シベリアオオヤマネコの生息域は、あたかも、北と西から中国を包むように広がっていますね。

アジアでヤマネコの話題を聞かなかった理由は、この生息域の広がりと関係ありそうですね。

 スカンジナビア半島やカスピ海を挟む地域にも、シベリアオオヤマネコの分布は見られますね。

 スカンジナビアと言えば、スエーデンやフィンランドと日本を比べて見ましたね。

 フィンランドはもちろん、スエーデンも日本との類似を言う人がいるでしょ。

シベリアオオヤマネコの分布と、西方から北方にかけての日本人との類似が多く見られる地域は、奇妙なほど重なるようですね。

カスピ海を挟む地域といえば、中東にも近いですね。

 縄文遺跡からも、オオヤマネコの骨は見つかるところがあるわけだし。

 オオヤマネコと一緒に、古代日本人も移動したのかしら。

 少なくとも、一部は…。

さあ、どうなのでしょ。

縄文のオオヤマネコが、比較的小柄なカナダオオヤマネコに近いかどうかで、判断できるかも知れないですね。

 縄文とアメリカの繋がりは大きいから、縄文のオオヤマネコはカナダオオヤマネコなのでは。

 フランスやスペインの様式の鏃を伴って、イギリス的な顔の人骨がアメリカから出ている。

 アメリカ先住民と日本は、遺伝子でも、繋がりが見える。

 縄文的な土器も、アメリカから出ている。

少なくとも、縄文人の多くは、太平洋やアメリカ、大西洋を渡ってきたと見る方が自然ですかねえ。

 カナダヤマネコと一緒に。

はてさて、大人しく船に乗ってくれたでしょうかねえ。

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諏訪と周防に共通点?

諏訪(すわ)と周防(すおう)、この音のなんとも言えない微妙な類似です。

 なんか気になるね。

諏訪と書けば、素直に読めば諏訪(しゅほう)であって、諏訪(すおう)に転化してもおかしくないです。

周防もまた、素直に読めば周防(しゅほう)となるのです。

日本語の仮名表記では、濁音も濁点が省かれる場合が多かったからです。

旧仮名遣いは、日本語はかつて二重母音であったことを示しているのです。

それも、イ+母音のヤ行より、ウ+母音のワ行に近い、丸唇音的発音がされていたのです。

丸唇音的発音では、濁音は巻き舌音になりやすく、はっきり濁るか、かすれて聞き取りにくくなるか、どちらかなのです。

仮名で記す時、濁点が省かれやすかったのは、濁りそのものがかすれて聞き取りにくかったからかも知れないです。

さらにいえば、周防(すおう)は元は周芳と記したのです。

 周芳は、素直に読めば"しゅうほう"なはずね。

ならば諏訪=周防="しゅうほう"、だったはずでは、なかったでしょうか。

"しゅうほう"を巻き舌音で発音したら、"しゅほぅる"に近くなりはしないでしょうか。

そして、"しゅほぅる"は、一方で"すわ"、もう一方で"すおう"に転化したと見れば、説明はつくように思えます。

さらにいえば、諏訪も周防も"しゅほぅる"だったとしたら、どうなるでしょう。

 "しゅほぅる"と"しゅめぅる"、似てるのでは。

同じ丸唇音的発音でも、比較的平唇音に近い場合"しゅめぅる"、比較的丸唇音の傾向が強い場合"しゅほぅる"、と容易に相互転化しやすいから、似てもおかしくないのです。

 諏訪神社は、日ユ同祖論者が熱い視線を寄せる存在だったはずよね。

諏訪という名前を音から見ると、スメルが現れてくるように思えてくるのは面白いです。

 日ユ同祖論者は、アブラハムの出立の地はウルであり、スメルの都市だったから何の問題もないというかも。

スメル語源説も展開できる可能性が見える以上、日ユ同祖論者は古代イスラエルとスメルの関係をちゃんと説明したほうが良いでしょうね

とはいえ、スメル渡来論者も、諏訪に見える聖書との類似の指摘をスメルの歴史や文化で反論できないと、せっかくの可能性を生かせずに終わります。

追記

「日本人シュメール起源説」の謎
http://hexagon.inri.client.jp/floorA3F_hb/a3fhb301.html

まず最初に山口県下関市の西端、関門海峡を目の前にする彦島から、奇妙な模様=「ペトログラフ」を刻んだ石が次々に発見された。

解読を進めるにつれ、驚愕の事実がわかってきた。

なんと、それは、シュメールの古代文字だったのである。

更にこの後、ペトログラフは、九州北部と山口県西部の各地で相次いで発見された。

このペトログラフの発見のニュースは、日本国内よりも海外でより注目され、高く評価されている。

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右と左と日本とヨーロッパ。

文化の中の順序、特に左右反転について、こういう質問が寄せられました。

日本語の表記、昔は右から左へでしたよね?

アラビア語もそうですが、東南アジアの言語や古代のアラム語とかヘブライ語はどうなんでしょうか。

ヨーロッパ言語は左から右ですよね?

そもそも、なぜ右から左へ文字を書いたか不思議ですが。

それと、歩行者は、もともとは右側通行であったのが、武士の左腰に差している刀がすれ違い様に接触し喧嘩になる事が多々あり、左側通行に変えたという話を聞いた事があります。

真偽は不明です。

左右の転換は何らかの意味が隠されているのでしょうか。

この質問にあるように、左右や順序、方向については、面白いことが多いですね。

ユーラシア大陸の西は陰、ユーラシア大陸の東、特に日本を陽とするかのようだ、と指摘する人もいます。

 ヨーロッパを陰とすれば、アジア、特に日本が陽。

ヨーロッパの語源は、ギリシア神話に登場するエウロパ、ユーロパとも呼ばれる美女エウロペに由来するといいます。

エウロペは、テュロスのフェニキア王アゲーノールとテーレパッサの娘で、美しい姫であったと伝えられます。

エウロペの名前の由来は、よくわかっていません。

ギリシャ語の“目を広げる”という意味であるとか、フェニキア語の“西の夜”のことだとか、ヘブル語の“闇”から来たと、さまざまに言われます。

 繋げてみると「夜の闇で目を広げる」となって、基本的に同じことをいっているように思えませんか。

確かに、エウロペは、イブニングと共通の語源から出てきた名前のようにも、見えますね。

 聖書に出てくる、エバとも呼ばれるイブが、語源でしょうか。

可能性は、ありそうですね。

 だとすれば、昼を陽としたら、夜は陰、という事に繋がる。

 東の日本は国名からして陽、西のヨーロッパは語源からして陰、なのでしょうか。

まるで、陰陽に対応するよう意図して、日本とヨーロッパというそれぞれの名前が出来たように見えるとしたら、面白いですね。

タイ文字,ラオス文字,クメール文字などの東南アジア大陸部の文字は、南インド系文字の古い特徴を共有し左から右に横書きされるようですね。

インドヨーロッパ語族というくらいだから、ヨーロッパも古来左から右に横書きだったのかもしれないですね。

アラブ文字は、時代を遡るとへブル文字に似てきます。

 アラブ文字は、へブル文字と共通の起源をもつのでしょう。

アラブの祖とされるイシュマエルは、アブラハムとエジプト女性ハガルの子と伝わります。

それに、へブル文字もエジプトのヒエログリフから生まれた大衆文字が元になって生まれたという指摘もあります。

もしそうなら、アラブ文字も、へブル文字も、ヒエログリフから派生したことになるでしょうね。

アラム語もヘブル語の方言なので、いずれも右から左に書いていた見て良いでしょうね。

横書きで右から左に各文化では、縦書きもしているか、かつてはしていたことはあるでしょう。

今のアラブ文字で縦書きは難しいでしょうが、へブル文字なら縦書きは可能です。

横書きで右から左に書く文化も、一字で改行している縦書きという、発想なのかもしれないですね。

文字の書き方の左右のような例外はあっても、大きく見れば、アジア、特に日本とヨーロッパでは逆になると言われる事柄は、いくつかありますね。

鋸や鉋といった道具類、日本語で文末に来ることが多い「です」や「ます」にあたる語が、ヨーロッパでは文の前半に来る。

質問文など、ヨーロッパ語ではしばしば、Are you?のように文頭にきますね。

 名前も、ヨーロッパは苗字が後の場合が多いですね。

シルクロードを旅してきた人は、日本のバスに乗るとシルクロードでバスに乗っている錯覚にとらわれると言います。

日本に向かうバスの中で、これまで出会ってきた土地の人々を再びみているような気分、ということでしょう。

実際、日本に親近感を覚える人々は西アジアや中東に多いそうです。

 民族移動の歴史も、なにか関係はあるかも知れませんね。

共通のルーツから、ペルシャとインドに分かれたとされる人々の神は、位置付けがまるで正反対になったと、言われます。

日本人も、アジアに似た顔もいるけど、意外と西アジアや南アジアに多いようですね。

 インド人や、ペルシャ人、トルコ人に似た顔も、そういえば日本人の中にいますね。

そうかと思えば、イタリアやフランス、スペイン、イギリスといったヨーロッパに日本人に似た顔も見かけます。

日本にはゲルマンの血が入っているという声も、上がります。

インド=ヨーロッパ語族ということからいうと、日本は意外とアジアよりそちらに近い可能性はありますね。

 世界の共産党活動の中で、ユーロ・ニッポ・コミュニズムなどと、言われたこともありましたね。

 これって、偶然ですかね。

アジアで真っ先に近代化したのも、日本であることと合わせると、興味深いですね。

 中東から、西に行ったヨーロッパ人、東に行った日本人。

 ペルシャとインドの対比の延長線上に、ヨーロッパと日本がある。

そういう風に見えてくるのは、面白くなりますね。

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「ビッグバンの直接的証拠」を疑問視する論文は何度も出ている。

これは2007年11月20日にwired.jpが伝えた記事です。

その後の展開が気になります。

「ビッグバンの直接的証拠」を疑問視する論文
http://wired.jp/wv/2007/11/20/「ビッグバンの直接的証拠」を疑問視する論文/

ビッグバンの直接的証拠を発見したとされノーベル賞を受賞した研究に関して、われわれが住む銀河系内に存在する水素ガスの雲をとらえたものにすぎないとして疑問を投げかける論文が、天文学では世界的に権威のある刊行物『Astrophysical Journal』誌上で発表される。

Keay Davidson

ノーベル賞を受賞した研究によると、この画像は宇宙の誕生を表わしているという。 しかし、Verschuur博士の論文はこの主張に疑問を呈している。
Image: NASA

 人工衛星『宇宙背景放射探査機』(COBE)から送られてきた有名な画像は、初期宇宙の構造を示したものだと大半の天文学者が考えている。

ところが、ある電波天文学者が、この画像はわれわれが住む銀河系内に存在する水素ガスの雲をとらえたものにすぎないとして、この重要な理論に疑問を投げかけている。

 メンフィス大学のGerrit Verschuur博士によるこの主張は、天文学者の間で議論を呼んでいる。

もし主張が正しければ、過去15年間における最大の発見の1つとされ、2006年のノーベル物理学賞を受賞した理論が、根底から覆されることになるからだ。

 Verschuur博士の論文は12月10日(米国時間)、天文学では世界的に権威のある刊行物『Astrophysical Journal』誌上で発表される。

「もし私が正しければ、これは1つのパラダイムシフトだ」とVerschuur博士は言う。

70歳のVerschuur博士は、天文学に関する多数の著書で知られる。

 Verschuur博士の言う通りなら、140億年前に宇宙が誕生したとするわれわれの認識に、深刻な誤りが存在することになる。

天文学者たちにとっては、20世紀初めに一部研究者が火星に「運河」を発見したと主張したとき以上の赤っ恥だ。

 1992年、ローレンス・バークレー国立研究所のGeorge Smoot氏率いる米航空宇宙局(NASA)の研究チームが、COBEによって、宇宙の生まれたての姿をとらえることに成功したと発表した[「宇宙が発生したときの温度のゆらぎ(不均一性)」とされるものを発見した]。

 研究チームは、ドングリが成長してナラの木になるように、「種」が成長して宇宙になると理論づけた。

スティーブン・ホーキング氏は、COVEによる発見を史上最大の発見と呼んだ。

Smoot氏自身も、神の顔を見たようなものだと表現した。

2003年には、『ウィルキンソン・マイクロ波異方性探査機』(WMAP)が、より詳しい画像を捉えることに成功した。

無数の小さな種もしくは「温度のむら」は、重症のにきびのようにも見える。

 これに対し、Verschuur博士の論文は、これらの「種」は宇宙の果てに存在しているものではないと主張している。

博士によると、これらの「種」はすぐ近くにあるという。種の正体は銀河系内にある「中性水素」ガスの雲で、事前に存在が確認されていなかったものにすぎないというのだ。

つまり、「種」が宇宙の果てにあると考えた天文学者たちは、窓から外を眺め、ガラスに付いた汚れを空に浮かぶ雲と思い込んだに等しいことになる。

「Smoot氏は神の顔を見たと言った。だとすれば、神はけっこう近所に住んでいるのだろう」とVerschuur博士は冗談交じりに話す。

 Verschuur博士は、いわゆる「宇宙の種」が、銀河系内にある既知の水素ガスの雲と奇妙なまでに近い位置にある例を、少なくとも200は見つけたという。

 天文学の世界では、天体が近くにあるか遠くにあるかをめぐる議論が以前から繰り返されてきた。

たとえば、かつてパロマー天文台とウィルソン山天文台に勤務していた天文学者のHalton Arp氏は、クエーサーと呼ばれる非常に明るい天体は、一般に考えられているよりもずっと近くにあり、ピンボールがはじき出されるように銀河から放出されたものだと主張した[Arp氏は1960年代に、クエーサーのスペクトルの赤方偏移はビッグ・バン理論の宇宙の膨張とは別の原因によると主張した]。

しかし、この主張は現在、事実上すべての研究者から否定されている。

クエーサーと銀河の位置関係を比較した統計分析が説得力に欠けるというのが理由だ。

 Verschuur博士の主張も現在、同様の批判にさらされているが、意外にも当のSmoot氏は、誰より慎重な反応を示している。

「これ(水素ガスの雲と宇宙の種の相関関係)が偶然の一致なのか、あるいは本当に信じられるものなのか、綿密な(統計)調査で確かめる必要がある」とSmoot氏は電子メールに記している。

 Smoot氏によると、天文学者たちは早くも、Verschuur博士が主張する水素の雲と宇宙の種の相関関係は、統計的な根拠に乏しいと判断しているという。

「それが正しい結論かもしれない。しかし、個人的には答えを出すのはまだ早いと思う」とSmoot氏は述べた。

 イギリスのオックスフォード大学の天体物理学者Kate Land氏とAnze Slosar氏は、Verschuur博士の研究の統計分析を行なった。

「全く筋が通らない」と、Land氏はワイアード・ニュースに電子メールでコメントを寄せている。

つまり、Verschuur博士が主張するような、WMAPがとらえた宇宙の種と銀河系の水素ガスの雲との間にある相関関係は偶然の一致にすぎない、とLand氏は考えているのだ。

もしその通りなら、Verschuur博士の主張は、ブリトーの中にイエス・キリストの顔が見えたと信じる伝道師のようなものだ。

「よく知られたことだが、人間の目はしばしば異なるパターンの間に相関関係が見えると思い込む」とLand氏は言う。

「だが、反相関関係を見ることはできない。だから、不規則に変化しているにすぎない2種類の(宇宙の)地図に相関関係があるように見えることもある」

 WMAPプロジェクトの主要メンバーで、プリンストン大学の天体物理学者David Spergel氏も同じ意見だ。

Spergel氏によると、Verschuur博士の「論文は根本的に間違っている」という。

 同様に、NASAの研究者Gary F. Hinshaw氏も、「Verschuur博士が論文で主張する相関関係が(統計的に)有意でないということに、私はかなりの確信を持っている」と述べている。

 結局のところ、Verschuur博士の主張が事実か否かという判断は、統計という不確かな分野に委ねるほかない。

つまり、近いうちに結論が出る見込みは低いということだ。

統計的な解釈をめぐる議論が、時として堂々めぐりになることは、歴史が証明している。

 正統派の宇宙論を支持する人々は、Verschuur博士の画像分析は統計的に根拠が薄弱すぎて、真剣には受け取れないと口をそろえる。

これに対しVerschuur博士は、自身のデータについて、統計的な操作によって価値が失われるほど不確かなものではないと反論している。

 天文学者は教え子たちに、天体観測で実際には存在しないものを見たと報告し、恥をかいた天文学者の話を教訓として聞かせている。

火星の「運河」より笑える例を挙げると、1920年代にある天文学者が、月面に昆虫の大群を見たと主張した。

 19世紀には、水星の軌道の内側に惑星があると天文学者たちが報告し、「バルカン」と名付けた。

後にこの報告は誤りとされ、現在は最も有名な架空のバルカン人、『スタートレック』のミスター・スポックにその名残をとどめるにすぎない。

天文学者もわれわれと同じで、見たいと思うものが見えることがあるのだ。

現在、天文学者たちに突き付けられている問題は、どちらが真実を「見ている」のか――Verschuur博士か、それとも自分たちか――を明らかにすることだ。

 Verschuur博士は論文を発表するとき、「恐怖」を感じたという。

テネシー州メンフィス郊外の小さな町に住む大学のいち研究者が、たった1人で天文学界に挑戦状を叩きつけようというのだ。

 そんなVerschuur博士の慰めは、妻からのこんな一言だ。

「忘れないで。あなたはデータの示すところを伝えているだけなんだから」

[日本語版:ガリレオ-米井香織/高橋朋子]

WIRED NEWS 原文(English)http://www.wired.com/science/space/news/2007/11/big_bang

Arp氏が1960年代に主張した、クエーサーのスペクトルの赤方偏移はビッグ・バン理論の宇宙の膨張とは別の原因によるという見解は、重力赤方偏移で説明がつくかもしれません。

 Verschuur博士の報告も、重力の悪戯で説明できるかもしれない。

Verschuur博士は、いわゆる「宇宙の種」が、銀河系内にある既知の水素ガスの雲と奇妙なまでに近い位置にあるなら、事前に存在が確認されていなかった「中性水素」ガスの雲にすぎないと解釈する方が自然だというのです。

Verschuur博士は、少なくとも200はあるという例の数は、Land氏のように相関関係は偶然の一致にすぎない、いうには多すぎるように判断したわけですよ。

 宇宙の天体の数から見たら、少ないということかもしれないですよ。

青方偏移の報告例よりは、多いですよ。

 もし、Verschuur博士の言うとおりだとしたら、観測精度が上がって新たに見つかった可能性があるのでしょうか。

 冥王星が準惑星に分類され直すきっかけとなった、新たな天体の発見のように。

その可能性は、有り得ますね。

宇宙創成はどのようだったかは、まだ仮説を展開している段階に過ぎません。

 プラズマフィラメントが、宇宙創成に関係していたかもしれない。

もしそうなら、Verschuur博士の報告通りでも問題ないかもしれないですね。

今後の展開を、注目しましょ。

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永久機関を考えてみた。

最新の物理学によれば、この空間にはエネルギーが満ちているといいます。

この空間はエネルギーに満ちていると提唱したのが、物理学者のポール・ディラックです。

量子論における真空は、決して「何もない」状態ではないのです。

ポール・ディラックは、真空を負エネルギーを持つ電子がぎっしりと詰まった状態と考えていました。

この、負のエネルギーに満たされた状態はディラックの海と呼ばれます。

通常の電子は負の電荷をもつが、電子と同じ大きさで正の電荷をもつ粒子が見つかっています。

正の電荷をもつ電子と同じ大きさの粒子は陽電子ということになるが、光の中から電子と対発生し、電子と対消滅して光になってしまうのです。

そこで、陽電子は電子とともにディラックの海から生まれ、電子とともにディラックの海に帰っていく空孔ではないかと考えられたのです。

後の物理学者により、この空孔理論という概念は拡張、解釈の見直しが行われています。

現在の場の量子論では、真空とは、その物理系の最低エネルギー状態として定義されます。

粒子が存在して運動していると、そのエネルギーが余計にあるわけですから、それは最低エネルギー状態ではありません。

よって粒子はひとつもない状態が真空だが、場の期待値はゼロでない値を持ちうるのです。

この、場の期待値を、真空期待値といいます。

 だったら、真空期待値からエネルギーを取り出せるわけですね。

真空からエネルギーは取り出せるか、でしょ。

 あ、そうでした。

エネルギー運動量テンソルの真空期待値が、宇宙定数ですよ。

テンソルは説明しようとしたらややこしいことになるけど、ある事柄に関して算出された値ぐらいに思っておいてください。

エネルギー運動量について算出された真空期待値が、宇宙定数です。

これは、真空が持っているエネルギーが宇宙定数といっていることになるわけです。

 宇宙を支える暗黒エネルギー(ダークエネルギー)は斥力とみられ、その斥力とはアインシュタインの導入した宇宙定数であると、最近では考えられていますね。

アインシュタインは引力と同じ大きさで反対向きの力として、宇宙定数を導入しました。

言い換えれば、宇宙は引力と宇宙定数に満たされていることになります。

永久機関とは外部からエネルギーを受け取ることなく、仕事を行い続ける装置です。

古くは単純に外部からエネルギーを供給しなくても永久に運動を続ける装置と考えられていました。

慣性の法則によれば外力が働かない限り物体は、等速直線運動を続けます。

例えば、惑星は、角運動量保存の法則により自転を続けます。

そこで、単純に運動を続けるのではなく、外に対して仕事を行い続ける装置が永久機関と呼ばれます。

これが実現すれば石炭も石油も不要となり、エネルギー問題など発生しないことになります。

18世紀の科学者、技術者はこれを実現すべく精力的に研究を行いました。

18世紀の終わりには純粋力学的な方法では実現不可能ということが明らかになり、さらに19世紀には熱を使った方法でも不可能であることが明らかになりました。

永久機関は実現できなかったが、これにより熱力学と呼ばれる物理学の一分野が大いに発展しました。

永久機関とされる装置には、第一種と第二種が存在します。

第一種永久機関とは、外部から何も受け取ることなく、仕事を外部に取り出すことができる機関です。

これは熱力学第一法則、すなわち、エネルギー保存の法則と等価に反した存在です。

ロバート・ボイルの名前を冠してBoyle's Self Flowing Flask(フラスコ)と呼ばれる機関が仕事をするためには外部から熱を受け取るか、外部から仕事をなされるかのどちらかが必要です。

それを望む形の仕事に変換するしかないが、第一種永久機関は何もエネルギー源の無いところからひとりでにエネルギーを発生させています。

これは、エネルギーの増減が内部エネルギーの変化するといい、熱力学第一法則に第一種永久機関が逆らっていることを意味しています。

第一種永久機関の例には、こういうものがありました。

時計回りに機関を回転させると、上部でおもりを乗せた棒が倒れるため、支点からの距離が長くなり、機関の右側がさらに重くなって回転が続きます。

しかし実際には、機関の左のほうがおもりの数が多くなってしまい、機関は左右がつりあってしまうため、回転は停止します。

浮力を利用した永久機関もあって、アルキメデスの原理が働いて浮きの浮力によってベルトが反時計回りに回ると考えました。

毛細管現象による永久機関などは、毛細管現象によって細管を上った水が落下することにより反時計回りの水流が起こると考えられたのです。

科学者、技術者の精力的な研究にも関わらず、第一種永久機関が作り出されることはなかったのでした。

その結果、熱力学第一法則が定式化されるに至ります。

第二種永久機関は、熱力学第一法則、すなわち、エネルギー保存の法則を破らずに実現しようとした装置です。

そのような機械は「熱効率100%の熱機関」であって、その機械自体をエネルギー源として使用できるわけではありません。

第二種永久機関の否定により、「熱は温度の高い方から低い方に流れる」という熱力学第二法則、すなわち、エントロピー増大の原理が確立しました。

これによって総ての熱機関において最大熱効率が1.0、つまり100%以上になることは決してないのです。

仕事によって発生した総ての熱を熱源に回収する事は不可能だということになり、第二種永久機関の矛盾までもが確立されるに至りました。

仕事を外部に取り出すと、エネルギーを外部から供給する必要ができてしまいます。

そこで仕事を行う部分を装置内に組み込んでしまい、ある熱源から熱エネルギーを取り出しこれを仕事に変換し、仕事によって発生した熱を熱源に回収する装置が考えられました。

このような装置があれば、エネルギー保存の法則を破らない永久機関となります。

熱エネルギーの回収を行うので、熱源や周囲の温度は維持されます。

空気や海水塊自体の持っている熱を取り出して仕事をし、他に熱的な影響を与えない機械ともいえます。

例えば海水の熱により推進する船では、エネルギー保存の法則により、取り出した運動エネルギー分温度の下がった海水の排水が出ます。

これを船の近傍に捨てても、一方では、船の推進の摩擦による熱が発生し、船の周りに温水ができます。

スクリューで海の水をかき回すと、その冷水と温水が混じり周囲の温度と均一になり、他には熱という意味での影響を与えないように見えます。

ただし、加速時には船の近傍の海水は周りより冷たくなり、減速時には船の近傍の海水は周りより熱くはなります。

仮に第二種永久機関が可能としても、定義よりエネルギー保存は破らないため、その機械自体の持っているエネルギーを外部に取り出してしまえば、いずれその機械は停止します。

それで、第二種永久機関を肯定する実験結果は得られておらず、実現は否定されています。

前述の海水の熱により推進する仮想的な船の例では、「加速時に船の近傍の海水が周りより冷たくなり、減速時に船の近傍の海水が周りより熱くなるという、熱力学第二法則に反する現象が発生します。

無論、これは現実には起こりえません。

 つまり、永久機関は実現不可能。

当然、そうなります。

今ある運動機関とは、外部からエネルギーを取り入れて動かしている装置ばかりです。

 発電機と言えども、外部から取り込んだエネルギーを電気に変えているに過ぎない。

それも、変換効率100%に近づける努力はされているけど、摩擦熱などで逃げていく部分があったりして、苦労しているようです。

そこで、廃熱も活用して発電しようとする試みもありますよ。

 大きく分けて、自然から直接力を得ようとする装置と、蒸気にしてタービンを回そうとする装置がありますね。

でも、ポテンシャルエネルギーを運動エネルギーに変えてコイルを回すのは、共通ですね。

第二種永久機関は、一度取り込んだエネルギーを永久に装置の中で循環させようとするから、摩擦熱などに負けて止まってしまったのです。

第二種永久機関は、摩擦などが原因で止まったとしたら、その影響を取り除けば動き続けるわけでしょ。

 無重力空間なら、回せば回り続ける。

しかも真空なら、空気抵抗もないから、慣性の法則で回り続けるはずでしょ。

つまり、条件を変えてしまえば第二種永久機関は、実現しないとは言い切れないのです。

しかし、実際には機関には仕事をさせる必要はあり、何らかの負荷をかけることになるので、実用化は困難でしょう。

だが、エネルギーを無限に取り出せれば機関は永久に動かせるので、その意味では自然エネルギーの利用は現代版永久機関と言えるかもしれません。

 自然エネルギーの泣き所は、出力が安定しないことです。

安定し、かつ、無尽蔵なエネルギーがありますよ。

空間のエネルギーです。

E=mc²がエネルギーと質量の同等式で、重量がある大きさの重力下の質量の値と見れば、全てのエネルギーに対応した重量があることになります。

 ならば、光には少なくとも波長に見合った重量があると見るのは自然ですね。

光電効果で出る電子のエネルギーは、波長に左右されます。

ここで、c²=E/mとおけば、どうなるでしょう。

 質量は重力によって得られるから、質量mは重力の大きさの値と見ても良いでしょ。

c²=E/mは光のエネルギーは波長に応じて質量と運動エネルギーに変換できるという式ではないでしょうか。

 光は電磁波であり、電磁波は重力波と似た形式の式で書けるのでしたね。

電磁波によって、重力は制御できるはずですね。

 実際、磁場を用いて重力を制御する研究は行われていますね。

だったら、磁場を制御すれば、重力の大きさに差がある空間を作り出せるでしょ。

そして、逆に重力の落差から磁場を用いて電場を引き出すことは理論的には可能なはずです。

 プラズマは宇宙に存在する全物質の99.9999999999・・・%を占めていますからね。

あとは、実際に空間から電気を取り出すだけです。

 今ある装置、あるいは、これから出る装置で、実現できればいい。

そうなりますね。

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女性天皇は女系天皇に結びつくか。

女系天皇と女性天皇は、分けて考える方が良いのです。

歴史上の女性天皇は、男系男性天皇即位までの繋ぎとして即位していたからです。

 そういえば、重祚は女性天皇にあるが男性天皇にはありませんね。

最高祭司である天皇は、むしろ教皇に近い存在でした。

 天皇が自ら権力を行使するより、他人に任せた方が多かったのは、確かね。

教皇が男性なのは、初期のローマ司教たちがペトロの後継者、ペトロの代理者を任じていたことによります。

時代が下って教皇の権威が増すに従って、みずからをもって「イエス・キリストの代理者」と任ずるようになっていきました。

「キリストの代理者」という称号が初めて歴史上にあらわれるのは、495年だそうです。

ローマの司教会議において教皇ゲラシウス1世を指して用いられたものが、もっとも初期の例といいます。

これはローマ、アンティオキア、エルサレム、コンスタンティノープル、アレクサンドリアの、五大総大司教座の中におけるローマ司教位の優位を示すものとして用いられました。

カソリック教会に、女子修道会の指導者以外の女性指導者はいません。

 キリスト教では、女性は男性に従うべき存在と、見なされているからですね。

創世期でも、神が我々に似せて人を作ろうと言って、まず、男性のアダムが生まれました。

一方でイブは、アダムのあばら骨から生まれたとされています。

私は、アダムのあばら骨は象徴であり、実際は神に与えられた権能によって、アダムがイブに命を与えたのではないかと解釈しています。

 イブはアダムのあばら骨から生まれたにしては、肉付が良いからですね。

あばら骨では、一人分には、まったく足りません。

禁断の実を食べて堕落する前で、かつ、神による創造から間がないのです。

この段階のアダムは、堕落する余地のない存在という意味では、イエスにも匹敵する神の忠実な預言者であったと言えるでしょう。

 つまり、アダムは神に与えられた権能によって、イブに命を授けた。

神がアダムを眠らせたとあるのは、神がアダムの肉体を通じてイブの創造を行ったことの暗示でしょう。

 アダムは、全て神に委ねていた。

おそらく、そうでしょう。

なにしろ、一人の命を誕生させるのですから。

とはいえ、ローマ教皇は、ペテロの後継者やイエスキリストの代理人の地位に女性が成り得ないかとの、議論が出る余地は残されています。

 王が意見を求めた相手の中には、女性預言者もいるからですね。

とはいえ、女性預言者は基本的には、男性預言者の補佐的地位とみなされているようです。

 洗礼者ヨハネの母も、救世主イエスの母も、彼らに受肉させる重責は荷ったが、みずからは、洗礼者にも、救世主にも、ならなかった。

彼女たちの生誕も、神の使いによって知らされるなど、聖別されてはいましたけどね。

それに対して、神道は教義と儀式が一体なので、男系男子の天皇であることが必須なのです。

 そして、教義も儀式も、陰陽に乗っ取っている。

そうでないと、祖先神に正当性を示せないからです。

 教義が、言葉ではなく、儀式によって伝えられているのは、解釈によって歪められないため。

正しく儀式を伝承することは神への忠誠の証だから、余計な解釈をして変えるわけにいかないでしょ。

 天皇は男系男子でないと、儀式そのものが神の前で無効となるのですね。

女系天皇擁護論は、神道の教義無視の議論と断言できます。

 女性天皇であっても、後継者である男系の男性を前面に立てれば、儀式を成立させることは不可能ではない。

むしろ、儀式を後継者が誰であるかを周知徹底する手段として、活用した可能性はありえますね。

 女性天皇は、男系男性天皇即位までの繋ぎであり、代理にすぎないことを前面に出して、はじめて可能となった。

そういうことでしょうね。

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