« 2012年3月 | トップページ | 2012年5月 »

2012年4月

歌の起源を想像してみた。

節をつけて声を出す行為は、歌とも唄とも記されます。

また、口で奏でる行為には、詩や謡とか吟と書く場合もあります。

 ほかにも、詠、咏、哥などいくつかありますね。

ただ、大まかにいえば二通りにわけられるようですね。

 詩や謡や吟は、言葉の持つ旋律を引き出していく。

 歌や唄は、リズムとでも言うものを持っている。

詩や謡や吟は、朗読の延長線のうえにあると言えるでしょうね。

それに対し、歌や唄は、拍子がある、あるいは、拍子がとれる。

これは、おそらく歌や唄の起源に原因があるようです。

歌は、祝詞を入れた器を木で打つ形である可を重ねた哥(カ)に人が口をあけて立つ形である欠を、合わせた字なのです。

そして、唄もまた、宗教に起源があります。

 口に貝で唄、貝は貨幣にも使われた子安貝でしょ。

子安貝は、呪器(じゅき)にも用いられました

唄は、呪器に用いられた子安貝と口なのは、呪術の呪文がもともとの意味だったわけですね。

だから仏教には、説法や供養のために唄う唄師(唄士)がいるわけです。

唄に、唸るような歌唱法が多いのも、呪文が起源だからかも知れません。

 歌に拍子があるのは、祝詞を入れた器を打つ音に合わせたから。

 唄に拍子があるのは…。

子安貝を笛にしていたから、かも知れないですね。

 子安貝の笛を、息継ぎをしながら吹いた。

 その息継ぎに合わせていたから、拍子がある。

詩が、言に寺なのも、宗教と関係があります。

詩は、もともとを辿ると呪誦(じゅよう)でした。

甬(よう)は、いろいろな意味があります。

貴人の通行や食料の輸送に用いた両側に壁などで目隠しをした道や、敷石を敷いた道。

雇われ人。

液体や穀物を量る升。

釣鐘を吊るす紐、あるいは、鐘。

呪誦の誦は、おそらく、鐘を突くように、言葉を繋いでいくさまを表したのかもしれません。

 そういえば、誦は、節回しをつけて声に出して言うことを指しますね。

 転じて、何も見ないでそらんじることをも、言うようになった。

のちに、詩は、心に感じたことを韻律に基づいて言葉や文字で表すものに変化していきます。

 そういえば、即興詩人と呼ばれる人々も、ヨーロッパには、いましたね。

謡は、本来、祭肉を供えて祈ることでした。

つまり謡もまた、呪術に由来するのです。

なお、無伴奏で歌うから、謡というという説もあるようです。

 でも、民謡という場合、伴奏がつくことが多いような。

楽器なしでも、歌うことがよくあるからでしょうね。

 楽器なしでも歌うというのは、鳴り物入りの歌や唄とは起源が異なるから。

そうかも知れないですね。

 ヨーロッパでも、単旋律、無伴奏の宗教音楽であるグレゴリオ聖歌が、有名ですね。

 グレゴリオ聖歌もまた、神前に捧げものとして、祈りの気持ちを込めて歌う。

 あれもまた、謡なのですね。

ちなみに、教会で聖歌が歌われるようになったのは、マタイによる福音書に由来するようですね。

このような記述があります。

26:26 彼らが食事をしていると,イエスはパンを取り,それに対する感謝をささげてからそれを裂いた。弟子たちに与えてこう言った。「取って,食べなさい。これはわたしの体だ」。
26:27 杯を取り,感謝をささげてから,彼らに与えてこう言った。「あなた方は皆,この杯から飲みなさい。
26:28 これは新しい契約のためのわたしの血だ。それは罪の許しのため,多くの人のために注ぎ出されるのだ。
26:29 だが,本当にはっきりとあなた方に告げるが,わたしの父の王国においてそれを新たに飲むその日まで,わたしは今後ブドウの木のこの産物を飲むことはない」。
26:30 賛美の歌を歌ってから,彼らはオリーブ山へと出て行った。

ただし、どのような詩をどのような旋律で歌ったかは、記されていません。

 初期の十二使徒による教会では、いうまでもなかったのでしょうね。

そのようですね。

教皇クレメンス1世やテルトゥリアヌス、アレクサンドリアのアタナシオス、エゲリアなどの記録にも、初期キリスト教で賛美歌が歌われていたことがみえるといいます。

 初期キリスト教会の讃美歌は、どのようなものだったのでしょうね。

それを、きちんと伝えていないことからいって、本当にエルサレム教団を引き継いでいるか、怪しい気はしますね。

 エルサレム教団がこだわった、ユダヤ教の風習も伝えていないですしねえ。 

吟は、口を狭めて嘆くことでした。

 じゃあ、吟の起源は、宗教に関係ない。

そうとも、言いきれないのですねえ。

これが。

聖書にも、頑なになった人々のことを神の前に嘆く場面がしばしば登場するのです。

また、聖典の朗唱の風習は、コーランだけでなく、聖書にも記されています。

それに、感嘆という言葉があるように、感情を込めて声を発することも、嘆くと表現するのですよ。

 吟もまた、聖典の朗唱に起源がある。

可能性は、ありますね。

詠や咏は、水が流れるかのように勢いをつけて歌うさまを、表します。

 まさか、これも宗教が関係してるとか。

流れのように、長さを感じるものは、息や風の象徴とみられるようですね。

 そして、風や息は、神の声の象徴でもある。

 じゃあ、歌は、ことごとく、宗教に由来ですか。

どうも、そのようですね。

| | コメント (2) | トラックバック (0)

アルメニア

アルメニア共和国、通称アルメニアの首都は、エレバンで、1991年に独立した共和制国家です。

アルメニア人は、アルメニアの人口の97.9%を占める主要民族です。

アルバニアは、東ヨーロッパに含められることもあります。

黒海とカスピ海の間にある国で、西にトルコ・北にグルジア・東にアゼルバイジャン・南にアゼルバイジャンの飛び地ナヒチェヴァン自治共和国があります。

山脈と高原が広がる山国であり、平地はまれです。

国土の90%において標高1000mを超え、3000m級の山岳も珍しくないそうです。

最大の平地は、首都エレバンが位置するアララト盆地で、名前が示すようにアララト山を見上げる位置にあります。

アララト盆地の高度は800m以上、中央部にはセヴァン湖が位置する、トルコとの国境を流れるクラ川の支流のアラス川の左岸に広がっている土地です。

なお、クラ川にはキュル川、アラス川にはアラクス川という記述がある場合もあるが、どちらもロシア側の呼称のようです。

ロシア領時代やソ連領時代があったので、ロシア語名称でも呼ばれるからでしょう。

アルメニアは、山国でありながら、森林は少なく、急流となった小規模な河川が多いです。

鉱物資源に富み、最南部で銅、亜鉛、モリブデンが産出します。

石灰岩は、全国に分布しています。

隣国のトルコやイラン同様、地震が多いです。

1988年に発生したアルメニア地震では2万5千人もの死者を出しています。

アルメニア人の7割は、アルメニア共和国外在住です。

インドヨーロッパ語族に属するアルメニア語を使用しています。

アルメニア人は自らを、ハイと名乗ります。

ハイの複数形はハイクで、アルバニア人、自らの国をハヤスタンと呼びます。

紀元前6世紀頃には国際的な商業活動を盛んに行っていたと言われ、紀元前1世紀にアルメニア高原を中心に大アルメニア王国を築き繁栄しました。

しかしローマ帝国とパルティア、サーサーン朝ペルシア帝国の間で翻弄され、両国の緩衝地帯として時に属州となることもありました。

1世紀頃にはキリスト教の布教が進み、紀元301年には世界で初めてキリスト教を国教としました。

その後サーサーン朝ペルシアの支配下に入り更にアラブの侵攻を受けるが、9世紀半ばにはバグラト朝が興り、独立を回復しました。

しかしバグラト朝も長くは続かず、セルジューク朝やモンゴル・ティムール朝などの侵入が相次いで国土は荒廃しました。

12世紀にアルメニア王国や東ローマ帝国が衰退・崩壊した後は、世界中に拡散し、このアルメニア人の離散もまた、ディアスポラと呼ばれます。

アルメニア人は、商工業の担い手として各地にネットワークを広げて活躍したので、この点はよくユダヤ人と比較されることも多いです。

オスマン帝国、サファヴィー朝、ムガル帝国の領内で独自のコミュニティを形成し、これらを結ぶ形でアルメニア商人の商業網が構築されました。

例えば、イランの絹を17世紀にはアレッポ、18世紀にはイズミル経由でヨーロッパ市場に供給しました。

また古代から兵士としての能力があり、プルタークや東ローマ帝国皇帝ニケフォロス2世はアルメニア兵の能力を自らの著書で賞賛しています。

また、トゥールーン朝、ファーティマ朝といったエジプトの王朝には亡命アルメニア人によって編成された部隊が存在していたのです。

東北大学大学院国際文化研究科教授北川誠一は古代のアルメニア人の最初の職業は軍人であり、それがキャラバンと結びついた。古代のキャラバンは商人と武力は密接な関係があると指摘し、それがアルメニア人が兵士と商人で名をはせた要因になったという説を提唱しています。

現在、シリアやイスラエル及びイランには、比較的大規模なアルメニア人社会が存在します。

ヨーロッパではフランスに40万から50万人といわれるアルメニア人が住み、政界・銀行・芸能など多方面に進出して、フランス社会に大きな影響力を持っています。

アメリカにも80万人近いアルメニア系の住民がいます。

移住先で独自のネットワークを築き、宗教をアイデンティティとすることなど、アルメニア人とユダヤ人には共通している側面もあります。

共通点と言えば、家族性地中海熱という遺伝子による病気もその一つです。

家族性地中海熱は、ユダヤ人の中でも特にスペインやポルトガルに多かったスファルディに発症例が多いのです。

家族性地中海熱は、特定の民族に発症する遺伝病で、風土にも関係しないし、伝染もしません。

1636年にアルメニアはオスマン帝国とサファヴィー朝ペルシアに分割統治されるが、1828年のトルコマンチャーイ条約によってペルシア領アルメニアはロシア領となります。

ペルシャに住んでいることは、アルメニア人に家族性地中海熱の発症例が見つかる理由にはならないようです。

ペルシャはイスラエル十支族が散らされた土地の一つだが、ペルシャ人には今現在、家族性地中海熱の発症は、報告されていないのです。

19世紀後半になるとオスマン帝国の支配下にいたアルメニア人の反発も大きくなり、トルコ人民族主義者との対立が激化しました。

1915年から1917年までにオスマン帝国により「敵国ロシアに内通した」という理由で、アナトリア半島東部に住むアルメニア人が150万から200万人も虐殺された事で対立しており、トルコは謝罪と賠償どころか虐殺自体を否定しているために、アルメニア人のトルコに対する憎しみは強いです。

アルメニア人にしてみれば、トルコマンチャーイ条約によってペルシア領アルメニアはロシア領となったので、内通はとんだ言いがかりという事になるでしょう。

これがいわゆるアルメニア人虐殺で、生き残ったアルメニア人も多くは欧米に移住するかロシア領に逃げ込みました。

家族性地中海熱はトルコ人にも報告があるが、イスラムのトルコ人とキリスト教のアルメニア人、しかも、両者の間の歴史から見ても、トルコとの関係が原因とも言いかねるようです。

家族性地中海熱は、イタリア人やギリシャ人にも見られる遺伝病です。

面白いことに、トルコ人、イタリア人、ギリシャ人、いずれも日本人と似た顔が見つかる民族なのです。

 スペインやペルシャ、ロシアも日本人に似た顔がいますね。

それはそれで、また興味深いですけどね。

今回は、家族性地中海熱という日本人と共通の遺伝病がある民族として名前が挙がったので、アルメニアに注目しているのです。

まだ、アルメニア人と日本人の似た顔についての話題はないが、まだお互いが身近な存在ではないので比較例が乏しいだけでしょう。

日本人もまた、家族性地中海熱の発症例がある民族なのです。

そして、日本人には日ユ同祖論があります。

スファルディとのまだ解明されていない関係が、発症例のあるこれらの民族との間にあった可能性は否定できないかも知れません。

ロシア革命後に民族主義者によりアルメニア民主共和国が樹立されるが、赤軍の侵攻により崩壊しました。

ザカフカース・ソビエト連邦社会主義共和国の一部となった後、1936年にソビエト連邦を構成するアルメニア・ソビエト社会主義共和国となりました。

1988年にアゼルバイジャン共和国にあるナゴルノ・カラバフ自治州でアルメニアに帰属替えを求めるアルメニア人の運動が起り、これに反発したアゼルバイジャン人との緊張の中で衝突が起り、両国の本格的な民族紛争に発展しました。

この、ナゴルノ・カラバフ帰属をめぐる紛争は、ナゴルノ・カラバフ紛争と呼ばれています。

ナゴルノ・カラバフ紛争を契機として、アルメニアは独立を宣言したがソ連軍の侵攻を受けたのです。

しかし1991年にソ連保守派のクーデターが失敗した為、同年9月にアルメニア共和国は独立を遂げました。

しかしナゴルノ・カラバフ自治州を巡るアゼルバイジャン人との紛争は現在も続いています。

1991年12月21日、独立国家共同体(CIS)に加盟しました。

近年はアルメニア大統領が、アゼルバイジャン、トルコの両国を訪問するなど、関係修復を目指して対話を行っています。

また中世の東ローマ帝国ではアルメニア系の王朝が建てられたことがあります。

なお、アルメニア人は単性論のアルメニア教会の信者がほとんどです。

アルメニアは、古くからワインの製造が盛んです。

これもあるいは、キリスト教の影響かもしれません。

ワインはしばしば、イエスの血の象徴とされてきました。

なにしろ、1世紀にはキリスト教が広まり始めた、世界最初のキリスト教を国教化した国でもあります。

特にブランデーは有名で、アルメニア・コニャックと呼ばれます。

もっともブランデーが有名になった背景には、ソ連時代にいったんブドウ畑が潰されワインが廃れたためにブドウの蒸留酒であるブランデーつくりが盛んになったといういきさつがあるといいます。

アルメニア料理は、アジアでも古い料理のーつであり、ザカフカスでは最も古い料理であるといいます。

その特徴は、すくなくとも西暦紀元前一万年のアルメニア民族形成期に形づくられ、現代にいたるまで三千年以上にわたって、多くのものを残しているそうです。

肉や野菜を串焼きしたホロバツは、トルコ料理のシシカバブと言った方がなじみが深いかもしれません。

ホロバツは、ロシア語ではシャシリクと呼ばれています。

ホロバツは、ラワシという薄皮のパンで包んで食べます。

また、ぶどうなどの葉にご飯を包んだトルマもまた、今ではトルコ料理のドルマとして知られているが、起源はアルメニアであるともいわれています。

アルメニア料理はセルジュク・トルコの料理に大きく貢献し、その後、実はアルメニア料理である多くの料理が、トルコを通じて、あたかもトルコ料理であるかのようにヨーロッパに知られるようになったほどなのです。

たとえば、先に挙げたシシカバブやドルマなどがそうです。

アルメニアは肥沃な盆地を擁し、古くから農業が盛んだったこともあって、スペルト小麦、きび、大麦、小麦、米などの豊富な穀物類が作られています。

また、いんげん、大豆、レンズ豆、山えんどうといった豆類の種類も、注目して良いでしょう。

さらには、じゃがいも、玉葱、りんご、マルメロ、乾あんず、くるみ、果物も、マルメロ、プルーン、レモン、ざくろ、乾ぶどう、乾あんず、レモン、ざくろ、すももなど、食材も多彩です。

ほかにも、なすび、青トマト、かぼちゃ、熟していないくるみ、西瓜の皮なども調理の材料となります。

アルメニア料理は、手間暇かけることでも知られています。

アルメニアの肉、魚、野菜料理の多くの調理は、つめ物づめ、泡立て、ピューレやスフレなど、時間と手間を惜しみません。

しかも、東方の料理によく見られるように、いくつもの手間のかかる過程は組み合わされて食を彩ります。

アルメニア料理にも、自然の肉料理があることは言うまでもありません。

たとえばアルメニア・シャシリーク、パストイネル、肉クチュチであり、家禽の丸のままの料理もあります。

チーズや濃縮バターも、アルメニア料理に欠かせないが、出来上がる味は、いわば口でとろけるような気持のよいデリケートな濃さと、特に極端でもない酸味とピリッとした味、風味ですぐれていると言います。

おそらく、チーズや濃縮バターは日本食でいえば、味噌や醤油、菜種油のような役をしているのでしょう。

日本では、まだまだなじみの薄いアルメニア料理だけど、一度店が出来れば案外広まるのは早いかも。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

プラズマの物質化とポテンシャルエネルギー?

マイケルソン=モーリーの実験をはじめ、類似の実験が繰り返された結果、光の干渉縞が測定にかかる事は避けられない事実として認知されることになっています。

 測定に付き物の誤差として、処理されるようになったのでしたね。

だが、測定の距離を左右で違えてもなお、光が同時刻に到着する観測結果と合わせた場合、どうなるでしょう。

 より長距離を通過した光は、加速されたとみるのは、自然ですね。

そうなると、波長の重ね合わせに生じたずれは、どちらかの波長が伸びたか縮んだかしたことになりませんか。

 距離の伸びた方の光は、波長を伸ばして時間を稼いだ。

そう見ないことには、同時刻の到着の説明がつかないでしょ。

 光は等速度ですからね。

しかし、この解釈を同じ距離を進んだ光の実験重ねるとどうなるでしょう。

 速度が地球の自転に影響を受ける側の光は、波長を変えることで時間を調節した。

光の重ね合わせで生じるずれは、波長が変化したと見ても、説明が付くわけです。

けれど、この解釈は実は大きな問題に直面します。

光はどうして、自分の飛んでいく距離を事前に知り得たかという謎が出てくるのです。

光はあたかも、事前に自分の移動する距離を知っていたかのように、波長を調節し、同時刻に到着するように飛んだのです。

これについては、光の持つ特殊な能力と言うしかありません。

光は、測定されたとたんに測定された場所にいるのです。

しかも、光のような量子は二手に分かれた場合、一方の状態が決まった瞬間にもう一方の状態も決まります。

光の持つ、この不思議な性質で説明するしか今のところ合理的な方法はなさそうです。

さもなかったら、私たちの時空4次元に対して時空5次元から見ている存在が光に指示を出したという、オカルト的な解釈をするほかないでしょう。

E=mc²

これは、エネルギーと質量の同等であることを示す式です。

波長の大きさは、与えられるエネルギーの大きさに左右されます。

言い換えれば、波長の大きさは与えられたエネルギーの大きさを表します。

 エネルギーと質量は同等だから、光をはじめ、電磁波にはエネルギーに相当する質量がある。

そう見るのは、自然でしょ。

加速度は重力と区別がつきません。

電磁波の速度は一定なので、加速度はないわけです。

 加速度は重力と区別がつかないから。

電磁波の速度は一定なので、重力は働いていないと見ても良いわけです。

エネルギー一定の法則があるので、運動エネルギーが100%のときはポテンシャルエネルギーは0%となります。

光をはじめ電磁波は、運動エネルギーに相当する質量は当然あると考えられます。

 ところが、波長が長いとニコルス放射計でも光電効果でも、エネルギーは吸収されてしまうだけ。

そうなると、光の持つエネルギーの大半は波長が担っているとなるでしょ。

 エネルギーと質量は同等だから、電磁波の持つ質量の大小は波長が左右する。

電磁波の持つ運動エネルギーがポテンシャルエネルギーに転化すれば、運動エネルギーに潜在していた質量は顕在化するといっても、差し支えないでしょ。

 運動エネルギーに潜在していた質量は顕在化しても、一瞬で崩壊するので観測にはかからないのでしょうね。

エネルギーの励起が一時的に生じたと、処理されるのが落ちでしょう。

 顕在化した運動エネルギーに潜在していた質量の集積が一定限度を超えれば、ミクロの次元の存在からマクロの次元の存在に転化しますね。

高密度のプラズマの中であれば、顕在化した電磁波の運動エネルギーに潜在していた質量の集積が一定限度を超え、マクロの世界に現れる場合は大いにあり得ます。

 飽和すると溶け切れない分が底にたまる砂糖や塩みたいにね。

限度を超えると見える形で現れるという点では、似てますね。

 プラズマと重力の境目も、あいまいなのでしょ。

宇宙論でいう、プラズマの重力に引き寄せられた宇宙の塵の一部は少なくとも、質量として顕在化した電磁波の波長のエネルギーであるかも知れませんね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

日本画と聖書?

日本画には、独自のジャンルがあります。

 美人画など、そうですね。

評判の美人を描くと言うより、女性の持つ美しさを描くのが、美人画です。

 だから、どこにでもいる母子が描かれることもありますね。

花、とりわけ桜も好んで描かれます。

 そういえば、小ぶりな美術館の企画展なら十分可能なだけの作品はありますね。

西洋絵画にも、花を描いた作品は多いです。

けれど、特定の花を何人もの人が競って描くということは、まず、ないようです。

 それだけ描かれながら、桜画というジャンルがあると言う人はいませんね。

多いのは確かだけれど、風景画の一つの題材にすぎないと見られているからでしょう。

 あるいは、春を描いた絵と見られている。

そうかも知れません。

春の訪れを描いたことを、桜は、見る人に知らせる目的で描きこまれる場合も多いです。

 春の喜びの表現でもある。

それは大きいでしょうね。

 桜は、昼だけでなく、月明かりの中で見るのも趣がありますね。

桜は、華やかさとともに、幽玄の美の表現でもありますね。

月明かりの下の桜も、しばしば、描かれます。

 月明かりの下の女性を描いた美人画も、意外とありますね。

そうそう、日本には月のある光景や月にまつわる習俗や風習を描いた絵も、多いですよ。

 月や月にまつわる習俗を描いた作品の企画展、どこかでありましたかね。

さまざまなテーマで描かれた作品が一堂に会して、面白いでしょうね。

 日本画のほとんどのジャンルが、網羅できたりして。

日本画の世界を一望できる切り口は、月かも知れないですね。

 月と言えば、陰陽では陰ですね。

そういえば、こういう言葉がありますね。

「秘すれば花」

世阿弥の芸論書「風姿花伝」にある言葉です。

「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」

秘めるからこそ花になる。

秘めねば花の価値は失せてしまう、という意味だそうです。

 一輪挿しというのが、ありますね。

 「梅一輪 一輪ほどの暖かさ」

 服部嵐雪の俳句ですよ。

 梅の花が一輪また一輪と咲くにつれて、気候も少しずつ暖かさを増すという意味だそうです。

一を聞いて十を知る、という言葉があります。

多くを語らずして全てを伝え、多くを聞かずして全てを知る、という関係が理想ということでしょうね。

一輪の梅が春の訪れや深まりを伝え、見る人もそれを知る。

それを粋と、いうのでしょう。

描くのも語るのも、相手が気づくようにしなさい。

それを越したら野暮、ということでしょうね。

 気づかせることは良いが、押し付けてはいけない。

 そう考えれば、当たり前なことを言っているわけですね。

「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」

当たり前なことはさりげなくしなさい。

大げさにしたなら、それはもはや当たり前ではない、ということなのでしょう。

 良いと感じたものを、大げさにせずに伝える。

 月明かりの元でも、というより、月明かりの元では、内に秘められた本質的な良さしか、伝わらない。

これ見よがしにするなという点では、聖書にこういう言葉があります。

わたしにむかって 「主よ、主よ」と言う者が、みな天国にはいるのではなく、ただ、天にいますわが父の御旨を行う者だけが、はいるのである。

マタイによる福音書第7章21に、この言葉はあります。

 本質に辿り着けないものほど、これ見よがしに大げさにする。

 本質に辿り着けたなら、それは自然と内から表れてくる。

奥義は、特別なことをしろというのでも、特別なことを知れと言うのでも、ないのです。

当たり前なことを、さりげなくできるようになればそれで良い、ということです。

 基本をしっかり身に着けることが、必要。

 長所を伸ばせだの、短所を直せだの、言う前に基本をちゃんと身に付けろという事ですね。

基本がきちんと身に着けば、自然と短所は小さくなります。

短所が小さくなると言うより、短所と長所は裏表の関係なので、基本がしっかり身に着けば短所は長所に転じ、長所もさらに伸びるわけです。

 基本を身に着けている過程で、個性が消えて平凡に見える時期があるけど、そこを越すとさらに個性的になるのはそのためですね。

日本画は様式美の世界であるけれど、様式を使いこなした人の作品ほど個性的でしょ。

 美人画の女性たちは、女性本来の美しさを内面から輝かせた人たちであった。

 桜の美しさは、見た目の華やかさより、むしろ、内からにじみ出るような優しさを感じられるところにある。

 月もまた、愛されたのは幽玄の美以上に、優しさが好まれたからであった。

美人画、桜、月、日本画は基本的に優しさを描く題材を好んで描いたという事でしょうね。

 そういえば、美人画の女性たち、時代を遡るほど優しさを感じる作品が増えますね。

 あと、日本画と言えば、動物の中でも猫が多いような。

猫は、どちらかといえば浮世絵のほうが多いでしょうけど。

日本画と言えば、ひろくとれば絵巻物、屏風絵、襖絵、壁画などもはいりますから。

 あ、そうか。

 猫の企画展はほとんどが、浮世絵の美術館だった。

 でもね、猫も癒し系という事では、優しさを表現する題材でしょ。

 笑いをとったり、擬人化されたりもしてるし。

まあ、浮世絵も全体として優しさを感じる作品は多いですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

お岩さんと稲荷。

東京都新宿区左門町18番地にある長照山陽運寺は、於岩霊堂と山門に掲げられています。

長照山陽運寺は、於岩稲荷と言った方が通りが良いかもしれません。

ホームページ於岩稲荷陽運寺http://www.oiwainari.or.jp/index.htmlもあるので、詳しくはそちらを見てください。

陽運寺には、お岩の木像があるといいます。

ところが、お岩のお墓は巣鴨の妙行寺にあるそうです。

正式名称は、法華宗陣門流長徳山妙行寺で東京都豊島区西巣鴨4-8-28にあります。

お岩の家は、妙行寺の檀家だったといわれます。

左門町の於岩稲荷は、実は二つあります。

もう一つは、於岩稲荷田宮神社です。

 路地を挟んで、山門と鳥居が向き合っているのでしょ。

東京都教育委員会の案内板 「都旧跡 田宮稲荷神社跡」によると、この場所は、お岩稲荷神社の旧地だったそうです。

明治五年ごろお岩神社を田宮稲荷と改称し、火災で一時移転したが、昭和二十七年再びここに移転したとあります。

明治12年(1879年)の火災によって焼失して、中央区新川に移りました。

場所は、中央区新川2-25-11です。

新川の於岩稲荷田宮神社は、歌舞伎役者や崇敬者の願いを受けて、芝居小屋に近いということで、明治のはじめに創建されました。

新川にある於岩稲荷田宮神社の社地は、歌舞伎俳優の初代市川左団次の所有地であったと伝えられます。

ちなみに、祭神は、田宮於岩命と豊受比売大神となっています。

戦災で焼失したが、戦後再建され今日に至ります。

 じゃあ、今現在、お岩稲荷は三か所あるの。

四谷、東京都新宿区左門町に実在する於岩稲荷田宮神社の方のお岩稲荷は、もともとは田宮家の屋敷社でした。

岩という女性が、江戸時代初期に稲荷神社を勧請したことが由来といわれます。

岩の父、田宮又左衛門は徳川家康の入府とともに駿府から江戸に来た御家人でした。

岩と、婿養子となった伊右衛門は仲のよい夫婦で、収入の乏しい生活を岩が奉公に出て支えていたといいます。

岩が田宮神社を勧請したのち生活が上向いたと言われ、土地の住民の信仰の対象となったそうです。 

 お岩さんと言えば、四谷怪談ですね。

四谷怪談は、元禄時代に起きたとされる事件を基に創作された日本の怪談です。

お岩の夫、田宮伊左衛門は、南北の芝居では民谷伊右衛門となっていますね。

現在、豊島区雑司が谷となっている江戸の雑司ヶ谷四谷町が舞台となっています。

基本的なストーリーは、「貞女岩が夫伊右衛門に惨殺され、幽霊となって復讐を果たす」というものです。

鶴屋南北の歌舞伎や三遊亭圓朝の落語が、有名です。

怪談の定番とされ、折に触れて舞台化・映画化されているため、さまざまなバリエーションが存在します。

実際のお岩は、貞淑な女性で夫の田宮伊右衛門とも仲がよく、お岩の信仰のおかげで田宮家も栄えたという話が伝えられているそうですね。

 だったら、なぜ、四谷怪談のもとなった事件は起きたのかしら。

四谷怪談の基になった実話については、四谷のお岩稲荷に1827年に記録された文書が残されているそうです。

お岩稲荷の文書によれば、こうです。

四谷に住む武士である田宮又左右衛門の娘、お岩が浪人の伊右衛門を婿にとった。

伊右衛門が心変わりして、一方的にお岩を離縁した。

お岩が狂乱して行方不明となり、その後田宮家で変異が相次いだため、田宮邸の跡地にお岩稲荷を建てた。

つまり、田宮家の場所には、もともと稲荷神社自体はあったのです。

 ただし、屋敷社として、ですけどね。

それが事件の後、お岩稲荷として新たに、祀られていくことになるわけです。

 事件の前は、田宮家の繁栄にあやかりたい人々の信仰の対象だったわけでしょ。

 それが一転して、お岩鎮魂の神社になる。

 皮肉ですねえ。

稲荷社を熱心に祀っていたお岩を、邪険に扱った祟りを恐れたという見方も、もちろんできるでしょうね。

 非業の死を遂げた菅原公と天神の関係と、同じですね。

稲荷には、農耕の神に始まり、家業繁栄の神としての信仰もありました。

 さらに、水神としても祀られたのでしたね。

 赤い鳥居の場合は、陰陽では水に配される黒が下に来る。

 白い鳥居の場合は、陰陽では白は金に配され、金生水で、やはり水を掌る。

 それで、火伏の神としても祀られるようになる。

さらに、稲荷の狐には、面白いことがありましたね。

 巻物があったり、宝珠があったり、子どもがいたりします。

 なかには、狛犬と同じ形の球を抑えていたりする。

それだけではなく、厄の雁垂のない形に、あるいは、犯のけものへんのない形に、似ている四角いものを前足で抑えている場合もあります。

 柄がついている場合も、ありますね。

そこで、稲荷には厄封じの信仰があった可能性もあると、話題にしたこともありました。

 そうなると、稲荷に非業の死を遂げたお岩の祟り封じを祈願したという見方もできますね。

稲荷も、奥が深い神社ですねえ。

 邪険にされたお岩の悲しみが田宮家に祟りを及ばしたように、お岩の祟りが再び起きないよう、神社と寺で封印しているのかしら。

四谷怪談を演じる前には、いまではもっぱら新川の方らしいけど、於岩稲荷田宮神社に関係者はお参りすると言いますからね。

祟られたくないものだから。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

高IgD症候群HIDSは日本とヨーロッパの繋がりを裏付けるか。

周期熱症候群には、日本人の起源を考えるうえで興味深い病気がいくつかあります。

 家族性地中海熱やTNF受容体関連周期性症候群の多い地域は、日本人の起源と関わりが深そうな国が多かったですね。

そこで今回は、高IgD症候群HIDSを取り上げます。

高IgD症候群もまた、遺伝による病気なので、伝染はしません。

発症例はまれで、世界中で約200人の患者が報告されているだけです。

大部分の患者は症状の軽いタイプといいます。

 重くなる場合もあるでしょ。

もちろんあります。

後で触れますけど。

IgDは、IgEの次に少ない免疫グロブリンです。

IgD産生細胞は、骨髄,リンパ節,脾,唾液腺,乳腺,扁桃,腸管粘膜などに分布しています。

高IgD症候群の詳しいことや最新情報は、自分で調べてくださいね。

 医学情報の発信が、目的で話しているわけではないからですね。

一般向けとしては、ここなど良くまとまっていると思います。

遺伝子の異常に起因する周期性発熱
http://www.printo.it/pediatric-rheumatology/information/Japan/13.htm

この病気の別の略称はMAPS,メバロチンカイネース関連周期熱症候群(Mevalonate kinese Associated Periodic fever Syndrome)の略です。

高IgD症候群という疾患名は、海外では血清IgD高値を取ることが多く80%以上の症例において報告される事によります。

それでHyper IgD Syndrome、略してHIDS。

ところが、2010年度の時点で、日本で判明している症例では、そのほとんどがIgD値は正常であるといいます。

幼児では、IgD値は正常傾向が強いといいます。

そのため正確な診断を受けずに不明熱として治療されていた報告例があり、欧米の報告は日本でもあてはまるか明らかではないようです。

 じゃあ、日本ではMAPSと呼んだ方が、実態に合っている。

先ほど紹介したサイトでは、MAPSの方を採っていますね。

高IgD症候群はドイツ、フランス、およびその他の北ヨーロッパ諸国に先祖をもつ小児に集中しており、オランダにも報告例があるようですね。

ただ、先に述べたようにまれな病気ではあるようです。

 ドイツ、フランス、北ヨーロッパですか。

 いずれも、日本人の起源を考えるうえでいままで注目してきた国ですね。

オランダも、情報集めた方が良さそうですね。

 日本で判明している症例では、そのほとんどがIgD値は正常というところは少々気になりますけどね。

HIDSは、コレステロール合成に重要な酵素であるメバロン酸キナーゼに関する遺伝子の変異によって生じる周期性発熱症候群です。

酵素とは、生体内の化学反応を触媒するタンパク質です。

すべての遺伝子は、特異的な蛋白に対する構造を持っています。

mvkという遺伝子は、メバロン酸キナーゼという蛋白に特異性を持っています。

メバロン酸キナーゼの欠乏によって引き起こされるのが、周期熱症候群のひとつであるHIDSです。

欠損がひどくなり重症型になった病型が、メバロン酸尿症です。

ちなみに、キナーゼ(Kinase)は英語読みでカイネースとなる、リン酸化酵素のことです。

そこで、メバロン酸キナーゼはメバロチンカイネースとも呼ばれます。

 それで、メバロチンカイネース関連周期熱症候群と呼ばれる。

この酵素が関与する化学反応は、メバロン酸塩をリン酸メバロン酸塩に変える反応です。

この反応は、体細胞では重要な初期の反応で、良く知られた生成物の1つとしてコレステロールがあります。

遺伝学的には、酵素の障害により、人間の代謝に影響を与え、従ってHIDSのような疾患は先天性の代謝異常として知られています。

遺伝子mvkの関与は2004年に判明し、より正確な診断が可能となったが、この遺伝子異常がどのように症状を引き起こしていくのかは、まだ解明されていません。

さらに日本人では、血清IgD値が正常でも発症するなどの事情が重なるのでしょう。

日本においてはまだ、酵素活性測定などの診断基盤が確立されていません。

mvkは、すべての体細胞にコピーが2個をもっています。

人間のほとんど遺伝子と同様に、1つは父親から、もう1つは母親由来です。

周期熱は、両方のMVK遺伝子が同時に障害を受けたときに発症します。

これは常染色体劣性遺伝として知られ、父親と母親がそれぞれ原因遺伝子を持っていることになります。

1つだけの遺伝子が異常でも発症しないので、健康な保因者の夫婦は子供達に障害のある遺伝子を伝えてしまいます。

この夫婦から生まれる子供達には、50%の確率で健常保因者になるか、25%の確率でMAPSを発症する確率があります。

夫婦のどちらかだけが、保因者の場合は発症の可能性はなく子供達は保因者になるだけです。

発症に男女差はなく、最初の症状は、通常幼児期に大部分は1歳未満に発症します。

症状は、生後1年以内に悪寒と発熱の反復性発作が始まり、通常4〜6日間続きます。

2週間からから12週間隔で繰り返される、3日から7日の発熱発作で、発熱発作は突然はじまります。

悪寒以外の症状には、腹痛、嘔吐または下痢、頭痛、関節痛などがあります。

発熱以外の徴候には、頸部リンパ節腫脹、肝脾腫大、関節炎、斑点状丘疹や点状出血または紫斑などの皮膚病変、口腔粘膜のアフタ性潰瘍などがあります。

ワクチン接種や軽度の外傷などの、生理的ストレスによって誘発されることがあるそうです。

 生理っていえば、発症した女性は、生理が発症の引き金になることがあると紹介されていますね。

合併症は、腹膜炎に続発する腹腔内癒着が10%程度、関節拘縮、アミロイドーシスも数%に見られます。

重症例では精神発達遅滞や痙攣を合併する症例もあります。

また、乳児期からの発熱発作による学習の遅れが約半数の患者で見られ、20%程度が高等学校の卒業が出来ていません。

また、26.4%の患者が成人後も職に就くことができず、社会的機能に障害を来たしているとの報告が欧州でなされています。

治療法は、プレドニンのようなステロイド剤を中心に治療されている症例が多いが、その適応に関しては再評価が必要といいます。

NSAIDsのような、非ステロイド系の有効な時もあるそうです。

また、メバロン酸を合成するHMG-CoA還元酵素阻害薬であるstatinが有効とされる症例もあります。

近年TNFαやIL-1βに対する 生物学的製剤の有効例も報告されているが、明確に有効であるとは言い難いそうです。

重症例に対して、造血幹細胞移植の報告もあります。

確立した治療法はまだ、ありません。

非特異的な異常には発熱時の白血球増加および急性期反応物質の高値があり、感度は低いが特異的な所見としては、尿中ネオプテリンおよびメバロン酸高値が挙げられます。

発作予防のための治療法はまだ確立していません。

発作の頻度は青年期以降減少する傾向にあるものの、患者には生涯にわたり発熱発作再発の可能性がつきまとうといいます。

病気に対する情報発信が目的ではない、と言いながら詳しく扱ってしまいましたね。

でも、少し前の情報だから、最新ではないのは確かです。

 秋田美人が色が白いのは、ドイツやフランス、北欧の人々と、共通の血が流れているからという事でしょうか。

発症例が少ないという事なので、日本国内での分布に関する情報を得るのは難しいです。

日本人では、血清IgD値が正常でも発症するという事情がある以上、どちらにどのような変化が起きているのかは気になるところですけどね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

神を見失うなという言葉を考えて見た。

神を見失うなと、言う言葉があります。

聖書では、しばしば、神は義と言い換えられます。

 神を見失うな、とは、義を見失うな、でもある。

義を見失うなと言われれば、もっと、身近に感じるでしょ。

 義を見てせざるは勇無きかなと、言いますね。  

 勇気、言うのは簡単だけど難しいですね。

大義となったら、どうです。

 大義、大儀なことで…。

でも、大義を億劫とばかり、言ってもいられない場合もありますよ。

TPP参加問題は、まさにそれです。

アメリカは自由貿易を大義に掲げ、参加を迫っています。

TPPは、包括手的交渉です。

例外なき関税撤廃を迫るばかりではなく、非関税障壁撤廃も求めています。

非関税障壁とは、さまざまな規制のことです。

時代に合わないから変えるべきものもある一方で、新たに定めたり、強化する必要のあるものも、あります。

 じゃあ、多くの国民に関係あるでしょ。

ところが、個別の利害にとらわれていては交渉は進まないからと、秘密交渉になっています。

 それでも、譲歩を得られれば良いと言う考えもあります。

しかし、経過的、過渡的措置として、認められるに過ぎないのです。

最終的には、完全な自由貿易への移行が目標ですから。

 でも、対抗するなら、秘密交渉をやめて、もっと、開かれた交渉にしろということになるのでは。

自由貿易に対する、民主主義によるチェックは、当然必要です。

 民主主義を大義に掲げれば、自由主義に対抗できるのではないですか。

チェックすると言うだけでは、条件闘争にしかならない可能性があります。

 秘密交渉を公開交渉にというだけなら、民主化闘争でしかない。

自由主義に対抗する大義としての民主主義を、民主化に矮小化することになりますね。

もちろん、大義として民主主義を掲げなければ、条件闘争としての民主化も腰砕けに終わるでしょうね。

現在アメリカが推進しようとしているTPPには、ISD条項があります。

参加国の企業は、進出先が同じ参加国なら、非関税障壁と感じた規制の撤廃を求められるというのです。

非関税障壁を、経済の現場からチェックして意見を言うと見れば、なるほどと思うかも知れません。

だが、その要求の背後にはTPPがあります。

 非関税障壁と一括りにされたなら、環境や健康、地域経済の育成などのための取り組みを破壊されかねない。

被災地復興のための過渡的な特別措置でさえ、長期にわたって必要と思って制定した規制や制度である場合は特に、非関税障壁のレッテルを貼られかねない危険性があるのです。

 TPPとISD条項によって、民主主義は破壊される危険性がある。

一企業の要望の過ぎないものがTPPとISD条項を振りかざしたとたんに、国民や住民の長年の取り組みの成果の上に君臨する事態を、民主主義と言えますか。

 ファシズム台頭のときもそうだったが、民主主義は手続き論に堕落と変質をすると、民主主義の敵に転落する。

義は、偽物が本物に成りすまして、人々を誘惑する場合があるということでしょう。

 偽物の義は、目先の利益で誘導し、人々を眩惑して、地獄に突き落とす。

そして大義もまた、毅然として貫かないと条件闘争に矮小化され腰砕けになるでしょう。

 義や大義を見失うなという戒めもまた、神を見失うなという、言葉に含まれる、

そういう事でしょうね。

 大義と大義の戦いは、神と神の戦い、でもある。

だが、神の戦いと見た場合、いくつかの場面が想定できます。

 神と偽りの神=サタンの戦い。

 私たちは、神、すなわち、真の大義の側に立ちたいですね。

 偽りの神=サタンと偽りの神=サタンの戦い。

 大義を見失ったもの同士の戦い、いまの時代、これが多い気がします。

最悪なのは、大義に対して大義さえ掲げずに戦う場合です。

 自由貿易の大義のアメリカに損得勘定で対抗す日本が、まさにそれ。

 偽りの大義だから滅びることはないが、負ければ地獄。

神を見失うなという、戒め、怖いですね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

みどりごは緑?

信号の色は、どう見ても緑と黄色と赤ですね。

 でも、なぜか、青と黄色と赤と、日本では言いますね。

緑の黒髪という表現を、知っていますか。

いまでは、緑の髪といえば初音ミクを連想する若い人も多いかもしれませんが。

緑はもともと、みずみずしさを表す言葉でした。

現在では「嬰児」が一般的な表記となっている「みどりご」は、本来は「緑児」と書きます。

古く、「みどりご」は「みどりこ」と末尾が清音でした。

赤ん坊を「みどりご(みどりこ)」と呼ぶのは、大宝令で三歳以下の男児・女児を「緑」と称するといった規定があったことに由来します。

大宝令で「緑」と称するようになったのは、生まれたばかりの子供は、新芽や若葉のように生命力溢れていることから喩えられたからだそうです。

つまり、緑は、かつてみずみずしさの表現だったので、色としては、青でもあれば、黒でもありました。

 「おをによし寧楽(なら)の京師(みやこ)は咲く花の薫ふがごとく今盛りなり」

 この歌、気になるのですけど。

この歌の「青丹よし」は「あをによし」と書く場合もあるけど、実際の色は、周囲の緑と建物の丹色、つまり赤との対比と言われますね。

緑と赤というと、今ではクリスマスの色を思い起こすけど、古代日本では都の彩を表す色ですね。

 平安京はヘブル語に訳すとイスラエルになる。

平城京も、寧楽の京師と書くと、寧楽とは安楽の意で、平和の都を意味してこの字が当てられたと考えられていたのでしたね。

 それで、平城京もまた、イスラエルと見ることができるでしょ。

 そうなると、青丹よしの歌も、こう解釈できる。

 「おをによしイスラエルは咲く花の薫ふがごとく今盛りなり」

 緑と赤をイエスキリストの象徴と見ると、こうなる。

 「キリストのイスラエルは咲く花の薫ふがごとく今盛りなり」

みどりごといえば、イエスも神のみどりごという、言い方がありますね。

キリスト教で、イエスの色として緑を当てていることを想うと、奇妙な気分になりますね。

 そして、イエスを形容する場合には、しばしば永遠の神のみどりごと言ったりするでしょ。

子どもが大事な役割を演じる、童児祭祀と呼ばれる行事があります。

 その童児を指す言葉であるみどりごは、かつて緑子と書いたのは偶然ですかね。

昔から「七つ前は神のうち」といって七才までの子どもは、まだこの世にその命が定着していない状態であると考えられていました。

それで、昔は七歳未満の子は、今でいう戸籍にあたる人別(にんべつ)帳に載せませんでした。

祭りの中で、厚化粧の場合が多い特徴的な化粧をし、お揃いの、または決められた衣装を着た概ね小学生以下の少年少女が稚児と呼ばれる場合が多いのは、神の加護を期待したと見られています。

 七は、しばしば、神に関係する数と見られますね。

面白いことに、日本には常若の思想があります。

みどりごを、もともとは緑子と記したのは常緑を意識したとみれば、興味深い解釈が出来そうですね。

 童児祭祀の稚児は、常若の神の象徴でもあったと見ても良い。

そうなるかもしれません。

神のうちとされる稚児の祭祀への参加は、神の臨在の象徴という意味合いもあった可能性はありますね。 

 臨在していただく神の正体は、神のみどりごとしてのイエスだったりして。

 だから、みどりごとしてのイエスの象徴として、稚児は童児祭祀で大事な位置を占めることができる。

解釈としては、面白いですね。

日本の神社には、古代イスラエルの神殿との類似が指摘されることが多いですからね。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2012年3月 | トップページ | 2012年5月 »